ときどき日記


2016 9.24  厳しい現実 ―台風16号被害―
 
 朝早くに花火が上がりました。
隣り町の小学校の「運動会をしますよ!」の合図だと思います。
今日は、雨の心配もなく運動会は無事に進んでいることでしょう。懸命に競技している、応援している子どもたちの姿を想像しています。
 
 
昨日、台風16号の影響で被害が多かった佐伯市、蒲江に災害調査に行ってきました。
 台風16号は、9月19日、20日に大雨警報、暴風警報、洪水警報、土砂災害警報を出すほど大型でした。最も被害が多かったのは、佐伯市です。1日で 400ミリを超す雨が降りました。テレビに映し出された中学校の広いグランドはまるでプールのように水であふれていました。テレビに映ったその学校が最初 はどこだかわからず、随分心配しました。いろんな方の情報でそこが、以前の蒲江高校、現在蒲江地区が統合されてできた、蒲江翔南中学校だとわかりました。 幸いなことに3連休の間に体育祭を行い、2日続けて生徒は振替休日だったので人的被害は起こっていませんでした。
 
 グランドの水は、自然に引き、トラックコースは見えないものの、ひどい土砂の塊が残っているという状況ではありません。校舎に影響が出なかったことが何 よりでした。佐伯地区では、13校の小学校と6つの中学校で、雨漏りや教室への浸水、屋根の飛散が起きていました。蒲江翔南中学校のグランドの冠水も深い ところで50センチもあったそうです。同行して下さった佐伯市の副市長さんや土木建築部の方々が説明してくださいました。
 「この水はどこからきているんだ?」不思議です。中学校の裏手は山です。その2か所の山から一気に雨水が流れ落ちてきて、県道の側溝も詰まり、行き場を失った水は、低い位置にある中学校のグランドへと逆流したようです。



 
 竹野浦地区、西野浦地区は同じように山から流れてきたとてつもない水や土砂で被害が最も大きかった地域です。
「冷蔵庫が浮いていた」「冷凍庫も浮いていた」「後から開けてみると水が流れ出てきた」「トイレも使えない」「最初はショートして電気もつかなかった。」と家の中で作業をしていた皆さんがその時の恐怖を語ってくれました。どれほど恐ろしかったことでしょう。
 
 大分県は、海辺の地域は、どこも国道、県道が海岸線を通っています。海のすぐ上には民家がたくさん建てられていますが、間にはいくつもの生活道路が張り 巡らされています。その道はどれも細く、救急車や消防車が入ることができない道です。どこにも「急傾斜地」や「土砂災害危険地域」と書かれた看板をよく見 かけます。
 今回は、その細い道に一気に山からの水が押し寄せてきました。側溝や小さな川に流れてきた土砂が詰まり、行き場を失った土砂や水は、広く低い地域にある 民家や畑を襲いました。人的被害が出なかったことが不思議なほど、その水はごうごうと流れていたそうです。アスファルトの下を水が通る。そのアスファルト を押し上げ、水があふれ出ると言った状況だったそうです。


 今も水は完全には引いていません。水だけならともかく、土砂が混じった物が家を襲ったのですから、かたづけは大変な状況でした。とにかく側溝にたまった 土砂を取り除かなければ前に進めません。しかし、狭い道には大型ユンボも土砂を運ぶトラックも入ることができません。人海戦術で土砂を取り除いている姿は 痛々しいほどでした。





 現在は、住民の方と佐伯市の職員と消防団のボランティアで作業が進められています。副市長さんは「早急に佐伯市の人たちでボランティアを募り、少しでも早く対策を立ち上げる」とおっしゃっていました。
 
 2006年の台風13号の被害も大きかった佐伯市です。あの時は、海岸は流木で埋め尽くされ、岸には流木の山ができていた光景が蘇ってきました。
 今日も暑くて、作業は困難を極めていると想像できます。私たちも、県や佐伯土木事務所と状況を共有しながら、1日も早く住民の方々が元の生活を取り戻すことができるように動きます。


2016.9.7 行く夏
 
 賀来神社のお祭りが始まっています。今日は、例大祭の神事がありました。
神殿に座っていると、セミの鳴き声が聞こえてきました。ツクツクホウシの少しか細い鳴き声です。日中はまだまだ暑いけれど、もうじき秋が訪れるのでしょう。


 
 今年の夏は、出かけることが多く、その準備と報告書作りに忙しかった夏になりました。福島を皮切りに、鹿児島、長崎、千葉へ。東京で調査して富山へも行く予定でしたが、台風9号の到来で中止せざるを得ませんでした。
 
 
 台風10号は、北海道、岩手に大きな爪痕を残しました。
 北海道には、台風が来ることはめったにありません。さんざん雨や風をもたらした台風も、九州や四国、本州の手前で上陸したら、熱帯低気圧に変わっていた のが、これまでの台風でした。北海道が台風で水浸しになる、川が氾濫するなどと言うことはこれまであまりありませんでした。しかし、今の台風は、強い勢力 を保ったままいきなり北海道に上陸するのですから経験したことのない脅威にさらされてしまいます。
 岩手県・岩泉の高齢者のグループホームで9名の方が亡くなったのは、人災なのではないかと思ってしまいます。地震や竜巻や津波は、予測することはできま せんが、水の被害だけは、最悪のことを想定していれば、命を守ることができたのでは・・・・と残念でなりません。東日本大震災であれほど甚大な被害を経験 した人々をさらに苦しめる状況が本当に悲しいです。
 
 
 台風12号がのろのろしていたけれど、大分にも影響するだろうと万全の体制を整えて待ち構えていました。しかし、幸いなことに大きな被害が出ずにいつの 間にか熱帯低気圧に変わっていました。「今朝は、通学する子どもの姿が見えないなあ。」と思いながら街宣に出かけた月曜日の朝、県下の多くの学校は臨時休 校だと知りました。「休校と決断するのが早すぎた。」と非難する声も聞きましたが、子どもの命にかかわることです。それくらいの判断力が必要だと思いま す。
 
 月曜日の台風の進路がとても心配でした。その日は、福岡高裁で「教員採用試験」を巡る裁判の判決が出る日でした。たとえ大分が直撃されても、福岡に台風 の目があっても私たちは、判決を聞くために福岡に行かなければならないと考えていました。肩透かしを食ったようなおとなしい台風で、助かりました。
 
 判決結果は、新聞、テレビで報道の通り、こちら側の勝利です。
 判決内容が、一審と少し違う部分はありますが、大分地方裁判所の判決と同じ青年教師の主張を認め、県教委の請求を棄却しています。
 
 8年前の今の時期です。20人の若者が苦しんでいたのは。
 私たちの支えてきた男性も筆舌に尽くしがたい苦しみの中で生活してきました。私はそのことを、以前のときどき日記で随分長く綴っています。
 
 この間、「教育公務員の在り方を考える会」では、報告集を作りました。いつの間にか3冊目になっています。集会、街頭活動、県内を2巡する報告会も持ってきました。
 すべての元凶は、教員採用に関わる不正採用が横行していたことです。8年前の事件が発覚した時、誰が関わっていたのか、誰が口利きの依頼をしてきたの か、まったく明らかにせぬまま、とかげのしっぽ切りのような処分で済ませ、幕引きをしてきたからこのような不幸な事件を引き起こしてしまいました。
 
 法廷に響いた「県側の主張を棄却する」と言う裁判長の声は、私にはあまりに当たり前のことのように聞こえました。
 福岡高等裁判所の大法廷を支持者は埋め尽くしていました。信頼し共に学び行動してきた弁護士の方々が輝いて見えました。県教委側の弁護士は来ていませんでした。県教委の職員が二人いただけです。こんな判決になることを予想できていたのでしょうか。
 
体裁を繕うことに労力を使わず、県教育委員会が最高裁に上告しないことを切に願います。
それが、多くの県民の意思でもあると思うのです。

2016 8.21 なつやすみ
 
 暑い!毎日です。我が家の芝生も枯れそうです。梅雨の時期には、どんどん伸びていた草も今は生えてきません。
 この暑さは、稲の生育には良いのだそうですが、野菜を育て出荷されている農家の方々は厳しい現実と向き合っていらっしゃるのではないでしょうか。
 
 夏休みも、あと10日となりました。
 県立学校の一部や義務制の学校でも2学期が早く始まるところもありますが暦の上では残すところ10日です。
 子どもに会うたびに「宿題、もう終わった?」と尋ねます。一人も「うん!」と答える子がいないのもちょっと心配です。
 夏休みに入る前にいつもこう願います。「どうぞ長い夏休み期間中に子どもたちが事件や事故に巻き込まれることがありませんように!先生方が少しでもリフレッシュし、さあ2学期また頑張るぞ!と感じることができますように。」と
 
 
大分県生活学校運動研究大会がありました。


「大分県生活学校運動研究大会」

大会のテーマに「食品ロス」が入っていたので参加させていただきました。
食べること大好き。つくること大好き。の私はいつも食に関することに興味津々です。平岩家は外食しても食べ残すことはありません。完食家族です。
 
 会の中で言われていました。
・年間1800万トンの食品が廃棄されます。
・食品廃棄にかかる費用は約80兆円。
・そのうち食べられるのに捨てられる食品は800万トンと試算されています。
・さらにその半分は家庭から出るそうです。
・捨てられる食品の内訳は、製造・小売り・外食産業・家庭とありますが、在庫や売れ残り、期限切れ、規格外、食べ残しなどです。
・特に食品に問題はないのに、箱の表示が間違っていたりして、箱ごと捨てられる食品があまりに多いのに驚きます。
・冷蔵庫の詰めすぎも良くありません。冷蔵庫は7割入るくらいにして、冷蔵庫の中身が頭の中にある状態で買い物に行くことが重要です。(安いからと言ってどんどん買うことは食品ロスに繋がります)
・食材は「買いすぎない」「使い切る」「食べきる」
・消費期限(食べても安全な期限・過ぎたものは食べないほうが良い)
・賞味期限(おいしく食べられる期限・すぐに食べられなくなるわけではありません)
 
・飽食の国では、過食・肥満が横行し、膨大な医療費がかかっています。
・地球のどこかで年間500万人の子どもたちが、飢餓で亡くなっています。
 
 私は、幼いころ、米粒を残すと叱られていました。
 今は、スーパーでもコンビニでもフードコートでもレストランでもお金さえ出せば好きなものが手に入り、お腹いっぱいになりますが、やはりここで一歩立ち止まって考えなければなりません。
 「食品ロス」が多く出るのが、宴会料理、旅館の料理だそうです。そんな光景をこれまでたくさん見てきました。
 今年になって「子ども食堂」が全国で319か所できています。「子ども食堂」は貧しさよりも夜一人ぼっちで過ごす子どもたちに「ひとりじゃないよ」と寄 り添い個食を防ぎ、地域で子どもの居場所づくりをすることに力点が置かれていますが今、「食品ロス」になる前に食品を提供する運動も起こっています。
 アメリカやカナダでは、レストランで食べきれなかった食品を家に持って帰り犬に食べさせる「ドギーバック」運動も起こっています。
 
 「食品ロス」の考えが若い人や子どもたちに広がっていくといいなあと願います。
 ただ、私たちも「もったいない」と思うだけで食べすぎないように気をつけなければなりません。



2016.7.26 分断されていく人々のこころ
 
 あまりに暑くて、汗をかきます。体もかゆくなります。
 4月1日に「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例」ができました。今日は、多くの人たちに知ってもらおうと願いながら啓発のパレードがありました。
 参加者の中には、知っている方も大勢いて、賑やかなパレードになりましたが、体調が万全ではなかった私の頭はくらくらしていました。
 
 7月15日から17日にかけて、福島に行ってきました。
 毎年夏にやっていた福島の子どもたちを迎えての保養プログラム「ゆふわく」は、大分の地震の影響で、今年の夏は休止しました。
 この機会に、まだ福島に行ったことのないメンバーが大勢いるので「福島へ行って勉強しよう!」と言うことになりました。
 伺ったのは、いわき市、福島市、郡山市です。
 
富岡町で吉田住職に話を伺う
 吉田さんは、真宗大谷派の住職です。お寺は、富岡町にあります。富岡町の除染作業はすすみ、もうしばらくしたら、帰還困難区域の一部が解除される見通し です。富岡町は、9時から午後4時まで立ち入ることができます。でも、放射線量の高い地域は立ち入り禁止です。吉田さんのお寺もその地域にあたります。
 施錠をはずし、境内に入りました。本堂も新しく建てた住居も5年4か月の間誰も住まないままです。階段には、獣の糞がこびりついていました。
 雨どいの所は、ガイガーカウンターが9.99マイクロシーベルトと最高値を示しました。(ちなみに大分では、0.02マイクロシーベルトでした。)
 「行政は、除染作業をやるけれど、帰還困難区域には、何もしてくれない。」と言われていました。午後、4時近くなると帰宅を促す放送が流れました。
 広野町に双葉町の子どもたちのための中・高一貫教育「双葉学園」が昨年開校しました。昨年は、入学する子どもが大勢いたのですが、今年は、定員割れを起こしています。
 楢葉町には、7500人の住民のうち約700人しか帰っていません。インフラ整備が整っていないことや泥棒が多いこともその理由のようです。
 どの地域も、除染作業をする作業員と除染した土を入れた黒い袋がおびただしい数です。
 
 「ゆふわく」に毎年子どもたちが順番でやってくる「ピーターパン・チャイルドクラブ」に伺い、ちょっぴり大きくなった子どもたちに再会しました。私たちの顔を見るなり「あっ!九州の!!」とびっくりした声と顔。


 
NPO法人「花見山」代表 高橋さんの話
 震災当初、1日に500人の避難者(浪江町、双葉町、大熊町から)を受け入れていたそうです。1日10トンの支援物資を仕分けしてきました。
 この地域は、生け花の花材になる花や木を育てている農家が昔から多い地域です。周りの小高い山々は、春になると梅、ボケ、花桃、桜、レンギョウなどが咲 き揃い、まるで桃源郷のような景色だということをポスターや写真で理解しました。その山を守りながら、傷ついた人たちを癒したいと願い、桜の苗の植樹も続 けています。人間関係がぎくしゃくする場面を嫌と言うほど見てきたので人と人のつながりを大切にしたいと言われます。


 
仮設住宅で自治会長さんの話を伺う
 ・ここは、浪江町の人の仮設住宅。
 ・仮設には、1部屋、2部屋、3部屋のパターンがある。
 ・以前は、185世帯あったけれど、自立したり復興住宅に移ったりした人もいて、今は100世帯をきった。以前は協力的だったけれど、今は、自己中心的。
 ・一人暮らしの高齢者が増えた。家族と離れて暮らすのでつらい人が多い。孤独死も出た。
 ・復興住宅は町ごとにつくっている。新しいところに移り人間関係を作り出すのは大変。
 ・原発を毎日見て生活していたが、「あれが爆発したらどうしよう。」などと考えたことは一度もなかった。
 ・以前住んでいた浜通りは、雪が降らない。福島に来て雪かきや寒さに苦労した。夏の暑さもひどい。
 ・仮設の子どもは10人ほど。地域の学校に入れなかったので、ばらばらの学校に通い子ども同士のつながりはない。


 
 あいコープふくしまでは、ホールボディーカウンターで組合員やその子どもの内部被ばく状況を調査しています。

専務理事の佐藤さんの話

・ホールボディーカウンター(簡易イス型)は2013年、5月から使い始める。行政からの支援はなく、生協独自で購入。1億7千万円。食品を測定する機械も2千万円で購入。
・未知への不安、無知への不安、科学的に測定して対処することが重要。
・避難したくてもできない人をどう守るかが大切。
・福島の水を飲まない、福島の物を子どもに食べさせない親も大勢いる。
・生協に食品を納入している生産者への対策を重視している。(土を削って有機
 を入れる。)
・放射能の知識はなかったが、食品に対する知識は役立った。


 
 ゆふわくに参加したお母さん方に話を伺いましたが、学校給食は定期的に測定され、その結果もお便りで伝えられているとのこと。学校では、ご飯を持参する子ども、牛乳を飲まない子どももいて、プール指導も「同意書」をとってからやるとのことです。
 
 
 福島から避難するかしないか。福島に戻るか戻らないか。福島の物を食べるか食べないか。避難先で福島出身であると言うか言わないか。悩む人が多いことに5年経ってさらに問題が複雑化していると気づきます。
 「わずかな期間でも、体にたまったセシウムを抜くことが大切」「自分たちのことを気にかけてくれる人がいることはありがたい」と言われ、ゆふわくの意義を再認識させられました。
 今回は、浜通りの大熊町、双葉町、南相馬を通りましたが、完全に立ち入り禁止で建物が朽ち始め、田や畑は草ぼうぼうの様子に言葉を失いました。ガイガーカウンターの値もどんどん高くなり、頭が重くなりました。
 
 時間の経過の中で、福島で生活している人々の気持ちや心の変化を十分考えずに思いを発信してきたのではと振り返っています。
 子どもたちの甲状腺がんの問題を私たちは、とても重く受け止め、重大な問題として捉えてきましたが、そのことがインターネットで拡散されていくことに怒りに似た感情を抱いている現地の人々の思いに気づきませんでした。
 それでも「私たちは、富岡にはいきませんよ。」と放射能を意識している人々の存在もあります。
 
 今回の旅で、ストロンチウム、半減期、セシウム137などの言葉をこの数年、口に出さなかった自分がいることにも気づきます。
 
 5年前、大震災でどれほどの孤児が生まれるかと心配した日がありました。もしかしたら大分県でも子どもたちを受け入れるようなことになるのではと考えて いました。実際、福島県では21人の子どもがお父さんもお母さんもいなくなりました。けれども、東北の人たちは、子どもを手放すことはありませんでした。 親戚の人たちが引き受け、国は親族里親に手当を出すことを始めました。児童養護施設に措置された子どもは一人です。
 私は、震災がれきの受け入れ問題の時に反対して、随分とお叱りを受けました。
 今回の旅でもFBに綴った文を読んだ福島の人から「迷惑なんです」とメールが届きました。
 
 福島に寄り添うとはどういうことなのか。福島を忘れないとはどうすることなのか「核と人類は共存できない」と考えますが、放射能問題でいかに人の心が苛まされているのかを考え続けています。
 



バックナンバーはこちらに移動しました

●2016年4月・5月・6
6.30 今の平和をわざわざ壊しますか?
6.7 新しい判断
5.6 地震?!
4.9 見えにくい子どもの貧困
●2016年1月・2月・3
3.13 あの日から5年
2.23 スローフードと空き家対策
1.31 選ぶことのできない世界
1.15 4本のイヤダ!
●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜