2010.3.4 別れ

 裏のお宅のゆきやなぎが、白い花をつけ始めました。

 車で走っていると、街路樹の間から沈丁花が咲いているのも見えます。

また、寒の戻りを体験していますが、春がすぐそこまで来ていることもわかります。

 

 3月2日に情報科学高校の卒業式に参加しました。

 卒業生の担任だったM先生は、今日は、おしゃれなはかま姿をしていました。生徒を見つめながら、微笑んではいるものの口を真一文字に結んで、涙を堪えている姿にもらい泣きしてしまいました。きっと素晴らしい学級経営をしてこられたのだと思います。

 その日の夜、大分中央高校の卒業式も行われました。

 18名の卒業生は、輝いて見えました。4年間、昼間働き、夜学ぶということを貫き通した人たちです。惜しみない拍手の中で式は閉じられました。無遅刻、無欠席という快挙を成し遂げた人もいました。きっとこれからの人生も自分の意思で切り開いていかれることでしょう。

 

 3月3日につらい別れを経験しました。生まれて初めて弔辞を読みました。

これまで、お葬式に行って、直前に「お別れの言葉をお願いします。」と言われたことが3回あります。遺族の方の思いを受け止めなければ・・・とお断りすることができずに、お坊さんの読経の間中、お話しすることを考え続け、個人とのエピソードをお話ししてきました。

小学校の担任をしていた時、クラスの子どもが交通事故に遭いました。生と死の挟間にいる時、「絶対にクラスの子にお別れの言葉なんか言わせない。」と震えながら耐えた夜もありました。

でも、今回は、正式に弔辞を読まなければなりませんでした。

 こんなところで綴るのは不謹慎かもしれませんが、来馬先生のことを知っていただきたいので、載せます。

弔 辞

 来馬先生、平岩です。

 私の声、聞こえますか。

 この会場には、先生に教えをいただいた方々、アイ女性会議の皆さん、高齢社会を良くする女性の会の皆さん、大勢の方がいらしています。

 みんな先生とお別れする日が来るなんて、考えてもいませんでした。

私たち後輩は、今、失意のどん底にいます。

私は、後輩の一人として、お別れの言葉を述べさせていただきます。

 私が、先生の姿をしっかりと認識できたのは、30年以上前の女性部の大会でのことでした。先生は、県の女性部長を退任されたばかりで、農業会館のステージで花束を受け取っていました。

「すごく偉大な人なんだな。」それが第一印象でした。

 その日から30年、私たちは、先生の偉大な功績を学んできました。

先生は、女性教職員が、臨月を迎え、道端で赤ちゃんを産み落としそうになる、そんなむごい状況を何とか変えなければと、女性の仲間たちと血のにじむような運動を展開されました。その結果、産前、産後の休暇制度が誕生しました。その後、育児休業制度も新設され、私たちが、安心して子どもを産み育てる環境を作ってくださいました。

 また、女性教職員がたった一人で、教育委員会に呼ばれ「そろそろやめたらどうですか。」と肩たたきに合う、そんな仲間の涙を見ながら、定年まで働き続ける道筋も作ってくださいました。

 ご自分は、教頭にも校長にもならずに 仲間の女性を管理職に推薦され、今、私たちは管理職になっても共働きができるようになりました。

 女性に対する差別が、今以上に激しい時代のことです。どれだけのご苦労があったかと推測できます。

そんな先生の運動が、多くの働く女性たちに、勇気と希望を与えてくれました。

そして、後に続く後輩、未だ見ぬ若い仲間のために、年金制度の改正や高齢者福祉にご尽力され続けていました。

 先生の運動は、いつも仲間の幸せを求めてでした。

 教え子とつながり、お母さん方とつながり、地域の方々とつながり、生きざまで私たちに大切なことを教え続けてくれました。

 あまりに先生に頼りすぎていた自分が、情けなくてしょうがありません。

 先生が風邪をこじらせ、上野内科に入院された時、私たちは、九月の「高齢社会をよくする大分大会」の準備に駆けずりまわっている最中でした。先生は、ベッドの上で、「大丈夫、すぐに治るからね。早く良くなって、動かなければ・・・」と言われていました。

医療センターに転院された時、その日の私たちの報告を「ああ良かった。」と喜んで聞いていました。

 息をするのも苦しい状態の中で、先生は、「もう一枚議案を書かなければ・・・」と言っていらしたとお聞きしました。

先生は、めざすところのためには、厳しい人でした。決して人任せにしない人でした。先生は、最後まで現役であり、闘う人でした。

筍が大好きで、竹林のあるお家にお嫁に行きたかった来馬先生。

 日教組の歌が大好きだった来馬先生。 

 お相撲が大好きだった来馬先生。

 お昼御飯のあとに、口紅を塗っていた可愛い来馬先生。

 「先生、選挙に出ればいいのに」と言ったら「私が選挙に出たらだれが選挙をするんかえ」と選挙を支え続けてくれた来馬先生。

 私たちは、先生の大きな大きな愛で、いつも守られてきました。

 来馬先生、本当にありがとうございました。

 私たちは、心細くてしょうがありません。

 でも、先生に教えられたことを大切に、これからみんなで歩んでまいります。

どうぞ天国からこれからも私たちを導いてください。

          2010年 3月3日

後輩代表   平岩純子

1年で一番つらい別れの春がまたやってきます。

様々な別れを経験して、人は強くなっていくのかもしれません。


2010.2.19 Tさんお世話になりました。

 寒い日が続いています。

 そんな中でも我が家のクリスマスローズだけは、はっとする白さを際立たせ、咲き続けているのには感心してしまいます。

 私は、雨が降った翌日からは(あったかくなあれ!うんとうんとあったかくなあれ!!)と心の中で祈り続けます。何故なら、花たちが大きくなってくれるからです。

 玄関前のアプローチは、昨年夏、フィンランドで見てきた色を参考に白と紫とブルーとグリーンだけしか植えていません。まだ、淋しくてはかない色なのですが、きっと春にはおしゃれな玄関周りになると信じています。淋しい色の反動からか花壇の中は、黄色、赤、オレンジ、ピンク、ブルー・・・・・とみさかいもなく色のオンパレードになっています。これにスイトピーとポピーとチューリップが咲きだすともっと原色が強くなってしまいます。だから1日でも早く暖かくなってこぼれ種で出てくるノースポールとカモミールの白い色に占めてもらわなければなりません。

 先週、沖縄に行ってきました。

 普天間基地を見てきました。宜野湾市の平らな土地の多くを米軍が占拠しています。基地の周りには、いくつもの小学校や中学校、高等学校があります。病院もあります。ちょっと離れたところに沖縄国際大学が建っています。訪れた日、米軍はタイに演習に出ていて、静かでした。ヘリコプターが1機降りてきました。

 名護市の辺野古へも行ってきました。沖縄のおばあたちともお話ししました。

おばあというと随分お歳をとられた方を連想します。ムシロの上に座っている印象があるのですが、おばあたちは、椅子にかけ、若く凛としていました。ちょうど日出生台で米海兵隊の演習が行われていた時です。そんな話もしました。

 辺野古では、米軍を歓迎している看板も目にしました。住民が賛成派と反対派に分かれ、いがみ合わなければならないという基地に振り回され続けた長い年月を想う時、「グァムしかない!」と確信しました。

 沖縄県動物愛護管理センターにもお邪魔しました。テーマが重いのでここでは綴りません。6月の議会に向けて考え続けています。

 昨日まで、大分県の児童養護施設の職員研修会に参加させていただいていました。このことも、6月議会に向けて学んでいます。「子育て日本一」をめざしている大分県です。一番きついところにいる子どもたちが暮らす施設をどう支えていくのかが大きな課題だと考えています。

 Tさんは、もうじき73歳になります。新潟県の魚沼出身です。大工さんをしていました。縁あって団地に住むようになって20年以上だそうです。

 私たちは、団地の中で「車座の会」という有志の会を作っています。みんなで助け合って住みよい団地にしたいと願っています。「車座の会」主催で、秋には「竹彩夜(たけいろや)」を行ってきました。竹を切ってオブジェを造ったり、切った竹にろうそくを入れたりして公園に飾り、団地の人を招いておでんやかっぽ酒や音楽で交流をしています。竹伐り名人がTさんでした。切リ出した竹にろうそくを入れられる長さに斜めに裁断するのは大変な作業でした。Tさんは、職人気質で決しておしゃべりではありません。いつも優しいまなざしでみんなを見守ってくれていました。お酒が入るとちょっとだけおしゃべりになって新潟の言葉が出てきます。からおけが上手でした。作業の時のTさんは、黙々と竹を切り続けます、みんなは神業のようなその手つきを食い入るように見てきました。「竹彩夜」はTさんなしでは、成功できない行事でした。

 そのTさんが、一人娘さんの住む東京に転居するという話が突然飛び込んできました。あまりに急な話でみんな呆然としました。出発は21日です。寡黙なTさんは、その話をなかなか切り出せずにいました。もう日がありません。

 これまでお世話になったTさんに感謝の気持ちを伝えたいそんな思いで、公民館でささやかなお別れ会を持ちました。助成金も何もない会です。十分な費用は捻出できません。私は20人分のサンドウィッチを大急ぎで作り、大皿に乗せて車で運びました。珍しいお酒を持ってきてくれた人がいます。印刷会社に勤めているYさんが写真を貼った光沢紙の色紙を準備してくれ、寄せ書きをしました。つれあいは、お酒を飲むとき、思い出してくださいと焼酎カップを買って来ました。

 いよいよお別れの時、まじめなTさんは、「では私から一言」と言って丁寧なお礼のご挨拶をされました。声は震え、目にはきらりと光るものが見えました。

私は、顔を上げることができませんでした。

 Tさん、お世話になりました。本当にありがとうございました。Tさんとの出会いを私たちは大切にしています。どうぞ江戸川で元気でいてください。

 「竹彩夜」に必要なものだからとTさんが使っていた、Tさんしか使えなかった本式の電動のこぎりを残して行ってくれました。

 今年の「竹彩夜」は大丈夫かなあ・・・と不安ですが、Tさんの思いを大切にしてみんなで力を合わせてやってみます。


2010.2.1 先輩に励まされて

          ―――農業の再生を求めて―――

 雨の中で、紅梅の美しさに見入ってしまいます。春がそっと近づいているような気がしています。

 1月27日に県議会議員OB会の研修に参加しました。

 主なテーマは、「山香農業高校の存続」です。文教委員の私たちも参加して、意見交換をしました。

 高等学校の再編計画は、少子化や生徒の多様なニーズに応えるためと位置付けられ、県教委は、前期再編計画を実行し、これから後期の計画に移ります。この間、さまざまな議論が出され、私も意見を言い続けてきました。しかし、普通科高校の全県一区が、一年間先送りされただけで、県民の意見が十分に反映されたとは思えません。

 農業高校は、受験する人が年々少なくなり、定員割れを起こしています。農業や林業を営む人たちも「これでは生計が成り立たない。息子や娘を後継ぎにはできない・・・」という本音の部分での影響もあります。

 けれども大分県の再生は農業にかかっていると言っても過言ではありません。

私は、ここ数年、いろいろな機会を通じて農業を学ばせていただいています。量販店に出荷することができる大規模農業を県は勧めていますが、それだけではなく、本当においしい、安全な体に良い食材を生産者が作る喜びに溢れ、消費者もありがたく頂くという関係がどうしたら導き出されるのだろうかと考え続けています。

 ちょっと余談ですが、

 そんな気持ちを持ちながら、1月末に福島県と千葉県の農業を学びに行ってきました。今は、大都会にアンテナショップを出す県が多いのですが、福島県は銀座ではなく、江戸川区のスーパーに開いています。千葉県の和郷園は「米では食べていけない」と転作をして野菜作りに取り組む農家の共同体です。牛糞と野菜の絞り汁でバイオマスプラントにも取り組んでいます。県にも普及所にもJAにも指導されることなく、年商3千万円の農家ばかりです。

 同じ千葉県の「しょいかーご」は農協が取り組む直販所でした。

 肥沃な土壌と広い耕地を持ち、大都市に隣接しているというプラス材料をフルに活用している姿に圧倒されました。大分に帰ってきて、わが県なりの方策を・・・と考え続けている時のOB議員との懇談会でした。

 OB会では「あんたたちは、何やってるんだ!」と一方的にしかられるのかも知れないと少々不安を抱いて参加しました。しかし、そんな杞憂はどこかに飛んでいました。OBの方々は、理路整然とした意見をとうとうと述べ、その話が的を得ていて、とても勉強されていました。ここまで状況を整理し、課題を明確にできる現職議員が何人いるかしらと頭が下がる思いで聴きながら、私は体の震えを感じました。

中学卒業生が置かれている厳しい現実と農業施策の理想の姿との間には様々な問題が絡み合っていて、正直何から手をつければいいのか悩みばかりが先に立ちますが、提案された考えを検証しながら生かしていかなければならないと心に誓いました。

 東京に宿泊する機会がありましたので、またまた「コムズ銀座」に泊りました。今回は、矢吹シュフが作った夕ご飯をいただきました。

 メインは、「グラスフェッド」(草だけで飼育した牛肉)を使ったお料理です。これは、九大との研究開発をしていて、まだ市場には出ていない食材だそうです。どれも素晴らしかったのですが、7品のうちの5品を紹介します。


牛肉のカルパッチョ
「魚介類のソースがかかっています。ドライいちじくの甘みが冴えていました」


ポトフ
「お肉が口の中でとろけるようです」


焼き野菜
「カニみそとミルクとにんにくのソースが絶品でした」


豊後牛の炭火焼の粒マスタード添え
「かぼちゃとサツマイモが飛び上るほど甘くておいしい」


洋風のぜんざい
「アーモンドと抹茶を使っているというのですが食材を当てられません。ミルクとおもちが絶妙でした」

 決して高額ではなく、本当においしい食材が矢吹シェフの魔法にかけられ、創作料理は完成されていました。食べて幸せな気持ちになれるお料理でした。

私は、生産者がここに結びつく方策を考え続けています。


2010.1.16 油断大敵

 寒い日が続いています。今年もクリスマスローズがたくさんつぼみをつけています。クリスマスローズは、「春の妖精」と言われるくらい清楚で美しい花です。毎日眺めては、際立った白に心を奪われています。

 ある会合のご挨拶で、Kさんがこんなお話をされました。

「お正月に魚釣りに行きました。クロやらいろいろ獲れて満足して帰りました。

家に帰って、いつものように魚をさばきました。中にフグが一匹入っていました。だから同じように皮と身を離しました。その時、がぶっとやられました。

油断していたんです。皆さんも自分の足元をしっかり見てください。油断していたら大変なことになりますよ。」

 私は、そのお話を目を見開いて聞いていました。そして皮を剥がれ、身を落とされ、骨だけになったフグが、本当にがぶっとかみつくのだろうか・・・と不思議でしょうがありませんでした。だから退場されるKさんに「本当ですか?」と尋ねました。Kさんは、「本当だよ。あれは、運が悪いと指を食いちぎるんだよ。」とばんそうこうを貼った指を見せてくれました。

 その日の我が家の夕飯時の話題は、当然「フグは指を食いちぎる」でした。

 

油断してはいけない。そう思っていたのに交通違反切符を切られてしまいました。

三日前のできごとです。大分芸術短期大学の出前講座に参加しての帰りのことです。芸短前の通りと上野丘高校から来た道が交差しているところがあります。道幅が狭く、車の離合に気を使う箇所です。信号は、赤の点滅。停止線があります。ちょっと先の空き地には、よくおまわりさんが交通取り締まりのために待機しています。

 私は、前から車が来ていないか、右から来る車はいないかを気にしながらそのT字路に侵入しました。停止線はわかっていたので、かなり減速しました。でも、ピタッと止まったわけではありません。空き地を通り過ぎる時に「あっ!白バイがいる!!」と気づきました。追ってくるかしら・・・とバックミラーで後ろを気にしながらゆっくり走っていました。「良かった。追ってきていない。」と安堵しているその時、赤色灯を回しながら、白バイが近づいているのがわかりました。

観念した私は、ちょっと幅があるところに車を止め、免許証を出して待っていました。

 おまわりさん曰く「ちょっと、止まり方が甘かったですね。」

言い訳はできません。一旦停止しなかった自分の愚かさを反省しています。

2点減点。反則金は7000円でした。

 Kさんのお話をあんなに熱心に聞いていながら、ちっとも学習ができていませんでした。すっかり油断していました。

 油断大敵です。


2010.1.4 若者たちに魅せられて

 新年明けましておめでとうございます。

どんなお正月を過ごされたでしょうか?年末には北日本を中心に大雪が降りことのほか寒い幕開けでした。今年は、3日が日曜日となり、4日から仕事始めのところが多く、例年よりもちょっぴり少ない休日の様な気がします。

 我が家は、恒例だった年始のあいさつが昨年より廃止となり、家族中心の新年会となりました。

 年末に児童養護施設「光の園」のクリスマス会に参加しました。動物管理所にも行ってきました。そのことは、わたげ24号に綴ります。

 12月30日に生後5カ月の眞紘(まひろ)ちゃんと若いお父さん、お母さん、大阪に行っているFさんが訪れました。ちょっと会わないうちにまひろちゃんは、首が座り、ずっしりと重たくなっていました。成長ぶりがよくわかります。人見知りもせずにみんなに抱かれ、よく笑います。歯が生え始める前兆なのか指をしゃぶり、盛んに声を発していました。その様子を見ているだけで幸せな気分になれます。

 

 お正月に金池小学校の教え子と、我が家でミニクラス会をしました。何を食べさせようとずいぶん考えました。思案の末、おでんとピザとポテトとかぼちゃのサラダを出すことにしました。前の日からの仕込みは大変で、ビールをどれくらい用意すればいいのか見当がつきません。でも可愛い子どもたちのためだと思うと浮足だってしまいます。

一緒に勉強した時は、小学校の1、2年生だった彼らが、もう22歳。廊下で高学年の人にぶつかって鎖骨を折ったこと、机の下にもぐりこんですねていた姿、雨の中での運動会、ひらがなさえもなかなか書けなかったのに、2年生の終わりには、あのね帳に長文が綴られていたのが、つい昨日のことの様に想い出されます。

優しさやウィットの利いたジョーク、場を和ます独特の雰囲気を持った素直な子どもたちでした。そんな面は少しも変わらずにいました。仕事に慣れようと一生懸命な子、就職が決まってホッとしている子、転職しようと考えている子、専門学校に行きなおそうと考えている子、まだ目標を絞り込まない子・・・・それぞれの人生を歩み出していました。

ふと考えました。この気分は一体何なんだろう。こんな躍動感を久しく感じなかった。どうしてなんだろう。私がお話をするのは、いつも40代から50代、60代の人たちです。もしかして自分のほうが狭い世界の常識にがんじがらめになっていたのではないかしら。

嬉しいことは重なり、姪から挙式予定の報告。がんの手術をしたおばからは「げんきだよ!」のお正月コールも届きました。

 時間ができたので、いつもおいしい有機の野菜を届けてくれる「佐藤ファーム」に出かけました。農作業ができるいでたちをして。しかし、残念なことにまだお正月休み。だから勝手に畑を見てまわりました。

野菜たちは、青々として収穫を待っています。

帰り道、ろうばいを見つけました。甘い香りがたまりません。春は、必ずやってくる。そう信じて頭を柔軟にしながら今年1年がんばろうと思います。

どうぞよろしくお願い致します。