2013.5.29 保養プログラムをやりたい 梅雨入りしたそうです。今年は、昨年のような大水害が起こらないように願っています。 花壇の花も玄関前の植木鉢の花も、そろそろ限界にきていました。春の花は、水が足りないとすぐにしおれたようになります。花弁は小さくなり、羽虫も飛び始めます。ペチュニアやポーチュラカなどの夏咲く花は、かんかん照りの日でも生き生きとしているのですから、季節にあった植物の習性って不思議です。今朝はやっと福島の浜風商店街で買ってきた「かいがらそう」の種を撒きました。つれあいに天地返しをしてもらったら、夏は小規模にして、ペチュニア、ポーチュラカ、ひまわり、ヒゴタイ、ナスタチュームを植えようと考えています。6月2日までにそれを終えることができると良いのですが、仕事の関係で思うようにはいきません。 福島の状況は、前回お伝えしました。 昨年から、福島の子どもたちをまだ放射能で侵されていないであろう大分に呼んで少しでもリフレッシュさせたい、甲状腺に溜まったヨウ素131を抜く活動ができれば・・・と考えていました。 仲の良い県議とそんな話をしていたのですが、時間的にもスタッフ的にも金銭的にもかなり厳しい状況でした。そんな時に昨年保養プログラムを実施した「ゆふわく」(福島の子どもたちをわくわく湯布院ご招待)のDVDをいただきました。昨年、僅かばかりの寄付をしたら、記録を送ってくださったのです。とっても役に立ちました。 私に今できることは、これしかない!と考えて会に中心メンバーである湯布院の住職さんに連絡を取り、初会合が行われるのを今か今かと待っていました。 初会合の世話人会は、5月23日に行われました。真宗大谷派のお坊さんが3人、お寺さんの奥さん、会社員、ピアノの先生、グリーンコープの役員さんなど11名でした。 初めての参加で、ちょっと緊張しましたが、皆さん同じ願いを持っているので安心して輪の中にいられました。 「ゆふわく」は今年で3回目になります。年を追うごとに厳しい状況の子どもたちが増えているそうです。今年も7月25日に福島を出て、大阪からフェリーで別府に入ります。中三日は自由行動の時間をとり、いくつかのコースに分かれて行動し、7月30日に別府からフェリーに乗って帰るという実質5日間の大分県滞在です。30名くらいの子どもたちを受け入れるのに、どの地域の子どもたちにアプローチし決定するのか、大勢のスタッフも必要ですし、お金も300万円くらいかかります。新聞にお知らせが出たら、皆さん良かったらご寄付をお願いいたします。 大分に来る子どもたちは、みんな横のつながりはありません。私たちがやってはいけないことは一つ。福島の放射能の状況を尋ねないようにすることだそうです。子どもたちの周りでは、福島を出て避難している子どもたちもいます。誰にも告げずにある日突然友達がいなくなるという経験をしています。それは悲しいことです。そして子どもたちはどうして友達がいなくなったのかを知っています。目に見えない放射能の恐怖を漠然と感じながら日々生活をしています。 世話人会では、みんながそれぞれ知りえた情報も出し合いました。聞いていて胸が痛くなる状況でした。私も4月末に楢葉町と富岡町を尋ねた時のことをお知らせしました。 7月はすぐそこです。がんばらなければ。 |
2013.5.7 「風化しないことを願う」と言われた日 ゴールデンウイークは、みなさんどんなだったでしょうか? 母の見守りで別府に帰りましたが、県外ナンバーの車をたくさん見かけました。夜はホテルの窓に明かりがたくさんついていました。みんな、別府に来て楽しんで良い思い出を胸に帰っていただけるといいなあと思いました。 憲法記念日にこだわって結婚式をあげて今年で31年目になります。31年前は、ここまで憲法が危うい状況になるなんて考えてもいませんでした。 現政権の憲法草案は、巧妙に仕組まれていますが、国民感情の中に、危機感が見られないことが、最も恐ろしいことだと考えています。「アメリカに押し付けられたから」「もう66年経ったから」と改憲論者はよく言われますが、日本国憲法は、基本的人権を大事にした、戦争の反省から誕生した世界に誇れる自主憲法です。 憲法は、国民のために為政者の暴走を止める役割を負っています。自民党草案では、憲法が国を縛るということをなくしていこうとすることに大きな問題があると思います。国民への強制的な国への服従や、徴兵制を草案の中に巧妙に入り混じらせています。 まずは、改正手続きをやりやすくするために96条を変えて、憲法を変えるハードルを低くしようとしています。 今の国会の状況から、情勢は厳しいけれど、「憲法を変えるべきではない。」特に「第9条をあたってはいけない」と考えている人たちは、国民の半数以上います。 憲法問題が、イデオロギーの問題にされずにもっと国民の間で論議されることを願います。 そしてとてつもなく大きな事件が起きて「だから憲法を変えるべきだ」などと論理がすり替えられることがないよう、マスコミの冷静な対応を祈るばかりです。 4月24日から26日まで福島にいました。 福島県には、東京電力福島第一原発のせいで、自分のうちに住めなくなっている地域がありますが、楢葉町と富岡町の一部が解除になり、日中だけ立ち入りが許されるようになりました。(15歳以下は制限されています)私が加入している「福島情報連絡センター」の総会が行われ、その後、解除地域を見ることにしました。 楢葉町・富岡町・浜風仮設商店街 富岡町は、2013年3月19日に地区への立ち入りが日中だけ解除されました。私たちはバスの中から佐藤和良いわき市議の説明を受けながら移動しました。 いわき市内のホテルを出る時、放射能を測る線量計は、0.133マイクロシーベルトを表示していましたが、富岡町に近づくにつれてどんどん高くなり2.342マイクロシーベルトまで上がりました。線量計は、ピーピーと鳴り続け、なんだか気分が悪くなり頭も痛くなりました。モニタリングポストを設置するために除染をしたそうですが、当時は4.9マイクロシーベルトだったそうです。(0.6以上は管理区域) 昨年まで行った宮城県の被災地は、厳しい中でも少しずつ復興が行われていることが目に見えてわかるのですが、二つの市は、3月11日のままです。新しく建てられたであろう家も昔からそこに建てられていた古民家も商店も学校も2年前まで人が住んで生活していたことが分かります。誰も通らない商店街の電燈がぽつんと点いていました。田んぼもそのままで除染した土が入った黒い袋だけがおびただしい数置かれています。今、中間貯蔵が課題になっていますが、この袋は一体どこに行くのだろうか。そもそも除染することがどのくらい可能なのかわかりません。 Jビレッジセンターを拠点として、除染作業をする人を乗せたバスやトラックだけが通ります。「野生牛、注意!」と看板が目につきます。 福島県いわき市には、福島県の人約24000人が仮設住宅で暮らしています。仮設生活は、2年が限度だといわれていますが、5年は帰れないだろうと言われています。 住民を襲ったのは、地震、火事、盗難そして放射能です。 一人につき10万円の精神的慰謝料が、国から支払われています。例えば家族5人だと50万円になるのですが、昼時になると仮設の人でファミリーレストランは賑わうのだそうです。国道6号の渋滞も発生します。そんな状況で、仮設に住んでいる高級車を持った人の車が傷つけられたりパンクさせられたりする事件が起きています。いわき市役所の前には「仮設の人間は出ていけ!」とペンキで書かれた落書きがあったそうです。 羽振りのよさそうに見える仮設住宅の人に同じ福島県の人たちの感情がぶつけられ、軋轢が生じている。問題の本質がすり替えられてしまっている。怒りや糾弾は東京電力や国に向かなければならないのに、弱い者同士がいがみ合う環境が悲しくてたまりません。 未だに漁業は再開されていません。(漁業者は、東電からの賠償金で生活しています)小学校の校庭を使って仮設の商店街ができています。みんなで復興しようと、「みんぷく」という組織もでき、46団体で構成されています。「みんぷく」代表の赤池さんにいざという時の心構えや仮設住宅の課題や運営について詳しくお聞きしました。 「風化させないでください」と酒屋さんの息子さんに言われました。時間が経つにつれて、東日本大震災も福島第一原発も少し遠いところに置かれている気がしてなりません。 沈んだ気持ちでの帰り道、駅前でこんなポスターを見つけました。 小さい頃からこんなにご飯を食べていたら大変ですが、何とも言えず可愛らしいですよね。 東日本大震災からの復興。そして福島第一原発のような事故が絶対に二度と起こらないように私たちにできることをしていきましょう。 |
2013.4.18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい パソコンに翻弄されています。今までだったら、簡単にできていた写真の取り込みもフォルダーの編集もメール送りもWindows8はやり方が違っていて一苦労です。慣れるしかないけれど、ついいらいらし、教えてくれているつれあいにあたってしまいます。「もう知らん!勝手にやれ!」とけんかしながらの毎日です。つくづくアナログ人間の悲哀を味わっています。 佐高信さんの著書『自分の思想を売らない』を読んでいます。そして「そう、その通り!」と妙に納得しています。 ちょっと引用してみると 『戦後史の正体』への異論では、 アメリカからの圧力と戦った政治家と戦わなかった政治家がいるが、その1点だけで戦後の総裁を色分けして論じているのだが、誰がアメリカからの自立派で、誰がアメリカべったりの対米追随派かに混同がある。・・・・・先日NHKで吉田茂を持ち上げたドラマが放送されたが、テレビ画面に石を投げようかと思ったほど、とんでもないドラマだった。・・・・・自立派に岸信介、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫を入れている。対米追随派に池田隼人、三木武夫、小泉純一郎と来る。・・・・・冗談ではない。これは明らかに外務官僚の発想による分類である。実際はまったく逆だ。岸、佐藤、福田が対米追随派である。自立派には三木武夫を入れなければならない。・・・・・自立派と対米追随派という分類が、憲法という項目を加えることで、ひっくりかえることが分かる。 イデオロギーを重視する保守派=改憲派では、 日本には、アメリカと中国とも両方と仲良くするという、「保守の知恵」があった。・・・・・ところが、ブッシュの前でプレスリーのまねをやらかした小泉単(・)一郎はアメリカ一辺倒に突き進んだ。 つまり、小泉純一郎は、日米関係と日中関係の二次方程式が解けない男だ。 ちなみに、安倍晋三は一次方程式も解けない。 次の福田康夫は最初から解く気がなくて、麻生太郎は方程式の意味も分からなかった。 さらに石原慎太郎は方程式そのものを壊そうとしたのである。 痛烈な佐高さんらしい言葉が綴られています。どんどん出てきます。私が口にすれば、攻撃されるような言葉が、佐高さんだから言えるのかもしれませんし、説得力もあるのだと感じます。有名になると矛先が鈍ると世間の人を見て思ってきましたが、その矛先がさらに鋭くなっていることに感銘しています。良かったら読んでみてください。 ―――絵本カフェ「みちくさ」を紹介します。――― かつての教え子のお母さんが、喫茶店を開きました。大分では、珍しい「絵本喫茶店」です。店長さんであるお母さんと若い女性が二人働いています。一人は、姪御さんで、もう一人は親友の娘さんだそうです。 店内は、心地よい音楽の中で、絵本を読んでも良いし、友だちとおしゃべりしても良いし、一人静かに過ごしても良いのです。 場所は、県庁の別館と府内五番街通りに挟まれた道路に面しています。遊歩公園に直角に交わっています。店のお隣は、かつて私の十二指腸潰瘍を直してくださった「高瀬医院」です。「みちくさ」は以前「ふらふら」という喫茶店でした。大家さんから居ぬきで借りて、自分たちらしさを醸し出そうとしています。三人ともこんな仕事は初めてだそうですが、一生懸命にやっています。良かったら寄ってみてください。 開店してやっと1週間が過ぎました。私は昨日寄ってみました。ココアが美味しかったですよ。水曜日がお休みです。カレーとチャーハンとホットサンドを食べることができます。お父さんが焼く、シフォンケーキも美味しいのだそうです。 寒い時から育ててきた春の庭がようやく完成に近づいてきました。 パンジー、ビオラ、アリッサム、プリムラ、ノースポール等が前の方に。こぼれ種でギボウシや雪割草もカモミールも出てきました。その後ろにポピーが次々と咲きます。1株40円で買ってきた苗は、もう何十個も花を咲かせてくれていて、「えらい!すごい!」と感動ものです。その間にチュウリップやラッパ水仙が咲き、後方にはスイトピーがつるを巻き、もうすぐ咲きはじめます。そのちょっと前に菖蒲も大きな花芽を膨らませ、右の方にはスズランが群生しています。(ちょっとオーバーかな?) 洗濯もの干場の屋根をモッコウバラが覆い尽くしていて、これは圧巻です。 今年はクリスマスローズがどの株もたくさん花を咲かせてくれました。「花の命は短くて」ですが、一時の春を楽しんでいます。 |
2013.4.7 来年の還暦までどうしよう!? 昨日は、全国で大雨や強風のために大きな被害が出てしまいました。天気予報によると、大分県下にも、春の嵐が吹くとの予想で心配しました。せっかく咲き揃ってきた春の花たちが倒されては一大事!と玄関先の植木鉢を避難させました。「どうぞ、そっと優しい風になってください。そうしなければ、花壇の水仙とポピーとチューリップが倒れてしまいます。」今朝も朝から強い風「負けないで、頑張るんだぞ!」と祈るような気持ちでいます。 今年は、桜の花が10日も早く咲きました。 1週間ほど前、議会の部屋から城址公園にはまだ肌寒い中で、お花見をしている人々の姿が見えました。聞くところによると、今年から城址公園では、火を使ってはいけないと決められたそうですが、周知徹底されていないのでしょう、焼き肉の準備に火起こしをしているグループがいました。離れたところからでも赤い火が立ち上がっている様が見えました。若い人よりもアウトドアに精通した(?)年配のおじさんの方が上手に火を起していています。さすが熟年。と感心するものの、誰かが来て指導したらどうなるのかしら・・・と冷や冷やドキドキでした。これを止められたら大変だろうな。だって焼き肉を準備する人たちは、おそらく他の食べ物はあまり準備していないと思ったからです。その後、グループが無事にお花見できたかはわかりません。 ときどき日記の更新ができていませんでした。 2月の大分市議選の後、質問の準備をしたらすぐに第1回定例県議会が始まりました。1か月という長丁場。慌ただしい生活を過ごしていた時にパソコンが壊れてしまいました。かなり焦りました。大切なデータだけは、何とか取り出すことができ、最悪の状態は回避しました。 しかし、新しく購入したウインドウズ8の扱い方が前のXPとかなり違うので戸惑っています。「あのアイコンはどこに行ったの?」「電源はどうやって切るの?」パソコンの指示に合わせられているようで、つくづくアナログ人間には生きづらい世の中になったものだと感じています。 パソコンだけでなく、私のような人間には、生きづらい世の中がいよいよ現実的になってきたような気がします。アベノミクスの期待感から株価は上がり、円安が続いています。日銀が大規模緩和を決めたと報じられた途端、市場の期待感から株高、円安、債券高がさらに進んでいます。庶民がその恩恵にあずかることも期待していいのでしょうか。小麦粉も油もガソリンも上がっています。確実に見えないところの価格が高くなっていることに気づきます。これで消費税が8パーセントになったら、庶民の生活はどうなるのでしょうか。北欧のように、消費税がきちんと福祉的経費に使われるとわかれば良いのですが。 参議院選挙の結果次第によっては、さらに生きづらい世の中になるのかもしれません。 改憲を声高に語る政治家や政党が増えてきました。まずは、憲法96条をあたろうとしています。1995年の小選挙区制導入から周到に準備されてきたことかもしれません。「日本は軍事大国になればいいんだ。」と声高に発言する政治家まで出現しています。私は毎日そのような政治家たちから繰り返しDVを受けているような錯覚に陥ります。少し前なら何らかのばねが働いていたのに、改憲という重大事に関してメディアの批判は弱くなっているような気がします。 何十万人という難民を作りながら、福島の現実が正確に伝えられていません。 あれほど多くの国民が「脱原発」と判断したのに、いつの間にかなし崩し状態になっているのはどうしてでしょうか。チェルノブイリの後、5年間でウクライナ、ベラルーシでどんなことが起こったかは、歴史が物語っているのに、どうしてその真実が日本できちんと伝えられないのでしょうか。低線量でも危ない、内部被曝が危険であるとどうして語られないのでしょうか。焦りと憤りで意気消沈してしまいます。
私は、4月4日に誕生日が来て、59歳になりました。来年はとうとう還暦!と思うと変な気分です。40歳の半ばを過ぎた頃から、自分の正確な年齢がわからない時期がありました。「1954年生まれだから、私はいくつだっけ?」と人に尋ねたり、自分で計算したりという時代もありました。 でも今年はわかります。60歳の一つ前だから。 父の還暦の時は、ホテルで食事をして感謝状を渡しました。母の還暦の時は、赤い靴をプレゼントしました。あの時の二人のちょっと照れた笑顔や涙を覚えています。私は来年どうすればいいのかしら・・・と考えています。子どもがいない私たちだから率先して祝ってくれる人はいません。何事もないように静かに過ごそうかしら、でもやっぱり人生の節目なので、何かしらあったほうが良いのかしら・・・と1年も先のことを考えてしまいます。 70年安保と80年安保の間に青春時代を過ごした私たちの世代は、「体制側に立つのか。反対側に立つのか。」をいつも自問自答してきました。 おかしい世の中になっていると感じる人たちが増えていくことを願いながら「平和憲法が変えられないようにいたしましょう。」と声を出し続けていこうと考えます。 |