ときどき日記/バックナンバー 2006年 7月・8月・9月
2006.9.18 無くしてからは遅いのです!
久しぶりにかさを買いました。私は、物持ちが良いほうで、洋服でも靴でも一度買ったら、かなり長い間、「まだ持ってるの!」と言われるくらい使い続けます。
つれあいは、かさを無くす名人です。私が買う時は、区別ができるようにと比較的高価なかさを買って持たせていました。しかし、引越しの日をかわきりにアフリカンサファリでスナックでスーパーでとこれまで何本失ったことか思い出すのも悔しくなるほどです。
「ただいま。かさなくした!」と言いながら玄関からしゃべりながら帰ってくる声を何度聞かされたことでしょう。だから「もう高い傘は持ってはいけません。コンビニの百円傘にしなさい!」と言ってあります。しかしコンビニのビニールかさもこの頃は、百円では買えないようです。
私がこの30年間、大切に使ってきたかさは3本です。初代は4℃の黒いかさでした。柄のところが象牙でできていて、握りやすい太さでした。特殊な加工が施された布製で、背の低い私にぴったりの少し短めのかさでした。どこに行くのにも一緒でしたが、バスが来た時に慌てて乗ってしまい、バス停で失いました。たかがかさ1本ですが、青春時代をともに過ごしてきたかさです。なかなか立ち直れませんでした。
シックだったから悪かったのかもしれない。その反省のもと、2代目はうんと派手なケンゾーのかさにしました。柄のところもサイケな模様がついています。私以上に存在感を示し、そのかさがあると「あら、平岩さん来ているの」と周囲の人がわかるくらいの代物でした。骨が曲がると修理に出し、糸が切れると修理に出して大切にしていましたが、あろうことか議会棟のかさ立てにちょっとだけ置いた時間に誰かが持っていってしまいました。1週間ほど、「急な雨だったから使っただけで、もしかしたら返してくれているかもしれない」と毎日玄関に行ってはみるのですが、結局帰ってはきませんでした。
もう高価なかさは持たない。所詮、かさはかさ。そう切り替えて3代目はキティーちゃんのマークの入ったかさにしました。車の中に入れていて、急な雨にも便利だったのですが、ある日、研修会が終わった時にはかさ立てから無くなっていました。
毎週、「教育基本法を変えるのストップ!」と題して、トキハ前で街頭演説をしています。先週は、話し出した途端に激しい雨が降り始めました。雨でも嵐でも今はやるしかない。毎週そんな気持ちでやっています。
1時になったので話を終え、かさを持って来ていないことに気づきました。友達とデパートまで相合傘をして、店員さんにこう尋ねました。「一番安いかさはどれですか」指差された方向には、ワゴンが置いてありました。その中から一番好きなのを買い求めました。柄のところが銀色でビニール製です。パラソルの絵はオレンジを基調に描かれていて、雨降りでも何だか楽しくなってきそうなかさです。小ぶりで車の中に入れておくと重宝しそうです。でもきっといつの日かまた私の前から無くなってしまうのでしょう。でもいいんです。かさだから。
『教育基本法』は大変です。無くなってしまったら、取り返しのつかないことになってしまいます。だから『教育基本法』は無くさないようにいたしましょう。
2006.9.7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
夜遅く、生きのいい鯛を二尾いただきました。うす紅色に黄色い点々が光っています。見事な鯛ですが、私はうまくさばけません。でも義父も母もいないので自分でやらなくてはなりません。
翌日、2時間、鯛とにらめっこして、覚悟を決め、勝手口の外に出てお腹を出すことにしました。けっこう身もうろこも堅く包丁を握る手に力が入ります。においをかぎつけていつの間にかアリの行列ができています。あっと気付いた時には人差し指から血が出ていました。まさに血まみれの格闘でした。あせびっしょりになった後、背戸からの風に秋を感じました。
一匹をお煮付けにし、もう一匹は塩焼きにしました。つれあいは猫またぎと言われるほど上手に魚を食べます。「新鮮だね。うまかったね。」と言っていましたが、私の指のリバテープには気づいていませんでした。
9月3日、学校生協主催の「吉永小百合朗読会」に行きました。今回が3回目だそうです。私は、2000年:広島も、2003年:長崎も仕事が重なっていて見ることがかないませんでした。「すっごく良かったよ」とたくさんの方に言われていました。3回目にしてやっと願いが叶い、妹と開場1時間前から並びました。
第1部は、子どもたちが主役です。幕が上がりずらりと並んだ46人。緊張と恥じらいの様子が何ともいえず心をくすぶります。『おきなわ島のこえ〜ヌテドゥタカラ(いのちこそ たから)』を歌う姿を見つめながらなぜだか涙がこぼれました。
初めて見る西庄内小学校の子どもたちの中にかつて一緒に勉強した子どもの姿がダブって見えました。
第2部は吉永さんの朗読『ウミガメと少年』(作 野坂昭如)沖縄戦で家族を失い、たった一人で生きる少年が浜辺で見つけた、大きなウミガメ。優しさと哀しさが交錯した物語です。吉永さんのちょっと低く落ち着いた声と三線とヴァイオリンのハーモニーが心を穏やかにしてくれます。私は不覚にも眠ってしまいました。
子どもたちに伝える「平和教育」が自虐的過ぎると議会でもずいぶん言われました。でもその発想は間違っています。事実をしっかりと知り、考え、自分の意思で活動することを通して本当に平和を願う子どもが育っていくのです。子どもたちの歌声は、私に「夢と勇気と希望」を持つことの尊さを教えてくれた気がします。
9月6日、紀子さんに男の赤ちゃんが生まれました。朝からずっとテレビニュースは時間を延長して報道しています。
私は昨日、ある施設でせっかく家に帰れたのにまた充分な養育がされず、戻ってきてしまった子どもたちに再会しました。この子たちがまっすぐに成長してくれることを願わずにはおれません。
子どもは生まれる場所を選ぶことはできません。でもどの子どもの命も等しく尊いのです。
2006.8.11 「言葉で勝負!」できたか不安?
あの長雨が不謹慎ながら懐かしく思えてしまう毎日です。皆様お元気でしょうか。
今年初めての県政報告会を8月4日に持ちました。会場には、3百人以上の方がいらっしゃいました。私は、1年目の県政報告会の時から、パワーポイントを使ってきました。何故なら、県政のことを伝えるのはとても難しく、内容も難解で、言葉の羅列(られつ)では理解していただきにくいと思っていたからです。県民の方は「広瀬県政が何をしようとしているのか」という興味と同じくらい、税金から報酬をもらいながら「県議会議員は何をしているのか」ということも興味をもっていらっしゃるでしょう。映像を使って少しでもわかりやすくお知らせしなければと思ってきました。でも回を重ねるごとに映像に頼りすぎてやしないか?言葉で勝負できているのか?と自分の中で疑問も生じていました。
今回は大アクシデント発生。私のCD―Rと準備してくださったパソコンとの相性が悪いのか、昨年のデーターは出てくるものの今年のデーターがいくらやっても出てきません。飛行機に乗るのにチケットやお金を忘れて空港まで行ったこともあるほど人生に抜けが多い私のことです。日常生活では数えたらきりがないくらいの失敗をして、つれあいに毎日小言を言われている私です(持ってくるCDを間違えた?)と反芻(はんすう)するのですがこれは1つしかないもの。だからミスはないはず・・・。と焦(あせ)りの中にいました。時間は刻々と進み、開始前5分。決断しなければなりません。「映像は使いません。何もなしでやりましょう。」報告会を始めることにしました。さらにフロアーで話したいと言ったのに「顔がよく見えないので壇上に上がってください」のダブルアクシデントで頭の中はかなり混乱しながら1時間30分を終了しました。言葉で勝負できたかはわかりません。ただ何が起こるかわからないということを学習しました。
以後は、おたよりを配っています。県政報告紙を9000枚印刷するのですが、手元にあと400枚になりました。廊下の隅のそれを眺めながら(自分でほめるのも変だけれどよくがんばったよ!)と思わず自分を賞賛してしまいます。暑い時期のお便り配りは大変です。汗をだらだらかくというよりも流すといった感じで、相手の方が同情してくださっているのがわかります。そのせいか「ところてん作ったんだけど食べる?」「こんにゃくのおいしいのが手に入ったからあとで持って行ってあげよう」と今回はものをいただくことがありました。本もいただきました。脳性麻痺の二次障害で寝たきりになりながら呼吸器をつけ、在宅に向けてがんばっていらっしゃる方の自費出版本は、ALSの患者さんの様子を病院で見せていただいた時期と重なり何かをもっとしなければと衝動に駆られています。
我が家は、朝早く電話を下さる方と夜遅く下さる方に分かれています。その電話は、深夜11時前にかかりました。「純子ねーちゃん。おそくにごめん」つれあいの姪からでした。「今日発表だったけれどだめだった。また来年がんばる。」姪は大阪で養護教諭の臨時講師をしています。採用試験に落ちてかなり落胆した声でした。どこも教員採用試験は競争倍率が高く大変です。つい「大丈夫。私の周りには6年7年受け続けている人が大勢いるよ。負けるんじゃないよ」と言ってしまいました。私たちは彼女の勤める学校での喜びや悩みに耳を傾けながらこの2年間支えてきました。大都会でセクハラや不登校や校内暴力と向き合うのは大変です。13日に大分に寄るというので、うんとおいしいものを食べさせよう。話もいっぱい聞いてあげよう。文献も渡そう。若作りで買ってしまった服もあげようと考えています。
8月6日には、幸運なことに幼稚園、小学校、中学校の特設「平和授業」に参加することができました。長崎市長の平和宣言「長崎を最後にしなければならない」が頭から離れません。
夏から秋にかけて、少し整理をしてみようと思っています。教育が政治に振り回されてはならないと今ほど感じた時はないから。自分がしてきたことそしてこれからやりたいことを静かに考えてみます。
賀来幼稚園の平和学習「かわいそうなぞう」
我が家とお隣のコンクリートの間から出てきたど根性ゆり。負けるな。
2006.7.18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
いつの間にか梅雨明けしたのですね。脂肪を燃焼させなければとあせもができそうなほど汗をかきながら生活しています。
会派で研修に出かけることになりました。どうしても勉強したかったのは富山県のデイサービスと犬山市教育委員会の教育施策。強く強く主張し、願いが聞き入れられました。本当は、高次脳機能障害の施策がどこよりもすすんでいる三重県にも行きたかったのですが、方角が複雑になるので今回は断念しました。
400年前からの家づくり
台風3号がゆっくりゆっくり去っていった後、大阪空港へ。あるはずのジャンボタクシーはなく、大慌てでタクシーに乗り込み、時間ぎりぎりで新大阪へ。サンダーバードに乗って一路越中の国へ。車窓からは黒光りした釉薬瓦とその屋根についた雪の滑り止め。ほ場整備された田んぼには、早場米のこしひかりの緑のじゅうたんが見えました。
立山から富山まではバスで移動。砺波(となみ)には散居村の家が見えます。家と家が100メートル以上離れて建っています。すべての玄関は風から守るため東向き。屋敷林を植え、家を守っています。それをカイニョと呼び、杉が必ず使われます。いろいろな説があるようですが400年前からこうして家づくりが行われてきたそうです。
富山型デイサービス
友人が宅老所をNPOで立ち上げて3年が経ちます。彼女はお年寄りと「障害」者と学校から帰った子どもと地域の人たちが集う施設にしたいと熱く語ります。私は、そんな夢みたいな話と思っていました。でも先輩の安東ふさよし市議からそんな施設にずっと前に行ったことがある。最近も行ってきたよと聞かされ、実在しているんだと気づきました。それを「富山型デイサービス」といいます。
富山県庁で概要をお聞きしました。
・ これまでの施設は、対象者限定。人里離れた所に建てられていた。家族のようにいつでも誰でも集まれる場所を街の中の空き家などに建てる。
・ NPOが主体。高齢者、「障害」者、地域の人が集まれる。
・ 30人ほどの小人数。細かいところに手が行き届く。
・ 核家族で暮らす子どもには、日ごろからふれあう中で優しさも身につく。
・ 子どもとふれあう中でお年寄りが元気になる。
・ お世話をする中で「障害」者の自立につながる。
・ すべて特区の申請で行う。等など
お邪魔したのはNPO法人「ふるさとのあかり」
代表の山田さんは「親の介護をしてきて、何とかならないか。大きな施設ではない、小規模ならではのきめ細かなケアをしたいと思ったのがきっかけ。いろんな人が集まれ、ホットする場所を建てたかった」と最初に言われました。
・ 行政は最初は、口も出さなかったしお金も出さなかった。
・ 建てた時は、変なものができたと地域で思われていた。
・ 「障害」児も不登校児もやってくる。「障害」児学級の実習生も受け入れる。夏休みは、ひしめき合っている。
・ 送迎は、お年寄りが疲れないように小さな車で少人数で。
私たちが訪ねた時は、「障害」を持つ人も子どももいなくて残念でした。若いスタッフが笑顔で仕事をしていました。虐待を受けて終の棲家にしている93歳のおじいさん。元助産婦のおばあちゃん。30年ぶりに外食でラーメンを食べて泣いた話。外出することで元気になり介護度5から3にかわったお年寄りのこと。時間が足りないくらいでした。
特区の申請が増え、経営は決して楽ではないようです。理念だけではなくしっかりお金も稼ぎなさいという行政の認識との違いが見えました。
玄関を開けると、耳に飛び込んでくる賑やかな声。赤ちゃん、子ども、「障害」を持つ人、認知症を抱えるお年寄り、地域で暮らす人たちがいつでもどんな理由でも必要とあらば預かってしまうそんな施設が街中にあったらどんなにいいことでしょう。地域コミュニティーの姿を学んだ気がします。福祉の現場ではできないこともがんばればできる。みんなで力を合わせればできる。そんな純粋でまっすぐな思いが、行政を動かし、困っている人を受け止めようとする試みが多くの人に支持されて、富山型デイサービスは広がっていったのだと思います。大分でも広げていければと考えています。
犬山市の教育(犬山プラン)−当たり前のことを実践
ここまで書いて、かなりの長文になってしまいました。教育のことを書くとつい専門的な言葉遣いに陥りそうなのでできるだけ完結に書きます。
でもその前に、奈良で屈指の進学校に通う高校生が家に放火し、幼い妹弟と母親が亡くなったという事件は、衝撃的でした。私は、神戸の事件の時のように震え、落ち込みました。そして事件後、にやにや笑いながらインタビューに応じていた校長のことがどうしても解せませんでした。先日講演いただいた野口先生によるとあの校長は、事件の翌日、全校生徒の前で「諸君は、初期の目的を達成すべく勉学に励め!」と檄を飛ばしたそうです。怒りを抑えられません。
我が家にも進学校に入り、心と行動が伴わず苦しむ子がいます。他人事ではありませんでした。私たちの周りには、孤立し押しつぶされそうになりながら生きている子どもたちがたくさんいるということの警鐘だと捉えています。
学力問題がここ数年語られ続けています。どこの学校でも一番力を入れているのは学力です。基礎・基本の定着です。それなのに授業時間を確保しろ。教師の指導力を高めよ。学校間競争を激化しろ。と大合唱は止みません。ついに文部科学省は、経済界と新自由主義に押され、来年の4月24日に全国一斉学力テストを実施するように通達を出しました。(小6と中3)
朝日新聞に犬山市の教育長のそれには参加しないと表明する記事が載ったのは、もう何ヶ月も前のことです。文科省にはむかうのですからすごいことです。だから今回は、そのあたりのことを知りたくて伺いました。
なぜ全国一斉の学力テストに参加しないか
(1)犬山の子どもに身につけさせたい基礎的な学力は、決して教え込まれるものではなく、自ら獲得するものと考えているから。
(2)犬山では、学習指導要領が最低基準であるという国の規制緩和を主体的に受け止め、教師の手づくりによる副教本の作成・活用を図ってきた。この犬山の教育は、犬山の教育目標に即して総合的に評価すべきもので、全国一斉の調査によって評価すべきものではない。
(3)評価は、子どもの成長や教師の指導方法の工夫・改善のため日々の授業実践を通して行われるべきものである。犬山では、日々の確認テストや観察などで継続的評価を積み重ね、基礎・基本の定着を図っている。今回の国の調査は、本来子どもの学びや教師の指導方法の改善・工夫に役立つものではない。
まさにあっぱれだと思いました。話し合いの中で、大分の教育委員会とは心通わせることができないことまでじっくりと話をすることができました。教育委員会の部長も課長も主幹も現場の校長経験者がなっています。教育委員会と学校とがしっかりとつながりどんなに役がついても、心意気にぶれが見えません。教師の実践を尊重し、学級編成も学校長に裁量権を持たせています。きめ細かな指導の重要性から30人程度学級を実施し、さらに少人数やTT(チームティーチング)を行います。「習熟度別編成はしてはならない。なぜならいろいろな子どもがいる中で自ら学びあう力をつけることが人格の形成になによりも大切だから」と言われます。教育予算を取る時は、大激論をするそうです。ここがまさに政治判断。きめ細かな少人数指導の成果で犬山では、荒れている学校も不登校もいませんでした。教職員の評価もしません。自己評価をし、子どもが評価し、同僚で評価しているからです。多くの保護者に支持され、議会での教育批判はありません。だから教育委員会はじっくりと時間をかけて研究をし、学校教育を支えることができます。うらやましい限りです。
教育実践は大変かもしれません。でもやりがいのある仕事に使命感を持って、日々の実践が行われていることに気づかされます。
文科省がやってきてかなりの激論が闘わされたようです。「犬山プランをすすめていくだけです。何も難しいことではない。子どもが楽しい学校。教師が学ぶ意欲を持つ、特別なことではなく、当たり前のことを実践してきたんです」と教育部長は語ってくれました。実際、文科省の一斉学力テストに犬山の考えが少し生かされています。その意味でもが犬山の教育プランが全国に問題提起したのかもしれません。
総合的な学習で使った2万年前の氷に興味津々
私が考えていることを実践している人がいる
私は、この3年間、教育改革の嵐の中で見えるべきものが見えなくなっていたのではないかと振り返っています。私の考えと同じ人が他県にもいたんだ。私の願いは、間違ってやしない。子どもが「ああ楽しかった。また明日も来るけん」そう言って帰って行ける学校。教職員が、子どもたちと過ごす時には、アドレナリンが全開となり、実践を繰り返すことができる学校。そんな当たり前の学校でいいのです。物分りがよくなってはいけない。原点に戻って、自分の思いを自分の言葉で表現する。そのことの大切さをあらためて教えられた気がしました。
夏は、これからが本番。どうぞご自愛ください。今年の夏は、挑戦する夏になりそうです。
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