2011.12.29 感謝

 急激な寒波が日本列島を襲っているようです。

 この冬の電力消費量5%カットを受けて、県議会では、「節電に関する決議文」を作りました。それに合わせて私も、「エアコンをできるだけ使わないようにしましょう。」といつも通りの生活をしていたら、また風邪をぶり返してしまいました。節電は、必要だけれど、お年寄りや小さな子どもたちや障がいを持っている方が、無理のない生活をすることができるように配慮しなければならないと、つくづく思っています。

 12月23日に我が団地で、しめ縄作りがありました。

 団地の中には、いろいろな特技を持っている方がいらっしゃいますが、Yさんは、しめ縄作りの名人です。毎年、その教室が開かれていて、今年で3回目になります。これまでずっと参加したかったけれど、日程が合わずに断念していました。

 500円玉(材料費)とペンチとはさみを持って、つれあいと参加しました。

会場となる公民館には、すでに名人の作ったしめ縄が置かれていました。「これができるの?私に?」と半信半疑で会が始まるのを待ちました。

 希望者は、26名。「わらがつくので、靴下を脱いでください。」と言われ、いよいよ作品作りの始まりです。手順を示すものは、何もありません。すべて名人の説明とやり方を真似てやっていきます。用意されたわらが中央に集められていました。しめ縄用のわらは、もち米のそれでなければならないのだと知りました。

はかまをとったわらを200本集めます。それを130本束と30本束を2つ、そして10本束に分けておきます。本体になるのは130本の束です。根元近くを針金で縛り、束をさらに3等分し、それぞれ左巻きにねじって三つ編みのように力いっぱい締めあげます。その時に、事前に用意したあんこ(わらの塊)を入れておくと、膨らみが出て、しめ縄らしくなります。残りの束は房にします。縄作りから始めなければならないので、全ての作業が初めてで思うようになりませんでした。高齢者の人たちは、わらを編むのが上手です。「昔は、わらぞうりを履いていたんだから・・・。」と言われ、納得。そんな人たちに手助けしてもらいながら、平岩家初のオリジナルしめ縄が出来上がりました。わらでけばだって格好の良くないしめ縄ですが、味のあるものになりました。

「後は、裏白とだいだいを自分で買って、28日までにつけてくださいよ。」

と、名人は言われました。Yさんは、このしめ縄作りの準備を1年かけてやってくださっています。頭が下がります。

 家の近くにガソリンスタンドがあります。私の車は、満タンにしても40リッター入りません。市外に出る時は、「ガソリン大丈夫かな?」と気になり、帰宅途中に入れることがたびたびでした。ガソリンスタンドには、若い人が何人も働いています。どんな時にも笑顔を絶やさず、「平岩さん、こんばんは!」と気持ちのいい挨拶をしてくれます。私は、この笑顔が大好きで、例えセルフが安くても、決して利用していませんでした。

 ガソリンスタンドの仕事は、外仕事です。ここ数年、猛暑続きでした。そんな中でお仕事をするのは、どんなにつらいことでしょう。木枯らしが吹く日、雪の舞い散る日も横殴りの雨の日も、彼らは、優しい笑顔で黙々と仕事を続けていました。揮発油で手や顔が焼け、女性にはさらに大変な労働だったと思います。若い人が、働く姿を見ることは、気持ちのいいものです。感謝の気持ちを伝えたくて、時々、アイスやお菓子を差し入れしました。彼らの姿から、年配の私は、大切なことをたくさんたくさん学んできました。

 そんないつも立ち寄りたくなるガソリンスタンドが、12月いっぱいで閉店することになりました。風の便りに、そんな噂を聞いてはいましたが、怖くて面と向かってたずねることができませんでした。実際にそう知らされた時、愕然としました。もう来年からあの笑顔に会えなくなると思うと淋しさがこみ上げてきます。「私、署名活動しようか。閉店しないでくださいって、住民運動を起こそうか?」とたずねてみたところ、いつもの優しい笑顔だけが返ってきました。

(いつもの笑顔が、逆光できれいに撮れずに残念!)

加藤石油の皆さん、12年間、本当にありがとうございました。お世話になりました。またどこかでお会いできる日が来ると信じています。

 今年も、たくさんの方々にお世話になりました。

 つたない「ときどき日記」を読んでくださって本当にありがとうございました。

 来る年が、皆様にとって良い年となりますように。


2011.12.10 師走に突入

 師走に入りました。

 このところ休みなく働いています。土、日は12時間労働で、少々ばて気味。

 そんな時、別府の母が風邪気味だと妹から連絡が入り、仕事のついでに食料を買い込んで、家に寄ってみました。久しぶりのおこたが気持ち良くて、(我が家にはこたつがありません)見舞いに行ったのに、いつの間にか眠ってしまいました。

 

 12月3日に「養護教員部九州ブロック研究大会」が杉乃井ホテルで開かれました。沖縄、長崎、佐賀、熊本、福岡、宮崎そして地元大分から総勢500人を超す、大学習会でした。

 大分の部長のAさんが、「居並ぶ役員が、シックなスーツを着ているのに、どうして私が赤を着ているのか。それは、勝負をするときは、赤だとみんなに発表しているからです!」と笑いを誘い、大喝さいを受けていました。部長の後にあいさつに立った私も偶然赤いスーツを着ていました。決して勝負服というわけではありません。皆さんの前に立った瞬間、大拍手でした。日頃、男性が多い中で仕事をしています。目の前にいる人は、みんな女性。嬉しくて涙が出そうでした。ジワーァときました。

 研究集会では、各県の状況が事前にまとめられていて、集中的に話が進められました。

 養護教員の配置率、未配置校の数、再任用者数、保健主事、主幹教諭、沖縄県では、養護教諭が校長になっています。福岡、熊本、長崎、鹿児島、沖縄の県では、教頭になっている事例もありました。

 集団予防接種、フッ素洗口、子宮けいがん予防ワクチンへの対策など、「子どものいのちと健康を守る」取り組みが次々に報告されました。アレルギーが強い子どもの発作時の命を守るエビペンが保険適用になり、学校現場で使用する場面が出てくることへの対応など、私の知りえなかった情報をたくさん学ばせていただきました。

 朝早く、自宅を出て、飛行機や列車や自動車で別府まで来られた人ばかりです。でも、こっくりこっくりしている人は、いません。

 夜の交流会でも、パワーをもらいました。

県教委は、教員採用汚職事件後、プロジェクト・チームを作り、原因の解明と教育改革の方向性を打ち出しました。3年前のことです。そのなかで、教職員の集団を「色濃い身内意識」と総括しました。その報告は、間違っています。「色濃い身内意識」ではなく、「心の通い合った連帯と絆で結ばれた仲間」だと思います。

 

 私が、学校に勤めていた時、保健室は私にとってオアシスでした。クラスの子どものこと、自分の体のこと、家族のこと、いろいろなことを聞いてもらいました。連携して子どもたちを育ててきました。悩みの相談もしました。

今、保健室はどうなっているでしょうか。

様々な体質を持つ子どもたちが増えています。特別な支援を要する子どもたちもいます。保健室登校の子どもも増えているでしょう。大規模校で二人配置が守られているでしょうか。極小規模校のため、資格を持たない教員が配置されているようなことはないでしょうか。

 多忙な中で、大分までやってきた九州の仲間たち。二日間の研究が充実した時間となりますように。そして、元気にオアシスへと帰っていくことができますように。と祈るような気持ちで私は、その会を見つめていました。

 

今年は、節電の関係で、どこもイルミネーションは控え目ですが、杉乃井ホテルのそれは、規模的にもすごいです。 杉乃井は、温泉の地熱を利用した自家発電なので、それができるのかもしれません。LEDも美しいのです。別府に行かれた時は、是非ご覧になってください。


2011.11.25  ほっとしたこと、楽しかったこと

 急に寒くなってしまいました。皆様お元気でしょうか。

先月、今月と富山、石川、長野、群馬、大阪へ仕事で出かけていました。「さぞや寒いだろうな。」と厚着をして、着替えも持って行きましたが、九州と変わらない温かさでした。「まだ温かいんだ。」と、体と頭が冬支度できていない状態のところにきて、この急激な変化にはついていけません。さらに温水器の調子が悪くなってしまいました。風呂自動は作動せす、シャワーもチョロチョロ状態で、困り果てていました。とりあえずの応急処置だけしていただいたのですが、いつ温水器のご機嫌が悪くなるかわかりません。

 11月19日に、後援会の総会が行われました。

 前日からかなりまとまった雨が降っていて「明日は、どうぞ晴れますように。」と祈るような気持ちで眠れない夜を過ごしました。

 私は、かなりの晴女です。これまで大切な日に雨が降ったことは殆どありません。30年前の結婚式の時も、夜明けまで降り続いた雨は上がり、「招待した人に迷惑がかからなくて良かった。」と父が安堵していた姿を覚えています。

 決して雨女ではない私の会なのに、結局、雨は降り続いてしまいました。

雨合羽を着た人たちが、駐車場係をしてくれました。早くから来て、お掃除をしてくださる方、受付をしてくださる方、机やいすを調達して、会場づくりを行い、ビデオ上映の準備をしてくれます。毎年のことながら感謝の気持ちでいっぱいになります。

 参加者は、昨年よりもちょっぴり少なかったけれど、来てくださる方々のお顔は、知っている方ばかりです。お世話になりっぱなしの賀来の方々、元同僚や先輩方、教え子のお母さんやおばあちゃん。親せきのおじさんや妹の家族。・・・。養護学校で一緒に学んだM君は、バイクに乗って来てくれました。M君の濡れた背広をハンカチで拭きながら、なんだか胸が一杯になりました。

 総会の最中に、会場のどこからか男性の声が聞こえてきました。何を言っているのか分かりませんでしたが、耳を澄ませて聴いていると、「マイクを使えばいいのに。」と言われています。広い会場ではなかったので、マイクの準備はしませんでした。男性は、お年をとってだんだん耳が聞こえにくくなっているHさんでした。何とか聞いていただこうと、Hさんの隣に立って、ご挨拶と県政報告をしました。話し終わると「聞こえたよ。」とにっこり。

 総会は、議案の修正もなく、了承されました。最後にHさんが、「私に3分間だけください。」と言って、私のことを支える話をしてくださいました。

 総会は、いつも飛び入りでもの申す方が出てきて、びっくりなのですが、これがまたユニークでもあり、嬉しくもあります。

 

 総会後に、東北震災のボランティアに5月と11月に出かけたIさんに、スライドを使ってお話をしていただきました。Iさんの優しい話しぶりと体験談にみんな引き込まれていました。「この小学校は、海の近くにあります。子どもたちは、必死で山を駆け上がったそうです。眼下に自分のうちが流れていく様子をどんな気持ちで子どもたちは見ていたのでしょうか。」と現地の様子が生々しく伝えられました。「遠く離れた私たちにできることは限られています。でも、決して忘れないようにしたいです。」と言う言葉でまとめられたお話は、とても重く、そして大切なことを伝えていました。

 Kさん手作りのゆずのマーマレードをいただきました。一つひとつ、パックに小分けされ、どれだけ手間をかけられたかがわかります。お手伝いしてくださったみなさんが、大喜びで持って帰ってくれました。

 いつも感じていることですが、再度、思います。支えてくださる方々がいるからこそ、県議の仕事ができるのだと。

 皆さん本当にありがとうございました。

 「タイガースのコンサート行かない?」

 私が言い出したことです。朝刊で、タイガースのコンサートが開かれる広告を見つけて、すぐさま高校時代の仲好し3人組に電話をかけました。親友たちは、「だって、ジュリー太ってるやろ。」「だめ、仕事がある。」と断ろうとするのに「ピーが出るんよ。サリーもタロウも一緒よ。」と説得して、承諾を取り、つれあいを頼りにチケットを買ってもらうことになりました。

 11月23日、私たちの席は、前から10列目。最高の席です。

「立ち上がらないようにしようね。」と声をかけた友だちが、曲の始まりと同時に一番に立ちあがっていました。

 40年前、私たちは、高校生でした。あの頃の女の子はみんなタイガースに夢中でした。別府でコンサートがあるものの、期末試験前で、外出は禁じられていました。コンサートに行ったなんてばれたら、謹慎処分ものです。

 何とか一目だけでもいいから見たいと願った私たちは、どこから聞きつけたのか、別府駅にメンバーが到着する時刻を知りました。そして今か今かと列車の到着を待っていました。

目の前を、憧れの人たちが歩いていきます。私は、緊張して、彼らの後を追うことしかできませんでした。追っかけの人が「ピー大丈夫なの?」と聞いている声がしました。当時、解散説が出ていた時期です。

 その後、タイガースは解散しました。ジュリーとトッポは、ソロとなり、タロウは、音楽プロデューサーの道に進み、サリーこと岸辺一徳は、名脇役の俳優として活躍しています。ドラムのピーだけは、芸能界から離れ、京都の定時制高校に帰りました。大学受験をし、慶応高校の中国語の教師として完全にファンの前から姿を消していました。

 それから、40年です。ドラムをたたくピーは少しも変わっていませんでした。サリーの低い声は健在でした。ジュリーだけがものすごく太っていて、お化粧もピアスもせず、派手な衣装もなく、カリスマ性を出さずに、素のままの沢田研二がそこにいました。

 花の首飾り、青い鳥、銀河のロマンス、シーサイドバウンド、廃墟のはと・・・次々に懐かしい曲が演奏されます。体を揺らし、リズムをとり、40年ぶりの曲なのにみんな口ずさむことができます。周りは、40代50代60代のおばさんとおじさんばかりです。

でも楽しかった。青春時代があって良かった。そう思いました。


2011.11.16 カーネーションがおもしろい

 「ホームページあんまり更新していませんね。」

と、同僚のH議員に言われてしまいました。そうなのです。痛いところをつかれて、声も出ませんでした。ブログのように毎日書くわけでもなく、ときどきと銘打っているところに甘えて、これまでファジーに綴ってきました。しかし、「ときどき日記」を読んでくださる方は、きっと、開いたものの更新されていなくて「なあんだ。」とがっかりして閉じてしまわれるのではないかしら・・・と申し訳なく思っています。

 私は、書き出すと、原稿用紙4枚くらいすぐに書いてしまうのですが、書くまでに時間がかかってしまう性質です。まとまったものをきちんと書こうとするので、心が落ち着いていなければ書けません。今期は、仕事に追われ、ゆっくりパソコンの前に座ることも少なく、メールをチェックすることで精いっぱいでした。

 でも、それは言い訳ですね。反省しています。これからは、10日に1度は綴ろうと自分に言い聞かせています。

 11月12日に大分県教育研究集会が上野丘高校を中心に開かれました。

 朝日新聞の伊藤千尋さんが、記念講演をしてくださいました。

 話は「日本の常識は世界の非常識」という内容で始まりました。

原発で汚染された福島での運動会の様子も紹介されました。僅か2時間の運動会。玉入れも綱引きもない運動会。かけっこで走り込んでもゴールした子どもたちは、グランドには座れないのだそうです。土壌が汚染されているから。それ以上に驚いたことは、子どもたちが走りながら転ぶのだそうです。それはずっと外遊びをしていないから。子どもたちは、青白くぶよぶよとしているのだそうです。その話を聞いて、胸が締め付けられる思いでした。何とかしなければいけないと考え続けています。

会計検査院が発表した「高速増殖炉もんじゅ」の総事業費は1兆円を超える

という記事を読んで、腹を立てています。再生可能自然エネルギーは、小水力にしても、地熱発電にしても、太陽光パネルにしても、火力発電にしても決してそんなにはかかりません。今こそ、失敗から学び、日本人は、安全に生活をする権利を主張すべきではないでしょうか。

 突然ですが、

今、カーネーションに夢中です。花のカーネーションは好きではありませんが、NHKの朝の連続ドラマの「カーネーション」のことです。

 前回の「おひさま」が終了して、「カーネーション」へとすぐに気持ちがシフトしませんでした。何気なく見ていて、小原糸子(おはらいとこ)役の子役の体当たりの演技にびっくりしました。

舞台は、大阪岸和田。だんじりに乗りたいけれど、女だから乗れない呉服屋の長女の糸子は、ミシンにめぐり合います。あっぱっぱを作ることに夢中になり、女学校を中退してまで、洋服づくりに励みます。思い込んだらどんなことにでも突き進む女の子の物語です。デザイナーのコシノジュンコさんのお母さんの物語です。

 時代背景が、大正から昭和に移り、今は、昭和8年。私の母が1歳の頃が舞台になっています。

 わきを固めるベテランがまた素晴らしい。生粋の大阪人のおばあちゃん役は、かしまし娘の正司照枝さん。神戸のお嬢様がなぜか駆け落ちして売れない呉服屋のお母さんに。麻生祐未さん。そののほほんとした演技はドラマの潤滑油です。お父さん役の小林薫はどろくさく渋い演技が光ります。

 「女だから、女のくせに」が当たり前の時代に、自分の夢ややりたいことにまっしぐらの糸子の姿に視聴者は、自分の気持ちを重ねてあわせてしまうのだと思います。

 椎名林檎の主題歌に合わせてだんじりに見立てたミシンの周りを、主人公を想わせるフィギアの人形が動きだすと、私は、テレビの前から離れられなくなります。

 今日から大阪に出張です。大阪の人に「カーネーション好きですか。」とたずねてみようと考えています。

 「日本の常識は、世界の非常識」

ものはなかった時代。とてつもなく不便だった時代。でも、今より心はずっと解き放たれ、隣近所の人々との心は通い合い、のびのびと生きていられた時代が、僅か70年前に確実に存在していたことを思い知らされています。


2011.10.27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください

 急に寒くなりました。昨日は、日田まで監査の仕事で行って来ましたが、ほんの少しだけ湯布山の中腹が色づいていました。

 先週の21日に「震災がれきの受け入れ問題」について学習会を持ちました。

ひどい雨にもかかわらず、市民の方やマスコミの方にも参加していただきました。感謝申し上げます。中地先生の話を聞けば聞くほど、放射能を浴びたかもしれない廃棄物を他に移動させることの恐ろしさを感じました。

 環境省からの依頼で受け入れ自治体の調査が来ていましたが、結果として、大分県では、全ての自治体で受け入れはできないという結論が出ています。

現在のところ、東北地方の一部と東京都だけが受け入れを決めているようです。

 全国で生じる一般廃棄物の約半分にあたる推定2260万トンというがれきの行先が決まりません。

 学習会の前に「チェルノブイリ・ハート」の上映会が行われました。福島県から宇目町に避難しているお母さんの自主上映です。この映画は、アカデミー賞のドキュメンタリー部門で最優秀賞を与えられた作品です。61分ありました。

1986年、旧ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発事故により、放射性物質がウクライナ、ベラルーシ、ロシアを汚染しました。現在もなお、原発から半径30キロ以内の居住は禁止されています。北東350キロ以内に「ホット・ゾーン」と呼ばれる高濃度汚染地域が100か所以上も点在しています。そこでは、農業や畜産業をすることが禁止されています。

映画は、チェルノブイリの原発事故から16年後の2002年、ベラルーシ共和国で放射能を浴びた子どもたちが成長した後を描いています。甲状せんがんがあまりに多く発症しています。内部被ばくをした子どもたちが大人になり子どもを産んでいくのですが、生まれてくる子どもたちの多くに「障がい」があり、奇形が出てきたり、心臓に穴があいていたりしています。生まれてきた子どもたちが親に捨てられ、孤児院や精神病院に預けられている姿も赤裸々に映し出しています。あまりの衝撃に声が出ませんでした。

そして、その日からずっと考えています。

 日本中の多くの人にこの映画を見て欲しい。福島が、チェルノブイリのようになる前に。そうすれば、私たち大人がこれから何をすべきで何をしてはならないかがすぐに理解できるのではないかしらと。大分でもシネマ5でこれから上映があるようです。是非見てください。

 23日には、脱原発の集会が行われました。日曜日のジャングル公園には、県下から2000人の人が集まりました。

 福島県の方が来て報告をしてくれました。そして以下のような話をされました。

・福島原発の放射能も拡がっている。

・東京でも同じように拡がっている。

・南相馬市では、5.6月よりも放射線量が高くなっている。

・大量に降って来たものが県内に移動している。

・福島の人口がおよそ3万人減っている。(住民票を移した人の数のみ)

・観光面では、修学旅行も含め、昨年の1/10になっている。

・800平方キロメートルがチェルノブイリと同じ基準で住めない。

・子どもたち(幼〜高)は11918人県外に転校している。

・幼い子どもを連れて、母親だけが避難しているケースが多い。(父親は残る)

・「政府は何ら問題がない」と言うけれど、誰がどこまで確証があるのか。

・除染ではなく、移染でしかない。

・プルトニウムも飛んでいた。ストロンチウムも飛んでいた。

・健康に関しては闇に置かれている。

・子どもたち、これから子どもを産む女性たちの未来が見えない。

 政府もマスコミも本当に必要な情報をもっともっと出すべきだと思います。

ずっと聞いてきた、御用学者の言う「ただちに健康に被害が出る量ではない。」

という言葉に腹が立ってなりません。

 今夜、ミュージカル「アトム」(わらび座)を観てきました。

 人が必ず持っているはずの心を考えさせられました。暴力や支配では何も良くはならない。解決にはならないと教えられた気がしました。


2011.10.16 気になること

 3週間前から右目が痛くてかゆくて、逆まつ毛かしらと思いながらいけないとわかっていつつも触ってしまいます。いつの間にか目の周りが赤く腫れてしまいました。目薬をさしたり抗生物質を塗ったりして(絶対いけないことですが)腫れは治まり、痛みもなくなったのですが、目頭のところに小さな固まりができていました。会う人みんなに「目のところどうしたん?」とたずねられるので、きっと変なのでしょう。つれあいは「いぼになったらどうするん?早く病院に行け!」と言うのですが、病院は3連休でした。今週は忙しく病院が空いている時間内には、帰れそうにありません。「60も近くなったんだから少々見た目がおかしくても・・・」と思ったり「だんだん小さくなっているような気がするし」と思えたりでぐずぐずしています。

 私の国民健康保険料は、年額80万円くらいです。1年間に病院に行くことは殆どありません。ちょっと変!と思いつつも「国民皆保険で相互扶助なのだから」と自分に言い聞かせています。どういうわけだか皮膚科にだけかかります。今年の春、足の小指に豆ができて歩くことが辛くなって以来です。本当は、眼科が良いのでしょうが、ものすごく混んでいるような気がします。内科と循環器科と皮膚科が一緒になった駅の近くの医院が目下のところ私の主治医です。

 おかしいなあ。気になるなあ。ということを今日は綴ります。

ギリシャの財政危機

 私は、財政に明るいわけではありませんが、ギリシャに端を発した欧州の財政危機がとても気になります。2009年の政権交代で、隠されていた政府の借金が明るみに出ました。小さな政府が国債を発行し、借りてきたお金を返せないデフォルト(債務不履行)の懸念が日増しに高まっています。フランス・ベルギーの大手金融機関デクシアが破たんをしました。新聞には、「十分な額の資本注入を」と社説で書かれています。

 ユーロ圏に入ることは、強いことだと思っていました。私がヨーロッパに行った時、1ユーロは135円くらいでした。今、1ユーロは100円を切りそうです。ギリシャに見切りをつけて国を出ようとする若者が絶えないと報じられています。同じユーロ圏であるスロバキヤの国民所得は、ギリシャよりもずっと低く「どうして苦しい生活をしている私たちが、ぜいたくをしているギリシャを支援しなければならないのか。」と怒りを持っています。

 強いと思っていたユーロの先行きとそれぞれの国の行く末が気になってしょうがありません。日本のバブル崩壊後の金融危機のようにならなければ良いけれど・・・と思っています。

原発の危険

 福島第一原発の事故で放射能汚染された地域の除染作業は続いています。国や東京電力がどこよりも早く取組まなければならないことなのに、あまりの遅さに子どもを抱える保護者の方々や保育園で、地表のはぎ取りや水を流しての除染の様子が報道でも伝えられています。

 そういうことで効果があるのか疑問です。チェルノブイリの事故を振り返る時、人が入ってはならない地域はもっと広範囲に及ぶと思っています。

 誰しもふるさとに対する愛着があります。ましてや、何もしていない。何も悪いことをしていない人たちがどうして土地を離れなければならないのか。と憤りを通り越して、持って生き場のない悲しみを感じるのですが、政府は、はっきりとその危険性を指摘するべきではないか。と思います。

 チェルノブイリの後、子どもたちの間に甲状腺の異常がたくさん見つかりました。子どもは、新陳代謝が活発なので、どうしても甲状腺に溜まってしまうのです。甲状腺がんや白血病にかかる子どもたちが多発した現実を私たち大人は知っています。今は、子どもたちを守るべき行動を促すべきではないでしょうか。命が大事と福島を離れている家族が大勢います。経済的裏打ちがなければできません。みんな決して楽ではない生活を強いられているでしょうが、逃げたくても逃げられない人もいます。シングルマザーの人たちは、生活に追われ、不安を抱えながらそこにとどまることしかできません。国が本当に子どもたちの将来を考えるのなら、国と東電が安全に住む場所と生活への支援をまず一番にすべきだと思います。

 震災がれきの問題があります。最初がれきの受け入れに手を挙げた自治体も、放射能が検出されてからは、住民の反対運動が起こり、手つかずのままになっています。どこに持っていけばよいのでしょう。

 県民クラブでは、震災がれきの処理問題について下記の日程で学習会を開きます。

 お時間のある方は、一緒に考えてみませんか。

「震災がれき受け入れ問題」


・と き:10月21日(金) 18:30〜

・ところ:大分市「アイネス」2F小会議室

・主 催:大分県議会 県民クラブ


・講 師:中地 重春さん   熊本学園大学 教授

・参加は無料です