2010.5.27 牛を食べるということ
▲ ひと月かけて、週に二日ずつ管内の調査に出かけました。
5月12日に犬飼町にある「大分県食肉衛生検査所」に伺いました。
衛生検査所では、食用にするために搬入された牛と豚を1頭1頭検査をし、畜産公社で解体しています。そして、食べても安全だと確認された牛と豚だけが出荷されています。
9年前のBSE発生以来、BSE検査が全国一斉に行われるようになりました。5年前に、国の方針で、検査対象は、生後21か月以上の牛となりましたが、大分県では、これに満たない牛についても、食の安心・安全のために自主的にスクリーニング検査を続け、すべての牛の検査をしています。
昨年の総検査頭数は100,142頭だそうです。牛が8,695頭、豚が91,439頭、馬は8頭です。検査の結果、と畜が禁止されたり廃棄されたりした頭数は367頭(牛156頭、豚211頭)だそうです。
獣医師が肉眼だけで診断が困難な牛や豚の病気には、豚関節炎、敗血症、牛白血病、腫瘍、黄疸、尿毒症があり、微生物検査や血液検査、理化学検査や血液検査が必要だそうです。そのほかにも食肉の食中毒菌検査も実施し、衛生的な食肉処理の方法を監視しています。
▲と畜する所を見学するのは、今回で3回目です。
前日の体調が悪かったので、目の前で解体する様子を見ることができるか正直不安でした。でも、仕事に従事されている方々の前で、ひ弱な態度を見せることはなりません。しっかり見せていただかなければ・・・と自分に言い聞かせました。
おりしも、宮崎県で「口蹄疫」が発生した直後でした。
衛生検査所の入り口には、消毒のための石灰が撒かれ、駐車場も白くなっていました。私たちは、白衣を着て、手袋をはめ、マスクをつけ、キャップをかぶり、長靴をはきました。
入り口の消毒液で、長靴の底を洗い建物の中に入りました。
初めに目にしたのは、ぶら下がり、頭だけがはずされた牛の姿でした。
まだ、毛がついています。枝肉にされた牛の塊は見ていたのですが、毛皮が付いている牛の姿は、初めてでした。まだ血が流れていました。
ラインの上には、毛を剥がされた頭が流れてきます。まだぴくぴくしていました。ここで、獣医師が脳髄を取り出して、検査が行われます。
女性の獣医師さんが、ナイフで内臓をはずしていました。牛の胃は、真っ白です。私は、ホルモンを食べることはできないのですが、これがホルモンの一部なんだろうと思うものも見えました。
夏は、暑く、冬は、寒い中での作業です。重労働です。ナイフは、83度の熱湯の中で温められ、一つの作業に2丁ずつ使っていました。一瞬の気の緩みが大事故につながる大変な仕事です。
枝肉にされた牛も豚も検印が押され、冷蔵庫に並べられます。検査の結果、出荷しても大丈夫と確認されたら、初めて出荷が許されます。
私は、今日、スーパーで肉じゃがを作るために、牛のバラ肉を買いました。
私たちが、安心して調理し、食することができるまでには、多くの人たちが関わっていることに今更ながら気づかされます。
▲都農町で発生した「口蹄疫」は、川南町、えびの市と宮崎県を南下しながら、広がっています。
1頭でも、「口蹄疫」に罹(かか)った牛や豚がいると、たとえ健康でも、畜舎のすべての牛も豚も感染防止のために殺さなければなりません。すでにと殺されたもの、そしてこれからと殺される予定の牛と豚の数は、30万頭近くになってしまいました。
大分県にいつ入ってきてもおかしくない状況です。牛や豚を飼っている畜産家の方々の不安は、頂点に達していると思います。
「口蹄疫」は、ウイルスによる急性熱性伝染病です。牛や羊、山羊、豚、鹿、いのししなどのひづめのある偶蹄類(ぐうているい)がかかります。
口の周りや、舌、蹄部に水泡ができ、食欲不振や足を引きずるなどの症状が出るようです。えさを食べられなくなるそうです。ワクチンはありますが、治療方法はまだ見つかっていません。
ウイルスによる感染なので、瞬く間に広がります。しかし、「口蹄疫」に罹った牛や豚を食べても人体に影響はありません。ましてや人にはうつりません。
畜産農家の人たちの切ない様子が報じられるたびに、胸が痛くなります。
明日は、殺されるとわかっていても、えさをたっぷりあげるのだそうです。夜寝る時以外、いつも一緒にいる家畜は、子どもみたいなものだと言っていました。
また、本来なら家畜の病気を治療したり出産の手助けをしたりする獣医師が、先頭に立って次々と、殺さなければならない状況は、むごいものです。
原因究明と拡大阻止が急務ですが、文明の発展の陰で動物が犠牲になっている気がして、人間としての責任を感じてしまいます。
友人がこう言っていました
「肉を食べずに過ごすことはなかなかできませんが、残さずに食べようということだけは、我が家では、徹底させています。そうでなければ、申し訳ない。命をいただいているのだから。
その分、一生懸命生きなければいけないと思う。」と。
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