ときどき日記


2016 6.30 今の平和をわざわざ壊しますか?
 
 「やっとお日様が顔を出した!」と嬉しかったのは1日だけ。
 プール開きはできたものの、プールに入れない子どもたちのブーイングが聞こえてきそうです。しかし、埼玉の弟からは「関東は水不足で、10パーセントの 取水制限だよ。」と聞かされると、この雨も恵みの雨と考えなければならないのでしょう。私が住む地域でも田植えが行われ、水が張られた田んぼには、小さな 苗が綺麗に並んでいます。
 
 
 6月23日から29日までは、男女共同参画週間でした。
 男女共同参画が進んでいれば、わざわざこんな週間を設けなくても良いのでしょうが。日本社会の構造的な課題、外においては「男女平等」家に帰れば「男尊女卑」の状況が改善されればと願います。
 男女共同参画週間に合わせて、アイネスでは様々なイベントが行われていました。初日に、別府の素人劇団「玉手箱」(島節子さん主催)が『終活・でもまだ 青春』の劇を上演しました。出演者の何人かの方は「高齢社会をよくする大分の会」のメンバーで、劇中先輩方の生きてこられた人生を少しだけ垣間見た気がし ました。決してプロの役者ではなく、滑舌も良いとは言えませんでしたが、セリフをあらかじめ録音していて、テープの流れに沿って動くので、これなら出演者 たちの負担は軽減されるだろうと感心したものです。
樋口恵子さんがいつも言われている「BBではなく、HBになりましょう!」を思い出していました。BBは「貧乏ばあさん」HBは「働くばあさん」のことです。

(劇団玉手箱)
 
 大分市の女性教職員退職者の総会も行われました。
 退職した後、入会する方が少なくなり、会員確保に苦労している現実はありますが、先輩の先生方は、40年ほど前まで、産前休暇もない中で働いてきまし た。道端で子どもを産み落としそうになった話や妊娠が判明した途端、校長のパワハラを受け、泣く泣く人工妊娠中絶をした話を私たち世代は聞く度に言葉にな らないつらさを感じてきました。40代後半ともなれば「ご主人が管理職になるために、そろそろ辞めませんか」と肩たたきにも遭い、退職せざるを得なかった 教員共働きの女性たちも大勢います。若い教職員はその歴史を知りません。「女性教職員は長いこと能力をつぶされる時代がありました。」と言われる言葉は、 経験した人だからこそわかる無念さや理不尽さを物語っています。
 大先輩たちは「こんなことではいけない!」と後に続く人のために行政を相手に闘いました。県庁の廊下でごぼう抜きにされながらも「勤年延長」「産前・産 後休暇」「育児休暇」を勝ち取ってくれました。さらに女性教職員たちの女性の権利を勝ち取ることが、民間で働く女性たちの働き方にもきっと良い影響を及ぼ すだろうと信じていました。
 先輩たちは、その制度を使うことはできませんでした。しかし今は「子の看護休暇」や「育児短時間制度」も整備されてきました。以後の女性教職員は何の闘 いもせずに権利を行使し、働き続けることができています。この歴史は、後世に語り継いでいかなければならないことだと考えます。


(女性退現協総会)
 
 
 さて、参議院選挙が公示されてすでに1週間が過ぎました。
 毎日、選挙結果を考えながら生きています。そして「自由で公正な国政選挙」が行われるのは、これが最後になるかもしれないと不安を抱えています。
 
 安倍政権は、今回の参議院選挙で、与党として改憲勢力の議席数を3分の2以上確保し、憲法改正の発議を行いたいのでしょう。でも、自民党は今回の選挙で は、憲法問題をまったく争点にはしていません。完全な争点隠しが行われています。卑劣ですが、この卑劣さは、今に始まったことではありません。
 安倍政権は、2013年に「特定秘密保護法」を強行採決しました。2014年には「集団的自衛権行使容認」を閣議決定し、2015年に多くの国民の反対 を無視し「戦争法(安保法制)」を成立させました。憲法解釈を変更することにより自衛隊が他国や武装勢力に対して先制攻撃することを可能にしたのです。
 
「報道の自由度」が61位から72位に後退した日本です。
 政府の圧力で、政権に批判的なメディアを排除しようと大手テレビ局のキャスターを次々に降板させてきました。
 甘利元大臣の業者との癒着、現金授受問題が発覚すると、マスコミ・ワイドショーは連日、清原選手の覚せい剤、ベッキーの不倫騒動がまるで国家の一大事の ように、これでもかこれでもかと報道し続けました。東京都知事の「公私混同」問題追及のさなか、甘利元大臣はいつの間にか活動を再開しています。
 
 現政権は、数が整ったら、憲法改正を出してくるのでしょう。それも憲法9条とは無関係の緊急事態条項の追加だと思います。焦点外しのために環境の問題も 出てくるでしょう。ひたすら自然災害対策が引き合いに出され「戦争」についてはほとんどふれられないまま「お試し改憲」で国民は改憲に慣れされていくこと が予想されます。とても恐ろしいことです。そうなってからでは遅いのです。
 
 ですから私は「今の平和をわざわざ壊しますか?」と訴え続けています。
 

2016 6.7  新しい判断
 
 北海道の山で置き去りにされていた小学2年生のことがずっと心配でした。遠く離れて住んでいて、何もしてあげられないけれど、ただ無事に早く見つかるこ とだけを祈っていましたが、六日目に無事発見されて何とも言えない安堵感を覚えました。事件発覚から時間が経つにつれ、「あれは、親が怪しい・・・。」と か「お父さんが・・・・。」と私の周りでも様々な憶測がなされ、心を痛めていました。でも、少年はしっかりとした状態で自衛隊の方に発見されました。小学 2年生と言えばまだとても小さいんです。あの子は、体重が20キロほどでしたから初夏とはいえ、北海道の低い気温の中で、低体温になりどこかで倒れている のでは・・・。と気が気ではありませんでしたが、信じられない奇跡が重なり、今回の発見となりました。これから「しつけ」に関していろんな意見が出てくる でしょうが、子どもを山の中に置き去りにすることはやはり虐待だと私は感じています。
 
 
 さて、安倍総理は、消費税増税を2年半先送りにすると報じられました。「消費税が上がらないから良かった。」とインタビューに応える人もいましたが、こ とはそんな簡単なことではないと思います。2014年に「この次に先延ばしすることは絶対にありえません。」と言われていたのにおかしなことです。先延ば しの要因を世界経済の影響のように言われていましたが、その解釈は間違っていると思います。むしろアベノミクスの成果が出ていないことをはっきり認められ た方が良いと思います。アベノミクスのせいで経済的格差は拡がっています。それを埋める努力が今必要ではないでしょうか。政府も認めた保育の質の向上や待 機児童の解消、保育士確保、そして介護現場の様々な課題解決のための財源をどこに求めるのでしょうか。赤字国債の発行は言及されていませんが、現状では、 年々膨らんでいる社会保障費に充てる財源はないのですから。またしても、ご自身の考えだけで、独りよがりの考えを国民に押し付けてきました。「新しい判 断」という言葉で片付けられるほど安易なことではないし、国民はそんなに馬鹿ではありません。いずれにしても、将来世代に負担をかけ、苦しめるような政策 だけは絶対に許してはならないと思うのですが。
 
 
 私は今年も県議会では福祉保健・生活環境委員会に所属しています。5月は、延べ6日間かけて大分県内の調査に出かけました。
 この委員会には、過去にも3度所属していたので、大体のことは理解できていると思っていました。でも、福祉現場の奥の深さを行くたびに感じて過ごしまし た。そして、どこでも県の担当課の方や市町村の係りの方が大変な努力を積み重ねながら、少しでも地域の高齢者や障がいを持つ人、弱い立場にいる人たちの困 りを改善しようとチームで懸命に努力されている姿に頭が下がる思いがしています。
 
 例えば、中津の森山地区では、今年の1月から週に1度、地区の高齢者が集まって体操教室が開かれています。中津市では、市内100か所を目標にロコモ ティブシンドローム(運動力器官症候群)予防の事業に取り組んでいます。国の介護予防推進事業費を使い、最初は市が健康運動士を派遣して始まりました。今 では、高齢者自身の手によって運営されています。


(中津森山)

 森山自治区では、社会福祉協議会と中津市からの打診を受ける形で始まりました。チラシを全戸に配り、ケーブルテレビで広報し、今では該当地区の高齢者 27名中18名が参加しています。地区は場所だけを提供しています。私の地域でも生き生きサロンが月に1度開かれていますが、参加者は固定化されていま す。何よりも楽しく健康づくりができることも広がりの要因なのでしょう。
 
 その他にも、博愛会がやっている障がい者の継続就労支援(住吉浜リゾートパーク)、地域で一体となって子育て支援を続けている別府市の「光の園」、緊急 に食べること、眠る場所を確保している大分県渓泉寮の生活保護法による救護施設や渓泉プラザ(日出町)などを見せていただきました。
 
 竹田南高校は豊肥地区唯一の私立高校です。
 小さな高校ですが、その歴史は長く、今年創立100周年を迎えます。全国から不登校だった生徒も入学しています。募集定員は100名ですが、それを充足 するほどの生徒数ではありません。ですから、経営は決して楽ではないと思います。発達障がいが高校生になって見つかることがあります。その年齢になるまで 学校や地域や家庭の中で生きづらさを感じながら、傷つき、自己肯定感を持てなかった子どもたちに学び直しの機会が与えられています。
 7年前、県教委にいらしたT先生が校長として働いています。ずっとT先生にお会いしたいと願いながらなかなか実現できなかったのですが、嬉しい再会ができました。


(竹田南高校)

 T先生が言われました。「偏差値の教育も大切ですが、自立と言う社会貢献も重要です。」と
 
 
 佐伯の南部振興局でこんな素敵なお弁当をいただきました。
 渡町台(とまちだい)小学校、6年3組のみなさんがお弁当の中身を考案したそうです。佐伯の海の幸と山の幸がまんさいなので「まんさい弁当」1080円です。


(まんさい弁当)

 ひとつひとつの食材を味わいながらいただきました。とってもおいしかったです。
 
 今年1年、と言ってももう今年度は2か月が過ぎてしまいましたが、現場に赴き、そこで働いている方々の生の声をお聞きし、福祉の向上に努力をしていかなければと決意を新たにしています。「現場第一主義」をかみしめています。
これが私の「新しい判断」です。


2016 5.6 地震?!
 
 さっきも地震がありました。お炊事をしているときにぐらっと揺れました。
すぐに火を消し、テレビのテロップを見ていると私の住む地域は震度3でした。
震度3に慣れてきている自分がいて危険だと感じます。
 
 4月14日の夜、私はつれあいの元の会社の方たちと焼き鳥屋さんにいました。
午後9時26分、お店にいたお客さんの携帯が一斉にビーッとすごい音が鳴り響きました。「何が起こった?!」かわかりません。みんなが「地震だ!」と言い始めました。大きな地震が起こったことがやっと理解できました。
お店の人がつけてくれたテレビには、熊本の地震の状況が報じられていました。
 
 4月16日にはまた震度7の大きな揺れに見舞われました。気象庁はこれを本震と位置付け、二日前の大きな地震は前震だと発表しました。こんなことは初めてです。
 16日の朝、近所の一人暮らしの高齢者のお宅に行ってみました。皆さん、気丈にしていらして、遠くに住むご親戚から電話が掛かったりしていました。ほっ と一安心しましたが、つれあいが団地の中を見て回ると、屋根瓦が落ちているうちも何軒かありました。すぐに住人に知らせ、業者さんに連絡をするのですが、 みんな別府や湯布院の対応に追われなかなかきてくれそうもありません。自治会長さんやご近所の方とビニールシートや砂袋を用意してみんなで応急処置をしま した。
 
 湯布院も庄内も別府も天ケ瀬も竹田も住民の方が避難所に移動しています。学校の職員や行政の方はその対応に追われ不眠不休の連続でした。私の知り合いの 家も壁が剥がれたり、柱に亀裂が入ったりで大変でした。県庁の職員の方も地震直後から登庁し、交代で地震対応に追われていました。我が家には毎日災害対策 本部からたくさんのファクスが届き、県がいかに対応に追われているかが理解でき、頭が下がる思いでした。
 
 最初の地震発生からすでに22日目です。一向に収まる気配がありません。それよりも宮崎や長崎にも広がっています。この間、北海道でも2回地震がありました。日本列島が改めて活断層の上にたっていることを思い知らされます。
 原発は大丈夫だなんて誰も思っていないのに、どうして稼働している川内原発が止まらないのか不思議でしょうがありません。
 いろいろなところにお手伝いに行き、調査をしていると「熊本に比べるとまだ恵まれている。我慢しなければね。」と皆さんがおっしゃいます。そう考えなければ先に進めない厳しい現実が理解できます。
 
 熊本では、対応が遅れていた地域にも物資が行き届くようになり、全国からボランティアの方々が集まり、支援の輪は拡がっています。東日本大震災を知って いる私たちはこれからどんなに厳しい状況下で人々が生きていかなければならないかを推測することができます。そして、いつ何時自分たちがそんな状況に置か れるかを覚悟していかなければなりません。
 
 災害が起きた時に心配になるのが女性に対する性暴力です。空き巣や泥棒のことは事件になりますが、女性や子どもに対する性暴力は表に出てきません。で も、阪神・淡路大震災でも、東日本大震災でもそれは起こりました。極度の非日常の中で、それでなくても申告できにくい被害にあった女性たちは起こったこと を自分の中にしまい込んでしまいます。そして自分を責め、生きて行くことが困難な状況に置かれます。「そうなってからでは遅すぎる!」そう考えて、熊本の 支援団体に連絡をしました。支援する人自身の家が被災し、支援団体の事務所も立ち入り禁止になっています。でも、何かが起こる前に、警察や行政と連絡を取 りながら注意深く啓発していくことを話し合いました。
 
 私は、東日本大震災の後、5年間、福島の子どもたちを大分の湯布院で「ゆふわく」という保養プログラムを実施してきました。
 でも正直、「今年はやれるだろうか?」「やっても良いのだろうか?」と悩んでいます。福島の子どもたちの保養プログラムは、放射能の危険がある地域から短期間でも空気の良いところに来て、思い切り体を動かしリフレッシュしてもらうことを目的にしています。
 しかし、放射能の問題はないけれど、地震が起きている地域に地震を経験した保護者の方々が子どもを送りだすことは決してできないことだろうなと考え思い悩んでいます。


2016 4.9  見えにくい子どもの貧困
 
 先日の「春一番?」で桜の花が散ってしまいました。
 我が家の庭にも通りを隔てた所にある公園の桜の花びらが舞い降りてきました。また今年もゆっくり桜を愛でることができなかったと残念です。
 
 先週のことです。庭を見て「わぁー!」と声を出し、倒れそうになりました。
 芝生の中にはものすごい草が生えていました。草取りのことは気になりながらも、第1回定例県議会は、2月24日から3月25日まで1か月と長丁場です。 庭に出て少しでも草を取ろうという気にはなりません。今年の春は雨もよく降りました。この雨と気温が上がったことと私の怠慢が見事にコラボしての結果で す。
 昨日から、庭を6区画に分けて、1区画ずつ草取りをしています。「今日はここだけ!」と心に決め、他の箇所は見ないことにしています。長く続けると、ば ね指になってしまうからです。六日経つと、草はなくなるかもしれません。でもこの陽気では、最初に取ったところには、また草が生えてくるかもしれません。
 
 「子どもの貧困」が叫ばれてもうずいぶん経ちます。よく伺う、二豊学園や一時保護所や児童養護施設や自立支援施設に入所している子どもたちの家庭環境にもその影響が見え隠れしています。
 川崎市で殺害された上村亮太君の事件以来、「子どもの貧困」は、思い出すたびに胸が苦しくなり、目が離せない問題になっていました。
 山形大学の戸室健作准教授が「子どもの貧困」について発表されたことについて詳しく学びたいと願い、会派の6人で調査に出かけました。
 
 朝、8時30発の飛行機に乗るためには、大分駅を6時55分の空港行きバスに乗ります。そのためには、家を6時20分に出なければなりません。だから5 時には起きなければなりません。前日家に帰ったのは夜10時を過ぎていて、それからバタバタしていたら結局眠る時間は僅かしかとれませんでした。
 東京駅からは東北新幹線はやぶさです。



 東京駅に全国の有名駅弁を売っている所があることを以前テレビで見ていました。偶然通りかかったのでゲット!吹き寄せ弁当・季節限定「春小町」です。1350円と奮発しましたが納得させてくれるお弁当でした。


「春小町」

 東北新幹線は仙台で東北新幹線と山形新幹線に分かれます。でも、連結が悪く今回は、仙台から山形までJRの快速電車しかありません。ローカル線の旅に憧 れていたので、これ幸いと車窓からの景色を楽しみました。遠くには、まだ雪をかぶった山々が連なっています。「山寺」という駅があります。周りは、小高い 山が続いていて、ブナか白樺の木々ばかりです。その頂上や中腹に小さなお寺がいくつも建っています。あの歌に出てくる山寺なのでしょうか。まるで水墨画の 世界でした。でも、睡眠不足でぼんやりしていて写真が撮れずに残念です。
 当日は大学の入学式が行われた所も多く、列車にはぴかぴかの大学生とその保護者の人たちが大勢乗ってきました。自分が大学生の時は、一人で入学式に参加したけれど今は保護者参加が当たり前だと気づきます。
 
 山形大学での調査
 子どもの貧困率は、2012年の時点で16.3パーセント。過去最悪を更新しています。17歳以下の子どもの6人に1人、300万人あまりが貧困状態に あるとされています。中でも深刻なのは、母子家庭などの「ひとり親世帯」の子どもで、貧困率は54.6パーセント。子どもの2人に1人を超えていて、先進 国でも最悪な水準です。
 
 山形大学の戸室健作准教授は、もともとは、労働問題の研究をしてこられましたが、その問題を追及していく中で、少子化で子どもの数が減少しているにもか かわらず、生活保護費以下の収入で暮らす子育て世代が過去20年間で倍増していることに行きつきました。そして、都道府県別の「子どもの貧困率」も初めて 明らかにしました。結果は、1992年に約70万世帯だった子育て中の貧困世帯数は、約146万世帯に倍増していること。一方で、子育て世帯自体は約2割 減っているため、「子どもの貧困率」は5.4パーセントから13.8パーセントに悪化していること。また、都道府県別では、貧困率が高い順に 1.沖縄 (37.5)2.大阪(21.8)3.鹿児島(20.6)4.福岡(19.9)から続き、最も低い福井(5.5)までを公表しました。その中でワースト 10のうち8県に西日本が含まれていることが明らかになりました。ちなみに大分県は、13.8パーセントです。



 「福井は何故低いのだろうか?」と話し合いました。福井県は3世代同居が多い県です。家族が収入を出し合って支えている実態があります。貧困率は、世帯 人数が少ないほど、高くなっていますが、「沖縄は大家族が多いのに何故高いのだろうか?」沖縄県では、低賃金の職種が固定化していると考えました。
 「子どもの貧困対策法」から3年、国も何らかの対策をやらざるを得ない状況がつくられていますが、各都道府県は、「貧困の見える化」には消極的です。
 収入では足りない部分を補足するために生活保護費がありますが、基準は地域によって異なり、市町村の負うところが大きくなっています。「貧困率の高位平準化が進んでいる。生活保護費を全額国庫負担すべきだ」と教授は言われました。
 話し合いを進めていくうちに、子どもの貧困とワーキングプア、非正規労働、高齢者の貧困すべてが連動していることに気づきます。戸室教授は、「山形大学 の学生の厳しい実態」も伝えてくれました。(授業料が払えないので、単位は取っているけれど卒業できない・教科書が買えない・アルバイトで生活費をねん出 している・卒業が近づくと学生のためにお金をためておく教授など)大学生の2人に1人は奨学金を利用している実態と重なります。
 
「子どもの貧困対策センター・あすのば」
 「あすのば」は2015年6月に東京で設立されました。私の周りには遺児を支援する「あしなが育英資金」を受けて学び、社会人になった人が何人もいます。
 その「あしなが育英資金」で進学した学生たちが中心になって活動しています。代表理事の小河さんもその一人です。災害遺児を支える活動に力を注ぎ、卒業 後は、「あしなが育英会」に入り、2006年から4年間は、阪神大震災の遺児を支援する施設「神戸レインボーハウス」の館長を務めていました。
 「あしたば」では今春、制服の購入など最もお金が必要になる3月に、小学校入学や中・高を卒業する全国の子どもたち80人(生活保護世帯・住民税非課税 世帯・養護施設など社会的養護されている子ども)にお金を支給しました。その財源のほとんどが、学生たちが10都道府県で街頭に立ち集めた寄付金です。大 分でも募金箱に寄付された方も多いと思います。「あしたば」の活動の柱は1.実態把握から行政を動かしその道しるべになる。2.子どもたちを支えている人たちを支 える。3.しんどい思いをしている子どもたちの声を拾っていく。
 
 
 小泉行政改革以後、様々な面で格差が拡がりました。「自己責任」と言う言葉も多く聞かれました。私たち大人は、その「自己責任論」をかみしめながら現実 と何とか折り合いをつけて生きているのかもしれません。でも、子どもは、生まれてくる場所も、親も選ぶことはできません。どの子も幸せになるべき存在で す。子どもが生きづらくなっている背景を探ると、そこには家庭環境が見えてきます。そして、自分では声を上げられない自分の置かれた環境すら十分に把握で きない子どもたちがどんなに多いことかと気づきます。虐待を受けている子どもは、よその家でも同じように子どもは親にたたかれていると思っていたという話 を聞いたことがあります。
 「子どもの貧困」は私たちの生活と無縁ではないと思います。この時代、失業や、離婚、介護、病気など貧困に陥る要素はたくさんあります。自分がいつどう なるかわからないとも思います。私は、議員として何ができるのかを考えます。多くの方が関心を持ってくださればと願います。信頼できる団体に寄付をする、 地域の子どもに目を向ける、自ら事業を立ち上げると様々な選択肢があるのかもしれません。
 



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●2016年1月・2月・3
3.13 あの日から5年
2.23 スローフードと空き家対策
1.31 選ぶことのできない世界
1.15 4本のイヤダ!
●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜