2012.6.9 デンマークの報告D
6月1日に高校総体がありました。私は、文教委員長として初めて参加をしました。大分県下の公立・私立の高校生が行進していく様を見ながら、「教え子たちがいる時だったら」「甥っ子が参加している時にも見たかったなあ」とつい思ってしまいました。若い人たちが行動している姿は、清々しく逞しさを感じました。来年は4県(大分・福岡・佐賀・長崎)合同の全国総体が大分を中心に開かれます。高校生たちが、体を壊すことなく、心も体も成長していって欲しいと願っています。
6月4日に「がれき受け入れ」でご心配されているお母さん方との話し合いを持ちました。最初はフランス革命で断頭台に上がる人のような気持ちで参加しましたが、皆さんじっくりと話に耳を傾けてくださいました。そしてこれからも話し合いをしていきましょうと決めました。
テーマとなったのは、
○大分県議会が決議した「東北の震災復興を支援する決議」について
○福島への支援の方法について
○脱原発へ向けての取組みについて
重要な会議が急に入って来て、私は1時間10分しかそこには居られませんでしたが、はじめの20分だけ時間を頂いて、決議文をめぐる顛末をお話しし、私が考える福島への支援の方法について語りました。
参加している方々は、決して群れることが好きな人たちではなく、個人として参加されています。初めて顔を合わす方も多かったようです。
出てきた意見は、
・ベラルーシに行ってきた。この国は私たちを守ろうという姿勢が見られない。
いらだちを覚える。今からは、国は無理。放射能がどんなに怖いかを知ってもらいたい。その怖さを知って選択できるかが求められている。
・「がれきが心配」と言えないことが心配。
・命を大事にしたい。
・大きなところに頼ってもどうにもならない。説明をしたからもう終わりとなる。今からできることをやるしかない。大分でがれき反対と言ったら、非国民と言われる。
・仲間を増やしてあっちこっちで声をあげよう。
・反対派と賛成派と分けられていて、人格否定までされる。
・放射能は、人によって反応が違う。危なかったら入れない。人間の手に負えないと理解しなければならない。
・ベラルーシを見て、10年後の日本だと思ったら怖い。
・チェルノブイリ・ハートの上映会を学校で開きたい。
・知らない、関心のない人が多い。
・毎日どうしていいかわからない。庭に出ても汚染されているのではないかと心配になる。ベトナムに原発を日本が輸出するのが不思議でならない。
・空家に福島からの人に住んでもらいたい。
・津久見の説明会に行ったら、立派なパンフレットができていた。そんなお金があったら福島の子どもたちを呼んであげられる。
・行政が動けば、たくさんのお金が使われる。
等など、意見は続きました。
くじけそうになる自分が励まされ、これから進んでいかなければならない道を教えられた気がしました。津久見市長や県知事が津久見市でのがれき説明会の後「大方の理解が得られた」と言った根拠は何なのか。考え続けています。
昨日、野田総理の大飯原発再開方針表明を車を運転している時に聞きました。耳を疑いました。「国民の幸せのため」という文言が許せませんでした。 いろいろな言葉が頭の中を駆け巡っていますが、冷静に整理しながら、第2回定例会で質問していきます。
―――――デンマークの地方自治―――――
訪れたのは、オーデンセ市議会です。チーナ・ブー市議(女性・46歳)が対応してくれました。
オーデンセ市は、人口19万人の国内3番目に大きな街です。彼女は、市立幼稚園長を務めながら1989年に初当選しました。2011年に園長を辞職し、市職員となりました。今は、「高齢者・障がい者福祉委員会」の委員です
・市長は、議会の多数派を構成する政党の市議の中から選ばれる。
・議員は、無報酬。ボランティアとして議員を務める。だから自分の仕事を持っている。
・市長と副市長はフルタイムで働き給料をもらう。
・市議は無報酬ではあるが、賞与の形で年間に11万9千クローネ(約190万円)もらっている。
・2週間に1回、2時間議会がある。夜行われる。夜10時まで開かれ、市民が自由に参観する。
・定数28人に対して250人くらい立候補する。選挙にお金はかからない。
・選挙に行かない人はいるけれど、投票率は80%以上。
 「市庁舎」 |
 「市庁舎前広場に横たわるオブジェ」 |
 「説明をしてくれたチーナ・ブー市議」 |
 「日本に留学したことのある若者が飛び入り参加」 |
 「市庁舎の中の書架」 |
 「世界の多くの国と姉妹都市」 |
 「市民のためのスペース」 |
 「会議室」 |
 「市議会場、上の席が傍聴席」 |
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デンマークは、男女共同参画が進んでいる国ですが、オーゼンセ市では、なぜだか女性の管理職や女性議員は、日本と同じように少ないそうです。
彼女は、「社会的弱者の声を出せるように仕事をしてきた。」と言います。「人間の権利・民主主義は政治ではなく、生活の中で考えるべきだ」と言われました。
最後に
「福島原発の事故は、デンマークにどのような影響を与えましたか」と訊ねてみました。
「メディアは盛んに取り上げた。日本人はあの時冷静に対応した。どうして原爆を2度も経験した国が原発を稼働させるのか。二人の息子は原子力は安全だとずっと考えていた。あの事故以来、原子力の危険性を理解した。デンマークには原発はなく、20%が風力発電。近い将来、完全に自然エネルギーにしていく。」と
次回は、デンマークの町並みや食べ物についてお知らせします。
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