2004.3.26 「子どもたちは守られていますか?」
朝起きて鏡に映った自分の顔、目がはれている。そうだ、昨日あんなに泣いたから。
3月24日は、小学校の卒業式でした。6年前、一緒に勉強した横瀬西小の子どもたちの門出だけは、何があっても参加したいと半日議会を休んで出かけました。
体育館に入ると懐かしいお母さんたちが椅子にかけていました。「おめでとうございます」と手を取り合いながらお互いに涙ぐんでいました。
「卒業生が入場します。拍手でお迎えください」と進行の三ヶ尻先生の案内。5カ月ぶりに見る子どもたちは、また大きくなっているようで輝いて見えます。
教員でいるときは、放送の係りをしたり、校長先生に卒業証書を手渡す係りをしたり、呼びかけはうまくいくかな、ピアノを緊張のあまり間違えませんように、とあれやこれや考えるので卒業式にじっくり参加することなんてできませんでした。でも今日だけは、34人の子どもを一人ひとり見守ることができます。大人びて見えたどの顔も幼い頃のあの顔が残っていました。
入学式で退場するとき握った先頭のみさきちゃんの手があまりに小さく、こんなにか弱いこの子たちを大切に大切に育てなければ、と心に誓ったことを思い出していました。学校から5丁目までチョークで落書きしたのを消して歩いたね。ピアニカのケースの色はピンクかブルーかで悩んだね。バトル鉛筆事件。遊具で頭を打って、永富脳神経外科に行った帰り、車の中でもどしたときは心配で眠れませんでした。割れた下敷き事件。……卒業証書をもらい私の目の前を通り過ぎていく子どもたち一人ひとりの思い出がよみがえってきます。
小規模校のため6年生までずっと同じクラスでした。中学校では大人数の中で戸惑うこともあるでしょう。何でも言える友だちを作ってください。そして自分を支える確かなものを見つけてください。と願わずにはいられませんでした。
卒業生といっしょに
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式をもりあげた5年生
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午後からは、午前中の感動を胸に教育委員会の予算特別委員会に出席しました。青少年奉仕体験活動・学力向上シンポジュウム・特別支援教育、そして高等学校再編成推進事業について質問しました。
3月11日の代表質問の中で県教委は、「通学区域の拡大については、従前の通学区域外からの入学者が40%増加し、生徒の学校選択の幅が広がった」と答弁しました。
「本当にそうでしょうか。そんな総括をしていいのでしょうか。第3通学区(大分郡・大分市・佐賀関町)以外の子どもたちは、ほとんど希望する公立高校に入学できています。しかし第3通学区では、上野を頂点とした学校の序列が出来上がっています。子どもたちにとっては、行きたい学校ではなく行ける学校になってしまっています。そして本年度、公立高校の一般入試で560名の子どもたちが不合格になりました。試験があって、競争があればそれは当然の結果。高校入試に落ちることぐらいなんだと言われる方もいます。しかし、560名の子どもの9割は、第3通学区の子どもたちです。今日は、大分県下で小学校の卒業式が行われました。子どもたちは、まっすぐな気持ちで自信を持って中学に進みます。そして3年後には、高校受験を迎えます。この子たちの3年間を高校に入るためだけの3年間にしないで欲しい。県教委が子どもたちを守ってください。そのために指導性を発揮してください」と強く々訴えました。
2004.3.3 「幸せな2日目の休みの日に」
先週末、後ろ頭が痛くてたまりませんでした。前日のお通夜に行った時は、とても寒い日でした。コートを持っていない私を見て、みんなが「平岩さん、風邪をひくよ」と言ってくれたのに、「大丈夫。大丈夫。私は、この10年、風邪なんかひいたことないもん」などと強がりを言ったせいかもしれません。
自分で肩をもみながら家に帰って手帳を見てみると今年になってから1日しか休みがなかったことがわかり、「疲れているんだ」と気づきました。
それで幸運なことにまるまる1日空いた今日、「今日は、どこにも行かない」とつれあいに宣言し、お弁当だけ作ってそれを持たせたら、さっさとベッドに入りました。世の中の人は、今ごろ働いている。学校ではもう1時間目が終わる時刻……などと考えながら小心者で貧乏性の私は、いっこうに寝付けません。
「高病原性鳥インフルエンザ」の情報が県庁から、弔辞連絡が書記局から届き、もう寝るのはあきらめました。それならば本を読もう。今日だけは、地方自治とか行政改革ではなく小説を。
芥川賞の『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』をいっきに読み、宮部みゆきさんの『誰か』を読みました。私が19歳の時に庄司かおるさんが『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞をとり、春はいつも沈丁花の香りの中であの時のいろいろな思いが蘇ってくるのですが、時代の変化とともに芥川賞も変化していっているのかもしれません。綿矢りささんの外に向けて発信できない若者の気持ちがわかる気がしました。18歳の甥っ子に持っていってやろう。金原ひとみさんの『蛇にピアス』は持っていく勇気が持てませんでした。でもこっちの方にずっと引かれました。生に対する執着が見られない金原ひとみさんは一体どんな人なんだ、と作者に対するイメージが膨らみました。まだ少し時間があるから大江健三郎さんの『二百年の子供』も読んでしまおうと思います。
「自衛隊のイラク派遣反対」の街頭宣伝を気づいたらもう1年近くやっています。ビラを受けとってもらえなかったり、時には抗議を受けたりもしましたが、今週は少し様子が違っていました。トキハの前で用意をしていると年配の方が「今から何を言うの」と尋ねてくださり、話ができました。ビラをみんなが受けとらないことがおかしいとバスを待っている方が憤って話されました。私が、マイクを置いた途端に駆け寄ってきて「がんばってください」と励ましてくださる方もいました。大義のない戦争にアメリカ追随のやり方におかしいと感じている人は大勢いるんだと、戦争の加害者にも被害者にもなりたくないと願っている人が大勢いるんだ、そう感じました。
今国会では、「国民保護法案」を中心とした有事関連7法案が上程されるようです。そして7月11日予定の参議院選挙が終わったら憲法「改正」が急ピッチで進められることでしょう。
冗談じゃない。平和も生存権も思想・信条の自由もどんどんどんどん傷つけられ侵害されるこんな社会を許すことはできない。
高負担の年金改革を行いながらイラクへは5500億円も私たちの税金を使う。どうして支援に行っているのに3000万円も地代を払わなければならないのか。それは日本が占領軍ととられないようにとの配慮からと新聞には書いてあったけれど。腹がたってばかりですが、「平和は歩いてやってこない」。早乙女勝元さんが『ベトナムのダーちゃん』にサインをしてくれた時のことばです。あらゆる方法をみんなで考えながらやっていきましょう。
ときどき日記のカウントが1222件となっていました。こんなにつたない文を読んでくださる方に感謝いたします。本当にありがとうございます。
3月15日に議会で一般質問をします。この11ヶ月私が見てきたこと、感じたこと、お会いした人にいただいた課題を訴えさせていただきます。
2004.2.12 「心やさしきチャンピオンたち」
1月27日に大分市竹中にある「二豊学園」に行ってきました。昔は教化院と呼ばれていましたが今は、児童自立支援施設となっています。
実は、議員になってすぐの時に何日もかけて県庁内のすべての課から説明を受けました。そのなかで一番心に残ったのは二豊学園の川野園長さんの話す子ども達のことでした。その時、学園で作られている「二豊ものがたり」を読みました。中学生がこんな文を書いていました。「3年生になったらがんばりたいです。早く退園できるようにがんばりたいです。がんばりすぎないようにがんばりたいです。」この文を読んでなぜだか涙が止まりませんでした。二豊学園に行ってみたいと願いながら実は私は、学校に勤めていたころ県議会議員の学校への視察に異議を唱えていました。「指導案を出す必要はないじゃないですか。どうして掃除をするんですか。ありのままを見てもらえばいいじゃないですか」と校長に文句を言っていたので、県議が出かけて行くことが迷惑になるのではと我慢をしていました。
今年になって学園長も寮に泊まりこんで指導に当たっていると伝え聞き、居ても立ってもいられなくなりお邪魔した次第です。
学園は昭和48年に竹中に移転してきました。車で近づくと広い敷地の中のグランドで先生とマンツーマンでサッカーをしている少年の姿が見えました。
学園には現在小学校5年生から高校2年生までの14名の子どもが生活をしています。「ここの子どもは学級崩壊のチャンピオンですよ」と園長が教えてくれました。多くの子どもが虐待を経験しています。自分が大事にされないのと同じように人のことも大事にしない。できない。ちょっとしたことで切れてしまったり、挑発的であったり、乱暴な言動が多かったり、人とどう関わったら良いのかわからない。そんな子どもたちなのかもしれません。
行政から来られた方々と6名の教科指導の先生方が生活を共にしています。「子どもの表面的な言動の裏にある訴えを理解していくための感性やユーモア、専門性、そしてチームワークが求められているんです」と言われる学園長の言葉は実践しているからこそ心に響きます。
教室では、3人ずつ数学の勉強をしていました。その日は誕生会でみんな食堂に集って食事をいただきました。ハンバーグ・ポテトサラダ・オニオンスープ・ぶたキムチ、そしてケーキは子ども達のリクエストです。はにかみながら強がりを言いながらみんなたいらげていきます。食堂は外から見ると倉庫のようでした。寮の中は人数が少ないので、1人一部屋ずつ使っています。しかし集会に使っている部屋しか暖房器具が無く、朝晩の冷え込みは相当のものだとわかります。いたる所に破損させ、そして修理した個所が目に付きます。建物は老朽化し、隙間風が入ってきます。ブロックがはがれ落ちている個所もありますし、シックハウスの問題もあります。劣悪な環境の中で職員が一丸となって指導に当たっている状況を見て、言葉が出てきませんでした。心理面でのケア、職員不足の問題は深刻です。
「根雪を溶かす大地のような大きな愛情に満ちた風土が施設になければならない。だめな子はいない。だめと思うのは私たちの力が足りないのだと思う」と学園長は文を寄せています。たった一日いただけで何かがわかったというような簡単なことではありません。これから何回もうかがいたいと考えています。
おいとまする時、玄関に置いてあった私の靴にさっきすれ違った少年が、そっと靴べらを置いてくれていました。ほんわかした気分で家路につきました。
大分市竹中の自然の中で
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二豊学園の生活目標
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子ども達の部屋 暖房がありません
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はがれ落ちそうなブロック
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2004.1.18 「雪の下の小さな花たち」
夜、ごみを出しに外へ出てみるとしんしんと雪が降っていました。
天気予報、大当たり! 雨は夜更け過ぎーて、雪へと変わるだろー …いつの間にか山下達郎の歌を口ずさんでいました。
雪が好きです。理屈抜きに好きです。子どもの頃から雪が降り始めると興奮して眠れませんでした。一人で夜更けまで降り続く雪に見入っていました。花壇も芝生も雪で覆われてゆきます。丹精こめて育てているパンジーもプリムラもさくら草もシクラメンもビオラもクリスマス・ローズも雪の下。(冷たいだろな。がんばって!まけないでね。)
宴会でいまだ帰ってこないつれあいのことが気になり、携帯に電話しました。「そっちはどうかわからないけど東野台は、積雪2センチ。代行の人に迷惑がかかるよ。早く帰ってこないと帰れなくなるよ。」
あわてて帰ってきたつれあいとそれからまたしばらく雪を眺めていました。道路もご近所も屋根も塀も一面雪で真っ白です。どこにも誰の上にも雪は平等に降り続いています。
翌朝の新聞を見て、あっと声をあげました。県教委が「拉致問題」について人権・同和教育で指導するように各教育事務所に指導したと出ていました。前日の新聞で熊本県が同様の指導をしたことが気にかかっていた矢先のことです。
近隣諸国条項撤廃の署名活動・南京大虐殺のビデオの貸出禁止・東京七尾養護学校の性教育に対する指導・教育基本法改正の意見書、そして防衛庁の定例会見中止などがつながったものに思えました。見えないところで少しずつ少しずつ着実に思想統制が起こっている気がしてなりません。
翌朝、わが団地は一面の銀世界。植木鉢に積もった雪をそっと取り除いてやるとその下には、色とりどりの花が細い茎にしっかりと支えられ、顔をのぞかせていました。この小さな花たちに負けないように私も生きていこうと心の中でつぶやきました。
2004.1.6「子ども達が大切にされる世の中に」
新年明けましておめでとうございます。
どんな年を迎えられましたでしょうか。
私は、12月31日まで大掃除とお正月の準備と原稿書きを同時進行させ、除夜の鐘を聞きながら年賀状を書くといったなかで新年を迎えました。
昨年の今ごろは、多くの人達にご迷惑をおかけしながらただひたすら挨拶回りをしていたことに気づいたのは『わたげ』(議会ごとに作成している県政報告ニュース)をお配りしている際に「あっ!この家で去年も同じ花を見た!」と思い出した時でした。どれだけ多くの皆様に正月返上で支えていただいたか計り知れません。私は、何もわからず前だけ向いて走り続けていました。本当にご苦労をおかけしました。即、仕事ができていなければいけないのに県議として十分な仕事ができていたのかと振りかえっています。勉強させてもらってばかりの8ヶ月でした。もっともっと“共に生きる社会”の実現に向け、働かなければと自分に言い聞かせています。
年賀状をたくさんいただきました。とりわけかつて一緒に勉強した子ども達からの賀状には目が細くなってしまいます。すでに社会人になっている人達は、「いろいろ頑張っているみたいですね。身体に気をつけて!」とあります。小学生からは「お仕事がんばって」「クラスみんなで応援しているよ」「大変だと思うけどがんばって」。高校を受験する子ども達もいます。みんな必死です。私たちが高校入試制度をもっともっと変えていってあげなければならないのに。「毎日、朝から塾に行って、夕方帰ってまた勉強。中3というのは大変だなあと実感。でももっと教え方のいい授業をしてくれる先生がいたらこんなに塾に行かなくても良いのかなあと思います」というのにはズキリときました。
昨年の選挙中妊娠した方が無事に11月に女の子を出産しました。お母さんに似た大きな瞳の写真を見ながらなぜだか涙が止まりませんでした。
世の中の価値観は様々に変わり、自衛隊はイラクへ派遣されます。みんなが家族の安全や幸福を願ってお参りするのとはわけが違うのに小泉首相は元旦から靖国神社を参拝し、物議をかもしています。戦争や紛争は2004年も終結しないかもしれない。私たちの力ではもうそのことを止めることはできないのかもしれない。私は、毎週末トキハ前で街宣活動をしながら無力感に襲われてきました。みんなが選んだ国会議員が決めたんだ。戦後58年間日本は自国の人の血も他国の人の血も流さないでやってきたのに。そのことが何より尊いことなのに。それは、努力なしではできなかったことなのに。でも世の中はどんどんどんどん右よりに舵がきられています。
願っています。子ども達が大切にされる世の中にしていきたいと。それは決して甘やかすとか子どもに迎合するということではなく、子ども一人ひとりの人権が尊ばれる世の中にしていくということ。
イラン地震で両親を失った子どもが二日間泣き続けたという記事を読みました。耐えられません。
子ども達の生き方を疎外している戦争・紛争・受験・事故・離婚・災害・病気・虐待。世界中の子ども達が自分自身を大切にそして自信と誇りを持って生きていくことができるように大人は「子ども最善の利益」を常に念頭において生きていかなければならないのではと年の始めに思っています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。 |