ときどき日記


2016.3.13  あの日から5年
 
 3月11日を迎える前から、報道で「東日本大震災」の特集を組む番組を多く見るようになりました。
 石巻、気仙沼、東松島、名取、閖上、南相馬、楢葉、富岡、いわき・・・と
 この4年間に視察した地域が映像で流れるのを見ながら、「こんなに変わったんだ」「土地のかさ上げが進んだんだ」と宮城県と岩手県の地域が復興に向けて 進んでいる姿を実感していました。そして、「やっぱり変わっていないのは、福島原発のある大熊町や富岡町なんだな」と改めて思っています。
 
 数日前のテレビで「レインボーハウス」が映っていました。あしなが育英会が遺児になった子どもたちの居場所を作ると4年前に仙台に伺った時に言われてい ましたが、「実現したんだ!」と頭が下がる思いです。多数の犠牲者が出た陸前高田と仙台と石巻にそれは建てられていました。
 5年も経つと、大人は何とか前に進まなければと自分に言い聞かせて生きていこうとします。しかし、子どもたちは、大人に気をつかわせないように、また、 自分の心の内を言葉で表現できなく苦しい状況になっていきます。学校に行っても誰が一人親家庭になったのか、誰が両親とも亡くしたのかもわからず「こんな こと言ってはいけない」と子どもは自分の心にブレーキをかけてしまいます。でもそのことは解決につながらない。そんな苦しい状況が生じてくるのが5年経っ た今からだと思うのです。今は心に抱えていることを吐き出すことができる環境が何より大切になってきます。安心していられる場所、受け止めてくれる大人を 子どもたちは欲しているのだと考えます。
 
 福島県の子どもたちに甲状腺がんがたくさん発症しています。甲状腺のがんだけではなくリンパ節への転移も報告されています。
 統計によると子どもの甲状腺がんの発症は、100万人に一人だそうですが、1回目のスクリーニングで、155人。2回目のスクリーニングで11人の子どもたちに甲状線がんが発症し、何人もの子どもが手術を受けています。これはどう考えても異常な数値です。
 5年前の3月12日、第1原発が水素爆発を起こした時「ただちに人体に影響が出るものではありません。」と当時民主党の幹事長が繰り返しテレビで言って いたシーンが走馬灯のように蘇ってきます。そして、放射線学会も福島医大を中心に「福島第一原発の影響だとは言えない」と位置付けていることが情けないと 感じます。甲状腺がんだと告げられ、手術を受けた子どもたちの中には、学業が続けられずに退学を余儀なくされた子どももいます。これからずっと予後の治療 や再発を恐れて生きていかなければならないとしたらそれはあまりにも子どもに対して酷なことです。
 
 稼働していた高浜原発の中止が命じられました。「司法は生きていた」とあの判決が出た時に感じましたが、それでも私たちの住んでいる日本は、他の地域の 原発を再稼働することに舵を切っています。人間の安全性よりも経済の安定を求める姿勢の危険性や危うさや愚かさを感じざるを得ません。
 5年前、震災の廃棄物汚染とその処理を巡って大論争が起きました。私は、廃棄物を大分県内に持ち込んではならないと考え反対運動をしてきました。その時、何人もの方にお叱りを受けましたが、間違っていたとは思いません。
 福島県には、山と積まれた黒いフレコンバッグが仮置きされています。中間貯蔵施設のあてもなく核の廃棄物処理の方法を持たない国がどうして原発再稼働を進めるのか理解できません。
 
 4年前に知り合った仙台タクシーのドライバーのYさんからのメールにはこう書かれていました。「世間は、3.11。5年目だと言うのに私の仕事は旅行会 社社員の平泉、松島ののんびり観光の仕事です。」と。Yさんの心境をこのわずかな文字から推察しようと思うのですが、当事者でなければわからない思いが含 まれているような気がします。今も、一家がばらばらになり、東電からの補償も打ち切られようとしている方々の無念な思いに私はどう向き合えばよいのかを考 えています。


2016 2.23 スローフードと空き家対策
 
 「寒いなあ・・・。」と思うことが多い毎日ですね。
 昔なら、「これくらい大丈夫!」と思って過ごしていたことが、そのつもりでいると次の日には必ずと言って良いほど風邪をひいたような状態になります。やはり、年をとったせいでしょうね。
 
 さて、議員の仕事をしていると楽しいことはあまりないのです。それで、唯一の楽しみは、いつの間にか食べることになっていました。「今夜は、何を作ろ う・・・。」と考える時、アドレナリンは全開になります。料理を作れることは1週間に3,4日しかないのですが、有機野菜をふんだんに使い、かなり料理に はこだわっています。
 
 
 「第6回大分・安心院スローフード感謝祭」のご招待を受けました。農家民泊・グリーンツーリズムを推進しているNPOが主催です。「行きたい!」と決めた理由は2つです。
1.  地産地消で地域の食材がふんだんに使われている料理を見たい!食べたい!と思ったからです。
2.  私の両親は、共に宇佐の出身です。父は安心院の東椎屋、母は院内の高並。
幼いころから、安心院は私の故郷でした。
 
 第6回大分・安心院スローフード感謝祭
 
 第1部では、俳句の表彰式がありました。どうして俳句の表彰式?と思っていましたが行って見てわかりました。20年前は「わらこづみ」大会をしていたそ うです。その後、10年間は「わらこづみ」に関する俳句の募集をしていました。ここ4.5年は、「農村の風景」の俳句を募集してきたそうです。今年は、 1234名の応募がありました。
 表彰式には、小学1年生から中学生、大人の方までいました。
 だいこんの たねをまいたよ たのしいね
 小学1年生の田中君の作品です。「大根の種をまくということがすごい。水をやり、肥料をあげ、成長を楽しむ姿がたのしいね。に込められていますね。」と
選者の先生の評価の言葉です。賞品は、安心院のぶどうジュースや安心院米30キロ。小さな体の1年生はもちろんお米は持てませんでした。


 
いよいよ第2部宇佐地域料理や伝統料理試食会です。
 会場には、県内はもちろん、四国や宮崎や東京から来られた方もいました。
狭い会場が、人でぎっしりです。



 ご飯のコーナー、お汁のコーナー、おかずのコーナー、デザートのコーナーがブースごとに並んでいます。主催する人たちが、感謝を込めて一人2品ずつ作り、持ち寄ったそうです。おいしそうなものが所狭しと並んでいました。






 
トレーにお箸と紙皿を置いて会場を回ります。すぐにも手が届きそうなのですが、人が多くってなかなかお目当ての物をゲットすることができません。
 
 123種類の食べ物が並んでいました。私が頂いたものは、山菜パスタ、黒豆おこわ、シイタケの陣笠寿司、かぶらのポタージュ、ワタリガニの味噌汁、シイ タケ入り中華炒め、ほうれん草の中華和え、シイタケの肉詰め、ぜんまいの煮物、おから煮、ハモのかば焼き、ハモとエビのすり身天ぷら、ベタの一夜干し、赤 エビのかき揚げ、切り干し大根の煮物、淡雪、シイタケかりんとうと大根餅です。
 どれも、地域でとれた食材を使っています。まさに身土不二(人間は、自分の地域で採れたものをその季節にあった時に食べましょう)に感激です。特に、シ イタケのかりんとうは、乾燥させたシイタケを軽く揚げて、きなこをまぶしていますが、病みつきになりそうなおいしさです。久しぶりに「林んち」のお豆腐も いただきました。淡雪は、祖母が作ってくれていた味を思い出させてくれました。感謝です。
 
 主催する安心院グリーンツーリズム研究会は、大分で早くから民泊に取り組んできた団体です。福岡の中学生の修学旅行や昨年は、台湾から700人の人たちがグリーンツーリズム研修でいらしたそうです。
 
 宇佐市役所で空き家対策をされている方のお話も伺いました。高齢化、少子化、過疎化の中で、この地域でも空き家は増え続けています。宇佐だけではなく、 日本中いたるところで空き家問題が発生しています。データによると2033年には3軒に1軒が空き家になるとの報告もあります。
・住んでいた高齢者が、亡くなって子どもが後を継がないので空き家になる。
・高齢者が都会に住む子どもの家に移り、空き家になる。
・高齢者が施設に入所し、誰も住まなくなったので空き家になる。
そんなことが背景にあります。
 空き家は、売るに売れない、貸すに貸せない問題を抱えています。そして維持や相続の問題、近所への迷惑など様々な課題が生じています。
 私も、実家を処分したのでその苦労は身につまされます。
 
 人口が減ってきているのに、家を新築する人は大勢います。新築優遇制度もあります。リフォームよりも新築のほうが、モノ(建材や住宅設備)やヒト(大工 さんや左官さん)が必要になり、経済は潤うかもしれません。でも、何十年か先には、それらは誰も住まない空き家になっていきます。2014年に「空き家対 策特別措置法」ができましたが、その対策にもっと早くから取り組まなければならなかったのではと深刻に考えます。
 私の甥は、順番に高齢者から亡くなっていくと、跡取りがいない我が家も含めて、将来的には5つの空き家を管理しなければならない状況になるかもしれません。
 
 古民家を利用して、田舎暮らしを始めるシニア世代や若者が少しずつ増えています。そこに行政がうまくかみ合う施策を組んで行くしかないのでしょうか。

2016 1.31  選ぶことのできない世界
 
大変な寒波でした。今週の月曜日から宮崎に調査に出かけるようにしていました。大分、別府、豊後大野の人は、大分駅に集合できたのですが、中津、宇佐は自 宅から自動車が出せず、大変だったようです。県北では、断水した地域も多く、どれほど不自由な生活を強いられていたのかと思います。
 
 1月28日の木曜日に大分刑務所の調査に出かけました。以前から行きたいと願いながら、やっと実現しました。
 畑中にある刑務所の高い塀を見ながら、大分川の土手沿いを車で走ることがあります。「どんなふうになっているのかしら・・・」といつも考えていました。
 議員になって、警察活動の業務を知り、刑務所を出所した後の支援の必要性などを学ぶうちに、実際の刑務所のことをまったく知らないことに気づきました。
 受刑者が、どういういきさつで罪を犯してしまったのかもそれぞれだと思いますが、私たち議員が何をすべきかをいつも考えていました。
 
 事前の申し込み書(氏名・住所・年齢・調査の目的)を提出し、当日を迎えました。わが会派の9名で行く予定でしたが、当日になって3名が参加できなくなり、ご迷惑をおかけしました。



 所長さん以下、幹部職員の方がはじめに説明をしてくださいました。
・明治4年に大分市荷揚町に懲役場として設置されました。その後、大道町に移転し、現在の畑中に移ったのが、昭和27年。
・新しい建物になり居住環境が整ったのは、6年前です。
・刑期が10年未満の犯罪傾向が進んでいない26歳以上の男子(A)と10年以上の刑期の人(LA)で1000人以上が収容されています。ピーク時には1542人が収容されていました。ここは、男性だけを収容しています。
・入所すると、受刑者の成育歴や気質、仮釈放に向けて調査をします。
・職員は250名ほど。ドクターは2名います。女性職員もいます。
・裁判の結審を待つ人も別棟に拘置されています。
・強盗や殺人を犯してしまった人が半数以上います。
・残念なことにきちんと仕事をしてきた人は少ないそうです。
・朝、6時30分起床。作業開始は、7時50分です。夕方4時30分までが仕事の時間です。
・食事は、朝食と夕食は、部屋で取りますが、昼食は仕事をしている工場でみんなで食べるそうです。献立を見ましたが、我が家の食事と大差がなく見えます。
・7対3の麦ごはんで、受刑者が自ら作ります。献立は、管理栄養士が立てるそうです。
・洋裁や溶接(部分加工)クリーニング、畳加工などの仕事をしています。農業園芸や情報処理の技術を身に着けることができます。
・入浴は、冬は週に2回。夏は週に3回です。夏場は、仕事の関係でシャワーを浴びることもできます。
・外部通勤作業をしている人もいます。
・外部からの人が来て、交通安全や犯罪被害、覚せい剤、窃盗、暴力防止プログラムの学習が組まれています。
・少年院経験者が半分以上いるそうです。
・出所するときには、ここで仕事をして得た賃金をためて出て行きます。
 
建物内部を見せていただきました。
 私たちは、カメラも携帯も持って入れません。外から病気を持ち込んではならないので、マスクをつけます。
 居室は、一人部屋と6人部屋がありました。居室は、畳が3畳。トイレと洗面台が備え付けられています。部屋にシャンプーやせっけんも置いてありました。 これを持って入浴します。本棚に本が並んでいる部屋もありました。テレビも番組の制限はありますが、夜の自由時間に見ることができます。
 高齢化も進んでいて、認知症が出ている人もいるそうです。作業ができない人が、部屋で横になっている姿も見ました。
 作業している人たちと話をすることは許されません。みんな丸坊主にしていて、とても若く見えます。私が、教員として働いていた時に、同じ校舎で学んだ子 どもが、成人した後、暴力や強盗を犯し逮捕されたことがあります。その子たちと重なって見え、何とも言えない気持ちでした。どうして犯罪に手を染めてし まったのか、背景には様々な要因があると思いますが、何とか支える体制が取れなかったのかと、私は当時何もできなかったけれど、悔やまれます。
 所長さんが、「選ぶことができない生活をしている」と言われた言葉が、重く心にのしかかっています。
 
 大分刑務所では、800人の人がする仕事が必要です。ですから、外部からの仕事の受注が必要になります。「刑務所の運営は、刑務所だけでは完結できない。」
とも言われていました。
 刑期を終え、外に出ても、犯罪者だった人を容易に雇ってくれる社会ではないことは、事実ですが、元受刑者の人たちが、社会参加できる世の中ができなけれ ばならないと思います。それより前に、罪を犯してしまう前に未然に防ぐ人とのつながりや貧困の連鎖を断ち切る施策がもっとあれば、犯罪者を少しでも減らす ことができないだろうかと思います。高齢者や知的障がいを持つ人には、福祉へつなぐ「地域定着支援センター」はありますが。
 
 監視や作業を管理している刑務官が、号令をかける声や敬礼するときの声は、日常生活では見ないもので、その声を聞くと体がこわばりました。一つひとつの 部屋を施錠していく姿も私たちの日常とはかけ離れています。職員の人は4交代制で、365日刑務所には休みがありません。どれだけのご苦労があるのかわか りませんが、開かれた刑務所をめざしているそうです。
 大分刑務所では、運動会があるそうです。約1000人の大人がする運動会ってどんなかしらと考えながらお暇しました。



2016 1.15 4本のイヤダ!
 
 新年あけまして、おめでとうございます。
今年のお正月は、晴天に恵まれ、気温も高く穏やかな時を過ごすことができました。そのせいでしょうか、各地の神社はかなりの賑わいだったようです。私は、 毎年お参りしている、地元の賀来神社にお参りしました。例年朝早く出かけるのですが、その日は、何かと忙しく、午後をしばらく回ってから出かけました。 「もう人もまばらだろう・・・・」と思っていたら、大違い。階段、大鳥居を通って賀来川の土堤の所まで長い列が続いていました。近年には見られなかった光 景です。境内のテントの中では、宮総代の方や自治会の役員さん方が、おみくじや絵馬を巫女さんと一緒に売っていましたが、「仕事のし甲斐がある!」と大勢 の参拝客に嬉しい悲鳴を上げていました。

(賀来神社)
 
 暮れにスーパーに買い出しに行きました。ここでもかなり並びました。皆さん、オードブルやお寿司や食材をたくさん買い求めていました。「家族が揃って大勢で食事をするんだろうなあ。」と眺めていました。
 我が家は、ずっと二人きりです。それでも両親が生きていた頃は、実家や嫁ぎ先に帰り、お正月を過ごしていました。そこには兄弟や甥、姪も集まりにぎやかでした。
 それが去年から気が付くと二人きりでした。何となく寂しくいじけそうな気分ですが、自分の置かれている現実をしっかり見つめなければいけないと思います。
 しかし、嬉しいこともありました。うちの甥、姪たちは出産ラッシュです。2歳、1歳、0歳が二人。これから生まれてくる子どももいます。
 大阪から5か月の赤ちゃんが帰ってきました。その子がじつに良く笑います。新幹線の長旅はさぞや大変だっただろうと心配したのですが、すやすやと眠り、 ニコニコしていたそうです。この子の父親が赤ちゃんの時と大違い。声をかければ笑い、目が覚めてもにこっと笑います。きっとお母さんが大らかだから赤ちゃ んの心も安定しているのだろうとつれあいと話しました。誰が抱いても泣かないので、両親は、爺、婆に赤ちゃんを預けてのびのびと外出していました。


 赤ちゃんは、不思議な存在です。大人を癒してくれます。何時間見ていても飽きません。この子たちが、健やかに育つ環境を私たち大人が築いていかなければならないとその責任を感じます。
 
 
 暮れに東京でシンポジウムに参加したことは、前回綴りました。
 その時のことを想い出しながら、安倍総理が「新三本の矢」と言うのなら、私は、「四本のイヤダ」で行こうと思います。
 「戦争法案嫌だ!」「憲法改悪嫌だ!」「普天間基地の辺野古移設嫌だ!」そして「原発再稼働絶対に嫌だ!」で頑張ろうと心に誓いました。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 



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●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜