ときどき日記


2012.5.20 デンマークの報告B

 昨日は、大分市内の殆どの中学校で体育祭が行われています。

 先週、大東中学校を訪れた際、運動場では、学年選抜の大縄跳びの練習が行われていました。砂埃を上げて数えながら跳ぶ姿に圧倒されました。練習期間は僅か2週間。この時期の体育祭は、力や技ではなく、仲間づくりに主眼が置かれているのだと思います。

 私は、地元の賀来小・中学校の運動会「豊賀祭」に行ってきました。今年のスローガンは、疾風迅雷(しっぷうじんらい)「魅せろ、僕等の底力」です。

 年の差10歳の運動会です。4月に入学した1年生がよくぞここまで・・・と感心してしまうほど見ている人を感動させる運動会でした。下級生が上級生の動きや思いをしっかり受け止めて行動できています。職員の輪が支えている様が手にとるほどわかります。それでいてスタンドプレーをする姿は見えません。5.6年生の組み体操を見ていて涙が止まらなくなりました。全校生徒を紅白の応援団、生徒会の実行委員会がみごとに支えていました。結果は854対852。僅かな差で今年は白軍が勝利しました。おそらく子どもたちには、どちらも納得いく運動会だったと思います。

 小・中連携校になって6年。長い時間をかけて素晴らしい学校が築かれています。多くの関係者の努力に頭が下がる思いでした。

   ――――デンマークの国民学校 ――――

 日本の小・中学校にあたるのが国民学校(フォルクスコーレ)です。地方自治体が管理しています。

 デンマークでは、10年間の教育義務はありますが、学校に通う義務はありません。両親が家庭で教育したり、フリースクール、放課後教室、若者学校など別の手段を選択することができます。でも、実際にはほとんどの子どもが学校に通学しているようです。全国に1700校の国民学校があります。平均で19.4人の生徒に対して一人の教師が教えていることになります。昨年度の生徒一人当たりの支出費用は約92万円です。

 3年前から義務教育期間(無料)は1年間の就学前教室が行われるようになりました。また、希望する人には、自治体が認めれば教育開始を1年遅くすることも可能になりました。もう少し学ばせたいと願えば、10年目の義務教育を受けることもできます。

 子どもたちは原則として居住区域の学校に通いますが、受け入れ側に余裕があれば他の地域の学校に通うこともできます。

 私たちが訪れたのは、セアスレウ市立国民学校です。校長は市会議員もしています。教頭先生は37歳の女性でした。

 ・学校の理念はここが全ての子どもの場所であること。

 ・クラスのルールは子どもたちが決める。

 ・成績のレベルによるクラス分けはしない。そのかわり、教科書も教材もクラスの中に3つくらいある。

 ・教科書は学校ごとに決める。

 ・民主的な運営のために学校理事会がある(保護者7人、教職員2人、生徒代表2人、管理職で構成)

 ・職員の採用は、インターネットで公募する。ひとりの枠に100人くらいの応募がある。

 ・親からのいろんな要求はあるが、モンスターペアレントはいない。

 ・ナショナルテストはあるが、抽出のみ。結果の公表はしない。結果を本人には知らせるが、順番ではない。


「セアスレウ国民学校」


「下級生の下校指導を終えた上級生」


「教材室」


「生徒の机といすはとても高い」


「図書館で本を読む少女たち」


「生物の授業」


「体育の後使うシャワールーム」


「隣接する育成クラブ・庭が広い!」


「おやつを食べながら遊ぶ子ども」


「かんぽっくりで遊ぶベトナム系の少年」

 フィンランドの学校を訪れた時には、生徒が視察に慣れていると感じましたが、デンマークでは私たちが珍しいのか、隣接する育成クラブの子どもたちがずっと付いて回っていました。

 卒業した子どもたちはほとんどが高校に進学しますが、僅かな子どもがどこにも行かずにぷらぷらしているとのこと。それが校長先生の悩みの種のようでした。

 「今日は高学年が遅く下校する日です。13時45分です。」と言われてくらくら。だって日本の子どもたちは、小学1年生でも3時以降です。

 不必要な競争と詰め込みを止めて、高い学力水準を保っているその仕組みはどこにあるのでしょうか。

 政権が変わると教育に影響は出るそうです。国の方針と学校現場での考え方がぶつかることもあるそうです。けれども校長先生はこう言い切りました。「国の最小限度の目的はあるので、やらなければいけないことはあります。しかし、私たちが現場です。」と

 次回は、デンマークの就学前教育についてお伝えします。


2012.5.12 デンマークの報告A

 車に乗ると、エアコンが必要なくらい暑い日が続いていましたが、今日は風が爽やか過ぎてなんだか風邪をひきそうな感じです。

 先週から学校回りをしています。大分市内の中学校は、5月19日の体育祭に向けて練習が始まっていました。全体練習が砂埃の舞う運動場で行われています。係会議のために生徒が放課後慌ただしく移動していました。

小学校でも、耐震工事や秋の研究発表のために5月末から6月初めに運動会をするところは、学年ごとの練習が始まっていました。「台風の目」や「組み体操」をやっているのですが、子どもたちはまだ課題が受け止められていなくて時間がかかりそうです。でも、これが2週間、3週間経つうちに形作られていきます。子どもたちの持つ底知れないパワーとそれを引き出し支えていく教師集団の力があるからです。

 ある小学校に伺ったら、昼休みにサッカーをしていた1年生に優しい声で「こんにちは」と声をかけられました。ある中学校では、門を開けようと車を止めたら、急いで走って来た女子生徒が笑顔で門を開けてくれました。そんなことを経験しながら私の心は癒される気がしました。

 今日は「教育研究組織者集会」がありました。子どもの実態から出発し、仲間と一緒に研究し、子どもたちに還していくという教研は教職員に与えられた権利です。たくさんの仲間に会えて私は元気をもらいました。

――――デンマークの高齢者福祉――――

○「施設」依存でもなく「在宅」偏重でもない高齢者福祉

○地域で最後まで住み続けるということ

○高福祉高負担を選んだ国

 デンマークの高齢者福祉制度は、100年に及ぶ長い歴史の中で改善が繰り返されてきました。戦後の経済成長を背景に日本で言う「特別養護老人ホーム」がたくさん建設されました。しかし、1987年にその建設は凍結されました。その理由は、過剰なケアの中で高齢者は、自らの生活力を剥がれ、「ミニ病院」「死の待合室」のようになったとの反省からだそうです。施設でケアサービスを行う介護施設から、住居と必要なサービスを合わせた介護住宅に変わっています。それによって生活を基盤にした自立支援型の住宅政策が進んでいます。

 高齢者センター(特養と高齢者専用住宅、デイサービスセンターの集合体)を訪問しました。所長のアナグレーテさんは、体格の良い、気さくな方でした。案内された部屋には林檎ケーキとお茶が用意されていて、「さあ、まず召し上がれ」と誘われました。デンマークでは、どこに伺ってもテーブルにはパンや飲み物、果物、ケーキが置かれていて驚きです。

センターの概要

・特養相当部分:入居者56人。ひとりに対し約40平方メートルの住居スペース(トイレ・シャワー付)

・高齢者専用住宅:100戸 約65平方メートルの専用住居スペース(2間、トイレ・シャワー・テラス付)

・デイセンター  利用者40人

・職員は約100人。介護現場では社会保健介護士(SSA)と社会福祉ヘルパー(SSH)が殆ど。

・入居の手続きは入所者のことを知っている審査官が審査委員会の中で行って結果を出します。所長には決定権がありません。

・住宅には死ぬまで住むことができ、SOS装置が付いています。

・介護にかかる費用は無料ですが、生活するための費用は自分で払います。住宅援助費用があります。

・入居者は生活面、経済面に満足しているので遠慮せずに自分の意見を言います。

・日本のような職員不足はありません。フルタイムが週37時間。日本のようなローテーションはなく、日勤のみ。夜勤のみと分かれています。組合がしっかり機能しています。

・「高齢者虐待は?」と尋ねたら「ない!」と一言。そんなことがあったらすぐクビだそうです。

・認知症の人も出てくるけれど後見人制度があるのでしっかり見守ることができます。

・介護福祉士の給料は18万クローネ(約36万円)その中から税金を40%ひかれます。

・福祉予算は削られていますが、利用者からの不満は出ていないそうです。


「センターの食堂」


「職員の仮眠室」


「介護者が腰を痛めないように配慮された機器」


「特養部分に入居するおじいちゃんたちは午後の語らい」


「一人で住むノアさん(86歳)と」


「ノアさんの部屋はビューティフル」

  施設や高齢者住居に入居しない自宅に住む高齢者も大勢います。その人たちを支えているのは、家族ではなく、24時間体制のヘルパーです。サービスは質の高いものでなければなりません。そのためにそれぞれの自治体には60歳以上の人で構成される「高齢者委員会」があります。この人たちが行政と高齢者本人との橋渡しをしています。

  高齢者福祉と同じように障がい者福祉も進んでいます。保護される立場ではなく支援を受けながら生活する人という位置づけです。

  施設に入所するという形ではなく、親からも自立して生活しています。デンマークでは、何らかの事情で働くことができなくなった人に、早期年金制度があります。日本でいう民生委員の立場の人が2000人に一人の割合で支援の必要な人のケアを行っていますが、必要でない人には誰がその仕事を担っているかはわかりません。後見人制度がきちんとしているので、早期年金をもらいながら自立しています。通訳してくれた銭本さんのお隣にも知的障がい者が住んでいるということでした。

 デンマークの高福祉を維持しているのは、高い税負担です。消費税は25%。国民負担の税率は73、8%(日本は38、4%)

  私はこれまで「高福祉低負担」ではなく、「高福祉応分負担」を願って来ました。デンマークの「高福祉高負担」を目の当たりにして考え続けています。

  次回は、デンマークの国民小学校を紹介します。


2012.5.6 デンマークの報告@

ゴールデンウィークも残り1日となりました。皆様はどんな休日を過ごされましたか。私は、厳しいご指摘をいただいて以降いろいろと考え、悩み続けていました。

この休日を利用して東北にボランティアに出かけている人たちのことがニュースで報じられていました。頭が下がる思いでいっぱいです。私たちもいろいろ準備をし、6月初めには、がれきのことも含めて宮城・岩手・できれば福島に出かける予定です。

別府の母のところに帰りましたが、宅配便のお兄さんと自動販売機に飲み物を補給する若者の車を多く見かけました。みんなが休んでいるときに本当にご苦労様です。

4月15日〜20日までデンマークに福祉と民主主義を学ぶために行ってきました。全国の自治体議員団の構成です。長崎、広島、香川、神奈川、茨城、の市議、町議、福祉施設の施設長の方々10名の構成です。大分からは私一人でした。飛行機に乗っている時間が片道11時間30分なので、実質は4日間の強硬研修です。朝9時から夕方4時まで講義と現地視察と意見交換会。観光は一切なしです。

15日の11:30分成田発コペンハーゲン行きのスカンジナビア航空を利用します。そのためには成田で前泊しなければなりません。成田まで行ったことのない私はどきどきでした。羽田空港に着いたら成田行きリムジンバスに乗ってまず成田空港に。そこからホテルまでのバスの迎えを待ちました。空港で働くいろんな人たちが丁寧に教えてくれて助かりました。

「強風の中でリムジンバスのお世話をする東京の若者たち」

デンマーク王国は、立憲君主制です。九州を一回り大きくした国土を持っています。人口は約554万人。首都はコペンハーゲン。日本人も1400人くらい住んでいます。通貨はクローネ。1クローネは約16円です。樺太と同じ緯度ですがメキシコ湾流の影響で気候は穏やかだそうです。私たちが行った4月は、ちょうど東北の4月の季節くらいで、朝はとても寒く日中の最高温度は10度に達していません。

デンマークと聞いて何を思い浮かべるでしょうか。アンデルセン、人魚姫の像、福祉国家くらいでしょうか。哲学者のキルケゴールや建築家のヤコブセンも生まれた国です。何よりもスカンジナビア諸国(ノルウェー・スェーデン、フィンランド)同様、福祉国家として有名です。日本の国民の幸福度は世界で90位ですが、デンマークは1位です。ゆりかごから墓場まで国が国民の生活を保障しています。医療費も大学までの学費も無料。それを支えているのは、消費税25%(日本は5%)最高所得税率59%(日本は40%)の高い税金です。そんなところを学びに行きました。ちなみにこの狭い国土で食糧自給率は107、30%(日本は27.00%)労働組合率は87.4%(日本は(18.5%)投票率は86。59%(日本は58、63%)です。

コペンハーゲンから車に乗って3時間以上離れたボーゼンセ市が今回の研修場所です。コペンハーゲンはヨーロッパの都市といった雰囲気があります、いたるところで道路工事をしています。24時間営業のセブンイレブンが街角にいくつもありました。市庁舎前広場にはホームレスの人もいました。しかし、一歩郊外に出ると、まっすぐに延びる高速道路(無料)と緑の草原、菜の花畑が広がり牧歌的雰囲気に外国に来たんだなあという気持ちにさせられます。白い土壁と赤を中心としたカラフルな屋根の家が点在していました。

デンマークは最も高いところで、171メートルしかありません。どこまでも平坦な地形です。ですから河はありません。小川はいくつか見ましたが。1年中強い風が吹くので風力発電をしています。原発は1基もありません。

「100年以上たつわらの家」

 事前にインターネットでホテルを調査していたのですが、どうも違ったようです。私たちが宿泊したボーゼンセ・ホテルは通訳の人に言わせると「ヨーロッパの木賃宿」だとか。

 まるで少年自然の家のようなつくりの部屋が並んでいます。ベットと机とシャワートイレのみ。研修に来たのだからがまんがまん。でも、鍵の使い方がとびきり難しいことと部屋にむかでが出た時はびっくりでした。

 

 ここでデンマークの民主主義、高齢者福祉、政治形態、国民学校、幼稚園に出かけ学習しました。今回は、車いすを利用する人も一緒でした。彼女との生活も私には大切なことでした。

「一緒に勉強した方々とホテルの駐車場で」

 次回は、デンマークの高齢者施策をお伝えしたいと考えています。


2012.4.25 無事に帰ってきました。

 4月14日〜20日まで デンマークへ福祉の勉強に行ってきました。

出発する1日前まで、「わたげ」の原稿を作り、前日にやっと旅行の準備をしました。ばたばたした中での出発でした。

 デンマークへの飛行時間は、11時間30分。狭いシートでよくぞがんばったと つい自分を褒めてあげたい気がしました。

 デンマークの首都から車で3時間離れたボーゼンセ市が今回の研修の場所でした。まるで少年自然の家のような宿泊施設に3泊し、集中的な講義、高齢者福祉施設、国民学校、幼稚園を中心に見て回りました。観光は一切なしです。

 

 帰って来て、仕事と報告書に追われ、HPでのお伝えが、まだできません。連休を利用して、「デンマークの民主主義」「高齢者福祉」「教育」そして「人々の暮らし」について写真を交えてお伝えしようと考えています。

 首都コペンハーゲンは、人口も多く、セブンイレブンも進出し市庁舎前にはホームレスの人もいて、ヨーロッパの都会という雰囲気でしたが、一歩郊外に出ると緑の草原と菜の花畑、麦畑が広がる牧歌的雰囲気が印象的でした。

 すっかりデンマーク時間に慣れてしまった私には、帰ってから時差ぼけはなかったもののつれあいが周りで忙しく動き回ることが不思議に映っていました。

 1週間ぶりに車の運転をしたところ、我が家に駐車する時にバックでスルーッと入って、ガラスを割ってしまいました。

 今週から日本的な時間を取り戻して生活をしています。

昨日、文教警察委員会が開かれました。初めての委員会で、私は委員長になっていたので、ものすごく緊張し、のどから心臓が飛び出しそうな状況でした。それもやっと終わりホッとしているところに「がれき受け入れ」に関する私の文章への抗議のメールをいただき、かなり悩んでいます。この問題は、国を二分するような大きな課題なのだと改めて意識しています。世の中にはいろいろな考えの方がいて、そんな中で自分の考えを出していかなければなりません。これは、議員をしていて当然のことですが、そのやり方や表現方法が適切だったかと反芻しています。

落ち着いて文章を書こうと考えています。しばらくお待ちください。


2012.4.11 春の光の中で

 今年は寒かったので、桃の花や菜の花が少し遅れて咲き始めました。そこに桜の花が加わり、山にも川にも里にも町にも一気に春がやってきたような光景が広がっています。

「情報科学高校の桜」


「我が家の春ラン」

 

 小学校、中学校、特別支援学校、高等学校、そして幼稚園と入学・入園式が順次行われています。

 ピッカピカの1年生、がんばれ!と言いたい気分です。

 4月5日に豊後大野市で開かれた熊本学園大学の中地教授の講演会「震災がれきと化学物質」(玉田県議後援会と豊後大野市職労合同の学習会)に参加をしました。先生の講演を聞くのは、2度目です。ますます放射能が怖くなりました。心に残り、お伝えしたいことを綴ります。

M9.0規模の地震の後は、M8.0の余震が来る。それがまだ来ていない。 その時の、福島原発が怖い。

今回の地震では、有害化学物質、解体工事によるアスベスト、そして福島第一原発事故による放射能汚染が環境問題になっている。

有害化学物質として保管されていたPCBを含む高圧トランス、コンデンサーが40本流出している。

農協の保管庫から農薬などが流出している。

今でも放射能は海に流れ出ていると考える。

2041年以降に廃炉完了と原子力委員会は中期目標を立てているが、燃料取り出しの技術は開発されていない。

原発事故の後、安全を求めて北に(飯館村方向)逃げた人たちも高い放射能の危険にさらされた。

ヨウ素131は、甲状腺にたまる。生体から排出され半減するまで120日かかる。
 
(子どもを一時的にでも、汚染されていない環境に置くことは有効)
 
ストロンチウムの半減期は50年。プルトニウムのそれは100年。

震災がれきに関して、廃棄物の性質上、不均質なので、表面放射能は容易に測ることができるが、含有量や濃度の測定は難しい。
 
(1キロあたり100ベクレルを測ることは難しい)

 質問に答えて先生は、こう言われました。

「西日本は、放射能に汚染されていない地域として、福島の子どもたちを受け入れ、安心して過ごさせる場所として存在すべきだと思います。」と

 その言葉が全てを語っていると思いました。

 福島第一原発の事故の後、アメリカは、日本に滞在している国民に半径80キロ以内、立ち入り禁止を命じました。その後、各国が国外撤去も命じました。日本への入国禁止も打ち出しました。私の知り合いは、ハワイから来ることができませんでした。日本では、そのことを「過剰反応」と捉えました。けれども、それは正しかったのではないかと、今になって思います。

 チェルノブイリの事故の後、旧ソ連は、居住禁止を強く打ち出しました。社旗主義国で広い国土を持つからそれができたのでしょうか。

 福島の人たちに「いつか帰れる」と信じ込ませてよいのでしょうか。

「どうぞ、大分に来てください。ここで、農業をしてください。酪農をしてください。子どもたちを思いっきり外で遊ばせてください。」

そんな方針を打ち出さなければいけないと強く思います。 

  

 4月14日からデンマークに福祉の勉強に行ってきます。今日コペンハーゲンの気温情報が届きました。2度〜10度でした。現在の東北地方くらいでしょうか。20日に帰ってきます。準備ができずにかなり焦っていますが、良い報告ができるといいなと思います。