2014.12.17 現実を受け止め、諦めない
月曜日の朝の寒さも、厳しかったですね。
週の初めは、守永県議と一緒に、大分駅前で街頭宣伝活動をしています。
僅か、30分なのですが、今週は、マイクを握る手の指はかじかみ、体がガタガタと寒さで、震えました。
埼玉に住んでいる弟は、都内まで電車で通勤しています。毎朝、6時20分には家を出ると言っていましたが、彼も半端ではない寒さの中で生活しているんだと思うと可哀想に思いました。
それ以上に、月曜日の苦しさは、衆議院選挙の結果でした。私が支援した人は、二人とも当選してほっとしました。しかし、自公で三分の二の議席数を取るといった結果に正直愕然としています。マスコミの調査結果は、みごとに当たったようです。
「選挙の大義がない」
「経済のことしか言わない」
「集団的自衛権のことは、争点にならないのか」
「原発再稼働を許すのか」等など
様々なことが言われましたが、終わってしまえば、向こうの作戦勝ちだったのでしょう。小選挙区制の間違いも思います。
投票率の低さが際立っていました。52,43パーセントと戦後最悪を記録してしまいました。
「選挙になんか行かない」
「誰に入れても世の中変わらない」
「政治に期待していない」
こんな言葉が、テレビから流れてきました。民主主義が成熟していない証拠なのかもしれません。私たちは、この現実を真摯に受け止め、みんなで政治を作り出
していくということをしっかりとやっていかなければならないと反省しています。決して諦めないし、福島のことも忘れません。
「ゆふわく」の代表がこんなことを言われました。「私たちは、勝ち組のワンマンショーを観ているつもりはない。」と
12月14日に、別府の「浜田市長・36周年を祝う会」がビーコンプラザで行われました。
会場には、1000人を超す人が集まっていました。浜田市長は、革新市長ですが、保守・革新を問わず参加されている方々を見て、人脈の厚さを感じました。
別府市議会議員、大分県議会議員、そして別府市長とこれまで10回も選挙を闘ってこられました。その回数と36年と言う長い月日を想像するだけで、私は
めまいがしてきそうです。信頼できる良い方たちに支えられてこられたのだと思いますが、ご家族のご苦労も想像を絶するものがあったことでしょう。
浜田市長は、鉄輪生まれです。4歳の時にお父さんが亡くなり、食堂を営むお母さんに育てられたということを初めて知りました。大学卒業後は、商社マンと
して働いてこられましたが、お母さんがご病気になったのを機会に、別府に帰って教員になられました。浜田先生に育てられた教え子も多く、当日の司会はかつ
ての教え子の人たちでした。40歳の時に、教育界の代表として別府市議会議員に立候補され、見事トップ当選されました。
私は、その当時大学生で、別府には住んでいなかったのですが、父が一生懸命に応援していたことを覚えています。母も家族会の一員として「ゆふの会」に入り、炊き出しをしていたことを晩年懐かしく話していました。
別府市長になってからは、どこよりも早く「30人以下学級」を提案され、「県がやらなければ、別府の単独予算でやる!」と表明されていました。そんな市長がいる別府市の教育条件整備は羨ましいかぎりでした。
壮絶な出直し市長選挙も経験されていますが、そんなことを起こした方とは思えないほど、慈愛に満ちたお話を聞かせていただきました。鉄輪保育園の園児たちの鼓笛隊演奏も華を添えていました。
ただ、当日は、衆議院選挙の投票日。
壇上に上がって、祝辞を述べられた多くの首長や国会議員さんから言葉の火花がバチバチと飛び交っていて、「少し怖い」と感じました。
今年も残すところあと僅か。つたない「ときどき日記」を読んでいただいて本当にありがとうございました。
皆様どうぞ、良いお年をお迎えください。
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