2010.6.13 カツオのたたきがない!  

 通学する学生の制服が、夏服に変わりました。

 学校に伺うと、プールからあがったばかりの先生にお会いして、「夏がきたんだなあ。」と実感しています。

 季節の変化も気づかないような時間を過ごしていたような気がしています。

 以前、こんなことを言われたことがあります。「平岩さん、料理するの!」と。

私は、料理を作ることが、大好きです。パンもケーキも20種類くらい焼きます。台所で包丁を持って立つと、仕事のことも嫌なこともすべて忘れて一生懸命になれます。つれあいのお弁当も毎日作っていました。でも、忙しくて、特に、質問原稿を組み立て、提出するまでは、頭の中が課題でいっぱいになり、お弁当のおかずを考えることが負担になってしまい、しばらく休んでいました。晩御飯を作れるのは、週のうち半分くらいですが、それも手抜きをしていました。

ある朝のこと、疲れて帰ってくるつれあいに申し訳ないと思い、「今夜、何が食べたい?」と聞きました。私の忙しさを考えてなのか「焼うどんがいいな。」

と返事を残して出勤していきました。

 夕方、ガソリンスタンドで満タンにしてもらっている間に、急いでスーパーに駆け込み、買い物をしました。焼うどんだけでは物足りないだろうと、旬のカツオのたたきも買いました。

 車をもらって、家に帰り、早速、焼うどん作りに取り掛かりました。「ただいま。」の声を聞いて、ビールとカツオのたたきを出そうとして、カツオがないことに気づきました。

 それからが大変でした。冷蔵庫の中にはありません。マイバックの中にもありません。車の中かも・・・とんでもない所に置いたかもしれないと家中を探すのですが出てきません。焼うどんどころではなくなってきました。買い物をしたスーパーに電話をかけるのですが、「カツオの忘れものはありません。」と言われました。

 なくなったものは、生ものです。何日かしてたんぱく質が腐った臭いと一緒に、どろどろになったカツオを見るようなことになっては、一大事。ガソリンスタンドからの経路をたどっていきました。レジでお金を払って、袋に入れている時に、「カツオが牛乳でつぶされるといやだな。」と思いました。一旦、カツオを取り出し、硬いものから入れ直しました。その時、レジの向こうに知っている人の顔を見つけました。お互いに「久しぶり!」と近寄り、集落営農の課題と口蹄疫が大分に入ったら大変なことになる。と話し込みました。それから別れて、ガソリンスタンドでいつも頑張っている若い人たちにパンの差し入れをして、家に帰りました。

 どこでなくなったのかわかりません。レシートにはしっかりと打たれています。もしかしたら、入れたり、出したりしているときに、そのままカウンターに置いたままになったのかもしれません。そして、後から来た人が、自分の袋に入れて持って帰ったのかもしれません。

 物をなくすことは、ときどきあります。私は、ドジでいつも詰めの甘さで反省ばかりしているのですが、この性分はなかなか治りません。

でも、参議院の選挙だけは、「最後までしっかりとやっていきましょう。」と自分に言い聞かせています。子どもたちの将来がかかっています。皆さんも未来を託せる人物をしっかりと見抜いて選んでください。

 その夜の晩御飯は、焼うどんだけでした。私が塩、こしょうで味付けしたものを、途中からつれあいがバトンタッチして仕上げたので、さらに塩、こしょうが上乗せされ、この世のものとは思えないような辛い辛い焼うどんでした。


2010.5.27 牛を食べるということ

 ひと月かけて、週に二日ずつ管内の調査に出かけました。

 5月12日に犬飼町にある「大分県食肉衛生検査所」に伺いました。

 衛生検査所では、食用にするために搬入された牛と豚を1頭1頭検査をし、畜産公社で解体しています。そして、食べても安全だと確認された牛と豚だけが出荷されています。

 9年前のBSE発生以来、BSE検査が全国一斉に行われるようになりました。5年前に、国の方針で、検査対象は、生後21か月以上の牛となりましたが、大分県では、これに満たない牛についても、食の安心・安全のために自主的にスクリーニング検査を続け、すべての牛の検査をしています。

 昨年の総検査頭数は100,142頭だそうです。牛が8,695頭、豚が91,439頭、馬は8頭です。検査の結果、と畜が禁止されたり廃棄されたりした頭数は367頭(牛156頭、豚211頭)だそうです。

 獣医師が肉眼だけで診断が困難な牛や豚の病気には、豚関節炎、敗血症、牛白血病、腫瘍、黄疸、尿毒症があり、微生物検査や血液検査、理化学検査や血液検査が必要だそうです。そのほかにも食肉の食中毒菌検査も実施し、衛生的な食肉処理の方法を監視しています。

 

と畜する所を見学するのは、今回で3回目です。

 前日の体調が悪かったので、目の前で解体する様子を見ることができるか正直不安でした。でも、仕事に従事されている方々の前で、ひ弱な態度を見せることはなりません。しっかり見せていただかなければ・・・と自分に言い聞かせました。

 おりしも、宮崎県で「口蹄疫」が発生した直後でした。

 衛生検査所の入り口には、消毒のための石灰が撒かれ、駐車場も白くなっていました。私たちは、白衣を着て、手袋をはめ、マスクをつけ、キャップをかぶり、長靴をはきました。

 入り口の消毒液で、長靴の底を洗い建物の中に入りました。

 初めに目にしたのは、ぶら下がり、頭だけがはずされた牛の姿でした。

まだ、毛がついています。枝肉にされた牛の塊は見ていたのですが、毛皮が付いている牛の姿は、初めてでした。まだ血が流れていました。

 ラインの上には、毛を剥がされた頭が流れてきます。まだぴくぴくしていました。ここで、獣医師が脳髄を取り出して、検査が行われます。

 女性の獣医師さんが、ナイフで内臓をはずしていました。牛の胃は、真っ白です。私は、ホルモンを食べることはできないのですが、これがホルモンの一部なんだろうと思うものも見えました。

 夏は、暑く、冬は、寒い中での作業です。重労働です。ナイフは、83度の熱湯の中で温められ、一つの作業に2丁ずつ使っていました。一瞬の気の緩みが大事故につながる大変な仕事です。

 枝肉にされた牛も豚も検印が押され、冷蔵庫に並べられます。検査の結果、出荷しても大丈夫と確認されたら、初めて出荷が許されます。

 私は、今日、スーパーで肉じゃがを作るために、牛のバラ肉を買いました。

私たちが、安心して調理し、食することができるまでには、多くの人たちが関わっていることに今更ながら気づかされます。

 

都農町で発生した「口蹄疫」は、川南町、えびの市と宮崎県を南下しながら、広がっています。

1頭でも、「口蹄疫」に罹(かか)った牛や豚がいると、たとえ健康でも、畜舎のすべての牛も豚も感染防止のために殺さなければなりません。すでにと殺されたもの、そしてこれからと殺される予定の牛と豚の数は、30万頭近くになってしまいました。

大分県にいつ入ってきてもおかしくない状況です。牛や豚を飼っている畜産家の方々の不安は、頂点に達していると思います。

 「口蹄疫」は、ウイルスによる急性熱性伝染病です。牛や羊、山羊、豚、鹿、いのししなどのひづめのある偶蹄類(ぐうているい)がかかります。

 口の周りや、舌、蹄部に水泡ができ、食欲不振や足を引きずるなどの症状が出るようです。えさを食べられなくなるそうです。ワクチンはありますが、治療方法はまだ見つかっていません。

 ウイルスによる感染なので、瞬く間に広がります。しかし、「口蹄疫」に罹った牛や豚を食べても人体に影響はありません。ましてや人にはうつりません。

 

 畜産農家の人たちの切ない様子が報じられるたびに、胸が痛くなります。

明日は、殺されるとわかっていても、えさをたっぷりあげるのだそうです。夜寝る時以外、いつも一緒にいる家畜は、子どもみたいなものだと言っていました。

 また、本来なら家畜の病気を治療したり出産の手助けをしたりする獣医師が、先頭に立って次々と、殺さなければならない状況は、むごいものです。

 原因究明と拡大阻止が急務ですが、文明の発展の陰で動物が犠牲になっている気がして、人間としての責任を感じてしまいます。

 友人がこう言っていました

「肉を食べずに過ごすことはなかなかできませんが、残さずに食べようということだけは、我が家では、徹底させています。そうでなければ、申し訳ない。命をいただいているのだから。

その分、一生懸命生きなければいけないと思う。」と。


2010.5.9 ゴールデンウィークに感じたこと。

  

 一昨日も朝から動き回ってお昼を食べようと思ったのは2時近くでした。

お気に入りの「鈴」さんの店に寄って調理パンを2つゲットしました。

議会のトイレに入って手を洗おうとした時、自分の服を見て仰天。スーツのジャケットはオレンジなのに、スカートはショッキングピンクを着ていました。

 朝、出がけにしっかりと確認もせず慌てて着たのが原因です。

朝から16人以上の人と会っていました。みんな「平岩さんの美的感覚はおかしい」と思っただろうなあ・・・と落ち込みました。

 着る服の確認もできないくらい正直精神的には疲れています。

 ゴールデンウィークはどう過ごされましたか。

私は、5月3日だけ憲法学習会に参加しました。

後は、暦通りに家族と休みました。佐伯に帰り、別府にも帰りました。

休みの間に庭の手入れと草取りと日ごろ気になっているこまごまとしたものを片づけました。草取りは、いつもやり過ぎて右肩を痛めます。整体の先生に「芝刈り機でザァーとやってもらいなさい。体を痛めてどうしますか。」と忠告され、小さな草を無視する決意がやっとできました。

 「ドライブに行く!」とつれあいが言い出したので、付き合って出かけたのは5月4日のことです。目的地は宇佐の千財農園と農家レストラン「林んち」です。帰りに塚原高原でワラビ取りもしようと、大きなかごを持って出発しました。

 高速道路は、予想に反して空いていました。道路から見えるのは、新緑と広い田畑、そして街中では決して住めないような大きな屋敷。途中で何かが足りない?と感じていました。いつもの5月の風景に何かが足りません。それは、「こいのぼり」です。集落はあるのに、こいのぼりが泳いでいません。どうしてでしょうか?少子化のせいでしょうか?不況のせいでしょうか?お年寄り世帯ばかりで、立てるのが大変なのでしょうか?日本の伝統が見当たりませんでした。

 千財農園は、丘の向こうに茶畑が広がっています。そして何より素晴らしいのは、藤の花です。家の近くには、寒田神社があります。そこの藤も立派なのだそうですが今まで一度も見たことはありませんでした。千財農園の藤棚に入るとほんのりと甘い香りがしました。薄紫、桃色、白、八重の藤もありました。その見事さは圧巻でした。みつばちがさかんに蜜を吸っていました。

 農家レストラン「林んち」は、院内町にある地元でとれた食材だけを使った地産地消のレストランです。10年前、福岡県から越してきた林さんご夫婦が経営しています。お豆腐づくしの「豆腐定食」を注文しました。豆腐の春巻き、さしみこんにゃく、豆腐の味噌汁、冷奴、豆腐丼と私の好きなものばかりです。

 豆腐は、歯ごたえがあって、でも硬すぎず口に入れるとほんのりと甘くてお醤油なしで食べることができます。こんなにおいしいものが1500円。

 見える景色は、風に揺れる緑の木々だけです。

 本当のごちそうとはこういうものだと感じました。



可愛いお手伝いさん。
男の子と思いきや林さんちの三女でした。
名前は、林涼里さん。小学3年生。

 大満足して、帰り道、「ワラビを摘もう!」と見渡すのですが、十文字でも塚原でも、1本も見つけることができませんでした。

 時期が遅すぎたのでしょうか?温暖化の影響でしょうか?

 こいのぼりとワラビがない!

 今年のゴールデンウィークに感じたことです。

 

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 昨日、小森陽一さんの講演を聞きました。

「毎日、毎日、子どもたちは、テレビで憲法学習をしています。徳之島の三町長は、基地移設は受け入れられません。と断固拒否をし、住民の署名2万6千枚を提出しました。内閣総理大臣よりも民意が尊重される。このことが何よりも憲法学習です。」と言い切りました。

 日米安全保障条約よりも日本国憲法が上位に位置していますように。と祈りにも似た気持ちでいます。


2010.4.23 セブ島

 私は、旅に出ることが好きです。

 どうしてなのかなあ・・・。といつも考えます。

 もしかしたらほんの少しの間、家や仕事を離れることで、自分の居場所や置かれている位置を客観的に考えることができるからかもしれません。

 そんな訳で、4月15日から18日までフィリピンに行ってきました。フィリピンの首都はマニラですが、目的地は、そこから飛行機で1時間30分離れたセブ島です。大分から福岡まで列車で2時間。福岡空港からマニラまで4時間30分、マニラからセブまで1時間30分の長旅です。出発前に少しでも仕事を終わらせようと必死でした。

 もしかしたら、もう帰って来られないかもしれない・・・。いつもそう思います。だから、家の中をきれいにして出かけました。

 フィリピンでは、5月10日に大統領、知事、市長を決める大きな選挙が行われます。町中の壁には、ポスターがこれでもかこれでもかという具合に貼られていました。

 小学校に勤めていた時に、子どもたちと一緒に、「アジアで働く子どもたち」のことを何時間もかけて勉強したことがあります。学校に行けずにガラス工場で働いたり、物を売ったりして一家の生活を支える子どもたちの存在は、大分の子どもたちにとっては、驚きでしかありませんでした。まるで見てきたような口ぶりの私の話をクラスの子どもたちは、目を丸くして聞いていました。当時、私が参考にしたのは、今は亡き、松井やよりさんの著書でした。あれから14年、今の状況はどうなのかしら・・・・。それが一番知りたい事でした。

 セブ島は、観光で有名です。日本からの観光客も大勢います。しかし、一部のお金持ち(8割が中国人)が住むビバリーヒルズのすぐ下には、トタンで作られた貧民街が並んでいます。道路のいたるところにゴミが散乱し、野犬もいます。今が、一番暑い時期なので、学校は6月までお休みだそうです。市場を覘(のぞ)くと、大人が商売している傍らに子どもたちがいます。一年中が常夏の国なので、みんなTシャツと短パン姿で草履ばきです。裸足の子どもも大勢います。

国は、農業、漁業、輸出と観光で成り立っています。日本に就労ビザで働きにきている多くのフィリピンの人がいますが、外国で働いてお金を貯めたり家族に仕送りしたりすることが、家族を支えることであり、それがいかに重要なことかがわかります。

 フィリピンの通貨はペソと言います。1ペソは約2円。マンゴー1つが3ペソ(6円)ミネラルウォーターが5ペソ(10円)で、日本と比べると貨幣価値は随分安いのですが、お金を持っている日本人だとわかるとぼられることもあります。

 スモーキーマウンテンは、マニラ市内にまだ存在しているそうです。

 町中を走るのは、ジプニーと呼ばれるジープを改造した乗り物です。冷房はついていないのですが、乗りたいところで乗り、降りたいところで降ろしてくれるので、とても便利なようでした。しかし、観光客にはとても無理なようでした。昔は、子どもが後ろに引っかかる様にして排気ガスを吸いながらぶら下がり、時には振り落とされたりしていたことを思い出していましたが、幸いにもそんな光景は見られませんでした。

 どこもかしこも渋滞で、車が止まると、煙草や、車内を拭く紙やミネラルウォーターを売る人が、車に近づいて一生懸命商売をします。

 日本は貧富の差が世界で2番目に大きな国だと言われています。フィリピンはどうなのでしょう。圧倒的に高い貧困率かもしれません。でも、町中に活気がありました。人と人が会話しながら時間が流れている様子が見て取れました。

 市場で売られているものは、圧倒的に野菜、果物が多く、バナナ、マンゴー、なつめ、すいか、パイナップル、玉ねぎ、にんにく、白菜、パプリカ、かぼちゃ等が、所狭しと並んでいました。

 古着屋さんに並ぶ洋服や靴は、日本や中国から輸入されているそうです。

 籐製品もたくさん並んでいます。

 町のいたるところにおまわりさんの姿を見かけました。ホテルの入り口も私設のガードマンがいて厳重な警備がなされ、麻薬を見つける犬が待機していました。

 どこの国に行っても子どもの様子を見ています。

 バスケットゴールにボールを投げて遊んだり、朝早くから海で遊んだりする子どもの姿を多く見かけました。

 夜、レストランから出た時に、ふいに子どもに声をかけられました。

手には貝細工を持っています。大人の人なら「NO THANK YOU」と断るのですが、子どもの目を見ていてつい「HOW MUCH?」と言ってしまいました。最初は6ペソと言っていたのに100ペソと言い直しました。どちらが本当かは、わかりません。100ペソ払う時に「HOW OLD ARE YOU?」と尋ねると、最初は、6歳だと言ったのですが、慌てて13歳だと言い直していました。とても13歳には見えない小さな少年でした。もしかしたら物陰にお父さんが隠れていてお仕事をしているのかもしれません。

 セブからフェリーで2時間のところにあるボホール島で、原住民の人たちに会いました。観光客に伝統音楽を聞かせたり、大きなヘビを首に巻いた姿を見せたりして、現金収入を得ているということでした。子どもたちは、肌の色が違いすぎるのでいじめられることを理由に学校には通っていません。川の上流に集落を作り、魚を取ったり畑を耕したりして昔ながらの生活をしています。「ウルルン滞在記」の取材も来たことがあるとのことでした。

 ヒィリピンで一番おいしかったものは、「ハロハロ」でした。大きなカップには、紫イモのアイスクリームとかき氷、ナタデココ、ココナッツミルク、様々な果物が入っていて、それをかき混ぜていただきます。見た目ほど甘くなく、爽やかでおいしかったです。

 マニラの夕日は世界で最も美しいと言われています。



 あと10年したら、この国はどんな風に変わっているのかしら。

 少なくとも親に捨てられたストリート・チルドレンはいなくなっていますように・・・。そんな気持ちで、帰路につきました。

 大分に帰ってきて、道路にゴミが落ちていないことに今更ながら驚きました。「日本ってなんて美しいんだ!」と感じました。

 でも、朝、3時を過ぎるとにわとりの鳴き声が聞こえる、フィリピンの喧噪のなかの活気もいいなあと思い出しています。


2010.4.1 気がつけば春

 大阪の花公園で 3500本のチューリップのうち1600本が、何者かの仕業で茎が折られたり、花が切り取られたりしている様子がテレビで放映されていました。
 無残に散った花びら、折れてしまった葉、踏みにじられた花壇を見ながら、凍りつくような気持ちになります。
 どうしてこんなことをして愉快になれるのでしょうか。

 我が家にもチューリップが30本くらい咲いています。寒い時期に球根を植え、毎日毎日、やっと芽が出た。小さなつぼみがついている。風の強い日には倒れないでねと祈るような気持ちで育ててきました。花壇の草取りをする時は、踏まないようにと細心の注意を払って作業してきました。もしも、我が家のチューリップが、1本でも他人に故意に傷つけられたとしたら、私は立ち直れないだろうと思います。
 1日でも早く、花公園の犯人を見つけて欲しい。そして、「どうしてこんなことをしたの」と尋ねて欲しい。これ以上類似の犯行が起こらないように祈るばかりです。

 我が家の玄関周りは、すべての花が咲き揃いました。以前に書いたように「今年は、白と緑とブルー系と紫系!」と決め、やってきました。しかし、おととい友人が、きれいに植えた鉢を3つ持ってきてくれ、玄関に並べてくれました。そこには赤、オレンジ、ピンク、黄色と色とりどりが並んでいます。私の密かなねらいは、途中で断念しなければならなくなりました。それでも、自分では選ばない花や工夫が施された植え方に、ありがたいことだと思っています。
 花のことをしゃべりだすと止まらなくなってしまいます。
 花壇では、たくさんの花が咲きだしました。これにスイトピーとポピーが加わり、庭のハナミズキともっこうバラが咲き始めると、自分で言うのも変ですが、かなり美しくなる予定です。後1週間くらいかなあ・・・。お近くに来られたらお寄りください。

 2月23日に第1回定例県議会が始まり、3月25日に終了しました。1か月という長丁場でした。山香農業高校存続の請願処理はあれで良かったのだろうか?予算特別委員会での発言は、もっと食い下がらなければいけなかった。文教委員会では、もっともっと言いたいことがあったのに時間が足りなかった・・・などと反省しています。5941億8300万円という予算が決まりましたが、私たちがどうこう言っても何も変わらなかったと無気力感も残ります。

 気がついたら議会の外は春になっていました。
県でも県警でも教職員も人事異動が行われていました。かつての仲間が何人も管理職になりました。不安いっぱいの顔をしています。でも大丈夫、みんなが通って来た道だから。安心して前に進んでください。
 残念なことは、小・中学校の関係者は、3月26日に修了式と同時に人事異動が発表され、翌日から仕事の整理に追われます。書類と私物の片づけを大急ぎで済ませ、30日には子どもたちとお別れをし、4月1日には辞令をもらい、新しい職場に赴任しなければなりません。その後、会議を重ね、新学期の準備をします。学校は4月始まりですからこの過程を僅か12日間で終えなければなりません。
 子どもたちが、良いスタートが切れるようにと全精力を傾けますが、広域人事の中で、あまりにも時間が無さすぎます。

 1年間の活動を支えてくれ、私の知らないことを教えてくれ、いろいろな情報を集めてくれた人たちとの別れは淋しいものです。一期一会という言葉をかみしめています。でもきっとこれからも何らかのご縁があることだと信じています。
 みんな笑顔で次の職場に行かれました。こんなことを何年も経験し、慣れっこになっているはずなのに一人残されたような侘しさも覚えます。また、新しい出会いに期待することにしましょう。

 教え子や甥っ子が今日、入社式を迎えています。有効求人倍率0.49という厳しい時代にあって、よくぞここまでやってきたと感慨深いものがあります。
あの小さくて泣き虫で弱々しかった子たちが、社会へ飛び出していきます。
いろんなことが起こるでしょう。自分を見失わないようにしてね。職場に大好きな先輩を二人見つけてね・・・と祈るような気持ちになりますが、余計な口をはさまずに大切に見守っていこうと思います。

 読もうと思って求めた本が6冊そのままになっています。しばらく原稿書きと読書に専念します。
 何を綴ったかわからないときどき日記になってしまいましたが、皆様もしばし、春爛漫をお楽しみください。