2011.5.22 初めての大役に・・・
一昨日の夜のことです。
尊敬する野口克海先生が、大阪から来られ、大分市の校長会で記念講演をされ、夜は、大分市に宿泊されるとの情報が入りました。2年前、野口先生の講演を初めて聞いた時、私の心は強烈な矢に貫かれたような気がしました。涙が止まらず、私の願いをここまで端的に捉えて離さない講師に初めてめぐり合いました。
友人のNさんのご配慮で、先生と食事をしながらお話しができる機会が突然飛び込んできたわけです。2時間は、あっという間でした。私は、時にはペンを走らせながら、まるで子どもが教師に必死で訴えるような気持ちで共に過ごさせていただきました。
お別れして歩きだそうとしたその時、右足のひざに違和感を覚えました。痛みもありました。「ついに来た。」と思いました。
選挙期間中、靴下と運動靴をはいて活動していました。私の足先は、少しだけ右が左より大きいことに最近気付いたのですが、右足の小指は、擦れて痛んでいました。議会に行くことが多くなり、ハイヒールを履くたびに右先が痛むので、それをかばったような歩き方をこのところしていました。
裏の藤田先生が「半月板が炎症を起こしていますね。」と診てくれました。
怒涛のような臨時議会に向けた準備は、心だけではなく体にも負担をかけていたのだと悟りました。
新聞紙上でご存知のように、会派内の分裂騒動が自民党に起こりました。
議会は、会派の人数がものを言う世界です。図らずも私の所属する会派が、最大会派になった時間がありました。しかし、3日間だけでした。議長・副議長選、常任委員会の委員長・副委員長選考は、駆け引きと決裂、また代表者会議と難航続きでした。
そんな状況の中で、私は「県民クラブ」の幹事長を受けていました。
私たちの会派は、8年前は、僅か6人でした。それでも2番目に大きな会派でした。それが今回、17人という大きな組織になっていました。最大会派の自民党・無所属の会との人数の差は、1人でだけです。新聞には載らない多くのことが起こりました。
私は、幹事長として先輩に叱られながら、同僚議員に助けてもらいながら、2週間を生きた心地がしないような中で過ごしました。
意義ばかりを唱え続けてきた「万年野党」からの脱却をしなければなりません。評価を気にしたり、失敗を恐れたりするあまり、自分の信念を曲げることがあってはなりません。何よりも16人の議員さんの思いや考えをしっかり組み込みながら会派をまとめていかなければなりません。忘れてはならないことは、私たちが県民の負託を受けているということ。会派どうしのエゴに巻き込まれてもいけないということ・・・。そんなことばかりを考え続けています。
人のお世話をするということが、どれほど大変なことなのかと思い知らされています。くじけそうになる時もあるでしょう。政治的判断をしなければならない時もあるでしょう。新米幹事長ですが、前を向いて歩んでいかなければと自分に言い聞かせています。
昨日、小学校の1、2年で担任した、O君が大分を離れるので、送別会をしようということになりました。
若者が行く素敵な居酒屋で過ごしました。私は、外では決してお酒を飲みませんが、ほんの少しビールとカクテルを飲みました。牛乳も良く飲めなかった子たちが、実によく飲みます。爽やかな飲みっぷりです。
「私は、どんな子だった?」「先生に僕はどう映っていた?」何度か語って来たことを、またたずねられます。子どもたちが忘れてしまっている7歳の頃のことを、たくさんたくさん語りました。あの頃と同じようにしっかり私の顔をみつめながら聞いてくれていました。
今しかない時間を後悔したくないと、県外に出ようとする子、施設の指導員として悩みながらもやりがいを感じている子、公務員になって、土・日も忙しく働いている子、専門外の勉強を始めた子、有名企業に入ったものの会社の方針に納得がいかない子。
私の悩みは聞いてもらえなかったけれど、『人はつながって生きている』と教えられた気がしました。
そのことを大切に、来週から心機一転頑張ります。
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