2004.12.02 何故もめる?議員定数問題
第4回定例県議会が12月1日から始まりました。
今回、質問の機会が与えられました。12月8日朝、10時から質問します。教育問題を中心にNPOの支援、食育、児童相談所の課題、国道210号について質問します。もしお時間がありましたらどうぞ傍聴に来られてください。
今度の議会では、大きな課題を解決しなければなりません。それは、県議会議員の定数の問題です。新聞等で皆さんも注目されている問題です。
大分県の県議の選挙区は23あります。(私は、大分市選挙区で人口が多いので13名の議員が選出されています。)その中には人口が少ないので、議員が1名しか選ばれていない1人区が11(すべて自民党)あります。そして今行われている市町村合併で23の選挙区は、15選挙区くらいになる予定です。
次回の県議選は、2007年の4月ですが、合併した新しい地区で県議会議員の選挙も行われると誰もが考えることです。しかしそれに待ったがかけられています。
議員定数問題を話し合っていた議員の代表で構成されている調査会は、12月1日に8回目の会議を開きました。その結果、現在の選挙区を合併後も維持する合併特例法を適用することは全員一致しましたが、その適用期限について現任期中と次回の選挙の任期中(2011年4月)と両論を併記することとなりました。
わかりやすく言えば、つぎの県議選では、新しい選挙区で選挙を実施すると古いままの選挙区で実施をすると2つを書いて議長に答申を出すということです。
私は、今任期中は、補欠選挙だけはこれまでの選挙区での選挙が実施され、2007年の次回の選挙は、合併した新しい地区で選挙が行われるのが筋だと思います。そう願わない議員さんたち(主に1人区から出ている)は、「市町村合併で首町、市町村議員が大幅に減るからさらに県議まで失うと、郡部の住民の民意が届かなくなる」と言われているようですが、それは自分勝手な考えであり、狭義な民意のとらえ方です。合併後2年たっても以前の選挙区での選挙などかえって混乱が生じます。多くの市町村で議員が職を失っているなかで県議会議員だけが次の選挙も何とか当選したいそのことだけに固執しているような気がしてなりません。
今議会で話し合った後、一定の結論が出ますが、大分県の恥にならないようにしていかなければなりません。
2004.11.29 初めての海外視察 〜ニュージーランド・オーストラリア
すっかり寒くなりました。まだ電気ストーブしか使っていない我が家では、朝晩は、身を縮めて暮らしています。
社会県民クラブのみなさんと行財政改革と福祉の勉強にニュージーランドとオーストラリアに行かせていただきました。研修報告書は、たくさん書きましたのでここでは心に新鮮に残っていることを書きます。
海外に出るのは生まれて初めてです。パスポートを申請し、大きくて軽いサムソナイトを買い求めましたが荷物の準備ができたのは1日前でした。出発前は、海外に行くより新潟県に行ってボランティアの方がしたい、正直そんな気持ちでした。
空港へはつれあいが送ってくれました。何となく何かを忘れたような気持ちで車に乗っていましたが案の定「しまった!財布を忘れた!」もう取りに帰る時間はありません。つれあいにお金を借りての出国でした。飛行機は、韓国経由でしたのでソウルで財布を買うことにしました。「ふじわらのりかさん、さいふあるよ。」「かんぺきなにせものあるよ。」と元気なお兄さん達に声をかけられましたが、安いものを求めました。ヨン様の国はどこも車と人々の活気に溢(あふ)れていました。
どこでも目に留まるのは子ども
韓国の景福京(1934年に建てられた古宮)には、大勢の観光客に混じって社会見学や修学旅行でやってきているのでしょうか子ども達の姿をたくさん見ました。子ども達の服装や先生が熱心に説明している姿は日本と変わりません。
南半球は、今は春。港で遊ぶ子ども。海辺では、早くも水遊びをしている子ども。私がハトにえさをやるとそのハトを男の子が追いかけて遊びます。オーストラリアの大人は大変太っています。痩せている人を探すのが難しいくらい。若者もおへそが出るTシャツを着ていますがそのお腹は、ぴょこんと出ています。味覚が甘さに対して鈍感で、辛さに対しては敏感なことと、子どもに対しての「食育」が全くと言っていいほどなされていないからだそうです。糖尿病対策が深刻な政策課題だということです。
緑溢(あふ)れる国
3日間くらいは、乗り物の振動が伝わると、携帯が鳴っている?とあわてるのですが、(いやいや携帯は持ってきていない。今は、携帯に管理されてはいない。)と気づき、だんだんと心が解放されていくのがわかりました。
ニュージーランドでは、オークランドとクライスト・チャーチを訪れました。
さすがガーデニングの国です。緑の中に家々が美しく、一際目を引いたのがチャイニーズ・チューンの目も覚めるようなピンク。フラワーフェスティバルで優勝したお宅を拝見しました。パンジー、桜草、ぎぼうし、西洋シャクナゲ、山ぼうし、ハナミズキ、わすれな草、チューリップ、ポピー・・・春に咲くすべての花が咲き乱れている様子にうっとり。自然と自分たちの住む町を大切にする国民気質が育つのでしょうか、道路には、まったくといって良いほどごみが落ちていません。
郊外に出てみると、グリーンの中に見えるのは放牧されている牛と羊の群ればかり。日本の牛より一回り小さいけれど草しか食べていないので狂牛病の心配はありません。ここでも桐の花の紫が美しい。
介護福祉施設で
シドニーで訪れた痴呆性施設には、テラスがあり、中にはテレビ、ソファー、花が飾られ外観も他の民家と同じように造られています。鍵がついているけれど入居者からは見えないようにしています。部屋は、個人部屋でバス・トイレ付き。ドアはバリケードを作られた時のためにはずせるようになっています。ガラスはすりガラスで何となく中の様子がうかがえるようになっています。99.9%の人が失禁状態で臭いはするのですが、濡れるとすぐにふけるような素材が使われています。
朝のスタッフは、たった3人。日本のスタッフは多すぎると指摘されました。みんな同じ時に食事をさせトイレに行かせるといった集団主義はなく、徹底して個人を尊重するからです。「ここでカメラを出していて殴られた人がいます。」と施設長のリリーさんが教えてくれました。私は、行政視察で老人施設を見て回ることが多かったのですが個人のプライバシーへの意識が低かったことを改めて教えられました。
今、ナーシング・ホームにいる日本人は、3名。痴呆になると30年間の記憶が抜け落ちるので心に残るのは日本語、布団、和食。移民文化が抜け落ちた後の支援の難しさを感じました。
写真はほとんど撮れませんでしたが、静かなたたずまい、調和のとれた愛らしい建物、入居している人が人として尊ばれ、そこに働く人がプライドを持って働いている姿に多くのことを学びました。
さまざまな国の人たちと共に生きている日本人
タクシーの運転手さんは、12年前にレバノンから来たと教えてくれました。部屋の掃除にきてくれた男性は、2年前上海から来たと言っていました。ニュージーランドもオーストラリアも移民政策を行っているので町を歩けばここがどこの国なのか一瞬わからなくなるほどたくさんの人種で溢(あふ)れています。そんな国で日本から移り住んでいる人たちに出会いました。
オークランドの松本さんは、イギリス人と結婚し、20歳になる娘さんがいます。「髪を染めるのを忘れちゃった。」とおどけながらオークランドの美しさを熱く語ってくれました。クライスト・チャーチの東さんは大学の農学部を出て、ここに来ました。この市の行財政改革について教えてくれました。市役所では、家田えみさんがワーキングホリデーで来た後、市の職員に正式採用され、がんばっていました。ブリスデンでは、日本の大学で考古学を勉強した佐藤ゆうこさんと出会いました。オーストラリアの食文化の問題点や人種差別を教えられました。ワイナリーでは、ウインドサーフィンに魅せられ、そのまま日本人スタッフとして働いている梅沢さやかさんにワインの手ほどきを受けました。
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ワイナリーで梅沢さんと |
ブリスデンで留学の手伝いをされている日本人と |
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朝食の用意をする立川夫妻 |
久原県議と語る立川さん |
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幼稚園より広い立川宅 |
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異国の地でたくさんの苦労をなさったことでしょうが、愚痴(ぐち)を言わず、いきいきと今自分の住む町のすばらしさを私たちに時間の許す限り熱く語ってくれた姿が忘れられません。もっともっと広い視野に立って仕事をしていかなければならないと自分に言い聞かせ帰路の飛行機に乗り込みました。
2004.10.25 「子ども達は輝いています」
台風23号が大きなつめ跡を残しました。
台風の前日、私は、研修で北九州に行っていました。明日は、羽田に向けて出発ということになっていましたが、大分を直撃するかもしれないということで急きょキャンセルして帰路に着きました。列車は中津までしか走らないため、かろうじて運行していた高速バスに乗ることができました。湯布院からは、210号線を下りましたがいつもは水かさのない川に濁流が流れている様を見て、生きた心地がしませんでした。早急に被害状況の調査に伺いますが、県南地域の被害が特に大きくあらためてお見舞い申し上げます。
今年の秋は、生まれて初めて4回も運動会を経験しました。
9月19日は、賀来校区の運動会。
朝から雨が降り続いていました。でも中止の放送はありません。つれあいと賀来中学校のグランドに行ってみました。午後には雨が止むだろうということで決行。スポンジとバケツを持って水の吸い取り作戦が始まりました。シンフォニー(通所授産施設)の人たちの人海戦術にも助けられました。午後からは、炎天下。すべての競技を終えた時には首も腕も真っ赤に焼けていました。わが東野台団地は女子リレーで見事優勝を果たしました。
10月2日は、横瀬西小学校の運動会。
1、2年で一緒に勉強した子どもたちが6年生になっています。ちょっと見ない間にまた背が高くなっています。開会式で並ぶ公ちゃんと雅(まあ)しいの緊張が伝わってきてきます。応援も係りの仕事もてきぱきとこなしている姿は感動もの。今年から職員が1名減で、先生方は子どもを動かすだけでも大変です。私は、準備係の仕事を手伝いました。
開会前の応援団長
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応援団のひろちゃんとえみちゃん
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徒競走前の6年生
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運動会が無事終了
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10月3日は、地元賀来小学校の運動会。
児童数が多いので1つ1つの競技に時間がかりますがゆっくりと見ることができます。学年段階に応じた競技や演技に感心させられました。今年は、雨ばかりで先生方は、随分と苦労されたことだと思います。
「障害」を持つ子どもさんが何人もいますが、一緒に係りの仕事をやり工夫しながら競技に参加している姿が印象的でした。
10月23日は、二豊学園のスポーツ大会。
9月に学園で採れたかぼすを子どもたちが県庁に販売に来た時にスポーツ大会のことを知り、何としても参加したいと思っていました。
いつもは広すぎると感じていたグランドには、人が大勢います。大分市のわかば園(児童養護施設)の子どもたちも応援に来てくれています。保護者の方。県の子育て支援課の課長さん。中央児相の方々。竹中中学の校長先生。子どもたちの出身校の先生方。元学園に勤めていた先生方。竹中校区の方々。
みんなの優しいまなざしのなかで聖火リレーが回り点火されて開会しました。宣誓の前に団長の緊張した「ハァー」と言う声が聞こえてきました。「いじめのない平和な学園を作っていきたい。」そんな子どもの挨拶をしっかりと受け止めました。緊張を乗り越えたことでまた一歩成長したはずです。私も足なみそろえて(3人4脚)、ねらいをさだめて(玉入れ)、ラムネ飲み、綱引き、フォークダンスに子どもたちと一緒に参加しました。昨年は、ちょっと突っ張っていた子どもが老人施設の手の不自由なお年寄りに優しく接している姿に驚きました。紅白リレーで真剣に走る姿。人前で話ができなかった子どもがか細い声で前かがみになりながら放送している姿。閉会式では「全員が協力してやれてよかった。みんなが前より仲良くなれた。」と生徒代表が挨拶をしました。胸に染み入ることばです。
だめな子はいない。しっかり見つめられれば、自分を認められれば子どもはこんなにも赤裸々に素直に自分を表現する力を持っている。そのことを教えられた1日でした。決して恵まれてはいない労働条件の下で二豊学園の職員の方々や先生方はどれだけご苦労をされてきたことかと頭が下がる思いでいっぱいですが、職員が一丸となって厳しい環境に育った子どもたちをこんなにも立派に成長させてくれたのだと思います。そして子どもたちの信頼があるからこそまたがんばれるのだと思います。
聖火リレー
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