ときどき日記


2017 6.21 ひと休みして考えよう
 
 一昨日の議会は、くたびれました。
 なぜかしら。議員になってもう15年目になるというのに。
 午後からは、眠くなり「誰か私の牛乳に睡眠薬を入れました?」と思うほど睡魔が襲ってきました。
 県議会のわが会派の人たちは、みんな優しく、親切で気心も知れているので何も気を遣わなくてもやっていけるのですが、それでも朝から晩までお話する人も 説明してくれる人も男性ばかり。目に映る人がほとんど男性ばかりの中で同じ時間と空間を過ごしていると正直つらくなることもあります。
 
 私がほっとできるのは、推理小説を読んでいる時と、お料理を作っている時と深夜ベッドに入ってから見るテレビです。ケーブルテレビのミステリーチャンネルやAXN、LaLaTVを見ている時に緊張した頭と心が少しずつリラックスしてきます。
 それからもう一つ、NHKの朝のテレビドラマ「ひよっこ」から目が離せません。奥茨城出身のみね子ちゃん(有村架純)は東京の赤坂の洋食屋で働きながら 出稼ぎに行ったまま失踪したお父さんを探すというストーリーです。みね子ちゃんの周りの人たちとの関りに何故かしんみりさせられます。ほんわかした気持ち にもなります。時にはにやりとしドキドキし、また笑ってしまいます。
 ほのぼのとした出来事の中で、いつの間にか主人公の姿に自分の娘か親戚の娘を思わせるような親近感を覚えてしまいます。時代背景は、昭和30年代から 50年代のようです。自分の幼かった頃への郷愁があるのかもしれません。みんなが貧しかったけれど、誰もが今よりもっと夢を抱き、隣人を愛し、ゆとりを 持って過ごしていくことができた時代です。雨の音や風の匂いを楽しむことができた時代だったと思います。このドラマが安倍総理の言う「美しい国」に利用さ れては大変なことになるのですが、昭和を知っている人たちの中には、感性がビビビーと揺さぶられる人が多いのではないかしらと思います。
 
 洋食屋の女主人(宮本信子)がホールの仕事を一日も早く覚えようと焦るみね子ちゃんにこんなことを言うシーンがあります。「仕事は、決められた時間内で する!目いっぱいする!時間が来たら忘れる!」それができたらどんなにいいでしょう。とてもインパクトのある言葉でした。
 
 
 共謀罪法が可決されました。正確には「テロ等準備罪」法です。過去に3回廃案になったものです。提案された頃には「テロ」という言葉は入っていませんでした。
 参議院の法務委員会の審議を行わず「中間報告」として、参議院でまたしても強行採決されました。安全保障に関する法案の時と同じです。
 加計学園を巡る問題もきちんと説明されていません。
 「怪文書」だと言い「ない」といった文書が出てきて、文科省も内閣府も慌てて調査し、両方が異なった見解を発表して幕引きでした。
 軒並み支持率が下がると、昨日は、総理自ら記者会見をして、自己弁護を並べ立てていました。
 疲れますね。がっかりしますね。でも私たちは政治を諦めてはいけないのです。
 少しだけ休んで、また歩き始めましょう。
 

2017 5.27  本当に良いものを食卓に
 
 遅くに咲いた桜が散ってしまったら、新緑の美しい季節になりました。
 緑の濃さの違いが見事なコントラストを映し出しています。しかし、朝は少し肌寒く、日中は汗ばむような陽気ですから、体調管理は難しいですね。皆様お気をつけください。
 
 県議会では、2017年の新しい年度が始まりました。私は、今年は2度目の「農林・水産委員会」に所属をしています。委員会のメンバーには、林業や農業 や酪農の専門の方もいらっしゃいます。私は殆ど素人ですが、「有機栽培に力を入れたい!」という願いがあり、生活者の視点で意見を言っています。
 農林水産委員会は、イデオロギーでの対立がないので、精神的には落ち着いていられます。
 今年の所管事務調査は、すでに3回目を済ませました。活力あふれる新規就農者(菊やイチゴやオリーブやレタスやトマト)の所にお邪魔をしています。集落営農法人や治山計画で復旧したダムを見たりもしています。
 改めて多くの事業に補助金が使われていることに気づきます。でも、生産性の乏しい中山間地域で農業を営み、国土を守っていくことや若い人が農業に参入することなどを考えれば必要な経費だと考えます。



 この写真は、果実研究所で大分県と国が共同研究をして昨年誕生したみかん「あすみ」です。糖度は14度以上あり、とってもジューシーです。世に出るにはまだ5年から7年くらいかかるそうです。
 
 
 4月30日に私が野菜を届けてもらっている「佐藤自然農園」の新施設のオープニングセレモニーがありました。




 行政の理解をもっともっと深めたいと振興局や県のブランド推進課にお知らせに伺い、放送局にも取材のお願いをしました。
 当日は、朝から晴天に恵まれ、「人がたくさん来てくれるかしら・・・・。」そんな心配は稀有に終わりました。大分県内だけでなく、福岡県からも佐賀県からもお客さんが見えていました。
 当日は福岡で「佐藤農園」の野菜を使ってフレンチレストランを経営している「ジョルジュ・マルソー」の小西オーナーシェフがスタッフを大勢連れてきて、 その場でフレンチを食べさせてくれるので、参加された皆さんは、それはそれは期待されていたようです。子どもからお年寄りまで160名以上の参加がありま した。実際にレストランを開いている若いオーナーたちもいました。
 
 まず収穫体験
 農園で育っているニンジンや玉ねぎやホウレンソウを畑の中に入り、子どもたち中心に収穫します。その場で食べている経営者の方もいました。私はテレビ局 の取材を受けましたので、「野菜のおいしさを舌と心が感じているので、個々の野菜を食べたらいかに幸せな気持ちになれるか。献立を考えて食材を買うのでは なく、届けられた野菜を見て献立を決めるのです。」とお伝えしました。


 
 次に土作り体験
 佐藤農園の畑の土は、草木堆肥です。3年がかりで土壌改良をし、チッソやリンが過多にならないようにしています。土がしっかり呼吸をしているので、当然、植物には十分な栄養がいきわたっています。
 
 そしていただきます
 シェフとそのスタッフが農園で採れた野菜をベースにサラダやパスタを次々に調理し、みなさんの所に届けます。有機でもち米を作っている方がお餅をつき、 できたてのおもちが配られます。5分づきの玄米のおにぎりややせうま、団子汁もふるまわれます。オマールエビやサザエのつぼ焼き、お肉を焼くにおいがいや でも食欲をそそりました。





 参加された皆さんは、大満足のようでした。私はお手伝いをしながらおにぎりやおもちを丸め続けました。


 
 当日はOBS大分放送やKBC九州朝日放送が取材に来ていました。
二つの局が後日、放映してくれましたが、放映後、佐藤農園には「私もその野菜が欲しいです。是非宅配してください。」と1000件以上の視聴者からのメー ルや連絡があったそうです。佐藤農園では、東京の「座来」をはじめ、有名レストラン以外に個人宅に200件くらい宅配しています。
 もちろん、より多くの皆さんにこのおいしい野菜が届くことが理想なのですが、野菜の生産量もその作業をする人も今は、いっぱいいっぱいだと思います。
 循環型の自然農法ができる土地を確保し、農薬がたくさん入ったその土地が蘇り、野菜が育ち、多くの人の所に届くのには、もう少し時間がかかると思いま す。でも、安全でおいしい野菜を作り続ける人とその価値観を理解し、食の安全を願い続ける人が相互に関わり合いながら、本当に良いものが食卓に届けられる 日が少しでも早くやって来るようにと願い、この素晴らしい「佐藤農園」を中心にした取り組みが全国に広がることを望みながら、有機農法をしっかり推進して いきたいと考えています。
 
 


2017 5.6 6年目のフクシマ
 
 ゴールデンウィークです。有休をうまく活用すれば、9連休の方もいるそうです。しかし、この期間もお仕事をされている方もいます。そして寂しく一人で過ごしている子どももいることを考えると、なにもできないけれど、悲しさも感じています。
 私は、暦通りのお休みを頂き、家の中の片づけをしています。倉庫の中、流しの下、そして雑草を許してしまった庭の手入れで手足が震えるほど働いています。「ゴキブリ団子」を去年の物と取り換えました。どうぞ、効果がありますように!
 
 4月26日から28日まで福島に行ってきました。
 2011年は、現地が混乱していたので福島に入っていませんが、翌年から毎年伺っています。「何故なんだろう?」どうしても福島に拘っています。
 絶対に忘れてはならないことが福島にはあるからかもしれません。
 
 「福島情報連絡センター」に加盟しています。その総会もありました。
福島原発告訴団長で3.11甲状腺がん子ども基金副代表理事の武藤類子さんの報告では、これまで184人の子どもの甲状腺がんが見つかっているそうです。 手術を終えた子どもも大勢います。データ的には100万人に1人か2人が発生すると言われている子どもの甲状腺がんが、こんなに大きな数字を示しています が、福島県の県民健康調査の担当者は「先行検査を終えて、これまで発見された甲状腺がんについては、総合的に判断して、放射線の影響とは考えにくいと評価 する。」と言われていました。

 その理由は、
(1) 被ばく線量がチェルノブイリ事故と比べて総じて小さいから。
(2) 被ばくからがん発見までの期間が概ね1年から4年と短いから。
(3) 事故当時5歳以下の発見はないから。
(4) 地域別の発見率に大きな差がないから。
だそうです。
 武藤さんの報告では、震災当時4歳だった子どもが甲状腺がんを発生しているそうですから、県のこの説に納得ができません。こういう姿からも原発事故の責任を政府も東電も取らない姿勢が見えてきて怒りと悔しさを感じます。
 
 昨年の夏に行った帰還困難区域の富岡町が、一部の地域で帰還が始まっていました。放射線量が低い所がその対象になります。道路を挟んでこちら側は帰還できない。あちら側は、帰還を促されている地域と分かれています。
 楢葉町を通って富岡町に入るのですが、草ぼうぼうだった田んぼが耕されています。試験的にお米を作っているそうです。



フレコンパックに入れられた除染された土は集められ、おびただしい数が並んでいます。その黒いフレコンパックの生地の対応年数は、3年から4年だそうです。劣化した袋はどうなるのだろうと不安を覚えます。昨年から黒い袋は緑のシートで覆われています。


 
 震災が起こってからのことを思い出していました。
 岩手県、宮城県は震災で大きな被害を受けました。気仙沼も宮古も釜石も
閖上も行くところすべてが、津波で壊滅状態でした。津波の爪痕は以前ここで幸せに暮らしていた人たちの生活を根こそぎ奪って行きました。積み上げられた瓦礫の山。その瓦礫を整理することで当座の就労をしていた被災された人々。
 『瓦礫受け入れ』問題は、日本中の人々の課題でした。私は、がれきの受け入れに反対して、「非国民」と見ず知らずの方からお叱りをうけました。
 電気が効かなくなった冷凍倉庫では、いわしやかつおやぶりが腐ってしまって、真っ黒な大きいハエが異常発生してしまいました。
 
 福島と他の東北地域の事情は、放射能の問題が絡むので違います。
 土地の底上げが行われる。道路が通る。線路が復旧されるということは、時間がかかってもこの国の技術や力からしてそうなることは当然なことだと思いま す。東北2県の町に人々が戻り、人が集まる場所が確保でき、お祭りが再開される。ものだけではなく、場所だけではなく、人々の希望や歓声で町は元気を取り 戻しています。
 でも、福島は、違います。
 富岡町は、以前の人口は16000人だったそうです。その1割5分も帰っていません。帰りたいけれど帰れない。帰って本当によいのだろうかと悩み続けて いる人が大勢います。6年の間に一緒に避難していた子どもは大きくなっています。それぞれに進学や就職もしています。やっと慣れてきた暮らしからまた方向 転換しなければなりません。子どもと放射能の問題も、表立っては出てこないけれど深刻な問題でもあります。
 
 「避難の共同センター」事務局長の瀬戸大作さんの話を聞いて、自主避難をしていた人たちの苦しみがありありとわかりました。
 母子だけで避難をした。その後、夫との関係が上手くいかなくなり離婚をした。4月1日から自主避難者への手当は出なくなってしまった。まず、経済的困窮 が始まっています。そんな中で行政の担当者から戸別訪問を受け、帰るのか帰らないのか決断を迫られる人たちの中には精神的に追い込まれている人が大勢いる そうです。
 自主避難して数年間「避難している」と言えない人がいます。「賠償金をもらっているだろう。」と言われるのが怖かったと言う人もいます。
 出て行ける避難者と出て行けない避難者がいることを知りました。
 今村元復興相の上から目線の自主避難者の自己責任論が世間でまかり通る土壌を私たちがつくっているのではと思いました。
 
 いずれにしても、自主避難をして以前より豊かに暮らしている人はいないということを私たちは想像しなければならないと思いました。
 そして、大分にも住んでいるその人たちへの支援はどうあればよいのかを考えなければならないと思いました。
 
 震災が起きて、福島へ入れるようになって初めて訪れた富岡町は、商店街のシャッターは下ろされ、信号機がずっと点滅していました。ゴーストタウンでした。
 富岡駅は津波で跡形もなく流され、そこにあった片方だけのスニーカーと目の前の中華料理屋の津波に襲われた状況が目に焼き付いていました。



 でも今年はそれもなく、立派なバス停ができていました。列車が通らないので、バスが駅前を走っているのです。昨年までの姿がなくなって、新しい駅前に様変わりしていました。でも、私たちは、あの何もかもが奪われた状況を忘れてはならないのだと思います。

 安倍政権は、暴走し、マスコミも北朝鮮問題ばかりを大きく取り上げ続けています。それが私には国民の目をそらせているように思えるのです。
 年間20ミリシーベルトだから大丈夫と、帰還政策を推し進め、放射能を安全だと思わせる政策に私ははっきりとノーを突き付けなければならないと思っています。
想像力を働かせて、分断され見捨てられている人たちの姿を忘れないようにしなければならないと思うのです。もしかしたら、それは私たち自身が今後経験することかもしれません。
 


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●2017年1月・2月・3
3.29 なかなか訪れない春
3.4 とっても近い国「台湾」
2.12 災害の大きな爪痕
1.21 健康でいることのありがたさ
1.3 穏やかな年の初めに
●2016年10月・11月・12
12.12 この痛みはなぜ?
11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って
10.18 どうしても許せません
●2016年7月・8月・9
9.24 厳しい現実 ―台風16号被害―
9.7 行く夏
8.21 なつやすみ
7.26 分断されていく人々のこころ
●2016年4月・5月・6
6.30 今の平和をわざわざ壊しますか?
6.7 新しい判断
5.6 地震?!
4.9 見えにくい子どもの貧困
●2016年1月・2月・3
3.13 あの日から5年
2.23 スローフードと空き家対策
1.31 選ぶことのできない世界
1.15 4本のイヤダ!
●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜