2007.9.23 大事なものを忘れないで
議会でファックスを送ろうとしていた時のことです。日付を見て「あっ!」と声を出していました。「9月12日? 今日は、9月12日!」つれあいの53歳の誕生日でした。それだというのに私ときたら、朝出かけに「今夜は?」とたずねられた時、「早く帰った方が、お米を3合とぐ。」と資源ごみの片づけをしながら答えていました。二人きりで、お互い仕事を抱えている我が家では、毎朝、その日の夕飯はどうするのかということを確認しています。つれあいは(わかった)という顔をして出かけました。
罪悪感を覚えながら、今夜だけは先に帰っていよう。そう決心をし、仕事をそそくさと終え、ブルネンさんに一番小さい誕生日の丸いチョコレートケーキとろうそくを頼みました。お肉屋さんで奮発してステーキを2枚さいころにカットしてもらい、私が3合のお米をとぎました。
帰ってきたつれあいに「誕生日のこと覚えてた?」と聞くと「そりゃあ自分の誕生日だから・・・」と言われました。
結婚して26年。一度も忘れたことがなかったのにかなり落ち込みました。
ろうそくのついた丸いケーキなんて久しぶりです。恥ずかしかったけれどハッピバースデーを歌ってあげました。つれあいも恥ずかしそうに急いでろうそくの火を吹き消しました。
誕生日も忘れるほど2期目は忙しいと実感しています。いろいろな人に声を掛けていただき仕事がきます。自分で出かけていきたいところもいくつもあって一週間があっという間に過ぎてしまいます。大事なことまで忘れていませんかと自分に問いかけています。
政局の方は、福田か麻生かと新聞もテレビも週刊誌も賑やかです。どちらでも良いです。真に国民のために仕事をしてくれる人なら。
安部総理は入院しています。「美しい国」「戦後レジュームからの脱却」と華々しく掲げて出てきた割には、もう「再チャレンジ」する気力もなくなってしまったのでしょうか。それならもう少し早くやめて欲しかった。数の論理で会期を延長してまで強行採決した数々の悪法だけが残されました。そのことが無念でなりません。
昨晩、大分中央高校の運動会に参加しました。中央高校は定時制です。大分商業高校に隣接しグランドは共有しています。昼間働いている生徒がほとんどだそうです。卒業するまで4年かかります。広いグランドには、89名の生徒と教職員、応援に来た家族の人もいました。誰が先生で誰が応援団でどの人が生徒かわかりにくいことが素敵でした。赤ちゃんを抱いて応援している女性がいました。きっと生徒の中にはお父さん高校生もいたのでしょう。
ばっちりお化粧している人、茶髪も薄い人から濃い人まで様々です。ガソリンスタンドで仕事をしてつなぎの服のまま参加している若者もいました。
私は、広いグランドの真ん中でみんなの笑い顔に魅了されていました。若い人が思いっきり走っている姿は何よりも美しいと感じました。議会の中で、神経をすり減らしている自分がとても小さく思えました。
ときどき日記をやっと自分で立ち上げました。この一月、更新していないことに失望されている方もいたかもしれません。すみませんでした。高倉さんのお力をお借りして何とか前に進めそうです。また、宜しくお願いいたします。
我が家の裏にできた植物は、うりでした。立派な黄色のうりができました。
写真を撮ったのにどこにも記録されていなくてお見せできないのが残念です。
2007.8.22 不器用に、でも誠実に
お盆は過ぎたのにまだまだ暑い日が続いています。皆様お元気でいらっしゃいますか。地震のあった柏崎の方々は、体育館の中で仮設住宅にも入れず、どれだけ厳しい生活を強いられている事かと胸が痛くなります。甲子園の球児たちの熱戦はすごいです。
私は、9ヶ月間、選挙以外系統性も無く目の前の仕事に追われてきました。
初盆をやっと終え、これから2期目の仕事に本格的に取り組むつもりでいます。
2期目の本格的な始まりと同時につらい別れが待っていました。
議員になる直前から、4年8ヵ月もの間、ホームページの管理や後援会便りは「NY企画」の脇元さんと優秀なスタッフの洋子さんに支えてもらってきました。
私が思いのままに綴った文章にはいつも適切なタイトルがつけられていました。ある時は「平岩純子はこんな乱暴な誤解を生むような文を書いちゃいけない。」と叱られ、何度か書き直しをしました。「いいねえ。」と誉めてもらえると天にも上る気分でした。自己満足ではいけない簡潔な文を書く事の大切さを教えられました。デジカメからCDに取りこむ作業を一つひとつ根気強く教えてくれました。
仕事から外れ、シネマ5で上映中の映画の事、作家の事、政治の事、家族の事、おいしい手作りの「冷や汁」も御馳走になりました。いつの間にか「NY企画」に行くことが私の密(ひそ)かな楽しみになっていました。恐ろしくて不安ばかりの4年8ヵ月、人前では見せられない涙を素直に流したのも二人の前だけでした。
私にとってはかけがえのないお二人が、今年の夏で仕事を閉じられます。片腕をもぎ取られるような尋常ではない状態です。心の中にぽっかりと穴が空(あ)きそうです。でも人にはそれぞれの人生があります。私を置いて行かないでと片隅で泣きそうになりながら、感謝のなかでお別れをしなければなりません。
甘えてはいけないと自分に言い聞かせています。教えてもらったことをこれからは自分の力でやっていかなければなりません。
原点に戻ろうと考えています。
1年間で私が受け取る文章は、優に私の背丈を越えています。これだけの情報を全部頭の中に入れる事が出来たら相当見栄えのする優秀な議員になれるかもしれません。でも要領良く生きる事はできません。自分の頭で考える。自分の言葉で思いを伝える。情報だけに頼らず自分の目で確かめたことを最優先させて行動していこうと思います。
残暑は続きますがどうぞ皆様お元気でいてください。どこかで出会ったら声をかけてください。
2007.8.6 「いのちが一番」いつまでも
いつも買い物に行くスーパーの入口にお仏壇に供えるお菓子がいっぱい並べられています。それを見るたびに「ごめんなさい。まだ初盆の準備はできません。お母さん許して。」と心の中でつぶやき、できるだけ目に入れないようにしています。
参議院の選挙でいろんなことがとんでしまっていました。とりわけ7月27日は夏のボーナス一括で引き落としだったのに、気づいたのは7月31日でした。焦(あせ)る事しきりです。
結局私は、自分の選挙も含めて9ヶ月間選挙をしたことになります。体重計に乗ると4キロ痩(や)せていました。
選挙の車輛には4日間乗りましたが、暑い時期の選挙の厳しさを知りました。どんなに日焼け止めクリームを塗っていてもじりじりと焼けそうでした。グリルの中で焼かれる魚はこんな風なんだろうかと思いました。
7月20日の事です。私より先に出勤したつれあいから直ぐに電話がかかりました。「いのちが一番ののぼりを持った人が医大の前で頭を下げているよ。」
すぐに行って見ました。天心堂へつぎ病院の関係者の方が、たった3人で行き交う車に深深と頭を下げています。その内の二人は白衣を着ていました。私も一緒に参加しました。「声を出しましょう。手を振りましょう。」
1時間行動して別れる時にこう言われました。「わたしたちは、どうしていいのかわかりません。でも、何かをしていなければたまらないのです。もっと早くこんなことを続けていれば良かった…」その真剣な眼差しを見ていて胸が一杯になりました。
そして、絶対に勝たせたい。選挙なんてしたことがないこの人達がこんなに頑張っている。この人達にやったあという気持ちを味合わせてあげたいそう思いました。
残り9日間を歯を食いしばって頑張りましたが、結果は厳しいものでした。今でもあの時の光景を思い出します。
我が家の裏は車の入らない買い物道路です。市が植えた生垣の間に少しだけスペースがあります。アマリリスと千両を勝手に植えているのですが、今日見てびっくり。つる性の植物が葉を広げています。先には黄色い花が咲き、花が枯れた後には小さな黄緑色をした実がいくつもついています。かぼちゃではない。にがうりでもない。一体何なんだ? 1月前には、姿形はありませんでした。私が選挙に明け暮れている間に誰かが植えたのでしょうか。鳥が運んできたのでしょうか。これから夏の間、観察することにします。
我が家のコッピーちゃんのことは、随分以前に書きました。その中の一匹がおかしな動きをし始めました。じっとしているかと思うと動く。水面で横たわる。いつもの動きと違い苦しそうです。コッピーの寿命は大体2年だそうですがもう4年生きています。そろそろ限界? 不安がよぎります。夜、小さなビンに入れて隔離しました。そしてわたしたちはお別れの覚悟をしました。
次の朝、ふにゃふにゃしていたコッピーは、また元気に泳いでいます。水の中には大きな糞のようなものが浮いていました。便秘だったの?
3匹はまたサラダボールの中で自由に動き回っています。
「いのちが一番」そっと心の中でつぶやきました。
私は、少し仮面うつ状態でした。でも、女性部の学習会で元気をもらいました。
皆様もどうぞこの暑さに負けないでください。
2007.7.5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
最近、よく夢を見ます。
私は、フロイドの深層心理学を信じています。おとといの夢には、唐十郎が出てきました。学生の頃、状況劇場の紅テントに夢中になったことがあります。李礼仙(りれいせん)不破万作 小林薫 根津甚八の姿は未だに目に焼きついていますし、台詞も所々言えます。開演前、長い列を作って待っている横で未だ小学校にも行かない幼い大鶴義丹が犬と遊んでいました。この夢は、今の生活に満足していなくて昔を懐かしんでいる自分がいるせいかもしれません。
昨日は、こともあろうに社会保険庁長官が出てきました。つかみどころがなく、冷たそうでそのくせ不思議な声を出す村瀬長官と、夢の中で、私は話をしていました。
きっと年金のことがあったからだと思います。10年前の基礎年金番号制から宙に浮いた5000万件以上の年金記録。人前でお話をする機会が多いので「自分の年金がどうなっているのか知っていなければならない」そう思っていました。私は、厚生年金、共済年金、そして今は、国民年金と渡り歩いています。さらに結婚して姓が変わり、家も3回転居しています。「社会保険事務所に行ってみよう!」と思い立ちました。きっと長い時間待たされるだろうからと本を1冊持ち、甥っ子に手紙も書こう、学習会の下準備もしようと袋いっぱい持って出かけました。
13時ジャスト。1つだけ空いた駐車スペースにうまく入り込め、入り口へ。正面カウンターには女性が二人いて「いらっしゃいませ。今日は、どういったご用件でしょうか?」と優しく尋ねられました。私がたどたどしく話しただけでさっと用件を理解してくれ、「この番号札をお持ちになって、こことここに記入してお待ちになってください」
流れに沿って進み、いすにかけました。番号札は850番でした。朝から849人が訪れたのでしょうか。目の前のカウンターでは、若い女性を相手に定年前くらいの事務所の男性が笑顔を絶やさず、物分りよさそうに話していました。待つこと15分。850番の番号札を持った私が呼ばれ、若い女性の職員さんが話を聞いてくれました。コンピューターですぐに照合し、僅か10分で終了しました。結果は、臨時講師だった時の2月分が統合されていませんでした。
年金は480月かけなければなりません。まだまだです。
私が社会保険事務所を訪れた日は、期末勤勉手当所謂ボーナスが支払われた日です。村瀬長官はテレビで270万円の全額返納をする。職員も全員自己申告で返納して欲しいと訴えていました。夢を見たのは、そのことが頭の片隅にあって離れなかったからだと思っています。
何の脈絡もなく話が変わりますが、鉢植えをいただくことがあります。蘭の花はどうしても次の年に花を咲かせることができませんでした。
寒い頃に頂いた胡蝶蘭(こちょうらん)が、ぽろぽろと花を散らしている時に、団地に住む蘭の名人がたまたまうちに来られました。一目見て「ひどい!」
花屋さんは見栄えを良くするためにいくつもの蘭の株を小さなビニールカップに押し込み、きれいな植木鉢にそれらを押し込み、その上を水草で覆っています。本当は風通しの良い素焼きの鉢が最適なのですが見栄えがよくないのでそれは使いません。上ではきれいな花が咲いていますが、根っこは窮屈で死にそうな状態なのだそうです。そもそも蘭は熱帯地方の着床花で、木の枝に着きます。空気中の水分を吸って生きている花なのに素人の私は、枯れてはいけないと表面が乾くと水をやり続けていました。
蘭の先生の所で、胡蝶蘭の大手術をしました。しかし、根はみんな死んでいました。
しばらくして今度は、デンドロデュームをいただきました。今度は死なせてはなりません。早速先生に診てもらい、すぐに植木鉢から出してビニールを取り除き、根が呼吸できるように植え替えをしました。先生曰く「7月10日までは花を楽しんでください。それ以後は、根のために花を切って花瓶で楽しんでください。」デンドロは、高温を好むので今年の夏を我が家で過ごしたら、先生の温室に入院させます。そして来年も花を咲かせることができればと願っています。
花屋さんに見事に飾られている蘭を見るたびに、根っこがどんなにぎゅうぎゅう詰めで苦しがっていることかしらとつらくなります。花も人間と同じようにいのちがあります。一番生きやすい方法を知らなければなりません。
いよいよ参議院選挙です。私は「いのちが一番」でがんばります。