2014.5.7 震災からもう3年、まだ3年
「ときどき日記」が「めったに日記」になってしまいました。
「更新してるかな?」と思ってアクセスしていただいた方にはひたすら謝らなければなりません。申し訳ありませんでした!
ゴールデンウイークはどうされていましたか。子どもがいないので孫もいない、親もいなくなったので母の日の準備もできない私は、「この束縛されない時間
に仕事だ!」とひたすらデスクワークと家の中の整理に励んでいました。でも、日頃サボっていたつけは大きく、まだ少し残っています。
4月24日から26日まで福島県いわき市に行っていました。昨年と全く同じ時期です。世の中が「復興、復興」と声高らかに言っている中で、原発関連はどうかしら?と考えていました。
私は、「福島原発情報連絡センター」という地方議員で構成された組織に入っています。その総会が福島県いわき市で行われました。
いわき市議の佐藤和良さんのご尽力で様々な事実を学ぶことができました。
事故以前から原発問題に熱心に取り組んでこられた佐藤市議だからこそでしょう、福島県庁から2時間もかけて生活環境部の職員の方がわざわざ説明のために来てくれました。
除染対策、地域防災計画、食品測定、甲状腺測定、避難者支援、保養の受け入れ状況、市民活動と短い時間の中で多くの事をお伺いしました。
3年経って、福島も少しずつ復興していると思わされてきましたが、状況は決して改善されてはいないと感じました。世の中だけが風化しているのかもしれません。
行政の方からの報告は、「3年の間に考えられることをやれるだけやった」というものを感じました。どれだけ多忙を極め、疲労してこられたのだろうと頭が
下がります。けれども、行政の方の説明と市民団体の行っている調査結果には大きな差も見えました。このことが、子どもを育てている母親たちの不安をさらに
大きくしているのではないかしらと思います。
例えば、「全国で子どもを対象にした保養プログラムを実施している数はどのくらいありますか?」と尋ねたら「20団体くらいでしょう。」と県教委の方は答えられましたが、そんなことはありません。私たちが把握しているだけでも、200団体くらいは存在しています。
市民測定室の「たらちね」では、全国からドクターの有志の方が来て、直接保護者立会いの下で、甲状腺検査をしていると昨年お伝えしました。行政の測定
は、技師が行いますので、2か月後にしか結果は伝えられません。「たらちね」では、即、保護者に子どもの状態を伝えることができます。B判定(5.1mm
以上の結節や20、1mm以上ののう胞がある)が多いのだそうです。3年間、外活動してきた子どもたちに多く見られるということは、匂いのない、目に見え
ない放射能の怖さを知らされます。
「初期被曝を追及するママの会」の方がこう言っていました。
「いわきは線量が低いので、初期被曝と言う言葉を知らない人が多い。文科省の大丈夫と言う考え方に慣らされてしまっている。安全神話は崩れたのに、また、傷ついている。」
何よりも福島の農産物が残っているので、米飯を中心に子どもたちに学校給食で食べさせようする行政に不信感を抱いていました。追加被曝をさせたくないと考えている母親たちの想いは、もう2度とこのような惨劇を起こしてはいけないと考えている私たちの願いと重なりました。
次の日に現地調査を行いました。
収束作業労働者、除染作業労働者の代表の方にお話を伺いました。
・震災後、港で働く日雇い労働者の仕事がなくなった。休業補償もなかった。それで多くの人が、除染作業にかりだされていった。250mm〜400mm被曝している。その管理がずさん。
・特殊勤務手当10000円が出されていない。
・作業員の雇用は、ピラミッド型になっていて、土木作業現場と同じように7重、8重構造の下請け作業でつくられている。
・多重請負を知られたくないので、企業の労災隠しが今でも多い。
・偽装契約が行われている。作業員を紹介した人が一人につき1000円ずつ給料からピンハネしている。
・ある労働者は、最初に農家の廃屋に連れて行かれた。その後、キャンプ場のバンガローに入れられ、寝袋で寝ていた。300円ピンハネされ、1日100円のまかない料理を食べさせられ体を壊した。
・やくざが金銭問題などを抱えた訳ありの人を全国から集めている。最初は仕事をさせず、生活のために謝金をさせ、それを賃金から支払わせる仕組みになっている。
・最初は、「放射線管理手帳」も与えられなかった。
等々
耳を覆いたくなるような話でした。あまりの不当な労働のために、会社を告発する人は、すぐに辞めさせるそうです。除染作業員は、東北出身者やこれまで原
発関連作業員として働いていた人が、半分ぐらいだそうですが、全国から若い人も高齢者も女性も来ているそうです。これから、除染作業員の人たちの被曝が大
きな問題になると思います。胸が痛くなります。私たちは何をしなければならないのでしょう。
楢葉町は、帰宅が許される地域になりました。国が作る「中間処理施設」の話は、住民の反対でなくなりました。日中は住民の立ち入りが許されています。で
も、子どもを連れてくる人はいません。昨年は、セイタカアワダチソウが生え、田畑にはぎっしりと除染した黒いウレタンの袋が並んでいましたが、それも少な
くなっていました。山肌を削り取った除染の後が見えます。
地図上は、楢葉町の上に位置しているのが、富岡町です。東京電力福島第1原発にもっと近い地域です。帰宅困難地域で、先に行くと立ち入り禁止区域になっています。私たちのバスもその先には行けません。
昨年見た、富岡駅前の建物はもっと朽ち果てていました。
線量計の数字は、恐ろしい数値を示していました。
いわき市のホテルの玄関の空間線量が0.04マイクロシーベルトです。これは、大分のそれと変わりません。楢葉町、富岡町と近づくとやはり、だんだん上
がっていきます。0,125マイクロシーベルト、0.7マイクロシーベルトとなります。そうすると、0,1マイクロシーベルトがそんなに大きな数値とは思
わなくなる感覚が怖いと思いました。 野鳥の数が少なくなっているそうです。
宿泊したホテルの近くに化石博物館があったので、行ってみました。その日は金曜日でしたので、近隣の学校からお見しり遠足の子どもたちが来ていました。
朝、10時前なのにもう広場でお弁当を食べています。「早すぎるんじゃない?」と思いましたが、博物館の方が言っていた言葉を思い出しました「今日は、10校来るんですよ。」だから時間差でお弁当を食べなければ場所の確保ができないんですね。
無邪気に遊びまわる子どもたちの体が被曝されることがないようにと願いながら帰路につきました。
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