ときどき日記



ときどき日記 2022 12,28

 画面に映し出されるウクライナの幼い子ども。
 まだ学校に上がる前のように見えます。
 凍てつく寒さの中で歩いています。
 泣いています。
 左の手には荷物をぶら下げ、それが歩くたびに揺れています。
 親と空爆から逃げだしてきたのかもしれません。
 毛糸の帽子をかぶり、防寒用のジャンパーを羽織っているけれど、独りです。
 泣きながら、歩き続けています。


 この光景が目に焼き付いて、何とも言えない状態です。
 彼の心はいまどうなっているのだろうか。
 これから先、どんな時間を過ごすことになるのだろうか。
 この子に何の罪があるというのだろうか。


 我が家の幼かったころの甥っ子たち、そしてその子どもたちの姿に重ね合わせてしまいます。

 慟哭しかありません。

 
 年の終わりに何かきちんとしたことを綴らなければと考えるのですが、私には2月24日に始まったロシアによるウクライナへの侵略が、心の中にあまりに大きく巣くうっています。
 攻撃を受けた街の姿は、連日放映されるので、もうみんな見慣れた光景になってしまっているかもしれませんが。


 直に終わると考えられていた戦争は、もう10ヵ月も続いています。
こんな愚かなことがいつまで続くのでしょうか。

 
 国連安保理は機能していないように感じます。
 プーチン大統領もゼレンスキー大統領もこの戦争を早く終わらせるために動いてほしい。自国の民の命を守ってほしい。


 どんなに時間がたっても、あの幼子の姿が脳裏から消えることはありません。

 
 今年も厳しい年でした。
 清水寺の森貫主様の描いた漢字は「戦」でした。

 来年こそは、それぞれの人々に「幸せ」が訪れますように。

 私は大人として、未来ある子どもたちのために努力していきたいと考えています。



 今年もつたない本当にときどきしか綴らなかった「ときどき日記」を読んでくださりありがとうございました。



2022 11.26 秋の長野を訪ねて

 夜遅くに家に帰ると、ちょっと刺激的なにおいが玄関まで漂っていました。

 「何!?」「何のにおい?」
 と部屋の中に入るとつれあいが
 「カレーつくった!」
 と言いました。
 「すごい!」
 すぐさま、鍋の蓋を取ってみました。本当にカレーができています。
 でも、ここで喜んでいてはならない。なぜなら彼が依然作ったカレーはおいしいとは言えず、私は後でこっそりといろいろなものを足して完成させた経験があるからです。
 ちょっと味を見てみました。
 「まずくはない!」「むしろ食べられる!」

 我が家のつれあいは、私が忙しくしている分、家事能力がどんどんついています。掃除、洗濯、ごみ出し、トイレットペーパーや歯磨き粉の補充、サニクリーンやクリーニング屋さんの来る日も有価ごみの回収も頭に入っていて、私はなにもすることがありません。
 最近料理の分野にも手を広げ、簡単にできる料理をスマホで検索して作っています。ただ主婦感覚はないのか値段の高い食材も平気で買ってきます。
 今回のカレーは、冷蔵庫の中にカレールーとにんじんがあることを確認し、倉庫の中の玉ねぎとジャガイモを使っていました。隠し味にめんつゆとソースを入れたそうです。
 完璧です!私が死んでも大丈夫だと確信しました。


 さて、ここからがタイトルに沿ったお話です。
 コロナ感染症の影響で、県議会の県外調査は2年間行われていませんでした。
 2年ぶりに農林水産委員会で長野県上田市、長野市、小布施町に出かけました。
 毎週見ている大分駅前からシャトルバスに乗りましたが、人が多く、満席でした。一つのバスが出るとすぐ次のバスが来ます。こんなに多くの人が動いているのだと実感します。バスの中はみんな朝早くて寝不足なのかこんな状態でした。



 大分県は農業県です。
 中山間地域が多く、県土の7割は森林です。県の農業産出額は昨年度は1119億円。これは九州では最下位です。2021年、知事の肝いりで「農業非常事態宣言」が出され、年間産出額1350億円の目標を立てています。

 長野県は、耕地面積が全国第14位です。
 地形が複雑で南北に長いため、地域によって、平均気温、降水量、日照時間が大きく異なります。耕地の8割は標高500〜1500メートルに位置し、変化にとんだ自然条件や地形と三大都市に近い立地条件を活かし、様々な農作物が作られています。
 農業産出額は、2556億円です。

 
信州うえだファーム

 上田市は、年間を通じて降水量が少なく、昼夜、夏冬の寒暖の差が大きい典型的な内陸型気候で、それを活かした農業を展開しています。
  • 信州うえだファームは、JA信州うえだの子会社として2000年に設立されました。
  • 九州からの視察が多いそうです。
  • 地域振興を農業で行いワイナリーも作っています。
  • 専業農家はだんだん減っていて、法人で研修を行っています。
  • 昨年は66人研修をして50人が残っています。地域おこし協力隊からの移住者もいますが、果樹の継承者も厳しい状況です。
  • 法人が作り手のいない土地を借り受け、事業を引き継いでいますが、借り手のいないところは、JAが耕作しています。
  • 地域の中で地権者がいないときは、買いとりを希望されることもありますが、そうしないようにしています。新規参入者が買いたいときに渡しています。
  • 業務内容は広く、就農支援、耕作放棄地対策、農業経営事業、農作業受託事業、農業理解促進事業と多数の事業を手掛け、耕作放棄地発生防止では農林水産大臣表彰を受けています。




長野県庁
 
 私たちの食を支えてきた米、麦、大豆これらの主要農産物を安定供給するためにそして、優良な種子の生産・普及を国が果たすべき役割と定めていた「種子法」が2018年に廃止されました。

 国や都道府県の責任を定めていた法律が無くなり、これから本当に安定した種子が行き渡るのだろうか。民間企業任せにしたら、外国の肥料会社が種子を牛 耳ったら、農家の人たちは高いお金を出して種子を買わなければならなくなるのではないか。日本の食は守られていくのか。とずっと不安でした。

 長野県では、種子法廃止に伴い、長野県主要農産物の種子生産にかかる基本要綱を制定し、これまでの種子供給システムを維持する体制を整備しています。そして、将来にわたって高品質な種子の確保と安定供給に取り組み「種子条例」を制定しています。
  • これまでの種子法にはなかったものも条例に入れ込んでいます。そばや伝承野菜。
  • JAと県が共同出資で社団法人の種子管理団体を設立しています。(1700万円)
  • 基本要綱を定め、種子の状況を調査しています。
  • 種子農家の高齢化も進んでいるので、種田の支援や統合も行っています。
  • 県は、基本要綱でやっていこうと考えていたけれど、条例制定の背景には、民間からの意見があったそうです。
  • 農業団体からの意見も多くあり、県議会でも条例でやっていこうと考えがまとまりました。



 現在、種子法廃止の後、全国で種子を守りたいと28の道府県で条例が制定されています。残念なことに大分県ではこの条例はできていません。県は、要綱があるから大丈夫というのですが、私は心配しています。
 何とか条例制定につなげていきたいと考えています。

 
小布施町

 「小布施」と聞いて、何を思い出しますか。
 小布施は、栗で有名なところです。
 小布施町は、半径2キロメートルの中にすべての集落が入る長野県で一番
小さな町です。小学校も中学校も一つしかありません。
 葛飾北斎が長く住んでいて、かなりの作品を残し、それを美術館としています。
 江戸時代には、将軍への献上品として小布施栗が特産品となりました。栗のほかにもリンゴ、ブドウ、梨、桃、サクランボも作られています。
 住民参加による「花のまちづくり」も盛んで、家庭だけではなく、まちの要所には、住民自らが手掛けている花壇が四季折々に美しい花で彩られる町でした。



 日帰りの観光客が多く、長野からの列車には、大勢のお客さんが乗っていました。リピーターも多いそうで年間120万人訪れるそうです。
 町の中には7軒の栗菓子製造会社がありますが、みんなが共同でまちを盛り立てています。
 採れる果樹を使って6次産業化も進んでいますが、農業と町づくりと同時にやっていることが特徴的です。

 リンゴがたわわになっている様子は、美しく、可愛らしく、感動的です。
 リンゴの白い花が咲くころも訪れてみたいと思いました。





2022 10.27 コロナは無くならない!


 急に寒くなりました。昼間はまだ暑さを感じる日もありますが、朝、夕の冷え方はかなり急激です。我が家では、ついこの前まで冷房を入れていたのに、朝は暖房を入れる始末です。
 体調を崩しやすい時期です。どうぞお気を付けください。

  コロナの患者数が、下げ止まり傾向でしたが、それでもなくなりません。むしろ先週と比べると僅かずつですが増えていることが不安です。

  コロナ感染症対策特別委員会では、二人の病院関係者に来ていただいてお話を伺いました。


10月17日(月)
大分県立病院 井上敏郎病院局長


 

 病院局長には、昨年の9月(第5派)に1度来ていただいています。
あの時は、防護服を着替えることの大変さと脱ぐ時の危険性
 患者が増える中で、他の部からドクターやナースの応援をうけたこと
 感染症に詳しい専門医が少ないこと
 患者さんが亡くなると最後だけは、家族にお顔を見せてあげたこと

 そして、
 第6派も7派も来るでしょう。と言われていました。

――――――――――――――――――――――――――――――――

 1年間の変化を教えていただきました。

  • 他県と比べると県病は医師も看護師も少ない。
  • コロナは感染症管理室が対応していたが、呼吸器内科が対応するようになった。
  • 第6派の時にクラスターが発生し、残念だった。
  • 受け入れは、第7派の時が多かった。特殊な領域だが妊婦や10歳未満の子どもが多かった。他の病院が受け入れられないので、妊婦が運び込まれ緊急分娩もあった。
  • クラスターが発生した高齢者施設から来る人は、コロナ対応で手術・入院となる。
  • 20床では足りず、最終的には25床まで増やす。その都度看護師を増やさねばならず(52名必要)
  • 感染症だけをやっているのではないので、手術や外来の数を減らす。
  • 看護師の家庭内感染も増え、50人近く欠員の日もあった。
  • 長いコロナとの闘いの中で、やりくりは上手になったし、病院ごとの役割
  • 分担ができてきた。
  • 課題として、感染が拡大していない時から人材確保は必要。「できれば地
  • 域ごとに人材を確保しておいて、いざとなったら人を動かすようなシステムができればよいのだが」
 と言われていました。

 

 今後は、
 ウイルスは、生き延びるために弱毒化していく。突然変異が出てくることが予想される。
 寒くなって、窓を閉め切る日が続くと換気も悪くなる。インフルエンザと重なると難しい。発熱がどこから来ているのかがわからないから。有効な薬剤の開発が望まれる。

 今後は人材確保が重要になってくる。モチベーションを上げるためにも看護師の危険手当を充当にしていくことが望まれる。
 マスクを外すのは、まだ早いのではないか。

 

10月19日
三愛メディカルセンター三島康典理事長



 三島先生にも昨年8月に来ていただいています。あの時は、コロナ患者を他の民間病院が診ない状況でした。三愛病院では、「地域の人を守ろう」と軽症・中 等症の患者を診ていました。大変な状況が続き、「ほんの少しでもいいから休ませてください。」と看護師さんが言われた言葉が忘れられません。

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 1年経って「新型コロナウイルス感染症 第7派の振り返り」と題してお話していただきました。
  • 第7派の時にオミクロンの変異型が出て、患者が増え、27床まで増やした。
  • 入院患者の高齢化が目立った。
  • 若年層から高齢者にうつしている状況だった。
  • 高齢者施設でのクラスターが多数発生していたが、行政は施設の患者は、施設で診てほしいとのスタンスだった。
  • 高齢者は、脱水症状、呼吸困難、食欲減退が多く、死亡率が高くなる。
  • コロナ肺炎ではなく、老衰のように亡くなる。

  衝撃的なことをお聞きしました。
 取材していたマスコミの方が多かったので、新聞にも掲載されましたが、救急搬送されていた50代の方が、受け入れ先の病院が見つからず、(11の病院で 満杯だからという理由で断られる)病院に収容されるまでに1時間42分を要し、翌日お亡くなりになったそうです。後で調べてみるとその方はコロナに罹って いませんでした。
 私たちは、救急車の中で、コロナの抗原検査をするものだと思っていました。
 しかし、救急救命士の仕事の中に、コロナ検査が入っていないために、彼らはその検査をすることができないのだそうです。
 これこそが、1日も早く、できるようにしなければならないことだと思いました。
 三島先生はこういわれました。「民間病院の医師は、一人のコロナ患者を診て、自身がコロナにかかったら自分が診ているたくさんの患者を診ることができなくなるので、それを行うことが難しいのだろう。」と


 お二人のお話をお聞きしながら、コロナは収束するとずっと信じて生活してきた私はかなり深刻に考えています。
 コロナは、無くならない。弱毒化して変異して生き延びていく。できれば季節性インフルエンザのようになる日が来ることを願うばかりです。
 インフルエンザとコロナのどちらにも効果がある薬が早くできることと二
つを同時に検査することができる検査キットの開発が急がれます。



2022.10.2 それは突然のできごと

 キンモクセイの甘酸っぱい香りが、お隣の家から漂ってきます。
 この香りをかぐと、疲れている心と体が癒されるような気持ちになります。
 
 朝、晩が急に涼しくなってきました。皆様、お元気にお過ごしでしょうか。

 10日前のことです。夕方から「地球温暖化防止」と「国葬反対」のプラカードを持って大分駅前でスタンディングをしました。

 1時間の活動を終えて、夕飯の食材を買って帰ろうと思った時、朝、つれあいが「セブンの金のビーフシチューおいしそうだな。食べたいな。」 
 と言っていたことを思い出しました。
 「その時は、ご飯ではなく、パンがいいな。」
 「それなら、フランスパンがいいかも。」
 と私が言うと、
 「いいや、塩パン。塩パンがいい!」
 と言い張るので、困ったときのセブンの私は、ナナコカードを持っているので早速、駅近くのセブンに行きました。けれども残念なことに金のビーフシチューは一つしかありませんでした。仕方がないので、私の分は、金のハンバーグにしました。
 塩パンを求めて、パン屋さんやデパートに行くのですが、夕方遅くにはもう塩パンはどこのパン屋さんにもありませんでした。仕方がないので他のパンを買って帰りました。

 突然の事故はその帰りに起こりました。
 気が付いた時は、黒い大きな車が目の前に見え
(ああっー!ぶつかる!)
 と思った瞬間、明らかに車がぶつかった時に聞く、大きな音がしました。
 何が起こったのかは、よくわかります。
 私は、接触事故を起こしたのです。
 ほんの一瞬のことでした。

 その後の私たちのせいで起こった渋滞
 広い場所への車の移動
 警察への連絡
 保険会社への連絡
 相手の方とのやりとり

 今思い出しても苦しくなります。
 生まれて初めての事故でした。

 疲れていたのに、渋滞を避けようと日ごろ通らない細いカーブの多い道を走ってしまった自分が間違っていたと振り返っています。

 みんなが
「怪我はない?」と心配してくれます。
 体は大丈夫で、相手の方とも保険会社を通じて話し合ってもらっています。人や自転車にぶつかったわけではないのが幸いだと自分に言い聞かせています。

 車の修理には、かなりの時間がかかるようです。代車はお願いせず、今は、バスを利用しています。

 へこんだ心はなかなか元に戻りませんが、皆さん、どうぞくれぐれもお気を付けください。



2022,9.7 人に苦しめられ人によって生かされる
 

 大型ののろのろ台風は、宮古島や石垣島にしばらく停滞していましたが、ようやく動き出しました。昨夜、県内は大雨でした。
 一夜明けて、今日は、吹き戻しの強い風が、これでもかこれでもかという具合に吹き荒れていました。
 もう落ち着いたようです。
 「せっかく、実り始めた稲が倒れてしまったらどうしよう・・・・。」
と田んぼを見つめてずいぶん心配していましたが、きっと大丈夫だと思います。

 ここ数か月、体調が悪く、臥せっている日も多々ありました。
 そこに、個人的な悩みも追い打ちをかけ、笑顔や元気が全く出ない日が続きました。
 「どうしてなんだろう?もっとやれるはず!こんな事今までだったら、一日寝込んだら翌日には、前を向いていこう!と思えていたのに・・・・。」
 自分のふがいなさを実感しながら、どうすることもできず、家族に迷惑をかけていることもわかっていながらの毎日でした。
 「これは体と心がだんだん年を取っているからだ」
と自分に言い聞かせてはいたけれど、なかなか精神的にも肉体的にも立ち直ることはできませんでした。
 そうして、わかりました。
「コロナの後遺症?」
 3月末に回復してからずっとこの調子なのは、コロナに感染したことも影響しているのではないかしらと考えています。
 後遺症の症状は、倦怠感、咳、味覚症状などと報じられています。
 私の場合、咳は止まり、味覚も異常はありませんが、お腹がずっと悪いです。
 うつ傾向もあります。

 「そうだったんだ」
 そう思ったら、少しだけ気分が楽になりました。

 話はがらりと変わりますが、今年の夏の初盆のお参りのことです。
 このごろは、家族葬が多く、初盆もそんなに多くの数はなかったのですが、自分の能力と「ここだけは行きたい!」と思うところだけ25軒にお参りさせていただきました。
 高齢で亡くなられた方のご家族は、落ち着いて穏やかな日々の中でこの日を迎えられたんだとわかります。
 若くして、子どもさんを亡くした家族や長い闘病生活の後で亡くされた方のお宅は、つらいものがありました。それでも、葬儀の時のような言葉にすることが 難しい状況ではありませんでした。悲しみや思い出を言葉で語ってくださる姿を見ながらその悲しみを乗り越えようとしていることを理解しました。もしかした ら長い時間がかかるかもしれませんが、時が助けてくれるはずです。
 急な病気で、あっという間に家族を失った方には、かける言葉がありません。
 一緒に涙を流すしかできませんでした。それでも「いっぱい泣いてください。いっぱい話してください。」
と願って寄り添いました。
 あるお宅で、ちょうど庭が見えるお部屋だったのですが、亡くなられたご主人は
「退職後は農業をやろう!」
 そう決意され、お庭を耕して、いろいろな野菜を作っていらっしゃいました。その場所にずっとアゲハ蝶がどこにも行かずに飛び続けていました。
「きっとお父さんが、心配して帰ってきているのかもしれませんね。」
と語り合いました。
 これから長い時間をかけて、ご家族はお父さんとの思い出を糧に生きて行けると信じています。



 人は、人によって傷つけられることが多いものです。
 しかし、その傷ついた心は人の優しさや慈悲の心や思いやり、何気ない励ましや寄り添ってくれる笑顔に気づき、癒されていくものだと今はそう思っています。

 ストレス社会です。
 でも、意志をしっかり持ち、人に支えられてやって行こうと今は、自分に言い聞かせています。




2022 8.8 世界が優しさに包まれることを願って


 暑い日が続いています。暑いというよりも猛暑です。酷暑です。
 皆様お元気でしょうか?
 外でお仕事をされている方々に頭が下がります。宅急便やさんには感謝しながら冷たい飲み物を差し上げることしかできません。

 いつも通る道すがら、夕刻だったのですが、田んぼにご夫婦が作業されていました。きっと育っている苗の中の草取りをされていたのだと思います。
 「あのゴジラが、門の上に乗っかっているおうちの方だ。」
と気づきました。
 いつも通りの農作業をされているのでしょうが、
 「どうぞ熱中症にならないで!」
と思わず声が出ました。

 新潟、山形、石川、福井県では、線状降水帯による大雨の影響で甚大な被害が出ています。

 山からは雨と同時になぎ倒された木々が、土砂となって家を襲っています。全壊した家の屋根瓦が被害の大きさを物語っています。50年前にも同じような被害に遭われて方々もいます。

 「72年生きてきて、こんな被害は初めてだ。」
と言われる方もいました。

 最上川が氾濫し、甚大な被害が出ています。道路と川の境が見えません。田んぼが冠水し今まで育てたコシヒカリの被害ははかりようがありません。
 泥が堆積した我が家を茫然として見つめている方々の悲しみや慟哭が伝えられますが、
 「いのちがあったから幸いだと思おう。前を向いて生きて行こう。」
と自分に言い聞かせている姿を見て、何と言っていいのか言葉も見つかりません。朝倉の水害後に活動していたボランティアの方々が家にたまった泥を書き出す姿とダブって見えました。

 災害に遭遇しながら、すべてを失っても人は何とか生きてきたのだと教えられます。そしてそれは今年の広島の平和記念式典を見ていて改めて思いました。

 

 8月6日に広島は原爆投下77年を迎えました。
 平和式典の中で、松井一実広島市長はこう語りかけました。

 77年前の夏のあの日、16歳になる女性は、お母さんの作ってくれたお弁当をもって家を出ました。それがお母さんとの別れでした。
 人類に向けて初めての核兵器が投下されたのです。広島駅付近にいた彼女は、さく裂した爆風により吹き飛ばされ、意識を失いました。
 意識が戻ってから見た光景は、この世のものとは思えない地獄絵。
 彼女は、大好きなお母さんと二度と会うことができず、日常が一変した地獄の中にいました。
 その事実を、冒頭に語りました。そして、
 ロシアによるウクライナ侵略では、国民の生命と財産を守るべき為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。
 と続けました。
 さらに
 世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。
 これはこれまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現をめざすこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。
 武力に寄らずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状止むなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。
 とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。
 一刻も早く核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。
 と続きました。

 私は、松井市長の平和宣言を聴きながら、体が震えていました。
 武力によって平和は訪れないこと、世界中の何人かの強権的な為政者の強い発言が、世界中に感染し「現状止むなし」とする考えが最も危ういことなのだと思います。

 多くの学校で今年の夏も平和授業が行われていました。
 1972年に始まった平和教育。最初は、一部のPTA の反対で開催が危ぶまれた時期がありました。でも50年続けてきました。
 続けていかなければいけない。戦争体験者や被爆された方が年々少なくなっていく中で、語り継ぐ人や追体験する人たちが育っていかなければいけないと思います。

 この時期だけ、マスコミは戦争特集を組みます。
 でも、限定された時期だけではなく、いつも多くの人たちの心の中にある「人の不幸の上にある幸せ」を求めていくことは間違いなんだと悟ることが重要だと思っています。



2022 7.23 国葬!?


 コロナの感染が急拡大しています。
 7月の3連休の中日に祝祭の広場でイベントをやるようになっていて、午前中の仕事を終えて、午後から街に出かけました。
 いつも車を止めるところが、満車だったので慌てて他の駐車場を探しましたが、次も満車。それでは次にと動くのですが、そこも満車。結局6か所回ってようやくトキハの第2パーキングに停めることができました。
 「みんな出かけているんだなあ…。」と理解しましたが、
 「この分では、連休明けのコロナの感染者数は、相当なものになるのでは・・・。」
心配していましたが、心配した通りに一気に1000人越え。一昨日は、1999人です。
 身近な人も、「コロナにかかった!」と連絡がありましたが、誰がかかってもおかしくないような人数になっています。
 皆さん、もう自粛に疲れているのだと思います。県も、「行動規制」をしないので、怖いものなしのような状況です。

 医療現場の状況が心配です。それに毎日のように高齢者施設でクラスターが発生していますので、その現場の状況も不安です。検査キットがなかなか手に入らないという声も聞きます。


 朝、起きてしばらく、庭の手入れをします。



 夏場は、花を植えても水やりが大変ですし、特に今年の夏は、参議院選挙が忙しく、苗を買いに行くのが遅くなってしまい、もうお店には、サフィニア系はありませんでした。仕方がないので、日日草とポーチュラカだけを買ってきて、こじんまりしています。

 
 7月8日、安倍元総理が選挙応援演説中に銃で撃たれるという考えられないことが起こりました。
 放送各社は、テレ東以外は、すべて事件の報道に切り替わりました。奈良の駅前の様子や襲撃の様子、その場に居合わせていた人のインタビューが繰り返さ れ、延々と続きました。事件を起こした男性が20年前、海上自衛隊所属だったことも語られていました。僅か3年しかいなかったのにそのことが重要な事なの かしらと思いました。

 暴力で自分の意志を伝えるという方法は、許されることではないと思います。ましてや殺してしまうなんてあってはならないことです。
 報道によると、旧統一教会に母親が傾倒してしまい、多額の寄進をして、家族は離散し、大変な状況だったと伝えられています。その教団と安倍元総理がつながっていると判断したとも報じられています。


 50年近く前のことです。
 高校の同級生が、地元の大学にいきましたが、そこで旧統一教会に入ったと知らされました。目の大きな優しい人でした。私が学生だった頃、旧統一教会の勧誘は激しく行われていたことを思い出しました。

 学校に勤めだした頃、尊敬していた大好きだった先輩がいました。
 彼女の家に伺うと、見たこともない壺が飾ってありました。
 トイレには、教団の創始者の写真が飾られていました。
 私に「キリスト教を勉強しない?」と熱心に誘われたのはその頃です。
 私は、「先生絶対にダメ!」「騙されている!」と話し合いましたが、無駄でした。そののち、彼女は、教団が行う合同結婚式に参加しました。招待されて結婚式に私は参加しましたが、何とも言えない無力感を感じて、祝福どころではありませんでした。


 岸田総理は、安倍元総理の国葬を行うと、閣議決定もせず、国会で計ることもせず突然に発表されました。
 「国葬?」「どうして?」という思いがずっと払しょくできずに今日にいたっています。

 
 私は、「安倍総理はやめろ!」と7年前の安全保障に関する法案審議の時にずっと声を出し続けてきました。
 その後の、安倍政権時代の森友問題、加計学園問題、桜を見る会でも権力を自由自在に操る姿が許せませんでした。
 官僚の人事を内閣が行い、モノが言えない状況を作り出し、外国に湯水のようにお金をばらまき続けた功罪は、批判されてきたものの何も明確になっていません。
 弱い者には、権力むき出しで、居丈高になり、強いものには取り入れられるように卑屈に見えました。あの時の政権運営は、民主主義と真逆の方向を向いていたと思っています。

  若い人たちを貧困に追いやり、政治に関して考える力さえ奪う国に民主主義があるのだろうか。
 この思いを書き記すことにさえ勇気を待たなければならない国に本当の民主主義があるのだろうかと思い続けています。

  「死んだらみんないい人」になっていく文化が理解できません。
 ですから、私は、多額の税金を使い、国葬に対する基準も何もない中での国葬には反対です。




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●2022年7月〜12
12.28 ときどき日記
11.26 秋の長野を訪ねて
10.27 コロナは無くならない!
10.2 それは突然のできごと
9.7 人に苦しめられ人によって生かされる
8.8 世界が優しさに包まれることを願って
7.23 国葬!?

●2022年1月〜6
6.27 こわいをしって へいわがわかった
6.8 夜間中学と新しいテーブル
5.5 ゴールデンウィークどうお過ごしですか
4.11 新型コロナはやはり怖いです
3.11 春だというのに・・・・・・。
2.14 きっと春が来る
1.20  今年もよろしくお願いいたします!

●2021年7月〜12
12.30 ふざけるな!
12.6 もう師走!
11.10 夜間中学
10.19 サウナを愛でた
9.21 仕事の合間に考えたこと
8.31 コロナと闘う人たちがいる
8.8 忘れてはいけない76年目の日
7.16 夏にしては涼しい

●2021年1月〜6
6.13 ある日のできこと 
5.28 不器用ですが
5.6 コロナ禍のゴールデンウィークに思ったこと
4.15 「ハトシ」
3.23 こもっている間に春が来た!?
1.27 男だから 女だから
1.6 一陽来復

●2020年7月〜12
12.3 力のなさを感じます
11.1 今年もあと2か月
10.8 父の故郷 安心院
9.8 台風一過と台風一家
8.17 人と人がつながって平和を築いていくしかない
7.27 豪雨災害から2週間
7.7 地元愛にあふれていた中津江村

●2020年1月〜6
6.20 子ども
6.3 大切にしたいこと
5.5 何をしなければならないのか
4.12 システム手帳が真っ白
3.28 コロナ?!
2.25 本当におそれるものは
2.2 気温差23度の旅
1.17 もの言う大人でいたい


●2019年8月〜12
12.29 暗中模索の中でも人とつながって
11.27 中津は元気だ!
11.1 ラグビーワールドカップの余韻
10.6 この道もある。あの道もあるよ。
9.13 静かな秋が訪れるはずなのに
8.31 全日本少年野球大会
8.6 風蘭とシステム手帳

●2019年1月〜5月
5.6 戦い終わって・・・
3.15 あの日から
2.8 どうしてSOSが届かない
1.22 許せないのです
1.6 ボーっと生きてんじゃねーよ!

●2018年7月〜12
12.4 いつの間にか師走!
11.6 いつの間にか
10.18 駅ピアノ

9.14 おくすり手帳が手放せない
8.18 湯平に泊まりに行こう!
7.31 北海道は20度だった!
7.13 誰にでも起こりうること

●2018年1月〜6月
1.13 ローマ法王のカード
2.6 ぼつぼついこか
3.18 思いやることと忖度すること
3.31 桜の花をゆっくり愛でることができましたか
4.18 大分セブンス
5.7 たまには精進料理
5.31 保健室の先生  
6.15 いつになったら幼子の命が救えるのでしょうか


●2017年7月〜12月
12.29 胸が痛みます
11.26 442号は、みんなで取り組んで
11.5 誇りある青春
10.13 NO MORE VIOLENCE
9.19 2年前の今日「戦争法案」が強行採決されました
8.27 今年の夏は
7.15 災害発生から11日
●2017年4月・5月・6
6.21 ひと休みして考えよう
5.27 本当に良いものを食卓に
5.6 6年目のフクシマ
●2017年1月・2月・3
3.29 なかなか訪れない春
3.4 とっても近い国「台湾」
2.12 災害の大きな爪痕
1.21 健康でいることのありがたさ
1.3 穏やかな年の初めに
●2016年10月・11月・12
12.12 この痛みはなぜ?
11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って
10.18 どうしても許せません
●2016年7月・8月・9
9.24 厳しい現実 ―台風16号被害―
9.7 行く夏
8.21 なつやすみ
7.26 分断されていく人々のこころ
●2016年4月・5月・6
6.30 今の平和をわざわざ壊しますか?
6.7 新しい判断
5.6 地震?!
4.9 見えにくい子どもの貧困
●2016年1月・2月・3
3.13 あの日から5年
2.23 スローフードと空き家対策
1.31 選ぶことのできない世界
1.15 4本のイヤダ!
●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜