ときどき日記


2014.3.3 スリランカに行ってきました。
 
 3月に突入しました。高等学校の卒業式を皮切りに、小・中・大学と続きます。3月は別れの季節ですね。
 
 四日前、施設に入所している母の具合が悪くなったと連絡をいただきました。
熱が出て、ぼんやりして、食欲がないので、お医者さんの往診を頼んだそうですが、その後も状態は改善されず、総合病院に救急車で運ばれ、検査をすることに なりました。6年前、くも膜下出血を起こし、手術をしているので、同じような状況が起こったのかと心配していただき、血液検査、CTスキャンを撮っていた だきました。結果は、肺や小腸の静脈に小さな血栓ができていて、そのために呼吸が苦しくなりお腹も張っているということでした。施設と契約している病院に その日の夜遅く入院することになり、かなり慌てました。母は、覇気がなく、言葉もはっきりしなくなっていて、ついに来るべき時が来たか・・・・と心のどこ かで覚悟をしました。
今は、血液をサラサラにする点滴を受けています。一日経ち、二日経ち、ほんの少しずつですが、「お腹がすいた。」「昨日、敏朗さんが来てたね。」と話し始め、今のところすぐにお別れするような状態を脱出できたようです。妹と交代で病院に泊まり込みをしています。
 看護師さん、介護士さん、介助員さんとたくさんの人にお世話になりました。
つくづく実感します。介護の問題を抱えていると、家族を支えてくれる職員の方々の何気ない優しさが、ありがたく、どれほど身に染みるかということを。
 
 一般質問の原稿書きに追われ、ときどき日記の更新がずっとできていませんでした。
 
 
 2月8日から12日までスリランカに行ってきました。どこだかわかりますか。
インドの北側にある小さな国です。昔は、セイロンと言う名前でした。機内泊2日。9時間かかります。向こうに滞在したのは、2日。帰ってきたら日付が変わっていたので、実質、2泊5日の強行スケジュールでした。
 
 何日も経っていますが、「スリランカは、これから発展していく国なんだなあ。」と向こうの景色を思い出しています。
 ・イギリスの植民地で、1948年に独立しています。
 ・人口は2000万人ですが、増え続けています。
 ・国土は、北海道を一回り小さくしたくらいです。
 ・産業は、アパレル系、紅茶やスパイス栽培が盛んで、真珠以外の宝石の産地です。
 ・宗教は、仏教徒がほとんどで、ヒンズー教徒やイスラム教徒、キリスト教徒もいます。オレンジ色の袈裟をまとったお坊さんをたくさん見かけました。
 ・学校は、小学校から大学まで無料ですが、日本のように大学まで行ける人は多くはいません。
 ・貨幣は、スリランカルピー。1円が0.8ルピーでした。
 
 
活気あふれる国
 飛行機は、空港のあるコロンボに着陸し、そこから世界遺産のシギリヤ・ロック、タンブラ石窟寺院のある町まで、車で移動しました。周りにヤシの木を見ながら、舗装された道路だけがひたすら続いています。スーパーマーケットやコンビニはありません。
道の両側には、果物やお菓子や雑貨などを売っている個人の小さな店が並んでいます。店番をしているのは、男性ばかりでした。「女性はどこにいるのですか?」と尋ねたら、「女性は、家にいます。まだ男女平等が進んでいません。」とガイドのスリハナさんが教えてくれました。
 
 牛が、道路を横切り、観光客を乗せたぞうが、車よりも優先です。
 町に近づくと、車の数がどんどん増えてきます。スリランカには、車を製造する会社はなく、走っている車の多くが日本製です。きっと日本で、廃車になった ものが、輸入されているのでしょう。日本語のステッカーや会社名が入ったものをたくさん見かけました。イギリス領だったので、左側通行です。そこを、60 キロ〜80キロのスピードで走ります。いたるところでクラクションが鳴り、左からも右からもどんどん走っている車が侵入してきます。交差点には信号機があ りませんが、不思議なことに阿吽の呼吸で、走り抜けます。乗っている私は、怖くてしょうがないのですが、運転手さんは、まったくストレスを感じていないよ うに見えました。
 コロンボ市内は、渋滞が激しく、信号もいくつかあります。お巡りさんが立っていて、交通整理をしているのですが、歩行者は、赤でも平気で渡っていきます。
 
 気温は、30度以上あるのですが、バスには冷房がないのでしょう、窓が開いていました。ぎゅうぎゅうづめになって、人が乗っています。ドアは開いたままで、目的地が近づくとひょいと乗客が飛び降ります。
 
 郊外では、田植えをしている風景が見えました。機械ではなく、手植えです。
人が作業をしている周りを、えさを求めてシラサギが動いています。暖かい国なので二期作です。


 
 熱心な仏教徒の国なのでしょう。お寺に行くと、お花を供え、そこに座ってみんなお経を唱えています。お寺に入る時は、靴を脱がなくてはいけません。





 女性は、皆、長い黒髪をしています。高齢の女性は、お寺に行くときは、白いブラウスを着ています。男性も女性も子どもも眼鏡をしている人をほとんど見かけませんでした。
 小学校では、運動会の練習をしていました。先生は、日傘をさして、笛を吹いていました。
 
 ホテルのモーニングコールを、朝、6時30分に頼みました。電話のベルが鳴るのだろうと思っていたら、朝、6時30分にドアのベルが鳴りました。驚いて開けてみると青年が二人立っていて「グッドモーニング!」これには、びっくり。



 スリランカの食べ物
 生の魚は食べないそうです。魚は殆ど煮ています。カレーが有名です。赤米といって細い粘りのないお米に、チキンカレーや豆のカレーやグリーンカレーをつ けていただきます。こしょうの味が強く、辛くてなかなか食が進みませんでした。果物は豊富で、パパイヤ、パイナップル、マンゴのジュースは、いくらでも飲 めました。食卓には、いろんな種類のバナナが置かれています。食事の最後は、やはりセイロンティーです。
 
 私が、子どもだったころに、見たような風景が広がっていました。これから発展していく国なのでしょう。成熟し、そして先行きが見えない日本にいると、ど うぞ、そのままの国でいてください。子どもたちのきらきらと輝いている瞳が曇ることがないようにしてあげてください、と祈りたいような気持になりました。
 
 日本との気温差が、35度。眠れず、長時間の飛行とバスでの移動で疲れ、帰って来て風邪をひいてしまいました。
 

2014.2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
 
 ここ数日、暖かい日が続いています。おとといまで名古屋、静岡、水戸へ出張していたのですが、寒いと思って着込んで行ったところ、向こうも暖かく、ヒー トテックのシャツやマフラー、コートで歩くと汗をかきました。北の地方は、日が暮れるのが早いのですが、大分に帰ってくると随分日が長くなっていることに 気づきます。何だか春を思わせる日差しにほっとして「大好きな春がもうすぐ!」とわくわくしてきます。でも、きっと「なごり雪」は来るのでしょうね。
 
 
 このところ、新聞、週刊誌、インターネットで騒がれている「明日、ママがいない」についての思いを伝えます。
 私は、芦田愛菜ちゃんが、数年前に「MOTHER 」に出演した時からのファンです。「マルモのおきて」も見ていました。
 彼女が主演の児童養護施設を舞台にしたドラマが始まると番宣で見て、どんなドラマなのかしら・・・・・と興味を持っていました。
 
 3週間前の水曜日、その番組を見て、愕然としました。思わずそばにいたつれあいに「こんなのうそ!」と何度も叫んでいました。その日の夜は情けなくて悔しくて、眠れませんでした。
 どこが嘘なのかと言うと、例えば、児童養護施設の施設長は、子どもを脅したり、威嚇したり、見下したりしません。「泣いたものから飯を食え!」はありえ ません。ケースワーカーは、無表情で子どもに冷たく接したりしません。子どもの出生の秘密に関することを他の子どもに知らせたり、ましてや「ポスト」「コ イン」「ぽち」鈍器」などと言うあだ名をつけ、呼ばせたりはしません。
 
 この10年間、児童養護施設にお邪魔し、子どもたちと会ってきました。子どもたちの置かれている状況は様々ですが、どの子も自分ではどうすることもでき ない不条理な現実、あらがえない現実を抱えて生活しています。信じられる大人と出会い、周りの人に支えられ、その子なりに生きようとしています。みんな普 通の子どもです。そして、バーンアウト(燃え尽きる)しそうになりながら、這いつくばるようにして子どもたちを支えているのが、私の出会った職員の人たち でした。
 「こんな誤った児童養護施設を演出されたら、子どもたちは、どんなに傷つくだろうか。通っている学校の子どもたちはどんな思いを持つだろうか。職員のモ チベーションは、どん底まで突き落とされてしまう。」と気が気ではありませんでした。実際、施設の子どもが通う学校で「お前のところもあんな風なのか?」 と尋ねられたり、施設出身の人がショックのあまり、リストカットをしたりとの報道もありました。ある施設の職員さんは「吐きそうだった」そうです。
 
 熊本の慈恵病院は、「赤ちゃんポスト」を設置しています。ここが開設される時「赤ちゃんを捨てる人が増えたらどうするんだ!」と随分非難されました。私 も心配していました。しかし、昨年末、薬師丸ひろ子さんが婦長役で「赤ちゃんポスト」を舞台にしたドラマが作られ放映されましたが、十分な取材をし、訴え たいものが何なのかがはっきり理解できるドラマになっていました。望まない妊娠をしてどうしようもなくなったお母さんたちがここに赤ちゃんを預けざるを 得ない状況。そして、92人の赤ちゃんが養子縁組して巣立っていったそうです。
 そんな、現場の実態や苦悩を調査もせず、児童養護施設の実際を見ることもなく作られたのが今回のドラマだと思います。「ハンディーのある人がこんなに頑張っているのだからあなたたちももっと頑張りなさい」式の構図だとしたらそれは間違いです。
 
 フィクションであれば、許されるのでしょう。視聴率が上がれば良いのでしょうか。話題性があれば何でもありなのでしょうか。慈恵病院や全国の児童養護施 から、抗議やBPO(放送倫理・番組向上機構)への訴えが出ています。それに対して、製作者側は、「子どもたちの逞しさや愛を描きたい」と返答しています が、たとえ、ラストがハッピーエンドとなっても、こんな番組作りは許されないと思います。
私は、「スポンサーが降りればいいのに」と思っていました。実際に2回目3回目と回を進めるうちにCMがほとんどACジャパン(公共広告機構)や番宣に置き換えられていますので、お客様第一のメーカーは尻込みしているようです。
 
 このような番組を作ったら、当事者はどんな気持ちになるのかと考えることのできない「想像力と思いやりのない人は、ドラマを作ってはならない。」と思います。それは、番組作りだけではなく、政治を司る人にも言えるのではないかとも考えています。



2014.1.13 介護の行方は・・・・・

 寒中お見舞い申し上げます。

 新しい年を迎えて、あっという間に2週間近くが過ぎています。

 皆様は、どんなお正月を過ごされましたか?

  我が家は、昨年、義父を亡くしているので、華やかにお正月を祝えませんでした。「うさぎとかめ」に入所している母を年末に迎えに行き、お正月は親孝行しな がら過ごしました。今年は、業者のおせちも買わず、自分で作りました。お料理をしすぎて、今は、「食事作りはもう結構です!」と言いたい気分です。

 おとといの朝、「うさぎとかめ」の施設長さんから携帯に電話が入りました。「何かあったのかもしれない・・・」と不安になりました。

  話の内容は、「朝、4時半ごろ、トイレに行こうとした際、手押し車を使わず自分で歩いていて、転びました。職員が急いで駆け付けたのですが、間に合わず申 し訳ありませんでした。」ということでした。骨折はなく、コブができたようですが、安心しました。大腿骨を骨折すると寝たきりになってしまうので、このこ とが回避できたことは、何よりでした。

 施設長さんは、何度も謝りの言葉を言われましたが、こんな状態の母を預けてお 世話していただいている私のほうが謝りたい気分でした。その時の会話を思い出すたび、「何だか幼稚園か保育園の出来事のよう・・・」と感じますが、高齢者 を抱えるということは、こういうことなのだと思い知らされています。

 すぐに施設に伺うと、施設の方が心配するかもしれないと思い、出かけずにいましたが、妹は「顔を見てくる。」と出かけて行きました。

 彼女からのメールには「今、会ってきました!元気です。こぶも分かりません。入浴日だったので、体も看護師が診て、大丈夫だったと。施設では、たまにあることですが・・・・とりあえず職員さんたちには、迷惑かけてすみませんと言ってきました。これからもあると思います。

 お母さんは、私が死んでも、兄弟仲良くしてな・・・・そう話してはテレビを見ていました。」と書かれていました。

 我が家に起こった些細なことですが、介護をしているとこんなことの連続です。わたしのように介護の課題を抱えている方は、大勢いらして、もっと深刻な問題をお持ちの方も多いと思います。

  今、介護保険の第6期事業計画の変更を政府は行っています。きっと政府の思うとおりに変更は行われると思うのですが、私はその変更内容に納得できません。 主な変更の2点ですが、@要支援の人を介護保険給付対象からはずし、市町村事業に委ねること。A一定収入(280万円以上)のある人の利用料を2割に引き 上げる。ということです。何故そうするかというと介護保険を支えている現役世代が少なくなり、高齢者が増えているからです。財源が問題となって変更が行わ れようとしています。けれども、そうすることによって「公助」は後退し、「自助」への転嫁が強くなっていきます。

 こ れが実施されれば、市町村の財政状況によって受けるサービスが異なる状況が生じてきます。利用料2割負担は、現在、介護施設を利用している当事者の利用を 抑制してしまいます。すなわち、早期発見・早期治療の認知症ケアの原則に反することになりますし、利用を抑制することによって、重度化が速まり、将来的に は、保険財政の負担増にもつながっていきます。

 利用抑制は、現在細やかなサービスを展開している、母が利用しているような小規模の施設がたちいかなくなる状況を生むかもしれません。

 4月には、消費税が8パーセントに引き上げられます。消費税増税と負担増・給付抑制の二重負担は、道理に合わないものです。

2000年に介護保険が導入されました。長い間、嫁や娘や家族が犠牲になっていた介護を社会全体でみていこうと「介護の社会化」が謳われ、誕生したのが介護保険制度です。2年ごとの見直しや変更は、少しずつ「介護の社会化」から遠ざかっています。

 母は、自分の年金と父の遺族年金で、自分の生活を支えることができる状態にいます。しかし、母のように恵まれた環境にいない人が、日本には大勢います。

 介護も教育もお金のある人だけが、利用できる、優遇される制度にしてはならないと思います。

 今よりもっと貧しかった戦後まもなく、先人たちは、知恵を絞り、大変な努力をして、国民皆保険・皆年金制度を実現しました。その困難さの大きさを考えれば、今の困難を乗り越える知恵もきっとあるはずです。

―――認知症の人と家族の会「ぽーれぽーれ」から―――