ときどき日記/バックナンバー 2004年 7月・8月・9月

2004.9.24 「ゆらいでいる、気候も人の心も」

 まだ、蜩(ひぐらし)が鳴いているのに、子どもたちの夏休みは終わってしまいました。
 今は、運動会の練習に追われているところでしょうが、こんなに毎日雨が降り続くと、練習計画はくるってしまい、当日までの残り時間のほうが気になってしょうがありません。
 第3回定例県議会がようやく9月22日に終了しました。議会中は、緊張の連続で不器用な私は、他の仕事が手につきませんでした。やっと「ときどき日記」を更新することができます。

 先月のことですが、台風16号が九州に上陸した8月30日は、函館にいました。
 翌日は、それが北海道に再上陸すると予報されていました。みんなは、もう一日泊まろうと暗黙の了解がとられていたようですが、「私は、帰りたい。私は、帰りたいです!」と訴え続け、(私達の旅費は、税金でまかなわれています。)その願いが叶えられ、全員で翌朝早く空港に行き、チケットの変更をして飛び立てる最後の飛行機に乗り込むことができました。
 ですから私は、16号の経験がありません。大型台風は、大分県に約92億円もの被害をもたらしていました。
 台風18号が長崎に上陸した9月7日は、家にいました。学校は、休校になり自主的に避難した人は、645人もいました。日田では、観測史上最大の50.2mを記録しています。我が家のハナミズキが右に傾き、ものすごい風の音に大人の私でも恐怖を感じていました。お父さんもお母さんも仕事を休めず家で兄弟だけで留守番している子どもたちは、どんなに不安だろうと気が気ではありませんでした。

 二つの台風の被害総額は、約160億円にものぼりました。人的被害がなかったのが幸いでしたが、住宅や農産物、林業、漁業関係を中心に自然の猛威のすさまじさを見せつけられました。
 9月8日佐賀関中学へ伺いました。
 体育館のトタン屋根が半分ほどめくれていました。風の中を揺れる今にも飛んできそうなトタンを見ながら、近所の人たちはどんなに怖かったことでしょう。
 体育館の中から見上げると光が差し込んでいます。床の半分は、水浸しでピアノも使い物にならなくなりました。バレー部の子どもたちは、体育館が使用できないので校舎と武道場の間のわずかなスペースで練習をしています。
 翌日、理財課へ、体育祭までは無理でしょうが、何とか文化祭ができるよう早急に修理していただくよう要請しました。

トタンの剥(は)がれた屋根


練習する女子バレー部の子ども達



 9月10日農作物の被害調査のため、日田と玖珠に伺いました。
 なし園を訪れるのは初めてです。収穫を前にした豊水や新高が袋をつけたまま無残にも転がっている様にことばが出ませんでした。
 なしは、少々の力で下に引っ張っても取れませんが、下から上に押しただけですぐに採ることができます。ですから下から突き上げる風が吹くといっぺんに落下してしまうそうです。暴風ネットを張ったり木が揺れないように鉄パイプを張り巡らしたりしていましたが、それでも被害が出ます。夜明けのほうが特にひどかったそうです。落ちているなしを拾い、かじってみました。甘さとみずみずしさが口の中に広がりましたが、残念なことに売り物にはなりません。
 玖珠では、収穫前のよく穂がついた実った稲が、まるでじゅうたんを敷き詰めたように倒れていました。ほとんどがひとめぼれで、ヒノヒカリとコシヒカリは、少し収穫が遅いので何とか立っていました。
 第1次産業に従事する人たちは、毎年自然の猛威とも闘ってこられたんだと教えられた気がします。
 台風で被害を受けられた方たちに支援をしていくことを知事も今議会で力強く答弁してくれました。

無残にも落下したなし


 5日前、洗濯物を干している時、たこの足(もの干しざお)の先っぽにアマガエルがちょこんと乗っかっていることに気づきました。迷惑でもないのでそのままにしています。
 洗濯干し場に行くと、気になって目がカエルに向くのですが、いつもじっと細いプラスチックの先に乗っています。時には、ふんをしていることもありますがそっと手で払いのけます。「ここが気に入ったのなら冬が来るまでずっと居てもいいよ」と声をかけます。
 栃木県で眠ったまま川に投げ落とされた幼い二人の兄弟。大分では、タバコの火を体中に押し付けられ、頬を打たれ、重体になった後、亡くなってしまった子ども。カエルでさえ居場所があるのに逃げることもできず、安心して生活することすらできなかった子どもたちのことを思う時、無性に腹が立ち、無念で不憫(ふびん)でなりません。

洗濯干し場のカエルくん



2004.8.24 「それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私」

 
お盆が過ぎ、雷の音を聞くようになりました。それでもまだ暑いですね。
 我が家も一昨日の落雷の被害に合ってしまいました。電話線を伝わって入ってきたかみなりでパソコンのアダプターが壊れてしまったようで、電話が丸1日不通になってしまいました。正直なところ電話がかかってこないことは、私にとっては幸いなのですが、緊急を要するファックス等がつながらないと各方面にご迷惑がかかるのでNTTの方に修理をお願いしました。

 あまりに暑すぎた今年の夏を振り返っています。
 アテネオリンピックでは、メダルラッシュが続いています。イラクでは、アメリカの作った暫定自治政府は、予想通り機能せず、空爆は続き、罪のない人たちがまだ命を失っています。沖縄では、アメリカ軍のヘリコプターが沖縄国際大学構内に墜落しました。しかし、日本の警察は現場検証もさせてもらえず、同じ型のヘリコプターがまた普天間基地から飛び立っています。小泉首相に「日米地位協定」の見直しを要請するために上京した沖縄県の稲嶺知事は、夏休み中との理由で会ってはもらえませんでした。またしても「なんという国なんだ!」と落胆しています。

 今年の夏もいろいろなところに出かけ、たくさんの方にお会いしました。二つのできごとを書きます。

 私は、別府の青山高校の出身です。7期生です。今年は、創立40周年で8月15日に同窓会のお知らせをいただいたので初めて出席しました。青山高校は、13期生までが女子高でした。1期生の先輩たちは、もう57歳になっています。皆さん元気のいいおばちゃんで、この人たちとあの頃の先生方があの青山のリベラルな校風を作ってくれたんだとしみじみ理解できました。懐かしい先生や憧れていた先生にお会いし、あんなことがあった。こんなこともあった。とつい昨日のことのように思い出されました。
 受付でいただいたプリントには、校歌がしるされていました。でも歌詞を読んでもメロディーが浮かんできませんでした。32年も経っているんだもの。しかたがない。そう自分に言い聞かせていました。しかし、曲が鳴り始めるといつの間にか隣の人と一緒に歌っている自分に気づきました。「若き青山、我らが母校……」目頭が熱くなりました。
 高校の3年間、言いたいことを言い。やりたいように生きてきました。親に心配をかけはじめたのもあの頃でした。もしも、人生をやり直すことができるのなら高校生からやり直してみたい。そう思います。数知れず悩んだ日々。でもそれも私。そこが原点かもしれない。タイムスリップした時を過ごしました。

 8月21日は、東野台の団地祭り。つれあいは、朝早くからやぐらを組みに出かけました。午前中、婦人部長の成安さんが、ゆかたを届けてくれました。お隣の菅沼さんのおばあちゃんが立派な博多帯を貸してくれました。着付け教室に通ったものの、自分では帯がうまく結べず困っていると、エンドレスの奥さんが着付けをしてくれました。
 午後、4時30分に子ども御輿が出発。ご近所の人たちに「もうすぐきますよ」とふれまわり、今か今かと待ちました。お賽銭箱を首から提げている子どもは4人。団地の中の小学生が少なくなっているので今年は、中学生が助けてくれます。
 夕方、盆踊り用の草履がなかったので下駄を履いて仲良し公園へ。敬老会の人たちがカラオケ披露をしていました。会う人が会釈をしてくださり「ここに来て座りなさい」と椅子を勧めてくださったりします。
 私の心の中には、いつもあの日の光景があります。選挙に出馬するために退職をして、次の日からつれあいと二人で団地の中を1件1軒挨拶して回りました。怪訝な顔で見られたり、宗教活動をしている人と間違われ玄関を開けてもらえなかったりしました。あの日から私たちは、選挙に出るからではなく、団地に住んでいる住人として地域の活動に積極的期参加していこうと決めました。
 1年4ヶ月経って、少しずつ皆さんが私たち夫婦を受け入れてくださっていることに感謝しています。
 私は、久しぶりに盆踊りを踊りました。わが団地には、「東野台音頭」があり、今年は、新たに編曲し、CDに入れました。それを敬老会の人たちが声高らかに歌い、小さな子どもからお年寄りまでが、輪になって踊ります。踊りながら挟間や創生の里の花火が見えました。鶴崎踊りはさすがに難しく、足がついていきませんでした。つれあいは、くじ引きの担当でマイクを握り、生き生きと仕事をこなしていました。地域の中に根を張って生活することの大切さをいつも団地の人たちが教えてくれます。

 東野台団地の子どもみこし


 鶴崎踊り なぜかワンテンポ遅れてしまう…



 もう教員ではないのに私の頭は、「夏休みもあと7日」と考えてしまいます。
 行事が目白押しの2学期がもうじき始まります。子どもたちにとって、楽しく充実した2学期になることを祈っています。
 高校野球の優勝旗も白河の関を飛び越え、津軽海峡を越え、北海道にたどり着きました。私も、8月末にもう一度北海道へ行かねばなりません。また新しい発見や出会いが待っていることを密かに期待しています。



2004.8.2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて

 北海道と聞いて思い浮かべるものは、さっぽろラーメン・時計台・毛がに・夕張メロン・キタキツネ・ヒグマ・ラベンダー畑・牧場・流氷・どこまでも続くまっすぐな一本道etc.
 7月26日から29日まで福祉保健生活環境常任委員会の県外視察で北海道に行かせていただきましたがそんなものとはまったく無縁の世界でした。九州があまりに暑かったので、少しは涼しいかしらと期待していましたが札幌は気温28度。例年にない猛暑だそうで、その上エアコンをつける習慣がないそうで一緒に出かけた議員さん方は、上着を脱ぎ、ネクタイを外し、ワイシャツのぼたんを外しと大変な様子でした。日没が九州より1時間早く、朝は4時半を過ぎると明るくなります。

北海道庁
 北海道の人口580万人。その内札幌が180万人。議員の定数は、110人。(大分県は、46人)議会の時は、200キロかけてこられる議員さんもいるそうです。知事は女性で副知事が3人。

 赤レンガづくりの旧北海道庁



●少子化対策
 北海道では、全国を上回る早さで少子化が進み、合計特殊出生率は下位から4番目の1.22(大分県は、1.42)このため妊娠、出産、育児、健全育成という「生まれる前から少年期まで」の保健・医療・福祉に関わる一貫した支援策「子ども未来づくり条例」の制定をめざしています。
 高齢化を支えることも目的ですが「生む、生まない」という本人の選択を尊重されている点が大切だと思いました。
 私は、残念なことに子どもに恵まれず、少子化の話題になるとなんだか居場所がない気持ちになるのですが、働き続けて27年間、税金を払い続けてきました。その金額は、莫大なものだと思います。社会の片隅にそんな人々がいることも感じてもらえたらとも思います。

●防災対策
 1993年7月12日、北海道南西沖地震により、大津波が発生し、奥尻島を中心に死者201名、行方不明者28人が出たあのときのテレビで見た恐怖は、忘れられません。津波は、地震発生後20分でやって来て、高さ30、3メートルまで達しました。
 大分県でも東南海・南海地震が起こる確率は、40パーセントあり、今その対策が話し合われています。津波の経験の少ない大分県の住民にとって危機管理の意識は、高くありませんが避けられないこの事態に対し、いかに被害を少しでも防ぐことができるかが今後の大きな課題です。

●北海道立福祉村
 「青い芝の会」、保護者、養護学校の教職員の強い要望で1973年に「福祉村」が設立されました。脳性まひ等で重い「障害」を持つ人たち270名が、生きがいを持って生活できる「村づくり」をめざしています。授産施設・更生施設・通勤寮・療護施設等からなり、設置主体は、北海道。運営主体は、社会福祉事業団という公設民営化で運営されています。作業内容は、農業・箱折・機織・七宝焼き等自分にあった仕事を選んでいます。結婚している人もいます。
 行財政改革のなかで大分県でも公社等外郭団体の見直しがされています。本年度、県の授産施設が閉鎖・縮小されました。
 「福祉村」に入所できて安心した保護者の思いとは対照的に約半数の入所者の人は、村を出て、地域の中で支援を受けながら生活することを望んでいます。脱施設の傾向は、全国的にも叫ばれていて行政としてしっかりと支援をしていく体制をどう作って行けるのかが大きな課題です。

 その他、栗山町で今話題の「地域通貨」について話を聞きました。

 佐藤さんが口に絵筆をくわえて描いた絵


 機織り もがみ織りと名がつきポーチやテーブルセンターになります


 18年間ここに住む坂下さんと。
 ドライブやスキーが趣味とのこと。
 坂下さんの部屋を写させてもらいました。



 「障害」のある人たちがつくるパン工場で昼食
 メニュー ちくわ・きんぴらパン、夏野菜のスープ、イカとほっけのサラダ、知床鳥のじゃがいも添え


 千歳―羽田便は、569人乗りのテクノジャンボ機です。帰りの便には、ディズニー・シーに行くという少年たちが大勢乗っていました。私たちの後ろの座席には初めて飛行機に乗るんだという中学1年生が座っていて、興奮しておしゃべりをしていました。そんな少年たちの会話が愛らしく聞き耳を立てていました。

 飛行機は、積乱雲や気流の関係でかなり揺れました。少年たちの興奮度は高まり、私の隣に座っていた議員さんが「静かにしなさい」と一喝されていましたが、彼らの耳には届きません。私は、隣の議員のイライラしている様子のほうがつらくなってそっと立ち上がり「今、眠っている人もいます。ルールを守って過ごしましょう」と伝えました。

 台風10号の影響で羽田空港は、離発着の間隔を長めにとっていて15分遅れで到着しました。少年たちと別れ際、「協力してくれてありがとう。楽しい旅をね」と伝えましたが、返してくれた笑顔がとても眩(まぶ)しく感じました。
 きっと台風の影響で雨降りの東京だったでしょうが、楽しい思い出が作れたらいいなと時々思い出しています。



2004.7.20 「帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!」

 暑中お見舞い申し上げます。
 まだ7月だというのにこの暑さは、一体どうしたことでしょう。今年は、梅雨があったのかしらと思い出しています。
 朝から、ごみを出しては汗をかき、掃除機をかけてはTシャツを着替え、車に乗ってはまた汗をかいています。あまりの暑さに水をかぶります。学校にいる頃、プールの時間が楽しみだったことを思い出しました。
 道路工事や警備員の方、外で仕事をされている方はどんなに大変なことでしょう。家の前の野間さんちに植木の剪定屋さんが仕事に来ていました。尋ねたところ1日にペットボトル8本の水を冷やしていて飲まれるのだそうです。

 西日本で水不足が心配される中、新潟、福井では梅雨前線の影響で大変な水害が起こっています。堤防は、いとも簡単に決壊し、家も車も人も田んぼも押し流されてしまいました。水に浸かった町の映像は、想像を絶するものがあります。昨年訪れた米どころ新潟は、ほ場整備された田園がどこまでもどこまでも広がっていました。水が引いた後の泥だらけの我が家を前に何から手をつけたら良いのか呆然(ぼうぜん)とされている人達。
 災害義援金ではなく、こんな時に県や政府がしっかりお金をかけ復興支援を早く打ち出してほしいのに行政の遅れが心配です。

 私の帯状疱疹(たいじょうほうしん)は、「痛かゆい」状態でどんどんよくなってきました。でもしっかり治さなければ再発したり、後遺症が残ったりするよと言われているので仕事を3/4くらいに押さえています。今年の夏は、北海道・北九州・熊本・青森・岩手へ行かなければならず、しっかり体力をつけておかなければと自分に言い聞かせています。
 つれあいが今日は熱中症です。朝から芝生の刈りこみをやったところ大量の汗をかき、頭痛を訴えそのまま寝込んでしまいました。結婚して23年目ですが休みが長くある時はなぜかしら体調を崩します。
 野間さんの奥さんは、元病院の総婦長さんで、我が家のメディカル・カウンセラーなのですが「それは、働いている人のほっとする病気です。仕事で緊張しているので休みにはほっとしてしまうんですよ」と教えてくれました。タオルを冷やし、おでこと首のしたに当て、30分おきに水分補給をしています。

 暑さ厳しき折、どうぞ皆様ご無理をなさいませんようご自愛ください。
 次回は、北海道での報告をしようと考えています。


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