2008.9.9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹

 朝晩だけ、風が心地よい季節となりました。

「ときどき日記」を書く余裕もなく、気がつくと1ヶ月が過ぎてしまいました。

 9月4日に一般質問をしました。苦しく、情けなく、腹立たしさの中で、いろいろな方と話をしながら質問を組み立てました。真実を求めて行いましたがここではふれたくはありません。私の思いは、ホームページの「第3回定例県議会一般質問と答弁」に載せています。どうぞ、お読みになってください。

 今年も竹灯篭(とうろう)で『竹彩夜(たけいろや)』を計画しています。3回目になります。予算的に厳しいので、廃油でロウソクを手作りすることになりました。

 団地内の甲原画伯指導の元、公民館で初めてのロウソクづくりに挑戦です。

 事前に回覧板を回していたのでかなりの廃油が集りました。容器となる缶やペットボトルも揃いました。

廃油でろうそく作り

(1)空き缶やペットボトルをろうを入れるために切り抜きます。

(2)廃油を鍋に入れカセットコンロで火にかけます。

(3)子どもたちは、好きなクレヨンを選んで小さく削ります。それを溶けた廃油に入れてよくかき混ぜます。すると、赤、緑、ピンクときれいな色がつきました。

(4)溶けた油に凝固材(魔法の白い粉)を入れ、少し冷まします。

(5)ペットボトルや缶の容器にお玉で移します。

 

(6)ろうを自然の状態で固めます。

(7)固まったら、つまよう枝で穴を空け、こよりにしたティッシュつけ、芯にしたら出来あがり。

甲原画伯いわく「10時間は持つ」のだそうです。

 30代から70代までの大人たちは、始めは恐る恐るでした。でも10分も経たないうちに公民館は笑顔と歓声に包まれました。みんなまるで図画か工作の時間のように夢中になっていました。手には油がつき、身体中から天ぷら油のにおいがしそうでした。でも、楽しくってしょうがなかったのです。大人が楽しむ、だから子どもたちも安心して参加できていることに気づきました。

 『竹彩夜』は9月27日夜です。今年もおでんやかっぽ酒を用意します。

 唐突に話が変ります。

 上海の大学に行っていた甥が7月に卒業しました。4年間の疲れも癒さず、すぐに北京オリンピックの日本人スタッフ支援のため出かけてしまいました。やっと帰って来たと思ったら、お袋の味を味わうこともなく、ロンドンに旅立って行きました。

 私は,この4年間、いつも中国を見つめ注目してきました。どんよりと曇った空の下で、「あの子はどんなアイデンティティーを持って生きているのかしら」と想像していました。今、私の心はロンドンに移りました。元(げん)とは違い円(えん)より高いポンドです。「カルチャーショックに負けるなよ」と願っています。そして私の身体は,2回目の帯状疱疹。

 今日も新聞には気になる記事が載っていました。

まずは,身体をしっかり治して、もう一度、何をやりたいのかを考え直そうと思っています。


2008.8.2 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!

 日照のような毎日です。

 朝から、ゴミ出しをしては汗をかきます。クリーニング屋さんに行っては玉のような汗が目の中にまで入って来て,尋常ではない夏を感じています。ガソリンスタンドの若い方に「一日どれくらい水分を取りますか。」と尋ねました。「4リットル以上は飲みます。弁当代より水分補給にお金がかかって大変です。」と答えられました。部屋の中にいても熱中症にかかります。どうぞご自愛下さい。

 農林水産委員会の県外視察で四国に行ってきました。大分を8時40分に出発して福岡、広島、岡山、瀬戸大橋を渡って香川に入り、やっと徳島に着いたのは、午後2時を回っていました。四国はいつも近くて遠いところです。

 小さな町が大変身

 徳島県,上勝町は、県庁所在地から車で1時間、人口2000人の小さな町です。総面積の85%を山林が占め、高齢化率は,49%。

 過疎と高齢化した町が、高齢者による「葉っぱビジネス」で生まれ変わりました。仕掛け人は、元農協職員の横石知ニさん(現在は、株式会社いろどり 代表取締役)出張先の大阪で寿司屋に入った横石さんは、料理に添えられた青紅葉を見て「この葉っぱ、可愛いね。もって帰ろうか。」と喜んでいる女性客を目にしました。

 「そんなもの上勝町にはいくらでもあるのに」と思った瞬間、ビジネスチャンスに気づきました。料理に使うツマモノ(紅葉・柿・南天・椿の葉っぱや梅・桜・桃など)は料理人が探してきますが、都会には採れる所がありません。これを産業として育てようと決心しました。

 しかし、どこにでもある葉っぱがビジネスになるとは誰も信じません。「葉っぱをお金に換えるんは、キツネかタヌキのおとぎ話じゃ。」と怒られる始末。2年間、全国の有名料亭に通いつめ、村のお年寄りを説得し、長い時間をかけて仕事を軌道に乗せました。

・ツマモノの商品知識を習得する。

・知識をマニュアル化する。

・お年寄りを都会の料亭に連れて行く。

・お年寄り自身に商品や量、タイミングを判断させる。

・防災用の行政無線設備と家庭のファクシミリを使ってシステムを作り、必要な情報を全生産者に流す。

・お年寄りにも分かりやすいITの工夫。

 この努力により、男は朝から大酒をあおり、女は影で他人をそしり,嫁の悪口を言うことで日々過ごす田舎町が豹変しました。

 今では、70代、80代のおばあちゃんたちが、売上を上げるのに競争し、生き生きと仕事をしているそうです。中には、息子の給料よりも多くの稼ぎがある人や子どもに家を建ててあげる人もいるそうです。

 町に定住する都会からの若者や、年間4000人を越す視察者で町は賑わっていました。元気なお年寄りが増え、老人ホームは閉鎖されました。65歳以上の医療費も県内一少なくなりました。

 夢のような話にびっくりでした。

徳島弁で横石さんが語ってくれた言葉が今も耳に残っています。

「人間が元気になるのは、出番と評価と自信をもたせること」

「“気”が大事です。」

「夢の種を蒔いて行く」

 私は自分の中でどう生かすことができるのか。そのことばかりを考えています。

 宿泊したのは,高知市内です。

 大切なまっちゃんがおつれあいの三宮君とわざわざ室戸岬から会いに来てくれました。ちょっぴりふくよかになったまっちゃんと随分太くなった三宮君。

幸せ太りなのです。私たち3人は、34年前の私たちに戻っていました。

つらいことの多い生活の中で、つかの間の幸せでした。


2008.7.11 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」

 6月17日 第2回定例県議会の冒頭、広瀬知事と波多野教育委員長が謝罪の言葉を述べられました。悔しくて情けなくてつらくてたまりませんでした。涙がこぼれました。

日が経つにつれ、逮捕者や容疑者は増え、次々と明るみに出ることは聞くに堪えられないことばかりでした。

三日前から県内のマスコミ関係の方から取材を受けることが多くなりました。一昨日、「県議会議員の口利きが常態化している」との報道以後は、東京のワイドショーの方が家にまで来られるようになりました。

私が教員だったから、一連の事件に近い所にいると見られていることに気づきました。

私は、採用試験に関して口利きをしたことはありません。口利きを依頼されたこともありません。「この女にそんな力はない」と思われていたのかもしれません。「この人をそんなことに巻き込んではいけない」と思ってくれていたのかもしれません。正直、良かったと思っています。議員になって5年間、子どもを中心に考えてきました。そして教育委員会の施策に意義を唱え、注文をつけ、反対もしてきました。仕事をする上で、相手ときちんと対峙することができる状況は侵してはならないと考えてきました。

ですから、これまでもそしてこれからも口利きはありません。

今日お会いした人は「わたしもずっと臨時講師をしてきました。でも、あまりに疲れてしまって教師になる夢を諦めました。」と言われました。返す言葉もありませんでした。

学校に勤める人は、正式採用であれ臨時講師であれ、子どもの前に立つとみんな「先生」です。同じ仕事が求められます。昼間、懸命に働き、夜、眠い目をこすりながら勉強を続けている若い人たちを何人も知っています。そんな人たちの夢や努力を踏みにじる行為は許せません。

「夢を描こう。努力は必ず報われる。嘘をつかないようにしよう。」そう諭していた大人が子どもたちを裏切ってきた。到底許されることではありません。

今日からは、元県教委幹部や元組合幹部や現職県議のコメントが出ています。

「10年前からあった。」「議員なら誰でもやっていること」・・・事実かどうかはわかりません。願わくは、自分の言葉に責任を持ち、実名報道であって欲しかったです。

事件発覚以来、ずっとこのことばかりが頭の中にあります。

これから何をしなければならないのか冷静に考えなければなりません。でも、今は、悲しみと怒りの中で、混乱している状況です。

今、私がお伝えしたいのはこれだけです。