ときどき日記 2017.3.29 なかなか訪れない春 今年の春の訪れは、例年になく遅れていますね。 議会の控室から城址公園の並んだ桜の木が見えます。例年の今頃なら咲き始めた桜の木の下には、あちこちにブルーシートが敷かれ、夕方になると人が集まっ てきてお花見が始まる光景を毎年のように見てきました。いつも「寒いだろうになあ・・・。でも、お酒を飲む人たちには関係ないのかな。」と眺めていたもの です。 桜のつぼみは、この寒さでまだまだ固く閉じてしまっています。どうせなら来月の10日前後、学校の始業式や入学式に合わせて、ぱっ―と咲いて祝ってもらえたらと密かに願っています。 2月27日に始まった第1回定例県議会も3月29日に閉会します。 ひと月以上にわたり、各部の様々な事業説明を受け、予算特別委員会ではそれぞれの部に質問し、意見を述べてきましたが、それがどれだけ生かされるのかは 不透明です。お役所仕事は、我々の意見をまことしやかな顔をして聞いているふりはされるのですが、結局は自分たちの組み立てた事業を通していきますから。 ときどき虚しさを感じます。特に教育委員会に関しては、教員出身の議員で手分けして、学校現場が問題としているところを丁寧にお伝えし、答えを求めま す。私たちは、その原稿にたとえ短くても全精力を費やし、何度々も頭の中で組み立て原稿を推敲するのですが、各ある部の中で教育委員会とだけは、意見の一 致を見ることが極端に少ないことが現実です。 1年間継続にして話し合ってきた請願「子ども医療費の拡充を求める」は、大分県と国に対する要望でした。「35人以下学級の推進」と「少人数学級の推 進」を求める請願も国と県に対する要望でした。財政的には厳しいけれど、ずっと話し合ってきたのに委員会では、自民党からの提案で、一気に採択の可否が行 われ、賛成少数で否決されてしまいました。数の論理で負けてしまったということです。この日は、夜眠れませんでした。議会があるたびにこんな思いにさらさ れ続けてきました。 それでも負けてはいけないんですね。 日曜日の大相撲大阪場所の千秋楽。稀勢の里の優勝には、脱帽でした。 日馬富士戦で投げ飛ばされた稀勢の里は、勝負がついてからもしばらく土俵下から上がってくることができませんでした。顔をゆがめ、痛みを堪えていました。「だめだ!明日から休場かもしれない・・。」とその時思いました。 私は、相撲ガールではありません。力士のあの大きな体を見ることも好きとは言えません。でも、なぜか大相撲の時間になるとテレビをつけてしまいます。 母は、相撲が好きでした。幼いころ、縫物をする母の傍らで、一緒に大相撲を見ていたから、相撲を見ると母に少しだけ近づけるような気がしています。 大きなテープを左肩に貼った稀勢の里は、翌日、休場せずに出ていました。 どんな試合になるのかと心配していましたが、組んだ後、すぐに押し出されていました。「やっぱり無理なんだ・・・。」 そして千秋楽。誰も稀勢の里が勝つとは思っていなかったと思います。でも、照ノ富士を右肩で押し切りました。同時に2敗となった両横綱は優勝決定戦を迎 えました。会場のお客さんは、そのほとんどが稀勢の里の応援団のような雰囲気を作り、照ノ富士関は、完全アウェイ状態です。気の毒だと思いました。それで も稀勢の里はケガをしているのだから、多くの人が再び勝つとは思っていなかったはずです。その時、奇跡が起こりました。稀勢の里が勝ったのです。逆転優勝 でした。会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれていました。でもあの時、照ノ富士も足の故障を抱えていたんですね。 私は、二人のヒーローを見ながらネバーギブアップだと感じました。最終盤でケガを負うという不幸なアクシデントに見舞われながら、稀勢の里は自分の置かれていた場所から逃げなかったのです。 翌日、「実力以上のものが出せた。」とご本人が言われていましたが、私はつくづくこの精神を取り戻さなければならない。と自分に言い聞かせていました。 厳しい寒さから抜け出た時、春は訪れます。春は誰にも平等にやってきます。その日を待ちわびながら、いろんなことから逃げないで行きましょう! 2017.3.4 とっても近い国「台湾」 大分市議選が終了してからばたばたと準備をして、台湾に行ってきました。 政務活動ではなく、私費旅行です。会派で毎月積み立てをしています。前回は4年前にスリランカに行きました。 大分県と台湾の台中市は友好都市の関係を結んでいます。現在大分空港と台中空港とをマンダリン航空がチャーター便として動いています。主に台湾からの観 光客を乗せてきて、また台湾に帰るお客さんを運んでいるのですが、台湾の方の滞在時間を有効に使えるような設定ですから、こちらからの観光客は台湾の人に 比べると多くはありません。そのチャーター便を定期就航できればとの願いがあります。 現在、日本を訪れる台湾からの観光客は、420万人。日本から台湾への観光客は190万人だそうです。圧倒的にあちらからのお客さんが多い状況です。台湾の方の日本へのリピーター率はとても高いのです。ですから私が沖縄で見かけた方々も台湾の人なのだと思います。 台中市長と台中市議会議長への表敬訪問をしました。 林 佳竜市長に大分県議会議長からの親書をお渡しし、チャーター便の定期就航に向けた要請をしました。若く堂々とした市長さんで、噂では、将来の台湾総督府候補だそうです。 台中市は、人口が280万人ほどの大きな都市です。市役所の建物も議会棟もとても立派でした。市議会議長さんは、議長というよりは建設会社の社長さんのようないでたちと風貌でした。 戦前、台湾は日本の統治下にありました。台湾旅行の紹介には必ず出てくる嘉義農林学校を舞台にした全国野球大会での準優勝は、映画「KANO 1931 海の向こうの甲子園」で有名です。台中市の南に記念館が建てられています。 翌日は、台湾の南にある嘉南に移動し、日本技術者八田興一さんの設計した烏山頭ダムを見学しました。嘉南平野はとても広いのですが、灌漑用の水が行きわ たらず、十分な農業ができていませんでした。東京大学を卒業した八田興一さん【石川県出身】が広大なダムを造り、嘉南平野で、大規模な農業を行うことがで きるようになりました。今では、お米は年に3回採れるそうです。 台湾の農業に偉大な貢献をした八田さんは、今でも恩人として尊敬され続けています。同じ石川県出身の米村外代樹さんが16歳でお嫁にきました。その時、 八田さんは35才だったそうです。二人の間には8人のお子さんが生まれ、幸せに暮らしていましたが、八田さんは戦争中に56歳で亡くなりました。夫人は、 日本へ帰ることをせず、台湾にとどまりましたが、36歳の若さで夫の後を追い、ダムに身を投げたそうです。この話は、本当にショックでした。 日本に帰ることなく、一生をかけて台湾の水利建設に尽力し、台湾の農業発展の百年にわたる基礎を築いた人でした。 さて、現地通訳のクーさんは、神戸大学の修士課程で学んだ経歴を持つ男性です。ずっと国家公務員をしていましたが、その仕事に見切りをつけ、自分の特技を生かしたいと通訳になった50歳です。つれあいさんは、大学の先生で高校生の息子さんがいるそうです。 クーさんから最初にこう言われました。 「台湾の水は飲まないこと。」「今日から寒くなります。」「温度差が激しいです。」 「車は、右側通行ですからバスから降りた時に右からやってくる車に気をつけて。」「治安は悪くありませんが、スリに気をつけて。」 台湾は、国土面積が九州とほぼ同じくらいです。サツマイモのような形をしています。縦は400キロメートル。5つの山脈があり、3000メートル級の山 が多いそうです。人口は2300万人。南は熱帯地方で、バナナやマンゴーやパイナップルが採れます。ですからバスには暖房がありません。 自動販売機はありませんが、いたるところにローソン、セブン・イレブン、ファミリーマートがあります。売っているものは日本と同じです。おでんもありました。 走っている車の85パーセントは日本製。電化製品の多くが日本製で、携帯の充電器はそのまま使えました。 7食とも中華料理。どれも美味しくいただきました。特に、大根餅が絶品でした。でも中華独特の香辛料はちょっぴり厳しかったです。 最後の日は、故宮博物館に行きました。有名な翡翠に彫られた「白菜」を見ました。これは、皇帝に嫁いだ妃が持参したものです。高さは20センチ足らずで すが、白菜の白と緑は純潔を表しています。白菜の彫刻にはキリギリスとイナゴが彫られています。両方とも卵をたくさん産む昆虫なので、西太合にたいそう気 にいられたそうです。 故宮博物館は人気スポットなので、入場者が3000人になると、一時的に入場をストップします。 翡翠やメノウや象牙、陶器や磁器の品々は、皇帝がいかに財を集めていたかがわかります。 これまで、台湾に特別な興味はなかったのですが、親日家が多く、穏やかな気候に親しみがわきました。台湾の人は、東日本大震災の時に沢山の寄付金を寄せてくれていたことを知らない日本人が多いことは残念です。 みなさんもお時間がありましたら、是非、マンダリン航空を使って台湾に遊びに行かれてください。 2017.2.12 災害の大きな爪痕 今年一番の寒波がやってきました! 朝から降り始めた雪はみるみるうちに積り、我が家は積雪3センチ! こんな日に限って、朝から会議や出張が重なり大慌てでした。雪に慣れていない地域の人間は大変ですね。 2月7日に熊本地震の影響で不通になっている豊肥本線の調査に出かけました。 昨年4月16日の地震で、現在豊肥線は、大分〜阿蘇、熊本〜大津間で運行されています。熊本県の大津〜立野間約40キロメートルがつながっていません。 現在は、高校生を中心にバス輸送が行われていますが、近隣の住民や観光客には大変不便な状況です。並行して走っていた国道57号も不通部分があります。 ですから、大分から出かける時は、途中からミルキー道路を通って迂回しなければなりません。 国道と豊肥線の不通は、地震による土砂崩れが原因です。 山の斜面が高さ700メートル、幅200メートルに渡って崩れ、その土砂は下を流れる黒川に埋まりました。その量が50万リューベと言われますが、ピンときません。でも現場を見てその悲惨さに言葉を失いました。 昨年の5月1日から国土交通省の九州整備局が復旧作業の指揮を執っています。余震が続く中での調査は危険と隣り合わせだったようです。 まず、土留め盛り土を造って、法面の土砂を落とします。その作業は無人化された機械で行います。それをコントロールするのは、1台に一人のオペレーターでした。機械室で操作します。14台をフル活動したそうです。 今は、土砂崩れのおそれがない状態にして、有人の機械を使って作業をしていました。ただ、阿蘇は雨の多い地域です。加えて土砂は火山灰です。その作業も気が遠くなるような時間との連続だったことが分かります。 梅雨明けからは、土・日なしで、朝7時から日没までの作業が続いていました。 昨年の12月にやっと施工できるエリアが完了し、今年になって今後の作業のための調査が行われています。膨大な面積なのでこれからどのくらいの時間がかかるかわからないそうです。 道路は人が入れる状態になったので、復旧作業にかかれる日が近いということでした。ですから国道57号の復旧のほうが早いと思われます。 この写真は、線路があったところです。この状態を見てすぐに復旧ができるとはとても思えませんでした。 線路は、JR九州。国道は国土交通省と管轄が違います。 しかし、次の日に福岡市のJR九州本部に行って尋ねたところ、「豊肥線は従来通り元の形に戻します。」と答弁を頂いたので期待しています。 阿蘇大橋で大学生が車に乗ったまま流され、お亡くなりになったことは、皆さん覚えていらっしゃるでしょう。 4月の地震の時、1回目の地震では、阿蘇大橋は無事でした。安全も確認されていました。しかし、2回目の地震で斜面が崩れおちていきました。 南阿蘇に住む方々も遠回りをする生活を強いられています。 この橋を、600メートル下流に架け替えることが昨年の7月に決まりました。 「災害は、忘れる暇なくやってくる。」と言われています。 九州整備局から30人の方が集められずっとつきっきりで仕事をされています。私は、無人のユンボが活躍することを知りませんでした。雲仙普賢岳の火砕流の惨事の時から導入されているそうです。今は、ドローンを使って撮影や計測も行っているそうです。 毎日暖かい部屋で、安全に暮らしている自分の生活を振り返っています。 同時に、私たちは、議員としてどう動かなければならないのかを話し合っています。 2017.1.21 健康でいることのありがたさ お正月は、あんなに暖かだったのに毎日寒い日が続いています。 外でお仕事されている人や自転車で登校している学生は大変です。 今年の暮れは、例年になくゆっくりとしたリズムで生活できていたのですが、立ち上がった時にときどき、フラッとしていました。でも、気にも留めずにいま した。一月三日のことです。夕方、居間で横になっていたのですが、何となく苦しくなって、二階で休もうと階段を上がりました。その時、手をついて這うよう にしなければ、上がることができませんでした。二階のドアの前まで来て、力尽き意識が遠のいていきました。気が付いた時は、つれあいとお隣の奥さんが切羽 詰まった声で私に呼びかけていました。長い時間ではなかったようですが、つれあいが私のほほをたたいて覚醒したようです。南消防署の救急車が来てくれ、2 階から毛布を担架代わりにして下ろしてもらいました。N脳神経外科に運ばれました。ものすごい吐き気と気分の悪かったことを覚えています。救急外来で、す ぐにCTを撮っていただき、その後、MRIの検査も受けました。 ぼんやりする頭の中で「クモ膜下だったら、即手術だろうな。」「脳梗塞だったら時間がかかって大変だ・・・・。」と考えていました。 検査の結果、脳の異常は見つかりませんでした。 家族は、ほっとし、その日のうちに家に帰ることができました。 「あれはいったい何だったんだろう?」と考えますが、自分の体のことなのにいまだにわかりません。動くとふらふらし、息も絶え絶えだったので、1週間、 家で休んでしまいました。新年のいろいろな行事に参加できず多くの方にご迷惑をおかけしてしまいました。歳を取ったということかもしれません。 お正月のテレビで「ばっちゃん」というドキュメンタリーを見ました。 広島に住む元保護司の高齢の女性が、家でご飯を食べることができない、行き場のない子どもたちにご飯を食べさせていました。ばっちゃんの料理は親子どん ぶりだったりカレーだったり。ばっちゃんの考えは、「子どもは、お腹がいっぱいになれば、悪いことはしない。」です。ばっちゃんのマンションからすぐそこ に家がある子どもも自分の家にはなかなか帰りません。大人との関係が上手くいかない子ども、家庭内に何らかの問題を抱えている子どもたちに、ばっちゃんは 話を聞きながら、何十年もご飯を食べさせてきました。子ども食堂の走りだったのかもしれません。頭が下がります。若者の自立支援に向けて頑張っている知り 合いの人たちの顔や行動とシンクロしていました。 日本の子どもの相対的貧困率は、OECD加盟国の中でワースト1位です。世界第3位の経済大国の日本が、です。 子どもの貧困は、子ども自身が貧困なのではなく、家庭の貧困によるものです。 絶対的貧困の子どもは、外見からして見分けがつきますが、相対的貧困の子どもは外からは見えません。子どもの貧困は、教育格差を生み、学歴格差、就職格 差につながり、将来の所得格差にもつながります、貧困の連鎖が大きな社会的問題になっています。そのことは、将来的には社会的損失につながります。 政治に関わる人たちが、自分のこととして捉え、具体的な対策を仕組んでいかなければならないと思います。 1月17日に知事公舎の見学に行きました。 知事公舎は、戦後すぐに建てられました。築64年だそうです。歴代5人の知事とその家族が住んでこられました。何度かの改築はされたようですが、風情はあるけれど古い建物でした。耐震性ゼロ。南海トラフ地震で津波が来たらひとたまりもありません。 来年度、建て替えの予算が組まれるそうです。私は、裁判所に行く時に「知事公舎の高い塀の中はどうなっているのかしら。」といつも興味津々でした。 敷地は、約3000平方メートル。公邸部分と私邸部分とがつながっています。 居間には、ソファーが置かれています。畳の部屋に絨毯を敷いて、緊急の時に県の幹部が揃って会議ができるように机とパイプいすが並んでいました。 知事夫人に「イタチはいませんか?」と尋ねました。ずっとイタチが住んでいて、賑やかなことや屋根裏で死んだイタチの血が落ちてきたことをお聞きしました。 お庭は、業者の方が剪定しているのでとてもきれいでした。芝生も刈られていて、一つの草もありません。我が家とは大違いです。 知事公舎は、建て替えができるけれど、私の体は、作り替えができません。 健康のありがたさを実感しています。皆様もお気を付けください。 2017.1.3 穏やかな年の初めに 明けましておめでとうございます! 昨年は、つたない「ときどき日記」を読んでくださってありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。 皆様はどんな年越しをされたでしょうか。 私は、大掃除も年賀状も買い出しも原稿もほぼ31日に終了しました。こんなことは、近年なかったことで、「楽ですねー!!」とつれあいと話していました。 我が家の年賀状は、いつもつれあいが担当しますが、今年は大好きなジョアン・ミロを意識したデザインになりました。 正月三が日は、風もなく穏やかな暖かさでありがたかったですね。 賀来神社でもいつもながらのお参りの人の列ができていましたが、「寒くないから並んでいられますよね。」と後ろの方と話しました。 我が家は、医大の前なのですが、元旦からドクターヘリが稼働していました。 急な病気やけがの人が救われているんだと考える時、元旦からお仕事をされている方に頭が下がりました。 昨年の第4回定例会で私は、有機栽培についてかなりの時間を割いて質問しました。 私は、農業者ではないし、家庭菜園をしている訳でもありません。10年近く前、偶然、有機栽培をしている方のつれあいさんとスーパーで知り合いました。以来、その有機栽培農家から宅配でお野菜を届けて頂いています。ですから、消費者の立場で質問した訳です。 この10年、県は、「有機栽培に力を入れます!」と聞くたびに答えていましたが、その予算は少しも増えていませんでした。 (質問した内容や答弁は、議会報告の項で読んでいただければ幸いです。インターネットでの配信もしています。) 質問中、かなり難しいことを私は述べているのですが、それは、私の言葉と言うよりも、私が10年間、有機栽培農家の方から学んだことです。ある時は、農園で、ある時は夜、家まで伺って学習しました。 県は、どうしても集落営農を組織しようとします。それが、米やトマトやネギやピーマンです。いつも言われることは「ロットを揃える。」しかし、有機栽培 はロットの少ない多品目です。でも本当においしいのです。さらに決して高額ではありません。今の時期は、ネギが最高です。お味噌汁に入れたネギを口に入れ るたびに、その甘さにうっとりしてしまいます。県の方針との違いをどうクリアしていけばいいのか悩みます。 有機栽培農家を訪ねた日のことです。 5人の若い研修生が学んでいました。福岡、熊本、大分の人もいます。彼らの中でこれまで日本で行われていた農業を知っている人は、一人だけです。皆さ ん、農家の出身ではありません。この農園に繋がったいきさつから、今、作っているもの、毎日どんなことを考えているのかなどなど、いろいろなことを話し合 いました。 初めてあった人たちですが、じっくり話し合う中で、何とも言えない満足感を覚えていました。議会では感じたことのない不思議な充実感です。学校で働いてい る時のことを思い出していました。決して美しい場所でもなく、お茶を飲みながらだったのですが、私には何よりもかけがえのない時間だったように思えまし た。もしかしたら嘘のない、素の自分をさらけ出している若者の存在がそう感じさせてくれたのかもしれません。 昨年12月25日に旭山動物園の坂東園長の話を聞く機会がありました。 以前の旭山動物園は、年間のお客さんが20万人に満たず、老朽化の中で廃園の危機にさらされていました。旭山市のお荷物的存在だったわけです。そこで、取 り組んだのが、動物の生態を生かした住舎の改造です。カバが3メートルもある深いプールで泳ぎます。アザラシが縦泳ぎをする姿を見せます。ペンギンは、パ レードではなく、海までお散歩をするだけです。コアラはいない。パンダもいない。どこの動物園にもいる動物たちの習性を生かした取り組みで、訪れる人が 100万人を超えています。 坂東園長が動物の子育てについても語りました。人も動物ですが、最も違うところは、子育ての比較をしないことだそうです。 いつも比較され、優越感を持とうとし、劣等感に悩まされる私たちの生き方が寂しく映りました。あるがままの姿で、誇示せず、尊厳をもって生きられたらどんなに幸せなことでしょう。 次の日の12月26日に秦さんの裁判の傍聴で福岡高裁に出かけました。バスでしたが、都市高速を降りて行く時に、眼下には大きな倉庫が建っていました。 その倉庫に張り付くようにして、段ボールハウスが3つ並んでいました。路上生活をしている人が住んでいるのだと思いました。日本中の人が家族そろって暖か い部屋でクリスマスのごちそうを食べ、子どもたちはサンタさんからのプレゼントに喜んでいた次の日でした。何とも言えない気持ちになりました。 若者が大学を卒業するときに莫大な奨学金というローンを抱える国に未来があるのでしょうか? 貧困家庭の子どもたちに「寄付金」を呼びかける国に未来はあるのでしょうか? 昨年ずっと訴えてきたことです。 日付が変わったからと言って、決して何かが変わるわけではありません。 それでも、私は、平和と民主主義を願って活動しようと自分に言い聞かせています。 バックナンバーはこちらに移動しました ●2016年10月・11月・12月 12.12 この痛みはなぜ? 11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って 10.18 どうしても許せません ●2016年7月・8月・9月 9.24 厳しい現実 ―台風16号被害― 9.7 行く夏 8.21 なつやすみ 7.26 分断されていく人々のこころ ●2016年4月・5月・6月 6.30 今の平和をわざわざ壊しますか? 6.7 新しい判断 5.6 地震?! 4.9 見えにくい子どもの貧困 ●2016年1月・2月・3月 3.13 あの日から5年 2.23 スローフードと空き家対策 1.31 選ぶことのできない世界 1.15 4本のイヤダ! ●2015年10月・11月・12月 12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう 11.26 暴力の根絶を 10.25 カレーライスとCLT ●2015年7月・8月・9月 9.23 許せない暴挙を前にして 9.6 北陸への視察 8.6 フロイドの深層心理 7.21 民意の拡がり 7.7 子ども最善の利益とは ●2015年4月・5月・6月 6.8 あきれている。でもあきらめない。 5.14 不条理の中で 4.1 みんなに春が来ますように ●2015年1月・2月・3月 3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で ●2014年10月・11月・12月 12.17 現実を受け止め、諦めない 11.19 民意と政権のねじれの中で 10.29 子どもって 10.6 教えるとは、希望を語ること 学ぶとは、誠実を胸に刻むこと ●2014年7月・8月・9月 9.16 二人三脚でやっていくしかないかな 8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間 7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう! ●2014年4月・5月・6月 6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い 6.13 なくならない痛み 5.30 またやってしまった! 5.7 震災からもう3年、まだ3年 4.2 母がいなくなって ●2014年1月・2月・3月 3.3 スリランカに行ってきました。2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・1.13 介護の行方は・・・・・ ●2013年10月・11月・12月 12/28 静かな年の瀬に12/18 お気に入りのホテル12/7 久しぶりの別府11/14 結婚式11/5 秋の三連休10/19 どんな秋が来るのかな・・・ ●2013年7月・8月・9月 9/28 施設への入所9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。8/17 お父さん、ありがとうございました。8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間7/15 ただ今、奮闘しています! ●2013年4月・5月・6月 6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を5/7 「風化しないことを願う」と言われた日4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい4/7 来年の還暦までどうしよう!? ●2013年1月・2月・3月 3/16 ありがとうRUPO2/16 諦めない1/31 左に偏っている?1/10 今年の運は・・・ ●2012年10月・11月・12月 12/27 吉田ばあちゃん12/10 教育公務員のあり方は・・・・11/26 地方自治に必要なこととは・・・11/15 水素水にはまっています。11/4 思いのある人、熱く語る10/9 いろんなことがあった1週間 ●2012年7月・8月・9月 9/27 校歌が歌えた!9/4 夏が終わっていきます。8/19 再び東北へ8/6 暑さの中で7/22 もしも・・・はありえない7/10 デンマークの報告E ●2012年5月・6月 6/22 東北に行ってきました6/9 デンマークの報告D5/28 デンマークの報告C ●2012年4月・5月 5/20 デンマークの報告B5/12 デンマークの報告A5/6 デンマークの報告@4/25 無事に帰ってきました。4/11 春の光の中で ●2012年1月・2月・3月 3/31 議会終了3/8 あの日から一年2/21 もうじき春が来る2/2 こんなままではいけない。1/19 圧巻だった熊谷守一展1/10 あけましておめでとうございます。 ●2011年10月・11月・12月 12/29 感謝12/10 師走に突入11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと11/16 カーネーションがおもしろい10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください10/16 気になること ●2011年7月・8月・9月 9/19 今年の夏は8/17 片山さんありがとうございます。7/31 夏、真っ盛りです。7/3 元気をもらいました ●2011年4月・5月・6月 6/14 「マルモのおきて」がおもしろい5/22 初めての大役に・・・4/29 闘い終わって・・・ ●2011年1月・2月・3月 3/21 人と人が支え合って2/27 あの美しかったクライストチャーチが2/9 鳥インフルエンザ1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて1/7 今年の幕開け ●2010年10月・11月・12月 12/27 様々な出会い12/2 美恵さんのお芋11/14 30回目の車いすマラソン10/30 姪の結婚10/2 インフルエンザ! ●2010年7月・8月・9月 9/20 ここにもあった私の原点9/2 まだまだ暑い日が続いています。8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女7/13 吉田忠智さんと言う人 ●2010年4月・5月・6月 6/13 カツオのたたきがない!5/27 牛を食べるということ5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。4/23 セブ島4/1 気がつけば春 ●2010年1月・2月・3月 3/4 別れ2/19 Tさんお世話になりました。2/1 先輩に励まされて1/16 油断大敵1/4 若者たちに魅せられて ●2009年11月・12月 12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで11/13 朝、一便に乗るためには・・・ ●2009年10月 10/28 欧州旅行記C10/16 欧州旅行報告記B10/8 欧州旅行報告記A ●2009年7月・8月・9月 9/21 欧州旅行報告記 @8/10 暑中お見舞い申し上げます。7/19 野菜を求めての旅 ●2009年4月・5月・6月 6/27 ちょっといい話6/16 ひとり一揆を始めた人がいます5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと5/6 風薫る季節の中で4/4 私が生まれた日 ●2009年1月・2月・3月 3/26 どうしても賛成できませんでした3/9 現場に宿る神様2/12 こわしたくないもの1/30 つかの間の休日に1/8 厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間 ●2008年10月・11月・12月 12/23 年の終わりに12/1 “ご縁”があって つながって11/3 小さな運動会10/21 感動をありがとう ●2008年7月・8月・9月 9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹8/2 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!7/11 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」 ●2008年4月・5月・6月 6/22 初めての経験に四苦八苦5/28 雨の体育祭と中学生の涙5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち ●2008年1月・2月・3月 3/16 いつまでも見守りたい子どもたち2/10 魔法の一言1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます ●2007年10月・11月・12月 12/21 静かな時間(とき)もいいものです 12/1 秋は来たのかしら 11/3 20回目のお誕生日おめでとう 10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ ●2007年7月・8月・9月 9/23 大事なものを忘れないで 8/22 不器用に、でも誠実に 8/6 「いのちが一番」いつまでも 7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます ●2007年4月・5月・6月 6/20 もっと怒ってもいいですよね! 5/22 とても大切な「頭の片隅」 5/5 「母というものは」 4/24 庭の花に癒されて ●2007年1月・2月・3月 3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち 2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら 1/31 家族葬にして良かったですか 1/6 静かな年の始まりです ●2006年10月・11月・12月 12/19 甘いおこわと教育基本法 11/26 子どもたちが私のエネルギー 10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」 10/8 団地サイズの竹宵をします! ●2006年7月・8月・9月 9/18 無くしてからは遅いのです 9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ! 8/11 「言葉で勝負!」できたか不安? 7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」 ●2006年4月・5月・6月 6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて 5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています 4/9 元気もらった、拓郎コンサート! ●2006年1月・2月・3月 3/31 まだ見ぬあしながおじさん 3/7 ときめき「15才の春」 2/23 あきらめきれない数珠の紛失 2/2 悩み続ける「私の子どもたち」 1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります! ●2005年10月・11月・12月 12/27 新しい年こそ「愛の年に」 11/27 「木の香りの家」に癒されて 11/4 失敗、失敗、ドジな私 10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜 ●2005年7月・8月・9月 9/12 私たちに問われているものは? 8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩” 7/23 人工林と流木と鉄砲水 ●2005年4月・5月・6月 6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい! 5/14 夜道で出会ったものは… 5/6 反日渦中の上海を訪ねる 4/15 政治が民衆を分断している ●2005年1月・2月・3月 3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り 3/18 レッテル、はる人、はがす人。 2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました 〜大分市議選を終えて 1/17 「高校再編」の民意はどこに? 1/1 2005年「命」を考える ●2004年10月・11月・12月 12/2 何故もめる?議員定数問題1 11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア 10/25 子ども達は輝いています ●2004年7月・8月・9月 9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も 8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私 8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて 7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症! ●2004年4月・5月・6月 6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記 6/17 帯状疱疹と闘っています 5/31 どげぇなっちょんの? 5/6 つかの間のひとりごと 4/12 私の甥っ子たちの春は… ●2004年1月・2月・3月 3/26 子どもたちは守られていますか? 3/3 幸せな2日目の休みの日に 2/12 心やさしきチャンピオンたち 1/18 雪の下の小さな花たち 1/6 子ども達が大切にされる世の中に ●2003年12月・11月・10月 12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」 11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな! 10/26 「教育」はだれのもの? 10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」 ●2003年9月・8月・7月 9/28 励まされています 8/10 風化させてはならない記憶 7/23 やっと夏が来た ●2003年6月・5月・4月 6/22 お葬式と福祉と青リンゴ 6/08 初めての視察 5/19 辺見庸さん 5/07 健ちゃんのこと 4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます ●2003年3月・2月・1月 3/28 愚かな戦争に反対します 3/22 “食育”に取り組んでみたい 2/07 ただただ感謝の日々 1/27 二人のおひな様 1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方 1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて ●2002年12月・11月 12/13 ロウバイが咲いた! 12/04 穴子丼(あなごどん) 12/02 ALS患者郵便投票訴訟 11/24 世界に目を向ける子どもに 11/22 Tさん 11/15 アッタマにきたぞ! 11/13 働く女性の実態 11/4 桜
3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で