ときどき日記


2014.12.17 現実を受け止め、諦めない
 
 
 月曜日の朝の寒さも、厳しかったですね。
 週の初めは、守永県議と一緒に、大分駅前で街頭宣伝活動をしています。
 僅か、30分なのですが、今週は、マイクを握る手の指はかじかみ、体がガタガタと寒さで、震えました。
 埼玉に住んでいる弟は、都内まで電車で通勤しています。毎朝、6時20分には家を出ると言っていましたが、彼も半端ではない寒さの中で生活しているんだと思うと可哀想に思いました。
 それ以上に、月曜日の苦しさは、衆議院選挙の結果でした。私が支援した人は、二人とも当選してほっとしました。しかし、自公で三分の二の議席数を取るといった結果に正直愕然としています。マスコミの調査結果は、みごとに当たったようです。
「選挙の大義がない」
「経済のことしか言わない」
「集団的自衛権のことは、争点にならないのか」
「原発再稼働を許すのか」等など
 様々なことが言われましたが、終わってしまえば、向こうの作戦勝ちだったのでしょう。小選挙区制の間違いも思います。
 投票率の低さが際立っていました。52,43パーセントと戦後最悪を記録してしまいました。
「選挙になんか行かない」
「誰に入れても世の中変わらない」
「政治に期待していない」
こんな言葉が、テレビから流れてきました。民主主義が成熟していない証拠なのかもしれません。私たちは、この現実を真摯に受け止め、みんなで政治を作り出 していくということをしっかりとやっていかなければならないと反省しています。決して諦めないし、福島のことも忘れません。
「ゆふわく」の代表がこんなことを言われました。「私たちは、勝ち組のワンマンショーを観ているつもりはない。」と
 
 
 12月14日に、別府の「浜田市長・36周年を祝う会」がビーコンプラザで行われました。

 

 会場には、1000人を超す人が集まっていました。浜田市長は、革新市長ですが、保守・革新を問わず参加されている方々を見て、人脈の厚さを感じました。
 別府市議会議員、大分県議会議員、そして別府市長とこれまで10回も選挙を闘ってこられました。その回数と36年と言う長い月日を想像するだけで、私は めまいがしてきそうです。信頼できる良い方たちに支えられてこられたのだと思いますが、ご家族のご苦労も想像を絶するものがあったことでしょう。
 
 浜田市長は、鉄輪生まれです。4歳の時にお父さんが亡くなり、食堂を営むお母さんに育てられたということを初めて知りました。大学卒業後は、商社マンと して働いてこられましたが、お母さんがご病気になったのを機会に、別府に帰って教員になられました。浜田先生に育てられた教え子も多く、当日の司会はかつ ての教え子の人たちでした。40歳の時に、教育界の代表として別府市議会議員に立候補され、見事トップ当選されました。
 私は、その当時大学生で、別府には住んでいなかったのですが、父が一生懸命に応援していたことを覚えています。母も家族会の一員として「ゆふの会」に入り、炊き出しをしていたことを晩年懐かしく話していました。
 
 別府市長になってからは、どこよりも早く「30人以下学級」を提案され、「県がやらなければ、別府の単独予算でやる!」と表明されていました。そんな市長がいる別府市の教育条件整備は羨ましいかぎりでした。
壮絶な出直し市長選挙も経験されていますが、そんなことを起こした方とは思えないほど、慈愛に満ちたお話を聞かせていただきました。鉄輪保育園の園児たちの鼓笛隊演奏も華を添えていました。
 
ただ、当日は、衆議院選挙の投票日。
壇上に上がって、祝辞を述べられた多くの首長や国会議員さんから言葉の火花がバチバチと飛び交っていて、「少し怖い」と感じました。
 
今年も残すところあと僅か。つたない「ときどき日記」を読んでいただいて本当にありがとうございました。
皆様どうぞ、良いお年をお迎えください。



2014.11.19 民意と政権のねじれの中で
 
 寒くなりましたね。いつも言うことですが、「あの夏の日々が懐かしい・・・」
 週の初めには、大分駅前で街頭宣伝をしています。集団的自衛権解釈変更を政府が認めた7月1日の翌週からです。僅か30分なのですが、今週は、話を終え て、議会に行っても、体が芯から冷えてしまっていてどうしようもありませんでした。それで、今年初めてのカイロを背中に貼りました。
 
 11月15日と16日に私の所属する「I(アイ)女性会議」の九州ブロックの大会が別府で行われました。アイの一つの意味は、私のI。もう一つの意味は愛なのだと思っています。
 私たち実行委員会は、僅か8人なのですが、九州各県からいらした平和や人権に長年取り組んでこられた活動家の方々をおもてなしし、講演会と分科会を準備 しました。高齢者の方で杖を使う方もいましたし、リュウマチで曲がった指先をした方もいました。弱そうに見える方々ですが、発言されると、びっくりするく らい的確な言葉が次々に出て来て、頭をガーンとぶたれたような気になります。
非正規で働く人の約7割は女性です。その背景や原因にしっかりと目を向けていかなければなりません。
 女性が働くことの意味、エンパワーメントを高めるということ、子どもたちに労働の意味をしっかりと学ばせる実践をしている報告には、頭が下がる思いでした。
高校生に労働教育をすることの大切さを 私は、ずっと唱えてきました。労働者としての義務だけではなく、権利もしっかり学んでいかなければ、突然の解雇や賃金未払い、パワハラやセクハラに苛(さいな)まれた時にどうしてよいのかわからないからです。
各県の実態を伺っていて、はっと気づきました。今の世の中、どんなに頑張っても、すべての子どもが正社員になれるわけではありません。公務員の世界でも、 1割以上が残念なことに非正規職員です。私たちは知らず知らずのうちに仕事に就くことはバラ色だと教えていたのかもしれない。もちろん夢を抱いて社会に出 て行ってほしいのですが、子どもたちの中に正規は立派で非正規はだめだと植えつけていたのではないかと不安になりました。
 大人社会でも、正規の人が非正規の人の実態を知り、つながっていかなければ世の中、よくなりません。
 

(アイ女性会議)

 講演会は、衆議院議員の「吉川はじめ」さんにお願いしました。
消費税分が社会保障費に使われていない実態、アベノミクスの失態と格差の拡大、イデオロギー尊重、安保法制懇メンバーの偏り・・・・・・・・・・・・・・・だから立憲主義を否定することにつながっているのではないかと考えました。


(吉川はじめさん)
 
 突然の解散です。
 大義はどこにあるのでしょうか。支持率が下がったことが不安なのでしょうか。だから郵政解散の時のように、消費税の是非を問うのでしょうか。
 それならば私は、多くの国民が心配している「特定秘密法の是非」を「集団的自衛権の是非」をそして「原発再稼働の是非」を問うていきたいと思います。


2014 10.29 子どもって
 
 先週の金曜日の朝のことです。車で移動していると、庄の原佐野線の横断歩道をリュックを背負った低学年集団の子どもたちが渡っていました。車の往来が激しい所です。先生方は、事故に遭わないように旗を振りながら一生懸命でした。もう、努力遠足の時期なんですね。
 
 このところ、子どもに関わる機会が多くって元気をもらっています。
 10月25日(土)

(チェチリア祭)

 尊敬する松永園長がいらっしゃる児童養護施設「光の園」に伺いました。
 毎年行われている「チェチリア祭」のご招待を受けていました。
 2階のホールは、幼児さんから高校生までの園の子どもたちと保母さん、「光の園」を支援していらっしゃる方々でいっぱいでした。ギター演奏では、T先生 の指導で練習してきた「RPG」と「ありのままで」が演奏されました。それぞれのパートを組み合わせて、うっとりさせられます。パネルシアターでは、「ド ロップスの歌」を私たちも歌いながら参加しました。ハンドベルの合奏もみごとでした。幼い子の踊る「妖怪ウォッチ」はあまりのかわいらしさに目が釘づけ。
 きっと指導者と一緒に懸命に練習してきたのだと思います。演奏前の緊張や照れくささが終わった途端に笑顔に変わる瞬間。練習ではうまくいかなかったところが、多くの応援の眼差しの中で、これまでの最高の出来に変わる。子どもの持つ底力を感じました。
 松永園長が言われました。「チェチリア祭は、感謝の会です。イエス様は言います。おのれのように人を愛しなさい。」「最も弱い人に合わせて・・・」は心に染み入りました。
 
 10月24日(金)
 雲一つない青空のもと、子ども・女性相談支援センターの中にある一時保護所でふれあい運動会がありました。
 保護所運動会も9回目です。以前に「一番小さな運動会」と綴ったことがありますが、今年は、総勢12人でした。当日の深夜に緊急入所した子どももいます。職員の中には寝ていない人もいるはずです。
所長さんの「保護所には、年間200人位の子どもたちが入ってきます。数日から数か月ここで過ごします。保護所の運動会は、1年に1度、今の時期しかあり ません。運動会に参加できたあなたたちは、運がいいんです。でも、来年は、地域の学校の運動会に参加しましょうね。」とユーモアあふれるあいさつで始まり ました。紅組と白組に分かれて、工夫を凝らした8種目に臨みました。5歳の子どもも6歳の子どももいます。最初は、何が何だかわからずに参加しています が、やっているうちに理解ができ、楽しくなっていく様子がわかります。ネグレクトで育っていたTちゃんは、「やったー!」と大声を出していました。


(一時保護所運動会2)

保護所職員のチームワークにはいつも胸が熱くなります。
地元の学校にいた時には、決して主役にはなれない子どもたちです。いろんなことを教えられていない子どもたちです。ほめられたことのない子どもたちです。 こんなに人に見守られたことのない子どもたちです。その子たちが、ケースワーカーと本課の子育て支援課の職員とボランティアの声援の中で、自分らしさを十 二分に発揮していました。
荒れていた子どもたちを支援しているY園長が「思春期になると軌道修正するのがとても難しいのです。」と教えてくれます。甘やかさなくても、ものを与えな くてもいいんです。ただ、少しだけ愛情をかけてあげる、認めてあげる環境さえあれば、子どもたちはまっすぐに伸びていく力をもっているのにと悔しくてなり ません。格差が広がっている大人社会の在り様が変わっていかなければならないと痛感します。
 
9月20日(土)

(二豊体育祭)

二豊学園の体育祭の日は、前日から降り続いた雨がまだ少し降っていました。「きっと竹中中学校の体育館を借りて行うんだろうなあ・・・。」と思って伺う と、運動場で準備が着々と進められていました。後から聞くと、子どもたちがどうしても外でやりたいと懇願したのだそうです。
全ての競技に子どもたちは出ずっぱりなのですが、日頃から野球とバトミントンで鍛えた心と体は雨も寒さも吹き飛ばします。
一番笑顔が見られたのは、出身校の先生と保護者の方との3人4脚。圧巻だったのは、組体操。組体操については、各地で事故が起き、訴訟問題にもなっていま す。後からそのことを学園長に伺うと「随分考えました。職員と話し合いました。けれども、二豊の子どもたちは、日頃から体幹を鍛えているので、他校の子ど もとは違います・・・・。」と教えられました。
以前の二豊学園の体育祭は、荒れていました。負けてしまった子が怒ったり、照れて、恰好をつけて、まじめに取り組めなかったり、他校に通うやんちゃな子た ちが囃し立てにきたりする場面も見られました。しかし、今は違います。地域の学校の体育祭と同じように行われていました。ここまで子どもの心を育て、信頼 関係を築き、職員のモチベーションを高く維持していくのは、日頃の地道な取り組みと情熱とコミュニケーションがあるからだとわかります。
二豊学園は、今年度の全国野球大会で優勝しています。ここにも本物の教育があると思いました。
 
 12年前のことですが、学校をやめる日の朝、「先生は、俺らと一緒に勉強するより何がしたいんか!」と叫んだ子どもがいました。そのKちゃんと12年ぶ りにゆっくりと会うことができました。Kちゃんは、中学を卒業してから8年間、同じ職場で働いています。通信教育で高校卒業の資格をとりました。そして 今、自分の目で世の中を見つめています。中学校の時には、やんちゃをして、お母さんはどれだけ学校に呼び出されたかわかりません。そのKちゃんが私の眼を 見て話を聞いていました。私に敬語で話してくれました。きっといろんな経験をしたのだと思います。きついこともたくさんあったと思います。いろんな人に巡 り合うことで成長したのだとわかります。23歳のKちゃんとの時間を想い出しながら、子どもが成長するには、長い時間がかかるのだと教えられた気がしまし た。
 
 
先日の報道で、「35人学級は効果がないので、40人学級に戻す」と財務省の来年度予算の方針が発表されていました。こういう考えの役人は、一人ひとりの子どもの学びや育ちを保障する考えが全くないのだとがっかりを通り越して、憤っています。


2014 10.6 教えるとは、希望を語ること
          学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
 
 上に書いたタイトルは、ルイ・アラゴンの詩の一説です。
 別府青山高校の正面玄関を入ったところに飾られています。
 私は、青山高校の7期生です。この詩の一説は、誰に教えられることもなく学生時代から、心のどこかにありました。今は、少女時代よりもずっと強く、私の中にあり、この言葉を反芻するたびに、勇気が凛凛と湧いてくるような気がしています。
 
 別府青山高校の50周年式典がビーコンプラザで催されました。
 県議会議長が、他の公務と重なり、出席できないということで、私は議長代理として出席させていただき、お預かりしたメッセージを代読しました。
 式典は、式次第に則り、50分で終了する型通りのもので、主催者のあいさつも来賓の祝辞もどうしても同じような内容が重なってしまいましたが、司会を受け持った生徒、生徒会長はともに女子高生でした。凛とした声やはつらつとした姿に元気をもらった気がしました。
式典の最後に生徒と教職員が立って、校歌を斉唱する場面がありました。壇上で隣に座っていらした知事に「先生、歌えるんでしょう?」と聞かれました。もち ろん覚えています。「でも、立っていいでしょうか?」とつぶやくと、浜田市長が「いいよ。平岩さん、歌いなさい!」と言ってくださり、私は、42年ぶりに 青高生と一緒に校歌を歌うことができました。
 
 青高の校歌の作詞は、仁木富美子先生です。作詞は、松尾栄一先生です。
 校歌の最後に「若き青山高校」と言うフレーズが何度も出てきます。そのフレーズになると、涙が出てきました。
 
昭和39年、女子高として出発した青高創立時から「自立した女性を育てたい」「明るく・強く・心温かい人間を育てたい」と体育館もプールもない、周りは、草ぼうぼうの荒れ地という、悪環境の中で、生徒を慈しみ導いてくださった先生方です。
 青山創立当時の先生方が、アラゴンの言葉そのままに、希望を語り続け、先輩方もその期待に懸命に応えながら、青山の校風は、創られていったのだと思います。
 私たちが入学したころは、当時としては日本一と言われた図書館がすでに完成していました。
 私は、毎日その図書館に浸り、福祉への道に進むことを決めました。
 
    
  夕方からは、場所を変えて、ホテルでの総会と懇親会。
 参加者は、111名と50年の歴史の割には、少なかったかもしれません。
7期生の仲間は、5名だけでした。1期生の大先輩方、14期生以降の男性陣、私たちよりずっと若い女性陣と様々でしたが、「これが同窓会なんだなあ。」としみじみ感じていました。


 
女子高として出発した別府青山高校は、昭和52年から男女共学になっています。そして、来年度の入学生は、別府商業高校と羽室台高校の3校が統合され、新しく別府翔青(しょうせい)高校となります。
 寂しいことですが、少子化の波から、逃れることはできませんでした。
 
 青山高校の歴史が、引き継がれていくことを願ってやみません。
 

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●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16  諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・
●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜