2005.3.31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
2月28日に始まった2005年度第1回定例県議会が3月30日に終わりました。提案された議題は90号までありました。長かったのか短かったのか自分でもよくわかりません。気がつくといつのまにか春が訪れていました。
初めて社会県民クラブを代表して代表質問をしました。そのことは早くに決まっていたのですが、代表質問の準備には、昨年12月の一般質問を終えてから取り組みました。ちょうど大分市議選の時期と重なり、昼間は選挙活動、夜は資料収集と原稿書きという生活が2ヵ月近く続き、正直なところ(ああもう消えて無くなりたい…)と2回ほど思いました。質問の中身は、「県議会報告」の項に載せていますので時間があったら読んでみてください。
当日は、先輩やかつての保護者の方達、親戚のおじさんやおばさん、同級生、いくつものNPO関係の方々、そして私の団地の方々等80名近くの人に来ていただき、未だ後援会組織のない私にとっては、本当にありがたいことでした。
与えられた50分の時間を終了した時は、酸欠状態のような気分でした。鋭い追及や自分らしさが十分に発揮できていなかったかもしれませんが、質問を書くためにものすごく勉強しましたので、一番得をしたのは自分自身なのかもしれません。これから教育問題だけでなく、介護のこと、高次脳機能障害のこと、食の安全のこと、農業のこと、環境のこと…勉強しながら取り組んで行きます。

今度の議会では、県警の捜査費疑惑が指摘されました。議会棟の廊下は、連日マスコミ報道の人と機材で一杯でした。指摘した議員と疑惑を否定している県警との間で私たちもよくわからない状態ですし、議会内の対応にも温度差がありますが、県民みなさんも高い関心を持っています。私は、真相解明しなければならないと思っています。
桜の開花宣言と同時に穏やかな春を感じます。仲間は、今、1年で一番忙しい時期を過ごしています。同級生の何人かは教頭先生になりました。不安でいっぱいだと思います。私もここのところずっと落ち着きません。
横瀬西小学校で一緒に勉強した子どもたちも3月23日に卒業しました。1、2年の時は、まるでバケツをひっくり返したような何をしても落ち着かなかった子どもたちが、最後の卒業式では、担任の宮田先生をおいおい泣かせる有終の美を見せてくれました。6年間の自信を持ってまっすぐな気持で中学生になります。この3年間が、人として生きるための有意義な3年間であるよう祈らずにはいられません。そのためにも私は頑張らなくてはならないのだと自分に言い聞かせています。

2005.3.18 レッテル、はる人、はがす人。
2月28日から2005年度第1回定例県議会が始まり、まだ続いています。予算をはじめたくさんの議題・課題がクローズアップされています。私は代表質問を何とか終えることができました。議会に関することは、3月30日閉会後にお伝えすることにします。
「6年生の最後の読み聞かせにいらっしゃい。」と三ヶ尻先生に声をかけていただいたのは、2月26日のことでした。私が最後に担任した横瀬西小学校の子どもたちが3月に卒業します。ゲストティーチャーとして朝の読み聞かせタイムに呼んでくださったことに胸が熱くなりました。その日から(どの本にしようかしら・・・)と悩み続けました。
子どもたちが1.2年生の時は、よく本の読み聞かせをしたものです。子どもに読むために買った絵本が、2階の本棚を占領しています。手に取ってみると、あの時の光景が目に浮かんできます。1冊1冊に思い出があります。学校を退職した時には(もう絵本を読んであげることなんかないよな。)と思い、家に子どもが遊びに来るたびに「好きなのを持ってお帰り」とあげていたので、本棚に並んだ絵本は少なくなっています。
絵本を選ぶのに親友の菅さんに相談し、4冊に絞り込みました。1冊を決めあぐね、議会に持っていって若い世代の人にも相談して決めたのが、マックス・ルケードの『たいせつなきみ』でした。
ウイミックスと呼ばれる木の小人たちは、毎日同じことばかりしていました。ほかの小人に、金の星シールかだめ印の灰色シールを貼るのです。なめらかな木でできていて、絵の具もきれいに塗られたかわいらしい小人たちは、いつでも金の星シールがもらえました。才能のある小人たちもそうです。でも、あんまりいろんなことができない小人や絵の具がはげかけている小人たちはいつもだめ印の灰色シールが貼られていました。主人公のパンチロネはそんな小人の一人でした。でもパンチロネを造った彫刻家のエリは、パンチロネに彼がどんなに大切な存在かを悟らせようとします。ほかのウイミックスたちがどんなに彼をけなそうとも。
久しぶりに会う子どもたちは、また背が伸びていて、顔つきも大人びていました。体が大きくなった分、教室は狭く感じます。別れた時は、4年生のギャング・エイジでしたが、横瀬西小学校の機関車として全校生を引っ張って来た6年生に逞しく変身していて、私のほうがどぎまぎしてしまいました。本当は、もっともっとよく顔を見ていたかったのに私のほうが照れてしまっていました。一生懸命読みましたが何だかうまくいかなかったような気がします。(おみやげのクッキーづくりではなく、読みの練習をすればよかった・・・)と胸がチクリと痛みました。でも、いいんです。子どもたちは、私のことを一番よく知っています。私のいいところも悪いところも。あの本からレッテルに傷つけられない生き方があるということを感じてくれたらいいな。そして自分らしさを誇りにして巣立ってくれたらと願っています。
子どもたちと会って、私の心の中に貼られた灰色だめ印シールが1枚はがれた朝でした。


3月20日で、あの世界中の何千万という人々が反対したにもかかわらず、アメリカ・イギリスが始めたイラク戦争から2年が経過します。
イラク戦争でイラク国民は10万人以上が殺され、アメリカをはじめ有志連合軍の犠牲者は1700人と言われています。
小泉首相が派遣した自衛隊の人々にも、劣化ウランの影響がきっと表れると思っています。
終わらせましょうイラク戦争を。
撤退させましょう自衛隊を。
2005.2.22
それでもクロッカスは咲いてくれました〜大分市議選を終えて
車の助手席に乗ると、無意識のうちに外にいる人に向かって手を振ろうとする自分に気づき、「もう選挙は終わったのに」と心の中で思います。
一週間大変お騒がせをしました。大分市内を55の選挙カーが走り周っていたのですからその騒音は、半端なものではなかったと思います。受験生にはうるさいだろうな。寝たきりのお年寄りや赤ちゃん、携帯電話をかけている人や工事現場の方々にも大変なご迷惑をおかけしました。
私は、18日を除いて毎日選挙車輌に乗り、市議会議員候補の応援をしました。こんな形での参加は初めてです。どうしたらいいんだろう。わたしのせいで候補者に迷惑がかかったらと随分心配をしていました。先輩からは、「あんたの選挙でもあるんで!」と忠告されましたが、私の選挙なんて考えられずただひたすら3人の候補者を当選させなければと支援者の所に行き、個人演説会の弁士をつとめ、選挙車輛に乗りました。
行く先々でいろいろな候補と出会いました。慣れてくるとちょっとの目を盗んで他候補の選挙車輌の観察をしていました。車を6台も連ねて走る陣営がありました。車に乗って白い手袋をして手を振る人を私たちは「手振り」と呼んでいますが、一生懸命に必死の思いで振っている人もあればアルバイトなのか手だけは動かしているけれど無表情という人もいました。雨降りの日でも窓を全開にして濡れながら訴えている候補者もいれば、窓を閉めてマイクだけを握っている人もいました。政策や自分の思いを訴える人もいましたが、名前だけの連呼という人もかなりいました。有権者は、あの選挙車輛から何を感じ、どの候補者を選ぶかをどうやって判断したのでしょうか。
大分市選挙区の投票率は、過去最低の58.46%。政治に対する無関心が残念です。市政の課題を市民に伝えきれていない議員の側にも責任があるのではないでしょうか。有権者の意識がうんと高くなり、候補者の政策を吟味する力がつけば選挙の方法も変化するのではと一週間車輌に乗りながら一人で考え続けました。
今回の選挙は、争点のない選挙とマスコミは書いていましたがとんでもない。これだけ上滑りの教育改革が進められようとしています。「ゆとり教育」から一転、「学力向上」の大合唱のもと、かつて反省したはずの「詰め込み教育」が大流行しています。子どもたちに今必要なのは、ごく一部の優越感と大多数の劣等感を増幅させるだけの競争のための教育ではない。それだけでも大きな争点だと私は考えていました。
結果として支援した3人の候補者のうち2人は、圧倒的支持を得て当選できました。でも市民派の代表である候補者を、当選させることができませんでした。気丈に振舞う本人の前で泣いてはいけないと誰もが必死で涙をこらえてきました。これからの時代に絶対必要な人だと信じていましたので無念でなりません。今後のNPO活動に期待しています。支えてくださったたくさんの方々にお礼申し上げます。
体重が2キロ落ちましたが、四十肩で苦しんでいた腕は毎日の手振りがリハビリとなり動くようになりました。食事の自立だけができていないつれあいは、炭水化物中心が災いしたのか口内炎ができていました。私は目下、野菜中心の食事作りと3月10日の代表質問の原稿づくりに励んでいます。
5年前、引っ越してきた時に芝生の隅にクロッカスの球根を植えました。毎年一番に春を告げる花です。忙しくしていて気づかない間に次々に心和ませる花を咲かせていました。2月の光の中でみんなそれぞれが自分の道を模索していきます。
クロッカス
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2005.1.17 「高校再編」の民意はどこに?
新しい年を迎え、16日が過ぎました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、少し疲れました。暮れから新年にかけてたくさんの忘年会や新年会がありました。人に会うことが仕事だと言ってしまえばその通りなのですが、初めてお会いする人に調子を合わせることが苦手で(この方と私の接点は何だろう)と一生懸命考えて話をしていると家に帰ってボロボロ状態の自分がいました。まだまだダメだなあ、と自分を見つめていました。
今日は、阪神・淡路大震災が起こった日です。復興は、8割進んでいるとのことですが肉親を失い、傷ついた心の傷は決して癒されてはいないでしょう。スマトラ沖の地震と大津波の被害以来、地震の恐怖をずっと考えています。
許せないこと
●2001年のNHK番組「戦争をどう裁くか」で中川・安部両政治家が圧力をかけ、元従軍慰安婦の証言部分がカットされたこと 「一切言っていない」「圧力はかけていない」と身の潔白をしゃべっていましたが信じはしません。とりわけアジアの女性たちの支援をしてきた亡き松井やよりさんを冒涜(ぼうとく)したことは許せません。
●高等学校再編素案がでたこと
私たちは、前日まで話し合いをし、知事、教育長、県議会議長に「こんなに民意が反映されていない改革を発表しないで欲しい。もっと地域や保護者の声を知って欲しい」と要請しました。反対している人たちは、明日、教育委員会が開かれるなら座り込みもする覚悟でした。県教委は、機動隊へ要請をしたとも伝えられていました。いろいろな話し合いの後、明日は、発表しないと約束されていたのに素案という形で発表がありました。姑息(こそく)としか言いようがありません。しかも2007年に併設型中高一貫教育校を豊府高校につくるとまで発表しています。
2日間、トキハ前でずっとこのことを訴え続けました。
教え子のお母さんは、不安でしょうがない、でも子どもに直接かかるこんな大きな問題を保護者が理解できていない、と伝えてくれました。一部のエリートと裕福な家庭の子どもだけが守られるようなシステムを許すことはできません。もっともっとみんなに知らせたい気持ちでいっぱいです。呼んでいただければいつでもどこへでも出かけていってお話しいたします。
2005.1.1 2005年「命」を考える
新年明けましておめでとうございます。
昨年は、つたない「ときどき日記」を読んでいただき本当にありがとうございました。
人間というのは、時として本音だけで生きていってはならないものなのだ。と議員になってから学びました。でも「ときどき日記」だけは、いつも正直な私の気持ちを綴ってきました。ですから時には、間違った考えを書いてしまっているかもしれません。そんな時は、どうぞ教えてください。そして今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年の清水寺の貫主様の字は、「災」でした。人災、天災に日本だけではなく、世界中が苦しんだ1年間だったと振り返っています。
イラクの地では、アメリカの始めた誤った戦争が未だ続いています。新潟県中越地震で生き埋めになった幼い子どもを救うために日本中の人が願い、固唾(かたず)をのんで見守りました。人の命の尊さを知りながら地球のどこかで一瞬にして命が奪われていることを私たちは、決して許してはならないと思います。
1月17日には、沖縄から米海兵隊員が大在埠頭(ふとう)に上陸します。大分にやってくる20歳前後の若者たちもイラクへ行く人々かもしれません。沖縄の負担を軽減するためといって始まった海兵隊の訓練も7回目になります。大分県の日出生台が基地化されていくようで不安を感じているのは私だけでしょうか。
昨年の私は、帯状疱疹(たいじょうほうしん)に罹(かか)り、オレオレ事件も経験しました。小さな自損の交通事故も2回起こしてしまいました。すべて気の緩みであり健康管理ができていなかったせいです。まずは、心も体も健康でいようと考えています。第4回定例会の一般質問で「食育」のことを訴えたところ思いのほか反響がありました。「食は命なり」と自分自身の中では位置づけています。食に関する正しい知識や食習慣を見直し、自分の体でそのことを実践できたらと考えています。
そしてもう1つ。もっともっといろんなところに出かけていってたくさんの方にお会いしなければと自分に言い聞かせています。人のために何かをすることは、大好きなのに自分を前に押し出す勇気が私にはありませんでした。こんな仕事をする人間にとっては、それは最大の欠点だと気づいていながら自分の性格を変えることは難しいことでした。しかしもうそんな甘えたことは言っていられません。少しずつ変化していく平岩純子にならなくてはと新年を迎え決意したところです。
子どもにとって今しかないその時間や生活がいい方向に向かえるよう今年もがんばってまいります。どうぞご指導くださいませ。
川をきれいにしよう 下郡小学校4年生
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ポピーを植えるそうです
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