ときどき日記 2023 4.27 感謝とお別れ 最後の「ときどき日記」になりました。 まず最初に前回ここで書かせていただいた自転車に乗っていて自動車とぶつかり意識不明だった少年のことです。 ずっと心配していました。 4月2日に集会でその少年が通う学校の先生が声をかけてくれました。 「ご心配おかけしました。意識が戻り、集中治療室から一般小児病棟に移れたんです。お話もできるようです。」 とお聞きをしました。なんて幸運なことだと思いました。担任の先生ではなかったのですが、二人で少年の無事を喜び合いました。 「事故に遭った人は、脳がシャッフルした状態になるそうです。もしかしたら高次脳機能障がいが出るかもしれませんが、ドクターはそんなこともご存じだと思いますから、まずは、生かされたことに感謝しましょう。」 と話し合いました。本当に良かった。救われた命の重さを実感しています。 半年間かけて取り組んだ県議会議員選挙、その後の参議院補欠選挙が終了しました。 県議選では、共に闘った「御手洗ともひろ」さんは当選を果たしました。 新人でしたから知名度のなさをどう拡げるかを考えて根気強く活動しました。 参議院の補欠選挙では、まさかと思う結果でした。接戦は想定内のことでしたが、まさか敗れるとは考えていませんでした。 4月23日の夜のことは、思い出しても苦しくなります。 勝敗の行方にあまりに時間がかかるので、下の階で待機されていたご本人もつれあいさんと一緒に7階まで上がってきて、各局のテレビ放映を見ることになりました。 どれくらい時間が経ったでしょう。 相手候補の当確が出て、茫然自失です。 当日の司会をすることになっていた私の原稿は、勝った時のことしか想定していません。 急遽、すべての方のご挨拶を取りやめ、候補者本人からお話をしていただくようにしました。 苦しそうに、敗戦の弁を語るご本人。それを唇をかみしめて静かに聞いているご家族や関係者・・・・・。 原因はいくつもあるかもしれない。報道でもいろいろなことが言われていました。まだ自分の中で心の整理や総括ができません。 でも、ご本人が言われた「自分自身の力不足」ではありません。私たちは、最高の力と意思を持った候補者で闘いました。 私たちは大きな「権力」に負けたのかもしれません。 しかし、翌朝の街宣に来られた姿を見て、まっすぐに前を見据えている姿を見て、私は静かに「再起動しよう!」と心に誓いました。 朝、夢を見ました。 修学旅行に出かける直前の夢です。 あれも間に合わない、子どもたちも心配、これで出かけられるのかとおろおろしながら目が覚めました。 「夢で良かった。」「私の議員生活のようだなあ。」と笑ってしまいます。 4月17日の朝早く、私は金の手の交差点の手前を車で走っていました。 渋滞も発生していて、ノロノロ運転です。ふと横を見ると明治小学校の子どもたちが集団登校しています。さすがマンモス校。まるで遠足のような集団の大きさに驚きました。 その集団から少し離れたところに女の子が一人うずくまっています。ランドセルに黄色いカヴァーがかかっているので、1年生でしょう。傍らには、登校を見守るお母さんと、上級生が困ったような顔をして立っています。 すると、向こうから赤ちゃんを抱えてお母さんのような人が走ってきました。 女の子の手を、ぐっと引っ張り、学校の方を向かせて押し出しました。女の子は、また座り込みました。お母さんが話しかけている時に、車は動き出し、その後の姿は確認できていません。 入学して、四日目。 「学校に行くことがきついのかなあ・・・・。」 学校には、いろいろな子どもが通ってきます。 「どうぞ、すべての子どもが安心して通える学校であってほしいなあ。」 「学校が好き!」 そう思える毎日であってほしいとあの朝の光景を思い出して、願い続けています。 私は、20年経っても成長せず、まだ教員の心のままだったかもしれません。 20年経って、議員を辞める時になって議員の仕事の醍醐味がわかってきたような気がします。選挙の恐ろしさを知り、それでも気が付かないうちに選挙で燃えている自分がいます。 「あと10歳若かったら、今ならもっと良い仕事ができるのかもしれない・・・・。」 ふとそんなことも頭をよぎります。 気が付くと20年が過ぎていました。そんな状態です。 この20年に出会った方、いろいろなことを伝えてくださった方、すべての方に感謝して、議員生活を終えようと思います。 気が付くと、庭の花は今を盛りに咲き乱れています。 「ときどき日記」を読んでくださった皆様、永い間、本当にありがとうございました。 皆様が、健康で自分らしさを発揮できる社会であることを祈りながら感謝とお礼とお別れの言葉といたします。 2023 3,29 命を助けて 県内の学校の修了式があったのは3月22日です。 その日、車で市内を走っていると、春休みを迎えた子どもたちが何だかうきうきしているように見えました。友だちと連れ立って自転車に乗っていたり、歩いていたり。 その日の午後のニュースで事故が起きたことを知りました。 近くの学校の小学4年生が、自転車に乗っていて車にぶつかったと。 詳細は分かりませんが、横断歩道ではないところを自転車で横切っていたこと、ヘルメットをかぶっていたこと、自動車の運転手は20歳の人だったこと、そして、少年は由布市内の病院に搬送され、意識不明の重体だということが報じられていました。 30年近く前のできごとが蘇ってきました。 私のクラスのKちゃんは、小学校2年生でした。 当時は、まだ学校で禁止されていた自転車に乗っていて、狭い上り坂の露地から出てきたところを、かなりのスピードを出していたと思われる乗用車にぶつかり、そのまま押された格好で民家の塀に激突しました。 6月1日のことでした。 救急病院には、私の方が早く着きました。 お父さんとお母さんがいました。 運ばれてきたKちゃんは意識がないように見えました。 処置室に運ばれ、その日のうちに脾臓摘出。予断を許さない状況でした。 A型の血液がたくさんいると告げられ、夜の救急病院はご近所の方が集まり、血液の提供をしてくださいました。 看護師さんが 「ここは救急病院です!皆さん家に帰ってください!」 と言われたのを覚えています。でも、誰も帰ろうとはしませんでした。 その日以来Kちゃんの昏睡は続きました。 私にできることは何なのかを懸命に考え続けながら「クラスの子どもにお別れの言葉なんか絶対に読ませない。」そのことだけを誓い、毎日午前と午後に入れてもらえるICUに通いました。 先輩の先生に 「耳の機能は残っているそうだよ。」 と教えられ、クラスの子どもたちと一緒に朝の会の様子、みんなの歌声、当時習っていた百人一首、一人ひとりの呼びかけ、アニメの歌をテープに入れて持っていきました。 看護師さんが、眠っているKちゃんの枕もとでかけ続けてくれました。 テープが流れると、不思議なことにKちゃんの閉じている目から涙が流れました。 「聞こえている!」 そう信じました。 何日経ったかはわからないのですが、容体が落ち着いたKちゃんはICUの病室から出ることができました。でもまだ眠っているようでした。私たちは、出て いる肌のところを、羽でなでたり、つねったりしました。時には、冷たい風に触れさせようと病院の外にもバギー車を押して出ていました。 ある日、バギー車に乗っていたKちゃんの足の指が動いたような気がしました。その動きは、少しずつ少しずつ全身に広がっていきました。 「動いたよ!動いたね!Kちゃん目が覚めてるよね!」 おばあちゃんと手を取り合って喜んだことをつい昨日のことのように思い出します。 ずっと眠っていた彼には、かなり長いリハビリが続きました。脳の手術も頭蓋骨を外して、2度行ったので、それは大変な時間でした。 退院できたのは、半年後のことでした。死ぬかもしれないと思っていた子どもが生きていた。そのことが何より尊いことで、感謝の気持ちしかありません。 その経験から、私は事故に遭った子どもの耳は機能していると信じています。 以来、通学時に事故に遭った女子高校生、学校前の横断歩道で車にひかれた中学生、掃除のときに2階から転落して頭を打った中学生など何件もの事故のニュースを知ると、そこの学校に連絡をして私たちの経験をお伝えしてきました。 どこの学校でも、病院の許可を得て耳から音を入れてくれました。 何より嬉しいことは、どの子どもも意識が戻り、今は元気にそれぞれの青春を過ごしているということです。 22日に事故に遭った少年が、一にも早く目が覚めることを願って、学校に連絡をしました。教頭先生は、熱心にペンを走らせていました。 彼の意識が戻り、命が救われることを祈り続けています。 2023 3,11 初心に戻って 三寒四温とはよく言ったもので、昼間は温かい日が続いています。過ごしやすくなりました。 どこからか沈丁花の甘い香りが漂ってきて、待ち望んでいる春がもうすぐそこまで来ているような気がしています。 今日は東日本大震災から12年目です。 あの日の夕方のことを、つい昨日のことのように思い出します。 震災以来、日本中の後押しもあり、復興が目に見える形で行われてきました。 けれども福島原発事故の被害は続いています。 帰還困難区域は減少してきましたが、実際に故郷に帰っている人たちは、政府が予想しているよりずっと少なく、原発事故の処理水の問題も目の前にあります。 外側の復興は進んでいるけれど内側の復興はまだまだのような気がします。 「復興」という言葉の陰で、福島が忘れ去られていくことはとても恐ろしいことです。 先週は、卒業式ウィークでした。中学校、高等学校、そして爽風館高校の定時制と通信制。 3年ぶりの出席で、緊張していました。来賓がこんなに緊張するんだから主役である生徒たちもきっと緊張していただろうなあと思います。 4日連続して卒業式に参加をしながら、 「生徒にとっては、一度きりの大切な式なんだ。しっかり臨まなければいけない。」 と自分に言い聞かせていました。 爽風館高等学校では、定時制94名、通信制は158名の生徒が巣立っていきました。 「高校卒業」を目標にそれぞれが働きながら、時には自身の心と葛藤しながら目標を達成し、満足した表情で式を終えました。 その姿は、凛々しくもありました。 私は、祝辞を述べなければならなかったのですが、一人ひとりの生徒の様子を見ながら感無量になり、泣き出しそうになるのを必死でこらえていました。 自らこの変則的な教育システムの学校を選んだ生徒がいます。小・中学校時代は不登校でほとんど学校に通えなかった生徒がいます。入学した時には心の中に 「痛み」を抱えていた人が大勢です。その痛みを直視し、それを克服し、乗り越えて次のステップに歩み出そうとしているその瞬間に立ち会えたことは、何にも まして幸せな瞬間でした。 卒業生の皆さんは、これから歩んでいく道で、もしかしたら自分が描いてはいない道に出会うことがあるかもしれません。でも、そんな時には、一度立ち止ま り、爽風館高校で学んだ日のことを思い出してほしい。あの時間は、どんなに時が経ってもいつまでもいつまでも輝いているから。そして、また歩み始めてほし いと願いました。 私の任期も残り50日ほどとなってきました。 毎日、「よく頑張ったね」とお手紙やメッセージ、お花が届きます。 本当に終わりが近づいていると皆さんもそう思っていらっしゃるのだと感謝の気持ちでいっぱいになります。 議員としての終わりが近づいてきたからと言って、特別に何かをとは考えてはいないのですが、今は、選挙活動と議会の仕事に追われています。 これまでの県政報告「わたげ」が議会の机の中にたくさん入れてあります。 でも、5月になったら次の人がこの机を使います。だから、机の中も上も棚も荷物を片付けて、きれいにしておかなければなりません。 机の中にあった過去の「わたげ」を読み返しています。 テスト主義反対を訴えた初めての質問 2011年の東日本大震災の時の表紙の記事 瓦礫受け入れに日本中が揺れていた時のこと しばらく経ってから何度も出かけて行った被災地の宮城、福島、岩手 甲状腺に溜まったセシウムを少しでも抜くことができたらと福島の子どもたちを大分に招待し続けた「ゆふわく」 世界中で起こる飢餓や災害に心穏やかではなかった日々のこと 権力に振り回される民主主義を憂いでいた日々 「こんな風に考えていたなあ・・・・。」 と思い出します。 自分で書いた文章なのにとても引き込まれます。 ひとつ一つを読みながら、あの時の気持ちを失ってはいけない。 そして思うのは、初心を忘れてはいけない。 もう一度、「初心に戻って」という言葉を自分に言い聞かせています。 進学・就職に伴う転居や巣立ちの時期です。 皆さんそれぞれに素晴らしい人生が開けますように。 私も次のステージへ向けた歩みをそろそろ考えなければと思っています。 2023 2.17 LAST 68日 「次は、どうするのですか?」 と、ときどき聞かれます。議員を辞めてしまったら次は何をするのかというご質問です。 「まだ、何も考えていません。でもじっと家の中にいては、認知症が出るかもしれませんね。」 と、ついお答えしてしまいます。 次期県議選に出馬しないと正式に表明して1年近くになります。 まだまだ時間があると考えていたのに残すところあと68日。 1年前は、少し寂しさを覚えていました。世間から取り残されていくような気持ちも感じ、一緒に退任する馬場県議と 「寂しいですね。」 とお会いするたびに語り合っていました。馬場県議も 「なんだかさみしいですね。」 と言われました。とても謙虚で温厚で、人を押しのけてでも前に出ようとする県議会議員が多い中で、(馬場県議でもそう思うんだ・・・・。)と何だか少しほっとした覚えがあります。 辞めたら、 ピアノを買い替える! この20年、ピアノの蓋をほとんど開けていません。きっと音の出ない白鍵があると思われます。鍵盤をたたかなかったのは、そんなことに時間を費やしては いられないと自分を規制していたからなのだと思います。壊れかけたピアノを直してもらうか、新たに中古のピアノを買うかを考えます。もう一度ピアノを習い たいと願っています。以前のように家に先生が来てくれるのは、気を使うので、自分で出かけて行って習いたいです。そこは、1年に1回発表会があるようなと ころではなく、負担がかからないレッスンを受けたいです。 花壇を花でいっぱいにする! 日頃つくらない手の込んだ料理に挑戦する! そこまで考えて、やらなければならないことがまだまだあることに気づきました。 これまでいただいた写真や賞状は本棚の前に重ねて置かれています。写真はパソコンに落とし込んでいますが、初期の頃は、デジカメで撮った写真がいっぱいです。 大掃除のたびに断捨離をしてきたつもりですが、片づけなければならない物がかなりあります。その処理に時間がかかりそうです。 まだ認知症が出る暇はないかもしれませんが、心のどこかで「社会と繋がっていること」が大切だと感じています。 私は、誰かのために何かをしている時が一番好きです。体の中から突き動かされるような気持ちになり、アドレナリンが最高に出ているようです。議員をしているとお願いや依頼や相談が少なからずありました。そんな時間が無くなったら、寂しいだろうなあと思います。 では何に取り組むのか?まだ、漠然としていて先が見えてきません。 国会議員ではないのに、いつも社会のありように憤っていました。 政府が、国会審議を経ずに閣議で勝手に国の方向性を転換していることに腹が立っていました。 国会議員が、LGBTQの人の存在を軽視する発言も許せませんでした。 世界中の多くの国の若者が、気候変動に危機感を覚えて行動しているのに日本の若者が無頓着なのにもがっかりしていました。シチズンシップ教育が位置づいていないからで、それは私たちのせいなのだと思います。 DV被害者支援をやっている団体の支援をやってきましたが、本格的にできたら良いなあと考えます。 里親支援をしている「chies(チーズ)」にも行くようにしてまだいけていません。児童養護施設を対処する若者への支援も必要です。 そして、平和の活動です。 米海兵隊と陸上自衛隊の共同訓練が、2月16日から始まりました。28日まで日出生台で行われますが、どのくらいの人数が参加し、どんな訓練が行われるのか全く情報は開示されていません。 昨年4月の105ミリりゅう弾砲の沖縄負担を軽減する訓練を入れると、1年に2度大分の地で行われることになります。 木更津から日本のオスプレイが、普天間から米軍のオスプレイが参加することだけは明らかになっています。 沖縄では、もうオスプレイが飛んでいても上を見上げる人はいないそうです。 それほど、訓練が常態化しているのでしょう。 沖縄の負担軽減が、いつの間にか日本中の基地化のようになっています。 「防衛だ!」と声高に言われるけれど、どのくらい防衛力にお金をかけたら満足するのでしょうか。 2015年の9月19日以降、もしかしたらと予想していたことがどんどん拡がっているようです。 「戦争が廊下の向こうに立っている。」 と、昔先輩の先生が言われましたが、今は、 「戦争がリビングの外に立っている」 平和に関する活動をしていかなければと考えています。 2023 1,22 子どもの多様性を認められる学校でありますように 新しい年が明け、もう20日以上が過ぎてしまいました。 遅くなりすぎましたが「あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします!」 我が家は、二階建てです。 ある日、二階に上がって、何気なく踊り場の横に備え付けられた本棚の上に目をやると、いつもと違う人形に気づきました。 本棚の上は、私の好きな人形の小物をずらりと並べています。 友人から頂いた犬の置物の上に、フェルトで作った小さなダックスフントがのっかっているのです。小さなダックスフントは、いつもは少し離れたところに置いています。 「つれあいが大掃除のときにいたずらしたのかしら・・・。」 と思い、階下に降りて聞いてみました。 「知らんよ。」 二人暮らしです。私でもなく、つれあいでもなく、ではいったい誰が・・・? と考えていると、 「S君が来た時に、二階に上がっていたなあ。」 とつれあいは、思い出したように言いました。 そうなのです。Sちゃんが神奈川から両親と一つ上のお兄ちゃんと3年ぶりに帰省した時に、玄関に入ったら居間には来ずに、いきなり2階に上がって行ったので驚いたことを思い出しました。 彼は、幼稚園の年長さんです。今年の4月には1年生になりますが、学術的用語でいうと「場面緘黙」があります。家では、とてもよくおしゃべりをするそうですが、幼稚園では一言も話しません。 我が家でも、最後まで言葉を発しませんでした。 風船バレーをしたのですが、ソファーに座っていて、自分の近くに風船が来た時だけさっと手が出ます。要求がある時は、お母さんに耳打ちしていました。携帯で写真を撮ろうとすると、映らないようにさっと顔を隠すように避けます。 私もいろいろなタイプの子どもにこれまで接してきましたが、「場面緘黙」の子は初めてです。 両親は、神奈川から都内に通う共働き夫婦です。 父親の外国留学の関係で、幼いころはお母さんの故郷の実家で伸び伸びと育ち、保育園にも通っていました。 お父さんが、帰国して、今の住所である神奈川県に引っ越しました。そして新しい幼稚園に入りました。お兄ちゃんはすぐに慣れたようなのですが、Sちゃんは、新しい園に慣れずに、登園を渋っていようです。それでもお兄ちゃんがいるので何とか園には通い始めました。 園服は着ません。園では他の子の様子を見ながら行動します。その実態を園では受け入れていただいていたようです。 体を動かすことは得意なようで、運動会では、笑顔でかけっこをしている映像が送られてきました。自転車は驚く早さで乗れるようになりました。散髪屋さんへ行くのを嫌がり、お母さんがカットするので残切頭です。 両親は、小学校に上がってからのことをいろいろと悩み、考え、専門家の方にも相談を続けています。 小学校とも相談し、知的遅れはないので、普通学級で過ごすことが決まっています。 そんなSちゃんの学校生活を元教師である私は少なからず心配をしていました。お友達と話さない。あてられても答えない。自分の要求をどう伝えることがで きるのだろうか。教科の学習があり、集団行動を求められるのが学校です。いじめられるのではないか。阻害されるのではないか。担任の先生の理解が得られれ ば・・・・・・・・。不安材料はどんどん拡がっていました。 でも、離れたところに置かれた犬がまるで親子のように重ねられている姿を見て、 「この発想は、おもしろい!」 と感じました。これまでうちに来た幼い子どもが、何人も二階には上がっていましたが、こんなことをする子どもはいませんでした。 「もしかしたら、隠れた才能や感性があるのではないかしら。」 と今は思っています。 今の学校は同じことをすることが求められ、規律が重んじられ、苦手なことを克服すること、頑張ること、団体行動が求められていますが、枠の中から外れる子どももいることを認識し、個に応じた対応していただけたらと願わずにはいられませんでした。 Sちゃんのお母さんと話しました。 「もしも学校に行けなくなっても、今はフリースクールがあるよ。通信高校だってあるよ。学ぼうという気持ちがあれば、その方法はいくらでもある。Sちゃんのいいところを見つけて伸ばしてあげることを考えよう。」 口で言うことは、簡単です。 私は、遠く離れているので、いい加減なことを言ってしまったのかもしれません。 毎日生活を共にしている両親はいろいろなことを考えるでしょう。 でも、世間の目を気にすることだけは避けてほしいと願います。 学校には、いろいろな背景を持ち、いろいろな個性を持つ子どもたちが通っています。 『みんな違ってみんないい。』 と思える学校生活が、Sちゃんを受け入れてくれたら。 これから入学する子どもたちにも個性を受け入れる環境が拡がっていくことができればと願っています。 バックナンバーはこちらに移動しました ●2022年7月〜12月 12.28 ときどき日記 11.26 秋の長野を訪ねて 10.27 コロナは無くならない! 10.2 それは突然のできごと 9.7 人に苦しめられ人によって生かされる 8.8 世界が優しさに包まれることを願って 7.23 国葬!? ●2022年1月〜6月 6.27 こわいをしって へいわがわかった 6.8 夜間中学と新しいテーブル 5.5 ゴールデンウィークどうお過ごしですか 4.11 新型コロナはやはり怖いです 3.11 春だというのに・・・・・・。 2.14 きっと春が来る 1.20 今年もよろしくお願いいたします! ●2021年7月〜12月 12.30 ふざけるな! 12.6 もう師走! 11.10 夜間中学 10.19 サウナを愛でた 9.21 仕事の合間に考えたこと 8.31 コロナと闘う人たちがいる 8.8 忘れてはいけない76年目の日 7.16 夏にしては涼しい ●2021年1月〜6月 6.13 ある日のできこと 5.28 不器用ですが 5.6 コロナ禍のゴールデンウィークに思ったこと 4.15 「ハトシ」 3.23 こもっている間に春が来た!? 1.27 男だから 女だから 1.6 一陽来復 ●2020年7月〜12月 12.3 力のなさを感じます 11.1 今年もあと2か月 10.8 父の故郷 安心院 9.8 台風一過と台風一家 8.17 人と人がつながって平和を築いていくしかない 7.27 豪雨災害から2週間 7.7 地元愛にあふれていた中津江村 ●2020年1月〜6月6.20 子ども 6.3 大切にしたいこと 5.5 何をしなければならないのか 4.12 システム手帳が真っ白 3.28 コロナ?! 2.25 本当におそれるものは 2.2 気温差23度の旅 1.17 もの言う大人でいたい ●2019年8月〜12月 12.29 暗中模索の中でも人とつながって 11.27 中津は元気だ! 11.1 ラグビーワールドカップの余韻 10.6 この道もある。あの道もあるよ。 9.13 静かな秋が訪れるはずなのに 8.31 全日本少年野球大会 8.6 風蘭とシステム手帳 ●2019年1月〜5月 5.6 戦い終わって・・・ 3.15 あの日から 2.8 どうしてSOSが届かない 1.22 許せないのです 1.6 ボーっと生きてんじゃねーよ! ●2018年7月〜12月 12.4 いつの間にか師走! 11.6 いつの間にか 10.18 駅ピアノ 9.14 おくすり手帳が手放せない 8.18 湯平に泊まりに行こう! 7.31 北海道は20度だった! 7.13 誰にでも起こりうること ●2018年1月〜6月 1.13 ローマ法王のカード 2.6 ぼつぼついこか 3.18 思いやることと忖度すること 3.31 桜の花をゆっくり愛でることができましたか 4.18 大分セブンス 5.7 たまには精進料理 5.31 保健室の先生 6.15 いつになったら幼子の命が救えるのでしょうか ●2017年7月〜12月 12.29 胸が痛みます 11.26 442号は、みんなで取り組んで 11.5 誇りある青春 10.13 NO MORE VIOLENCE 9.19 2年前の今日「戦争法案」が強行採決されました 8.27 今年の夏は 7.15 災害発生から11日 ●2017年4月・5月・6月 6.21 ひと休みして考えよう 5.27 本当に良いものを食卓に 5.6 6年目のフクシマ ●2017年1月・2月・3月 3.29 なかなか訪れない春 3.4 とっても近い国「台湾」 2.12 災害の大きな爪痕 1.21 健康でいることのありがたさ 1.3 穏やかな年の初めに ●2016年10月・11月・12月 12.12 この痛みはなぜ? 11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って 10.18 どうしても許せません ●2016年7月・8月・9月 9.24 厳しい現実 ―台風16号被害― 9.7 行く夏 8.21 なつやすみ 7.26 分断されていく人々のこころ ●2016年4月・5月・6月 6.30 今の平和をわざわざ壊しますか? 6.7 新しい判断 5.6 地震?! 4.9 見えにくい子どもの貧困 ●2016年1月・2月・3月 3.13 あの日から5年 2.23 スローフードと空き家対策 1.31 選ぶことのできない世界 1.15 4本のイヤダ! ●2015年10月・11月・12月 12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう 11.26 暴力の根絶を 10.25 カレーライスとCLT ●2015年7月・8月・9月 9.23 許せない暴挙を前にして 9.6 北陸への視察 8.6 フロイドの深層心理 7.21 民意の拡がり 7.7 子ども最善の利益とは ●2015年4月・5月・6月 6.8 あきれている。でもあきらめない。 5.14 不条理の中で 4.1 みんなに春が来ますように ●2015年1月・2月・3月 3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で ●2014年10月・11月・12月 12.17 現実を受け止め、諦めない 11.19 民意と政権のねじれの中で 10.29 子どもって 10.6 教えるとは、希望を語ること 学ぶとは、誠実を胸に刻むこと ●2014年7月・8月・9月 9.16 二人三脚でやっていくしかないかな 8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間 7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう! ●2014年4月・5月・6月 6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い 6.13 なくならない痛み 5.30 またやってしまった! 5.7 震災からもう3年、まだ3年 4.2 母がいなくなって ●2014年1月・2月・3月 3.3 スリランカに行ってきました。2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・1.13 介護の行方は・・・・・ ●2013年10月・11月・12月 12/28 静かな年の瀬に12/18 お気に入りのホテル12/7 久しぶりの別府11/14 結婚式11/5 秋の三連休10/19 どんな秋が来るのかな・・・ ●2013年7月・8月・9月 9/28 施設への入所9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。8/17 お父さん、ありがとうございました。8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間7/15 ただ今、奮闘しています! ●2013年4月・5月・6月 6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を5/7 「風化しないことを願う」と言われた日4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい4/7 来年の還暦までどうしよう!? ●2013年1月・2月・3月 3/16 ありがとうRUPO2/16 諦めない1/31 左に偏っている?1/10 今年の運は・・・ ●2012年10月・11月・12月 12/27 吉田ばあちゃん12/10 教育公務員のあり方は・・・・11/26 地方自治に必要なこととは・・・11/15 水素水にはまっています。11/4 思いのある人、熱く語る10/9 いろんなことがあった1週間 ●2012年7月・8月・9月 9/27 校歌が歌えた!9/4 夏が終わっていきます。8/19 再び東北へ8/6 暑さの中で7/22 もしも・・・はありえない7/10 デンマークの報告E ●2012年5月・6月 6/22 東北に行ってきました6/9 デンマークの報告D5/28 デンマークの報告C ●2012年4月・5月 5/20 デンマークの報告B5/12 デンマークの報告A5/6 デンマークの報告@4/25 無事に帰ってきました。4/11 春の光の中で ●2012年1月・2月・3月 3/31 議会終了3/8 あの日から一年2/21 もうじき春が来る2/2 こんなままではいけない。1/19 圧巻だった熊谷守一展1/10 あけましておめでとうございます。 ●2011年10月・11月・12月 12/29 感謝12/10 師走に突入11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと11/16 カーネーションがおもしろい10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください10/16 気になること ●2011年7月・8月・9月 9/19 今年の夏は8/17 片山さんありがとうございます。7/31 夏、真っ盛りです。7/3 元気をもらいました ●2011年4月・5月・6月 6/14 「マルモのおきて」がおもしろい5/22 初めての大役に・・・4/29 闘い終わって・・・ ●2011年1月・2月・3月 3/21 人と人が支え合って2/27 あの美しかったクライストチャーチが2/9 鳥インフルエンザ1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて1/7 今年の幕開け ●2010年10月・11月・12月 12/27 様々な出会い12/2 美恵さんのお芋11/14 30回目の車いすマラソン10/30 姪の結婚10/2 インフルエンザ! ●2010年7月・8月・9月 9/20 ここにもあった私の原点9/2 まだまだ暑い日が続いています。8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女7/13 吉田忠智さんと言う人 ●2010年4月・5月・6月 6/13 カツオのたたきがない!5/27 牛を食べるということ5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。4/23 セブ島4/1 気がつけば春 ●2010年1月・2月・3月 3/4 別れ2/19 Tさんお世話になりました。2/1 先輩に励まされて1/16 油断大敵1/4 若者たちに魅せられて ●2009年11月・12月 12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで11/13 朝、一便に乗るためには・・・ ●2009年10月 10/28 欧州旅行記C10/16 欧州旅行報告記B10/8 欧州旅行報告記A ●2009年7月・8月・9月 9/21 欧州旅行報告記 @8/10 暑中お見舞い申し上げます。7/19 野菜を求めての旅 ●2009年4月・5月・6月 6/27 ちょっといい話6/16 ひとり一揆を始めた人がいます5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと5/6 風薫る季節の中で4/4 私が生まれた日 ●2009年1月・2月・3月 3/26 どうしても賛成できませんでした3/9 現場に宿る神様2/12 こわしたくないもの1/30 つかの間の休日に1/8 厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間 ●2008年10月・11月・12月 12/23 年の終わりに12/1 “ご縁”があって つながって11/3 小さな運動会10/21 感動をありがとう ●2008年7月・8月・9月 9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹8/2 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!7/11 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」 ●2008年4月・5月・6月 6/22 初めての経験に四苦八苦5/28 雨の体育祭と中学生の涙5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち ●2008年1月・2月・3月 3/16 いつまでも見守りたい子どもたち2/10 魔法の一言1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます ●2007年10月・11月・12月 12/21 静かな時間(とき)もいいものです 12/1 秋は来たのかしら 11/3 20回目のお誕生日おめでとう 10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ ●2007年7月・8月・9月 9/23 大事なものを忘れないで 8/22 不器用に、でも誠実に 8/6 「いのちが一番」いつまでも 7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます ●2007年4月・5月・6月 6/20 もっと怒ってもいいですよね! 5/22 とても大切な「頭の片隅」 5/5 「母というものは」 4/24 庭の花に癒されて ●2007年1月・2月・3月 3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち 2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら 1/31 家族葬にして良かったですか 1/6 静かな年の始まりです ●2006年10月・11月・12月 12/19 甘いおこわと教育基本法 11/26 子どもたちが私のエネルギー 10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」 10/8 団地サイズの竹宵をします! ●2006年7月・8月・9月 9/18 無くしてからは遅いのです 9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ! 8/11 「言葉で勝負!」できたか不安? 7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」 ●2006年4月・5月・6月 6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて 5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています 4/9 元気もらった、拓郎コンサート! ●2006年1月・2月・3月 3/31 まだ見ぬあしながおじさん 3/7 ときめき「15才の春」 2/23 あきらめきれない数珠の紛失 2/2 悩み続ける「私の子どもたち」 1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります! ●2005年10月・11月・12月 12/27 新しい年こそ「愛の年に」 11/27 「木の香りの家」に癒されて 11/4 失敗、失敗、ドジな私 10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜 ●2005年7月・8月・9月 9/12 私たちに問われているものは? 8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩” 7/23 人工林と流木と鉄砲水 ●2005年4月・5月・6月 6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい! 5/14 夜道で出会ったものは… 5/6 反日渦中の上海を訪ねる 4/15 政治が民衆を分断している ●2005年1月・2月・3月 3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り 3/18 レッテル、はる人、はがす人。 2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました 〜大分市議選を終えて 1/17 「高校再編」の民意はどこに? 1/1 2005年「命」を考える ●2004年10月・11月・12月 12/2 何故もめる?議員定数問題1 11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア 10/25 子ども達は輝いています ●2004年7月・8月・9月 9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も 8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私 8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて 7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症! ●2004年4月・5月・6月 6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記 6/17 帯状疱疹と闘っています 5/31 どげぇなっちょんの? 5/6 つかの間のひとりごと 4/12 私の甥っ子たちの春は… ●2004年1月・2月・3月 3/26 子どもたちは守られていますか? 3/3 幸せな2日目の休みの日に 2/12 心やさしきチャンピオンたち 1/18 雪の下の小さな花たち 1/6 子ども達が大切にされる世の中に ●2003年12月・11月・10月 12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」 11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな! 10/26 「教育」はだれのもの? 10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」 ●2003年9月・8月・7月 9/28 励まされています 8/10 風化させてはならない記憶 7/23 やっと夏が来た ●2003年6月・5月・4月 6/22 お葬式と福祉と青リンゴ 6/08 初めての視察 5/19 辺見庸さん 5/07 健ちゃんのこと 4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます ●2003年3月・2月・1月 3/28 愚かな戦争に反対します 3/22 “食育”に取り組んでみたい 2/07 ただただ感謝の日々 1/27 二人のおひな様 1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方 1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて ●2002年12月・11月 12/13 ロウバイが咲いた! 12/04 穴子丼(あなごどん) 12/02 ALS患者郵便投票訴訟 11/24 世界に目を向ける子どもに 11/22 Tさん 11/15 アッタマにきたぞ! 11/13 働く女性の実態 11/4 桜
3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で