2012.12.10 教育公務員のあり方は・・・・
一段と寒くなりました。今日は大分市内でも初めて雪が舞いました。皆様お元気でしょうか。
私は、年末を迎え、あれもしなければ、これもしなければ、と気になるのですが、議会と選挙に忙しくしています。
我が家のシャコバサボテンが花芽をつけました。日当たりの決して良くない所に置いています。1週間に1度水をあげるだけなのに、毎年咲き続けていることに感心してしまいます。「あんたはえらい!」と声をかけています。
12月6日に「教育公務員のあり方を考える学習会」が大分市で行われました。
「教員採用汚職事件」から4年の月日が流れました。決して風化させてはならないと考えています。この4年間の思いを綴ります。
2008年2月
私は、結婚式に出ていました。
新婦も新郎もご両親やご兄弟、親せきの方々に祝福されとても幸せそうでした。とりわけ、新郎の友人たちのはしゃぎぶりが際立っていました。その時初めて友人たちの多くが教員であり、新郎が何年も臨時講師を続け、晴れて教員採用試験に合格し、今年の春から正規の教員として採用されるということを知りました。そのことを自分のことのように喜んでいたのが、友人の方々でした。
結婚式では。新郎のかつての教え子たちがサプライズで登場し、式を盛り上げてくれました。
2008年4月
彼は、大規模校の中学校の教員として赴任しました。
臨時講師では、基本的に経験することができない、新入生を迎え1年の学級担任になり、2年、3年へと持ち上がりをして生徒と一緒に卒業式を迎える。生徒と一緒に泣き、笑い、いろいろな課題を乗り越えて、生徒と一緒に自分も成長するという夢が叶うのですから、きっと希望に胸を膨らませていただろうと思っていました。
2008年6月1日
私は、県教組大分支部の定期大会に出席していました。文化会館の壇上には今年度採用になり組合に加入した若者が30名近く並んでいました。何年も採用試験を受け続け、もう青年部ではない人もいました。結婚している人もいました。各学校の先輩たちから盛大なエールが聞こえ、会場は和やかな雰囲気に包まれていました。この人たちが、これからの大分市の教育を引っ張って行ってくれる人たちなんだと、私もわくわくしながら彼らを眺めていました。
その次の日
県教委幹部による「教員採用汚職事件」が発覚しました。
次々に報道される内容は、おぞましい限りでした。どれだけ多くの学校や地域を混乱させたことか。どれだけ多くの子どもたちを不安にさせたことか。
元教員で議員になっている私は、真っ先にマスコミの追及を受けました。「あなたも口利きをしていたでしょう。」と家に帰るとテレビカメラが待ち受けているという状況でした。私は、口利きをしていません。でも、そういう場面を見たことがあります。先輩が電話で何やら話している。名前と番号を告げている。「発表の前に知らせて欲しい。」と言っていました。議会は、縦社会で、1年生議員が何期もしている先輩議員に意見を言うことは難しいことです。でも、その時は思わずこう言っていました。「私の教え子の姉ちゃんは今年受験をしています。ずっと前に教えた子どもの妹は何年も教員採用試験を受け続けています。誰にとっても公平であるべきです!」と。先輩はもぞもぞと口ごもりました。
私たちは、「誰が誰に頼まれて口利きをしたのかを明らかにしてほしい。」「この中にも口利きをした人がいるんでしょう!」と会議の中で言い続けました。しかし、みんな下を向くばかりでした。「詳細がわからない・・・」と当局は答えるのみでした。
2008年8月29日
夏休みの終わり間際に、県教委の幹部が、その年に採用された人のうち21人の所にやってきました。そして「あなたは、不正な加点で採用されていることがわかりました。採用取消か自主退職かを選んでください。」と告げました。「期限は9月4日までです。」何を言っているのか分からなかったと思います。自分がどんなことになっているのか理解できなかったと思います。少し時間が経つうちに(もしかしたら親が、親せきの誰かが口利きをしたのではないか?)と誰にも言えない疑心暗義に陥ったでしょう。
夏休みの終わりと言うのは、2学期に向けてドキドキわくわくする時期です。
子どもたちと一緒に何に取組もうか、どんなクラスづくりをしていこうかと考える時期です。新採用の先生ならなおのこと、緊張の連続で1学期を終え、ちょっとだけ夏休みに一呼吸して2学期を迎えます。そんな教師にとって大切な時にそんなことを告げられたのですから、大変な混乱を招いたことでしょう。天国から地獄に落とされたのです。自分は子どもたちの前に立ってもいいのだろうか?見えない目や聞こえない声に怯えたかもしれない。私は自殺者が出るのではないかと本当に心配しました。
21人の若者は
理不尽さを胸にしまいこみ、納得できない思いを必死で克服し、臨時講師としての道を選んだ人がいます。よその県に行った人がいます。他の職業についた人がいます。2007年、2008年の採用試験を受けた人の中で不正に減点されていた55人の人たちが救済されました。管理職から集めたカンパ金が不利益を被った補償費に充てられました。その人たちも被害者だったと思います。
そんな中で誰にも何にも頼んでない若者二人が「採用取り消し無効」「真相解明」を求めて提訴しました。真相を解明しなければ人生を一歩も前に踏み出せなかったのだと思います。
汚職事件の後
県民の失われた信頼を回復するためにと県教育委員会は次々に改革を打ち出しました。採用試験の見直し、教職員評価システム、学力向上施策(学力向上支援員は県下で18名、36名、72名と毎年倍増しています。けれども病気休職者の代替がなかなか来ません。半年も前に申請している法的に実行しなければならない産前休暇の代替の先生が来ていない学校が大分市内でも4校あります。)
そして津久見市では、校長の具申を無視し、人事ルールをも無視し、恣意的な人事が津久見市教育長の下で行われました。県教委はそのことを正当化させるために広域人事を打ち出し、新採用概ね10年3地域を打ち出し、離島要件を撤廃しました。
そこには、子どもたちが生き生きと活動する姿は見えてきません。時間に追われ疲弊する教職員の姿が見えます。
片山さんのような人がいたら
私は11月28日の「ときどき日記」で片山元鳥取県知事のお話しを綴りました。片山さんのような崇高な理念を持った幹部がいたら、公の理念を遵守する議員ばかりだったらこんなことは行われなかったと残念でなりません。
4年間、私は「教員採用汚職事件」に翻弄された若者の心を考え続けました。ご家族の苦しみを思い続けました。どれほど苦しい毎日だったことか。でもどんなに想像してもその苦しさを追体験することはできません。
大好きだった先生がある日突然目の前からいなくなる、子どもたちが泣きながら先生と別れなければならなかったことを思う時、子どもの心にどれ程の傷を負わせたかを考える時、どうしても一連の事件を許すことができません。
だからこれからも街頭活動をし、裁判の傍聴を続けたいと思います。
子どもたちのための公教育はどうあればよいのか。子どもたちのための教員採用はどうあればよいのか。子どもたちのために教育行政はどうあればよいのか。そのことを考え続けていきます。
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