ときどき日記

2007.6.20 もっと怒ってもいいですよね!

 スイトピーをやっと引っこ抜き、昨日朝顔の種を植えました。2袋も水にかしたので余ってしまいご近所のお宅にも植えさせてもらいました。坂ノ市小学校の1年生の植えた朝顔には、もう本葉が出ていました。平岩純子はなんでもすることが遅いなあと思いつつも私の朝顔はお盆には大輪の花を咲かせることができるでしょうか。


 議員になってから「腹を立ててはいけません。感情だけで動いてはなりません。」と自分に言い聞かせてやってきましたが、悪いことが重なり今朝は怒り心頭です。

 ある国会議員の方が国政報告を送ってきました。その中に参議院選挙に立候補予定の方のリーフやカードや連盟票が何枚も入っていました。私が他の候補を支持していることは知っているはずなのに。1時間考えましたがどうしても納得がいきません。その方の事務所に電話して、秘書の方にあまりに配慮がなさ過ぎると思いますと抗議をしました。

 つれ合いの車が朝、突然動かなくなりました。バッテリーが悪いらしくエンジンがかかりません。2週間前、車検を受けたばかりです。だから我が家の家計は火の車です。「もう間に合わない」とつれ合いは私の車で出かけてしまいました。これから私は重たい資料を持って雨の中、バスで出かけなければなりません。

 昨日、教育3法案とイラク特措法案が強行採決されました。安倍総理は「私の内閣のときに・・・私の内閣で・・・。」とさかんに言います。私物化するのもいい加減にしろ!と叫びたくなります。みっともないくらいに付帯決議をつけたこれまでの法案。数だけを頼りに強行採決。参議院選挙を有利に運ぶためとしか見えないじん肺問題の解決。挙句の果てに会期を延長してまで成立させようとしているまだ残されている数々の法案。そして参議院選挙の延期。年金問題は国家が国民に振り込め詐欺行為をしたようなものだと思います。私たちは暴動も起こさず、ただじっと国に都合の良い物言わぬ国民になっていってよいのでしょうか。


 一昨日、医師不足の問題を調査するため国東市民病院と中津市民病院にお邪魔しました。

そこで出された問題は
医科大が引き揚げ、産科、内科医がいなくなる。
半年先の見通しが立たない。
医者いなければ患者が来ない。来なければ収益は上がらない。骨太の方針で数値目標を求められるが医者もいなくてどうしてできるか。
勤務医の待遇改善が急務。きつい・きたない・きけんな仕事を医者は敬遠する。
診療報酬をこれ以上減らすと病院は崩壊(ほうかい)する。
東京一極集中がおかしい。
医局の医師派遣が壊れている。
夜間、開業医から回されてきた急患を勤務医が診(み)ている構図。




 書き出したら際限がないくらいのことを伺ってきました。
 竹田医師会立病院、緒方病院の抱えている問題はもっと深刻だと思います。
 こうなることが予測できなかったのかと不思議です。警鐘を鳴らしていたことに私たちが気づかなかったのでしょうか。後期研修医制度の問題、診療報酬の問題、都市と田舎、開業医と勤務医の格差などさまざまな要因が絡(から)み合っています。
 政府は急騰(きゅうとう)する高齢者医療費を何とか抑えようと今度は特別養護老人ホームを公立や社会福祉法人でなく医療法人にも建てさせる方針だと新聞に出ていました。
 こうしている間にも、生活している場所で赤ちゃんを産むことができなくなってしまう不安を抱える妊婦さん。容態が悪くなっても近くにいける病院がなくなってしまった高齢者。夜中に子どもが悪くなっても連れて行ける小児科がなくなり心配な中で生活している親御さんがいることだけは事実です。
 私たちは、これから何を提言していかなければならないのか重い事実を前に悩んでいます。

中津市民病院の院内保育所




2007.5.22 とても大切な「頭の片隅」

 通勤途中の踏み切りの傍にタチアオイが伸びてきました。この花を見ると初夏を感じます。そうです。もう春ではありません。後ろ髪を惹かれる思いでやっと春の花を引っこ抜きました。でも今が盛りで甘い香りを漂わせているスイトピーは残しています。忘れな草とアリッサムもこぼれ種を期待してそのままに。つれあいに牛糞と腐葉土と消石灰を混ぜて転地返しをしてもらい(共同で花壇を作っているという実感を持ってもらうため)さあ今年の夏は何を植えるかとわくわくしています。

 選挙中、「平岩さん、ゆっくり話を聞いてください」「このことを勉強してください」と何人もの方や団体の方に声を掛けていただきました。その時私は、何としても当選をして選挙が終わってからきちんとお会いしようと心に決めていました。
 あいさつ回りが一段落したので、5月はそんな方々とお会いすることに専念しました。プライバシーに関することが多く、詳しくは書けませんが、「障害」を持たれている人、元気だったのに病気になって困っている人・・・。

 薬物依存症を回復する「ダルクの会」では、衝撃を受けました。(そんなに話さなくていいです。私にこれまでのことを話すのつらいでしょう。)こみ上げてくるものを抑えきれずお話を伺いました。今も体験談を読んでいます。何週間か前の新聞に中高生の違法ドラック使用を調査すると出ていましたが、依存症は自分たちの生活と紙一重のところでのことだと思います。ただ一度はまってしまえば一生自分との闘いが続くのだと理解しました。

 無認可保育園や「障害」を持つ子どもを預かっている保育園では、一日ボランティアになって子どもたちの生活を見せてもらいました。3歳未満の子どもがたとえ近くても公園まで行くのは命がけでした。子どもたちは無邪気で仲がよく、実によく食べよく眠りよく動きます。熊本の産婦人科病院に設置された赤ちゃんポストに置き去りにされていたのは3歳くらいの子どもだったそうです。自己表現できる年齢まで育ててきたお父さんには葛藤があったかもしれません。でもやはり許せません。大人を無条件に信じ、思いっきり遊ぶ子どもたちが会津若松の高校生のようにされていく前に私たちはもっと大切なことを訴え続けていかなければならないのではと保母さんたちと話し合いました。保育園にいると一日があっという間に過ぎて行き、私には何よりも癒しの時間でした。「つらいことがあったらいつでもいらっしゃい。大歓迎よ」と逆に励まされてしまいました。





 「認知症をかかえる家族の会」の方ともお会いし、体験談をお聞きしました。今「おらっちのバッパさまたち」を読み終えました。10年後は65歳以上が10人に一人になる予測だそうです。介護は遠い世界の話ではありませんでした。自分が介護者になるのか被介護者になるのか誰もわかりません。でもその時にどうそのことと向き合えるかみんなの課題として捉えていかなければならなかったと思い知らされました。そして今、介護の真っ只中にいて苦しんでいる人たちをどう支えるのかを勉強していかなければなりませんでした。親やつれあいが認知症になる前の家族の歴史も大切なのだと痛感しています。私に残された実母と義父は一人でがんばって生活していますが、もっと心にかけもっと話を聞いてあげなければと身につまされています。

 私は、県議をしています。行政に何を訴え、どんな道筋を模索していかなければならないのかをしっかり考えて行動しなければいけないと自分に言い聞かせています。

 5月になってお会いした方たちは、どなたも壮絶な人生を歩んでこられたのに優しい方たちばかりでした。要望ばかりを訴える方ではなく「忙しいでしょう。体に気をつけてください。そして、私たちのことを頭の片隅においてくださると嬉しいです。ときどき訪ねてきて下さい。」と言われました。誰一人私が直接面識のある方はいらっしゃいませんでした。みんな人が紹介してくれた方ばかりです。いろんな方とのご縁をを大切にして4年間しっかり仕事をします。



2007.5.5 「母というものは」

 仏教で『卒哭忌(そっこくき)』とは、亡くなった人を想って悲しみに暮れることをもうそろそろお止めなさいという日にあたるそうです。
 今日は、佐伯の母の百か日の法要でした。今日がその『卒哭忌』にあたるのだと潮谷寺の和尚様から教えていただきました。私の選挙を優先させたため、我が家はまだ納骨もしていません。家族葬以来、初めて佐伯に帰りました。うちに入ると心配性だった母のいつもの甲高い声が聞こえてくる気がして、母がいるような錯覚に陥(おちい)ります。でも写真の母しかいません。その母の周りを父はお菓子や花や果物で飾ってくれていました。いまさらながら母がもういないのだと思い知らされ泣きそうになる自分がいました。
 父方は、浄土真宗、母方は、浄土宗です。父が二男だったので母が新仏になります。葬儀は母が大切にしてきた浄土宗であげましたが、これからどちらの宗派で行くかが我が家の喫緊(きっきん)の課題でした。
 私は、法要の前日、たまたま通夜に行きました。浄土真宗のお坊さんが、読経の後お説教されましたが、話の中に浄土宗の法然上人が出てきました。そして今日、潮谷寺の本堂に初めて上がった時に総本山が知恩院だと知り、法然上人とのえにしのようなものを感じました。それでやっぱり浄土宗でいこうとみんなで決めました。
 和尚さんは、選挙の労をねぎらってくださいました。そして、善行をしなさい。見返りを思わず、善行をしなさい。いつかは自分に返ってくるのだと説(と)かれました。私は、ますます浄土宗に惹(ひ)かれています。

 私が師と仰(あお)ぐ方の中に元市議のTさんがいます。お世辞を一切言わず、実直な中に優しさを感じさせる方です。4年間、私にたくさんのことを教え続けてくれています。今回も2期目の厳しい選挙を支えてくださいました。一緒にあいさつ回りをしました。
 Tさんご夫婦は、結婚して40年になるそうです。新婚生活は、五島列島の有川という所ではじめられたそうです。結婚40年の記念にそこに旅行した写真を見せてもらいました。新婚当時のことをされる奥様の話を聞きながら行ったことのない五島列島での40年前のお二人の生活を私は思い描いていました。「うちにね、結婚した時から使っているお玉があるのよ。」と言って見せていただきました。それは子どもの頃に母が使っていたものと同じでした。奥様は手先がとても器用な方で私は時々、切り絵をいただきます。聞けば高校の同級生だとか。だから知り合ってもう50年近くになるのです。私は時々二人で散歩されている姿を見かけます。私たちも5月3日で26年目を迎えましたが、Tさんご夫婦のようになれたらと思います。

 結婚記念日の5月3日は、朝から仕事が入っていて、講演会、街宣活動、総会と街の中を行ったり来たりしていました。もう暗くなる頃、最後の会でコンパルに行く途中、目の前を小学校4、5年生くらいの少年が二人、ジュースを飲みながら歩いていました。(一緒に勉強したM君に似ている・・・)そんな風に思い出にふけっていると、M君に似ている少年は飲み終えたジュースの空をポーンと植え込みに投げました。気がつくと私は「あらー!」と声を出していました。そしてその缶を手に持ち「どこかでゴミ箱に捨ててね。」と少年に手渡していました。少年は、悪びれもせず、照れくさそうにジュースの缶を受け取りました。二人は祝日にも塾に行っていたのかもしれません。怒りとか悲しみとかでなく、ただ小学生だった時のM君に接するような不思議な気持ちでした。

 今、一番好きな詩を綴ります。

 
     母親というものは
                    葉 祥明

   母親というものは
   無欲なものです
   我が子がどんなに偉くなるよりも
   どんなにお金持ちになるよりも
   毎日元気でいてくれることを
   心の底から願います
   どんな高価な贈り物より
   我が子の優しいひと言で
   十分過ぎる程幸せになれる
   母親というものは
   実に本当に無欲なものです
   だから
   母親を泣かすのは
   この世で一番いけないことなのです




2007.4.24 庭の花に癒されて


 昨日は、初夏を思わせるほどの暑さでした。5ヶ月ぶりにスクールガードで小学生のお迎えに行きましたが、新しい制服に身を包んだ賀来小学校の1年生。紺のベストは新鮮でしたが、すっかり汗をかいていました。
 今日は、また冬物を着ています。気温の変化が激しくて体がついていくのは大変です。
 皆様お元気でしょうか。大変お世話になりました。お騒がせしました。そしてたくさんの方に教えて頂きました。感謝申し上げます。





 「2期目は厳しいぞ!」と言われ続け、何がどう厳しいのかもわからずに選挙に突入しました。半年間、活動しました。2期目の厳しさはこういうことかもしれないと心と体で感じながら、ただひたすら耐え続けたというのが一番正確な表現かもしれません。当選してほっとしています。そして支えて下さった皆様の期待にしっかり応えられるようにがんばらなければならないと自分に言い聞かせています。

 選挙の期間中も「一度会って、ゆっくり話しを聞いて下さい。」「一緒に考えて下さい。」といくつもの団体の代表の方からお話をいただきました。どの内容も私が取り組みたいことばかりでした。「是非、勉強させて下さい」とお話しました。今は、あいさつまわりで忙しくしていますが、5月からその活動をまず始めたいと考えています。一期目の反省や失敗や経験を生かして、二期目はもっと広くもっと深く自分に一番合った方法でやっていこうと考えています。またどうぞいろいろなことを教えて下さい。

 秋に準備した花壇が今、満開です。なぜだか今年は、ピンク色に染まりました。庭を眺めるゆとりはないのですが、朝の枯れ摘みは、癒しの時間になっています。





 選挙期間中、家の中のことはすべて別府の母が手伝ってくれていました。その母が簡単な手術で入院しています。家事は私の手に戻ってきました。冷蔵庫の中や食器の置き方等、細かいところは母のやりやすいように変わっていて少々とまどっています。我が家でありながら我が家ではないような不思議な気分です。「やせたねえ。…」と会う人が心配してくれます。体重は3キロ落ちました。つれあいは4キロ痩せました。だから私は頭があがりません。
 長い間、ご迷惑をおかけした皆様にまずはご挨拶したくて久しぶりに書きました。SLOW et STEADY これでやっていきたいです。



●ときどき日記最新号