弔 辞
来馬先生、平岩です。
私の声、聞こえますか。
この会場には、先生に教えをいただいた方々、アイ女性会議の皆さん、高齢社会を良くする女性の会の皆さん、大勢の方がいらしています。
みんな先生とお別れする日が来るなんて、考えてもいませんでした。
私たち後輩は、今、失意のどん底にいます。
私は、後輩の一人として、お別れの言葉を述べさせていただきます。
私が、先生の姿をしっかりと認識できたのは、30年以上前の女性部の大会でのことでした。先生は、県の女性部長を退任されたばかりで、農業会館のステージで花束を受け取っていました。
「すごく偉大な人なんだな。」それが第一印象でした。
その日から30年、私たちは、先生の偉大な功績を学んできました。
先生は、女性教職員が、臨月を迎え、道端で赤ちゃんを産み落としそうになる、そんなむごい状況を何とか変えなければと、女性の仲間たちと血のにじむような運動を展開されました。その結果、産前、産後の休暇制度が誕生しました。その後、育児休業制度も新設され、私たちが、安心して子どもを産み育てる環境を作ってくださいました。
また、女性教職員がたった一人で、教育委員会に呼ばれ「そろそろやめたらどうですか。」と肩たたきに合う、そんな仲間の涙を見ながら、定年まで働き続ける道筋も作ってくださいました。
ご自分は、教頭にも校長にもならずに 仲間の女性を管理職に推薦され、今、私たちは管理職になっても共働きができるようになりました。
女性に対する差別が、今以上に激しい時代のことです。どれだけのご苦労があったかと推測できます。
そんな先生の運動が、多くの働く女性たちに、勇気と希望を与えてくれました。
そして、後に続く後輩、未だ見ぬ若い仲間のために、年金制度の改正や高齢者福祉にご尽力され続けていました。
先生の運動は、いつも仲間の幸せを求めてでした。
教え子とつながり、お母さん方とつながり、地域の方々とつながり、生きざまで私たちに大切なことを教え続けてくれました。
あまりに先生に頼りすぎていた自分が、情けなくてしょうがありません。
先生が風邪をこじらせ、上野内科に入院された時、私たちは、九月の「高齢社会をよくする大分大会」の準備に駆けずりまわっている最中でした。先生は、ベッドの上で、「大丈夫、すぐに治るからね。早く良くなって、動かなければ・・・」と言われていました。
医療センターに転院された時、その日の私たちの報告を「ああ良かった。」と喜んで聞いていました。
息をするのも苦しい状態の中で、先生は、「もう一枚議案を書かなければ・・・」と言っていらしたとお聞きしました。
先生は、めざすところのためには、厳しい人でした。決して人任せにしない人でした。先生は、最後まで現役であり、闘う人でした。
筍が大好きで、竹林のあるお家にお嫁に行きたかった来馬先生。
日教組の歌が大好きだった来馬先生。
お相撲が大好きだった来馬先生。
お昼御飯のあとに、口紅を塗っていた可愛い来馬先生。
「先生、選挙に出ればいいのに」と言ったら「私が選挙に出たらだれが選挙をするんかえ」と選挙を支え続けてくれた来馬先生。
私たちは、先生の大きな大きな愛で、いつも守られてきました。
来馬先生、本当にありがとうございました。
私たちは、心細くてしょうがありません。
でも、先生に教えられたことを大切に、これからみんなで歩んでまいります。
どうぞ天国からこれからも私たちを導いてください。
2010年 3月3日
後輩代表 平岩純子
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