ときどき日記


2015 3.5 控訴に憤りを覚えます
 
 どこからか沈丁花の香りが漂ってくる季節になりました。
 沈丁花の香りをかぐと、何故だか「赤頭巾ちゃん気をつけて」が心の中に蘇ってきます。絵本の赤ずきんちゃんではなく、庄司薫さんの芥川賞をとった作品で す。大学紛争が激しかったころ、東大がブロックアウトされて入試ができなかったことがありました。その当時のことを作者の心を通して描かれた作品で、何故 だかわかりませんが、春の陽気と夜の静けさのなかで、沈丁花とあの作品が思い出されるのです。
 
 
 2月23日(月)に「教員採用不当解雇の取り消し」を求める裁判の判決が大分地方裁判所で行われました。
 午後1時30分からの判決言い渡しでしたが、小法廷だったので35人しか傍聴席がありません。裁判所前には、寒さの中にもかかわらず、100人近い人が列を作っていました。
 抽選がありましたが、やはり私は当たりませんでした。気がかりだったのは、原告のお母さんが、その日は一人でいらしていたことでした。心細い思いをしている彼女を一人にさせることが不安でした。
 運がいいことに「平岩さんが傍聴したほうがいいでしょう。」と高田の方が私に傍聴券を譲ってくれ、私は、感謝しながら小法廷の席に着きました。
 
 
 原告側の弁護士が入廷し、裁判長も入ってこられ、写真撮影がありました。その間、2分間は動いてはなりません。被告側の弁護士は、その時は入廷していませんでした。
 石橋蓮司に似たその裁判長が、判決を読み上げました。
 「処分を取り消すことを取り消す。」すなわち、採用取り消しを取り消す。ということです。原告の勝利です。
 お母さんが、私に「わからない!意味が分からない!」と泣きながら訴えました。いつも不安と闘い、最悪のことを覚悟してきたから、そう思うのだと感じま した。私も泣きながら「だから教育委員会の採用取り消しが、違法であって、6年前、採用になった時の状態に戻しなさい。と言っているんですよ。私たちが 勝ったんです。」と説明しました。
 
 判決は、県教委に反省を求めるものだったと思います。倫理的な誤りを犯してはならないということだと思います。
 喜びの後に訪れたのは、こんな当たり前のことを勝ち取るまでに、6年半かかったことに対する怒りでした。多くの時間と労力とお金をかけ、裁判を支えてきました。原告の置かれた不安定で安らぎのない生活を想うとき、怒りは倍増していきました。
 
 しかし、翌日の新聞に書かれた教育長のコメントに唖然としました。「免許を持っているのならくじびきでもいいのか!」といったコメントは、行政のトップの言葉か。と情けなくなります。
 
 
 
 2008年4月1日に教員として採用され、中学校1年生の担任として希望に燃えて仕事をしていました。8月30日、突然に県教委の幹部がやってきて「あ なたは不正な加点があったから、自主退職か、採用取り消しを選んでください。期日は9月4日までです。」と告げられました。
 奈落の底へ突き落されたようだったでしょう。「このまま、生徒の前に立ってもいいのか?」「家族の誰かが口利きをしたのか?」疑心難儀の日々を過ごし、「何も悪いことはしていない。採用取り消しは受け入れられない。」と考え、大分地方裁判所に提訴しました。
 
 この一連のことを私はHPに「教育公務員の在り方は」と題して、以前に綴っています。
 
 3月2日の教育委員会で、今回の判決を不服として、県教育委員会は、福岡高裁に控訴を決定しました。
 行政の手続き上、控訴は考えられることです。それからは、逃げることはできません。
 しかし、県教委は、判決内容をどう総括しているのかでしょうか。教育委員会ではどんな話し合いをしたのでしょうか。
 県は、不正な加点をしているけれど、その背景は全く明らかにしていません。点数操作をした人は、特定していますが、何故そんなことをしたのか。誰がそれ をさせたのか。更に、本人を含めて家族の口利きの有無も調査していません。もちろん、本人も家族も親族もそんな依頼をしていません。
 教員採用試験は、地公法15条に沿って競争試験ではありません。能力実証主義です。仮に加点があったとしても、採用取り消しをしてはならない。と判決は 述べています。原告は、免許を持ち、長年臨時講師を続け、勤務にも本人の資質にも何も問題を指摘されず、仕事に取り組んできました。生徒と向き合い、とも に笑い、喜び、涙を流しながら生徒に寄り添って、学校生活を過ごしてきました。
 
判決文には、原告に瑕疵は認められず、間違っていたのは、県教育委員会だと書かれています。採用取り消しが違法だと多面的に判断しています。いろいろな角度から県教委の間違いを指摘する内容です。
 
 残念なことに、控訴は、県教委の権限で行われることで、議会の議決は求められません。今議会で議題になるのは、判決理由で示された国家賠償額(33万 円)の支払い命令が不服であるので、大分県が請求の棄却を訴える部分だけです。私たちは、会派で十分話し合い、この議案に反対することを決めました。
 
 
 どうして、将来のある若者が、こんないびつな事件で翻弄されなければならないのでしょうか。
 
 県教委が、2008年時点の背景や経緯を明らかにし、取り消し処分の違法性を認めるよう求めていきます。


2015.2.14 鬼は出て行ったかしら?
 
 節分は終わりましたが、寒い日が続いています。節分を境に春の訪れを心待ちにしている私には厳しい現実です。日差しも少しずつ長くなり、空気やにおいが春を思わせるのですが、まだ「寒い!」歳をとったせいでしょうか。温かいものを飲みたいと体は欲しています。
 
 節分の次の日は、よそのお宅に伺うと、大豆や落花生が玄関先に落ちて踏まれている光景をよく見ました。
 「豆まき」に関して、愉快な話を聞きました。
 ある方の家では、子どもの頃の豆まきは、豆ではなく、あめだったそうです。
 真っ暗にした部屋の中で「福は内!」と言いながら撒くのだそうです。翌日から部屋の中に散らばったあめを子どもたちは見つけ出し、拾っておやつにしたそ うです。35年くらい前の話ですが、その時の光景が目に浮かぶような気がしました。ものの陰に隠れていたあめを見つけた時の子どもの喜ぶ顔、包み紙をはが しながらそれを口に頬張る姿が目に浮かんで、心がほんわかしてしまいます。古きよき時代です。
 
 
 和歌山で信じられない事件が起きました。亡くなられた小学校5年生の無念を思うとき、胸が張り裂けそうな気がします。奈良でも広島でも福岡でもここ数 年、下校途中の子どもが被害にあう事件がありました。今日、お伺いしたお宅では、おばあちゃんが、「田んぼの中の道を孫が一人で通学しているので恐ろしく てしょうがない。いつも迎えに行っている。」と言われていました。
 どうして、何の罪もない子どもがこんな被害に遭わなければならないのでしょうか。
 
 大分市内、公園はたくさん整備されていますが、遊んでいる子どもの姿を見かけなくなりました。一人で歩いている子どもの姿を見かけると「あの子大丈夫かしら」と逆に心配になります。いつから日本はアメリカのような社会になってしまったのかしらと残念でなりません。
 
 加害者は、昔はいい子だったのにと報道されています。けれども、思春期のどこかの時期に人生の方向がうまくいかなくなって挫折してしまい、ひきこもり、 信じられない凶悪な事件を引き起こしてしまう。そんな図式があまりに多く、日本の子どもも大人も生きづらい在り様が変わらなければ、いけないのでは・・・ と思っています。
 2015年の始まりは、経済優先が叫ばれ、命が何よりも尊いということが置き去りにされているような気がします。
 
 自尊感情を育てることや、命の大切さを体感する事、一度や二度の失敗でくじけない心を育てていくことが、何より優先されなければなりません。
 
 福島の子どもたちに甲状腺がんが次々に発症していると発表されました。
 チェルノブイリの事故の後、4、5年して、甲状腺がんが多発してきたことを思い出すとき、恐れていたことがついにやってきたのだと愕然としています。
 
 毎日、毎日、信じられない光景を見続けていることが、悲しく、無念でなりません。どうぞ、子どもたちを巻き込まないでください。
どんな状態で生まれて来ても命ある限り子どもたちが生を謳歌できる社会にしていきたいと願っています。

2015 1.16 T先生を偲んで
 
 日曜日のことです。
 車で松岡に向かっている時に、葬儀社の前にT先生の名前が書かれた看板を見ました。一瞬、どきっとしましたが「同姓同名なんだ!」とあまり気にも留めずに走り去りました。
 夜になって、私の尊敬するT先生が亡くなったということを知らされました。
 あまりのショックでものが言えませんでした。
 
 T先生には、暮れにお会いしています。
 新しい県立美術館のことをお聞きすると「僕の出身の武蔵野美術大学の新見館長がいらっしゃったので、これからとても楽しみです。」と言われていました。精力的に絵も描かれているのだと思っていました。
 
 T先生は、美術の先生です。退職されたのは、つい3年前です。
 最後に勤められた川添小学校の校長の時に「この竹林を切りたいんだ。」と相談されました。川添小学校は、大野川がすぐ下を流れる場所に建っています。川 の法面には孟宗竹が乱立していて、景観を損ねていました。早速、国土交通省や県土木に相談しましたが、なかなか竹の伐採費用をねん出していただけませんで した。
 そのままになっていたところ、T先生は、その後、地域の方や父親クラブの人たちと竹の伐採を始めていました。暑い時期でもあり、作業は簡単にはいかな かったようでした。何日もかかって伐採された後、校門に立ってみると、これまで竹で覆い隠されていた豊かに流れる大野川が眼下に現れていました。それは息 をのむような美しい光景でした。小柄で華奢なT先生のほとばしる情熱を感じました。美術の先生らしい発想だと感心してしまいました。
 葬儀の日、その場所に立って、川を眺めました。天気が悪くなり、涙雨のような日でした。大野川は、ゆったりと流れていました。


 
 T先生が、明治小学校に勤めていた時のことです。
 校長室に入ると、小さな絵が飾られていました。
 「先生これって、江藤明先生の作品じゃないですか?」と尋ねました。「よくわかりましたね。そうです、明先生の作品です。倉庫にほこりをかぶって置かれ ていたのを見つけて、きれいにしてここに飾りました。」と言われました。「よく、明先生だとわかりましたね。」とも言われました。江藤明先生は、私の中学 1年生の時の担任でした。美術の時間は、先生の得意とするデザイン画をよく描かされたので、一目でわかりました。
 
 はじめて県議選に出馬するときに、T先生に、私のことを描いていただいたことがあります。描かれた私は、ボブヘアーで長めのドレスを着ていました。その絵を平岩純子の封筒に印刷して使っていました。
 でも、議員になって新しい封筒にするとき、つれあいが抽象的なデザインに変えてしまいました。後から、先生に少し残念だったと言われたことがありました。
 
 T先生の葬儀会場には、先生の好きだったアメリカンポップスが流れていました。自身で描かれた自画像は、先生そのものでした。
 
 華奢で多くを語らず、穏やかに人と接してこられたT先生。私は、12年の間に先生のいろいろな素顔を見せていただきました。
 暮れにお会いした時、今にして思えば、少しだけ儚(はかなげ)げに見えました。先生の家の前を通る時、いつもT先生のことを思っていました。お別れの時が近づいている予兆だったのかもしれません。
 あまりに早い旅立ちに涙を禁じえません。
 ご冥福をお祈りしたします。


2015.1.6 猛吹雪の中で
 
 寒中お見舞い申し上げます。
皆様、ご家族お揃いで賑やかなお正月を迎えられましたでしょうか。
我が家は、昨年母を亡くしているので、お飾りもしめ縄も年賀状も無しの静かなお正月を迎えました。
 昨年のお正月には、「うさぎとかめ」に入居していた母を迎えに行って、母中心のお正月を過ごしました。おもちをのどに詰まらせては一大事!と娘の心配を気 にもせず、よく食べていた母。施設では、夜中に何度もトイレに行き、職員さんに迷惑をかけていたのに、娘の家では安心したのか、1度も起きずにすやすやと 寝息を立てていた母の姿を思い出していました。
亡くなったことを知らない、女学校時代の方や父の友人から母宛に年賀状が届きました。寒中見舞いでそのことをお知らせしましたが、皆さん、お正月早々びっくりされているのでは・・・と申し訳なく思っています。
 
 
 元旦の寒さと吹雪のような雪にびっくりしました。



 天候が荒れることは、予想していましたが、「郵便屋さん、大変だろうなあ・・・」賀来神社や若宮神社の関係者は初詣の方をお迎えするのに様々な準備をされ ていましたので、「お参りが少なくて関係者はがっかりしているのでは・・・」と思いながらも、見る見るうちに一面真っ白になっていく庭を眺めながらかなり 興奮してしまいました。防災メールも届き、自治体の職員の方々が防災待機と言う形で年を越していたでしょうに、子どもの頃から日常と異なる気象現象に出く わすと、興奮してしまうこの性分は変わっていませんでした。
 元旦の夕方、お通夜に伺いましたが、佐賀関から来た友人も興奮気味に吹雪の状況を語っていました。
 
 
 
 昨年、12月4日に第4回定例県議会で質問をしました。
 質問をするのは、16回目です。もう慣れてもよさそうなものなのに、一向に慣れません。「私は、この質問で何を問いたいんだ?」「一番願っていることは何 なんだ?」と毎日自問自答しながら自分を追い込んでいきました。そして、学校をやめた私にとっては、これは研究授業なのだと位置づけ、臨みました。
 専門的なことになりますが、教職員の人事異動方針の中の「概ね10年3人事地域」を変更するという答弁を得たことは、正直、安堵しました。多くの人たちの声や願いが届いて嬉しいと感謝しました。
 
 質問の後、いろいろな方に声をかけていただきました。
 議会事務局の女性の方々には「エレガントだった。」と言われ、NPOの人からは「当事者と支援者の願いをきちんと伝えてくれた中継を見て涙が出た。」と メールが届きました。12年間励まし続けてくれている戸次のおじいさんは「相手の答弁が、自分の意に沿わないものでも答弁者に対する感謝の気持ちを失わ ず、丁寧な質問だった。あなたは、議員になれてもきっと2年でつぶされるだろうと思っていたけれど、成長したね。」とお電話をいただきました。
 私は、自分の質問している様子が収められたDVDを見ることは苦手です。どうしても次につなげなければならない時にだけ見ていました。
 「皆さんが言うような状況だったのかしら・・・」とあらためてそのDVDを見てみました。そして「弱いなあ。パンチが効いていないなあ。」と感じました。
 どうして、そんな弱い自分になってしまったのか?初めて議員になった2003年以降の自分。教員採用汚職事件が起きた時の質問。信じられない津久見の不当 な人事異動。二豊学園や一時保護所の悲惨な実情・・・・・。これまで訴えてきた時の叫びたいような思いが私には見つけられませんでした。「どうしてなんだ ろう?平岩純子はどこに行ってしまったんだろう?」と考え続けました。
 そして、見えてきたことは、誹謗中傷する他の議員の存在でした。昨年6月から文教委員会の中でも、議会でも教育に関する激しい意見が続きました。議会制民 主主義の中で、何人(なんびと)も意見を言う権利を持っています。言論の自由は保障されなければなりません。そのことは否定しません。ただ、私や組織に向 けられた執拗な攻撃は、言論の自由を通り越しての誹謗中傷であり、私にはまるでヘイトスピーチにしか思えませんでした。はじめは、その議員が綴るヘイトス ピーチのようなブログを読んでいましたが、教育の本質から外れ、繰り返される誹謗中傷に辟易してしまいました。最近では、無視するようにしてきましたが、 その一連のことがいつの間にか私を萎縮させていたのだと気づきました。それこそが相手の願いなのかもしれませんが。
 
 もう一度、じっくりとブログを読み直してみると、あのブログの内容には、一方的で根拠のない間違いがいくつもありました。明らかに名誉棄損行為だと感じました。
 特に、私が仲間と一緒に続けてきた「ゆふわく」を冒涜する内容は、見過ごすことができません。私たちは、今後、このことにどう対処していくのかを法的なことも含め、相談しています。
 
 第3次安倍政権が始まり、私のような人間は生きづらい世の中になるのかもしれません。尊敬する住職がこういわれました「私たちは勝ち組のパフォーマンスを観ているつもりはない!」と
 統一地方選を控え、きっと私も元旦の猛吹雪のような中に置かれているのだと思いますが、いろいろな攻撃に負けずにまっすぐに前を見据えて生きていかなければと自分に言い聞かせています。


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●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
          学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16  諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・
●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜