ときどき日記/バックナンバー 2006年 10月・11月・12月


2006.12.19 甘いおこわと教育基本法

 12月らしくない陽だまりの日が続いています。でも学校は、今週いっぱいで終業式を迎えます。そして私は、12月議会を終え、あいさつ回りを続けています。

 先週の木曜日、12月14日の夜、「教育基本法」が参議院特別委員会で野党不在のまま強行採決されようとしていた時は、冷たい雨が降っていました。私の心も凍りつきそうでした。この2年間、「1947年に制定された教育基本法は教育の憲法と言われてきました。戦後の民主主義を支えてきました。誰もがこの法律で守られてきました。でもその法律が変えられたらこんなことが起こります。学校ではこんな弊害が起こります。だからみなさんこのことに関心を持ってください。もう世論しか残された道はありません。」と機会あるごとに訴え続けてきました。でもその願いも虚しく、翌日、教育基本法改正案は参議院本会議で可決されてしまいました。
 内閣府は、タウンミーティングで民主主義の根幹を揺るがすような「やらせ」を実行してまで世論誘導をしていました。その会は、業者に丸投げし、庶民感覚では考えられないようなお金を投入していました。さらに県教委も世論形成の加担をしていました。これは犯罪だと考えます。
 私たちは、覚悟をしています。これからますます子どもたちがそして学校が自由を奪われ息苦しくなるだろうと。いじめも増えるかもしれません。
 でもこれから育つ子どもたちは戦後で一番厳しい時代になることを知りません。一年後二年後保護者はどんな時代が来るかを予測していません。教育基本法を守りきれなかった自分の力のなさを恥ながらでも子どもたちの未来のために訴え続けていかなければと心密かに思っています。

 先週は、育ててくれた先輩や親しい方の葬儀に参列することが多く悲しすぎる週でした。私は泣きながら心の中で怒っていました。教育現場から大物がどんどんいなくなってしまう・・・。
 昔は、学校にも地域にも、信念を持ち誰からも一目置かれる大物が何人もいました。その個性は千差万別でしたが、教育の本質からぶれない人たちでした。その姿に私たちは多くのことを学びました。これから先、学校は手足を縛られ、身動きがきかなくなっていくかもしれません。もうあんな大物に出会うこともなくなるのかもしれないと思うとき、私の心は動揺していました。

 今、アルバイトで私の運転手をしてくれているTさんは、27歳。前途有望な若者です。私たちは一日中一緒に過ごしています。彼のお母さんが「夕方、お腹が空いたら召し上がれ」とラッピングした一口サイズのおこわを持たせてくださいました。母の愛に感謝とばかり口に入れてびっくり。「甘い?!」おこわは塩味がきいているものだと思っていました。でも彼のうちのおこわご飯は、砂糖が入っていて甘いのだそうです。これがお弁当にも入るのだそうです。二口食べてじっと考えました。何かの味に似ている。何かしら。そうだ桜餅に似ている。
 そのときなぜだかこう思いました。発想の転換をすることも大事だぞ。

 12月もあと2週間です。来年こそは良い年にしたいです。
 私は、正月返上で仕事をしなければなりませんがどうぞ皆様良いお年をお迎えくださいませ。



2006.11.26 子どもたちが私のエネルギー

 このところ週末はいつも雨です。Kさんちには、みごとな干し柿が下がっていましたが、長雨でカビが出てしまい奥さんが悔しがることしきりです。

 私は、県議の仕事と平行してあいさつ回りをしています。いつもどきどきしながらです。何年たってもなかなか慣れません。ちょっとした一言で傷ついたり逆に励まされ涙ぐんだりの毎日です。「人を集めて集会を開きましょう」と言っていただきそんな会にも参加しています。そこでは課題をいただいたり思わぬところで人と人のつながりに気づかされたりしています。でも人を集めることの大変さを知っています。どうありがとうの心を表現したらいいのかと感謝の気持ちでいっぱいになります。

 8月から1日も休みはありませんでした。デスクワークも溜まっていたので今日1日、自分で勝手に休みにしてこの原稿を書いています。心が穏やかではないので今日は私を癒してくれる子どもたちのことを綴ります。

 ある高校の創立記念特集が新聞に出ていました。小学校で一緒に勉強したR君は生徒会長として写真入で原稿を寄せていました。お相撲さんが大好きだった太っちょのR君はすっかり細くなっていました。嬉しくなって携帯に電話をしましたが通じません。夜遅く電話がかかってきました。今は、牛丼やさんでバイトをしているから出られなかったこと。卒業後は小牧市のおすし屋さんに就職が決まったことを知りました。もう一人病院に就職が決まったKちゃんと一緒においしいおすしを食べに行こうと決めています。板前修業はつらいことの連続でしょうがいつの日か彼が握ってくれるおすしを食べられる日を夢見ています。

 つれあいのお姉さんと電話で話していて、両親のうちのテレビが今にも壊れそうだと知りました。ちょうど手持ちのお金があったのでB電器にでかけました。
 B電器には、一緒に勉強したSちゃんが春から勤めています。「わたげを見て先生の声が聞きたくなった」と電話をもらった日から電化製品を買うならSちゃんのところで決めていましたが、うちのものは健在でなかなか機会がありませんでした。チャンスです。12年ぶりに会うSちゃんは、19歳になりきれいな女性になっていて道ですれ違ってもわからないほどでした。親切に説明をし、てきぱきとパソコンに向かって事務をこなす彼女を私はうっとりと見つめてしまいました。おばあちゃんと生活してきたSちゃんは、他の子よりも苦労をしてきたかもしれません。ここまでしっかりとまっすぐな人に育った背景にはどれほどの支えや本人の頑張りがあったかと思います。にこやかな笑顔のSちゃんがこれから仕事をうんと楽しみそしていつの日か良きパートナーと出会う日のことを夢見ています。

 午前中の学習会を終え、由布市に行く途中に荷物を置きに家に帰りました。車が近づくと家の前に野球のユニホームを着た少年が立っています。(隣の僕?いやサッカー部だったよ。いやもう辞めたはず・・・)近づくとそれはKちゃんでした。バットを2本持っています。別府短大のグランドでいつもリトルリーグの練習をしています。時たま帰りの手段がない時、「家まで送って」と頼ってきます。「Kちゃんどうしたの?送っていこうか?」と尋ねると紙包みを手渡されました。修学旅行のお土産を持ってきてくれたのでした。お小遣いは確か1万円のはず。こんなもの買ってお金は足りたのかしら・・・と思いながらもすぐ見る派の私は、紙から取り出していました。中学生はユニバーサルスタジオに行くようになっています。お土産のガラスのコップには私の大好きなE・Tが描かれていました。Kちゃんが高校生になって甲子園予選が始まったらお母さんと一緒に最初っから応援に行くと決めています。新大分球場で声を限りに叫び続ける自分の姿を夢見ています。
 修学旅行のお土産にYさんからは京都名物のおたべをいただきました。誰よりも優しく、感受性が強く、悩んでいたYさんが今はすっかり元気になって旅行を楽しんでこれた。嬉し涙が出ておたべはなかなか喉を通りませんでした。

 毎日があっという間に過ぎ、一週間は恐ろしい早さで駆け抜けていきます。自分を見失ってはいけない。自分の弱さに負けてはいけないそう言い聞かせて過ごしています。
 美容院で初めて眠ってしまいました。優しい先生は、30分近くそのまま眠らせてくれていました。
 M校長先生は「植木鉢をあげよう」と大切に育てた鉢を出されました。「そんな申し訳ないですから」と断る私に「人に甘えることも覚えなさい」と車に積んでくださいました。我が家のアプローチの右側にはM先生のくださった子宝草と露草と名前を知らない鉢が並んでいます。
 前のうちの野間さんは私が春の花を植える時間がないのでノースポールとお正月用の万年青(おもと)とサボテンをアプローチの左側に並べてくださいました。
 いろんな人に励まされ支えられていることに感謝しながら生活しています。



2006.10.30 やりました!団地の「竹宵まつり」

 
昼間は半袖で過ごせるのに 朝晩は寒くなってきました。皆様体調を崩されてはいませんか。
 私は、日曜日に佐伯でお母さんと先生の集会でお話をさせていただきました。PTA懇談会は経験がありますが、大勢のお母さんは初めてです。私の思いが伝わるかしらとどきどきしていました。途中笑ったり、涙ぐんだりの姿を見てちょっと安心しました。話は、1時間15分程でしたが、途中で目の周りに青い光が出てきて(まずい、腰掛けようか)と焦りました。手帳を見ると5月と8月しか休んでいないので少々疲れ気味かもしれません。
 だからその夜は、奮発して焼肉を食べに行きました。


 先週、ゲートボール大会の招待があり参加しました。毎年お誘いを受けます。
 開会式の前に役員のおじさんに「悪いけど名前教えてくれる?」と言われ、「平岩純子です」と答えました。「市議だったかな?県議?」とまた訊ねられ、笑いを堪えながら「県議です」と言いました。平岩純子もまだまだだなあ。と思いました。
 毎回始球式をやらせてもらうのですが、絶対というほど玉が入りません。1時間ほど応援しながら見ていましたが、グランドゴルフよりもルールが難しく奥深い競技です。心理的にかなり追い込まれる競技でもあります。そのことを伝えると「そうじゃろう。選挙もおんなじじゃろう。」と言われました。なんとなく納得しました


 団地の有志で企画した「竹宵まつり」は10月14日に行われました。

 昼間、公園に切った竹筒をオブジェのように組みました。風が吹いて倒れないようにそして火のついたろうそくを子どもたちが触らないようにと綱を張り、大人は真剣そのもの。そのまま暗くなるのを待ちました。

 どうしても抜けられない会議に出席して、私が団地に帰ったのは夜8時を過ぎていました。人が少なかったらショックだな。おでんが残ったらみんなで分けて持って帰らなければ・・・そんな心配をしながら公園に行ってみるとそこは別世界でした。光の世界でした。見たこともないような美しい光景の中に見慣れた団地の人たちがいました。かっぽ酒を飲んで陽気になっているお年寄りもいました。友人のリコーダーアンサンブルの前には、子どもを連れた人たちが聞き入っていました。知っている曲にあわせて口ずさんでいる人もいます。なんだかジーンときました。その時点で竹宵が大成功したのだと悟りました。聞けば、おでんは長蛇の列で、即完売したそうです。メンバーの口にはひとつも入りませんでした。みんなお腹を空かせながらでも心は幸せでいっぱいになっていました。











 昨年、宗方の携帯電話中継基地局の問題に取り組みました。お母さん方と九州本社にも抗議に出かけました。しかし、基地局は建てられ、稼動しています。その中継基地局が、今度は、私の団地にも建てられそうです。降って沸いたようなこの事件に振り回されています。電磁波のことや事の顛末は書きません。悲しすぎて今は綴れません。携帯会社(産業界)と行政に無性に腹が立ちます。
 ただ一つだけ。この事件を通して、団地に住んでいる人の輪がまた広がりました。
 苦しい時に、冷静に対処し、真剣に夜遅くまで知恵を出し合い、お互いを信じて励まし合っています。こんなに前向きな人だったんだ。こんな力がある人だったんだ。なんて素敵な人なんだろう。と毎日新しい発見をして感激しています。
 明後日、会社と2度目の話し合いをします。



2006.10.8 団地サイズの竹宵をします!

 日常の生活の中で「これは、ときどき日記に書こう」そう思う事柄がいくつもありました。でも朝早く出て、夜遅く帰る生活が続き、何だか流されていきそうでした。


納得できない日出生台の小火器訓練

 日出生台の小火器訓練の問題は、どう考えても納得できません。どうして今まで日出生台のことに触れなかった議員が、突然一般質問で取り上げたのか。3月議会での私の質問に対する知事答弁「協定書にないことは、受け入れられない。断固お断りをしました。」から僅か6ヶ月でどうして心変わりしたのか。日程や人員、砲門の数を減らすのならライフルやマシンガンの演習を受け入れるということが訓練縮小になるのか。その疑問を訴えています。

日出生台問題交渉 9.28



団地の有志で「竹宵をしよう」ということになりました。

 昨年、地区の行事に参加した人たちで「もっと団地の人たちで集まれたらいいね。団地の活性化に協力できたらいいね。」と反省会のたびに声が出て、「車座の会」が誕生しました。去年は作品展で豚汁を作って振舞いました。

 竹宵祭りは、臼杵、竹田、杵築、別府と年々盛んになっています。もちろんそんな大々的なことはできません。費用も30人足らずの会員からの会費でまかないます。キャンドルナイトを成功させた公園通りに住んでいる先生に要領を教えてもらいました。せめて団地の世帯数370の竹は用意しよう。そこから始まりました。どこから竹を切り出すか。いかに安くろうそくを確保できるか。どう配置したらいいのか。ちらしをどう配布するか。・・・話し合いは夜遅くまで続きました。メンバーにはいろいろな人がいます。現役を退いた人、電気屋さん、お米屋さん、印刷やさん、大工さん、建設会社の社長さん、公務員、会社員もちろん女性も入っています。次から次にアイデアが出されました。

 今日は、朝8時から、メンバーの方の竹林から竹の切り出しをしました。その竹を公園で切っていきます。12人の男たちが真剣に嬉々として作業している姿は頼もしくもあり、うらやましくもあり、何だか感動的でした。結果よりもこの過程がかけがえのないものに思えます。お散歩で通りがかった河野さんのおじいちゃんに何をしているのかと尋ねられました。説明するとちらしの効果かすでに知っておられました。ちょうど10月14日は85歳の誕生日なのだそうです。みんなでお祝いしましょうと言って別れました。

 当日は、おでんとかっぽ酒とジュースを用意します。


竹宵の準備





政治活動のための写真を撮りました。

 私は、写真写りが悪く、もう少しましな写真はないの。と言われることがよくあります。実物に加えて緊張のためどっちつかずのおかしな微笑状態になるからだと思います。でも子どもと映る時だけは、まったく違って素の自分が映っているのから不思議です。だからポスター撮りは、苦痛です。

 着ているもので少しでも見栄えをよくしょうと、私のファッションアドバイザーのリザの松本さんがずいぶん服を探してくれました。一緒に見に出かけましたが、結局、今持っているので充分との結論に達し、出費は抑えられました。

 当日は、自分でお化粧する自信がなかったので、古くからの友人の上田さんに頼みました。上田さん曰く「こんな時は、目力(めじから)が大切。」日頃やらないアイラインやマスカラで、鏡に映る私は、何となく自分ではないような気分でした。

 持参した服は、薄いブルーとグリーンとオレンジ。ネックレスをつけるのは苦手です。首から胸にかけて何となく心もとないと言われ、苦肉の策でインナーをうんと引き上げました。麻の入った上着は夏の間着ていたので腕のところにしわが出ます。カメラには写らないところで両袖にペンチをつけてひっぱりしわを伸ばしました。カメラマンの政東さんは昔から知っているので私の緊張を取ろうと笑わせてくれるのですが、やっぱり遠慮した笑い。

 外の光の中でもと公園に行きました。カメラ機材を手にした男三人。派手な服の女が一人。モデルではなさそうだしいったい何をしているの。といった目で見られました。

 小さな子猫が突然現れ、その猫を抱いても写りました。でも没になりました。



スタジオでの撮影


公園での撮影


子猫が来ました!




「教育基本法を変えないようにしましょう」の街宣活動は続けます。

 来週は、視察で青森、秋田に行ってきます。



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