2011.11.25 ほっとしたこと、楽しかったこと
急に寒くなってしまいました。皆様お元気でしょうか。
先月、今月と富山、石川、長野、群馬、大阪へ仕事で出かけていました。「さぞや寒いだろうな。」と厚着をして、着替えも持って行きましたが、九州と変わらない温かさでした。「まだ温かいんだ。」と、体と頭が冬支度できていない状態のところにきて、この急激な変化にはついていけません。さらに温水器の調子が悪くなってしまいました。風呂自動は作動せす、シャワーもチョロチョロ状態で、困り果てていました。とりあえずの応急処置だけしていただいたのですが、いつ温水器のご機嫌が悪くなるかわかりません。
11月19日に、後援会の総会が行われました。
前日からかなりまとまった雨が降っていて「明日は、どうぞ晴れますように。」と祈るような気持ちで眠れない夜を過ごしました。
私は、かなりの晴女です。これまで大切な日に雨が降ったことは殆どありません。30年前の結婚式の時も、夜明けまで降り続いた雨は上がり、「招待した人に迷惑がかからなくて良かった。」と父が安堵していた姿を覚えています。
決して雨女ではない私の会なのに、結局、雨は降り続いてしまいました。
雨合羽を着た人たちが、駐車場係をしてくれました。早くから来て、お掃除をしてくださる方、受付をしてくださる方、机やいすを調達して、会場づくりを行い、ビデオ上映の準備をしてくれます。毎年のことながら感謝の気持ちでいっぱいになります。
参加者は、昨年よりもちょっぴり少なかったけれど、来てくださる方々のお顔は、知っている方ばかりです。お世話になりっぱなしの賀来の方々、元同僚や先輩方、教え子のお母さんやおばあちゃん。親せきのおじさんや妹の家族。・・・。養護学校で一緒に学んだM君は、バイクに乗って来てくれました。M君の濡れた背広をハンカチで拭きながら、なんだか胸が一杯になりました。
総会の最中に、会場のどこからか男性の声が聞こえてきました。何を言っているのか分かりませんでしたが、耳を澄ませて聴いていると、「マイクを使えばいいのに。」と言われています。広い会場ではなかったので、マイクの準備はしませんでした。男性は、お年をとってだんだん耳が聞こえにくくなっているHさんでした。何とか聞いていただこうと、Hさんの隣に立って、ご挨拶と県政報告をしました。話し終わると「聞こえたよ。」とにっこり。
総会は、議案の修正もなく、了承されました。最後にHさんが、「私に3分間だけください。」と言って、私のことを支える話をしてくださいました。
総会は、いつも飛び入りでもの申す方が出てきて、びっくりなのですが、これがまたユニークでもあり、嬉しくもあります。
総会後に、東北震災のボランティアに5月と11月に出かけたIさんに、スライドを使ってお話をしていただきました。Iさんの優しい話しぶりと体験談にみんな引き込まれていました。「この小学校は、海の近くにあります。子どもたちは、必死で山を駆け上がったそうです。眼下に自分のうちが流れていく様子をどんな気持ちで子どもたちは見ていたのでしょうか。」と現地の様子が生々しく伝えられました。「遠く離れた私たちにできることは限られています。でも、決して忘れないようにしたいです。」と言う言葉でまとめられたお話は、とても重く、そして大切なことを伝えていました。
Kさん手作りのゆずのマーマレードをいただきました。一つひとつ、パックに小分けされ、どれだけ手間をかけられたかがわかります。お手伝いしてくださったみなさんが、大喜びで持って帰ってくれました。
いつも感じていることですが、再度、思います。支えてくださる方々がいるからこそ、県議の仕事ができるのだと。
皆さん本当にありがとうございました。
「タイガースのコンサート行かない?」
私が言い出したことです。朝刊で、タイガースのコンサートが開かれる広告を見つけて、すぐさま高校時代の仲好し3人組に電話をかけました。親友たちは、「だって、ジュリー太ってるやろ。」「だめ、仕事がある。」と断ろうとするのに「ピーが出るんよ。サリーもタロウも一緒よ。」と説得して、承諾を取り、つれあいを頼りにチケットを買ってもらうことになりました。
11月23日、私たちの席は、前から10列目。最高の席です。
「立ち上がらないようにしようね。」と声をかけた友だちが、曲の始まりと同時に一番に立ちあがっていました。
40年前、私たちは、高校生でした。あの頃の女の子はみんなタイガースに夢中でした。別府でコンサートがあるものの、期末試験前で、外出は禁じられていました。コンサートに行ったなんてばれたら、謹慎処分ものです。
何とか一目だけでもいいから見たいと願った私たちは、どこから聞きつけたのか、別府駅にメンバーが到着する時刻を知りました。そして今か今かと列車の到着を待っていました。
目の前を、憧れの人たちが歩いていきます。私は、緊張して、彼らの後を追うことしかできませんでした。追っかけの人が「ピー大丈夫なの?」と聞いている声がしました。当時、解散説が出ていた時期です。
その後、タイガースは解散しました。ジュリーとトッポは、ソロとなり、タロウは、音楽プロデューサーの道に進み、サリーこと岸辺一徳は、名脇役の俳優として活躍しています。ドラムのピーだけは、芸能界から離れ、京都の定時制高校に帰りました。大学受験をし、慶応高校の中国語の教師として完全にファンの前から姿を消していました。
それから、40年です。ドラムをたたくピーは少しも変わっていませんでした。サリーの低い声は健在でした。ジュリーだけがものすごく太っていて、お化粧もピアスもせず、派手な衣装もなく、カリスマ性を出さずに、素のままの沢田研二がそこにいました。
花の首飾り、青い鳥、銀河のロマンス、シーサイドバウンド、廃墟のはと・・・次々に懐かしい曲が演奏されます。体を揺らし、リズムをとり、40年ぶりの曲なのにみんな口ずさむことができます。周りは、40代50代60代のおばさんとおじさんばかりです。
でも楽しかった。青春時代があって良かった。そう思いました。
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