2011.9.19 今年の夏は

朝晩は、冷たい空気を感じる季節になりました。

それでも日中の気温は高く、手袋をして車に乗っているのですが、夜になるとヒリヒリとした痛みを感じます。オゾン層の破壊は、相当なものだと実感しています。

 学校に伺うと、小学校では、運動会の練習真っ盛りです。練習を終えた子どもたちは、元気いっぱい走って校舎に帰ってきますが、炎天下のグランドに出ている方々に頭が下がります。

 私には、夏休みはありませんでしたが、それでも仕事にかこつけて、何箇所か回らせていただきました。

TRI大分AE

 豊後高田の北部中核工業団地にある会社です。OA機器の部品を製造しています。私は、物を見る時、外面ばかり見ていましたが、自動車やIT機器、産業資材にゴム製品が使われていることを初めて知りました。会社の前には、手入れの行き届いた芝生と木が植えられ、この暑さの中でも花が生き生きと咲いていました。私たちを待っていてくれた女性の笑顔がすばらしく、働きやすい会社なのだとわかります。

 製造業の会社の内部に入れてもらうのは、4度目です。

もちろん写真は撮れませんが、空調が効いていました。出会う人が誰も丁寧に挨拶してくれます。

 「中国や東南アジアへの進出も考えましたが、高い技術と熟練を要する部品を作るのだから国内で作り、アジアナンバーワンになろう」と決めたそうです。

もちろん大分県の商工労働部からの熱心な誘いも効果的だったようです。

 幹部職員は、名古屋から数人来ているだけで、働いている人は殆どが豊後高田市や近隣の宇佐市からです。入社してすぐに仕事ができるわけではないけれど、社員のやる気を起こさせる技術を持っていることがわかります。

 福利厚生がきちんとしていて、育児休業制度もあり、組合も組織されています。非正規雇用労働者はいません。これまで、何度か他の工場を見ることがありましたが、機械を管理している人たちの表情はどちらかというと暗く見えました。そして、その人たちを管理する人が必ずいてとても怖く感じていました。しかし、「TRI大分AE」には、そんな人はいませんでした、「会社は、働く人が宝です。」という経営者の初心が貫かれていることに感謝しました。若い人たちが、みんなこんな会社に入れるといいなあとふと思いました。

 社員食堂で昼食をごちそうになりました。ボリュームがあって、栄養のバランスが考えられていて感心してしまいました。

「社員食堂で」

美術館めぐり

 県立美術館構想が明らかにされてから、「議会は承認してきたじゃないか。」「突然の候補地発表は、議会軽視ではないか。」と様々な意見が出ています。

 県民アンケートを採った私たちは、新美術館についてこれから様々な意見を言っていかなければなりません。

 長崎県立美術館と三重県立美術館に行ってきました。

長崎県立美術館は、一昨年オープンしたのだそうです。港のすぐ近くに立地し、建物の中を運河が通る形になっています。スタッフはみな若く、「段ボールで遊ぼう」の企画に多くの子ども連れが訪れていました。常設展で、ピカソの絵を見つけました。「これくらいは持っていないと」と応えてくれたスタッフですが、「どれくらいの広さなのですか。」には、即答できず、慌てて資料を探してきてくれました。

 三重県立美術館は、広い敷地の緑に囲まれた中にありました。入ってすぐのホールには、馬だか牛だかシマウマだかキリンだかわからない不思議なオブジェがありました。常設展示を見てびっくり。黒田清輝、藤島武二、ピカソ、ミロ、モネ、ルノアールと並んでいます。「どうしてこんなに有名な方の作品を持っているのですか。」と尋ねると「イオンの岡田さんに寄付を頂いて買うことができました。」と言われました。ですから「岡田美術館」でもあるわけです。

高校生レストラン「まごの家」(三重県)

 テレビで放映された「高校生レストラン」の舞台になったのが、三重県多気町にある相可高校です。3年前から一度行きたかったところです。テレビでは,TOKIOの松岡君がメインで登場していましたが、仕掛けをしたのは、町役場にお勤めの岸川さんでした。

 多気町は、人口15000人の農業中心の町です。企業誘致でシャープがやって来て、多気町の予算65億円のうち、10億円は、シャープからの法人税です。

普通の農業高校の生徒たちのつくる料理が有名になり、ずっと右肩上がりの状況が続いています。

 県立高校に行政区の違う町が9000万円出資して「高校生レストラン・まごの店」はできました。議会の理解や町の協力がなければできないことです。

 ランニング費用は、すべて高校生自らの経営にまかされています。お客様のお金を頂いて、食の道をめざす高校生の練習の場になっています。部活動の一環で活動している高校生です。昔は、相可高校の生徒の就職した後の離職率は、50%だったそうですが、今や5%だそうです。体力面も精神面も鍛えられています。

 岸川さんの言った言葉が印象的でした。

「しかけをするということ」「既成との闘いであるということ」「ドラマに取り上げられたことは、ご褒美。これからも地道に努力していく」「高校生は、100%ではない。10代のきらきらしたところはあるけれど、子どもたちを伸ばすのは、大人たち。真剣な大人がそこにいる。」

 明日から新学期ということで、「まごの店」で食事ができなく残念でしたが、やる気のある職員の存在がどんなに大きなものかを教えられました。

「高校生レストランの厨房」

未来工業(岐阜県)

 大垣市にある「未来工業」は、電気設備資材を作る会社です。「日本で一番大切にしたい会社」と呼ばれ、日本で一番休みが多い会社です。残業すると罰金が取られる会社でもあります。タイムレコーダーも制服もありません。「ワーク・ライフ・バランスではなく、ライフ・ワーク・バランスです。」と冒頭言われました。

 創立45年。ずっと黒字経営です。創立者の劇団づくりの志が、会社経営に生かされています。「やる気・モチベーションを高めるのは何だろう。全ての発想がアメのみで、ムチはいらない。」と言われます。給料は、特別高くもなく安くもなく、西濃地方の平均値です。

 「成果主義を完全に排除しています。8割の人が面白くないと思うような制度は良くない。社員の側に立つと、評価され続けるので、働きにくくなる。社員を管理することは、嫌だ。」と説明者の話。「社員が楽しく働いて黒字が続いている。」どこかの管理者に聞かせてあげたいような話が続きました。

 いただいた資料によると

 社員同士、上司も部下も「さん」づけで呼びます。女性にお茶くみをさせないのは、「お茶は女性が出すのが当然」という性差別をさせないからだそうです。

机もイスも全員同じ、勤務時間中に私用電話もOK、お菓子を食べるのもOKです。こそこそされるよりはその方がいい、「それが仕事に影響があるのですか。」と書かれていました。一見非効率に見えるようにあって、実は深い考えのもとになされていることがあります。会社には780人もの人が働いていますが、コピー機は一台だけ。コピーをとる順番を待つ間にふだんは部署が違う社員同士が、前後の人とおしゃべりできるからいいのだそうです。あえてコピー機を一台にして、全社員のコミュニケーションの場づくりをして、風通しを良くしています。

 このところ、自分がいかに既成概念にとらわれて、がんじがらめにされて生きてきたかを思い知らされています。

 「百聞は一見にしかず」という諺がありますが、こんな機会を与えられて幸せでした。

 台風のことも気になりますが、しばらくうず高く積み上げられた書籍を読破しなければ・・・と考えています。


2011.8.17 片山さんありがとうございます。

 お盆をどう過ごされましたでしょうか。

議員の皆さんは、初盆参りが、80軒、120軒、200軒・・・と言われるのですが、私は体力的にも時間的にもそんなに多くお参りすることができません。失礼をお許しいただきたいと願いながら、絞ってお伺いしました。

 お仏壇の前に飾られた写真を見ながら、ご遺族の方々といろいろなお話しをします。お葬式の時の出来事や、生前私が個人に抱いていた思いをお伝えしてしまうのですが、お葬式の時と同じようにご家族の悲しみや思いが伝わってきて、胸がいっぱいになることがあります。家族関係を勝手に想像していて、その勘違いに気付いたりもします。ご兄弟でお母さんをしっかり支えようとしている姿、亡きお母さんとの幼い頃の思い出、長い間の介護生活、急にいなくなった夫の遺骨をまだお墓に入れられない複雑な気持ち等など人生の重さを凝縮して感じさせられる二日間でした。人は、縁あって家族になるんだなあと改めて思いました。家に帰って来て、佐伯の父にしんみりとした気持ちで電話をかけていました。キリスト教の方は、亡骸と魂は別のこととして考えられますが、仏教徒である私は、迎え火を焚いてお墓参りをしなければ心が落ち着きません。「お母さん、めったに来ることができずにすみません。」とお墓参りができたのは、お盆に入って二日目の朝でした。

 東北の震災で家族を亡くされた方々にも初のお盆がやってきました。まだ、ご遺体は見つからないけれど、この日を区切りにしようと決意して死亡届を出された方もいらっしゃると報じられていました。どれだけ無念なことかと涙が出ます。

 東北で花火大会があったとニュースで報じていました。実行委員会の方は、「悩み抜いたけれど、みんなで花火を見て、これからのがんばる糧にしたい。」とおっしゃっていました。

戦後の焼け野原のように何もなくなった平らな地面の上に大輪の花火が打ち上げられていました。大分市の花火大会のようにバリエーションに富んだ10000発ではなく、シンプルな僅か600発でした。でも、尊い、優しいそして悲しい花火でした。

 数日前のことです。

 家に帰ると、郵便受けにCDが挟まっていました。つれあいに来たのだろうと手に取ってみると、私宛でした。RCサクセションのCDでした。今は亡き忌野清志郎(いまわのきよしろう)さんの作品が詰まっています。

1988年にリリースされた、洋楽の名曲を全編「反戦・反原発」の詩に替え、彼独特の、魂が絞り出されるような声で歌っています。カヴァー曲の選曲も彼らしいもので、原曲自体も強烈なパワーを持った曲です。例えば:ボブ・ディラン「風に吹かれて」・プレスリー「ラブ・ミー・テンダー」・ローリング・ストーンズ「黒く塗れ」・アルバート・キング「悪い星の下に生まれ」・ジョン・レノン「イマジン」等、よく知られた曲の数々です。

 走り書きにはこう記されていました。

「23年前、東芝から圧力がかかり、他社よりリリースしたCDです!東北のほうでは、売り切れのCD店も出たとか・・・。とにかく一人でも多くの方に聞いていただきたく思っています。忌野清志郎さんの遺志をみんなで引き継がなければならないと思います。脱原発社会です。」と

 片山さんてあの人かなあ・・・とずっと考えています。

 いつかお会いしてお礼を言わなければなりませんが、とりあえず片山さんありがとうございます。しっかり聞いて行動します。


2011.7.31 夏、真っ盛りです。

 毎日暑い日が続いています。皆様お元気でしょうか。

 私は、家にいる時は、意地でもエアコンをつけず、流れる汗と闘っています。節電、節電、節電と叫ばれ、家庭での電力消費量なんて、ごく僅かなもので、企業が協力すれば済むことでしょうが、「脱原発」「卒原発」を願う身としては、少しでも利用する電力を抑えようとする気持ちが日増しに強くなっていきます。

 九州は、亜熱帯になったと感じています。これまで温帯地方で生きてきた私たちには、耐えられない暑さと湿度ですが、2年前訪れたフィリピンの人たちは、さほど不自由なく暮らしているように見えました。きっと、これから生まれてくる人たちは、この気温と湿度に適応した人間として遺伝子変化するのでは・・・と考えています。

 しかし、北日本地方の方々は、またしても集中豪雨に襲われました。

 2年前の経験が生かされ、お亡くなりになった方こそ少なかったけれど、土砂に見舞われた家の片づけをされている姿に胸が痛みます。

 第2回定例県議会は、未だ続いています。私は、その合間に監査委員会が開かれるので、毎日毎日、会議、会議、会議、会議の連続です。

 臨時議会をめぐる攻防や一般質問を控えていた頃の緊張感からは、少し解放されているのですが、息を抜くことができずにいます。

 家事も庭の手入れもできず、少しイライラが溜まっています。

週末は、「東野台まつり」と「火群(ほむら)まつり」がありました。

2つ掛け持ちでした。

「東野台まつり」では、私たちは、毎回出店を出しています。

地鶏の炭火焼と唐揚げとポテトフライ、枝豆を売りました。

儲けを考えず、材料費さえ出ればOKなので、どれも「火群まつり」で売られているものの半額から1/3の値段です。

 天候や団地の人がどのくらい来てくれるか予想しながら材料を仕入れるのですが、事務局長であるつれあいは、結構神経を使っているようです。この数日間は、何を話しても、上の空で、口から出る言葉は、「油をあと1,5キロ買っておこう。」「やっぱり、焼酎のロックは、200円にしよう。」と、会話はかみ合いませんでした。

 今年は、会場を盛り上げてくれたキッズダンスの子どもたちやその保護者の人たちも買ってくださり、お店の前には、長蛇の列ができました。

 小さな子どもがお金を握りしめて「ポテト一つください」と言われると大盛りにしてあげたくなります。少しほろ酔い加減のおじさんたちが、「うまいぞ。地鶏と唐揚げが人気だ。」と言われるとまたまた嬉しくなってしまいます。

 縁あって同じ団地に住むようになった人と人が、少しでもふれ合うことができれば、そのお手伝いができれば・・・そんな思いで結成された「車座の会」の活動も6年目を迎えました。

 祭が佳境に入った時に行われるのが、踊りです。「東野台音頭」に合わせて「東野台踊り」があります。浴衣姿の女性部の人たちが、艶やかに並びます。私は、鶴崎踊りはできませんが、「東野台踊り」と「ちきりんばやし」だけは踊れます。踊りの輪が少しずつ少しずつ大きくなっていきます。みんな何も語らないけれど、心が通じ合っていくような気がします。

 子どもの頃、夏は、いつも田舎に帰って過ごしました。

 お盆の夜は、集落に一つだけあるお寺で、供養盆踊りがありました。私はいつもよそ者でしたが、祖母や近所のおばさんと提灯を持ってお寺までの暗い夜道を歩きました。お墓があるお寺は、子どもには怖い場所でしたが、盆踊りの夜だけは、みんながいるから平気でした。いつも遊んでくれたり声をかけてくれたりするお兄さんたちが、初めに音頭を唱えます。「東西南北、静まりたまーえ」と始まり、「さあさ、音頭を始めそうろ」と言ってから、踊りが始まりました。

 毎年、夏にだけあの時の光景が蘇ってきます。踏み固められた決して広くないお寺の境内の土やでこぼこした石。田舎独特の匂いのなかに立ちこめるお線香の匂い。櫓(やぐら)の上で太鼓をたたいていた親せきのおじいさん。何故だか胸がキュンとなります。

 昨夜、一緒にいた子どもたちも何十年かしたらこうやって思い出してくれるかしら・・・と考えています。


2011.7.3 元気をもらいました

 選挙が終わってすぐの入学式に参加したのが、ついこの前のような気がしているのですが、いつの間にか7月に突入。中学校では期末試験も終了したとお聞きし、自分が成績表を書くわけではないのに、夏休みを直前にしてかなり焦ってしまいそうになります。

 うだるような暑さが続いています。子どもの頃に経験した「あせも」がおでこのところにできました。

 皆様、熱中症にはなっていないでしょうか。

 先週の土曜日に後援会の「ボーリング大会」が行われました。

 今年で3回目になります。せっかく後援会に入ってくださっている方々と、

何か交流ができたらいいなと、これまでみんなで考えながらやってきました。

 後援会員の方が、友人知人家族を連れてこられるので、そこで初めてお会いする方もいます。「参加します」と連絡もなく当日参加の方もいて、事務局長はかなり大変なのですが、「平岩純子の後援会は、このファジーなところがいいんだなあ・・・。」と実感しています・

 2年前は、ボールを転がすのがやっとだった子どもたちが、結構一人前に投げたりして、ガッツポーズを決めたりします。私は参加してくださる方をよく知っていますが、お互いは面識がないのに、同じグループで競技をするうちに、ハイタッチをしたり賞賛の声をあげたり、慰めてみたりと人と人がつながっていく様が2時間のうちに感じられ感動してしまいます。

 常連のSさんは、今年は、近所の小学生を3人連れての参加です。元気のある5年生なので、けがをしなければ良いけれどとヒヤヒヤでした。3歳のHちゃんは、ボールを足に落とさなければいいが・・・と目が離せません。脳梗塞を患ったMさんも「昔はうまかったんだよ」と大張りきり。教え子のMさんは、戸次からバイクに乗ってやって来てくれました。隣の奥さんからのチーズケーキの差し入れもあり、和やかな中にも、真剣そのもののみんなの意気込みに圧倒されました。

 和気あいあいの中で、ゲームは終了し、今年も女性が優勝しました。

女性には、20点というハンディがつくので、マイボールを持っているほどの上手な方が、いつも優勝をします。男性に申し訳ないと、今年から60代には10点、70代には20点加算するようにしたのですが、やはり女性が優勝でした。

 後援会長さんのおつれあいさんは、切り絵の名人です。素晴らしい絵がプレゼントされました。

 今年は、時期が遅くなって、予定されていた方には迷惑をおかけしてしまいましたが、歓声と笑顔の中で元気をたくさんいただきました。

「平岩さん、講演会で話をしてください。」と年に何回か頼まれることがあります。私は、人前で話をすることが苦手です。ご挨拶ですら「どうぞ、ほかの方に」とお願いすることが多くあります。それでも、お願いされたら断ることができずに受けてしまいます。「どんな方々が集まるのですか。どんな話が良いですか。」それだけお聞きして、テーマを決めます。それから話の肉付けをしていきます。いろいろな仕事を抱えていますが、講演会が終わらなければ安心して次に進めません。

 聞いてくださる方が例え違っていても、一度話したことは、二度と話せません。自分の中で、今感じていることだけを話そうとしてしまいます。

 佐伯の三与館のホールには100人近くのお母さんや女性教職員の方々が集まっていました。今日は「子どもたちを見つめて」というタイトルで話をさせていただきました。私の中の子どもたちへの思いとこれまで巡り会った子どもたちの話をさせていただきました。

 話がどう評価されているのかは、わかりません。ただ、頷いたりハンカチを目に当てたりしている姿を見て、自分の思いを素直に伝えることの大切さを教えられたような気がしました。

 7月20日に一般質問をします。

 そのことで、ずっと考えあぐねていました。悩み続けていました。

でも。これまで頂いた意見と自分の素直な思いを言葉にしようと思います。

 後援会と講演会で私は、元気を頂きました。

勇気がりんりんと湧いてきました。

 負けないぞ!と思っています。