ときどき日記 2021 6.13 ある日のできこと 毎週、週のはじめに守永県議と一緒に、大分駅前交差点で街頭宣伝活動をしています。 30分の間に二人で、経済のこと、環境のこと、教育のこと、憲法のこと、今はコロナに関することも多く語りますが、マイクを握って自由に語らせていただいています。 朝、7時45分から8時15分は、通勤・通学の人、バスを待っている人、大分駅周辺ですでにお仕事をされている人と大勢いらっしゃいます。 道行く人々は、「いつもの風景」と捉えていてくれるのか、静かに素通りされていますが、時には、会釈をしてくれたり励ましの言葉をかけてくれたりする人もいます。 それとは逆に「尖閣諸島は、中国のものか!」「勝手なことを言うな!」と叱られたり、朝までお酒を飲んでいた若者に絡まれたりしたこともあります。 今週の月曜日のことです。 マイクを握っている時に、「バサッ!」と音がしました。 「どうしたんだろ・・・。」と思いながら、前を見ると、交差点のほぼ真ん中あたりにカラスが倒れていました。おそらく低く飛んでいたカラスが、車のどこかにぶつかったんだと思いました。 「動かないからもう死んでいるのかなあ。」「車が来てひいてしまうかもしれない・・・・。」と考えながら、それでもしゃべっていました。 交差点は、四方から移動する人が大勢入ってきます。自転車に乗っている人もいます。その自転車に乗っている人に別のカラスが突然後ろから襲ってきまし た。自転車の人は何が起こったのかわからなかったと思います。突然襲われた人は、後ろ頭を触りながら、後ろを振り返っています。 カラスは、2羽いました。 交差点で車が止まった時は、倒れているカラスの近くまで来て、鳴いたり羽ばたいたりするのですが、信号が変わり、車が入ってくると、さっと逃げ、信号機や高いビルの窓に移動しています。そして、また自転車に乗っている人に襲い掛かります。 恐怖を覚えました。そして、「今、カラスが車にぶつかって倒れています。別のカラスがとても興奮していて、自転車の人をつついています。皆さん気を付けてください。」「あっ!またカラスが来ました!気を付けてください!」と実況中継のようなアナウンスになっていました。 幸いにもその日は、保育園に子どもを預けに行く自転車のお母さんはいませんでしたが、小さな子どもが自転車の後ろに乗っていたらと思うとぞっとしました。 街宣が終わったら、大分駅前交番に行って、おまわりさんにお知らせしようと考えていましたが、駅前には、監視カメラが設置されています。誰かがすでに通報してくれたのかもしれません。二人のおまわりさんが、箱を持ち、ビニル手袋をしてやってきました。 信号が青に変わるとおまわりさんが倒れたカラスのところに行って、つかもうとするのですが、瞬く間にカラスが襲ってきて、その作業ができません。 無線で、別のおまわりさんを呼び、カラスを追い払いながらの作業が続きました。 2羽のカラスは、仲間なのか、親なのかはわかりません。 でも、ずっと交差点から離れませんでした。 信号機に止まっている間も、2羽のカラスは、くちばしを重ねながらまるで話をしているかのように見えました。 カラスは、とても頭が良い鳥だと聞きますが、攻撃している姿は心に深く刻まれました。 カラスでさえも、仲間や子どもを思う本能的な行動をするのに、人間はどうなんだろう。 日本では、年間50人以上の子どもが虐待によって命を落としています。週に一人の割合になります。 3週間ほど前のことです。 県庁には、外通りに面したところに人工的に作られた池があります。 以前は、コイが泳いでいたと思うのですが、今は、魚の姿は見えません。池の水は灰色によどんでいます。 その日私が、通りかかると、鴨の親が1羽いました。その後ろには、5匹の小鴨がついて泳いでいます。手のひらに乗るような小さな小鴨でした。「どこで卵を育てたの?」と思いながら、その愛らしい姿を眺めていました。 池の周りでは、写真を撮っている女性がいました。翌日、県庁の職員の方が、FBにアップもしていました。 久しぶりに街に出た帰りに、池の周りを通ってみました。親鳥が2羽泳いでいるのですが、あの小さかった小鴨たちがいません。 心配なことはいくつかありました。 池の前には、車がひっきりなしに通る道路があります。そして、最初に鴨の姿を見た時に、いつもはそこにいないはずのカラスが2羽いたことです。 いなくなった小鴨のことを、守衛さんに尋ねてみました。 「小さな鴨が見えないのですが、どうしたんでしょう?」 守衛さんは「きっと何かに襲われたんでしょうね。」と言われました。 いなくなった小鴨のことと月曜日に遭遇したカラスの事件が、頭から離れません。 食物連鎖ということは知っていますが、生きていくための現実の厳しさを見せつけられた気がしています。 2021 5.28 不器用ですが 私は不器用です。 洗濯物を取り込んで、たたんだときに器用だと思われるつれあいとの差が歴然としています。彼が畳んだものは、左右上下がきちんと折られていて美しいと感 じます。私が畳んだものは、形が整っていません。「でもいいじゃない、すぐに着るんだから。」と心の中で言い訳をします。 我が家には、子どもがいません。ずっと思ってきました。 もし子どもがいたら、幼稚園や小学校に入学する時に子どもが持つ図書袋や上靴入れは、お母さん手作りのものが多いのですが、私はきっと妹に縫ってもらうか、市販のものを買ってきただろうと。 小学校に上がる時は、入学の準備用品の中に「雑巾2枚」もありましたが、さすがに雑巾くらいは縫えます。しかし、昔大型ドラックストアーで雑巾が売られているのを見た時、正直「それはないでしょう。」と感じていました。 中学校に通っていた時、家庭科の実習で、パジャマを縫いました。何週間か続けて行われていましたが、最後の授業の時に完成していない生徒は宿題になり、家で次回までにやってこなければなりません。 家に帰って、私がパジャマの生地と格闘している姿を見て、裁縫が得意な母が見かねて途中から手を出してしまいました。母に任せてしまい、もうパジャマは 私の手から離れていきましたが、出来上がったものを見て仰天です。襟のところが、フリルになっていてしかも立っているのです。ちょうどピエロの服の襟のよ うに。 しかたなく、それをもって学校に行きました。先生は、母が縫ってくれたとは気づいたか気づかなかったかはわかりませんが、「今からファッションショーをしましょう!」と言われました。 私は、同級生に混じって、一人だけ襟の立ったパジャマを着て皆の前に立つことの恥ずかしさと悲しさを感じていたことを思い出します。 高校生の時は、確かブラウスを作ったと思うのですが、それも母の手がかなり入っていたと思います。丸い襟で可愛らしいできあがりでした。 不器用で数学や理科が苦手な私のパソコン技術は、学校を辞めた時に完全にストップしています。ワードとエクセルとFacebookを更新することで何とかずってきました。しかし、コロナになって出張はなくなりましたが、リモート会議というものが自然と入ってきました。 うちのパソコンには、カメラが入っています。ズームも入れてもらっています。 けれども、議会に置いてあるパソコンにはズームのためのカメラがついていませんでした。どうしてこれを買ってしまったのかしら。こんな時代が来ると2年前には予想できていませんでした。 コロナの感染者数がひどく、緊急事態宣言が出された1年前に、慌てて○○電器に駆け込んだのですが、みんな同じ思いだったらしく、カメラはすでに品切れでした。いつ入荷するかわからないと言われ落胆しました。 この1年、リモートで参加することはなかったのですが、いよいよリモートで会議に参加せざるを得ない時が来てしまいました。 もう1度、○○電器に行くと、カメラは店頭に並んでいました。それを購入し、議会に持って行って取り付け、ズームのアプリを入れなければリモート会議に参加することはできません。 持つべきものは、仲間です。会派の同僚や事務の方が、本人がその作業をしなければならないのにバタバタと会議に出かけている間に、準備をしてくれていました。 「みんなでワイワイ言いながらやって、楽しかったよ。」 なんて優しい人たちなのでしょう。 当日心配していたリモート会議に参加することができたことは言うまでもありません。 こんな不器用な私ですが、お料理は得意なんです。 料理をしている時は上機嫌で、時間があると頭の中では「今夜は何を作ろう?」と献立と食材の買い物リストを考えています。 5日前に作った、ミートパイは自分で言うのもおかしいのですが、絶品でした。 緊急事態宣言が、先延ばしされました。 この間、自粛や飲食店の営業時短が出されていましたが、感染者数が願っているほど減ることはありませんでした。大分県の飲食店への時短要請も6月13日まで延長されました。 オリンピックのオフィシャルスポンサーでもある朝日新聞が、オリンピック中止の要請を社説の中で首相に求めました。もうオリンピックは無理だと思います。こんな状況でオリンピック・パラリンピックを開くことが理にかなっているとは思えません。 オリンピックはいつの間にか、スポーツの祭典ではなく肥大化した商業主義に陥っているように見えます。数々の利権が絡んでいるのだと思います。オリン ピックを中止したら何兆円もの損失が出るとも言われています。それでも危険を冒してまでやってはいけないのではないでしょうか。 東京オリンピックに照準を合わせ、準備をしてきたアスリートのことを考えるとこんなことを大声で言ってはいけないかもしれません。 内村航平さんが「オリンピックができないというのではなく、どうしたらできるかを考えてほしい。」といったあの時の声や姿はいつも私の中にありました。でも、残念なことにあの言葉がオリンピックを何としてもやらなければならないと考える人たちに利用されてしまいました。 国もIOCも東京都もオリンピック憲章の理念にもう一度立ち返ってほしいと願います。 2021 5.6 コロナ禍のゴールデンウィークに思ったこと どこからか甘い香りが漂ってきます。おそらくご近所の庭に植えてある八朔やカボスの木の白い花の香りでしょう。香りはこんなに甘いのに実はどうしてあんなに酸っぱいのかしらと不思議です。 今年のゴールデンウィークもステイホームの方が多かったと思います。 サービス業に従事されている方は、休みなくお仕事をされていて、本当にお疲れ様です。引越し業に従事している甥っ子は、昨年できなかった方の引っ越しも 重なって、休みなしのようで、倒れてしまうのではないかと毎日心配しています。コロナの影響で、仕事を切られた方が多い中で、働くことができることはあり がたいことですが、朝早くから、夜遅くまで仕事に追われ、子どもの寝顔しか見ることができない状況に不安を感じています。 我が家のお休みは、ステイホームで倉庫と置きっぱなしで放りっぱなしの溜まってしまった植木鉢の大整理でした。 何年も放っておいたので、整理すると、リサイクルできるもの、燃やせないものと分けても8つの袋になりました。これをゴミ出しのたびに出すのも大変だと考え、鬼崎の清掃センターに持ち込むことにしました。重たい植木鉢ですが、10キロまで35円で対応してくれました。 丁寧に対応してくださる清掃センターの方々も連休中なのにお仕事をされています。感謝しながらお願いしてきました。 5月3日は、我が家の結婚記念日です。今年で40年目になります。 5月3日は憲法記念日でもあります。毎年、二人して憲法学習に参加してきました。今年もジャーナリストの金平さんが来てくださることになっていて、とて も楽しみにしていたのですが、コロナの影響で来県できず、憲法学習会は中止になってしまいました。残念でしょうがありません。 コロナウイルス感染拡大のために、緊急事態宣言が出され、憲法を改正して、緊急事態条項を強化し、国民投票、そして改憲への道を探ろうとしている勢力が あります。営業時間短縮の命令や入院措置に応じない人への罰則規定が作られましたが、そんな中で社会では、重大な人権侵害も起きています。 私は、安易な挑発で戦後74年守られてきた平和憲法がなし崩しにならないようにと危機感を持っています。 見立ての世界 大分市美術館で催されている田中達也さんの「見立ての世界」を見に出かけました。NHKの朝の連続ドラマ「ひよっこ」のタイトル動画を作成していた方の個展です。 ジオラマの人形を生活用品の中に取り組み、タイトルをつけてメッセージを発信しています。ジオラマの人形は5万体ほどあるそうです。僅か1.5センチほどの小さいものです。 一つひとつの作品が面白く、魅了されます。使用するものは、私たちの周りにあるものばかりで、多くは百均で購入するそうです。食品サンプルや実物も使っ ています。遊び心にもあふれていて、感心するばかりですが、豊かな感性がなければその発想には結びつかないのだと感じます。 会場では撮影OKでしたので、写真を撮ってきました。ここに作品を紹介したいのですが、著作権のことを考慮して載せません。 大分市美術館で7月11日まで開催されていますので、ぜひ会場で多くの人に見ていただきたいと願っています。 別れ 連休中に悲しいお別れをしました。 かねてから病気と闘っているとお聞きしていた女性教員の方の訃報が届いたのは、4月29日のことでした。 彼女は、33歳で乳がんを発症し、10年間、再発と向き合ってきました。抗がん剤の副作用のために、ウィッグを利用し、遠くまで免疫治療に通った時期もあるそうです。 出会った最愛のパートナーとは、病気のために入籍はせず、事実婚で家族として生活していました。遺された高齢のご両親やパートナーの方の姿を見ることは本当につらく忍びなかったのです。 病気と向き合いながら、彼女が考え続けたことは、自分の生きる価値でした。そして学校が自分にとって自分らしさを発揮できる場所だと気づき、入退院を繰 り返しながらも、学校に通い続けたそうです。そして、ご両親にとってたった一人の我が子がどんな先生だったか、どんな学校生活を送ってきたかを知ってもら いたいと、家族葬が多い中で、あえて通常のお葬式を行いました。驚かされたことは、自身で何度も葬儀社に通い、自分の葬儀のプロデュースをしていたので す。 なんと強い意志を持っていたのだろうと言葉を失います。 できるだけ多くの方がお参りに来てくれるようにと、通夜、葬儀の日をあえてお休みの日にしました。会場には、かつて彼女と一緒に働いた仲間や教え子たちが大勢お参りに来てくれていました。自分で選んだ遺影の彼女は、もちろん笑っていました。 彼女が残したメッセージにはこう書かれていました。 「今日、『人生の最後』を迎えます。 〜ありがとうございました〜残される父母のこと宜しくお願いします〜」 享年42歳でした。 毎日毎日、いろいろなことに出会い、悩み、怒りも覚え、焦りながらも流されている自分の生きざまを振り返りながら、与えられた命を大切にし、生かされていることにもっと感謝し、生きることを大切にしていかなければならないと、先生の死を前にして想っています。 2021 4.15 「ハトシ」 私は、町で会議がある時は、帰りにデパートによって夕飯のおかずを買って帰ることがあります。お料理は、まめに作っている方ですが、時には手を抜きたいから・・・。 5時の市が始まると、お惣菜売り場は、売れ残りを少なくするために、お安くなるので主婦にはとっても魅力的なのです。 その日は、「たねのはなし」の学習会を終え、講師にお礼を言って、片づけをしてからデパートに急ぎました。 ちょうど、8階で「長崎物産展」が催されていて、ちょっと覗いてみるかとエスカレーターで上がってみました。売られているものは、知っているものばかりでしたが、一つだけ知らないブースがありました。それが「ハトシ」です。お店の人に商品の説明を聞き、購入しました。 「ハトシ」は長崎では有名なというかポピュラーな食べ物らしく、食パンの間に練ったえびや野菜を挟んで、パン粉のような衣をつけて揚げたものです。たことエビと玉ねぎをそれぞれ入れたものを買えば、「3つで927円、お得ですよ。」と言われ、それを購入しました。 8階から降りてくる途中に、知人に会いましたが「平岩さん、荷物たくさん持って!」と言われ、「今日は要注意だ」と自覚していました。 うちに帰って「物産展でハトシっていうのを買ってきたよ!」とつれあいに言い、他のものもお皿に並べようとしている時にハトシがないことに気づきました。「車の中かも・・・・。」と2度も探しに行くのですが見当たりません。 「またやってしまった!」 買い物をして、家に帰ってみると、それが見当たらないことは過去に4回あります。財布を置いてきたこともあります。 以来、決して、1度に3つ以上のものは、手に持たないと心に決めていたのに、また失敗をしてしまいました。 地階で買い物をした場所を思い出しながら、きっとあそこだろうと思い当たるところがありました。買ったハトシをいったん買い物袋から取り出し、新たに買ったものを袋に入れる時に先に取り出したハトシを入れ忘れたのだろうということになりました。 電話をかけてももうデパートは閉まっています。 幻のハトシになってしまいました。 翌日、地階の店舗にお電話をして、事の顛末を話し「処分してくださいね。」とお願いしました。 二日間、「ハトシはいったいどんな味なんだ?」もやもやしていました。 また町で会議があったので、再度「ハトシ」を買ってきました。お店の人にはわざわざ来てくれたと喜ばれ、長崎名物ゴマ団子をおまけしてくれました。 その日の夜、「これがハトシだ!」と食卓に並べ、食してみました。 結構、弾力があって、なかなか嚙み切れません。なるほどこういう味なんだと感じていましたが、つれあいは箸が進んでいないようでした。 同じような過ちを繰り返すのは、年のせいだと思うのですが、もう決してこんな過ちをしてはいけないと自分に言い聞かせています。 処理水の海洋放出 政府は、福島第1原発でたまり続けている処理水を今から2年後をめどに海洋放流することを決めました。 福島原発事故から10年。事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)は水をかけて冷やし続けなければなりませんでした。それに雨水などが混じりこみ、汚染水とし て扱われています。たまり続けた汚染水は、1千基を超えていて、125万トンだそうです。その汚染水から放射性物質を取り除いたものを処理水というのだそ うですが、それを海水で薄めて流す計画のようです。しかし、放射性物質の中のトリチウムだけは取り除くことができないようです。 政府の報告では、放出するトリチウムは、事故前の福島原発で放出されていた基準を下回るものだから安全だと主張していますが、漁業を営んでいる方々に とっては、風評被害を考えれば、死活問題です。その風評被害で出る損失は、東京電力が補うと言われていますが、東電にそんな体力があるでしょうか、これま での原発事故に関わる被害者への救済補償が、10年をめどに打ち切られてきた経緯を考えると信じることはできません。 原発事故が起こった時、福島のものはすべて受け入れられませんでした。米も野菜も果物もきのこもそして魚も。漁業関係者は、辛抱強く待ち、試験操業を続 け、どこよりも厳しい検査を行い、どこよりも低い放射性物質の実態をもって、これから新たな操業を展開していこうと計画している矢先でした。政府方針を受 け入れることはできないと思います。 これまで処理水の処分については、漁業関係者と丁寧に話し合い、納得いく形で進めていくと約束していた政府ですが、急に方向転換をし、決定していくことが、最も信用性を失っている状況だと思います。 どんなに安全だと言っても、どこの国の原発でも処理水を海に流していると言っても、関係者の方々や国民への説明責任が果たされていないことが許せないことです。風評被害対策も具体策を示せていない状況です。 どんなにエネルギーが必要で、原発に頼らざるを得ないと訴えられても、これだけの被害と苦しみを住民に与え続けてきたのが原子力発電です。私たちは、その失敗を忘れてはならないし、未来の人たちに負の遺産を残してはいけないと考えています。 2021 3. 23 こもっている間に春が来た!? ときどき日記が2か月ぶりになっていました。 このずぼらな性格は、どうしても克服できません。 1月2月3月は、大分市議選があり、議会での質問もありました。1度にいくつものことを並行して作業できない私は、結局頭と心の中にいろいろなことを抱 えながらも一つひとつクリアーすることしかできませんでした。有能な人は、こういう状況でもさりげなく生きていくことができるんだろうなあと反省ばかりの 日々でした。 県都大分市の市議会議員選挙は、2月14日告示で、21日が投開票でした。 コロナ禍で、通常通りの活動はできません。立会演説会も開くことができず、候補者の方はものすごく不安だったと思います。支える私たちもひたすら友人知人にご紹介することしかできません。投票日まで気持ちを維持していくだけでも大変なご苦労があったはずです。 44人の定数に対して、58名が立候補していました。選挙になることは良いことですが、あまりに人数が多く、有権者の方は、だれに投票したらよいのか判 断が難しかったと思います。幸いなことに、私が支えていた候補者は、見事に当選して、ほっと胸をなでおろしましたが、ご近所の方が知り合いの高校生に「選 挙に行ったかね?」と尋ねたところ「行ったよ!でも、だれに投票したらよいかわからず、自分の出席番号の人の名前を書いた。友達もそうしたらし い・・・・。」と返ってきて、驚いたという話を後になってお聞きしました。 笑い話のような話ですが、18歳に参政権が行使されましたが、課題が明確になりました。教育の中でシティズンシップ教育がもっともっと進められなければなりませんね。今の教育、グローバル教育だ、STEAM教育だ、ICT教育だとカタカナの文字が付いた教育が盛んになりましたが、本当に必要なことは、主権者教育ではないでしょうか。 発達段階に応じて、自分の身の回りや住んでいる地域などの身近な問題から現実社会での諸問題まで、自分のこととして捉え、話し合い、相手の意見を尊重 し、様々な意見を考えあわせながら、合意形成し、意思決定する過程に重点を置く「シティズンシップ教育」は重要だと思います。 「政治と生活は、密着している」このことをもっともっと理解していただけるように、私たち地方議員が頑張らなければならないのだと痛感しています。 第1回定例会で質問をしました。 県議会での質問は、おおよそ1年に1回しか順番が回ってきません。ですから何回やっても質問することには慣れずにいます。 私たちの会派では、前の県議会が終わるときに、次の質問者を決めます。ですから3か月前には、質問者は決まっていることになります。その3か月間で、質 問項目を決め、調査をし、何を求めていくのかを明確にしていきます。その後、資料を集め、精査し、文章を書き始めます。その間、議会事務局の人や県庁の財 政課の人が原稿に目を通し、いろいろな意見を伝えてくれますので、ボーっとして流されているといつの間にか、自分の文章ではなくなりそうになります。 形式を重んじる大分県議会では、失敗は許されず、「知事に何を聞くのか」ということが、最大の課題になっていて、少しおかしなことが起きているような気がしてなりません。 私が、質問をした日は、東日本大震災から10年を迎えた3月11日でした。 2011年のあの日、私は大分市の付属小学校にいました。なんだか学校中があわただしく、教職員が子どもたちを体育館に集め、下校の指示を出している最中でした。何が起こっているのかわかりませんでした。 「どうしたんですか?」と尋ねたら「平岩さん、知らないの?」と言われ、その後、職員室で見たテレビの映像で、事の重大さを知り、ただ立ち尽くしている自分がいました。 震災の後、現地にご迷惑をかけずに動けると判断してから、私たちは東北の地に出かけて行きました、福島には、毎年のように伺いました。福島の子どもたちの「保養プログラム」も始めました。 震災後に出会った人たちのことを想い、伺ったことなどを振り返りながら「いのちが大切にされる社会」を願って、質問をしました。適切であったかどうかはわかりませんが、全文は、HPの「県議会質問と答弁」に記載しています。 東日本大震災の3月11日までは、いろいろな特集が組まれていましたが、次の日から何もふれられなくなりました。このことや原発事故については、次回に書こうと思います。 そんなわけで、社会のありようと自分のありようにばかりに目を向けて生活してきた2か月でした。 気が付くともう桜の花が咲き始めました。山桜はもう満開です。我が家のクリスマスローズも、手をかけてあげてもないのに、驚くように美しく咲き乱れていました。 2021 1.27 男だから 女だから 今年のお正月は、コロナの関係でもちろんステイホームで過ごしました。 毎年「箱根駅伝」が楽しみで、1月2日と3日は朝からテレビにくぎ付けでした。 往路優勝したのは、創価大学です。多くの人が復路優勝もできるとみていましたが、ゴール直前で後ろから追い上げて来た駒沢大学のランナーに抜かれてしまい大逆転が起こりました。それは劇的でこれからの箱根駅伝史上語り継がれていくことでしょう。 駅伝を観戦しながらただ一つ違和感を覚えたことがあります。それは、駅伝の走者には、各大学の伴走車がつきます。選手の気持ちを高揚させ、くじけそうになる気持ちを持たせないように監督がマイクを握り、車の中から愛弟子を励まし続けます。 「そうだ!その調子!」「お前区間賞をとれるぞ!」などなどテレビで見ていてもその声ははっきりと聞こえて来ます。その中に「お前、男だろ!」「男 だ!」と声が聞こえてきました。その言葉を聞いて、私は、何とも言えない気持ちになりました。違和感も覚え、気持ちが落ち込みました。 体育系の学校では、その言葉が違和感なく日常化しているのかもしれません。励ましている監督も決して性別を意識しての発言ではなく、個人の頑張りを鼓舞 してのことだと考えましたが「男だから、女だから」に縛られず、個人を大切にしたいと願って生活して来た私には厳しい言葉でした。 さらにつらかったことは、翌日の新聞やマスコミ報道で、その大学の監督の励ましが素晴らしかったとの記事が書かれていたり、コメンテーターが語ったりしていることです。 私は、幼いころから、「純子ちゃんは女の子なんだから・・・。」と言う周りのおばさんやおばあちゃんたちに可愛がられて育ちました。男と女は違うんだという考え方が私の中には刷り込まれてしまっています。 学校に勤め、子どもたちと男女平等の考え方を実践しながらようやく今の境地にたどり着いていますが「やはり、世の中はそんなに甘くない。男女共同参画と行政が声高に叫んでいるとしてもまだまだなんだ。」とあきらめに近い気持ちになります。 昨日の新聞に、生まれてきた性は、男の子だけれど、小さい時からお姉ちゃんや妹と同じような女の子の服を着たがる子どものことが掲載されていました。幼 稚園に通う園児ですが、「自分は女の子だ」と主張し、女の子の服を着て登園しているそうです。「女の子に産んで欲しかった。一度死んで女の子に生まれ変わ りたい。」と母親には訴えているそうです。 「性別に違和感を抱えている子どもがいる」との情報が匿名で許可なくウェブサイトで掲載されてしまい、母親が苦しい胸の内を語っていました。母親は、わが 子の性的違和感を園にも伝えていました。多少なりとも仲間外れや「おとこおんな」と差別的に言われてきたこともあります。今年の春から小学校に入学する我 が子を、女の子として生活させたいが、いじめの心配が先に立ち、不安な胸の内を語っていました。 この記事を読んで、「女の子の服。男の子の服」と決めつけられていることもおかしいなあと感じました。 こうも思うのです。 赤ちゃんが生まれてお祝いをあげるために買い物に行くと「男の子ですか?女の子ですか?」と必ず聞かれます。最初の頃は、「男だから女だからと区別して 買いません。」と店員さんと話していましたが、近ごろはもう面倒くさくなって何も言わなくなりました。その代わり店員さんのアドバイスは聞かず、自分の考 えで選ぶようにしています。 登下校中の小学生のランドセル姿。今では、いろいろな色のランドセルを子どもたちはかるって登校しています。 LGBTと言う言葉や性的マイノリティという言葉も少しずつ広がり、市民権を得てきましたが、まだまだ先には厳しい現実が見えます。 「男のくせに。」「女なんだから。」ではない、まず互いの個性が重んじられる社会となることが私の理想です。 2021 1.6 一陽来復 新年あけましておめでとうございます! 皆様、どんなお正月を迎えられたでしょうか? 年末は、日本列島が大寒波に見舞われ、太平洋側の北陸、東北、北海道そして日本海側の山陰までかなりの雪が積もりました。 大分は、雪こそ積もらなかったけれど、北風が強く、気温が上がらず寒い寒い年末でした。 三密を避けるために、神社へのお参りは31日に済ませました。どこかの神社でも「初詣は、3月いっぱい良い。」と報じられていたので「それなら早くても 良いわけで・・・。」と自分勝手に解釈して、賀来神社に夕方お参りしました。きっと神様は理解してくださったと信じています。 昨年は、コロナ、コロナの1年でした。出かけない、外食をしない、うがい、手洗い、マスクに検温、手と指の消毒・・・。このルールを守り続けてきて少し 疲れましたね。慣れっこにもなっていましたが、12月になって全国的にも感染者数が最高に達する日が続き、改めて深刻に受け止めています。 今年のおせち料理は、昨年に続き「舵」の竜ちゃんが作ってくれました。 お品書きに書かれているものは、お正月には必ず食べるものばかりでしたが、その味は、絶品でした。可愛い教え子であることを引いて考えてもこれまで食べてきたよそのお店のものよりも美味しかったと感じています。 ぶりの味噌漬けにはしっかり味がついています。伊達巻をどうしたらこんなに巻けるのだろう。きんとんは程よい甘さで、黒豆もうまく炊けています。伊勢海 老というものをこれまで何度か食べてきましたが、最もおいしいと感じました。ごまめはうまく焦げていて・・・・・。それはきれいですが、気取った味ではな く、昔母に作ってもらっていたおせちの味に似ていました。 竜ちゃんの腕は、亡くなった器用なお父さんと料理上手なお母さんから受け継がれているのだと実感しています。 竜ちゃんが、「舵」という居酒屋は開いたのは、3年近く前です。すぐにはお客さんが付かず苦労していました。しかし、竜ちゃんの作る飾らない料理の美味 しさと人を引き付ける魅力的な弟の接客でお客さんが増えてきて、売り上げも上がってきました。「よーし!これで借金が返せる!これから儲かるぞ!」と自信 を持ち始めた矢先にコロナの流行です。 今、また店の経営は深刻な状態になってしまいました。そんな飲食業の方は大勢います。接客業の方も仕事の継続ができず、収入が激減し、先の見通しが立た ずにいます。コロナによって全く予期せぬ事態に見舞われ、絶望の気持ちで生きている方が大勢います。行政の後手に回る政策もその一因なのかもしれません。 どれほど苦しく、誰を恨んでよいのかわからず怒りや自分の気持ちをコントロールできずに人を非難することに終始する「同調圧力」が顕在化して、世の中に広 がってしまっています。 コロナによって見えてきたことは、人は自分のやりたいことを自分の意志で決めることができなくなる。選ぶ権利を奪われるということでした。 年末、ぼんやりと紅白歌合戦を見ていて「歌」や「心を込めて歌う人」にいつの間にか癒されていました。そうして思いました。人は人とつながり、人に支えられて生きていくのだと。そうしながら自分の歩む道を怖くても進んで行くのだと。 コロナがいつの日か収束したら、これまでとは違う日常が訪れているかもしれません。でもその時まで、私はまずは身近な人を支え、つながりながら前に進まなければいけないと自分に言い聞かせています。時には、立ち止まってでも。 「一陽来復」とは、冬が終わり、春が訪れることだそうです。 悪いことが続いた後で、幸運に向かうことだそうです。 その日を願い、信じて歩んでいきましょう。 バックナンバーはこちらに移動しました ●2020年7月〜12月 12.3 力のなさを感じます 11.1 今年もあと2か月 10.8 父の故郷 安心院 9.8 台風一過と台風一家 8.17 人と人がつながって平和を築いていくしかない 7.27 豪雨災害から2週間 7.7 地元愛にあふれていた中津江村 ●2020年1月〜6月6.20 子ども 6.3 大切にしたいこと 5.5 何をしなければならないのか 4.12 システム手帳が真っ白 3.28 コロナ?! 2.25 本当におそれるものは 2.2 気温差23度の旅 1.17 もの言う大人でいたい ●2019年8月〜12月 12.29 暗中模索の中でも人とつながって 11.27 中津は元気だ! 11.1 ラグビーワールドカップの余韻 10.6 この道もある。あの道もあるよ。 9.13 静かな秋が訪れるはずなのに 8.31 全日本少年野球大会 8.6 風蘭とシステム手帳 ●2019年1月〜5月 5.6 戦い終わって・・・ 3.15 あの日から 2.8 どうしてSOSが届かない 1.22 許せないのです 1.6 ボーっと生きてんじゃねーよ! ●2018年7月〜12月 12.4 いつの間にか師走! 11.6 いつの間にか 10.18 駅ピアノ 9.14 おくすり手帳が手放せない 8.18 湯平に泊まりに行こう! 7.31 北海道は20度だった! 7.13 誰にでも起こりうること ●2018年1月〜6月 1.13 ローマ法王のカード 2.6 ぼつぼついこか 3.18 思いやることと忖度すること 3.31 桜の花をゆっくり愛でることができましたか 4.18 大分セブンス 5.7 たまには精進料理 5.31 保健室の先生 6.15 いつになったら幼子の命が救えるのでしょうか ●2017年7月〜12月 12.29 胸が痛みます 11.26 442号は、みんなで取り組んで 11.5 誇りある青春 10.13 NO MORE VIOLENCE 9.19 2年前の今日「戦争法案」が強行採決されました 8.27 今年の夏は 7.15 災害発生から11日 ●2017年4月・5月・6月 6.21 ひと休みして考えよう 5.27 本当に良いものを食卓に 5.6 6年目のフクシマ ●2017年1月・2月・3月 3.29 なかなか訪れない春 3.4 とっても近い国「台湾」 2.12 災害の大きな爪痕 1.21 健康でいることのありがたさ 1.3 穏やかな年の初めに ●2016年10月・11月・12月 12.12 この痛みはなぜ? 11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って 10.18 どうしても許せません ●2016年7月・8月・9月 9.24 厳しい現実 ―台風16号被害― 9.7 行く夏 8.21 なつやすみ 7.26 分断されていく人々のこころ ●2016年4月・5月・6月 6.30 今の平和をわざわざ壊しますか? 6.7 新しい判断 5.6 地震?! 4.9 見えにくい子どもの貧困 ●2016年1月・2月・3月 3.13 あの日から5年 2.23 スローフードと空き家対策 1.31 選ぶことのできない世界 1.15 4本のイヤダ! ●2015年10月・11月・12月 12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう 11.26 暴力の根絶を 10.25 カレーライスとCLT ●2015年7月・8月・9月 9.23 許せない暴挙を前にして 9.6 北陸への視察 8.6 フロイドの深層心理 7.21 民意の拡がり 7.7 子ども最善の利益とは ●2015年4月・5月・6月 6.8 あきれている。でもあきらめない。 5.14 不条理の中で 4.1 みんなに春が来ますように ●2015年1月・2月・3月 3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で ●2014年10月・11月・12月 12.17 現実を受け止め、諦めない 11.19 民意と政権のねじれの中で 10.29 子どもって 10.6 教えるとは、希望を語ること 学ぶとは、誠実を胸に刻むこと ●2014年7月・8月・9月 9.16 二人三脚でやっていくしかないかな 8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間 7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう! ●2014年4月・5月・6月 6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い 6.13 なくならない痛み 5.30 またやってしまった! 5.7 震災からもう3年、まだ3年 4.2 母がいなくなって ●2014年1月・2月・3月 3.3 スリランカに行ってきました。2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・1.13 介護の行方は・・・・・ ●2013年10月・11月・12月 12/28 静かな年の瀬に12/18 お気に入りのホテル12/7 久しぶりの別府11/14 結婚式11/5 秋の三連休10/19 どんな秋が来るのかな・・・ ●2013年7月・8月・9月 9/28 施設への入所9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。8/17 お父さん、ありがとうございました。8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間7/15 ただ今、奮闘しています! ●2013年4月・5月・6月 6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を5/7 「風化しないことを願う」と言われた日4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい4/7 来年の還暦までどうしよう!? ●2013年1月・2月・3月 3/16 ありがとうRUPO2/16 諦めない1/31 左に偏っている?1/10 今年の運は・・・ ●2012年10月・11月・12月 12/27 吉田ばあちゃん12/10 教育公務員のあり方は・・・・11/26 地方自治に必要なこととは・・・11/15 水素水にはまっています。11/4 思いのある人、熱く語る10/9 いろんなことがあった1週間 ●2012年7月・8月・9月 9/27 校歌が歌えた!9/4 夏が終わっていきます。8/19 再び東北へ8/6 暑さの中で7/22 もしも・・・はありえない7/10 デンマークの報告E ●2012年5月・6月 6/22 東北に行ってきました6/9 デンマークの報告D5/28 デンマークの報告C ●2012年4月・5月 5/20 デンマークの報告B5/12 デンマークの報告A5/6 デンマークの報告@4/25 無事に帰ってきました。4/11 春の光の中で ●2012年1月・2月・3月 3/31 議会終了3/8 あの日から一年2/21 もうじき春が来る2/2 こんなままではいけない。1/19 圧巻だった熊谷守一展1/10 あけましておめでとうございます。 ●2011年10月・11月・12月 12/29 感謝12/10 師走に突入11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと11/16 カーネーションがおもしろい10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください10/16 気になること ●2011年7月・8月・9月 9/19 今年の夏は8/17 片山さんありがとうございます。7/31 夏、真っ盛りです。7/3 元気をもらいました ●2011年4月・5月・6月 6/14 「マルモのおきて」がおもしろい5/22 初めての大役に・・・4/29 闘い終わって・・・ ●2011年1月・2月・3月 3/21 人と人が支え合って2/27 あの美しかったクライストチャーチが2/9 鳥インフルエンザ1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて1/7 今年の幕開け ●2010年10月・11月・12月 12/27 様々な出会い12/2 美恵さんのお芋11/14 30回目の車いすマラソン10/30 姪の結婚10/2 インフルエンザ! ●2010年7月・8月・9月 9/20 ここにもあった私の原点9/2 まだまだ暑い日が続いています。8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女7/13 吉田忠智さんと言う人 ●2010年4月・5月・6月 6/13 カツオのたたきがない!5/27 牛を食べるということ5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。4/23 セブ島4/1 気がつけば春 ●2010年1月・2月・3月 3/4 別れ2/19 Tさんお世話になりました。2/1 先輩に励まされて1/16 油断大敵1/4 若者たちに魅せられて ●2009年11月・12月 12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで11/13 朝、一便に乗るためには・・・ ●2009年10月 10/28 欧州旅行記C10/16 欧州旅行報告記B10/8 欧州旅行報告記A ●2009年7月・8月・9月 9/21 欧州旅行報告記 @8/10 暑中お見舞い申し上げます。7/19 野菜を求めての旅 ●2009年4月・5月・6月 6/27 ちょっといい話6/16 ひとり一揆を始めた人がいます5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと5/6 風薫る季節の中で4/4 私が生まれた日 ●2009年1月・2月・3月 3/26 どうしても賛成できませんでした3/9 現場に宿る神様2/12 こわしたくないもの1/30 つかの間の休日に1/8 厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間 ●2008年10月・11月・12月 12/23 年の終わりに12/1 “ご縁”があって つながって11/3 小さな運動会10/21 感動をありがとう ●2008年7月・8月・9月 9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹8/2 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!7/11 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」 ●2008年4月・5月・6月 6/22 初めての経験に四苦八苦5/28 雨の体育祭と中学生の涙5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち ●2008年1月・2月・3月 3/16 いつまでも見守りたい子どもたち2/10 魔法の一言1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます ●2007年10月・11月・12月 12/21 静かな時間(とき)もいいものです 12/1 秋は来たのかしら 11/3 20回目のお誕生日おめでとう 10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ ●2007年7月・8月・9月 9/23 大事なものを忘れないで 8/22 不器用に、でも誠実に 8/6 「いのちが一番」いつまでも 7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます ●2007年4月・5月・6月 6/20 もっと怒ってもいいですよね! 5/22 とても大切な「頭の片隅」 5/5 「母というものは」 4/24 庭の花に癒されて ●2007年1月・2月・3月 3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち 2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら 1/31 家族葬にして良かったですか 1/6 静かな年の始まりです ●2006年10月・11月・12月 12/19 甘いおこわと教育基本法 11/26 子どもたちが私のエネルギー 10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」 10/8 団地サイズの竹宵をします! ●2006年7月・8月・9月 9/18 無くしてからは遅いのです 9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ! 8/11 「言葉で勝負!」できたか不安? 7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」 ●2006年4月・5月・6月 6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて 5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています 4/9 元気もらった、拓郎コンサート! ●2006年1月・2月・3月 3/31 まだ見ぬあしながおじさん 3/7 ときめき「15才の春」 2/23 あきらめきれない数珠の紛失 2/2 悩み続ける「私の子どもたち」 1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります! ●2005年10月・11月・12月 12/27 新しい年こそ「愛の年に」 11/27 「木の香りの家」に癒されて 11/4 失敗、失敗、ドジな私 10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜 ●2005年7月・8月・9月 9/12 私たちに問われているものは? 8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩” 7/23 人工林と流木と鉄砲水 ●2005年4月・5月・6月 6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい! 5/14 夜道で出会ったものは… 5/6 反日渦中の上海を訪ねる 4/15 政治が民衆を分断している ●2005年1月・2月・3月 3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り 3/18 レッテル、はる人、はがす人。 2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました 〜大分市議選を終えて 1/17 「高校再編」の民意はどこに? 1/1 2005年「命」を考える ●2004年10月・11月・12月 12/2 何故もめる?議員定数問題1 11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア 10/25 子ども達は輝いています ●2004年7月・8月・9月 9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も 8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私 8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて 7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症! ●2004年4月・5月・6月 6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記 6/17 帯状疱疹と闘っています 5/31 どげぇなっちょんの? 5/6 つかの間のひとりごと 4/12 私の甥っ子たちの春は… ●2004年1月・2月・3月 3/26 子どもたちは守られていますか? 3/3 幸せな2日目の休みの日に 2/12 心やさしきチャンピオンたち 1/18 雪の下の小さな花たち 1/6 子ども達が大切にされる世の中に ●2003年12月・11月・10月 12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」 11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな! 10/26 「教育」はだれのもの? 10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」 ●2003年9月・8月・7月 9/28 励まされています 8/10 風化させてはならない記憶 7/23 やっと夏が来た ●2003年6月・5月・4月 6/22 お葬式と福祉と青リンゴ 6/08 初めての視察 5/19 辺見庸さん 5/07 健ちゃんのこと 4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます ●2003年3月・2月・1月 3/28 愚かな戦争に反対します 3/22 “食育”に取り組んでみたい 2/07 ただただ感謝の日々 1/27 二人のおひな様 1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方 1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて ●2002年12月・11月 12/13 ロウバイが咲いた! 12/04 穴子丼(あなごどん) 12/02 ALS患者郵便投票訴訟 11/24 世界に目を向ける子どもに 11/22 Tさん 11/15 アッタマにきたぞ! 11/13 働く女性の実態 11/4 桜
3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で