今日は、社会福祉センターの一時保護所の運動会でした。

今日の日をとっても楽しみにしていました。

子どもたちは、保護所での在日数も異なるのにチームワークいっぱいでがんばりました。小学1年生から中学3年生まで15人が、赤と青と白のチームに分かれての運動会です。

 一人ひとり深刻な状況に置かれながら、大人の励ましの中で日ごろの練習の成果を思う存分発揮していました。わたしも大声で応援し、思いっきり笑い、そして涙しました。

 保護所で運動会ができるなんて所が全国で何か所あるかしら・・・。

 改めて支えてくださっている職員さんやケースワーカーさんたちの力を感じ、頭が下がります。

 来月は、課長さんに養護施設に連れて行ってもらいます。

2009.10.28 欧州旅行記C

 どこが違っているのだろう。ちょっと味覚の違う食事

 旅行記も最後の編になりました。

 今回は、食事のことをお伝えします。

私は、ストレスばかり溜めているのでこの数年、異常なほど食べることに関心が傾いてしまっています。今日は何を食べようと執着しています。

 まず、機内食です。

 飛行機の中で、夕飯や昼ごはんや朝ごはんが出ました。あらかじめ料理されたものが温められ、それがメインです。パンと飲み物とサラダや給食のゼリーのようなデザートが出ます。狭く小さなテーブルの上に置かれ、こぼさないようにすることに細心の注意を払わなければなりません。

 

ポーランドからチェコまでは、列車での移動でした。朝、6時53分にクラクフを出発する列車に乗り込まなければなりません。当然、ホテルで朝ごはんを食べる時間はありません。朝用と昼用のご飯が紙袋に入れられていました。大きな荷物と一緒にこの2つの袋を持って行きました。フランスパンにハムとチーズを挟んでいるものが主食です。昼はパンがハンバーガー用の丸いものに変わります。ちっちゃなデザートやパックに入ったジュース、リンゴやプラムといった丸かじりできる果物がついていました。

 7時間の長旅でしたが、固いパンを4つは食べきれませんでした。

ホテルの朝食は、バイキングです。例えば卵料理は、日本のようにスクランブルエッグ、ゆで卵、目玉焼きといった種類は豊富ではなく、スクランブルエッグだけでした。サラダ用の野菜はどれも大きく切ってあります。ハム類とチーズ類は、種類が豊富でした。デザートのお菓子がたくさん並んでいます。




(私の選んだ朝食)

これがメインの食事です。

みんな写真を見ると「おいしそうじゃん。」と言うのですが、確かにまずくはないのですが「味に深みがない?」「もう少し酸味を利かせたら?」といろいろ思いました。お魚はでかすぎて、スープは飲んでも飲んでもなかなか減りません。

餃子のようなものがあります。パンケーキのようなものもあります。

食事の後にコーヒーは出ません。そうすると無性に飲みたくなるものです。

 

 


(キャベツはもう少ししゃきっとした方が良かった)
 


(サラダが出るとほっとしました)

 食事のあとに必ず出てくるのは、甘いデザートでした。

こういう食事を続けていると中性脂質が増えて体には良くないんじゃないかなあと正直なところ思いました。今回の旅では、観光客や大人ばかりに出会いましたが、ヨーロッパ人特有の骨格なのでしょうか、子どもの時は、か細いのに十代後半になると胃から下が少しずつ出てきます。出会うおじさんもおばさんもみんな見事なおなかをしていました。

『郷に入っては郷に従え』に逆らわずに食事をとりました。ご飯が食べたいとか、梅干しを持ってくればよかった。とは思いませんでしたが、中部国際空港に降り立った時、無性にラーメンが食べたくなりました。やはり、醤油の文化で育ったからでしょうか。


 新型インフルエンザによる死者が続き胸が痛みます。

ワクチン接種者の優先順位は示されましたが、タミフル投与後のことであれば、体の中に抗体ができているということであり、どう防げばいいのかしらと不安はつのります。校区の中学校に行ってみると、学年閉鎖がまた起こっていました。

 私の風邪は、咳だけでレントゲンにも異常は見つかりませんでした。皆さんも気をつけられてください。

2009.10.16 欧州旅行報告記B

(時代がタイムスリップしたような街並み)

 チェコとポーランドとフィンランドの写真のデータが600枚くらい手元にあります。2ヶ月も経つと、「これはどこだっけ?」とわからなくなるほどヨーロッパの街並みは似通っています。でもそう感じてしまうのはもしかしたら私が東洋人だからなのかもしれません。ヨーロッパの人たちならば、一目見て国が判明するのかもしれません。

添乗員さんに聞いた所、「フランスの観光客は一番文句が多い」のだそうです。

 旧市街地は、どこも美しくうっとりしてしまいます。ポーランドは戦争で建物は壊滅状態だったそうですが、壁のひびも一つ一つ復元させようとした努力の跡が見て取れます。






(聖ヴィート大聖堂)

(ロシアの影響が色濃く残るウスペンスキー大聖堂)

 いたるところに花の存在があります。しかし今年の夏の気候が良くなかったのか、予想していたほどではありませんでした。それでも、色使いは勉強になりました。特にゼラニュウムをうまく使っています。






ショパンやシベリウスといった有名な作曲家が輩出された国々です。いろんな所にその影響や古(いにしえ)を感じます。




道を歩くと、キヨスクのような店が目に入ります。夜、チェコのスーパーマーケットに買い物に出かけました。チェコの通貨はチェココルナと言います。1チェココルナは5円くらいです。ポーランドはズロチ。1ズロチは31円ほどでした。どこで買い物してもそんなに高いとは感じませんでしたが、フィンランドはEU加盟国です。ですから1ユーロが135円でした。チェコからフィンランドに行くと、ものすごくお金がかかったように感じました。1ドルが90円くらいですから、ユーロが最も高いことになります。

フィンランドで通訳をしてくれたゆう子さんは日本人ですが、現地の人と結婚をして15年くらいこの国に住んでいます。税金は高い(22%)けれど福祉的保障が進んでいるので不満はないそうです。例えばトヨタヴィッツは日本で買えば90万円くらいですが、フィンランドでは200万円ほどします。

フィンランドでは、夏は白夜で夜は10時くらいまで明るいのですが、冬は朝10時くらいにやっと明るくなり午後2時を過ぎるとだんだん暗くなっていくそうです。冬になるとダニを殺すために一斉に布団を干すそうです。お天気の良い日には、生まれて1週間の赤ちゃんを乳母車に乗せ、くるんでマイナス20度の戸外に出すそうです。すると赤ちゃんはすやすやと眠るそうです。夏休暇は3週間。絶対にとらなければなりません。クリスマスの時は、ホテルも交通機関もストップ。テレビも映りません。そんな時に働かせると罰金が科せられます。羨ましい気がします。




(大型ショッピングモールには日本食用の調味料が並んでいました)

(チーズ売り場は圧巻でした)

私たちが頻繁に買ったものは、水でした。フィンランド以外では、水道の水は飲めません。顔を洗ったり髪を洗ったりしても硬水で何となく違和感を覚えました。泊まったホテルは、3つ星ホテルでしたので、部屋にはミネラルウォーターが2本サービスで置かれていました。ペットボットルではなく、びんに入っています。1本は、炭酸が入っていました。改めて日本の水のありがたさを感じました。


ポーランドからチェコまでは、500キロを7時間かけて列車での移動です。

気温は、30度くらいあるのですが、冷房車ではありません。寝台特急「富士」みたいに片側が通路になっていて、ドアで仕切ったボックス席が6席ずつになっています。窓を開けていなければ暑くて大変です。窓の外は、まさしく「世界の車窓から」の風景でした。トウモロコシ畑が続いています。時々赤い屋根の村が現れてくるのですが、必ず高台には教会が見えました。共産圏だったポーランドには1989年以降観光客が増えていったそうですが、決して豊な国という印象はありません。でも、ゆったりとした時間が過ぎていく中で、心の豊かさを感じました。




この2週間せきが止まりません。

「絶対におかしい。病院に行くべきだ!」とつれあいからは叱られっぱなしですが、小心者の私は忙しさを口実に怖くて病院に行けません。

 やっと県政報告(わたげ)を書き終えました。議会終了から22日も経っていました。書き始めると早いのですがどうしてこんなに時間がかかったのかしら?と考えてみました。県政報告は、字数にすると5000字くらいでまとめなければなりません。情報が多すぎるのです。欧州の写真は600枚もありました。要領よく必要なことを端的にまとめる。それがいかに大事かを思い知らされています。

2009.10.8 欧州旅行報告記A

競争やめたら世界一(フィンランドの教育を訪ねて)

 訪れたのはラハティ市のティースマー公立学校です。小・中・高等学校が敷地内にあります。校長先生は、長身で髪を後ろで束ねとてもハンサムな方でした。団長としての挨拶を考えていましたがこの国では形式的な挨拶は必要とされていませんでした。

 はじめに歴史の部屋で日本語でのVTRを使っての学校紹介にはびっくり。いかに日本からの視察団が多いかがわかります。神戸の武庫川女子高と姉妹校で交換留学生制度があるそうです。校長も3年前武庫川に行った時に、教室に40もの机が並んでいるのにびっくりしたそうです。

・教室は狭く25席が並んでいました

・小学校は、すべて英語で授業

・高校のクラス制度を廃止し、学生は200項目の中からカリキュラムを選ぶ

・高校の授業は6〜7時間、宿題はたくさん出る

・高校入試はなく中学の成績により自分で判断して入学を決める

・本は高いが図書館が無料なので家庭での読み聞かせが多く行われている

・ハンディキャップのある子には必ずサポートする人がつく

・落ちこぼれても落胆しない。その分手厚い教育をしてもらえるから

・最近は、大学よりも職業系に進むことに誇りを持つ生徒が増えた。その後、大学にも進学できる


(机の数は25席)

(教室表示は英語圏の国名)

(休み時間は外に出される)

・給食は民営化されていて、1000人分を6名の調理員でまかなう

・献立は、パンとマーガリン、キャベツの刻んだもの、ちょっとしたミンチやマカロニなど半分出来上がったものを温めたり切ったりして並べる

・給食費は無料

・教員のモチベーションは高い

・採用されたら異動はない

・給料は少しずつ上がっていく。20年したらそこが最高

・できの悪い教師はいないが、もしいたら校長権限で勉強に行かせる

・初任者の給料は月に3000ユーロ(約40万5千円)

・職員会議は7週間に1度


(給食室のカウンター)

(職員室は休憩室)

国家教育委員会では、レオ・パプキンさんから2時間休みなく話を聞きました。レオさんは、大学で数学を教えていたそうです。ここで働く職員は300人。教育現場を知る必要性から元教員が多いそうです。レオさんのフィンランド語を通訳のゆうこさんが聞いて日本語で伝えるという作業はとても時間がかかりました。お聞きした内容は、すべて本で学んだことと同じでした。ですから質問の時間をセットしたかったのですが、遠く離れた国と事前の連絡はうまく取れず、バスの運転手さんの勤務時間の関係などから打ち切らざるをえませんでした。

・国家教育委員会は、教育省の下に位置している

・3年に一度、教育省と話し合う(質・理念・システム・自治体との関わり・教師を選ぶ基準など)

・学校の質については、抽出した学校の調査で調べる。全体の6%のみの調査

・それで満足する結果が出ているのでこれ以上やるつもりはない

・フィンランドの学校は平均150名の在籍

・1%の私立学校

・基本は家に近い所に通う(家から5km以上だとタクシーを用意する)

・できる子を育てるのではなく、できない子も同じように育てる

・おちこぼれをつくらない

・学校が中心になって細かいことは決める。教育委員会は口を出さない

・校長の権限は大きく、教員の採用は、校長が決める

・6歳児の修学前入学は、99、8%。遊び中心で、子どものできないところを見つける

・低学年は、一日4時間しか授業をしない

・夏休みは、2ヶ月間

・学校の運営費は、自治体が43%。国が57%。(地方税を払っているので運営できる)


(国家教育委員会のロビー)

(説明するレオさん)

等など、日本の教育との違いをまざまざと見せつけられました。エネルギー資源が乏しく森林ばかりの国だから「人」が資源なのです。それは、日本も同じ状況ですが、フィンランドの人口は550万人です。できない子の底上げをすることの重要性とそれができる環境を羨ましく思いました。

 「テストをしない。そしてランキングリストも発表しない。それは、いい学校を発表すると、親は行かせたくなって差が開きすぎるから。教師もいい学校に行きたがるようになるから。」「これまで、それで成功してきたのだからこれからもそうやって行く。」「平等=貧富の差、男女の差をつくらないこと。だから学力によるクラス分けはしないのです。」と言われました。

 人は国をかたちづくる財産だと捉え、30年やってきた結果、フィンランドは世界一の教育水準を持つ国になりました。

 子どもたちに生きる力をつけさせたいとの願いは、日本もフィンランドも同じです。しかし、そこに近づくアプローチの仕方は、まったく異なっていることに気づきます。

 最後にこんな質問をしてみました。

「教育する上で怒ったり悲しんだりすることがありますか?」

レオさんはこう答えました。

「もちろん悔しがったりしますが、30年という長い年月かけてやってきました。時代も変わって、学生も変わってその変化についていけないので、苦しんでいる先生もいます。教師は、自分の給料に満足はしていません。先生が、一番嬉しいのは、子どものわかった顔を見ることです。」