ときどき日記


2019.12.29 暗中模索の中でも人とつながって
 
 「人目の多い駅前で、女性県議がうつむいて歩いていてはいけません。他人のことは言えませんが、背筋が疲れているのでしょう。」と月曜日の朝、知り合いからメールをもらいました。
 毎週月曜日の朝は、大分駅前で街頭宣伝をしています。駐車場に車を止めて【まもろう9条 いかそう憲法】と書かれたピンクののぼり旗を持って、横断歩道で信号待ちをしていた時にきっと見られたのだと思います。
 
 そうなんだ。「背中が曲がっている!もっとシャキッと!!」といつもつれあいに叱られますが、その回数も増えてきました。年を取ってきた証拠なのかもしれません。そういえば、足元もおぼつかなくて、ときどきよろけたりします。
 自己弁護をしていますが、もっと気力と体力を鍛えなければなりません。
 
 言い訳になりますが、月曜日のあの日は、心に重いものを抱え、自分の力ではどうもしてあげられないこと二つで頭の中はいっぱいでした。前の夜も眠れずに いました。そんな内面の心情が体からも出ていたのだと思います。でも、こんな厳しいことを言ってくれる人がいることが何より嬉しいことだと実感していま す。「ありがとうございます!Yさん。」
 
 
 今年も残すところあと僅かになってしまいました。
 いろいろなことが起こりましたが、政治の面では情けないことがてんこ盛りで、多くの人がまた政治から遠ざかるのではと不安を覚えます。「政治に何にも期 待していない。」と何度言われたことでしょう。政治って一番身近で人々が安心して暮らせるためにあるべきものなのに・・・・。政治不信というよりも政治家 不信というものが今も世間を騒がせています。
 そんな中で、香港で起こった若者を中心とした民主化運動、グレタ・トゥンベリさんが始めた若者たちの地球温暖化への抗議デモは期待できそうな気がしま す。日本の政治家は、教育の中に政治を持ち込むことを嫌う人が大勢いますが、民主的な自治、個人の意見をしっかり伝えることができる若者が育って行くこと が資源の無いこの国にとって大切なことだと思います。シチズン教育がもっともっと大手を振って認められる社会にしていかなければならないと痛感していま す。
 
 12月議会が終了したその日に、佐伯市に伺い、県民クラブの地域学習会を持ちました。
 宇目ではスイトピーとホウズキ生産に情熱をかけていらっしゃる農家に伺いました。
 船頭町では、若者たちが補助金も貰わず、古い家屋をリノベーションして移り住み、人と人がつながって面白いことをやっていこうとする情熱に心が揺さぶられました。
 平成の大合併で佐伯市は、九州一広い地域を抱えている市になりました。しかし、沿岸部や山間部の地域では少子化の影響で学校に通ってくる子どもたちの人 数は激減し、小中学校の統廃合が進んでいます。遠距離を徒歩で通えない子どもたちのために年間7800万円かけてスクールバスでの送迎が行われています。 サティーナブル(持続可能な)教育をめざし、外国語や社会教育施設を活用して遠隔教育に取り組んでいます。地域の人たちが学校の子どもを育てることに力を 注ぎ、地域教育コーディネーターは14名だそうです。
 「さつき園小島」は、障がいのある人たちが通ってくるB型作業所です。長年その活動を続けていますが、職員の人材確保や作業所で働く人たちの工賃の安 さ、移動支援やグループホーム入所の補助、食事提供加算の問題など多くの事を知りました。「弱い立場の人たちの声を伝えて欲しい。」と施設長に言われ重く 受け止めています。
 「ツリーハウス」はまだできて間がない施設ですが、児童発達支援事業を行っています。我が子に発達の障がいが見つかっても、県南部にはそれに対応し、援 助や指導してくれる施設はありません。みんな別府か大分の施設に親子で長い時間をかけて通っています。同じ思いを経験した親同士がつながり、子ども育て、 親育ちをしていました。









 多くの困難や悩みを抱えながら、一人で苦労せず、みんなで模索しながら前に進んでいく姿に教えられることがたくさんありました。このことをこれからの活動の一つにしていこうと県民クラブでは話し合っています。
 佐伯は、つれあいの生まれ育ったところです。もう両親はいないけれど私にとっては第二の故郷です。新たな発見もあり益々佐伯が好きになりました。このご縁を大切にしてまいります。
 
 
 学校に勤めていた頃、低学年を受け持つことが多くありました。
「少しだけ他の子どもと比べて幼いかしら・・・。」と感じる子どもたちがいました。親御さんと話し合いながら、その子が成長するためにはどう関わればよい のか。この傾向を個性と捉えて行こう。と話し合ってきましたが、成長するにつれ他の子どもたちとの隔たりや違いがはっきりとしてくる現実がありました。か つて一緒に勉強した子どもたちが、思春期になりまた働き出してから周りの人たちと上手く関われず、「発達障がい」と病名がつけられるケースにこのところ悩 んでいます。
 私が現役教員だった頃、「発達障がい」という言葉は聞きませんでした。LD(学習障がい)という名前が出てきた時期でした。
 どうしてこんなに発達に障がいを抱えていると診断される子どもが増えてきたのかわかりません。
 来年は、発達障がいと児童発達支援の学習から始めようと考えています。
 
 
 つたない「ときどき日記」を読んでくださりありがとうございました。
 どうぞ皆さまお元気で良いお年をお迎えください。
 


2019 11.27 中津は元気だ!
 
 だんだん寒くなっています。私にはつらい季節がやってきます。すでに寒さのせいか帯状疱疹の後遺症の神経の痛みが左腕に出ていて、「薬を飲もうか? いやいやもう少し我慢していようか?」と思案中です。
 朝新聞を開くとつらい記事が目に飛び込んできました。福井県の70代の女性が、高齢の義父母と夫を殺してしまったというニュースです。義父母はともに介 護が必要で、夫も体が不自由だったそうです。70代の女性は、介護と仕事をやっていたそうですが「もう疲れた。」と供述しているとか。介護は家で受けるの が理想と言われているけれど、また起こってしまった「介護殺人」に言葉が出てきません。
 
 12月13日から14日に中津に行ってきました。
 県民クラブでは、県下のいろいろな市を訪問し、現地調査をしています。
 今期の最初は、中津市です。
 
ダイハツ工場
ダイハツ工場が前橋から移転してもう15年になりますが、私は初めて工場見学をしました。敷地は埋め立て地ですが、騒音が出ないように特別な堤で囲われて います。生産台数は、月に41000台。従業員は4000人。67パーセントが正社員です。平均年齢は、35,3歳で2交代制で働いています。地元採用・ 地元貢献に力を入れているそうです。
 組み立て作業は、ロボットがアームを伸ばして行われています。工場内の写真撮影はできませんでした。
 始めて入社した人も1か月くらいの研修でラインに立つそうです。インドネシアとマレーシアにも工場があり、そこからの技能研修生も来ています。
大分県の北部は、自動車部品の工場が多く、調達した部品でここで組み立てて、すぐ近くの中津港から船で移送しています。
 
ベーベジ(パパイヤ農場) 


 「中津でパパイヤ?」と思ったのですが、本社は東京のベースボールマガジン社です。サッカーや野球などのスポーツ選手の現役時代は決して長くはありません。アスリートたちが第2のステージで働けるようにと考えて事業が始まったそうです。
 まだこの地に来て1年。田んぼの中にビニルハウスが3棟並んでいます。パパイヤの成長はものすごく早くすぐに大きな幹になり、脇芽も出てくるので管理を 怠ることはできません。現在、新潟のサッカーチームでフロント業務に携わっていた若い方が、近所のおじいさんのアルバイトの手を借りて仕事をしています。 「正直僕も休みが欲しいです。」と本音を聞かせて頂きました。
 パパイヤは、県や市の戦略品目にはなっていないので、助成は受けられないそうですが、青パパイヤは酵素が多く含まれ、1か月程保存もでき、立派な健康食品だそうです。タイの人たちは好んで食べ、今後そういう人たちも含めて県下に拡げたいと語っていました。
 1つ頂いて帰り、細い千切りにしてツナと合わせてサラダにしてみました。大根のようにすりおろして、サバの味噌煮に添えてみましたが、これは美味できっ と酵素がたくさん吸収できるだろうと感じました。味もないけれど苦みも臭みもありません。繊維質が多くきっと体には良い食品なのでしょう。
 
耶馬渓金吉




 崩落事故が起こったのは、1年前の4月11日です。山の地下水は山崩を起こし、4軒の家を押し流しました。尊い6名の方の命が失われました。昨年の秋に 訪れた時には、周りを土砂で囲まれた家がありましたが、もうそれも撤去されていました。中津土木事務所の方に説明をして頂きましたが、1年半の間に崩れた 幅200メートルの山肌は、特殊な工法でしっかりとコンクリートで覆われていました。「中津土木、あっぱれ!」ですが、常に危険にさらされた現場です。事 故発生当初から現場にいる方のご苦労がしのばれました。
 
中津少年学院 


 中津に少年院があることは知っていましたが、これまで行くことは叶いませんでした。中津選出の馬場県議のご尽力で今回伺うことができました。ここは法務 省矯正局の管轄で、情緒未完成で非社会的な行動をし、社会的に不適応が著しい少年だけが入所しています。定員は90名。このような施設は全国に3箇所だけ です。柳川院長はこれまで少年院を11回も転勤されてきたベテランです。
 私たちは、10年ほど前、大分刑務所を訪問したことがありますが、刑務所が罪を犯した人を懲らしめる施設だとすると、少年院は社会復帰をめざす施設ということになります。高い塀に囲まれている訳ではなくきわめてオープンな施設です。
  • 職員は52名。
  • 入所している子どもが減っているということは、非行が減っているということ。
  • 窃盗や性犯罪が多く、教育期間は約11か月。14歳から19歳までの子どもがいます。4割が母子家庭だそうです。
  • ここで高卒認定を受けられます。1対1で子どもを支えています。
 課題は、出所後の子どもたちの境遇です。
  • 7割の子どもが将来福祉に支えられる傾向。
  • 2割の子どもが家には帰れない。
  • 地域定着支援センターで相談し方向性を探っていますが、性犯罪や放火を犯した子どもは難しいそうです。
  • 親との関係、地元に返すと昔の仲間が引っ張るので最近は地元に帰れる子どもが少ないそうです。
 
中津市歴史博物館


 11月1日にオープンしたばかりです。中津城の石垣が見える所に建てられています。石垣シアターがあり、中津城下の成り立ちを美しい大画面で見ることができます。子どもから大人まで楽しく体験学習できるプレイスタジオやカフェもあります。中学生以下は無料です。
 
中津市身体障がい者団体との意見交換 
 限られた時間の中で多くの意見をいただきました。
  • 側溝のふたが割れていたりすると白杖が入ってとても危険。
  • 手話言語条例ができたのですが、黒田官兵衛資料館のDVDには字幕があったがなくなっている。担当者が代わってその都度要求しなければならないのは大変。新しくできるものには、字幕を付けてほしい。
  • 駅のバリアフリー化を。東中津駅は、市の配慮で時間を決めて人を配置している。駅に誰かがいることが安全。県や市の補助事業でできないか。
  • 知的障がい、自閉症の子どもが地域で生活するのにハードルが高い。
  • 知的障がいの人向けのアンケートや説明文はわかりやすい文章にしてほしい。
  • 重度介護訪問センターは慢性的なヘルパー不足。地域で生活を送りたい人を支えてほしい。
  • 支援者の待遇面もよくない。高齢者の支援が主になるが障がい者の支援・養成講座も開いてほしい。
  • 中途失明者歩行訓練士の要請をしてほしい。
 
中津漁港
 卸売市場が自己破産したことを受け、小祝漁港内にある荷捌き場を臨時の魚市場として水揚げされて魚を処理している状況が続いています。
  • 3月29日から相対取引をしているが設備が整っていない。水槽がないので夏は魚が悪くなる。冬は死んでしまう。
  • 照明が暗く、魚種が少ない。セリができずくじ引きでやっている。
  • 養殖物の仕入れがむつかしい。
  • 古くからのお客さんを持っている人は、急な品が欲しい時にルートがない。
  • 生きている魚を持ってこなければならないので困っている。
 
 たくさんの困りをお聞きしましたが、一日も早い市場の再開のために何をしなければならないのかを考えています。公設民営化が理想なのでしょうが、そんな ことは望めません。150人の漁業者と近くの漁業者がいます。少し離れたところにある干拓した広い場所に市場を造ったらよいという意見もでましたが、中津 市がどう取り組んでいくのか、その方向性が出たら県も支援がしやすいのではないかと思います。
 
 二日間の中で、多くの人に会いたくさんの課題をいただきました。
 馬場県議を中心に県民クラブでできることを模索しながら課題を抱えている方々の解決に取り組んでいかなければならないと痛感しています。
 
 私たちが宿泊したのは、駅の近くのビジネスホテルでした。
 朝食の時、「こんなにたくさんの人が宿泊しているのか!」と驚きました。
 作業着を着ている人がいます。スーツ姿の人も、バッチを付けたどこかの議員さんらしい人も、ご夫婦で旅行中のような人も・・・・。
 中津は元気だ!と感じました。
 


2019.11.1 ラグビーワールドカップの余韻

 
 朝晩がすっかり涼しくなりました。
 私たちは、安全なところで生活できていて、季節の移ろいも感じることができますが、台風15号、19号そして大雨によって甚大な被害に遭われた千葉県や 長野県、福島県、茨木県の皆さんのお心を想う時、言葉で表現できない苦しさを感じます。お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします。
 福島県のいわき市、南相馬市は、東日本大震災からの復興途中です。またしても水害に見舞われています。千葉県では、台風15号で被害に遭ったお宅が同じ ような被害に遇い、「もうここには住めない。」と言われる住民の方の悲痛な声を聞きます。「もう農業はやめにする。」と言われる専業農業の方々。どれほど 絶望の淵に立たされていることでしょう。
 
 今年の台風は、予想進路より少しだけ東に偏りました。ですから、大分県に被害は出ませんでしたが、もしももっと西寄りのコースをたどっていたら、私たち の住む町があのような状態になっていたのだと理解できます。100年に1度と言われる災害が、毎年のようにいえ毎月襲ってくるのですから、ちっぽけな人間 は予測ができても、シミュレーションができても逃げることができません。
 海水温が2度も上昇する地球温暖化にもっと真剣に取り組まなければ、地球上が災害に見舞われてしまいます。すでに干ばつや森林火災はいたるところで起き ています。スェーデンのグレタさんの言葉をもっと深刻に受け止めなければなりません。一人ひとりが何をしていくのかを考えて行きましょう。
 
 
 10月21日に熊本で「自治体議員団九州ブロック会議」が行われるので、早めにソニックと新幹線のチケットを買いに行きました。いつもなら簡単に取れる 大分・博多間の指定席が取れませんでした。「大分は、始発だから自由席に乗ればいい。」と安易に考えていましたが、当日の朝、大分駅に行ってびっくりで す。RWCの試合を観戦した外国からのお客さんが、前日の試合を終えて、移動する最中でした。始発ですから私は席を確保できたのですが、列車が別府駅に着 くと、外国からの客さんで長蛇の列。皆さん、身体も大きいけれど、大きな荷物を持っています。



 駅に着くたびに、車内アナウンスで「通路にいらっしゃるお客様は中にお詰め下さい。」と言われるのですが、日本語なのであまり効き目はありません。自由席の車内も連結部分も大きな人でぎっしりでした。
 列車は、結局、15分遅れで博多に到着しましたが、新幹線は待っていてくれず、既に発車していました。「こんな時は、JRは、臨時便を出し、増便すればよいのに・・・。」と恨みました。
 
 皆さんは、RWCをどこで観戦されましたか?
 私は、1日だけチケットが取れた10月5日のオーストラリア対ウルグアイの試合を大分ドームで観戦できました。
 シャトルバスを使わずに、試合開始時刻よりも3時間も早く車を寄せられる知り合いの所に置かせてもらい、歩け歩けで会場入りしました。ゲート前は人であ ふれていましたが、皆さんボランティアやDJポリスの誘導でスムーズに移動していました。ゲートも時間がかからず入ることができ、フードコートで食べ物が 不足することが予想され、食べ物の持ち込みが許されていたのでサンドウイッチとおにぎり持参です。





 今回の大分大会は、シャトルバスでの移送が上手くいくかが最大の課題でした。初日は、乗り降りに時間がかかり、お客さんもイライラされた様ですが、以後はスムーズにできたようです。別府や大分のファンゾーンは、人であふれかえり、入場制限もされました。
 こんな小さな地方都市で、準々決勝2試合も含めて5試合が行われたことは、名誉なことだったと思います。大会関係者やボランティアの方々の努力に頭が下がります。
 
 日本は、惜しくも強豪南アフリカに敗れてしまいましたが、フィジカルの面では決して強くない体の小さな選手たちが2メートルを超す選手たちに挑み、最後まであきらめない勇気や尊さを教えられた気がします。
 3度目の優勝を狙うニュージーランドのまさかの敗退に意気消沈しました。しかし、激しいぶつかり合いの後、ノーサイドで互いをたたえ合い、抱き合う姿が 印象的でした。明日の試合、イングランドが勝つのか南アフリカが制するのか。大分市内は外国のお客様もいなくなり、熱が少し冷めている感もありますが、見 過ごせないものです。
 
 ドームでの試合は終わりましたが、今後4万人収容できる施設をどのように活用していけるかも課題です。経済効果も大いに期待されていましたが、多くの県 外、海外からの観光客の方が「大分の食べ物は美味しい。」「自然が素晴らしい。」と言われていました。大分を好きになって頂いた方に今後どうやってリピー ターになってもらい、大分の魅力を発信し、インバウンドも含めたお客さんに来ていただけるかが重要です。そして、スポーツを通じて平和を築いていくことが 私たちに課せられているのだと考えています。
 



 
2019 10.6 この道もある。あの道もあるよ。
 
キンモクセイの香りがどこからか漂ってきます。
きっとお隣のお庭からなのだと思います。秋が来たんですね。一枝いただいてきて、うちに飾りたいところですが、オレンジ色の実(?)がぽろぽろとこぼれるのでそれはやりません。ときどきお隣に行って「かがせてね。」と甘い香りを味わっています。
 
 台風15号は千葉県にあまりに大きな被害を与えました。
 台風が去ってからの停電件数は、最初64万戸でした。早急に解消されるものだとこれまでの感覚で思っていました。しかし、2週間たっても停電が解消され ず、いまだに不自由な生活をされている方がいます。我が家の屋根が吹き飛び、電気もつかず、携帯も通じず、ガスの供給も止まっていたら・・・・・。絶望的 な気持ちでいらっしゃるでしょう。将来の生活に不安を覚え、お風呂にも入れず、食べることにも不自由を強いられていたらと思う時、想像を絶する世界だと感 じます。
 想定外の出来事に、初動対応が遅れたことは事実ですが、やはりあまりにも行政の支援・連絡体制がお粗末だと感じます。
 
 関西電力の役員が、2011年から7年間、3億2千万円もの高額の金品を受け取っていたという報道は、怒りを通り越してあきれ返っています。お菓子の箱の下に金の小判が入っていたというのですから、まるで時代劇の悪代官の世界です。
 立地提供する側にではなく、電力会社側に支払われている還流資金だというのですからさらに驚きです。電力会社は、指摘され非難されても役員は辞任しない というのですから、今の日本の政治状況にあまりに似ています。8年前の教員採用試験汚職事件を思い出します。あの時言われた「どこにでもある話」と言う言 葉。
 決してどこにでもあってはならないことです。東日本大震災以降、国民の原子力に対する考えは確実に変化しています。電力会社は、「原発は、重要なベース ロード電源」だと言われます。しかし、一部の業者が儲かり、還流されたお金は、電力料金に組み入れられているのでしょう。高圧的で絶対的権力を持っていた とされる原発推進派で原発立地に熱心だったとされる人は昨年亡くなっています。死人に口なしで、関西電力の幹部の人たちのコンプライアンスは問われないの だとしたらあまりにも国民を馬鹿にした話です。50万円もするスーツの仕立券であろうと、何千万円も超える金品であろうと許されることではないと思いま す。
 
 
「中野晃一講演会」

 9月28日に「立憲ネットおおいた」で中野晃一さんを招いて学習会を持ちました。テーマは「地方自治と立憲主義」中野さんは上智大学の政治学の教授をさ れています。「研究者である人間が、運動に手を出してはいけないのですが・・・・。」と言われていましたが、4年前の安保法制反対やそれ以降の国会を取り 巻く集会での運動にも学者として参加されています。
 テーマは、硬いのですが、お話はとても分かりやすく1時間半があっという間に過ぎていきました。私は、長い間胸につかえていたことがスーと抜けていくような気がしました。
 
 お話を要約します。
  • どうしてこんなことになっちゃたんだろう。1990年代、もっと自由で明るい社会が作れるのだと思っていたのに。
  • 民主党政権の後、安倍政権が戻ってきて「これは大変だ。」と戦後のまともな時代を知っているからこそ今思う。
  • あの加計学園問題の萩生田さんが文部科学相になるんです。
  • 安倍さんはピンポイントでお金をばらまく。非常にゆがんだ政治家が出てきている。
  • どこの時代からこんな社会になってきたのか。ゆがんだ政治家が出てきている原因は長い時間をかけてこんな状況は作られてきたから。
  • 地方の右翼が力を蓄えてきた。リベラル派や左派の人たちがのんびりしている。
  • 政治を変えて、世の中を変えて良くしようとは思わず、自分の中の問題を自己責任のせいにされ、若い人たちは、問題の本質から目をそらし、勝ち組になろうとしている。
  • 問題が多様化しているので、これだけやっておけばいいとは言えない。
  • 政治の劣化が起こっている。安倍政権はだめだと思っている人は大勢いるが野党もだらしないと思う人が多く、政治離れが起きている。それにより多くの人が諦めている。
 
 最後にこんなことを言われました。
「ベルリンの壁が崩壊した時に、希望が持てると思ったのに、あれから1/4世紀経ち、アメリカとメキシコの間に壁を作るという人間が現れた。」
 
 2015年の安全保障に関する法案に対する反対の気持ちを表すためにずっとみんなで行動してきました。気持ちは少しも変わっていないけれど、世の中で起 こる様々なことや現政権に対する憤り、その政権にすり寄り忖度する人たちの姿からは目を背けたくなることが多く、私はこの5年間疲れてしまっていました。
 
 先生の話を要約したので、わかりにくいかもしれません。抽象的かもしれませんが、私は、草の根で地方からやっていかなければならないのだと勇気づけられた気がします。背中を優しく押してもらえた気がします。
「この道しかない」とあるポスターには書かれていますが、「そんなことはない」「この道もある。あの道もあるよ。」と感じます。
 
 誰もが自分らしく生活できる暮らしを求めていくことが、政治に関わる人間の仕事だと思っています。


2019 9.13 静かな秋が訪れるはずなのに

 
 ここ数日、酷暑が続いています。
 「やっと涼しくなりましたね。」と先週はご近所の方と話していたのに、この暑さはどうしたことでしょう。車を運転していても肌がじりじりと焼けてゆくのがわかります。
 
 台風13号と15号はまたしても大変な被害をもたらしています。
 断水、停電、首都圏の交通はマヒし、成田空港には、次々に到着した飛行機から降りてきた乗客の方々が、先に進めず一時は空港内に1万7千人もの人が足止めされていたとか。私たちは、気象庁が発表する「50年に1度の大雨」と言う言葉をもう何度聞いたことでしょう。
 亜熱帯化していく日本列島で、生活の不自由を体験している方々が大勢います。千葉県では、冷房も携帯も使えない中で、自家用車で充電し、冷房を使って過 ごしている方々も多いようですが、家の中で熱中症とみられる症状でお亡くなりになっているお年をとった方のニュースには胸が痛みます。
 
 9月の初めに県外調査で三重県と東京に行って来ました。「高速艇」「と「移住政策」の調査です。



 三重県の津市から近鉄特急に乗り、名古屋で新幹線を乗り継いで東京へ。私が利用していた40年前は、名古屋東京間は2時間かかっていたのですが、今は1時間37分で行けるのですね。
 新横浜を通る時は、雨が降っていましたが、その日の夜、ものすごい雨が降り横浜が大変な状況になっていたことを翌朝のニュースで知りました。都市機能はゲリラ豪雨に太刀打ちできないのだと痛感しました。
 その翌日に大分に帰ってきたのですが、三重県桑名市では、1時間に101ミリを超す大雨が降り悲惨な状況になっていたことを新聞で知りました。
 被害に遭われた方々にお悔やみ申し上げます。
 昨年の北海道の地震、一昨年の九州北部豪雨では、未だに自宅の再建のめども立たず、避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされている方々が大勢います。
 いつ何時災害に見舞われるのかはわかりません。自分の命を守る方法、離れてしまったら家族との連絡の取り方をしっかりと考えて行かなければならないことが指摘されています。
 
 東京の街では、インバウンドの方と大勢すれ違いましたが、やはり韓国語を聞くことは少なかったです。韓国からのお客さんが激減して、どこの県でも観光面 では大変な打撃を受けている日本。政治・外交面での膠着状況は続いていますが、すぐお隣の国とどうしたら仲良くできるのかを民間レベルで考えて行かなけれ ばなりません。
 
 鹿児島県出水市でまたしても幼い子どもの命が奪われました。4歳になる女の子でした。母親の交際相手の男性からの暴力でした。県の児童相談所、市の児童相談所、そして警察も何度も声を出していたのに、母親の交際相手の存在が見えなかったとのことです。
 
 東京目黒で亡くなった結愛ちゃん。千葉県で亡くなった心愛ちゃん、そして今回の璃愛來(りあら)ちゃん。どの子にも「愛」という字が名前についています。
「愛おしい」「誰からも愛される子になって」そんな願いがあったはずなのに。
 結愛ちゃんを救助した救急隊員は「腕は骨と皮だった。」とその時の状況を伝えています。本当なら親になってはいけない人が、子どもを産み育てているのか もしれません。子育ての最中で困難とぶつかりながらも親として成長できない大人がいるということです。悲しみを通り越して憎しみさえ覚えます。どうしても 冷静ではいられません。
 結愛ちゃんの母親の裁判が始まっています。供述の中で「夫からの精神的DVに支配され、最初は結愛ちゃんへの暴力を止めていたけれど、止めるとさらに激しくなるので黙認してきた・・・・。」と報道されています。
 
 ドメスティックバイオレンスは恐ろしいものです。近代社会、文明社会が生み出した現象なのかもしれません。
 


 DV被害を受けてきた女性たちをずっと支援してきたNPO「えばの会」が大分市の委託を受けて DV防止啓発講演会を催します。

 身近にあるDV
 ――――暴力によってコントロールされる妻 子どもへの影響――――
 日時   2019年10月9日(水)
       13:30〜15:30
 場所   大分市コンパルホール400号室
 講師   西山さつきさん
 
 興味のある方はどうぞいらしてください!
 


2019 8.31 全日本少年野球大会
 
 雨ばかりで滅入ってしまいます。秋雨前線は、長崎や佐賀に大きな爪痕を残しました。あっと言う間に水が押し寄せてくる恐怖がどれほどかと思います。
 毎年のように雨での災害が起こっています。地球温暖化は線状になって次から次へと襲ってくる雨雲を避けることはもうできないのかと暗い気持ちになります。
 
 私の大好きな二豊学園の生徒が毎年参加していた「全日本少年野球大会」が今年は大分県が開催県だと5月にお聞きしました。
 事務局を引き受けた二豊学園の職員の方々は大変な様子でしたが、私は心待ちにしていました。
 
 初めて二豊学園を訪れたのは、議員になって半年ほどしてからのことです。二豊学園は児童相談所の一時保護所から措置された児童・生徒が入所している児童 自立支援施設です。誕生会に参加しました。誕生会の日には誕生日を迎えた人のリクエストの献立が用意されます。緊張しながらも学校にいる時のように楽しく お食事をいただきましたが、3つある寮の様子は厳しいものでした。外壁は今にも崩れ落ちそうです。昭和初期に造られたようなお風呂や洗面台、冬には隙間風 が吹き込んできそうな部屋・・・・・。「こんなところで生活しながら生徒が自立に向けて頑張ろうと言う意欲は持てるはずない!」
 
 議会で訴えました。すぐに知事が二豊学園に行ってくださり、しばらくして寮の建て替えが決まりました。県が行財政改革に取り組んでいる最中です。「3億円以上の箱モノは建てない。」と断言していましたが、知事の英断には心から感謝しました。
 以後、本館や体育館も建て替えられ、職員の配置も充実し、夜の体制も整えられてきました。竹中中学校の二豊分校として、学習環境も同時進行で整えられてきました。16年間、二豊学園に足を運び、いろいろな方に子どもたちの状態や抱える課題を教えられてきました。
 
 二豊学園の男子生徒を支えている一つに野球があります。女子は少ない人数ですがバトミントンに励んでいます。
 野球部は学園のグランドで練習をしています。毎年のように全国大会に参加し、5年前には全国大会優勝という快挙を成し遂げました。そんな野球大会が大分県で行われるということにわくわくしていました。
 
 しかし、前日からの雨!秋雨前線が居座っていました。天気予報はずっと傘マークがついていて、残念でしょうがありません。
 開会式は、雨のため別府アリーナで行われました。
 全国から各地区の予選を勝ち抜いた14チームが揃っています。約400名の生徒たちです。



 開会式後、4つの球場に分かれて試合が行われます。私は、二豊学園が試合をする別府市民球場に車を走らせました。しかし、雨は降り続いています。関係者 や応援団もずっと待ち続けるのですが、雨はどんどん激しくなってきました。お昼まで待っていたのですが、仕事の関係で球場を後にせざるを得ませんでした。



 せっかく二豊学園の子どもたちの試合を生で見られると楽しみにしていたのに本当に残念でした。
 しかし、大分県実行委員会チームはここから頑張りました。4会場のうちの別府球場はコンディションが悪く使用できなくなっていましたが、大分の2会場と 臼杵会場は雨の中、グランド整備をし、試合を行ったそうです。子どもたちも一緒になってそのグランド整備を手伝ったそうです。審判の方々は6試合をこなし てくださり、還暦野球の方々がボールボーイをしてくださり、オール県庁の野球部や福祉保健部、児童養護施設関係者の素晴らしい連携とチームワークで大分県 大会は大成功を果たし、全国からいらした児童自立支援施設の関係者を唸らせたのだと後になってお聞きしました。その試合に立ち会えなかったことが残念で す。
 
 別府アリーナで各県の選手を見ていました。ユニホームを着た少年たちはみんなどこにでもいるような少年たちでした。
 でも、子どもたちは、すでにこれまでの人生の中で自分の思いが成し遂げられない経験を十分にしてきたかもしれません。
 やんちゃをしたりしてきた子もいます。壮絶な人生を経験したり、しっかりと愛情をかけられずに大きくなったりした子どももいるでしょうが、この子たちをしっかりと見守り一人ひとりと向き合う大人が大勢いることをそれぞれの学園で生活する子どもたちは知っています。
 「全日本野球大会」はそういうことを知り、確認できる大会なのだと思います。この大分での経験がこれからの子どもたちと児童支援に携わる職員の方々の誇りになると信じてこれからも二豊学園を見守っていきたいと願っています


2019 8.6 風蘭とシステム手帳
 
 ときどき日記が、めったに日記になっていました。
 ふがいない自分を恥じながら、県議選以来まったくと言うほど時間がつくれませんでした。



 K先生から昨年頂いた「風蘭」が花を咲かせています。譲り受けた時「週に1回水をあげること、バケツに水を入れて、ざぶんとつけてあげればよろしい。」 と言われていました。その約束を守り、1年間、大事に育ててきましたが、5日前くらいから可憐な白い花が咲き始めました。細い花です。朝日があたる東側か ら咲き始め、今は南側の光が当たる部分に移っています。
 「風蘭」は亡き義父との思い出のランです。今の時期、佐伯に帰ると玄関には何とも言えない甘く優しい香りが漂っていました。それが風蘭でした。
 花が咲く頃に帰ると「純子さんこれを持ってお帰り。花が終わったらまた返しなさい。」と言って渡してくれました。何年それを繰り返したことでしょう。
 父が亡くなった後、その風蘭はどこかにやられてしまいました。私たちが遠くにいたので、片づけをしてくださった兄夫婦が誰かにあげてしまったのかもしれ ません。「あの風蘭の盆栽はどこに行ったのだろう。」と考えていた時にK先生から風蘭をいただきました。花が終わってもまた来年咲かせることができるよう にがんばろうと思っています。
 

 17日間に及んだ参議院選挙が終わりました。長雨と照り付けるような暑さの中で懸命に取り組んだ時間でしたが、私が願っていた人たちが当選を果たすこと ができ、正直ほっとしています。安倍一強体制を崩すことはできませんでしたが、改憲発議に必要な国会議員三分の二の要件を満たすことを阻止できたことは幸 いでした。総理は、国民に後押ししてもらって改憲への議論をすることができるようになったと言われていますが、なんとまたしても自分勝手な言いぐさでしょ う。国民の関心事は、社会保障や消費税や日々の生活の安定にあります。自衛隊を憲法9条に明記したいなどと多くの国民は意思表示していません。
 投票率が50パーセントを切ってしまうような選挙であったことが何より残念でした。政治に対する期待感は益々希薄になっているのでしょう。
 
 そんな中で、山本太郎さん率いる令和新撰組が特定枠で障がいを持つ二人の方を国会に送り出しました。正直想像もしていませんでしたが、8月1日の臨時国 会に向け議場のバリアフリー化ができました。お二人がどれだけの仕事に取り組んでいくのかは、未知数です。でも、これまで決して上がってこなかったことが 議論されていくようになることを期待しています。
 今の課題は介護保険を受けながら報酬をもらう仕事をしていく時の介護士への保険適応ができないことです。取り急ぎ現段階では、参議院が介護してくれる人への費用を持つようです。それに対しても高額の歳費が出るのだからおかしいと異論が出ています。
 
 障がいを持ち、支援を受けながら働いて収入を得ることができない実態。数年前、同じように若年性アルツハイマーを患い介護を受けながら就労することが難しかったAさんのことを思い出していました。
 
 障がいを持つ人たちが、当たり前にみなと同じように街に出て行く、働くことができる、アートやスポーツに挑戦できるヨーロッパでは当たり前にできていることが日本ではまだまだ厳しい現実なんだと思い知らされています。
 
 じょうじさんと久しぶりに駅でばったり会ったのは、五日前の事でした。彼は知的障がい者です。もう50代になっています。以前は、デパートの前でティッ シュ配りの仕事にしていましたが、今はその仕事もなくなりました。「平岩先生俺のこと覚えてる?」と聞きます。「もちろん覚えてますよ!」すると彼は「ま た一緒にご飯食べたいな!」と言います。
 以前住んでいた家に彼は時々遊びに来ていました。つれあいと一緒にご飯を食べました。家出をしてうちに来て話し合って送っていったこともあります。
 我が家の前の家の奥さんが、遠回しに「うちには若い娘が二人います・・・・。」と暗に障がいのある男の人が家の近くに来ることを非難したことがありました。あの時どれほど悔しかったことかと20年前のことが蘇ってきました。
 世の中は、すぐには変わらないかもしれないけれど、コツコツやっていきましょう。
 


 これは、16年前、初めて議員になった時に義理の弟が私にくれたものです。名刺もシステム手帳も扱ったことがない生活をしてきた私です。「なんだか重そ う。」と思いましたが、毎年カレンダーを入れ替えながら、16年間使ってきました。かなり年季が入っていますが、今では、なくてはならないものになってい ます。
 
 4月の統一自治体選挙、そして7月の参議院選挙まで多忙を極めていました。同時に議会で重要な役を担い、代表質問の準備に忙殺され、ひと月に及ぶ第2回 定例県議会は私の頭と心を呪縛し、仕事をしたり人に会ったりしながらまるで自分ではないような精神状態で過ごしていました。求められている姿と素の自分が 反目し合っていました。
 気が付くと屋外では、梅雨になりいつの間にかセミが鳴いていました。約3か月間心ここにあらずのような状況の中、必死で過ごしてきたような気がしています。
 
 もう1度原点に戻り、本当に自分がやりたい仕事、やらなければならないことを見つめ、やっていこうと思います。
 暮らしの中にある「小さなこと」を大切にする心をようやく取り戻せそうな気がしています。
 
 
 私に与えられた4年間。もう3年と8か月になってしまいましたが、恐れず謙虚に でも少し図々しく自分の仕事に邁進していきたいとようやく思えるようになれました。
 


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●2019年1月〜5月
5.6 戦い終わって・・・
3.15 あの日から
2.8 どうしてSOSが届かない
1.22 許せないのです
1.6 ボーっと生きてんじゃねーよ!

●2018年7月〜12
12.4 いつの間にか師走!
11.6 いつの間にか
10.18 駅ピアノ

9.14 おくすり手帳が手放せない
8.18 湯平に泊まりに行こう!
7.31 北海道は20度だった!
7.13 誰にでも起こりうること

●2018年1月〜6月
1.13 ローマ法王のカード
2.6 ぼつぼついこか
3.18 思いやることと忖度すること
3.31 桜の花をゆっくり愛でることができましたか
4.18 大分セブンス
5.7 たまには精進料理
5.31 保健室の先生  
6.15 いつになったら幼子の命が救えるのでしょうか


●2017年7月〜12月
12.29 胸が痛みます
11.26 442号は、みんなで取り組んで
11.5 誇りある青春
10.13 NO MORE VIOLENCE
9.19 2年前の今日「戦争法案」が強行採決されました
8.27 今年の夏は
7.15 災害発生から11日
●2017年4月・5月・6
6.21 ひと休みして考えよう
5.27 本当に良いものを食卓に
5.6 6年目のフクシマ
●2017年1月・2月・3
3.29 なかなか訪れない春
3.4 とっても近い国「台湾」
2.12 災害の大きな爪痕
1.21 健康でいることのありがたさ
1.3 穏やかな年の初めに
●2016年10月・11月・12
12.12 この痛みはなぜ?
11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って
10.18 どうしても許せません
●2016年7月・8月・9
9.24 厳しい現実 ―台風16号被害―
9.7 行く夏
8.21 なつやすみ
7.26 分断されていく人々のこころ
●2016年4月・5月・6
6.30 今の平和をわざわざ壊しますか?
6.7 新しい判断
5.6 地震?!
4.9 見えにくい子どもの貧困
●2016年1月・2月・3
3.13 あの日から5年
2.23 スローフードと空き家対策
1.31 選ぶことのできない世界
1.15 4本のイヤダ!
●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜