ときどき日記


2013.12.28 静かな年の瀬に

庭に出て、あまりの風の冷たさに驚いて慌てて家に入りました。 今日も寒い日です。

私の愛車UP(アップ)には、シートを温めてくれる装置がついています。寒い日に車に乗って、そのスイッチを入れると、すぐに温かくなりびっくりします。温かい車内から、外でお仕事をされている方を見ると、申し訳ない気がしています。

官公庁も休みに入り、多くの事業所もお休みに入っているのでしょうか。通りを走る車の音がめっきり少なくなっているようです。

ふとした瞬間「佐伯のお父さんに電話しようかな。」「お母さんに電話してみよう!」と思うのですが、二人とももうそこにはいないことに気づき、寂しさを禁じえません。私はいつも自分の都合で、二人に電話をかけていたんだと気づきました。

佐伯の義父が亡くなって、4か月半がたちました。不思議と夫婦で「お父さん」のことを話しません。ずっと離れて暮らしていたので、実感がわかないのかもしれません。義父は、本当に優しい人でした。世の中に意地悪な人、図々しい人、自分勝手な人をたくさん見てきましたが、そんな人と対極にいるような人でした。血の繋がっていない私は、そのDNAを受け継いではいないけれど、お父さんのような心を持ち続けていたいと自分に言い聞かせます。

別府の母が、入所している「うさぎとかめ」でクリスマス会がありました。初めてだったので妹と二人で参加させていただきました。施設内の行事だったらしく、参加の家族は私たちだけです。施設長が若いスタッフと一緒にサンタの衣装を着けてAKBの歌とダンスをしている姿が目に飛び込んできました。かなり長い時間でした。その真剣な姿に、驚きと頭が下がる思いでいっぱいになりました。職員の人たちが、練習を重ねたダンスも披露していました。その凝ったアイデアに脱帽。

じゃんけん大会があって、母は2回目に優勝し、はにかんだ顔をして商品をゲットしていました。最後は、クリスマスプレゼントが一人一人に手渡されました。優しいメッセージも書かれています。みんなそれぞれ違うものでした。職員の方が忙しい時間の合間に用意してくださったのでしょう。靴下をもらった男性の方、おしゃれな温かい上着をプレゼントされたおばあちゃんは「これはいい!」と感激していました。母は、レイのようなマフラーを貰っていました。真っ赤です。照れくさそうに首に巻いていました。

みんなに一つずつ箱に入ったクリスマスケーキが行き渡り、1本ずつろうそくを立て、火がともされました。その火を吹き消さずに、まるでお仏壇のろうそくを消すような仕草で消しているおばあちゃんの姿を見て、妹は笑い転げました。最後に、入所者のおじさんがお礼の言葉を述べられました。感謝の言葉は、私たち家族の思いでもありました。泣き笑いの楽しい時間は、あっという間に過ぎて行きました。

 ケーキを食べきれなかった母は、「これ持って帰ろう。」と言い出しました。「今日は帰らないのよ。31日に迎えに来るから、その時に姉ちゃんの家に帰ろうね。」と妹は優しくなだめていました。母は、暮れからお正月の3日間、我が家で過ごします。入所前の状態より厳しくなっている部分もあるので、私は、目が離せず、夜は眠ることができないだろうと覚悟をしています。そんな状態の母を見守ってくださっている「うさぎとかめ」の職員の方に感謝しながら、今は、母を迎える準備と年末の仕事をしています。

 昨年の12月17日に政権が交代して「厳しい時代が来るぞ!」と覚悟はしていました。しかし覚悟していた以上の速さで、それはやってきています。

 高校授業料無償化の所得制限導入、福島原発の終息は道遠く、TPPは闇の中、大企業には法人税の優遇ですが、庶民には景気回復の実感はありません。特定秘密保護法案を強行に通し、首相の靖国神社参拝、そして普天間基地の辺野古移設が昨日決定しました。

 来年は、さらに厳しい年になるかもしれません。でも、負けられません。私は来年、年女です。「ぼやぼやしていられないぞ!走り回って仕事をしよう。」と決意しています。

 今年も、つたない「ときどき日記」を読んでいただきありがとうございました。

皆様にとって、来年が良い年となりますように。


2013.12.18 お気に入りのホテル

 寒くなりましたね。

どんよりとした空を見ていると、ふさいだ気分になってしまいそうです。(私の大好きなイギリスは、いつもこんな風なのかしら・・・。)ふと、そう思いました。

 師走に入って、気ぜわしくなりました。でも、なかなかエンジンがかかりません。この性分は、結局今年も変えられなかった。残念!来年こそは!なんて考えてしまいます。

 安倍政権の暴走に腹を立て、半ば呆れながらも今年の仕舞支度をしなければと考えています。

 今年は、神奈川と福島と岩手と宮城、そして京都と東京に出かけました。

 仕事で宿泊する時は、ビジネスホテルです。仕事の整理と眠ってお風呂に入るだけですから、十分なのですが、東京に泊まる時は、事情が許せば、新橋駅から徒歩3分の「ホテル・コムズ」にしています。銀座の近くで夜更けまで動いている街中にあります。通りを行く人や救急車のサイレンの音がよく聞こえ、すぐ前を首都高速が走っているので、決してロケーションとしては良いホテルではありませんが、何といっても朝食バイキングがほれぼれするほど充実しています。

 以前に、2度ほど書きましたので、説明はいらないかもしれませんが、シェフの矢吹さんが全国を歩いてとことん探究した食材がこれでもかこれでもかという風に並んでいます。11月に泊まった時は、朝食開始は、朝7時からなのですが、もう宿泊客の方が何人も並んでいました。私は、食べるのが遅く、それに加えてじっくり見て、選んで頂くので、ここに泊まった時は、朝食に1時間はかかります。前日の夜7時以降、お腹には何も入れずに空っぽにしていきます。

 一緒に行った人が「そんなに食べるの!」と驚くほど食べ物をテーブルに並べてしまいます。

 矢吹シェフに了解をいただいているので、デジカメで並んだお料理を撮りながら食材を選んでと忙しく、この時間に細心の注意を払い、全精力を傾けます。



今回は、シチューも絶品でしたが、にんじんの甘みとうま味に感嘆しました。

東京にお越しの際は、ぜひ1度、「ホテル・コムズ」朝食バイキング「キャッツ&ドッグ」をお試しください。

 「いいなあ。県外ばっかり言って!」とつれあいがある日突然言いました。

「だって、仕事だよ!観光なんて何もなしよ!」と反論するのですが、いつも視察の時は、空港行のバス停まで送り、帰りは大分駅まで迎えに来る役回りに不満があるのだと思いました。

 それで、近場で1泊だけできるホテルを探しました。

 お世話になっているYさんが以前に紹介してくださったホテルを思い出し、慌てて予約できるかを調べて頂きました。即、電話がかかって来て「良かったですね。1部屋空いていましたよ。」ということになり、ある日の土曜日につれあいと出かけました。

 九重の「オーベルジュ・コスモス」です。大分から車で1時間ちょっと。大分方面から行くとやまなみハイウェイの長者原の交差点から右に入ってすぐのところにそれは建っていました。


 お断り写真をたくさん撮ってきたのですが、私の過ちでデータを消失してしまいました。残念です。特に部屋の内装と食事を伝えられなくて残念です。それで今回は、オーベルジュさんの写真を使わせていただきました。

 以前は、国民宿舎だったそうですが、2011年にリニューアルしてオープンしたそうです。建物は、クヌギ林の向こうに建っています。かなり広い敷地でした。

 チェックインの時刻より早く着いたのに、嫌な顔一つせずにお部屋に通してくれました。


 広い部屋の中には、ソファーセットやテレビやサイドテーブルが置かれていて、左手にはベッドが並んでいます。琉球畳の部屋も続きでありました。その向こうがベランダになっていて、障子を開けると、雑木林の向こうにキャンプ場に駐車した車が見えます。見上げれば九重連山の山並みが続いていてロケーションも最高です。

 お布団が、軽すぎず、重すぎず、何よりも清潔感を感じました。私は、旅先ではなかなか寝付けないのですが、ここのベッドとお布団は最高で、爆睡しました。

 間取りや広さがとても気に入りました。名前の良く知れた高級ホテルや旅館、外国のホテルにも泊まったこともありますが、やたら広かったり何となく気取っていたりと高級感に威圧されそうな気がしていました。この「オーベルジュ・コスモス」はどこよりも良い空間と心地よさを感じました。

 エレベーターはあるのですが、3階建てなのでついつい歩いてしまいます。踊り場や階段が広いのがその理由かもしれません。

 食事は、1階のレストランで頂きます。フレンチの創作料理です。前菜、お魚料理、スープ、お肉料理、デザートと頃合を見計らって持ってきてくれます。一つずつ丁寧な説明をしてくださいました。特に鯛のお料理とトマトのスープは素晴らしかったです。パンも温かいものが出てきて、追加もできました。


お風呂は、室内にも備え付けられていますが、やはり源泉かけ流しの大浴場へ。

別府温泉のような透明ではなく、茶褐色です。露天風呂もありました。蛇口が上向きで使いやすいと感じました。熱すぎず、ぬるすぎず、温泉大好き人間には最高。いつものピリピリが出そうになっていた私には、ありがたいものでした。それで4回入りました。

 廊下には、「ご自由にお使いください」と丹前が掛けてありました。朝、晩の冷え込みには最適でした。寝巻の作務衣はリバーシブルで男女の使い分けがされていました。

 深夜、澄んだ空にカシオペヤやスバルが綺麗に見えました。

 朝、九重町の放送が聞こえてきました。「今日の日曜当番医は・・・・」という内容でした。山から日が昇るという光景は珍しいものです。

 向こうの方に山に登る人たちの集団が見えました。私たちよりも年を取ている山ガールに敬服。


 私たちが、訪れた時期は、晩秋でしたが、小鳥のさえずりや若葉の出始める春の時期も素晴らしいだろうなあと思います。夏は、カナカナとひぐらしの鳴き声が聞こえていいだろうなあ。でも、きっと雪に覆われた冬が素敵なのだと思います。しかし、雪道を走って来なければなりません。

 僅か1泊の小旅行でしたが、心と体をリフレッシュさせてくれるホテルでした。ご紹介してくださったYさんに感謝。

皆さんも何かの機会に是非お出かけください。お値段もリーズナブルです。


2013.12.7 久しぶりの別府

 「特定秘密保護法案」は、良識の府であるべき参議院で強行採決されました。

昨年12月、政権が交代した時、「これからとんでもなく苦しい時代が来るぞ!」と覚悟をしました。あれから1年、予想以上の早さで、官僚主導の民主主義をないがしろにする様々な政策が決定していく様を見ながら、怒りを通り越して呆れ果てています。

 マスコミは、法案が通りそうになると、紙面も画面も反対する人々の抗議する様子やコメントを次々に報じていましたが「遅すぎる!」「もっと早く報道しなければ!」と感じています。

 経済効果だけを願っていた人たちには、裏切り行為のような政権ですが、私たちは、粘り強く民意を伝えながら、破壊されそうになっている民主主義を打ち立てて行くしかありません。負けずにしたたかにやっていきましょう。

 県の幼稚園部の研究集会があったので、別府に出かけて行きました。

 大谷大学の桜井智恵子先生のお話は、「教職員の多忙化は、子どもに失礼!子どもの権利条約に違反している。」という内容で、目からうろこでした。私がこれから考えていくべき道筋を教えて頂いた気がしますし、戦略を練る方向性も示唆していただきました。

さて、I先生が亡くなり、母も大分の施設に入ったので、別府に行く機会は減っていました。妹と交代でときどき誰も住んでいない家に風を通しに行くだけです。別大国道も久しぶりです。高崎山は、紅葉も残っていて、梅原龍三郎と東山魁夷の絵を思い出させてくれるような色合いです。別府側からのほうが美しく見えました。

家じゅうの窓を開け、お仏壇にお線香を立てました。「お父さん、お母さんはうさぎとかめで頑張っていますよ。お正月には、我が家に来ますからね。あっ、それから隆仁がやっと就職しましたよ。」と語りかけました。

「誰も住んでいない家に帰ったら、大声を出すといい。」と聞いたことがありますが、それはできませんでした。夏に綺麗にしていただいた庭はまだ美しいままでオキザリスがぎっしりと咲いていました。母に見せたらきっと喜ぶだろうなあと考えると胸がチクリと痛みます。

帰り道、別府市美術館に寄ってみました。これまで国道10号線を何十回と通っていたのに、別府市美術館に行くのは、中学生の時以来です。

館内には、私の後に、二組のお客さんが入ってきましたが、静かな美術館でした。入場料は大人が100円!ドアを開けると目の前には、別府湾が広がっています。中山別荘の説明や別府の歴史は、興味深く時間をかけて見ました。瓜生島がどうして無くなったのかもわかりました。

驚いたことに、片多徳郎、梅原龍三郎、青木繁、安井曾太郎、小磯良平の作品があります。もちろん福田平八郎や高山辰夫、佐藤敬そして朝倉文雄のブロンズ像もあります。ゆっくりと時間をかけて観ても、誰にも何も言わずにいられます。中学校の時の恩師、江藤明先生の作品にも久しぶりに出合うことができました。

別府市美術館は、佐藤慶太郎という石炭で富を得た人が「富んだまま死ぬのは、人間の恥である」というカーネギーの言葉を信条として晩年を過ごした別府に美術館建設の基金を寄付したことから始まったようです。

古い建物なので、トイレのにおいが漂ってくることは、残念でしたが、鼻で息をしなければクリアできます。

皆さん一度いらしてください。


2013.11.14 結婚式

 急に寒くなりました。東京の弟からメールが来て、「今年一番の寒さだよ。」と書かれてありました。朝の寒さで、風邪をひかれるのでしょうか、マスクをしている人を多く見かけるようになりました。

 私は、ここ数年、季節の変わり目に体がかゆくなります。春先にだんだん温かくなっていく時期と秋が深まり冬を意識し始めた時に、体のあちこちがかゆくて仕方がありません。きっと、気温の変化に肌がついていけないのでしょう。歳をとったからだと思っています。水素水を飲み、有機野菜を食べているのに歳には勝てないのでしょう。

2週間近く前のことですが、金池小学校で一緒に勉強したMちゃんの結婚式がありました。恩師として出席しましたが、私の席は彼女の幼い頃からの同級生たちが座っているテーブルでした。みんな26歳の美しくなった女性ばかりです。私だけが、もうじき還暦。幼いころを知っている私は、20年前の記憶をたどりながら「OOちゃん?」「OOちゃん!」と20年ぶりの再会に感激していたのですが、トイレに行って鏡に映った自分の姿を見ては、悲しい現実に引き戻されていました。

 新婦のMちゃんは、小学校1、2年の時の教え子です。花嫁姿も美しかったのですが、小学校に入学した時もお人形さんのようでした。「こんなかわいい子、誘拐されたらどうしよう?」と本当に心配になりました。

 家庭訪問に伺った時に、お母さんが「恥ずかしがり屋なんですよ。」と言われたことをつい昨日のことのように思い出していました。引っ込み思案なMちゃんは、気が付くといつも私のそばにいました。

 休み時間に教室の入り口に立っていたところ、元気の良すぎる上級生の男の子が、廊下を思いっきり走って来て、Mちゃんとぶつかったことがありました。鎖骨にひびが入り、痛くて悲しい思いをさせてしまいました。あの日のことも思い出していました。

 小学校、中学校を卒業して、私が次にMちゃんに会ったのは、高校3年生の時です。甘えん坊だった彼女は、しゃきしゃきした女子高生に変身していました。その次に会ったのは、大学を卒業して、就職することが厳しい時代に、大分に帰ってくることができた時です。はっきりものが言える素敵な女性になっていました。たくさんの人との関わりの中で、成長したのだと思いました。そして多くの人が育ててくれたんだと感謝しました。

 今年の9月、Mちゃんは、我が家にやって来ました。「先生、この人が私の選んだ人です。結婚式に来てください!」とYさんを紹介してくれました。Yさんは、人の話がしっかり聞ける、穏やかな、でも芯のしっかりしたさわやかな男性でした。「何も買ってきたらダメよ!」とくぎを刺していたので、彼女は、手作りのアップルパイとスイートポテトを作って持ってきてくれました。私も、アップルパイを焼いて待っていたのですが、私のそれよりもずっとおいしく感じました。

 小学校1年生、6月になった頃、Mちゃんが作った標語があります。「けんかしても わすれないでね ごめんなさい。」友達と仲良くなるにはどうしたらよいだろうと学級会で考えた時のものです。

 結婚したら、いろいろなことが起こるでしょう。でもこの標語を忘れないでね。お互いを尊重しながら温かい家庭を築いて欲しい、幸せになって欲しいと願いました。


2013.11.5 秋の三連休

 11月初旬、暦の上では、三連休。皆さんはどう過ごされましたか?

 日本シリーズでは、混戦の末、楽天が最終的に優勝を決めました。

東北の人たちには、何より嬉しいことだったと思います。おめでとうございます。しかし、我が家の巨人応援団の前では、その話は、禁句です。心に負った深い傷はしばらく癒えそうにありません。

 国道442号をご存知ですか。大分市を起点にして、福岡県大川市までの一般国道です。長い道のりで、沿線の市長さん方を中心に442号を良くするための期成会があります。もう十分に改良されている道路なのですが、どうしたわけか大分市内の稙田・宗方間は整備ができていません。都市計画道路に指定され、将来は4車線化が謳われていました。けれども、わさだタウン前のホワイトロードができてからは、交通量は増えるのに手つかずの状態でした。

 この道路沿線には、大きな団地がいくつもあります。商業施設もあります。そこに行こうとする車が、片側1車線のため、右折時に渋滞を起こしていました。団地から出てくる自動車は、信号がないのでなかなか合流できません。歩道はとても狭く、歩道すらない個所もあります。ここを朝夕、高校生の自転車や徒歩の中学生が通ります。離合ができません。もちろん車椅子は通りません。コロコロを引いたお年寄りや乳母車を押すお母さんにとっても、不便な道路です。水はけも悪く雨降りには、傘を上にささずに、横向きにして水がかからないように歩く中学生の姿は痛々しいものでした。

 3年前に、沿線の有志や自治会長さんが中心になって「442号稙田・宗方間 いきいき期成会」を立ち上げました。私は、議員として県とのパイプ役を務める顧問になっていました。

 期成会は、現地調査を行い、すぐにでも改修できそうな箇所を大分土木事務所に伝えました。学習会やシンポジウムを開催し「道路はどうあれば良いのか」「交通弱者の視点からの道路」を考えてきました。毎月道路ボランティアとして清掃活動を続けてきました。沿線の住民や商店、学校にアンケートを取り、それを細かく分析し、県の道路課や土木事務所に伝えました。毎月、理事会を開いてきました。様々な取り組みが理解され、11月1日に知事に要望書を提出することができました。事業実施に向けて、一歩前に進めたような気がします。

 ある意味、期成会の皆さんのこれまでの努力が報われた日だったと考えます。

これからも、知恵と力を出し合いながら「道路は利用する人にとってどうあれば良いか」を考えていきたいと思います。

 後援会の研修旅行がありました。いつにするか?どこに行くか?何をテーマにするか?役員の方々と話し合い、私の公務と稲刈りの時期を避けると、連休の時にしか時間が取れず、三連休の中日になってしまいました。

 皆さんいろいろとお忙しかったでしょうに、当日は30名以上の方が参加してくださいました。

 しかし、残念なことに雨!昨年の九重へのバス旅行も雨に見舞われました。「誰が雨女なんだ?」「雨男は誰なんだ?」とバスの中では話題になりました。

 目的地は、中津市です。昨年の北部豪雨から1年4か月がたっていますが、現地の復興状況を見ながら災害について学びました。国道は改修が終わり、山国川の護岸工事が続いています。途中で切れてしまったサイクリングロードはそのままですが、川に沿った田畑に堆積された土砂は、今はもうありません。

中津市選出の馬場県議が災害当日に撮った生々しい写真を貸してくださり、皆さんにプリントしてお配りしました。冠水したドライブインや橋の欄干に溜まった流木は、当時の状況を追体験させてくれました。当時、文教委員長だった私は、副委員長だった原田県議と一緒に被害に遭った学校を回ったことを昨日のことのように思い出していました。

バスの中には、大分県防災士協会の会長さんも乗っていらしたので、私の説明の足りないところを補っていただきました。ドライブインの前の橋から見下ろすと、大きな鯉が泳いでいる姿が見えました。お店の方に伺うと、鯉はあの大雨で下流に流されたけれど、また、川を上って帰ってきたそうです。

 金色温泉で昼食をとり、三光へ。コスモスまつりの最終日でした。休耕田に植えられたコスモスは息をのむ美しさでした。白いコスモス畑、黄色いコスモス畑もありましたが、やはり白とピンクと赤のミックスが最も美しいと感じました。

 中津市は、来年の大河ドラマ「黒田官兵衛」で町おこしを願っています。

中津城では、黒田家や奥平家の歴史を学びました。元社会科の先生が、資料が豊富だと感心していました。

私は、小学校5年生の時、見学遠足で初めて中津に行きました。当時は、青の洞門と福沢諭吉の生家だけを見ました。中津城に初めて行ったことになります。

 「雨さえ降らなければ・・・」と思いました。でも、熱心に企画してくれた方、連休にもかかわらず参加してくれた方、そして、バスの中で盛り上げてくれた方がいることに心から感謝をしました。

 夕方、一緒にバス旅行に行った片山さんが当日の写真をDVDに編集して持って来てくれました。全員の方の分を用意してくれていました。音楽もかぶせ、素晴らしいショットが撮られていました。これを見たら、皆さん大喜びだろうなあと思います。私は、こんな人たちに支えられているんだと改めて思いました。もっともっとしっかり仕事をしなければと自分に言い聞かせています。


2013.10.19 どんな秋が来るのかな・・・

 A小学校を訪問した日は、台風が大分に接近していた日で、学校は休校。でも、先生方は勤務中。たまたまA小学校に出張に来ていたT先生と偶然にもお会いしました。久しぶりのことでした。

 「平岩さんは、元気でいてもらわなければ!」「どこか痛いところはない?」と聞かれ、マスターされたというマインドパワーを駐車場で立ったままやっていただきました。熱心な先生は、私のことをもっともっと楽にしてあげたいと考えたらしく、毎週水曜日にソレイユでやっている無料体験を熱心に勧めてくれました。

 お断りすることもできず、半信半疑で、その無料体験に今週行ってみました。

 指導者の先生は、以前に豊橋市で教員をしていたそうです。両手を私の体にかざしながら「平岩さんは、芯がしっかりしているわね。」と言われました。そして「心の弾力性が少なくなっているわね。」とも言われました。どきっ!

 10分間の治療が終わって、すぐにお暇しましたが、その後、ものすごい眠気が襲ってきました。きっとマインドパワーが効いているのでしょう。それにしても「心の弾力性が失われている」という表現は、うまく言い当てているなあと感心していました。

 元気でなければならないといつもいいきかせているけれど、本当はストレスを抱え、いらいらしながら仕事をしている自分がいました。いろんな人とお会いするのですが、本音をさらけ出しての会話はなかなかできません。

学校に勤めている時は、アドレナリンが全開で、フットワークも軽く、喜怒哀楽もあり、何よりも笑うことが多かったなあ。楽しかったなあ。と振り返っていました。

 私の心の弾力性が失われている原因は何故なんだ?と考えました。

 思いつくことは、次々に発表される現場に思いをはせていないように映る県教育委員会の施策、右傾化していく政治、何よりも福島の現状がいつも頭の中にあります。

 東日本大震災から2年7か月が経ちます。岩手、宮城の復興は目に見える形で少しずつ進んでいます。でも、福島原発事故は、何も解決していないのにだんだん人々の記憶から遠ざかっているようにも感じます。世間は、2年7か月前の社会に戻ってしまったような気がします。そればかりか、国や経済界は臆面もなく原発再稼働に向かって進んでいます。「日本の原子力技術は世界一」と羞恥心もなく原発技術を海外に輸出しようとしています。汚染水は、垂れ流し、増え続ける核のゴミはどこにも持って行き場がなく、何一つ解決されていないのに。

 福島を離れられない人が大勢います。自らも被曝しつつ、放射線量を気にしながら子どもたちの健康を毎日不安に思いながら生活している大人たち。財産を失い、家族のつながりを断たれ、故郷から離れ、安心して生活するという憲法で保障された生存権を奪われた何十万人という日本人が福島にいると言うのに、あれだけの事故を起こしておきながら政府も東京電力も御用学者も誰も責任を取らないことはおかしいことだといつも考えています。それで、何をしているかというと、本を読むことに集中し、署名活動をしています。機会を見つけて、また福島に行きたいとも願っています。

 心は、ブルーですが食欲はあります。というよりも食べることにしか楽しみが見つけられないという状態です。

 先週の土曜日に、東野台団地恒例の「竹彩夜(たけいろや)」を実行しました。今年のテーマは「富士山」

 竹の伐採や竹筒を作る作業は、台風の影響で雨の合間を縫って行われました。長くて太い竹を佐伯の海崎まで貰いにも行きました。作業工程でけが人が出なければ良いがといつも冷や冷やしますが、頼もしき男性人たちのチームワークは素晴らしいです。

 女性陣は、6人で前日からおでんと豚汁を200食分ずつ作りました。8回目となるとゆで卵の皮むきも里芋の皮むきも手慣れたものです。「最初のころは夜中までかかっていたよね。」と話しました。当時中学生だったメンバーの子どもさんも成人して、当日は売り子になってくれます。あっという間のような気がしますが、時間がたったんだなあとつくづく思い返していました。

 野菜の値段は高くなっていますが、販売価格はおでんも豚汁もかっぽ酒も200円の据え置きです。だから当然赤字になります。それをメンバーの会費で補っています。

 「人が少なかった?」とつれあいは、少し残念そうに言うのですが、「1回目よりは少ないかもしれないけれど、団地のみんなは、竹彩夜を毎年あるものだと思ってくれているよ。いつでも行きたい時に行けると思っているよ。今年は、3連休の初日だったから出かけている人もいたんじゃないかなあ。何よりも団地に住んでいない人も来てくれていたんだから、そんなに悲観する事じゃないよ。」と励ましています。

 昨日は、「大分県定時制・通信制生徒生活発表」が大分工業の体育館で行われました。今年で58回目になるそうです。今年から大分中央高校が廃校になったので、定時制は、大分工業高校、中津東高校、日田高校そして3部制の爽風館高校の4校になってしまいました。それぞれの学校の代表が学校生活を通じて、学んだことや感じていることを素直に少し緊張しながら発表しました。どの発表もどうしても抜けられない自分と境遇との闘い、それを克服しながら今の自分を見つめ、将来を語るその姿に感動しました。工業高校の2年生と発表者の在籍校の生徒と保護者と教職員が聴衆です。聴衆の皆さんは、見えない力で発表者を支えてくれました。この発表者の存在をもっと多くの人に知っていただきたいと願いました。

 夕方は、湯布院で音楽会。演奏するのは、スイスから来た「スイング・キッズ」の皆さんです。外国人だから体は大きいのですが、殆どが15歳以下です。このバンドは、17歳になったら卒団するのだそうです。子どもなのですが、本物のジャズ、スイングを聞かせてくれました。とにかくうまいのです。

 私は、たまたま前日に福岡で、吹奏楽日本一になった高校生の発表を見ていたのですが、日本は、きちんと型にはめた完璧を求めた音楽だとすると、スイスのそれは、まず音楽が好き、音を奏でることが大好きと思わせるリラックスした様子にお国柄の違いを感じざるを得ませんでした。

 8歳の女の子がトロンボーンを吹くのです。10歳の女の子がトランペットを吹くのです。しっかり音が出ています。間違いません。聴衆をうならせます。もう圧巻でした。

 という訳で、何とか心を奮い立たせながら、秋を迎えています。食欲の秋だけにしないようにしなければ…と願いつつ。

 皆さんには、どんな秋が訪れるのでしょうか。