2011.6.14 「マルモのおきて」がおもしろい

 久しぶりの大雨でした。

 (土砂崩れやがけ崩れが起きなければよいけれど・・・)と急傾斜地を気にしながらも、(これでやっと水不足が解消される)とホッとしています。

 私の住む地域でも、田んぼに水が張られました。早いところでは、田植えが始まっています。師田原ダムの貯水率も60パーセントにまで回復したようです。水を待ち望んでいた農業関係者の方々には、恵みの雨となりました。

 目下のところ、唯一の楽しみは、「マルモのおきて」を見ることです。

フジテレビ系列で、日曜夜9時から始まります。

 物語はこうです。「あけぼの文具」のお客様苦情係の仕事をする護(まもる)は、親友の死に直面します。亡くなった親友は、妻とは離婚していて、二卵性の双子の子どもを育てていました。(子どもたちは、母親は死んだと思っている)小学校入学前の二人は、別々の親せきに引き取られるようになっていたのですが、偶然、護は、別れを嫌がる二人の姿を見てしまいます。そして「僕が引き取ります!」と宣言してしまいます。

 普通なら、それから悲しい物語が展開されるのですが、決してそうではなく、双子と護と何故だか話ができる犬のムック(ミニチュアシュナイザー)が引き起こす事件は、毎回奇想天外で、見ていて飽きません。毎回完結型で、来週はどうなるのだろう・・・と胸が痛くなることもありません。

 芦田愛菜ちゃんの大人顔負けの演技や鈴木福ちゃんのたどたどしい発音やしぐさに引き込まれてしまいます。護と子どもたちを見守る人たちもみんな優しく個性的です。

 現実的でないところが人気の秘密なのかもしれません。

・双子の食事はどうするの。毎回、目玉焼きとふりかけだけでは、成長を阻害するでしょう?

・子どもたちの学校での生活を支えるために、何をしているの?宿題のみとめや、連絡帳をどうしているの?

・若いサラリーマンの給料で、どうやって養っているの?

・双子の親せきの人たちは、そのままでいいの?

・児童相談所は、許可を出したの?

 等など

 考え出したらきりがないほど、疑問がわいてくるのですが、そんなことを考えるのは野暮なことです。ドラマなんだから。

 以前、ドラマ「mother」の中で、芦田愛菜ちゃんが、僅か5歳にして、虐待されながら、母の愛を求めて涙する場面を見て、愛菜ちゃんから目が離せなくなっていました。

 今回は、泣かなくて見られるドラマです。日曜日は、どこで仕事をしていても、9時には必ず家に帰れるように時間を逆算して行動しています。

 愛菜ちゃんは可愛くて、子役では、引っ張りだこです。正直なところ、学校に行く時間はあるのかしら・・・と不安になりますし、いつもスタッフから「可愛い」「可愛い」と言われ続けて大きくなっていく少女が、正常に成長できるのかしら・・・と考える瞬間もあります。けれども、そんなもの払しょくしてしまうほど愉快で、ほのぼのとした、でもちょっぴりジーンとさせてくれるドラマです。仕事がいつも頭から離れず、がんじがらめになっている私の頭の中を1時間だけ、からっぽにしてくれる番組です。

 エンディングの時に「マルマルモリモリ」体操が見られます。その瞬間、視聴率はグンと上がるのだそうです。今年の秋の運動会には、きっとこの曲とダンスが流行るだろうと信じて疑いません。


2011.5.22 初めての大役に・・・

 一昨日の夜のことです。

尊敬する野口克海先生が、大阪から来られ、大分市の校長会で記念講演をされ、夜は、大分市に宿泊されるとの情報が入りました。2年前、野口先生の講演を初めて聞いた時、私の心は強烈な矢に貫かれたような気がしました。涙が止まらず、私の願いをここまで端的に捉えて離さない講師に初めてめぐり合いました。

友人のNさんのご配慮で、先生と食事をしながらお話しができる機会が突然飛び込んできたわけです。2時間は、あっという間でした。私は、時にはペンを走らせながら、まるで子どもが教師に必死で訴えるような気持ちで共に過ごさせていただきました。

お別れして歩きだそうとしたその時、右足のひざに違和感を覚えました。痛みもありました。「ついに来た。」と思いました。

選挙期間中、靴下と運動靴をはいて活動していました。私の足先は、少しだけ右が左より大きいことに最近気付いたのですが、右足の小指は、擦れて痛んでいました。議会に行くことが多くなり、ハイヒールを履くたびに右先が痛むので、それをかばったような歩き方をこのところしていました。

裏の藤田先生が「半月板が炎症を起こしていますね。」と診てくれました。

怒涛のような臨時議会に向けた準備は、心だけではなく体にも負担をかけていたのだと悟りました。

新聞紙上でご存知のように、会派内の分裂騒動が自民党に起こりました。

議会は、会派の人数がものを言う世界です。図らずも私の所属する会派が、最大会派になった時間がありました。しかし、3日間だけでした。議長・副議長選、常任委員会の委員長・副委員長選考は、駆け引きと決裂、また代表者会議と難航続きでした。

そんな状況の中で、私は「県民クラブ」の幹事長を受けていました。

私たちの会派は、8年前は、僅か6人でした。それでも2番目に大きな会派でした。それが今回、17人という大きな組織になっていました。最大会派の自民党・無所属の会との人数の差は、1人でだけです。新聞には載らない多くのことが起こりました。

 私は、幹事長として先輩に叱られながら、同僚議員に助けてもらいながら、2週間を生きた心地がしないような中で過ごしました。

 意義ばかりを唱え続けてきた「万年野党」からの脱却をしなければなりません。評価を気にしたり、失敗を恐れたりするあまり、自分の信念を曲げることがあってはなりません。何よりも16人の議員さんの思いや考えをしっかり組み込みながら会派をまとめていかなければなりません。忘れてはならないことは、私たちが県民の負託を受けているということ。会派どうしのエゴに巻き込まれてもいけないということ・・・。そんなことばかりを考え続けています。

 人のお世話をするということが、どれほど大変なことなのかと思い知らされています。くじけそうになる時もあるでしょう。政治的判断をしなければならない時もあるでしょう。新米幹事長ですが、前を向いて歩んでいかなければと自分に言い聞かせています。

 昨日、小学校の1、2年で担任した、O君が大分を離れるので、送別会をしようということになりました。

 若者が行く素敵な居酒屋で過ごしました。私は、外では決してお酒を飲みませんが、ほんの少しビールとカクテルを飲みました。牛乳も良く飲めなかった子たちが、実によく飲みます。爽やかな飲みっぷりです。

「私は、どんな子だった?」「先生に僕はどう映っていた?」何度か語って来たことを、またたずねられます。子どもたちが忘れてしまっている7歳の頃のことを、たくさんたくさん語りました。あの頃と同じようにしっかり私の顔をみつめながら聞いてくれていました。

 今しかない時間を後悔したくないと、県外に出ようとする子、施設の指導員として悩みながらもやりがいを感じている子、公務員になって、土・日も忙しく働いている子、専門外の勉強を始めた子、有名企業に入ったものの会社の方針に納得がいかない子。

 私の悩みは聞いてもらえなかったけれど、『人はつながって生きている』と教えられた気がしました。

 そのことを大切に、来週から心機一転頑張ります。


2011.4.29 闘い終わって・・・

 皆さま、お元気ですか。

 選挙期間中は、公職選挙法の関係で、ホームページの更新ができません。実際、朝から夜まで、12時間車に乗っているのですから、パソコンに向かうことは、実質的に不可能なのですが、ホームページの更新が1か月以上できていませんでした。

 統一地方選の前半選は、4月10日に終了し、私は、皆さんの支持を得て、当選することができました。正直ほっとしています。

 1回目は1位。2回目は2位。そして3回目の今回は、6位で当選させていただきました。順位を落とした形になり、一生懸命応援してくださった方々の中には「もっと票を伸ばしたかった・・・。」と言われる方もいらっしゃいました。ありがたいことだと思います。でも、私はこの結果にとても感謝しています。

 選挙の時は、支持してくださる方へのご挨拶をしていましたが、その殆どが、応援してくださる方々の紹介でした。支援の輪が広がり、私のモットーである「共に生きる社会の実現」に共感してくださる方々が増えていることが、何よりも喜ばしいことです。

 結果ではなく、そこに至るまでの過程の大切さを痛感しました。

 本当に感謝しています。

 そして、東日本大震災が発生し、自粛ムードの中での選挙でした。抗議やお叱りを受けることも覚悟をしながら、私たちは粛々と選挙活動をし、私の願いを訴えさせていただきました。あの、選挙車両に乗っていた時の気持ちを失わずに、また1歩ずつ前に進もうと考えています。

 投票率の低さは、私たち議員に課せられた大きな課題だと受け止めています。

 選挙車両に乗っていて、今も忘れられない光景があります。

 それは6日目のできごとでした。三佐の横断歩道の前で、車は赤信号で止まりました。信号で止まると、私は政策を訴えるようにしていました。周りに停止している車の方や近くにお住まいの方々が、静かに耳を傾けてくれるからです。

マイクを握って話そうとしたその時、横断歩道を渡ろうとする老人の姿が目に入りました。右半身が不自由なのか、ステッキに支えられていました。私は、しゃべらずじっとその老人を見つめていました。農協の帽子をかぶり、少し着古したジャンバーを着ていました。横断歩道を渡ろうとしていたのですが、青信号が点滅し始めました。おじいさんは、渡るのを諦めました。そして、90度向きを変え、歩道を歩こうとし始めました。その時、私と目があいました。おじいさんは、私に軽く会釈をして、ゆっくりと不自由な体を支えながら歩いていきました。

 私たちの進行方向の信号が青に変わり、私は、マイクを握って話し始めたのですが、何をしゃべったのかシドロモドロになっていました。何故だか涙が溢れて止まらなくなってしまいました。

 どうしてあんなに涙がこぼれたのだろうか。同情だったのかしら。憐憫だったのかしら。いえ、そうではなく、私はあの瞬間、私に何も語らないおじいさんに、人間としての尊厳を感じていたのだと思います。

 選挙が終わって、毎日、慌ただしい時間が過ぎています。

 人としての尊厳を感じさせてくれたあの時の光景を時々思い出しています。