2008.3.16 いつまでも見守りたい子どもたち

朝、庭に目をやると、芝生のあちこちで土が盛り上っています。どうして?としばらく考えてわかりました。小鳥が来てえさを啄(つい)ばんだのです。そう言えば2,3日前にも花壇の中にすずめが2羽入って、無心にえさを探していました。暦どおりの啓蟄(けいちつ)なんだなあ。やっと春が来たなあと実感しています。

毎週届けられる「佐藤ファーム」の有機野菜もほうれん草や小松菜・春菊・青梗菜(チンゲンサイ)・白菜と茎物野菜がおいしくなってきました。佐藤ファームでは、堆肥作りと土作りを徹底していて、ミネラルが豊富なほこほこした畑で育った野菜のうまさは絶品です。この前、トマトを食べていてそのおいしさにおもわず唸ってしまいました。銀座の「坐来」(ざらい)や博多の「チューリップ」にも出荷されているそうです。高級料理店で使われるのと同じ食材が毎週1500円くらいで手に入るのですから「私たちは、幸せだよね。」とつれあいと話しています。もし、ご希望の方がいらっしゃったらいつでもご紹介します。ご連絡ください。

食料自給率が40パーセントを切ってしまった日本では、外国産に頼らなければ生きていけない状況です。

殺虫剤混入の中国産餃子のニュースで、中国の農場では素手で農薬を散布している様子がこれでもかこれでもかとテレビから流れていました。

国民のいのちと財産を守るはずの海上自衛艦「あたご」は、民間人のいのちを海のもずくへと消しました。

日本で無罪が確定したロス事件は、アメリカで有罪として扱われ、三浦被告は逮捕されました。

沖縄では、またしても、女子中学生が米海兵隊員に暴行され、アメリカは何のために日本に駐留しているのか。と憤っています。

食の安全も司法も外交も日米地位協定も足元から崩れ、経済大国と謳われながらこれほどまでに危うい国が世界中にあるかしらと思ってしまいます。

3月に、2つの卒業式に出席しました。

ひとつは、大分中央高校です。中央高校は、定時制です。4年間、昼間働き、夜学んだ若者が、14名卒業しました。広い体育館の真ん中での小さな式でした。でも、手づくりで心温まる卒業式でした。私が想像する以上の困難や厳しさがあったでしょう。凛とし、時折涙する姿から頑張りとおした若者と彼らを支え続けた保護者や教職員や雇用主、職場の方々の思いも伝わってきました。きっとこの人たちは、社会に出てもちょっとやそっとのことではへこたれない人に成長しているのだろうなあと実感しました。

もうひとつは、稙田西中学校の卒業式です。卒業生とは、小学校1、2年で担任をさせてもらいました。3、4年の時は、算数を一緒に勉強しました。何よりも誰よりも大切にしてきた子どもたちです。この子たちのためにがんばらなければと、懸命に仕事をしてきたのに、5年生の時には、県下で初めての学力テストを受けなければなりませんでした。そして今年、公立高校の普通科全県一区も彼らが初めての受験生となりました。(平岩純子、お前はいったい何をしてきたんだ。)と自分を責める日々でした。

私の前を一人ひとりが礼をして壇上に上がっていきました。(机の下にもぐりこんですねているのを引っ張り出したね。プールで冷感じんましんが出たときは、心配したね。悪いことしたのはどっちの手なんだって怒ったね。何度も何度も学級会したね。・・・・・)この5年間、私の心を支えてきたたくさんの思い出と逞しく成長し、すっかり美しくかっこよくなった彼らの姿が交錯していました。

卒業生の代表が、涙を堪えながら答辞を読みました。その中には、中間考査がんばったとも夜中まで勉強したともありません。彼らの心に残っているのは、こんなに鍛えられてついていけるのかしらと不安になりながら、仲間に励まされて続けた部活動のことであり、修学旅行の班編成で、友達を泣かせてしまい、もう一度班を組みなおしたこと。朝も昼も夜も練習した体育祭のソーランのことや一位になるそれ以上のものを求めて歌った合唱コンクールのことでした。

中学に入学した頃はまだあどけなく、いくつになっても幼かった子どもたちをここまで成長させてくれた先生方に心から感謝しています。そして、わたしももう彼らから卒業しなければならないと自分に言い聞かせました。

3月議会で忙しくしていて「ときどき日記」も更新できませんでした。気が抜けないことが多く、気がつくと体重計の数字は42キロを切っていました。

今議会が終わったら、カンボジアに行ってきます。次回は、そこで見てきたこと、感じたことをお伝えできたらと思っています。


2008.2.10 魔法の一言

 節分も過ぎたのに寒い日が続いています。

中国産ぎょうざの農薬混入事件で、あらためて日本の食料自給率の低さに恐怖にも似たものを感じています。そして、日本の有機栽培農家をもっともっと支援しなければならない。と痛切に感じています。

 1月の終わりに沖縄に仕事で出かけました。

 気温20度と天気予報を見ていたので、半袖と春物を引っ張り出して行ったのにずっと雨が降っていて、寒いといったらありゃしません。気が張っていたので風邪はひきませんでしたが、帰ってくると肩と背中はコチンコチンになっていました。

 大分沖縄線が運行されていないので、福岡発です。朝早い便でした。朝、3時起きはつらいので、前泊にして福岡にいる甥っ子に会うことにしました。

 19歳の祐輔は、夢を実現するために昨年4月から福岡の専門学校に通っています。私は9ヶ月間、何度も福岡に行きたいと願いながら行けずにいました。お正月に会ったばかりなのに前の晩は、何故だか緊張して眠れませんでした。(伯母ばかです。)宿泊するホテルで4時に待ち合わせました。少し前に行ってロビーで待っていると、高校生のような頭をした祐君が、私の知っているマフラーをして現れました。

顔を見るなり「あー緊張した。」と一言。決して上等のホテルではありません。ビジネスホテルなのに・・・。そこには世間ずれしていない若者がいました。

 天神でいくつかのお店を見て周り、デパ地下で食料品を見て、「何か欲しいものない?」と尋ねるのですが「大丈夫。」「何もいらない。」と返ってきます。ちょっとしゃれた居酒屋でご飯を食べました。少しでも食べさせようとあれやこれや頼むのですが、食い意地も張っていません。抱っこしてまわったあの華奢な子がこんなに逞しくなって・・・。あっという間の月日を思い、私も胸がいっぱいになっていました。自炊をしていることは知っていましたが、朝は必ずご飯と味噌汁で、パンを食べないことやいくらや明太子が苦手なことを初めて知りました。

 地下鉄の乗り方を教えてもらいホテルで別れました。雨は上がっていましたが、寒い中を自転車で帰っていく姿を想像すると、しんみりしてしまいました。

「これからいろんな困難に出遭うことでしょう。でも、負けるな。祐君。」と心の中で祈りました。

 現地調査は、「沖縄県立美術館指定管理者制度」

「沖縄県優良県産品推奨制度」

「地域ブランドの取り組み」

「少子化対策」

「沖縄平和賞」

「学校における平和教育」

「新石垣空港と環境保全」

「防災対策」

「観光振興」

「商店街の活性化」

 これを綴ると、論文のようになってしまいますので、今日は、書きません。

――沖縄県立美術館で――

普通の紅型の着物のようですが、よく見ると
基地で働く人や飛行機やヘリコプターが染め抜かれています。
沖縄はやはり、戦争、占領、基地と切り離しては語られません。
昨年11月にオープンしました。沖縄に行ったら必見です。

賀来中学に車を止めた時に携帯が鳴りました。

書記局からでした。「○○学校のそばのマンションの管理人さんからお電話を頂きました・・・・。」

 私は、県政報告の『わたげ』をいつも9000〜10000枚作ります。書記局が2000枚関係者に配ってくれます。残りを郵送したり、手配りしたりしているのですが、自分の住む地域に全部手配りするには莫大な時間がかかります。そこで一部を業者さんに依頼しています。

マンションの管理人さんは、「許可なく、このようなビラを配られては困ります。」と言われているようでした。確かに、マンションなどには「宗教や政治ビラは入れないでください。」と貼ってある所もあります。電話を受けてくれた次長さんとあれこれ話をして、すぐに管理人さんを訪ねることにしました。彼が「一緒に行きましょうか?」と言ってくれました。しかし、私自身のことです。「大丈夫。一人で行きます。」と電話を切りました。選挙に立候補してから随分、お叱りを受けたり白い目で見られたりしました。もう慣れっこになってはいるものの、その後、どのくらい落ち込むか、心をどう立て直すか経験しているだけに先が見える分だけつらくもあります。でも、そんな泣き言は言っていられません。

 マンションに着き、管理人さんの番号を押しました。顔を見るなり私は「県議会議員の平岩純子です。この度は、大変、ご迷惑をおかけいたしました。」と深く頭を下げました。すぐにきつい言葉が返ってくると思っていた私に管理人さんは「ああ、東野台の平岩さんですね。」と答えてくれました。「ピザ屋さんのものも入ります。風俗関係は入れないようにしています。宗教や政治関係はどうかなと思っていました。」と胸のうちを語ってくれました。私は、どうして業者さんに頼っているのかや『わたげ』に込める思いを素直に伝えました。そして、以前、このマンションのお年寄りが「あのわたげは、いいねえ」と言ってくれていたことを人づてに聞いていたので「何号室の誰かもわからないのですが、どうしても入れさせて欲しいのです。」と訴えました。これまでの無礼をお詫びしたあと管理人さんはこれからも入れることを承諾してくれました。

 思わぬ展開に私自身がびっくりしています。どれだけ罵声を浴びせられても耐えなければならないと覚悟していたからです。

 電話を切る時、「一緒に行きましょうか。」と次長さんが言ってくれた一言が私を強くしてくれたのだと思います。何よりも嬉しい一言でした。私は決して一人じゃないと思えたから行動できたのだとわかり涙が出てきました。

たった一言が人を救う。たった一言でものすごい勇気が出る。そんなことを教えられた一日でした。

今年も一緒に勉強した子どもたちが、高校受験、就職試験、大学・専門学校受験の年です。

何もしてあげることはできないけれど、家庭訪問をしています。私がもらったような魔法の一言があればいいなあと思案してしまいます。


2008.1.14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

 新年明けましておめでとうございます。

 皆さまどんなお正月を迎えられたでしょうか。

今年の元旦は、寒波に見舞われとても寒い幕開けでした。私の住む東野台も雪でうっすらと覆われました。降る雪を見ながら子どもの頃を思い出していました。もう何十年も前のことです。家族揃って安心院の田舎に帰り、新しい下着を身に付けます。お屠蘇(とそ)をちょっぴりなめたら「いつお年玉をくれるのかしら・・・」ともぞもぞしていました。お正月を迎えるために、母や祖母がおせちやお餅の準備に忙しくしていた傍で、手伝ったのか邪魔をしたのかわからないような子ども時代でした。

家族揃ってお正月を迎えるというこの慣習がこれから先の子どもたちにも受け継がれていくといいなあと一人願っていました。

 お正月には延べ20人の方が家に来てくださいました。それも終わり、やっと春の花壇作りに取り組みました。昼間は忙しいので夜中の作業です。「風邪引くよ!」とつれあいは心配するのですが何より好きなことです。私にとっては、至福の時でした。

 今年は、白をベースに紫とピンクとブルーを中心にしてみました。風水で良いといわれる黄色は少ししか使いません。前のお宅にできたノースポールも分けていただき、あとはこぼれ種でできるカモミールが広がればパルテルカラーになるはず。と自己満足に浸っています。宿根草のクリスマスローズが白と赤紫の花芽をつけています。日差しも少しずつ長くなり首を長くして春の訪れを待っています。

 新年会が続いています。宴会は苦手です。お酒が飲めないせいなのか。それとも女性が全体の一割にも満たないせいなのかわかりませんが、いつも緊張して気が重くなってしまいます。あんな場所で水を得た魚のように動き回ることができるとどれだけ楽かしらと思います。

 そのくせ仲間内で集まる会は大好きです。今年は、Sさん夫婦に誘われて臼杵の「やを傳」に行きました。Sさんは私にとって大切な人です。

 Sさんのうちで、壁に飾られた原稿の切り抜きを見せてもらいました。それは昨年の「大分教育の日エッセー」に入賞した作文でした。Sさんが一昨年した授業を受けて、中学生になった教え子が書いた作文が入賞したのです。作文の題は「命あるかぎり」でした。私は、Sさん夫婦に起こった出来事をここで書くことができません。でもSさんの授業を通して子どもたちの中にしっかりと命の大切さが伝わったことが嬉しい限りです。さらに驚いたことに、成人の部の入賞者は、Sさんのつれあいさんが小学校に勤めていた時に受け持った人でした。3年生の時の学校での様子を「顔を見る教育」という題で書かれていました。(どうぞ教育委員会のホームページをご覧になってください。)

 夫婦のそれぞれの教え子が、担任の生き様から学び、その思いは時代を超えても生き続け、発表される。そしてそれが認められる。こんな素晴らしい偶然ってあるものなのかしらと、あらためてSさん夫婦と友達でいられることを誇りに思いました。

 すぐに結果を求められる教育ばかりが声高に叫ばれています。でも教育とはそんなものではありません。新年会で尊敬するI先生にこう諭(さと)されました。

「子どもに考える心を育てよう。正解を先回りして教えない。他人と競わせない。この二つの理念と実践が大切なんだ。」

 

 1月9日 天声人語でのアインシュタインの言葉

「教育とは学校で習ったすべてを忘れたあとに残るものをいう」

 今年も打たれても非難されてもそのことを訴え続けようと決意しました。

 今日は、成人の日。金池小学校で一緒に勉強した子どもたちの二十歳のお祝いの日です。お正月には何人もの子どもたちに会うことができました。そしてニュースで成人式の克ちゃんが目に飛び込んできました。初めて見るスーツ姿。でもいつもの表情の克ちゃん。14年経ってもあどけない表情が残っている姿を見て何故だか安堵してしまいます。大人のノスタルジーに酔っていられるほど彼らが生きていく時代は甘くはないけれど、どうぞ子どもたち一人ひとりの夢が実現できますようにと祈らずにはいられません。

 今年もどうぞ宜しくお願いいたします。