ときどき日記 2015 6.8 あきれている。でもあきらめない。 「今年もすでに半分が過ぎたんだ!」と6月1日の妹の誕生日の日に思いました。ぼやぼや、だらだら生きているつもりはないけれど、じっとしていられないほど政治情勢が緊迫していて焦ること必至です。 5月29日から31日まで、宮城、福島へ行ってきました。 「福島情報連絡センター」の総会参加ですが、遠く離れた九州から福島へは総会当日の朝出発しても夕方にしかたどり着けません。それでは、総会に間に合わないので、前日に福島まで行っていなければなりません。それなら、1年ぶりに震災復興の状況を見たいと考えました。 まだまだ厳しい復興の現実 仙台空港に下り着いたのは、29日の午後12時25分。 あんなに多かったボランティアももう仙台にはいないそうです。 震災がれきを処理していた巨大プラント施設ももうありません。 海水につかった田んぼも少しは復興されているかもと思っていましたが、やはり厳しいようです。空港も塩水の影響でいたるところにさびがでているとか。4人の生徒が犠牲になった閖上(ゆりあげ)中学校はもう使われていず、子どもの声はしません。 多くの海岸線には、津波被害を防ぐために防波堤が高く建設されようとしています。そのため、海の景色は高台に行かなければ見ることができません。当時よ く耳にした防潮林も松ではなく他の木々が多く植えられていましたが、土壌の塩抜きが不完全だったのかうまく根付いていないようでした。 翌日伺った久ノ浜で、震災語り部の阿部さんのお話を伺いました。久之浜では、210戸の住宅のうち180戸が流されたそうです。海岸近くの住宅地は更地になり、緑地公園にかえられる工事が行われていました。 (防災緑地工事) 復興仮設商店が被災地にはいくつもできています。国が作り、家賃を払わずに5年間そこで営業することができます。「若草寿司」の比佐さんのお店も3年目を迎えたそうです。奥さんの笑顔からは、想像もできないほど苦しい時を過ごしてこられたことをお聞きしました。 (寿司店) ・震災ですべてを失った。 ・5人家族で仮設住宅を2つ借りた。 ・生活ががらりと変わり、仕事を頑張れば頑張るほど子どもたちが不登校になっていった。 ・近くに家を求めて店に通うようになり、ようやく子どもが落ち着いた。 ・仮設店舗は、5年と期限付き。1年だけは延長できそうだが、仮設商店だからお客さんは来てくれるかもしれないが、自分の店を再建してもお客さん が来てくれるか不安。 ・同業者の半分は廃業した。 ・先のことを考えると不安でいっぱいだけれど、私たちは奇跡的に家族を失うことはなかったことだけが幸いだった。 常磐道を北上して石巻市の日和山(ひよりやま)公園に上がって見ました。 見下ろすと、3年前に海に係る橋よりも高い位置にあったがれきは、きれいに片づけられていました。船は95パーセント戻っていますが、護岸や港や市場は未だ震災前の状態には戻っていないそうです。 (日和山) 電源立地地域の復興 福島から遠く離れた九州では、電源立地地域と言う言葉は、使われません。しかし、現地に行くとその言葉をよく耳にします。電源立地地域とは、原発を誘致し ていることによる迷惑料を受けている地域のことです。それは、大熊町であり、飯館村であり双葉町であり、楢葉町であり、富岡町であり、川内村であり、広野 町です。まだ他の地域も含まれていますが、福島第1原発の事故により、立ち入り禁止区域、帰宅困難区域となっている場所のことです。 今でも、12万人の人たちが故郷を離れ、仮設住宅や他県に避難して生活しています。そして、移り住んで行った電源立地の人たちと、もともとそこで生活 し、精神的慰謝料を貰っていない人たちの間に対立が起こっています。このことは、テレビや新聞で報道されることはほとんどありません。一人につき月10万 円の迷惑料は、これまでまとめて一人につき720万円支払われたそうです。家族の人数が多ければ、その額はおのずと高くなります。そのお金は、将来の生活 のために蓄えておかなければならないものですが、仕事をせず(収入があればその分が迷惑料から差し引かれるので働きません)お金があると買い物や外食、遊 興費に充ててしまう人が大勢います。それが地域に住んでいて目に見えるので、同じ地域に住みながら住民同士の対立構造になってしまっています。仮設住宅に 住んでいる人は住民税も医療費もかかりません。でも、その人たちが、出すごみの運搬や上下水道の費用は、税金を払って生活している住民のお金が使われてい ます。そのことも、対立構造を生んでいる原因でした。 汚染地域への帰還政策 楢葉町は除染作業が進み、7月にも帰還させられるのではないかと言われています。富岡町は、昨年行った時は、人気のない、ゴーストタウンのような町でしたが、「除染中」という看板が掲げられた家もありました。しかし、放射線量は高くなっていました。 すべてが、帰還のためのスケジュールに合わせて動いているようで不安です。 今でも思います。「こんなところに子どもたちを住まわせていいのでしょうか?」と。除染作業員の人が1日に8時間から10時間しかいられない所に、子どもたちを住まわせようとする政策があまりに無謀だと思います。 帰還困難区域が解除されると、自主的に避難しているその地域の人たちに、これまで東電が払ってきた住宅支援は、2016年度で打ち切られる方向が示され ています。避難する前の地域は、放射線量が高い地域もあり、小さい子どもを抱えて自主避難している親たちは、帰るに帰れず、これからも避難の継続を希望し ているのに、政府の方針でもあるこの切り捨て政策は許せないことだと思います。 広野町に帰宅困難区域の双葉町の子どものための中高一貫「双葉未来学園」がオープンしました。政府の肝いりで有名人も関わっていますが、子どもたちが「福島の復興は自分たちがやらなければ!」と刷り込まれていることが恐ろしいことだと思います。 いわき市には、多くの仮設住宅が建っています。放射線量は高くはありませんが、低線量被曝を心配する保護者の方が大勢います。100万人に一人が発症す ると言われる甲状腺がんがすでに福島の子どもたちに127人出ています。ですから保護者の不安は募ります。しかし、4年も経つと大きな声でその不安を口に 出すことができない。「心配性の親」というレッテルがはられています。そんな母親の不安を子どもたちは毎日肌で感じながら4年間を過ごしてきました。大人 の顔色をうかがいながら、何にも言えず、学校生活を送っている子どもたちが、気づかないうちに精神的に追いつめられてしまいます。そしてもって行き場のな い気持ちは、自分よりも弱い立場の子どもたちに向けられている現況をお聞きするたびに、国と東電の福島への対策の誤りを感じざるを得ません。 いわき市議の佐藤和良さんは「これは、明らかに棄民政策だ」と言われます。 (お雛様) これは今回撮った写真のなかで最も印象的だったものです。 住めなくなった借家に飾られていた「お雛様」が当時の悲惨さを物語っているようでした。 あきらめない 国会では、新たな安全保障をめぐる法案審議が衆議院で行われています。憲法審査会では、参考人として呼ばれた3人の憲法学者が、「この関連法案は、憲法 違反だ」と指摘していました。自民党や公明党から推薦された憲法学者までもが、そう答えているのです。長年憲法を研究してきた学者にとっては、プライドを かけての言葉だったと思いました。 政府は、またしても「専守防衛の考え方は変わらない」と繰り返していましたが、そのかたくなな態度が、最も国民の理解が得られない部分だと思います。 国会の与野党議員の構成を見ると、厳しい現実が近づいていることが分かりますが、日本は「国民主権」の国です。原発再稼働も、辺野古埋め立ても、戦争法 案も私の願いとはかけ離れたところに位置しています。でも私は、「あきらめない」その気持ちをこれからも訴え続け、多くの人たちと共有していかなければと 念じています。 2015 5.14 不条理の中で イギリス王室に誕生した赤ちゃんの名前は、「シャーロット・エリザベス・ダイアナ」だと発表されたとき、「イギリスってすごいなあ。亡きダイアナさんの名前が入っている。エリザベス女王も離婚したお嫁さんの名前を入れることを認めるんだ。」と感心したものです。 その後、高崎山で今年初めて生まれた赤ちゃんざるの名前が「シャーロット」だと報道されたとき、「そうなのか。」くらいにしか思いませんでしたが、これ に対して「王室に失礼だ。」「サルの名前を英王室の赤ちゃんと同じにするなんて。」と抗議の電話が殺到したことが報じられました。この時に悲しくなりまし た。この数年、日本を覆っている、何でもクレームをつける風潮が嫌だと感じました。 学校でも、役所に対してもそうです。行き場のない思いが、無責任な抗議の声になって押し寄せてくる。「シャーロット問題」は、全国報道され、新聞をにぎわせました。しかし、英王室は「ノーコメント」。ここが大人の対応だと感じました。 そして、大分市長の判断は、「シャーロット」に落ち着き、いつの間にか、クレームはなくなっていました。 母が亡くなって1年以上が経ちます。 誰も住まなくなった別府の家をお隣の方が、譲ってほしいと言われ、弟と話し合ってきました。弟名義に手続していましたが、遠くに住んでいる弟はいつ帰っ て来るか、もしかしたら帰ってこないかもしれません。その間、家を管理していくのは、私と妹です。7か月間の弟との話し合いの末、「買っていただこう。」 と結論が出て、本格的に家の整理に取り掛かりました。それは、結構大変で、妹家族総出で取り組んでいます。そしてつくづく実感しています。「終活」が大変 なのだと。 最も、神経を使っているのは、仏壇です。祖母が亡くなった時、田舎の大きな仏壇を処分して、父は新たな仏壇を作りました。それを処分して、弟は小さな仏 壇を購入しようと考えていましたが、仏壇屋さんの「輸送したら」の一言で「そうだ、これを壊さなくてもいいのかも」と決断し、お仏壇輸送作戦が始まりまし た。 ここからが、問題でした。仏壇屋さんの紹介の全国に支店のある運送会社に連絡をしました。別府の営業所は閉鎖されていて、大分営業所との話し合いです。 荷物の送りだしも搬入も基本的に一人で対応しているので、こちらの手伝いが必要なこと、日曜日は配達しないこと、ものによっては受け入れしないかも…不安 材料がいくつも出てきました。改めてこの業界の厳しさとそこで働く人たちの雇用状況の大変さを見せつけられた気がしました。 今、「労働者派遣法改正案」が国会で論議されていますが、非正規雇用の人たちが、低い賃金で過酷な労働を強いられ、長続きできない状況が目に見える気が します。政府は、「派遣労働者への固定化を防ぐ措置を強化する」と言っていますが、「一生涯派遣で低賃金のまま働く労働者が増えていく」危険性が強まって 行くような気がしています。決して「正社員の道」が開かれるとは思えません。 お仏壇の輸送は、不安材料が多くあったので、日通にお願いすることにしました。日通は、見積もりにも来てくれます。運び出しの人手も確保してくれますし、保険もかけ、搬入するときも何人かでやってくれるそうです。 我が家の問題は、解決しましたが、世の中の厳しさを目の当たりにして、悩むことばかりです。 統一地方選が終わって、2週間以上が過ぎました。 国内議論なしで日米防衛指針の18年ぶりの改定、辺野古移設問題、憲法よりも上に位置しているような日米地位協定、横田基地へのオスプレイ配備、福島の課題、原発再稼働、昨日の新聞には、「教員免許を国家資格に」と書かれていました。 世の中が、願わない方向に舵を切っている中で、この不条理にどう対処していくのか。と政治の片隅に身を置く者として思案し続ける日々でした。 でも、こう思っています。 選挙期間中にお会いした様々な課題や困難を背負って生きている人々の顔を想い出しながら、自分のできることからやっていくしかないと。理想を追い求めながら。 2015 4.1 みんなに春が来ますように このところのポカポカ陽気で、ようやく桜の花がほころび始めました。 春休みになり、子どもたちが外で遊んでいる様子をよく見かけます。高校入試や大学受験で失敗した人たちも、何とか折り合いをつけて、自分の進路を決めたよ うです。しかし、「15の春に泣かせないで!」と訴えた11年前、「公立高校普通科入試の全県一区は絶対に大分市内の高校の序列化に拍車をかけ、多くの子 どもたちが玉突き現象で、大分市内から追い出される結果を作りますよ。」と訴え続けたのに県教委は、「どこに住んでいても自由に高校を選べるようにするこ とが大切です。」と答え、私たちの声に決して耳を貸すことはありませんでした。それが現実のものとなり、大分市内の序列化は、確実に広がり、毎年多くの生 徒が落とされています。逆に周辺部の高校は定員割れするという異常な状況が続いています。 進学校では、どちらかと言うと、人間性よりも、受験学力の増強、大学進学と言う目標達成だけに力点が置かれているようでなりません。同レベルの生徒集団の ほうが効率的な学習ができるのかもしれません。しかし、豊かな人間形成の場としては、ふさわしくなく、個性・創造の伸長・他者への思いやりなどの市民とし ての資質は育ちにくいと思われます。教育の場において将来の民主主義社会のリーダーを育てようとする教育委員会であってほしいと願ってやみません。 今年も教職員の人事異動が発表されました。 「概ね10年3地域」の改善を訴え続けてきましたが、臨時講師や他県での経験を一人事地域とみなすことは、認められましたが、事前の通知もなく、突然遠く の地域に転勤せざるをえなくなった人の中には、看護や子育ての問題を抱えている人もいました。「個々人の生活実態をしっかりお聞きします。」と議会で答弁 していた県教委の姿勢は私には見えませんでした。ですから憤慨しています。 統一地方選が終わったら、この2点を総括して意見を言っていきます。 子どもの頃、春休みはいつも安心院の父の故郷に帰っていました。 することがない子どもであった私は、弟と田んぼの中に入り、土手にできたつくしを探していました。いっぱいになったつくしのはかまを取ると、祖母が卵とじを作ってくれました。でも正直なところ、子どもながらに「美味しくない」と感じていました。 土手のあたりで目を凝らして、つくしを見つけようとするのですが、今年はみつけられませんでした。ふと気が付くと、マンホールの周りにつくしがいっぱい咲いています。このマンホールに絵を描くと面白いかも・・・。と思いながらしばらく眺めていました。 みんなに春が来ますように! バックナンバーはこちらに移動しました ●2015年1月・2月・3月 3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で ●2014年10月・11月・12月 12.17 現実を受け止め、諦めない 11.19 民意と政権のねじれの中で 10.29 子どもって 10.6 教えるとは、希望を語ること 学ぶとは、誠実を胸に刻むこと ●2014年7月・8月・9月 9.16 二人三脚でやっていくしかないかな 8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間 7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう! ●2014年4月・5月・6月 6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い 6.13 なくならない痛み 5.30 またやってしまった! 5.7 震災からもう3年、まだ3年 4.2 母がいなくなって ●2014年1月・2月・3月 3.3 スリランカに行ってきました。2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・1.13 介護の行方は・・・・・ ●2013年10月・11月・12月 12/28 静かな年の瀬に12/18 お気に入りのホテル12/7 久しぶりの別府11/14 結婚式11/5 秋の三連休10/19 どんな秋が来るのかな・・・ ●2013年7月・8月・9月 9/28 施設への入所9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。8/17 お父さん、ありがとうございました。8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間7/15 ただ今、奮闘しています! ●2013年4月・5月・6月 6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を5/7 「風化しないことを願う」と言われた日4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい4/7 来年の還暦までどうしよう!? ●2013年1月・2月・3月 3/16 ありがとうRUPO2/16 諦めない1/31 左に偏っている?1/10 今年の運は・・・ ●2012年10月・11月・12月 12/27 吉田ばあちゃん12/10 教育公務員のあり方は・・・・11/26 地方自治に必要なこととは・・・11/15 水素水にはまっています。11/4 思いのある人、熱く語る10/9 いろんなことがあった1週間 ●2012年7月・8月・9月 9/27 校歌が歌えた!9/4 夏が終わっていきます。8/19 再び東北へ8/6 暑さの中で7/22 もしも・・・はありえない7/10 デンマークの報告E ●2012年5月・6月 6/22 東北に行ってきました6/9 デンマークの報告D5/28 デンマークの報告C ●2012年4月・5月 5/20 デンマークの報告B5/12 デンマークの報告A5/6 デンマークの報告@4/25 無事に帰ってきました。4/11 春の光の中で ●2012年1月・2月・3月 3/31 議会終了3/8 あの日から一年2/21 もうじき春が来る2/2 こんなままではいけない。1/19 圧巻だった熊谷守一展1/10 あけましておめでとうございます。 ●2011年10月・11月・12月 12/29 感謝12/10 師走に突入11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと11/16 カーネーションがおもしろい10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください10/16 気になること ●2011年7月・8月・9月 9/19 今年の夏は8/17 片山さんありがとうございます。7/31 夏、真っ盛りです。7/3 元気をもらいました ●2011年4月・5月・6月 6/14 「マルモのおきて」がおもしろい5/22 初めての大役に・・・4/29 闘い終わって・・・ ●2011年1月・2月・3月 3/21 人と人が支え合って2/27 あの美しかったクライストチャーチが2/9 鳥インフルエンザ1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて1/7 今年の幕開け ●2010年10月・11月・12月 12/27 様々な出会い12/2 美恵さんのお芋11/14 30回目の車いすマラソン10/30 姪の結婚10/2 インフルエンザ! ●2010年7月・8月・9月 9/20 ここにもあった私の原点9/2 まだまだ暑い日が続いています。8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女7/13 吉田忠智さんと言う人 ●2010年4月・5月・6月 6/13 カツオのたたきがない!5/27 牛を食べるということ5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。4/23 セブ島4/1 気がつけば春 ●2010年1月・2月・3月 3/4 別れ2/19 Tさんお世話になりました。2/1 先輩に励まされて1/16 油断大敵1/4 若者たちに魅せられて ●2009年11月・12月 12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで11/13 朝、一便に乗るためには・・・ ●2009年10月 10/28 欧州旅行記C10/16 欧州旅行報告記B10/8 欧州旅行報告記A ●2009年7月・8月・9月 9/21 欧州旅行報告記 @8/10 暑中お見舞い申し上げます。7/19 野菜を求めての旅 ●2009年4月・5月・6月 6/27 ちょっといい話6/16 ひとり一揆を始めた人がいます5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと5/6 風薫る季節の中で4/4 私が生まれた日 ●2009年1月・2月・3月 3/26 どうしても賛成できませんでした3/9 現場に宿る神様2/12 こわしたくないもの1/30 つかの間の休日に1/8 厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間 ●2008年10月・11月・12月 12/23 年の終わりに12/1 “ご縁”があって つながって11/3 小さな運動会10/21 感動をありがとう ●2008年7月・8月・9月 9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹8/2 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!7/11 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」 ●2008年4月・5月・6月 6/22 初めての経験に四苦八苦5/28 雨の体育祭と中学生の涙5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち ●2008年1月・2月・3月 3/16 いつまでも見守りたい子どもたち2/10 魔法の一言1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます ●2007年10月・11月・12月 12/21 静かな時間(とき)もいいものです 12/1 秋は来たのかしら 11/3 20回目のお誕生日おめでとう 10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ ●2007年7月・8月・9月 9/23 大事なものを忘れないで 8/22 不器用に、でも誠実に 8/6 「いのちが一番」いつまでも 7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます ●2007年4月・5月・6月 6/20 もっと怒ってもいいですよね! 5/22 とても大切な「頭の片隅」 5/5 「母というものは」 4/24 庭の花に癒されて ●2007年1月・2月・3月 3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち 2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら 1/31 家族葬にして良かったですか 1/6 静かな年の始まりです ●2006年10月・11月・12月 12/19 甘いおこわと教育基本法 11/26 子どもたちが私のエネルギー 10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」 10/8 団地サイズの竹宵をします! ●2006年7月・8月・9月 9/18 無くしてからは遅いのです 9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ! 8/11 「言葉で勝負!」できたか不安? 7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」 ●2006年4月・5月・6月 6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて 5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています 4/9 元気もらった、拓郎コンサート! ●2006年1月・2月・3月 3/31 まだ見ぬあしながおじさん 3/7 ときめき「15才の春」 2/23 あきらめきれない数珠の紛失 2/2 悩み続ける「私の子どもたち」 1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります! ●2005年10月・11月・12月 12/27 新しい年こそ「愛の年に」 11/27 「木の香りの家」に癒されて 11/4 失敗、失敗、ドジな私 10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜 ●2005年7月・8月・9月 9/12 私たちに問われているものは? 8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩” 7/23 人工林と流木と鉄砲水 ●2005年4月・5月・6月 6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい! 5/14 夜道で出会ったものは… 5/6 反日渦中の上海を訪ねる 4/15 政治が民衆を分断している ●2005年1月・2月・3月 3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り 3/18 レッテル、はる人、はがす人。 2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました 〜大分市議選を終えて 1/17 「高校再編」の民意はどこに? 1/1 2005年「命」を考える ●2004年10月・11月・12月 12/2 何故もめる?議員定数問題1 11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア 10/25 子ども達は輝いています ●2004年7月・8月・9月 9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も 8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私 8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて 7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症! ●2004年4月・5月・6月 6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記 6/17 帯状疱疹と闘っています 5/31 どげぇなっちょんの? 5/6 つかの間のひとりごと 4/12 私の甥っ子たちの春は… ●2004年1月・2月・3月 3/26 子どもたちは守られていますか? 3/3 幸せな2日目の休みの日に 2/12 心やさしきチャンピオンたち 1/18 雪の下の小さな花たち 1/6 子ども達が大切にされる世の中に ●2003年12月・11月・10月 12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」 11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな! 10/26 「教育」はだれのもの? 10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」 ●2003年9月・8月・7月 9/28 励まされています 8/10 風化させてはならない記憶 7/23 やっと夏が来た ●2003年6月・5月・4月 6/22 お葬式と福祉と青リンゴ 6/08 初めての視察 5/19 辺見庸さん 5/07 健ちゃんのこと 4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます ●2003年3月・2月・1月 3/28 愚かな戦争に反対します 3/22 “食育”に取り組んでみたい 2/07 ただただ感謝の日々 1/27 二人のおひな様 1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方 1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて ●2002年12月・11月 12/13 ロウバイが咲いた! 12/04 穴子丼(あなごどん) 12/02 ALS患者郵便投票訴訟 11/24 世界に目を向ける子どもに 11/22 Tさん 11/15 アッタマにきたぞ! 11/13 働く女性の実態 11/4 桜
3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で