ときどき日記


2017.12.29 胸が痛みます
 
 急激な寒波が日本列島を襲っています。東北、北陸、北海道では雪による凍結で事故が多発しています。一昨日は、車100台が立ち往生している様子がテレ ビに映し出されていました。大分の高速道路でも雪道専用のタイヤや装備を備えていなければ走れない区間が提示され始め、私のようなドライバーは「走っては いけない!」と考えています。
 
 朝の新聞を見てびっくり!
自衛隊が導入するオスプレイが日出生台も念頭に置かれるような書き方でした。一大事です。
 オスプレイは、事故の多い欠陥機だと思います。
 沖縄に行くと、上空を飛んでいるオスプレイを見ることがあります。普天間飛行場では何機も並んでいる光景を見ました。
 大型輸送機オスプレイは、「未亡人製造機」だとも言われています。今年8月には、岩国基地を飛び立ったオスプレイが大分空港に緊急着陸し、何日も居座りました。整備不良が理由のようでしたが、米軍からも九州防衛局からも県には詳しい説明はありませんでした。
 昨年12月には、オーストラリア沖で墜落し乗組員の方が亡くなっています。
 私は、名護市沿岸部で大破した現場を夏に見ましたが、その時も住民には何も知らされず厳重な立入禁止がなされ、米軍によって部品が回収されました。沿岸部で深夜貝を掘っている人が近くにいたそうです。
 私たちは、米海兵隊の日出生台訓練が開始されて以降、ずっと反対を訴えています。1995年沖縄少女暴行事件が起こり、沖縄の痛みを分かち合いましょう と始まったのが、全国5か所の分散訓練でした。でも、沖縄の訓練は縮小されずに本土での訓練は拡大しているように見えます。155ミリりゅう弾砲訓練だけ だと思っていたら、小銃は使う、白りん弾は使う、決められた時間は守られず・・・・。
 一番恐れていたのは、オスプレイが日出生台演習場に関わるということでした。再三県に要望してきていますが、九州防衛局の対応は冷たいものでした。そもそも九州防衛局から米軍に対してきちんとした要望なんて伝わっていないような気がします。
 日出生台での米海兵隊訓練が始まる前、読谷村の方を呼んで学習会を持ったことがあります。私は、まだ議員ではありませんでしたがあの時、知花さんがこう言われたことを思い出します。「この日出生台の地は、演習に最適な場所とみられるでしょう。」と
 来年度の防衛費は、過去最高です。いろいろなことがなし崩し的に行われることはあってはならないと思います。みんなで声を上げて行きましょう。
 
 またしても大阪で幼い男の子の命が奪われました。
 母親の交際相手とその友人からしつけと称して暴行を受け続けていた子どもがいたということ。市も認知していながらどうして児相が早く引き揚ることができ なかったのか無念です。今や虐待の件数は10万件に達しようとしています。今年虐待で亡くなった子どもは50人です。報道される子どもの写真は、どの子も 笑っています。あどけない姿です。可愛い盛りです。
 きっと母親も産んだ時は、可愛いと思ったはずです。名前を一生懸命に考えたと思うのです。生活の苦しさから虐待が行われるとしたら、親も愛情を受けずに 同じように虐待され、虐待の連鎖が行われているとしたら。そう考えることはたやすいことです。でも、そんな環境にいながらも懸命に子どもを育てている人は 大勢います。
 社会問題が自己責任で片付けられていることにも大きな問題が潜んでいると思います。ほんの少しでいいから、周りを見守る力が地域にあれば世の中は変わっていけるのかもしれません。
 私たちは、衝撃的な事件に慣らされてきているような気がします。
 
 先週伺った施設で施設長がこんな話をしてくれました。
 入所している小学生が「先生、どうしてみんなクリスマスを楽しみにしているの?」と聞いてきたそうです。その子は、生まれて一度も楽しいクリスマスを経験したことがなかったそうです。
 
 年の終わりにふさわしくないことばかりを綴ったかもしれません。
 つたないときどき日記を読んでくださってありがとうございました。
 来年こそ良い年になりますように。





2017.11.26  442号は、みんなで取り組んで
 
 寒くなりました。今年の秋はとても短く、一気に冬が来たような気がします。
 最近、年を取ると首から風邪をひくということがわかりました。
 
 今日は、賀来校区のウォーキング大会でした。日焼けすることもなく、風もなく子どもたちからお年寄りまで、楽しく和気あいあいと賀来神社から歴史資料館までの道のりを歩きました。歴史資料館では、鉄砲隊の演舞も見せていただき、火縄銃の実演にみんな驚きでした。


 
 11月23日に『国道442号「宗方・稙田区間」整備事業早期完成推進大会』が行われました。442号期成会については、以前にも書きました。
 国道442号は、大分市を起点にして福岡県の大川市までつながっている一般国道です。
 宗方・稙田間は、歩道が狭く、通学する自転車と徒歩の学生が譲り合わなければ事故になるような状況です。道路は1車線で、右折車やバスが止まると慢性的な渋滞を起こしています。雨が降るとすぐに道路に水が溜まり、傘は横に向け、車の水しぶきを避けています。
 
 
 「これを何とかしよう!」と7年前に立ち上がったのが、442号宗方・稙田間期成会です。期成会と名のつくものは日本中に沢山ありますが、この期成会が 他と違うところは、行政主導ではないということです。ですから、運営費は会員の手出しです。毎月理事会を開いています。学習会もします。2か月に1度、草 取りやゴミ拾いを近隣の団地の方や商店の人たちと一緒にやっています。アンケートを取り、分析し、それを県土木に提出してきました。シャンシャンで終わら ない総会も開いてきました。そんな活動が功を奏したのか、会が発足して僅か4年で事業着手が決定しました。土木事務所の測量が行われ、今は、地権者との用 地買収が着々と進んでいます。期成会は、個人の利害関係が発生する場面には関わりませんが、土木事務所の仕事がスムーズに行われるように住民との説明会の 設定をしてきました。
 23日の早期完成推進大会には、多くの住民の参加がありました。用意したイスはすぐに足りなくなり、慌てて残りのイスを並べました。その作業の嬉しかったこと。
 ぎっしり詰まった人を見ながら、涙が出そうでした。人任せにせずにみんなで話し合いながら、メリハリをつけて今までやってきたことが実ったんだと思いま した。普通、このような道路事業には早くても14年くらいかかるのだそうです。この442号は、あと5年もすれば事業が完成すると考えています。
 電柱が地中化され、お年寄りもベビーカーを押す若い夫婦も安心して歩ける道。自転車道ができ、高校生がスムーズに通学できる道。ゼブラゾーンはバスが止まってもスーパーに右折する車があっても大丈夫です。
 私は、この道の名前は何にしたらいいんだろうと密かに考えています。「わくわくハッピーロード」が良いと思うのですが、大銀ドームの周りの道に、青山学 院大学の駅伝部が練習に来た時、監督が命名して、その名前がついているのでやはりだめでしょうか。その名前は私たちの方が先に考えていたのですが。
 
 期成会の顧問で、ずっと一緒に考えてきてくださった文理大学の吉村教授が「道路が完成したら終わりではありませんよ。道路ができた後、いかに地域を活性化させて行くのかも考えましょう!」と言われています。
 

2017.11.5 誇りある青春
 
 台風が去ってから急に寒くなってきました。
 「もう少し着れる。」と残してあった夏服に別れを告げ、大慌てで冬物を出しました。私は、幸か不幸か若いころと体型がほとんど変わりません。 (肉は下がってきましたが)ですから、洋服が半端ではないほど残っていきます。出来るだけ流行のないものを選んできたので、10年前、15年前の服も思い 出とともに残っています。靴もそうです。「過去3年間で着なかったもの履かなかったものは、処分する!」「終活です!」と自分に言い聞かせてはいるのです が、これが結構難しい作業です。
 
 
 10月20日に「大分県定時制・通信制生徒生活体験発表」が大分工業でありました。
 働きながら学ぶ生徒たちが通う学校は、県下に5つあります。(公立4私立1)
 当日は、中津東校、日田校、大分工業、爽風館の定時制・通信制の生徒代表が7分の持ち時間でこれまでの生活で感じたこと、学んだこと、乗り超えてきたことなどを発表します。今年で62回目をむかえる伝統ある行事です。
 昔の定時制は、勤労学生のためにありました。過去にこの会で発表され、社会に出て活躍されている方が大勢います。現在は、義務教育の段階で不登校だった り、障がいを抱えていたりと学ぶ人たちも少しずつ変化をしています。もちろん厳しい家庭環境の中で働きながら学ぶ生徒も大勢います。高校に行きたかったけ れど当時は行くことがかなわなかった。ずっと大人になってから高校卒業の資格をとるために学び直しをする方もいます。
 
 10月20日当日は、それぞれの学校の生徒や教職員、ご家族の応援がありました。大分工業の1年生も傍聴者として参加してくれました。
 自分の人生に起こったつらい体験を語ることは、勇気がいることです。まして希望も含めそれらを言葉で表現することは決してたやすいことではありません。
 でも基準弁論の生徒も5人の代表の生徒も堂々と気負わずに発表していました。
・志望校に合格できなかったけれど、うどん屋で働きながら家庭に迷惑をかけずに授業と仕事を両立している。将来は電気工事技師になりたい。お金をもらうことの大変さがわかった。
・ファーストフード店で8時間勤務をして勉強している。中学時代は人間関係で随分苦しんだ。生徒会新聞の論説を続けながら本当の自分を表現していきたい。
・努力と言う言葉が嫌いだったからやってこなかった。母が倒れ、亡くなり今は絵をかくことが楽しみ。将来は、プログラマーになりたい。
・中学時代は、人と話さず、家族との関係も悪かった。高校2年で退学したが定時制で自分の夢を探したい。克服とは自分で努力して達成できるものだと思う。
・中学の時、陰口が怖くて学校に行けなくなった。通信制に再入学して、励ましてくれる先生に出会った。その先生が白血病で亡くなったが、先生のような人になりたい。久しぶりにランチを一緒に食べる友達ができた。
 などなど、聞いている私たちが自分の人生をも振り返させられる内容ばかりでした。涙が出たり、勇気をもらったり、応援したい。と感じる時間でした。
 
 どの発表も素晴らしかったけれど、最優秀賞は一人だけです。最優秀賞のKさんは、今月東京の六本木ヒルズで行われる第65回全国大会に出席します。

 

 10月27日に大分工業高校定時制の運動会が行われました。
 給食を食べてから、体育館での実施です。定時制は生徒が揃いのユニホームを着ていないので、競技中、誰が生徒で誰が先生か見分けがつきません。総練習の時とは違う迫力で競技に全力投球していました。
 大きな声で応援をしながら教師と生徒がしっかりと向き合い、信頼関係の中で活動が成り立っていることを実感しました。教育のベースになくてはならないものを教えられた気がします。
 学生でいられる時は、短いかもしれない。これから学ぶ中でも様々なことが起こるかもしれない。でも負けないで欲しい。そして「誇りある青春」を謳歌して欲しいと願わずにはいられませんでした。
 私も、教育振興会会長として精いっぱいの努力をしていかなければと自分に言い聞かせています。
 

2017 10.13 NO MORE VIOLENCE
 
 暑いです! 
 昨日は、鹿児島日帰り出張でした。選挙になっても公務は粛々と進んでいます。鹿児島まで博多周りで、ソニックと新幹線を利用して往復6時間40分の旅で す。鹿児島管内で人身事故があり、多くの列車に遅れが出ました。私の乗ったソニックも博多駅の一つ前の駅で暫く停車してしまいました。そのせいで乗るはず の新幹線は出てしまい、次の新幹線に。会議には8分遅れで到着し、その後30分で終了しました。鹿児島の暑さも半端なく、まるで夏を思わせるじっとりとし た厳しさでした。
 こんなに時間をかけ、お金もかけて行くよりも、もっと効率的なやり方はないのかしら・・・・。と正直思います。
 列車が遅れると聴覚障害の方や、外国からの観光客の方に不自由が出ているのではないかしらときょろきょろして周りの人たちを観察していました。
 
 
 9月29日から10月1日にかけて東京で「全国シェルターシンポジウム」が行われ、それに参加してきましたので、報告も含めて思いを綴ります。
 
 20年前、僅かな民間団体の活動から始まりました
 1997年6月東京市ヶ谷の私学会館に10か所の民間シェルターが集まり「女性のための暴力駆け込みシェルターネットワーキング」を結成しました。そし て、暴力を受けた女性を支援するために ネットワークを立ち上げよう 毎年1回シンポジウムを開こう。と話し合われました。
 第1回は札幌で開かれました。その後、新潟、北海道、石川、大阪、久留米・・・など日本各地でシンポジウムが開かれ、昨年19回目は多くの方たちのお力により大分で開催することができました。今年は記念すべき20回大会です。今年のテーマは「ノー モア バイオレンス」
 
 私は、別府生まれの別府育ちです。地域のことで例に出すとお叱りを受けるかもしれませんし、誤解が生じるかもしれませんが、幼い頃から男性が女性を殴る という姿をいくつか見てきました。夜遅くお酒を飲んで奥さんに手をあげ暴れる男性の大声とそれを止めようとする子どもたちの泣き叫ぶ声は今でも忘れられま せん。街角で男性が女性に対してこれまで見たこともないような激しい平手打ちをしていた光景は何十年経っても忘れることができません。我が家では夫婦間の 力関係の中でときどき機嫌が悪くなる父に対してものすごく気を遣っていた母の姿は今思えば「精神的DV」だったのではと考えています。
 
 
 民間団体の草の根の運動が政治を動かし、2001年に「DV防止法」が成立しました。このことによりDVへの理解は進み、DVは悪いこと。してはいけな いこと。と人々の心の中に認識されてきました。もちろん被害に遭うのは女性だけではありません。男性被害者もいます。でも、圧倒的に多数は女性です。
 「子どものために我慢しよう。」「私さえ我慢すれば何とか過ごしていける。」「暴力を振るわない時は良い人なのだから」など我慢し続けてきた被害者が、 「DV防止法」成立と支援団体の活動がマスコミで取り上げられることにもより相談件数も増え、逃げ出してくる女性たちも増えてきました。
「ジェンダー」と聞いただけで過剰反応を起こす男性もいますが、「DV」「セクハラ」「虐待」「性暴力」「ストーカー」と名前がついて言葉で理解できる状況になるとそういうことが問題だと考える人たちも増えてきました。
 
 でも、まだ道半ば
 配偶者や恋人からの暴力、性を使って人を傷つけ、尊厳を踏みにじること、ストーキング・・・・・・。なかなか相談しにくい、言葉で表現することが難しい 被害が毎日のように起こっています。4人に1人の女性が何らかの被害に遭い、7人に1人の子どもがうちの中で母親が父親から受ける暴力を見て育っていま す。その子どもたちの心は恐怖感の中でひどく傷ついています。
 DV被害者に寄り添い、相談を受け、隠れ家を用意し、わかってくれる弁護士を紹介したり、生活保護の申請に付き添ったり、子どもの学校の問題、仕事に通 うなどなど、被害を受けた人が、希望を持って安心して生きていくことができるように支えてきたのは、草の根のボランティアグループでした。手弁当で動き、 僅かな寄付金を頼りに活動してきました。行政がその活動に資金面の支援を予算化してくれるようになってきました。熱心な行政担当者も現れてきました。
 
 私は直接DV被害者支援をしている訳ではありません。支援しているNPOに所属し、そのグループの支援をしています。最近よく耳にする言葉は「当事者意識を忘れずに」被害者の気持ちを見失ってはならないということだと思います。
 独断的な支援が逆に被害者を傷つけるケースもあるのだとわかります。
 逃げてくるまでの年月が、DV被害者の心を縛っています。逃げてきたからと言ってすぐに安心して暮らせる日がくるわけではありません。「いつ夫に見つか るか。」「もしも夫が子どもと私の前に現れたら」と言う不安におびえて暮らす日々でもあります。傷ついてきた心と体は簡単には元気にはなれません。まして や自分のことや置かれた状況を他人に分かるように伝えるには信頼関係と長い時間がかかります。
 
 すべては人権の問題です
 この20年、日本の社会はどう変わったでしょう。女性や子ども、高齢者や障がいを持つ人、性的マイノリティーの人、外国籍の人などの人権が本当に守られ ている社会とはまだまだ言えません。むしろ究極の暴力である「戦争」へつながる道が整っていくことに大きな不安も感じます。
 「こういうことは許されない」と考える人がもっともっと増え、包括的に本格的に支援する体制を必要だと考える人たちの数を増やしていかなければならないと思っています。
 教育の中で最も重要なことを考える機会や時間を創るゆとりを与えて欲しいと切実に願っています。そうすることが将来被害者にも加害者にもならない最善の方法だと考えるからです。
 

2017. 9.19 2年前の今日「戦争法案」が強行採決されました
 
 朝夕は、あの夏の暑さがまるで嘘のように涼しくなりました。
 台風18号は、県下に大きな爪痕を残しました。
 これほど多くの雨が短時間に降ることは予想していませんでしたので佐伯、津久見、臼杵の被害の様子を見るにつけ胸が痛みます。水が引いた後の泥が残った 道路や家屋、庭、駐車場・・・。どれだけひどい状況だったのでしょう。被害にあわれた方々にお見舞い申し上げますが、今は、皆さんの心を折れないことを 祈っています。
 床下、床上浸水した家屋は、1000棟との報道もなされていますが、まだ詳細は明らかになっていません。県下の1級河川である大分川、大野川、番匠川の 決壊こそありませんでしたが、それにつながる支流から水があふれてしまっています。日頃は、川底をちょろちょろと水が流れている様子を住民の方は毎日のよ うに目にしていたでしょうが、その水かさが瞬く間に上がり、一気にあふれ出したのですからどれほどの恐怖だったでしょう。
 
 7月に被害にあった日田と同じように、津久見や佐伯にもボランティアが入ることが求められていくのだと思います。
 
 
 山尾志桜里議員の文春砲には、ショックでした。
 不倫問題がではなく、これからの日本の政治に必要な人が抹殺される構図が残念でしょうがありません。
 週刊誌は芸能人や著名人のスキャンダルをネタに購買数を増やすという大義名分があるのかもしれません。読者は「他人の不幸は蜜の味」なのかもしれません が、ここまで執拗に隠し撮りをし、不倫を暴き立てることが必要なのでしょうか。さらにこの件をもっともらしく意見しているワイドショーのコメンテーターが 人の家庭の中まで踏み込んで、もっともらしく意見を言っている姿を見ていて、気分が悪くなりました。
 山尾氏は不倫を認めたわけではありませんが、一切の質問も受けなかったことは残念でした。脇が甘いと指摘する声もありました。不倫には多くの人たちが眉 をしかめるでしょうが、彼女のあの頭脳明晰な、畳み掛けるようなまっすぐな意思、情勢分析が的確で、聞いている人をうならせるような表現力は誰でもができ ることではありません。なかなか出てくる存在でもありません。同性である女性からの支持も高かったと思います。日本の政治にとって大変な損失だと思うので す。
 
 新聞報道によると総理が、臨時国会冒頭に解散総選挙を行う。と言われています。
 衆議院の選挙が、任期を待たずに行われるだろうということは、多くの人が思っていたでしょう。それが近いのか、来年なのかは分からなかったのですが、どうして今なのでしょう?どこに莫大な税金を使い、政治に空白期間を生じさせてまで総選挙を行う大義があるのでしょうか?
 またしても総理の勝手な政治手法なのではないでしょうか?
 
 臨時国会の中で、森友問題や加計問題、日報問題を再び追及されることを恐れたのでしょうか。僅かな回復傾向にある内閣支持率がまた落ちることを恐れてい るのでしょうか。政権野党である民進党の離党が相次ぎ、基盤が揺らいでいる今の時期の方が、衆参両議院の議員数を出来る限り確保できる計算となるのでしょ うか。「憲法改正」の発議に必要な議席数を確保しておきたいのでしょうか。
 2年前の今日、安全保障に関する11の法案が強行採決されました。いわゆる「戦争法」が成立した日です。国民の多くが反対し、懸念を抱いていたものを総理が強行的に決めさせたのです。「共謀罪」についても同じです。
 あの暑かった夏の日。私たちは何度も何度も街頭から訴え、集会を持ちました。
 そこには、おばあちゃんが、おじいちゃんが、子どもを抱いたお母さんやお父さんがいました。大学教授も弁護士も医師も働く人たちもいました。
 
 朝から大分駅前で街頭宣伝をしました。夕方にも行いました。
 残念なことに、2年前のような熱気はそこを行きかう人たちからは感じ取ることができませんでした。
 
 しかし、
 自分の考えだけを優先させ、国民の苦しみやきつさを理解しようとしない国の最高責任者としての資質が欠落している人に対する私たち有権者の意思を伝える選挙にしたいと切に願っています。
 

2017 8.27  今年の夏は
 
 庭の草が伸びています。しかも広くはびこってしまっています。
こまめに草取りをしていたのは、7月までで、その後は忙しさと暑さで手が回りませんでした。そしたら「とほほ・・・。」状態です。もう何とかしなければなりません。
 
 あまりにも暑い日が続いています。完全に日本は亜熱帯地方に分類されても良いと考えますし、福岡の気温の方が沖縄よりも高いんです。日によっては札幌か ら沖縄までが33度を超えると言う状況ですから、地球温暖化はこの異常な雨の降り方を考えれば、人類がまず早急に取り組んでいかなければならない課題だと 思います。
 
  8月の16日から19日まで沖縄にいました。
全国の自治体議員の会議があったのですが、沖縄の「子どもの貧困対策」や「基地問題」も学んで帰ってきました。
 沖縄の子どもの貧困問題は厳しく、全国の貧困率が14パーセントなのに対して29パーセントくらいあります。そこで翁長知事が先頭になって地域の中で子 どもたちを支える体制づくりや福祉と教育が連携して支える関係づくり、何よりも就学援助費が必要な人にきちんと行きわたるようにテレビやラジオを使って、 周知される努力を昨年から続けています。児童養護施設の子どもたちが進学時に苦しまなくて良いようにと企業からの返還不要の奨学金制度も創設しています。
 その取り組みにより、子どもたちの学力状況も向上しています。
 それは決して、大分のように学力テストの結果を良くするために教師も子どもも追いつめるような方法ではないようです。
 トップがどこに力点を置くかで施策の方法や方向性が違ってくることを現実として学んだ気がします。
 
 沖縄の貧困のベースにあったのが、基地問題でした。
 太平洋戦争時、沖縄本島すべてが戦場と化し、4人に1人が亡くなりました。その後、基地(日本にある米軍基地の74パーセントが沖縄に集中していま す。)があり続けた歴史が背景にあります。環境破壊、騒音問題、米兵による暴行や女性に対する暴力が、日本復帰を果たした1972年以降もずっと続いてき ました。
 「基地のお陰で沖縄は成り立っている。」と思っている人も多いのですが、それは間違っています。基地依存度は、昔は54パーセントほどありましたが、今は、4パーセントほどです。
 実際沖縄にいると、外国からの観光客の多さに驚いてしまいます。ホテルで朝食をとっている時も国際通りを歩いている時もモノレールに乗っていてもそのこ とを感じます。アジアからのお客さんが多いのですが、もう沖縄は観光県として立派に成立しています。日本中で東京などの大都市を除いて人口減少が行政の大 きな課題になっていますが、沖縄では、毎年人口が増え続けています。
 
  普天間飛行場の機能をキャンプシュワブに移そうとする政府と真っ向から対立している沖縄です。名護市の海はそのために埋められようと工事も 始まっています。そのことに反対して、キャンプシュワブ前のゲートでは、連日反対の座り込みがもう3年以上続いています。





 私も座り込みに参加しました。太陽を遮るものは何もなく、炎天下の中での行動は、体力的にもつらいものでした。ましてや「共謀罪」が成立し、どんな風に 監視されているのかわからず、少しでも権力側に手を出したら「公務執行妨害」で検挙されるかもしれないのですから、機動隊との対峙は厳しいものでした。私 は、1日の中の僅かな時間を使っての参加ですが、平和を求める沖縄の人たちはこれを連日続けているのです。頭が下がります。
 
 
 オスプレイが墜落した「安部海岸」や20歳の女性がジョギング中に元アメリカ海軍だった兵士に拉致され強姦され殺されて遺棄された場所にも行ってきまし た。遺棄現場には、多くの花や飲み物が供えられていました。突然襲われた女性の無念さを想います。彼女のお父さんは「基地がある限りこのようなことは終わ らない・・・。」と言われていたそうです。
 
 沖縄県と日本政府が対立していることは、日本中の多くの人が知っています。
 沖縄の抱える問題を自分たちの課題としてどう受け止めていくのかそれぞれが考えていかなければならないのではないでしょうか。
 普天間飛行場が移設されても、沖縄の基地負担率は減少しません。沖縄の痛みを分かち合うと唱えながらです。アメリカ軍は世界中で兵力を縮小し、グァムへの集中が行われているのに、日本では、いろいろな基地でオスプレイ配備が行われようとしていることも大きな問題です。
 
 今年の夏の出来事を綴っていたのにいつの間にか、基地問題ばかりになってしまいました。
 
 今年の夏、「高等学校定時制・通信制教育の全国大会」に参加して感じたことや20年ぶりに開封した「タイムカプセル」については、またお知らせしようと思います。
 マメにときどき日記を書かないからこんなことになるんだと反省しています。
 
 雨が少し降りましたが、まだまだ暑い日が続きそうです。
 健康を過信せずに、皆様お気をつけください。
 


2017 7.15  災害発生から11日
 
 7月5日夕方から激しい雨が降り始めました。
 外では雷が立て続けに鳴っていました。私は、会議をしていましたが、参加者の携帯の警報が微妙な時間差で鳴り響き、会議はたびたび中断されました。
 夜、テレビからは、「命を守ってください!」とアナウンサーの普段とは違う緊張した声が聞こえてきて大きな災害にならなければ良いがと案ずるばかりでした。
 
 11日経った現在、大分県の被害は、死者3名、全壊した住宅15棟、半壊した住宅11棟、床上浸水96棟、道路被害報告583か所、そして避難されている方が174人と報告されています。冷房設備のある避難所へと5回も避難所を移動した方々もいらっしゃいます。
 大分県下では日田市が最も厳しい状況ですが、福岡県の朝倉市の被害が大きく死者が30名以上出ています。未だ行方不明者の方が十数名いらっしゃいます。
 
 県議が単独でまた会派で災害当初に現地に入ることをしないようにと、議会で取り決めをしています。私たちが現地に伺うと振興局の方や市の職員の手を煩わ せてしまい、災害復旧の妨げになるからです。私たちは議会事務局からの災害情報を毎日受け、委員会ごとにどんな支援が必要かを考えていました。
 
 7月13日、社民党の吉田党首と吉川代議士が日田市、朝倉市に入るのに同行しました。案内して下さったのは、現地の社民党関連の県議や市議の方々です。
 
 日田で降った雨量は、これまでで最高だったそうです。孤立地域までは何とか道路が通れるようになっていますが、準孤立は続いています。やはりこの暑さで被災者も支援している人も疲れ切っています。特に市がやることが多く、直接住民の方に対応する職員の疲労も心配です。



 5年前の九州北部豪雨の時に被災した河で、今回も3か所堤防が決壊しました。久大線の花月川にかかる鉄橋の橋げたは、まるでナイフで切り取ったかのようにすぱっと壊れて横たわっている姿に水の勢いがどれほど強かったかを思い知らされました。
 途切れてしまったレールだけが残っています。JRによると復興までに3年もかかると言われています。
 


 小野地区の山崩れの様子です。
 土砂ダムが決壊したら大変なことになるとみんなが心配していました。今、ダム湖にホースをつなぎ、たまった水を流していますので、決壊の恐れはなくなりました。しかし、土砂ダムの下に住んでいた方たちは長期の避難が続きそうです。
 
 私たちが訪れた日に自衛隊の撤収が行われました。孤立した人をヘリコプターで救助し、物資を届け、仮設のお風呂も準備してくれた自衛隊の活躍は大きな支 えでした。今後は生活再建への道をみんなで協力して作らなければなりません。我が家に帰れない人たちのために、県営、市営、県職員住宅、民間住宅の借り上 げで対応していくそうです。
 ボランティアも150人くらい毎日訪れてくれています。物資も足りているそうですが、やはり皆さん着の身着のままで逃げていますので、命が救われたら次 の行動への準備が大変です。ましてや長期の避難、我が家を失うかもしれない人たちの将来に対する不安は日増しに大きくなっていくことが予想されます。
 
 
 高速道路を杷木インターで降りると、その景色の壮絶さに言葉を失いました。



 道路の両側は、取り除かれた泥が高く積まれています。家に入った泥をボランティアの人たちが汗びっしょりになって掻き出しています。泥に浸かった畳や家 具が運び出されています。車が通るたびに土煙があがります。山から出た土砂と流木がどれほどおびただしい量だったかと理解できました。
 






 特に被害が大きかった場所が、杷木地区です。山間の小川が流れていたのどかな田園風景はもうありませんでした。家もありませんでした。軽トラックが土砂に埋まっていました。「こんな大きな木が!」と驚くような丸太がそこかしこに積み上げられています。
 自衛隊の方と西日本各地から応援に来た消防職員が、人海戦術で行方不明者の捜索を根気強く続けている姿にただただ頭が下がります。
 何もかも流し尽くし、土砂で平らになってしまった広大な面積の場所ですが、重機を使うことはできません。
 その様子を見ながら、東日本大震災を思い出していました。
 
 自然を相手に、人間がいかに無力かと思い知らされます。不幸に見舞われた人たちとたまたま線状降水帯の地域に当たらなかった私たちです。あまりに理不尽 だと感じます。災害は、激震災害に指定され、交付税措置され、すぐに復興に向けての支援が始まりますが、地球温暖化対策、森林対策も将来の人々のために早 急に取り組まなければなりません。
 
 朝倉市の上水道は壊滅状態です。ですから市民の皆さんは水道が使えず、給水車を待たなければなりません。水、電気、道路インフラ整備が急務です。
 
 被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
 無念にもお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りしています。




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●2017年4月・5月・6
6.21 ひと休みして考えよう
5.27 本当に良いものを食卓に
5.6 6年目のフクシマ
●2017年1月・2月・3
3.29 なかなか訪れない春
3.4 とっても近い国「台湾」
2.12 災害の大きな爪痕
1.21 健康でいることのありがたさ
1.3 穏やかな年の初めに
●2016年10月・11月・12
12.12 この痛みはなぜ?
11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って
10.18 どうしても許せません
●2016年7月・8月・9
9.24 厳しい現実 ―台風16号被害―
9.7 行く夏
8.21 なつやすみ
7.26 分断されていく人々のこころ
●2016年4月・5月・6
6.30 今の平和をわざわざ壊しますか?
6.7 新しい判断
5.6 地震?!
4.9 見えにくい子どもの貧困
●2016年1月・2月・3
3.13 あの日から5年
2.23 スローフードと空き家対策
1.31 選ぶことのできない世界
1.15 4本のイヤダ!
●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜