ときどき日記 2015 9.23 許せない暴挙を前にして 政府与党と3党は、参議院特別委員会で「平和安全法整備法および国際平和支援法」いわゆる「戦争法案」を強行採決しました。9月17日の夕刻のことでした。 朝から、(特別委員会の審議はどうなるのだろう・・・)と気がかりで、運転中ラジオをつけていました。「ダメだって!ダメだって!!「委員長、昨日決め たじゃないですか!」と立て続けに呼びかける声が聞こえてきました。あとから、その声が民主党の福山哲郎議員で、鴻池委員長に法案を審議する部屋を理事会 室に変更してはいけないと訴えていたのだとわかりました。 17日は、第3回定例県議会開会の日でした。 お昼のニュースで、鴻池委員長の不信任案が提出されていることを知りました。午後からM小学校に行く予定になっていたので、法案に反対する野党議員の不信任案賛成の意見はラジオを通して聞いていました。 民主党福山哲郎議員は、鴻池委員長がいかに誠実でその役に適した人であるかを長々と訴え、こんな不誠実な運営は、政府の押し付けだろうと言われていました。だから断腸の思いで不信任案に賛成するのだと熱く語っていました。 採決を遅らせるための時間稼ぎであることは、明らかですが、その話の内容は説得力のあるものでした。40分以上語っていました。福島瑞穂さんや山本太郎さんの話が続き午後4時20分を過ぎていました。 しかし鴻池委員長の不信任案は、賛成少数で否決されました。 鴻池委員長が再び席に着き、さあ、質疑が始まると思っていた時に不意を狙ったかのように自民党議員が委員長席を囲み、あっという間に法案は、採決されて いきました。この時は、テレビを見ていたのですが、何が起こったのかわかりませんでした。あっけにとられてしまいましたが、その作戦が周到に練られていた ことが後になってわかりました。委員長の姿は見えませんでしたが、委員長は法案を読み上げていたのでしょう。与党議員が起立し、戦争法案は参議院特別委員 会で成立しました。 誰が起立したのか数の把握はできていません。委員会席の後ろには、オブザーバーの議員がたくさん立っていました。議事録に残す速記もされてはいませんで したが、どうも密かにレコーダーを設置していたのかもしれません。日本の針路を決める重要な法案への審議内容が、のちにきちんと記録されていない状況で残 されるなんて、議会制民主主義の否定でしかありません。 こんな姿は決して子どもには見せられないなあと思いました。 国の行く末を左右する重要法案をどさくさの中で、決定してしまったのです。 16日の中央公聴会の意見を無視してのことです。 17日午前中にあった横浜での地方公聴会の意見も参考にしていません。 そもそも与党議員は、衆参合わせて400人以上いると思いますが、国会の外で、学者が、元内閣法務長官が、元最高裁判事が、弁護士が、お母さんが、お父 さんが、おばあちゃんが、おじいちゃんが、大学生が、高校生が、働く人たちが、作家が、ミュージシャンが、大学教授が、元自衛隊員が、創価学会の人たちが 「反対!!!!」と声を出し続け、それは東京だけではなく全国に広がっているのに、誰一人として疑問を呈したり、異議を唱えたりしないことが奇異に映りま す。この法案を通すことだけを目標にがむしゃらに進んでいる内閣が恐ろしい組織に映ります。安倍総理に盾突くことができないなんてまさに恐怖政治の始まり のような気がしています。 そして、9月18日未明に「安保関連法」は成立しました。 「あーあ。」としか声が出ないけれど、事実を受け止めなければなりません。 これから、目標をどこに定めて活動していくのかを考えなければなりません。 でも、この法案に反対している人たちを指して 「戦争が起きるかもしれないとか、徴兵制が敷かれるかもとレッテル貼りをしている」と与党の国会議員が言われていましたが、その指摘は間違っています。 大衆が声を出して訴えているのは、強硬な政府の姿勢から恐ろしい将来を想像することできるからです。政府与党は、そのことに対する不安をまったく払しょ くすることなく、ごり押しをしてきたのです。だから、反対の声は日増しに高まってきているのだと思います。みんな誰かに言われて声を出しているのではあり ません。自分の意思で行動しています。国民主権だと信じているから憲法をないがしろにしている時の政府の勝手な憲法解釈を許せないのです。 そんな人たちを捉まえて「ポピュリズムを扇動している」と言う指摘もあたりません。 「この法案を通すことによって抑止力が高まり、日本国民の平和を守ることができる。」と安倍総理は言われました。 抑止力とは軍の力だけでしょうか。 外交努力はせずに、憲法違反の法律を数の力だけで通したのです。 憲法違反の解釈を内閣の勝手な法解釈でやってしまったのです。 「来年の参議院選挙で覆そう!」と呼びかけている方が大勢います。そのことは大事なことだと思います。ただ、熱しやすく冷めやすい日本人気質が来年夏まで持つかしら・・・・。と正直不安もあります。 1年前の衆議院選挙の時には安倍総理は、憲法解釈を変えて、集団的自衛権を変更するなどと言わなかったのです。何万字にも及ぶ提案理由の中に、安全保障に 関することは、字数にすると僅か数百字だったのです。消費税を先延ばしすることを国民に問うという形での選挙でした。私たちは、警戒していましたが、多く の国民はだまし討ちにあったわけです。そういう姑息なことを考える内閣ですから、また、どんな手段にでるかわかりません。 呆れてものが言えませんが、新しい民主主義が動き出しています。 国会前に集まる人たち、そして大分でも集会に参加したり、街宣したりしている私たちに声をかけてくれる人たちの中には、これまで政党政治や労働運動と離 れたところにいた人たちが大勢います。先週の月曜日、大分駅前で街頭から訴えていると、登校する高校生が「ファイト!」と言って通り過ぎていきました。 国民の中に主権者意識は、確かに刻まれています。 2015 9.6 北陸への視察 台風15号の後、朝、夕の風が涼しく感じられるようになりました。 先週お伺いしたU中学校では、まだプール指導が行われていました。生徒に「水はどうですか?」と尋ねると「冷たいです。」と返答がありました。 8月31日から9月2日まで福祉保健・生活環境委員会の調査で京都、福井、金沢に行ってきました。 (京都動物愛護センター) 今年の4月1日に京都府と京都市の共同設置でオープンしたばかりです。 3月31日に引っ越しをして、4月いっぱいは準備期間だったそうですが、建物は、住宅街に建っています。聞くと、以前は市の公園だったところだそうで す。近鉄電車が走り、地下鉄の駅も近くにあり便利の良いところでした。京都府と京都市から犬と猫が徐々に移動してきました。 これまで動物の管理に関して、二重行政が指摘されてきましたが、これで解消したそうです。全国で県と市が共同運営しているのは、宮崎県と京都府だけ。大 分県の動物管理センターは県が運営していますが、大分市も間借りしています。この際、広い場所を確保して老朽化した施設の建て替えができれば、県と市が協 力できればと願わずにはいられません。今がチャンスだと思います。 こういう施設は、嫌われ施設となることが多いのですが、この施設を本所として位置づけ、元の府の建物は、支所扱いで、これまで行ってきた殺処分などをし ています。だからこの施設は、多くの人が訪れ、児童館の小学生や遠足の幼児、スケッチをしに来る小学生も多いそうです。もちろん、学校への動物愛護出前教 室も行っています。 殺処分と書くと、ひどい言葉だなあと感じるのですが、これが現実です。 大分県で毎年殺処分される犬は、年々少なくなってきましたが、猫は2000匹くらいいます。保健所に引き取られた犬猫の多くは、捨てられたり飼い主が持ち込んだりすることが多いのです。 京都府での殺処分は、犬は52匹。猫は、1399匹(昨年度) 譲渡会をし、犬のトリミングを飼い主自らできる施設を備え(1回につき1000円)、飼い主教室やドッグランを設けています。昔なら殺される犬、猫をトレーナーが訓練して譲渡するケースが増えています。年を取った犬も猫も貰われていきます。 犬の大きさによって、ドッグランのコースが設けられています。 (ドッグラン) 殺処分頭数は減ってきているけれど、それは係りの人が持ち込んだ飼い主に引き取りを拒否する指導にかなりの時間を割いている結果で、結構しんどい状況のようでした。 法律が改正され、引き取りを拒否できる制度が整ってきました。「高齢だから」「引っ越しをするから」と言って連れてきても受け付けません。 別棟に保護されている犬や猫には名前が付けられていました。生後どのくらいなのか。今、どんな状況なのかも記されています。それでも寂しそうな目や警戒心を露わにした姿を見ているとつらくなりました。部屋では、獣医さんが何やら作業をしていました。 杉本彩さんが名誉会長で寄付金も多いそうです。夜間動物緊急診療や飼い主の相談も受け付けていることも羨ましいと思いました。 (コミュニティーネットふくい丸岡南中事業所) 障がいを持つ人が、この組織に就職し、学校給食を作っています。 社会福祉法人と中学校の給食事業がうまくコラボしています。 「手をつなぐ親の会」は、知的障がいを持つ子どもの保護者が入っている全国組織でもちろん大分県にもあります。その親の会が福井でも昭和30年に設立され、平成3年に授産施設を設けました。平成4年には福祉工場を創設しています。 (給食室) ・営業や仕入れは、シルバーの健常者の方が行います。農業法人ももっています。 ・現在、障がい者の人が25名。健常者の人が12名働いています。 ・グループホームから通ってきて、丸岡南中学校の生徒の給食約400食を作っています。給食室は、ランチルームに併設された場所にあります。 ・生活介護が必要な人は、配達をしています。 ・学校給食は、長期の休みがあるので、その時期は仕事がなくなり、採算が取れないので生協の配食サービスをしています。 ・授産施設でパンを焼いているところが大分にもたくさんありますが、朝早くからの作業が大変です。ここでは、クックチル方式(下ごしらえをしておいて、 90分以内に3度まで食品の温度を下げ、翌日の作業に生かす)を採用しているので、働く人は、朝、8時半からの仕事で大丈夫。 ・給食施設の整備はかなり費用が掛かりましたが、補助金と助成金で賄ってきました。しかし、この業界の競争も厳しく、運営はかなり大変なようです。 ・中学校の生徒と障がい者が3年間を通して毎日顔を合わせるので、お互いの理解が自然と深まるのだそうです。 ・中学生は、1月前に出される2種類の献立表から一つを選び、事前に申請して給食をいただきます。びっくりするほど残菜がないそうです。 ・障がい者の個性をしっかり見守ることが大切だと言われていました。 ・別にもう1か所小学校の給食も受け持っています。 ・食材のアレルギー対応が求められるので、そこは、栄養士が対応しています。 ・働いている人は、A1〜B2までの手帳を持っています。給料は平均すると7万円〜8万円だそうです。 丸岡南中学校は、丸岡中学校がマンモス化したので、新設された中学校です。今年は、新設10年など教頭先生が言われていました。学校のイメージを払しょ くしたような建物です。3学年縦割りの学校生活が中心で、給食も3学年の生徒が男女向かい合っていただくそうです。授業も教科によって教室を移動して受け ます。教頭先生は今年初めて赴任されたそうですが、「初めはカルチャーショックを受けました!」と言われます。駐輪場には自転車がたくさん並んでいて、9 月6日の体育祭に向けて活動していましたが、落ち着いた学校の印象を受けました。仕事と活動を通じて教育と福祉の織りなす姿が理想的だと感じました。 (シェア金沢) 日本版CCRC(高齢者が健康なうちから住み、活動を通じて社会参加し、働けなくなっても医療や介護が受けられる仕組み)の最先端の施設です。 (シェア金沢) まず、施設の概要は ・子どもから大学生、そして高齢者まで世代や障がいの有無を超えて、共に暮らす街です。 ・サービス付き高齢者向け住宅が32戸あります。家賃は12万円(単身者)〜14万円(夫婦)。広さは、1LDK(12坪〜13坪程度)共有のリビングとキッチンがついています。家庭菜園もできます。 ・大学生にはアトリエ付き住宅(2戸)と学生向け住宅(6戸)があります。家賃は金沢の平均の約半分、3万円くらいだそうです。月に何時間かボランティアが義務付けられています。 ・働きたい人には、天然温泉やレストランのスタッフ、ショップでの配列や販売の仕事があります。 ・住民同士で話し合い集会や催し物をおこなっています。 ・障がいを持つ子どもが、グループホームで生活し支援学校に通っています。3つの建物で、4つのユニットに分かれて暮らし、一人ひとりにきめ細かなケアができるようになっています。(虐待を受けたりして家で生活できない子どもがいる現実は、悲しいのですが。) ・放課後デイサービスや未就学児の相談もできます。 ・高齢者のデイサービスや訪問介護も行っています。 そもそも 社会福祉法人(佛子園)は戦後、戦災孤児を引き取り養育していました。その後、知的障がいを持つ人が入所してきました。いろいろな立場の人が共に過ごすことができる地域をつくりたいとの願いから出発しています。 ・社会福祉法人としての歴史は、1960年に始まっていて、50年以上にわたって石川県の福祉のパイオニアとして活動してきました。 ・古寺の行善寺は住職も亡くなりツタが絡み、子どもたちから幽霊寺と言われていました。そこから土地・建物の寄付を受け、地元の町おこしと高齢者福祉の御堂として西圓寺(さいえんじ)が2010年に誕生します。 ・地域の中に障がいを持つ人のグループホームを作ることは、いつも地域住民の方から「総論賛成、各論反対」の憂き目にあうのですが、もちろんその声はたくさんあったそうですが、温泉を掘り地域の高齢者たちが集まれる施設にしていったそうです。 ・今「シェア金沢」がある場所は、国立病院の跡地です。 ・すでに街の機能を果たしていますが、総事業費は17億円。大変な事業です。 ・高齢者住宅には、関東などから入居してくる人が多いそうです。 障がいを持つ人が、支援学校を出て授産施設に入るケースが多いのが現実です。本来A型授産施設は、就職していくための通過施設なのですが、そこから先に 進むことに厳しい現実があります。大分県では、障がいを持つ人の就労を進め、賃金倍増計画を行っていますが、これもまた厳しい現実の壁があります。 「シェア金沢」の奥村施設長のお話を聞きながら、とても穏やかな決して無理せず自然体の姿に感動を覚えていました。本当は、ものすごく苦労や失敗やアクシデントにさらされているのでしょうに、とても優しさを感じるのです。 高校生レストラン」(三重県)や「ばあちゃんたちの葉っぱビジネス」(徳島県)などをこれまで見てきましたが、進んだ取り組みをしているところには、必ず深く強い思いを持ったキーマンになる人の存在がありました。 見習わなければなりません。 気がつくと、金沢はもう秋でした。 (兼六園) 2015 8.6 フロイドの深層心理 私は、大阪の環状線に乗っていました。腕に1歳になる妹を抱えて。前日は、コンドミニアムのようなところに二人で宿泊していました。そして電車に乗って義兄が商売をしている大阪市内の洋服やに行こうとしていたのです。 電車の中で、ふと気づきました。私にしては珍しく、義兄の住所も降りなければならない最寄りの駅名も調べていませんでした。かなり慌てながら、妹のおむ つを交換していないことやミルクも飲ませていないことに気づきます。心細い思いにくれていました。電車の中には偶然にも弟の同級生が座っていて、彼は親し く私に話をしてくれるのですが、私は平常心ではいられませんでした。たった一つの希望は、義兄の店の電話番号が携帯の中に入っていたことでした。そこに電 話すると従業員の人が出て、優しく降車する駅を教えてくれました。そうしているうちに妹の具合が悪くなってきました。とりあえず急いでどこかで降りて、タ クシーで行こう。でもその前に薬局でおむつと粉ミルクと哺乳瓶を買わなければ・・・・。 でも、降りた駅の近くには薬局が見当たらず、タクシーも走っていませんでした。不安と焦りの中にいる時に「もう起きないと。」とつれあいの声が聞こえてきました。目を覚ますと時計の針は6時をさしていました。「夢で良かった!」とその瞬間思いました。 どうしてこんな夢を見たのだろう・・・。と考えます。私は、フロイドの深層心理学を信じています。ここ数日に起こったことが、出てきているのだと思いました。 先週の土曜日に義父の3回忌をしました。大阪の姪は1歳になる息子を連れて帰省していました。佐伯の姪の子どもは2歳になったばかりです。食事会は、義父の思い出と同時に二人の幼子の仕草で盛り上がりました。 昨日は、保育園入園の相談でHさんと大分市役所で係りの方に話を伺っていました。彼が連れていた娘は2歳です。可愛い顔といたずらっぽい意思のある瞳を輝かせながらとても活発に動き回ります。私は彼女がけがしないように子守をしていました。 それ以外にも 図書館でたまたま手にした本が「相続」に関するものだったこと。 議会中で多くの人といろいろな話をしていたこと。 金曜日から月曜日にかけてつれあいと40軒ほど車で挨拶をしてまわったこと。ナビを活用してもなかなかも目的地にたどり着けないことがありました。某国会議員のスキャンダルが週刊誌に出ると情報が入ったこと等々が複雑に絡み合ってしまったのだと思いました。 そして、安倍総理を取り巻く首相補佐官や安倍チルドレンの憲法を無視した一連の問題発言。シールズの学生たちを誹謗し、こんなわがままな子どもを作った のが戦後教育なのだと位置づける彼ら一流の思考に辟易していたからなのだとも思います。この安全保障関連法案の基本にある考え方が今、確実に問題視され、 矛盾に満ちた総理の説明と答弁、すなわち法的安定性に疑問を持ちながら法案を強引に成立させようとしている姿を見るにつけ、国民は危機感を募らせているの だと思っています。 8月19日(水) 柳澤協二さんを招いて講演会を開きます。 18:30分から アイネスで 参加無料です。 「自治体議員立憲ネット大分」が主催し、賛同者としていくつもの団体が名を連ねています。私たちは、国会の周りを取り囲む群衆と同じように、地方でも草の根のうねりを創り出したいと願っています。 夢で強迫観念を持つほど、追い込められているのかもしれません。けれども、負けてはいられません。 2015.7.21 民意の拡がり 台風は、直撃するかもしれないとみんなが覚悟していました。学校では17日の終業式を1日前倒しで行われましたが、少しずれたおかげで県内には大きな被 害が出ずにホッとしました。でも、近畿を中心に大雨が降り、女子高校生が流されたり学校や工場が床上浸水したりしています。可哀想でなりません。 安全保障をめぐる状況は厳しいものがあり、7月15日の特別委員会での強行採決。翌16日の衆議院での野党退席の中での採決でした。 先週は、7回街宣活動やデモ行進をしました。「こんなことしないで安心して暮らせる政治状況だったらいいのに・・・。」と思うのですが、私の願いとは逆な所にあるようです。 (記者発表) この法案のおかしさを少し整理してみます。 ○昨年、7月1日の「集団的自衛権解釈変更」の閣議決定がそもそもの間違いの始まりです。 ○安全保障関連法案は、1つの法案と10の改正案からなっていますが、重さは950グラムもあります。小説でいうと長編小説です。序文を読んでも難しい用 語が並び、一般の人には理解できにくい内容です。それを審議していく過程で、憲法9条を変えずに進めていこうとするのでさらにややこしくなります。そし て、11の法案を一括で採決しようとしたのですから、無理なことです。むつかしいものをごちゃまぜにして一気に通そうとするやり方は、姑息です。 ○安倍総理は、日本で話し合う前に、4月にアメリカに行って、この法案を夏までに日本で取りまとめると約束しています。国民不在の論理です。 ○特別委員会での質疑応答では、質問に対して的確に誠実に答える場面は少なく、総理が自分の考えを押し付け、過去の判例を読み続けるといった状況が続きました。これで審議時間が100時間を超えたなどと言われても理解できません。 ○集団的自衛権を自衛隊が具体的にどう行使するのか、個別的自衛権で対応できないのか。結局、総理は「総合的に判断する。」と一方通行で答えるだけで明らかにされませんでした。想像力を持って考えること、自衛隊のリスクは確実に高まるということだとわかります。 ○憲法違反であることを多くの憲法学者が指摘しても、最終的には国の最高責任者である自分が判断することと聞く耳を持ちません。 まだまだ、たくさんの理解できないことがありますが、書くだけ疲れますので、もう綴ることを止めます。ただ、ここにきて、立憲主義を否定する政権のやり方に、国民の不信や怒りがじわじわと広がってきました。 何より頼もしいことは、若者やお母さん方が声を出しはじめたことです。 総理は、「国民の理解はすすんでいない。」と言われましたが、違います。国民は、理解し始めたからこそ声を出し始めたのだと思います。 (トキハ前街宣) 7月17日朝日新聞朝刊に掲載された「京大有志の会声明書」があまりに素晴らしいと感じたのでここに載せました。 京大有志の会「声明書」 戦争は、防衛を名目に始まる。 戦争は、兵器産業に富をもたらす。 戦争は、すぐに制御が効かなくなる。 戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。 戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。 戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。 精神は、操作の対象物ではない。 生命は、誰かの持ち駒ではない。 海は、基地に押しつぶされてはならない。 空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。 血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、 知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。 学問は、戦争の武器ではない。 学問は、商売の道具ではない。 学問は、権力の下僕ではない。 生きる場所と考える自由を守り、創るために、 私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない 2015 7.7 子ども最善の利益とは もう、1学期も終わるというのに雨ばかりですね。今年の夏は、悪天候のせいでプールに入る機会が奪われ、子どもたちのがっかりした声が聞こえてきそうです。 ときどき日記が月一日記になっているこの頃です。心の底から「書きたい!」と思える瞬間が訪れずにいました。感性が鈍っているのだろうか。忙しすぎるのだろうか。と考えています。 7月4日に「アイ女性会議」九州ブロックの集会が福岡市で開かれ、レポーターで参加してきました。 博多の街は、やはり大分と比較すると大都会です。若い人たちがいっぱい。活気にあふれていました。ユニークなファッションも目立ちます。大分からの高速 道路は霧の影響もなくスムーズに行くことができたのに、都市高速を降りた途端に大渋滞。乗っていた高速バスは一寸ずりとなってしまいました。ですから会議 には1時間以上遅れてしまいましたが、運よく「子ども山笠」の山車を見ることができました。小学校に上がる前の子どもたちのようです。男の子も女の子もい ます。びっくりしたのは、はっぴを着ているのですが、その下はどの子もふんどしを締めていました。そんな子どもたちに大人が優しくバケツで水をかけていま した。 6月16日の日に、元県議会議員をしていたKさんが運営する「里海(さとうみ)ファミリーホーム」に行ってきました。1年以上前に児童養護施設職員関係 者の研修会で久しぶりにお会いして、彼女がそういう活動をしていることを初めて知りました。「一度お邪魔させてください!」と言っていたのにこんなに遅く なってしまいました。 「里海ホーム」は、小規模型児童養育施設です。現在幼稚園と小学校に通う子どもたち、高校生と双子の赤ちゃんが一緒に生活しています。 (里海ホーム) 眼下には、別府湾が広がっています。素晴らしいロケーションです。大神から見える高崎山の雰囲気もいつも見ている形ではありません。子どもたちは、それ ぞれに異なった家族状況、成育歴を抱えています。Kさん夫妻がしっかりと受け止めてくれることによりこれまで出せなかった様々な感情をぶつけてきたようで す。ですから専門里親としての仕事が軌道に乗るまでどれだけのご苦労があったことかと想像できます。つれあいさんは、仕事を辞め、二人で里親の仕事に専念 されていることに頭が下がります。 親は生きているけれど、親とは一緒に暮らせない。親と一緒に暮らすことをさせられない子どもたちが増えています。 その子どもたちが養育される場所は、児童養護施設であり、里親さんの所です。そこにつながらない子どもたちもまだまだ大勢います。18歳を過ぎると、施 設にはいられません。進学したり就職したりするのですが、関係者の努力により支援は少しずつ拡充され、入居にかかる費用や運転免許を取るための費用も援助 されるようになりました。けれどもまだまだ精神的にも経済的にも大人が関わっていくことが求められています。だから自立援助ホームが必要になります。大分 県には、2か所あります。 今年4月に「おおいた子ども支援ネット」が立ち上がりました。個性あふれる明るいスタッフが資金繰りに苦労しながらも子どもたちを支えてくれています。 しかし、残念なことにこれまで家庭的な雰囲気の中で子どもたちを10年間支援してきた自立援助ホーム「ふきのとう」が休園に追い込まれました。残念でなり ません。 措置される子どもが少なくなってきたことが、直接の原因のようですが、社会には行き場のない子どもたちが大勢います。支える人さえすれば、犯罪に手を染 めたり、自分を大切にできない状況に陥ることがないのにと最後のセイフティーネットが増えていくことを願い続けています。 今までばらばらだった3つの部署「青少年自立支援センター」と「おおいた地域若者サポートセンター」「児童アフターセンターおおいた」が『おおいた青少 年総合相談所』が一緒になってソフトパークの中に開設されました。十分な広さではありませんが、連携して若者を支える体制が整いつつあることは喜ばしいこ とです。そこにつながる若者たちも課題を抱えていることが明らかになっています。就労のこと、ひきこもりや不登校の影響で基礎的な学力がついていないこ と、人とのかかわりが持ちにくいこと等など課題は多岐にわたっています。 「すべての児童は、家庭で正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。」これは、児童憲章の言 葉です。また、児童福祉法は、「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。」と規定しています。 子ども最善の利益を願っています。それは、子どもを甘やかすとか、子どもに迎合するということではなく、子どもがどんな環境にいようと、自己実現できる環境を大切にできることだと考えています。 7月9日から第2回県議会が始まります。今年は、統一地方選の関係で時期が例年とかなりずれています。 私は、昼間議会に出席し、夜は「保養プログラム」で湯布院に来ている福島の子どもたちと過ごそうと考えています。 雨ばかりで、気分がすぐれませんね。ましてや「戦争法案」を政府は、7月15日に衆議院を通過させようとしているようです。 国会の状況が厳しいのは、百も承知です。だから精力的に議員で連携して街頭活動をしています。世間の人たちとつながりましょう「なんか変?」「ちょっと変!」「ものすごーく変!!」と声をつなげていきたいと考えています。 バックナンバーはこちらに移動しました ●2015年4月・5月・6月 6.8 あきれている。でもあきらめない。 5.14 不条理の中で 4.1 みんなに春が来ますように ●2015年1月・2月・3月 3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で ●2014年10月・11月・12月 12.17 現実を受け止め、諦めない 11.19 民意と政権のねじれの中で 10.29 子どもって 10.6 教えるとは、希望を語ること 学ぶとは、誠実を胸に刻むこと ●2014年7月・8月・9月 9.16 二人三脚でやっていくしかないかな 8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間 7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう! ●2014年4月・5月・6月 6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い 6.13 なくならない痛み 5.30 またやってしまった! 5.7 震災からもう3年、まだ3年 4.2 母がいなくなって ●2014年1月・2月・3月 3.3 スリランカに行ってきました。2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・1.13 介護の行方は・・・・・ ●2013年10月・11月・12月 12/28 静かな年の瀬に12/18 お気に入りのホテル12/7 久しぶりの別府11/14 結婚式11/5 秋の三連休10/19 どんな秋が来るのかな・・・ ●2013年7月・8月・9月 9/28 施設への入所9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。8/17 お父さん、ありがとうございました。8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間7/15 ただ今、奮闘しています! ●2013年4月・5月・6月 6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を5/7 「風化しないことを願う」と言われた日4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい4/7 来年の還暦までどうしよう!? ●2013年1月・2月・3月 3/16 ありがとうRUPO2/16 諦めない1/31 左に偏っている?1/10 今年の運は・・・ ●2012年10月・11月・12月 12/27 吉田ばあちゃん12/10 教育公務員のあり方は・・・・11/26 地方自治に必要なこととは・・・11/15 水素水にはまっています。11/4 思いのある人、熱く語る10/9 いろんなことがあった1週間 ●2012年7月・8月・9月 9/27 校歌が歌えた!9/4 夏が終わっていきます。8/19 再び東北へ8/6 暑さの中で7/22 もしも・・・はありえない7/10 デンマークの報告E ●2012年5月・6月 6/22 東北に行ってきました6/9 デンマークの報告D5/28 デンマークの報告C ●2012年4月・5月 5/20 デンマークの報告B5/12 デンマークの報告A5/6 デンマークの報告@4/25 無事に帰ってきました。4/11 春の光の中で ●2012年1月・2月・3月 3/31 議会終了3/8 あの日から一年2/21 もうじき春が来る2/2 こんなままではいけない。1/19 圧巻だった熊谷守一展1/10 あけましておめでとうございます。 ●2011年10月・11月・12月 12/29 感謝12/10 師走に突入11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと11/16 カーネーションがおもしろい10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください10/16 気になること ●2011年7月・8月・9月 9/19 今年の夏は8/17 片山さんありがとうございます。7/31 夏、真っ盛りです。7/3 元気をもらいました ●2011年4月・5月・6月 6/14 「マルモのおきて」がおもしろい5/22 初めての大役に・・・4/29 闘い終わって・・・ ●2011年1月・2月・3月 3/21 人と人が支え合って2/27 あの美しかったクライストチャーチが2/9 鳥インフルエンザ1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて1/7 今年の幕開け ●2010年10月・11月・12月 12/27 様々な出会い12/2 美恵さんのお芋11/14 30回目の車いすマラソン10/30 姪の結婚10/2 インフルエンザ! ●2010年7月・8月・9月 9/20 ここにもあった私の原点9/2 まだまだ暑い日が続いています。8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女7/13 吉田忠智さんと言う人 ●2010年4月・5月・6月 6/13 カツオのたたきがない!5/27 牛を食べるということ5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。4/23 セブ島4/1 気がつけば春 ●2010年1月・2月・3月 3/4 別れ2/19 Tさんお世話になりました。2/1 先輩に励まされて1/16 油断大敵1/4 若者たちに魅せられて ●2009年11月・12月 12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで11/13 朝、一便に乗るためには・・・ ●2009年10月 10/28 欧州旅行記C10/16 欧州旅行報告記B10/8 欧州旅行報告記A ●2009年7月・8月・9月 9/21 欧州旅行報告記 @8/10 暑中お見舞い申し上げます。7/19 野菜を求めての旅 ●2009年4月・5月・6月 6/27 ちょっといい話6/16 ひとり一揆を始めた人がいます5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと5/6 風薫る季節の中で4/4 私が生まれた日 ●2009年1月・2月・3月 3/26 どうしても賛成できませんでした3/9 現場に宿る神様2/12 こわしたくないもの1/30 つかの間の休日に1/8 厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間 ●2008年10月・11月・12月 12/23 年の終わりに12/1 “ご縁”があって つながって11/3 小さな運動会10/21 感動をありがとう ●2008年7月・8月・9月 9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹8/2 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!7/11 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」 ●2008年4月・5月・6月 6/22 初めての経験に四苦八苦5/28 雨の体育祭と中学生の涙5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち ●2008年1月・2月・3月 3/16 いつまでも見守りたい子どもたち2/10 魔法の一言1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます ●2007年10月・11月・12月 12/21 静かな時間(とき)もいいものです 12/1 秋は来たのかしら 11/3 20回目のお誕生日おめでとう 10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ ●2007年7月・8月・9月 9/23 大事なものを忘れないで 8/22 不器用に、でも誠実に 8/6 「いのちが一番」いつまでも 7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます ●2007年4月・5月・6月 6/20 もっと怒ってもいいですよね! 5/22 とても大切な「頭の片隅」 5/5 「母というものは」 4/24 庭の花に癒されて ●2007年1月・2月・3月 3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち 2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら 1/31 家族葬にして良かったですか 1/6 静かな年の始まりです ●2006年10月・11月・12月 12/19 甘いおこわと教育基本法 11/26 子どもたちが私のエネルギー 10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」 10/8 団地サイズの竹宵をします! ●2006年7月・8月・9月 9/18 無くしてからは遅いのです 9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ! 8/11 「言葉で勝負!」できたか不安? 7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」 ●2006年4月・5月・6月 6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて 5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています 4/9 元気もらった、拓郎コンサート! ●2006年1月・2月・3月 3/31 まだ見ぬあしながおじさん 3/7 ときめき「15才の春」 2/23 あきらめきれない数珠の紛失 2/2 悩み続ける「私の子どもたち」 1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります! ●2005年10月・11月・12月 12/27 新しい年こそ「愛の年に」 11/27 「木の香りの家」に癒されて 11/4 失敗、失敗、ドジな私 10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜 ●2005年7月・8月・9月 9/12 私たちに問われているものは? 8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩” 7/23 人工林と流木と鉄砲水 ●2005年4月・5月・6月 6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい! 5/14 夜道で出会ったものは… 5/6 反日渦中の上海を訪ねる 4/15 政治が民衆を分断している ●2005年1月・2月・3月 3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り 3/18 レッテル、はる人、はがす人。 2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました 〜大分市議選を終えて 1/17 「高校再編」の民意はどこに? 1/1 2005年「命」を考える ●2004年10月・11月・12月 12/2 何故もめる?議員定数問題1 11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア 10/25 子ども達は輝いています ●2004年7月・8月・9月 9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も 8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私 8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて 7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症! ●2004年4月・5月・6月 6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記 6/17 帯状疱疹と闘っています 5/31 どげぇなっちょんの? 5/6 つかの間のひとりごと 4/12 私の甥っ子たちの春は… ●2004年1月・2月・3月 3/26 子どもたちは守られていますか? 3/3 幸せな2日目の休みの日に 2/12 心やさしきチャンピオンたち 1/18 雪の下の小さな花たち 1/6 子ども達が大切にされる世の中に ●2003年12月・11月・10月 12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」 11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな! 10/26 「教育」はだれのもの? 10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」 ●2003年9月・8月・7月 9/28 励まされています 8/10 風化させてはならない記憶 7/23 やっと夏が来た ●2003年6月・5月・4月 6/22 お葬式と福祉と青リンゴ 6/08 初めての視察 5/19 辺見庸さん 5/07 健ちゃんのこと 4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます ●2003年3月・2月・1月 3/28 愚かな戦争に反対します 3/22 “食育”に取り組んでみたい 2/07 ただただ感謝の日々 1/27 二人のおひな様 1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方 1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて ●2002年12月・11月 12/13 ロウバイが咲いた! 12/04 穴子丼(あなごどん) 12/02 ALS患者郵便投票訴訟 11/24 世界に目を向ける子どもに 11/22 Tさん 11/15 アッタマにきたぞ! 11/13 働く女性の実態 11/4 桜
3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で