2009.12.22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し

 12月14日から16日まで農業、林業、畜産の勉強で宮崎・鹿児島に行ってきました。

「黒毛和牛の肥育農家でお話を伺う」

別府と熊本を結ぶ九州横断特急は、特急とは名ばかりで、単線のためにいるところで待ち合わせのために止まります。思わず苦笑してしまいますがでもその分、ゆっくりと冬の景色を楽しむことができました。

 宮崎からは、借り上げバスでの移動でした。

 大隅半島を渡る小さなフェリーの所要時間は50分でした。波は穏やかでしたが、寒波が日本列島を襲った日でもありとても甲板に出て景色を楽しむ気にはなれませんでした。バスの運転手さんにいろんなお話を伺いました。岩崎観光の経営状況も厳しく、乗っているフェリーも来年存続できるかどうかわからないこと。阿久根市長の問題発言について。運転手さんは大分にも来られることが多く、湯布院や別府や国東の名所や道路事情にまで会話ははずみました。

 内の浦のロケット打ち上げセンターを視察した後、道の駅で物産を見ていると、運転手さんがみかんを2ネットくださいました。「反対です。」と言ってありがたく頂きました。早速バスの中でみんなに配りました。小さな小さなミカンでしたが、口に入れてみるとその甘さにびっくりです。

 バスを降りるときに運転手さんにこう言われました。「先生は、ちょっと話しただけですけれど、丁寧に話を聞いてくれ嬉しかったです。議員の先生は、上から目線の人ばかりだと思っていました。」うれしいなあと思う反面、恥ずかしくもありました。お別れの日にチョコレートを差し入れしました。

 我が家には、たくさんの郵便物や宅配物が届きます。

 今日、家に帰ってみると、格子戸のさんに宅配業者さんからの不在通知が挟まれていました。知っている業者さんとは、連絡ができていて、生モノ以外は約束の場所に置いていただくようになっているのですが、きっと新しいドライバーなのでしょう。すぐにドライバーの方に電話をかけました。「昼から伺います。」と電話の向こうで言われましたが、ひどく咳き込んでいました。女性の声でした。

 午後3時頃、荷物を持ってきてくれました。「もう1つ来たのでちょうどよかったです。」と言われたドライバーさんは、長い髪をひとつに束ねた細い人でした。家の甥っ子たちと同じくらいの年齢に見えました。2つの荷物をもらい、サインをした後、不在を詫びながら秘密の置き場所に案内して別れました。

部屋に入ってよく見ると、もう一つは同じ団地の平○さんの名前が貼ってありました。1丁目と平の字で間違ったのだと気づき、慌てて追いかけましたが間に合いませんでした。もう1度ドライバーさんに電話をしました。

「すぐに行きます!」と元気な声が返ってきました。ペットボトルの紅茶とコロンバンのクッキーを持って待っていました。「がんばってね。」と渡すと「いいんですか?お昼食べてなかったんで嬉しい!」と元気に発車して行きました。「あわてんぼうのサンタクロース」ならぬ「あわてんぼうの宅急便屋さん」でした。

 夏に訪れたアウシュビッツの入口に掲げられている「働けば自由になる」の看板が盗まれ、ポーランド市内で3つに切られて発見されたとのニュースを昨日見ました。3人の若者の犯行でした。動機は未だ伝えられていませんが、民主的な考え方と反対に位置する思想を持った人ではないかしら・・・と考えています。後世に残していかなければならない「世界遺産」なのに・・・と憤っています。2日前には、むっちゃん平和像の後ろに掲げられていた折鶴が愚かな人の手によって燃えてしまいました。子どもたちが平和への祈りを込めて一つ一つ一生懸命折ったものなのです。やり場のない悲しみを感じています。

 25日に動物管理所に行ってきます。相当覚悟しなければいけませんが、現実をしっかり見てきたいと考えています。

 つたないときどき日記も今年最後かもしれません。つれづれに綴ってきましたが、目を通してくださった方々に心から感謝申し上げます。

 2010年が皆様にとって良い年となりますように。


2009.12.2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで

 パソコンに向かうと2階の窓のむこうに皇帝ダリアの花が見事に咲いているのが見えます。ここ数年、皇帝ダリアはあっという間に各地に広がっていきました。竹のようにまっすぐに伸び、緑の葉が茂り、てっぺんに薄い赤紫の花がたくさん咲きます。確かに花弁は、ダリアの様です。しかし通常のダリアとは比べものにならないほど背丈が高く(3、4メートル)威風堂々としているので皇帝と名がついたのだと勝手に信じています。我が家にも1本咲いています。4年前に母が植えたものに、昨年から花が咲き始めました。

 日本人は、商魂たくましいのできっと数年後には黄色や真っ赤な皇帝ダリアが世に出てくるかもしれないと思っています。

 12月に突入してしまいました。

私は、後援会の総会と宅老所のシンポジュウムを終え、年内の大きな行事が済み、少しだけほっとしています。

このところ、宅老所やグループホームの学習会に何度も呼んでいただきました。6年前、障がい者の方の課題から始まり、DV被害者、児童虐待、薬物依存と多くの方々に教えていただきながらようやく介護の課題にたどり着いたといった状況です。超高齢社会における小規模ホームの存在意義を痛感しています。児童養護施設の課題同様、もう少し時間をかけて学び、来年思いをお伝えしたいと考えています。

3日前、深夜放送を見ていました。ドキュメンタリーで「母子加算手当」を削られた家庭の状況を報じていました。生活保護を受けているひとり親世帯に支給されていた母子加算手当は、段々と削られ、今年4月から全廃されました。

テレビに映った10歳の少女は、お使いに行き、スーパーで眼を皿のようにしながら少しでも安いものを探していました。家には幼い妹と13歳になるお姉ちゃんとうつ病で働けないお母さんがいます。その日の献立は、ふかしたジャガイモでした。それに塩辛をつけて食べていました。光熱費を抑えようと電気をつけずに薄暗い部屋で宿題をしていました。

 紹介されたもうひとつの家族は、アスペルガー症候群を持つ中学生とお母さんと幼児の家庭でした。お兄ちゃんの生活支援のためにお母さんは仕事に出られません。

 母子加算手当は、生活保護を受けている母子家庭に、通常の保護費に上乗せして18歳になる前の子ども一人当たり月に2万円から2万3千円を支給するものです。しかし、小泉構造改革の流れの中で。社会保障費の抑制が行われてきました。年間2200億円の社会保障費の削減が行われ、母子加算は毎年削られ、今年の4月からは全廃されました。その理由は、生活保護を受けている母子家庭の受ける支給額の総額が、保護を受けていない一般の母子家庭の平均収入より高いからというものでした。けれども調査したサンプルはごくわずかで、十分な検証は行われず、全く信ぴょう性の得られないものでした。

 生活費を切り詰め、進学を断念し、修学旅行に行けずに過ごす子どもたちが大勢出てきていました。どれだけ無念だったことでしょう。

 母子加算復活に必要な年間費用は約180億円。麻生政権で浮上したアニメの殿堂を作る予算とほぼ同額でした。

 新政権は、昨日「母子加算」復活の方針を打ち出しました。

 あくまでも廃止されたものを元に戻したというだけです。けれども、私は、何よりも大切なことだったと思います。

困窮しているのは、母子家庭だけではありません。お父さんとだけで暮らす子ども。おばあちゃんとだけで暮らす子ども。おじいちゃんとだけで暮らす子どももいます。本当に必要としているところにきちんと福祉的施策が届くように。憲法で保障されている健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が保障されることは、あたりまえのことです。

 あの少女は、電気をつけて宿題をすることができるかしら・・・と考え続けています。


2009.11.13 朝、一便に乗るためには・・・

急に寒くなりました。皆様お元気でしょうか。

 11月11、12日に教職員関係の議員でつくる「日政連議員会議」に出席するために東京に行ってきました。

  朝、8時30分発のJALです。これまでは、ホーバーがあったので7時に家を出ても間に合いました。しかし、連結している空港エアライナーは、大分駅前6時16分発です。そのためには、家を5時45分に出なければなりません。したがって5時には起きなければなりません。自分で運転すれば済むことなのですが、「空港までの道は、みんな飛ばすぞ!」とつれあいは言葉巧みに運転すべきではないといわんばかりです。自信のない私は、バスに乗ることにしました。

 駅までの道すがら、フランチャイズのレストラン、コンビニ、スーパーの電気が赤々とついていることに気づきます。24時間営業なんてすべきではないよ。お店の空いている時間に買い物すればいいんだから。と感じてしまいます。

 バス停に到着するとすでに長蛇の列。知っている方に何人もお会いしました。運転手さんは「本日は、とよの国ハイパー・・・」と言いかけて慌てて「空港エアライナーにご乗車いただきありがとうございます。」と言い直していました。きっと福岡行のバスの運転もされているのでしょう。

 バスは、満杯でした。日出から乗ってこられたご夫婦は、補助席を倒してかけることになりました。別府湾には小舟が2艘(そう)浮かんでいました。

 「日政連議員会議」に出席するのは初めてです。女性議員が多いので頼もしくなります。重要課題である 高校授業料の無償化、教員免許更新制、全国学力・学習状況調査、定数改善、教育委員会制度について現政権とのすり合わせやこれからの方向性について話し合いを持ちました。もう少し、具体性が出てきてからお伝えしようと思いますのでここでは述べません。

 でも、こう感じました。これまでは、文部科学省を政府と文教族と経済界が牛耳っていました。直接教育に携わる人の願いや意見は教育行政に一向に反映されず、むしろ遠のくばかりでした。これからは少しずつ変わっていく。そんな希望の光が見えた気がしました。

 いつもながら空港、モノレール、JR、地下鉄どこも人人人の東京でした。

しかし、今回は警備している警察官の多さに驚きです。天皇陛下即位20周年とオバマ大統領来日のせいでしょう。報道によると警視庁は1万6千人態勢で臨んでいるとか。

 仕事を終えた弟と待ち合わせをして、銀座の「美登利」というお寿司屋さんに行きました。ネタは築地市場からの直送で、何よりも驚くほど値段が安いのです。お寿司を食べる時にドキドキしなくて良いのが庶民には最大の魅力です。ですから店の前はいつも長い列ができています。私たちは、カウンターでいただきましたが、6人の人が握っていました。どの人もいい顔をして忙しく働いています。年配の人も若い人もお互いを「○○さん」と呼び合っていました。きっと働きやすい環境もつくられているのでしょう。銀座に行ったらお勧めです。

 泊ったのは、またしても「コムズ銀座」です。

 翌朝、8階から朝食会場に降りて行くと、しばらく待たされました。

 今回は、どこに何があるのかを前回学習しています。自分の欲するものに一目散です。焼きたてのクロワッサンはおいしかったです。ここでは何もかもがおいしいのです。シェフの矢吹さんの魔法にかかってしまうのかもしれません。ちょっとだけ火を通したトマトはスープのようです。キンジソウ、ポエムの湯通しは歯ごたえがあって素晴らしい。薄切りのロースハムは口の中でとろけそう。クリームであえた長ネギは最高でした。私は、決して朝からコロッケを食べるなどとできないはずなのに、揚げたてのおいしさにつられてしまいました。ブルーベリーもラズベリーもプルーンもヨーグルトとの相性が絶品でした。

見渡すとこれから仕事に出かける男性たちが、幸せそうに食事をしています。

男性が満足そうに食事をしている姿もいいもんだなあ・・・と見とれてしまいました。矢吹シェフは、忙しそうに店内を見回り、お客様の空いた器を片づけていました。勇気を出してご挨拶をしました。しばらくしてまた戻って来て、こう言われました。「ブログに書かれました?」そうなんです。私は、7月に朝食バイキングがあまりに素晴らしかったので「野菜を求めての旅」の中でHPに書いていたのです。「断りもなく、すみません。」

 隣の席には、秋田から来られた3人組みの女性が座っていました。私がここの野菜の食べ方を伝えているうちにいつしかお話するようになり、大分と秋田の食談議がはずみました。3人は、帝劇の「レ・ミゼラブル」を観るために上京したそうです。羨ましい環境です。

シドニーのホテルの朝食と上海のホテル・シェラトンの朝食が今まで生きてきて「すごい!」と感じた朝食でした。それが豪華絢爛朝ごはんだとすると、コムズ銀座は素朴で温かみがある本物の朝ごはんかもしれません。

 シェフの写真は勇気がなくて撮ることができませんでした。だからホテルの正面を撮ってきました。新橋駅から徒歩3分。お勧めです。

大分空港に帰ってきて急な階段に取りつけられた手すりが目につきます。もちろんバリアフリーのために取りつけているのですが、直棒ではなく、くねくねと曲がっています。まっすぐだと握っても滑りそうになりますがその心配がありません。色も明るいブルーで冷たさを感じません。お客様をお迎えするのにふさわしい配慮だといつも感じてしまいます。

11月9日に一時保護所の皆さんと一緒に別府の三つの児童養護施設を訪問しました。施設の名前と場所がやっと一致しました。それぞれが個性と歴史を持っていることもわかりました。抱えている課題の大きさを痛感しています。もう少しお邪魔して勉強してからお伝えしようと考えています。