ときどき日記


2018.12.4 いつの間にか師走!
 
 ついこの前、「お正月のおせちはどうする?」とつれあいと話し合ったと思っっていたのに、あれは、今年のおせちで、また来年のおせちを考えなければならない時期が来ています。
 年を取ると時間の経つのが速くなると言われますが、まさにその通りです。
 
 皆さんお元気ですか?
 私を苦しめる神経痛は、少しずつ落ち着いてきています。腹部の転げまわるような痛みは無くなりましたが、次に首に来て、今は耳の後ろにときどき鈍痛が走ります。2週間に1度のブロック注射とお薬で日常生活を送っていますが、困ったものです。
 
 とても心に残った二つのことを綴ります。
 11月17日 県立大分支援学校の文化祭にお邪魔しました。学校のある地名を使って「志村祭」と呼ばれています。4年ぶりのことです。
 支援学校の学習発表会は、機敏に体が動かせなかったり、お話ができなかったり、車いすを使う児童・生徒が多いので、先生方は映像や音楽や小道具・大道具でいろいろな工夫をしていますが、大分支援のそれは、ダントツにすごいと以前から感じていました。
 
 少子化の中ですが、支援学校に通学する子どもは、増え続けています。大分支援は在籍数が242名です。新生支援は250名在籍していますが、来年度は大分支援が県下で一番のマンモス校になるようです。
 狭い体育館の中には、保護者や交流先の生徒、見に来てくれたお客さんが、入ると子どもたちは座るスペースがありません。ですから、本番数日前にお互いの 出演を見合う「プレ観劇会」が行われるそうです。出し物は小学部から高等部の生徒まで、絵本の題材や学習活動や卒業を前にした思いをそれぞれ工夫して作り 上げています。



 校長先生が、隣に座って子どもたちの日ごろの様子や置かれている状況を教えてくれました。ただ漠然と見ていたら、気が付かないことばかりです。
 アナウンスをしている高等部の生徒があまりに完璧でうまくしゃべるので驚きました。「どうしてあなたがこの学校に?」と思うのですが、高等部にはそんな生徒も何人かいます。彼らの願いは卒業後の一般就労です。
酸素ボンベを脇に添えた車いすの子どももいました。「ほらほら声が聞こえている。目があいたでしょう。」と校長のことば。虐待を受けた子ども、養護施設から通ってきている子どももいます。
 いろいろな話を聞きながら、今、どの学校現場も大変な状況だけれど、支援学校は、すべての課題が凝縮していると実感しました。
 
 大分支援では、今年防災教育の研究指定を受けています。
 学校にいる時に地震が来て、電源がストップしたら、酸素ボンベの子どもは生き続けることができません。
 展示場では、子どもたちの作品や修学旅行の思い出、そして災害時に使えるトイレやベッド、お湯を使わないカレーもありました。



 雨が降っていなかったことが幸いでした。一つの出し物が終わると舞台暗転のため、道具は一度すべて屋外に出され、次の舞台装置が入ってきます。
 子どもたちにもっと広々とした空間の中で活動させてあげたいと思います。
 人でごった返した学校でしたが、子どもの生き生きとした姿や一生懸命な先生方、我が子の演技を一心に撮影している保護者の姿を見て、心温まるものを感じていました。
 
 県では、第3次特別支援教育推進計画が進められています。
 児童・生徒数の少なくなったもう学校、ろう学校を統合して、現在のもう学校の場所にろう学校も入ります。子どものいなくなったろう学校の校舎に大分支援 と新生支援の一部の子どもたちが入ってきて、新たな支援学校となります。しかし、その実現は5,6年先のことです。それまでの間、教室がすでに足りない状 況をどうしていくのかがとても大きな問題です。
 
 
 
 11月27日、「敷戸駅と大分大学駅の無人化に抗議する集会」に参加しました。
 JRは、鉄道事業の赤字を解消するために、大分市内のいくつもの駅の無人化計画を発表していて、すでに日豊線の牧駅には駅員がいません。
 12月1日から豊肥線の敷戸駅と大分大学駅も駅員さんを配置せず、SSS(スマート・サポート・ステーション)を導入して、監視カメラで見守り、インターホンでの対応をしています。
 当日は、障がいを持つ人も持たない人も、それぞれの駅から列車に乗り、大分駅で下車して午後7時からの集会に参加しました。



 皆さんが感じたことは。
  • 無人化になったら、車いすで駅を利用する時は、前日の午後8時までに予 約が必要。脳性まひの人は話す時に時間がかかるし、言葉も聞き取りにくいので電話での対応は難しい。FAXやメールではだめなのか。
  • 階段がある駅は、原則車いすはお断りのようだ。
  • SSSは、ボタンの位置が高くて、車いすに座っていては、手が届かない。
  • 敷戸駅のホームが狭く、盲導犬と一緒だと歩けない。
  • 駅員さんがいて、手伝ってくれたが、外出するなと言われているような気がした。
  • 車内アナウンスで「お手伝いが必要な方がいたら皆さん支えてあげてください。」と言われるが、乗客のみんなはスマホに熱中で、関心がなさそう。
  などの声が上がりました。
 
 JR九州は639億円も営業利益をあげる大企業です。鉄道部門が20億円の
赤字だと言っても公共交通としての役割を果たすべきだと思います。
 そもそも、鉄道駅は、障がいがある人たちが利用すると言う前提に立っていないことに愕然とします。サポートしてくれ、困った時にすぐに話しかけられる人 がいることが重要です。それは、年を取って移動が困難な状況の人や乳母車を使う赤ちゃんや小さな子どもを連れた親御さんにも言えることです。
 大分県でつくった「障がいのある人もない人も心豊かに暮らすことができる大分県条例」の意味が理解されていませんし、現在盛んに言われている「合理的配慮」も全く実行されていないことが悔しくてなりません。
 
 みんなで集めた7万3113筆の署名の重さを理解して欲しいですし、この深刻な問題に対して行政もしっかり関わっていかなければならないと痛感しています。
 最後に徳田弁護士がこう言われました。
 「障がいを持つ人たちが出て行くことで、社会が変わる。運動はしたたかに楽しくやらなければならない。熱い心と怒りです。」
 

2018  11.6 いつの間にか
 
 数日前、渋谷のスクランブル交差点で、ハロウィンを楽しむ仮装した若者たちが暴走していると報道がありました。迷い込んだ軽トラックの荷台に立ち、叫 び、横転させて興奮している様子。それをさらに興奮してスマホで写している姿を見るにつけ、「大人になれない若者がいる・・・・・。」と寒々としたものを 感じます。
 これこそが、憲法を変えたい安倍政権の思うつぼではないかと不安を感じています。
 そもそも、ハロウィンってアングロサクソン系民族の祝日のはずです。映画の中でよく見てきました。アメリカの子どもたちが仮装してお菓子をもらって回る お祭りなのに・・・。ほんの一部の心ない人たちのせいで純粋にこの行事を楽しんでいる人にとって大変迷惑なことだと感じます。
 
 
 いつの間にか11月になっていました。
 急に寒くなって、我が家では、冬物の寝具や洋服を慌てて出しています。
 つれあいは、「これ縮んだ!」とシャツを見せにきますが、「縮んだのではありません。あなたが太ったからです。」と返答しています。
 体型があまり変わらず、流行のないものをこれまで買ってきた私の服は、増える一方で、クローゼットがもう一杯になっています。大切にしてきたものなので なかなか捨てきれないのですが、1年2年3年と一度も袖を通さないものもたくさんあります。それで、今年の夏から友人や姪たちに回しています。今回は「M ちゃんにあげよう!」と思いつき、スーツを5着取り出しました。
 若い時は、こげ茶やグレーや黒などシックな色が好きだったのですが、年を取るとそれではくすんでしまうことに気づきました。
 上品で、インパクトのあるものが欲しいと思っています。
 
 
 11月1日は「大分教育の日」でした。14年前に制定され、毎年県下の市町村が持ち回りで、大会を開いています。
 今年の会場は、竹田市。大分北部豪雨で壊滅状態だった文化会館は、「グランツたけた」と名前が変わり、新しい建物に変わっていました。グランツとは、栄光とか光と言う意味のドイツ語だそうです。建物は木材がふんだんに使われていていい香りです。
 700名が収容できるホールで「大分教育の日」は行われました。毎年、エッセーを募集しています。今年は、過去最多の応募があったと言われていましたが、
参加状況を見ていると、取り組みのばらつきや固定化が見えます。でも、学校現場の多忙化を考えると、それもよく理解できます。
 エッセーの部は、小、中、高、大学・一般の部で選考され、最優秀受賞者の朗読がありました。驚いたことに、決してテーマを決めていたわけではないでしょ うが、誰も「ふるさと」を想う内容ばかりでした。それは、心に深く刻まれ、染み入りました。そして、大分市への一極集中の問題を考えました。地方は、人口 は減り、にぎわいも少なくなってきたかもしれないけれど、自分の「ふるさと」を愛し、そこにいる人々に対する優しさや尊敬の念があふれている様子はうらや ましいかぎりでした。
 
 
 竹田市では、「滝廉太郎を偲ぶ 音楽祭」を毎年行ってきたそうです。今年は70回目。教育の日のイベントの第2部として共催していました。
 午後は、中学生の部。竹田市にある中学校は、5校です。大規模校は全校生徒120人くらいです。小規模校になると全校で40人、20人となります。
 そんな中で各校ごとに吹奏楽や合唱に取り組んでいました。その発表は、歌声も演奏も素晴らしいのです。ただ、「もう少し生徒がいたら、もっと迫力が出るだろうなあ・・・・。」と思ってしまいます。
大分市内の大規模校は、全校生徒が1000人を超えています。その矛盾も感じていました。



 70年も続けてきた歴史の中で、子どもたちの中には「文化の種」が確実に育っているのだと思います。
 
 
 
 私の大好きだった尊敬するHさんが亡くなりました。92歳の生涯でした。
 16年前に出会い、医大バイパスの法面の木々の伐採を頼まれたのは、議員としての初仕事でした。伐採した後にも出てくる竹を根気強く取り除いてくれたのはHさんでした。夏の暑い日も雑草を取り除く仕事を続けてくれていました。
「斜面の土がこぼれるので、土留めの策を考えて欲しい。」と要望を受け、大分土木事務所は、ブロックではなく、コンクリートで作られた立派な土留めを長い距離に設置してくれました。Hさんは、そのことに感謝し、その土留めをいつも雑巾で拭いていた姿を何度も見かけました。
 
 かなり広い法面は、今は、春から初夏にかけて、さつきと紫陽花が咲き誇る場所になり、通りを行きかう人たちの癒しになっています。
 几帳面で頑固で一本気のHさんとお会いすると私は少し緊張していたのですが、いろいろなことを教えていただきました。
 
 Hさん、本当にお疲れ様でした。東野台の法面は、「車座の会」が引継いで守っていきます。安らかにお眠りください。
 
 
 

2018 10.18 駅ピアノ
 
 異常に暑さの厳しかった夏が過ぎ、急に寒くなってきました。
 皆様、お元気でしょうか。
 私の帯状疱疹後遺症の神経の痛みは、薄皮をはぐように少しずつ少しずつ回復しているような気がします。
 ブロック注射の後、お薬を処方してくれる薬局の薬剤師さんがこう言われました。「やはり、相当激しい帯状疱疹だったのでしょうね。」「それとも、最初の 治療が悪かったのか。」と。いずれにしてもお腹に剣山を刺したような痛みが遠のいていることは、何より嬉しいことなのですが、朝起きて、「治った!」と喜 んでも、しばらくするとまた別の所に痛みが出てくるので、ぬか喜びは出来ません。かなり強いお薬らしいのですが、しっかり飲んで、徹底的に根治しようと 思っています。
 
 
 ある夜のことです。
 仕事をしていていつの間にか気が付けば、深夜になっていました。「もう眠らなければ」と思い、ベッドに入りました。
 何気なくテレビをつけると、NHKのBSで「駅ピアノ」と言う番組を放映しています。その日は「チェコ 特別編」でした。
 
 首都プラハの駅の構内にアップライトのピアノが一台置いてあります。
 通りがかった男性がやってきて、カバンを置き、ピアノの蓋を開けて、弾き始めました。みんながよく知っているクラッシックの曲でした。その男性は、建設 会社の社長さんだとテロップが流れています。弾き終わるとピアノの蓋を静かに閉じ、その場を去っていきました。次にやってきたのは、英語の講師をしている 男性です。その人も有名な曲をすらすらと弾いていました。
 次々にやってくる人が、子どもも大人も男性も女性もピアノを見つけては思い思いに弾いて去っていきます。保育園の園長さん。ボーイスカウトの男性。アメ リカから家族旅行に来た子どもを連れたお母さん。ウクライナから出稼ぎにきた男性。恋人を追って隣国から来た人。ロマの人は即興で憂いのある曲を奏でてい ます。ホームレスの人も思う存分弾いていました。周りの人は歩いていたり、ベンチで聴いていたり、立ち止まっていたり、中には「これでビールでも飲み な。」と小銭を渡していく人もいます。ちなみにチェコのビールは世界一美味しいのだそうで、ポーランドからわざわざ飲みに行く若者が多いと昔聞いたことが あります。
特別なことではなく、そこでピアノを弾いている人がいるただそれだけなのです。少しも奇異な光景ではありません。
 一日中、駅の構内にはピアノの音が響き、美しい音色が拡がっていきます。
 
 チェコは、第2次大戦の時にソ連やドイツから迫害を受けた国です。
 スメタナやドボルザークやショパンを輩出した国です。
 音楽を聴く、楽器を奏でるということが、生活の中に根付いているのだと思います。もしかしたらチェコの人たちのDNAには、そういうことが組み込まれているのかもしれません。
 ピアノは駅だけではなく、公園にもありました。屋外にあるピアノには屋根が付いていています。ピアノを設置したのは、NPOの人たちだそうですが、ピアノにいたずらしたり落書きしたりする人はいないようです。調律師が巡回してピアノは最適な状態に保たれています。
 
 放映の合間にチェコの風景が出てきます。赤レンガの屋根が続く町、カレル橋やヴァルタヴァ川、美しいプラハの旧市街地、聖ヴィート大聖堂などの映像を見ながらうっとりです。
 
 
 今から9年前、私は議会できつい立場にいました。
 学力向上対策が本格化し、私の願っていない方向に教育施策が舵を切っていました。教職員評価システムが導入されそうになり、私たちが大切に子どもたちと 作り上げてきた平和授業への右からの攻撃・・・・・。もう一人では太刀打ちできないそう感じていました。そんな時にどうしてもフィンランドの教育を知りた くて、東欧視察に出かけました。その時に立ち寄ったのがチェコでした。
 競争させないフィンランドの教育は、説得力のあるものでした。しかし、その必要性を訴えても教育行政は変わりません。それでも、その時の旅を通して、私の中に絶対に曲げられない信念のようなものが生まれました。
 
 深夜のテレビを見ながら当時の感動を思い出し、もう一度頑張らなければと自分に言い聞かせていました。



2018  9.14 おくすり手帳が手放せない 
 
 今年の夏は、とても厳しかったと実感しています。
 7月には、中国・四国地方を中心に記録的な大雨が続き、各地で甚大な被害が出ました。亡くなった方が200名以上いらして、平成に入って最悪の災害になっています。
 台風21号は、四国や近畿地方を縦断し、広範囲に被害を出しています。関西空港が水に浸かった映像は驚きで声が出ませんでした。その直後、北海道で震度 7の地震が発生し、大規模な山崩れが起きました。生き埋めになった41名の方が亡くなり、大規模災害となっています。まさに日本は、災害列島になってしま いました。
 お亡くなりになった方に心よりお悔やみ申し上げます。また、被害に遭われた方々、避難所生活を余儀なくされている方々にお見舞い申し上げます。
 
 
 
 さて、私が今抱えている問題は、「痛み」です。心ではなく体の痛みです。胃の少し下の部分にずっと痛みを抱えています。もう1週間になります。
 
 14年前、帯状疱疹にかかりました。
診察してくれた県病の先生が「見事な帯状疱疹です。」と言われ、即入院しました。24時間点滴を1週間続け、退院しました。
そのあと、帯状疱疹の後遺症なのか、神経痛のような痛みが、身体のあちこちに出るようになりました。それは、頭であったり、足であったり腕であったりお腹 だったり。忘れたころに突然出てきて、私は苦しんでいきました。ぴくぴくと自分の意思とは関係なく、筋肉が動きます。えぐられるような痛みの時もありま す。痛みで思わず「ウッ!」と声が出ます。
 いつもは、一日か二日で収まるので、我慢しているのですが、今回は、痛みがもう1週間続いています。ひどいときは、2秒間隔で痛みはやってきます。仕事にも家事にも影響しています。
 
 でも不思議なことに、議場で質問していた時は、痛みを感じませんでした。緊張し、何かに夢中になっていると良いのかもしれません。
 
 痛みを取り除いてもらいたいと最初にペインクリニックに行きました。
 ペインクリニックの先生は、エコーで痛みの出るところを調べている時「胆のうが悪いのかな。ほらこんなに腫れているでしょう。」と言われました。
 びっくりして私は、「それってどういうことですか?今まで胆のうが悪いなんて言われてことはありません・・・・。」と不安になって尋ねました。
 先生は、「胆汁が溜まっているか、胆のうに腫瘍ができているのか。」そして「県病かアルメイダに紹介状を書きましょうか。」と言われました。
 
 私の主治医は、消化器の専門です。
 「先生、K先生の所でCTを撮ってもらいます。」と答えました。
 
 KクリニックでCTを撮ると、胆のうは、腫れてはいませんでした。
 ほっとしましたが、痛みは続きます。薬は昨日から強いものに替わり、朝と夜に飲んでいます。飲んで20分すると少しは効果があるのですが、痛みは無くな らず、拡がっているようです。そういえば、14年前に入院していた時に経験したものと同じような気がします。また、帯状疱疹が出てくるのかもしれません。 「出るのなら早く出てこい!」そんな気持ちです。痛みのない世界に行きたいです。
 
 免疫力が低くなると、帯状疱疹にかかりやすくなります。
 皆さんもどうぞお気を付けください。


2018  8.18   湯平に泊まりに行こう!
 
 お盆が過ぎて、ほんの少しだけ朝夕の風は涼しくなりましたが、まだまだ暑い日が続いています。私は、冷房を入れて寝ていたので、鼻がぐずぐずして、咳が出て、何だか風邪気味です。いつ冷房を切るのかのタイミングが難しい状況です。
 
 2歳のよしきちゃんが無事発見されて本当に良かったですね。まるで奇跡のような出来事でした。しかもよしきちゃんを探し出したのは、日出町からボラン ティアに行っていた78歳の男性だったからさらに驚きです。昨日までそのニュースでもちきりでした。78歳の尾畠さんに日本中の人がボランティアのあるべ き姿を教えられる毎日でした。
 
 
 さて、湯平温泉は家から車で30分くらいの所にあります。
 湯布院温泉は、超人気の温泉地ですが、湯平温泉も少しレトロな雰囲気が漂う石畳のある温泉地です。
 国道210号を通るたびに、「この橋を渡ったら湯平だ!」と考えながら車を走らせていました。私は、若い頃2度ほど湯平に泊まったことがあります。そこ には湯布院のような高級感はありませんが、庶民的で素敵なところでした。旅館はおじさんとおばさんがやっているようなところが多く、おじさんが丹精込めて 作ってくれたお料理を宿泊している私たちは、みんなで燭台に並べたことをよく覚えています。99.9パーセントが零細企業です。
 あの石畳の坂道に、浴衣を着た宿泊客が行きかう情景を思い描いていましたが、湯平は変わっていました。
 
 観光協会会長の横尾さんによると
 50軒あった旅館が20軒に減っています。石畳の横に並ぶ商店も閉じられているところが増えています。湯平の魅力は、5つある共同おんせんなのです。そ れを目当てに多くの人が駐車場はないけれども、何とか路上に駐車する場所を確保して、その共同おんせんを訪れていたのに。共同おんせんのいくつかは今、営 業していません。地熱発電の影響で枯渇したとお聞きしました。
 
 湯平は、30年前に湯布院と合併しました。湯布院町時代は、多くのお客さんが来て、たくさんの利益をもたらしたそうです。昔から湯治のための温泉でし た。農繁期を終えた、おじいさんやおばあさんが食べ物を持ち込んで、自分たちで自炊しながら温泉に入って疲れた体を癒していました。週末は、若い人たちが やってきて賑わいを見せていました。「男はつらいよ」で寅さんが撮影したころは、大勢のお客さんがいました。あの時のゲストは沢田研二でした。でも今は、 誰も通っていません。「昔は、どこにも行かなくてもここですべてが完結していた。魚屋も肉屋も衣料品店もあったから。」と仲居さんが言われていました。







 湯平駅に列車が到着すると、リュックを背負ったインバウンドの人がやってきます。バス輸送がないので旅館からお迎えの車が必要です。外国からのインバウ ンドのお客さんの受け入れは、個々の旅館によって異なっているようですが、すべての旅館に満遍なく行っている状況ではないようです。
 
 あの青春時代の湯平温泉とは、違っていました。それが残念です。湯平は、温泉旅館と商店と農業を営んでいる人が混在している地域ですから、地元の人の合 意がなければ前に進みません。でも、湯平には、花合野川の清流があります。癒しがあります。湯布院にはない静けさがあります。
 この夏、おすすめの宿です。皆さん、是非一度、湯平に行ってみてください。
 

2018  7.31 北海道は、20度だった!
 
 今年の所属委員会は、2年ぶりに文京警察委員会です。
 7月18日から21日にかけて北海道の学校や警察組織について調査に出かけました。
 大分では、急増する外国人観光客に対するインバウンド対策、特にラグビーワールドカップに合わせて、大きな課題になっています。
 北海道の訪日外国人は、200万人を超えています。日本を訪れる外国人の1割を占めていることになります。
 
○北海道警察本部
  • 北海道の人口は537万人、自治体数は179、警察職員は66署で11912人、道内を5つの方面に分けています。北海道は、九州と四国、岩手県、宮城県を合わせた広さの面積です。
  • 外国人の運転するレンタカー事故は、割合的には多くはないけれど年々増えています。
  • 4月に自転車条例を制定
  • インバウンドに向けて、DVDを作成したり、日本人の慣習や気質をお知らせし、事故対応したりできる外国人スタッフを1000人(季節雇用)雇う予定。
  • レンタカー会社で貸し出す時に啓発活動をしてもらい、特に左側通行をしっかり教えるそうです。
 
○静内農業高校
 大分県では、高校再編の中で、単独の農業高校がなくなり、総合学科の科目として存在していますが、2年後に三重総合学校の久住分校が農業高校として本校化するようになっています。本校化に向けて全国から公募で生徒を募集する計画です。
 北海道立静内農業高校の地域の特性を生かした取り組みを調査しました。
  • 日高郡新日高町にあり、1998年に静内高校から独立しました。
  • 128名の生徒がいますが、町から10キロも離れているので、一番通学が大変な学校だと言われていました。北海道外からの生徒が10パーセントいます。
  • 日高地方は、オグリキャップを産出したところです。延々と続く道路は「サラブレット銀座○丁目」と標識が出ていて驚きました。牧場経営が盛んに行われていました。
  • 地域特性を生かして、日本で唯一軽種馬の育成をしていて、馬についての学習ができる学校でした。
  • 繁殖雌馬や種付け、出産まで学校で行います。
  • 地域特産のミニトマトの栽培をしています。
  • 学校で作ったアイスクリームは、バニラ・抹茶・チョコレート・桜味と見事でした。
  • 卒業生の7割が就職し、そのうち半数は管内です。就職先は、日本中央競馬、農業関係の会社や食品会社が多いそうです。有効求人倍率は4.57倍。
  • 道外から希望して入学する生徒は、牛や馬の学習ができる学校としてインターネットで調べてくるそうです。
  • 馬が560万円で売れたそうです。原材料から製品作りを大切にしていますがアイスクリームなどの加工品がよく売れています。売り上げの1割は学校に還元されています。



 北海道では、農業高校が地域に育てられ、地域を支えているのだと感じました。
大分県の農業学科の位置づけは、生徒が選んで入学したと言う状況ではないケースが多く、農家の子弟が入学するケースも殆どありません。農業での学びの尊さや農業でしっかり生活できる道筋が見えないからだとも思います。
 農業専門の教職員は、道内を異動していくので大変です。校長は、この学校で8校目だそうですが、ずっと単身赴任をしているそうです。
 
○札幌高等養護学校
大分県では、第3次特別支援教育推進計画の中で、就職に特化した「高等養護学校」を創設する計画です。県内では初めての取り組みとなります。
  • 札幌高等養護学校は、創立21年。道内には、34の支援学校(知的)があり、札幌には5つの市立支援学校があります。
  • 大分県同様、支援が必要な子どもが幼稚園や小学校で増えている傾向があります。
  • 2015年から3年間で、8校の高等支援学校が新設される計画で、普通科も作られています。
  • 卒業生は、クリーニングや自動車、ビルのメンテナンスに就職するケースもありますが、福祉的就労も多いそうです。これは、大分の支援学校卒業生と同じ傾向です。
  • 課題は、軽度の子どもや障がいが多様化している子どもが増えていることや、県立高校からの人事異動で障がい児教育を知らない教員が増えていることだそうです。家庭への支援の必要性も課題の一つのようです。
  • 中学校との引継ぎはエリアが広くて大変だということでした。
 
 
 北海道の気温は、20度でした。過ごしやすくて、ルンルンだったのですが、訪れた先で、「こんなに暑い時に良くいらっしゃいました。」と言われて驚きました。




 北海道は、やはり広いですね。道路は碁盤の目のようにつくられていて、4車線道路が、すべて同じ方向に走るようになっています。私は、ここで運転は、出来ないだろうと感じました。



 広いエリアをカブァーして、災害救助に向かうヘリコプターは9機が活躍しています。隊員は38名です。1時間で利尻島まで行くことができるそうです。1年に1000回以上出動しています。整備も操縦も警察官の方がしていると聞いて驚きました。



 すすきので、「警察24時」によく出てくる「すすきの交番」を見つけました。ホテルに帰る道を聞くふりをして、中に入ってみましたが、屈強な警察官の方6人に一斉に見つめられました。テレビと同じようにとても丁寧に教えてくださいました。
 


2018  7.13 誰にでも起こりうること
 
 梅雨は明けましたが、日本列島は西日本で未曽有の大水害が起こり、茫然としています。多府県に渡りこれほど多くの死者・行方不明者が出た災害は、東日本 大震災よりほかに知りません。川が決壊し、濁流が流れ込み、車も家も押し流されている様は、東日本大震災の時の事を思い出させます。2万人の方が孤立して います。
 突然、家族を失った人、家も土地も思い出の品も何の準備もできないうちに無くした人たちにどんな言葉をかければよいのか想像もできません。今、どれほど絶望の淵に立たされているのか・・・・。
 
 九州北部豪雨や熊本・大分地震を見てきました。見る影もなく一瞬にして大切な人や物をなくした人たちが、力を合わせて一歩ずつ前に進んで、少しずつ復興は進んでいるのですが、それもまだまだ道半ばです。
 広島や岡山や愛媛や被災された人々の、命は助かったけれど、これからの生活を想う時、私たちは何をすべきかを考えています。
 
 先週(7月2日〜4日)「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる県づくり」特別委員会で、鳥取県、兵庫県、大阪府の先進地調査に出かけました。
姫路から鳥取へは、スーパーはくとという列車で山越えでした。途中、左手に一級河川の千種川が流れています。広い河でしたが、水はそんなに流れていません でした。帰ってきて、台風7号の影響で、その河の水かさが増している状況を知りました。大阪の環状線もストップしていました。山陽新幹線も不通になってい ます。台風がもたらした雨雲も今回の大水害に大きな影響を与えています。私たちは、間一髪で帰って来ることができたのだと理解しました。
 
鳥取県では、大分と同様に「障がい者が暮らしやすい」条例を昨年9月に制定したそうです。
 以前からちょっとした手助けを行う「あいサポート運動」をスタートさせ、障がい者の福祉サービスの充実、手話言語条例の制定などに取り組んできたそうで す。知的障がい児施設の近江学園を創設した糸賀一雄さんは、鳥取県の出身です。日本の障がい福祉の先駆者です。その思想が息づいているのだと感じました。
 兵庫県加古川市では、市内の飲食店、物販、医療など障がい者の利用が見込まれる事業を行う時に助成制度を設けていました。例えばコミュニケーションツールとして、点字メニューや筆談ボードなどです。音声拡張期(コミューン)を見せてもらいました。



 その他にも、折り畳み式スロープや車いす昇降機、緊急呼び出しボタン等を事業者が設置する時に申請すると助成が受けられます。
 
 大阪府では、障がい者の差別解消の取り組みとして、広域支援相談員を置いています。それぞれの市町村の事業所で、障がいを理由としての差別を解決するために6名の相談員が支援を行っていて、昨年は、517回の相談があったそうです。
 以前、排ガス規制の調査で、東京都に伺った時に都庁の職員が上から目線で、田舎の議員が・・・。という扱いを受けたので、大阪府も同様では・・・。と正直不安を抱えていましたが、やはり障がい者差別に関わる部署の人たちです。それは全く杞憂に終わりました。
 
 日本中、いろいろなところで「障がい者差別禁止法」に合わせた取り組みが行われています。大分県の取り組みも決して引けをとらないと思えます。ただ「合理的配慮」について多くの人の理解が進むにはどうしたらよいのかなと考えます。
 大人になってから、いろんなことを学んだり理解したりする作業や事業を展開する前に幼い頃から共に過ごす中で、障がいのある人もない人も自然に身につき 学んでいくことは多いと思います。教育委員会を巻き込んで「交流」ではなく「共学」を進めることが一番の早道だと思っています。
 
 
 旅の途中で気づいたことをお知らせします。



 但馬牛の牛めしです。列車の中でいただきました。但馬の牛が子牛の時に売られて行って、神戸牛や近江牛と名前が変わります。お肉はおいしいのですが、あまりに味が濃くて完食できませんでした。
 



 鳥取県の名産は、20世紀ナシです。鳥取駅前には、梨の棚ができていました。
 






 大阪府庁は、とても古くレトロな雰囲気が漂っていました。デパートのトイレで見つけたのですが、男性用トイレにも赤ちゃんのおむつが替えられますよ。と 表示が出ています。これなら育メンパパも安心です。大阪の人は、エスカレーターでは、右側に並んでいます。ついいつものやり方で左側に並んでいると、後ろ から来た急いでいる人に嫌がられます。
 
 障がいのある人もない人もともに豊かに暮らせるようにと、私たちは、県条例をつくりました。私は、今は障がいを持っていないけれど、いつ何時、障がい者になるかわかりません。年をとれば、自然に体は自由を失い、障がいを抱えるようになるかもしれません。
今回の災害でお亡くなりになっている方は、175名(7月11日現在)に達しようとしています。
 時間の経過とともに、その数は増えていくことが予想されます。
 誰でも起こりうることだと感じています。
 



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●2018年1月〜6月
1.13 ローマ法王のカード
2.6 ぼつぼついこか
3.18 思いやることと忖度すること
3.31 桜の花をゆっくり愛でることができましたか
4.18 大分セブンス
5.7 たまには精進料理
5.31 保健室の先生  
S6.15 いつになったら幼子の命が救えるのでしょうか


●2017年7月〜12月
12.29 胸が痛みます
11.26 442号は、みんなで取り組んで
11.5 誇りある青春
10.13 NO MORE VIOLENCE
9.19 2年前の今日「戦争法案」が強行採決されました
8.27 今年の夏は
7.15 災害発生から11日
●2017年4月・5月・6
6.21 ひと休みして考えよう
5.27 本当に良いものを食卓に
5.6 6年目のフクシマ
●2017年1月・2月・3
3.29 なかなか訪れない春
3.4 とっても近い国「台湾」
2.12 災害の大きな爪痕
1.21 健康でいることのありがたさ
1.3 穏やかな年の初めに
●2016年10月・11月・12
12.12 この痛みはなぜ?
11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って
10.18 どうしても許せません
●2016年7月・8月・9
9.24 厳しい現実 ―台風16号被害―
9.7 行く夏
8.21 なつやすみ
7.26 分断されていく人々のこころ
●2016年4月・5月・6
6.30 今の平和をわざわざ壊しますか?
6.7 新しい判断
5.6 地震?!
4.9 見えにくい子どもの貧困
●2016年1月・2月・3
3.13 あの日から5年
2.23 スローフードと空き家対策
1.31 選ぶことのできない世界
1.15 4本のイヤダ!
●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜