ときどき日記 2020 6.20 子ども 暑くなりました。マスクをしての行動もかなり苦しくなりましたね。 朝、玄関を開けると、ダンゴムシが何匹かセメントの上にいます。箒ではくところころと丸まりますが、死んでいるのもいます。そこには働き者のありが寄って来ています。「ダンゴムシ君、君たちはどこからやってきたの?」と夏が来ると毎年考えます。 8月のひかり 「8月のひかり」という児童文学を読みました。作者は中島信子さんです。 小学5年生の美貴は、お母さんと2年生の弟の勇希と3人で狭いアパートで暮らしています。 美貴は、スーパーのレジの仕事をしているお母さんに代わって、家事を担っています。小説の設定は夏休みの僅かな期間です。部屋にあるエアコンは以前の住人が置いていったもので、夜寝る直前にしか使いません。 お父さんは、以前はいましたが、お母さんに暴力をふるうので離婚しています。二人の子どもの養育費は払ってくれていません。 生活費は、体の弱いお母さんのパートの収入だけです。(生活保護を申請すれば……。)と思うのですが。それをお母さんは良しとしません。 夏休みの暑い日に、弟は学校のプールに行きます。お風呂になかなか入れないのでしょう。プールに行く弟に「シャワーで体をよく洗ってくるのよ。」と美貴 は後ろ姿に声を掛けます。このことから、学校でも「くさい。」と陰で言われていることが、想像できます。美貴には、夏休みに一緒に遊ぶような友達はいませ ん。以前仲良しだった二人の女の子は転校してしまいました。でも、友達が欲しいとは思いません。 美貴は、お母さんの代わりに弟と二人のお昼ご飯や三人分の夕飯の準備をするのですが、冷蔵庫の中には、ケチャップ、マヨネーズ、キャベツとやきそば麺と 納豆しか入っていません。その焼きそばを半玉ずつキャベツと炒めて食べ、納豆は50回から60回かき回すと量が増えたようになることを生活する中で知って います。 8月の暑すぎる部屋の中で、洗濯物をたたみ終えて、ぼんやりいろいろなことを考えます。そして、「アイスクリームが食べたいなあ。」と思います。 弟の勇希は、「カルビスをたくさん飲みたい!」「クワガタを飼いたい!」と子どもらしい願いを訴えますが、お母さんも美貴もその願いには、応えることができません。 勇希の学童保育で仲良しの大ちゃんは、父子家庭です。大ちゃんのお父さんは、美貴たちにフライドチキンを差し入れてくれ、江ノ島への海水浴に二人を誘ってくれます。 児童文学ですので、わずかな時間で読み終えてしまうのですが、読みながら自分が主人公の美貴と同化してしまい、美貴の気持ちになっていくのがわかります。 私が、小学生だったころは、今ほど子どもたちをめぐる生活の格差はなく、日本全体がまだまだ戦後の貧しさや厳しさを引きずっていた時代です。その当時の様々な生活を思い出しながら読み進めていきました。 そして、飽食の今の時代にこんな厳しい生活をしている子どもがいるという現実を突き付けられます。 「給食だけが栄養源」そんな子どもが世の中には大勢いることは事実なのです。現実として目の前に繰り広げられることは、衝撃的です。でもなぜか「愛」や「いとおしさ」「いじらしさ」を感じます。 8月9日の長崎への原爆投下のセレモニーや被爆者の体験談も教職員が熱心に取り組む「平和授業」も美貴のなかでは、大きな存在にはなっていませんでした。 ジャポニ 深夜、NHKのBSで「ジャポニ〜ネパール出稼ぎ村の子どもたち〜」という番組を見ました。 ネパールの山奥の村に住む9歳になる女の子ビピシャは、おばあちゃんとおじいちゃんとひいおばあちゃんと暮らしています。生まれて3か月の時から両親と 離れ離れです。両親は東京の池袋で出稼ぎ労働者として働いています。お母さんはホテルのベッドメイクと清掃をお父さんはカレー屋さんで働いています。お父 さんは7年かかって苦労して自分の店を開きました。しかし、それまでの道のりは厳しく働き詰めの中で腎臓を悪くし、人口透析を経て、腎臓移植をしていま す。 ビピシャには生まれた時から両親の記憶はありません。お母さんのお乳の代わりに水牛の乳を飲んで大きくなりました。おばあちゃんのことをずっと「お母さん」だと信じていました。 子どもを残して日本に働きに行く人のことをネパールでは「ジャポニ」というそうです。ヒマラヤ山脈を臨む緑しかないガルコット地方には、日本での成功を夢見て出稼ぎに行く親と残された子どもたちが大勢います。 身内が子どもの世話をしてくれる子どももいますが、誰も頼れない子どもたちはふもとの学校の寮で生活をしています。村には公立の小学校はなく、私立の小学校にビピシャも片道40分かけて通います。 寮のひと月の生活費は、日本円にすると約1万3千円ほどです。そのお金を出稼ぎに行っている親が仕送りしています。寮のお世話をしている人のひと月の給 料が6千円ほどだそうですから、子どもの教育費は、相当なものです。子どもたちは、「パパは大阪にいる」「ママとパパは東京にいる」とインタビューに答え ていました。 ビピシャの両親は、いつか娘を東京に呼び寄せて、一緒に暮らし、東京にあるネパールの学校に通わせたいと考えています。ですから1年に1度ビザが切れないように娘を東京に呼びます。 池袋の狭いアパートで、お母さんに甘えたいビピシャですが、お母さんは休みを取ることができません。彼女の心の中には、ネパールへの想いが強く、親子の会話はスムーズにいきません。 大都会の東京と小さな村を対比しながら、人の幸せや子どもの想い、幸せになりたいと必死に働く両親の姿をテレビは淡々と追っていきました。 グローバル化の中で、幸せって何なんだろうと考えずにはいられない二つの物語でした。 小学校に勤めている時に、2年生の子どもたちと「アジアで働く子どもたち」という内容で学習をしたことがあります。 フィリピン、バングラディシュ、インドネシア、タイ、マレーシア・・・・アジアの国々には貧しさの中で学校に通えない子どもたちが大勢いました。 スモーキーマウンテンのごみの山で、売れるものを探す子ども、危険と隣り合わせのガラス工場で働く子ども、ストリートチルドレン、家庭崩壊や貧困のため に軒下や路上に段ボールを敷いて寝ている子ども、物乞いや物売り、83パーセントの子どもが栄養失調で62パーセントの子どもが低体重でした。 麻薬や犯罪に手を染めてしまったり売春したりという話は、どうしても伝えることができませんでした。 子どもたちと学んだのは、今から24年も前のことです。現代「子どもの権利条約」も批准されている中で、世界では子どもの置かれている状況は、あれから 全くというほど好転していません。さらに貧困の格差は拡がっている状況を改めて実感しながら、「子どもが当たり前に大切にされ、安心して大きくなるために は何をしなければならないか」そんなことを考えています。 2020.6.3 大切にしたいこと 6月1日は妹の誕生日でした。 私は3人兄弟の長女です。2歳下の弟がいます。妹は7歳年下になります。気が付くと、母が私たちを育ててくれていた時期の年齢をとうに過ぎてしまいましたが、50代になっても妹であることにかわりません。 妹が赤ちゃんだったころ、私はものすごく可愛がっていました。妹が産まれた時のことは何も覚えていなくて、どこの病院で産まれたのかも記憶にないのですが、赤ちゃんだった妹の存在が嬉しくてたまらなくて、友達が遊びに来てもよく妹を抱えていたことを覚えています。 外遊びをしていても、その赤ちゃんを抱えて出かけていました。しかし、小学生の私には、いくら赤ちゃんでも重かったのです。時々腕からするりと落ちてし まいました。頭も打っていたかもしれません。その出来事を母に正直に伝えることができず、私は妹が正常に育つかということを大きくなるまで心配でたまりま せんでした。絵本を読んであげ、寝付くまで添い寝をしていたこともついこの前のような気がします。 妹が幼稚園に入ると母は働きに出ました。ですから妹はかぎっ子でしたが、その頃は私も中学生になり、気持ちが外に向いてしまっていて、あまり彼女のそば にいなかったような気がします。ずっと大人になってから、妹が「あの時は寂しかった。〇〇ちゃんのお母さんは、家にいるのに私のお母さんはいなかっ た・・・・・。」といった言葉がぐさりと胸に刺さりました。 二人の男の子を育て、今では、孫が4人いるおばあちゃんになった妹ですが、私にとっては、いつまでも妹です。父が亡くなった時、妹はまだ20代でした。「この子を父親のいない子にしてしまった。」とつらかったことをつい昨日のことのように思い出します。 最初から私的なことを綴ってしまいましたが、新型コロナウイルスの影響でステイホームしていた時期が長く、今年は家族のことを考える時間が多かったからなのかもしれません。 皆さんも身近な人のことを大切になさってください。 緊急事態宣言が5月25日に解除になりました。少しずつ以前の生活を取り戻している状況ですが、北九州市では、クラスターが発生し、油断はできません。これまで通りコロナにり患しない生活様式を続けていかなければなりません。 今回のコロナは、私たちにいろいろなことを考える機会となりました。 マスクが足りなくなり、ドラッグストアには長蛇の列ができ、転売されたそれは信じられない高い値段で出回りました。多くの商品や部品が外国で作られていることをみんな知っていましたが、改めて食料も含めて日本の自給力の低さが露呈されました。 できすぎた三つ葉は市場に出されることもなく廃棄されていました。小松菜をトラクターで踏みつけて処分している様子がテレビで放映されていましたが、あ まりにつらい映像でした。丹精込めて作った作物を自らの手で処分しなければならない農家の人たちの思いを考えるとき、お金の問題だけではなく、怒りや悲し みは想像を絶するものがありました。 グローバリゼーションが進み、地球規模で人が動くことは、素晴らしいことのようにもてはやされていたのに、逆にそのことが感染拡大を速めてしまいました。 東京一極集中の問題もはっきりと露呈されています。 感染が広がるとどの国も自国主義を取り始め、国と国の間に境界線が生まれそれは日増しに高くなってきたように感じます。EUは一つと謳っていたヨーロッパの国々でそれは顕著にみられました。 「新しい生活様式」と言われています。これまでの生活のままでは、再びこのような惨事に見舞われると同じことの繰り返しになりますので、今回のことを教 訓にしてこれからの社会や経済や文化の在り方を考え直さなければなりません。その場しのぎのやり方では解決できないことをみんなで共有していきたいと思い ます。 新型コロナウイルスは、いつだれがかかってもおかしくない病気です。抗体はいつできるのかもわかりません。今世の中で起こっている「自粛警察」や「同調圧力」のおかしさを今こそ私たちは自身の課題として受け止めていきましょう。 もう一つ、コロナウイルス感染に伴って残念なことがありました。 県庁の新庁舎の13階に「レストラン豊後」がありました。バイキング形式で大分産の野菜や食材を使ったお料理を食べることができました。料金は、1回 650円。県庁の職員さんや私たちが毎日通えるような値段ではありませんが、私は時々エレベーターに乗って13回に上がっていました。議会傍聴に来た方や 県庁での研修がある人、近所の高齢のご夫婦や幼稚園のママ友が子どもを連れて来ていました。何せ6歳以下は無料なのですから大人気でした。 13階からは、別府湾に入港する大型フェリーや大分の市街地、国東までの山の稜線も晴れた日にはよく見えて、絶景ポイントでした。 しかし、新型コロナウイルスの影響でお客さんの数は減ってきました。緊急事態宣言が出る前は、広いフロアーにわずか数人という状況でした。その後、休業していましたが、5月29日をもって店を閉じることが決まりました。 閉店が決まってから休業していた店ですが2週間だけ営業が行われました。その時は、大盛況でお皿に乗ったパスタや空揚げ、ポテトやカレーも足りなくな り、慌てて足しているという状態でした。チケット売り場には、長い列ができていました。皆さん、別れを惜しんでいたのですが「そんなことならいつも来てく れていればこんなことにならなかったのに・・・・。」と悔やまれました。 私は、「レストラン豊後」の「やせうま」が大好きでした。食事のしめはいつも「やせうま」を食べていました。「やせうま」は一番端っこの棚の上にあった ので、子どもたちの手が届かず、見学遠足で来た小学生やおしゃべりに夢中になっているお母さんにつれられた子どもたちのお皿によくつぎ分けてあげたことが 懐かしい思い出です。 お店の人と何気なく交わしたお話や笑い合ったことなどをしみじみと思いだします。「豊後さん、お世話になりました。ありがとうございました。」 大切にしたいことの一つです。 2020 5.5 何をしなければならないのか ゴールデンウィークが終わりましたが、新型コロナウイルスの影響で自粛が続き、ストレスをためてしまっている方も多いのだと思います。 我が家の近くの幹線道路も行きかう車の音が聞こえず、皆さんが行政の支持に従い出かけていないことがよくわかりました。 スーパーマーケットやドラッグストアには必要な人が買い物に出かけられているようです。レジにはシールドが張られ、お金のやり取りはトレイを使って、順番待ちの立ち位置まで示しているところもありました。 勤勉で誠実な国民性が生かされて、感染患者数の報告は、特定の地域を除いて確実に減っていますが、目に見えないウイルスで再度感染者を出し、クラスターが発生するとまた厳しい自粛が求められてしまうかもしれません。 商店や居酒屋、接客業、サービス業、運送業等を営んでいる方々のこの3か月にわたる苦しさを考えると想像を絶するものがあります。アルバイトや外国から働きに来ている方々も仕事が打ち切られています。他県では、「お金がなくて・・・」と悲しい事件が起こっています。 かつて小学校で一緒に勉強した子どもが居酒屋を始めたのは2年前です。お店を持つために魚屋さんで長いこと修業をし、市場に通い、魚の目利きもできるよ うになっていました。設備投資にかなりのお金をかけ、念願の居酒屋を兄弟で始めました。私は時々お店に通いながら「都町や府内町ではない、こんな場所にお 客さんは来てくれるだろうか・・・。」と随分心配しました。最初は、売り上げが上がらず、お店を閉めてから24時間営業のスーパーでアルバイトをしていま した。もちろん給料は出ませんでした。 時が経つうちに、徐々にお客さんは増えてきました。常連客も付き、2月までは、給料も出せるようになり、アルバイトもしなくてよい状態になっていました。借金を順調に返しながら、頑張っていた矢先に襲ってきたのが新型コロナウイルスでした。 お客さんが来ない日が続きます。それでも決して安くはない家賃は払わなければなりません。今は、休業しています。雇用調整助成金、生活福祉資金と考えられるものをすべて検討して、ずっている状況です。 誰かが悪いわけではないけれど、せめて家賃補償を県がやってくれると休業補償をしてくれると先の見通しが見えてくるのではと願いを伝えています。 私の周りで起こった、切実な事案ですが、このような方が大勢いるのだと思います。 県は少しずつ経済・社会活動の再開を示しています。学校も県立は5月11日から分散登校が行われます。市町村も地域によって違いはありますが、分散登校 が始まります。今までやったことがないことに取り組むのですから、現場の混乱は必至です。しかし、学校現場は、これまでどんなに理不尽だと思うことも児 童・生徒に負担をかけたくないと懸命ににやりこなしてきました。来週からその実情を見て回ろうと考えています。 9月入学説が叫ばれ始めました。でもそのことと今の教育現場が置かれていることは別問題です。学習できる時間を増やすことだけで考える問題ではないと思 います。ましてや9月入学を実施するためには、就職や会計年度など問題が起こります。様々な課題をすべて出し、話し合わなければなりません。早急に結論が 出せることではありません。 今は、カリキュラムを削ることを認めるのか。学習の機会と保障をどうするのかを考えさせてほしいと願います。 私は、家にいて、つれあいとけんかすることもなく無事に過ごせていますが、密室にいる中で起こるDVや児童虐待が心配です。 連休初日の良く晴れた日にお墓参りに行きました。 我が家のお墓は、別府霊園にあります。霊園にはその他、親戚のお墓が3基あります。お父さん、お母さん、じいちゃん、ばあちゃん、親戚のおじさんおばさん、早くに亡くなったお兄ちゃん、どうぞ見守っていてください。と願うしかできませんでした。 ふと顔を上げると由布岳が雄大にそびえていました。 緊急事態で、世の中の人のストレスも上がっているのだと思います。目をそむけたくなるような事象も生じていますが、こんな時だからこそ「同調圧力」に押しつぶされてはならないと願います。 家にずっといて、人と会うことが少なくなりました。人と会うと私はストレスを抱え込むことが多いのですが、それでもやはり人は人と関わりあって生きていくものだと実感しています。 2020 4.12 システム手帳が真っ白 今年の春は、ソメイヨシノが満開のころ、お花見はできませんでした。 議会の窓から城址公園を眺めていると、リボーン計画が終わり、広く歩きやすくなった歩道を行く人たちが、時折足を止め、桜の花にカメラを向けている姿をよく見かけました。お濠の水辺には、風に吹かれて散った桜の花びらが薄桃色に広がり、それは美しい光景でした。 これからボタン桜が咲き始めますが、その可憐さもじっくり眺めることができずに過ごすのかと思うと残念です。 新型コロナウイルスの感染拡大が、終息しません。 大分の感染者数は、42名になってしまいました。大分医療センターのクラスターがようやく収まったと思っていましたが、残念なことに竹田でまたクラスターが発生しました。でも、大分の発生は、感染経路がたどれるので、蔓延防止ができます。 東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡の感染者数は、日を追うごとに増え続け、予断を許しません。最も怖いのは、感染ルートが辿れないことです。 自覚症状がなく、り患していても気づかず、普段通りに活動している若い人たちが多いのだと思います。人口密集地域での人の動きが拡大につながっているので しょう。 政府が出した緊急事態宣言と自粛要請がようやく目に見える形で、人々の動きになって表れてきました。今週末の自粛要請に結果がついてきてくれると良いの だけれどと願っています。それにしても、緊急事態宣言から長い時間がかかりました。そして休業要請まで国と東京都で折り合いがつかない時間が流れました。 国は、休業要請が経済の後退に拍車がかかると不安なのかもしれませんが、今は、お金よりも命を守ることを優先にしてほしいと願います。まずは、休業要請し て、補償を出すべきだとずっと思ってきました。 不安になること 都の休業要請の対象がやっと発表されました。休業に協力した事業所には 「感染拡大防止協力金」が支給されるそうです。個人事業主はこれで少しは安心できるのだと思いますが、休業要請施設にネットカフェが入っています。密閉・ 密集・密接の3蜜の空間の除外の観点からだと思います。ただ、東京にはネットカフェに住んで仕事をしている人たちが、4000人いるのだそうです。その人 たちがこれから寝る場所を失ってしまうことになります。 軽症の感染者を病院以外の施設に入ってもらう措置が取られています。とりあえず、ネットカフェにいた人たちが路上生活者にならない方策を早急に作ってほしいと願います。 東京は日本で唯一交付税を国からもらわない不交付団体です。財力があります。 大分でも事業所、特に飲食を扱う店が、軒並み収入が途絶え、経営不振に陥っています。これまでの収入の2割から9割減っていると嘆く自営業の店主の言葉 が伝えられています。アルバイトやパートの人に休んでもらい、何とか店を開けているところがたくさんありますが、「家賃が払えない」という問題が直撃して います。 県が補正予算で、収入減の世帯に生活資金を交付したり、国が30万円の給付を行ったりと発表されていますが、それがいつなのかどうやって手続きすればよいのか戸惑っている人が大勢います。早急に生きていくための給付を行なわなければならないと思います。 感染拡大がひどい都市では、学校も休校になっています。大分県下では県立学校が再開していますが、義務制の学校の再開は市町村ごとに異なっています。感 染を不安に思い、県立学校の休校要請の署名活動を始めた高校生がいます。署名を受け取った県教育委員会は、「お聞きしました。」という姿勢ですが、今は学 力よりも命だと思います。自主的に登校しない生徒は、欠席扱いにはしないそうですが、その取扱いの返答もすぐには出ませんでした。 愛媛県で「医療従事者の子どもは、自主的に学校を休んでほしい。」といった小学校の校長がいました。何を考えているのだ!と怒りを覚えます。憎むべき は、ウイルスであり、ましてや最前線で病気と闘う人を支えている医療従事者の肉体的精神的負担を考えていればそんな言葉は出てこないはずです。医療崩壊の 危機が叫ばれている時に、こんな情けない思慮のない発言に憤りました。これはマスコミ報道で発表されたのでわかりましたが、こんなことが今、日本中で起 こっているのかもしれません。これから起こるかもしれません。 テレワークや休業のため家族が一緒にいる時間が長くなりました。こんな時に恐ろしいのが、DVです。DVに関する電話相談は行われていますが、相談件数 は減っています。夫がうちにいてDV被害にあっても相談の電話をかけられないのです。DVや虐待で不幸な出来事が起こらなければと深刻に考えています。 4月の時期は、入学式が多く、いろいろな会の総会も目白押しで、私は毎年多忙を極めるのですが、システム手帳は、キャンセル、延期、中止が続き、真っ白のページになってしまいました。 団地の総会は、公民館の窓を全部開放し、団地の人は、手を消毒して入場しました。椅子の間隔を開け、短時間で行われ、それはすっきりとしてかなり有意義だと感じました。 コロナウイルスが早く終息することを願いながら、私たちの日常を振り返り自分たちでできることを考えながら、みんなで落ち着いて前に進んでいきたいですね。私も気づく範囲でいろいろな不安を抱えている方たちの声を聴いています。 2020.3.28 コロナ?! 先週の土・日は東京では、桜満開の様子がテレビで放映されていました。 大分では、うっすらとつぼみはピンク色に染まっているようですが、まだ咲き始めていません。 議会の控室からお濠を眺めていると、広く整備された歩道を子どもたちが自転車で連れ立って走っている姿が見えました。 子どもたちももうそろそろ家にばかりはいられないのだろうなあ。と感じています。 2月28日の夜、突然政府から「学校一斉休校」と要請が出されました。新型コロナウイルスの感染防止のためです。 (大変だ! 今度の土・日はその準備で学校はてんてこ舞いになる!)と感じました。 3学期最後の学習のまとめをしている時期です。行事も残されているでしょう。卒業式の準備や練習もやっている最中です。公立高校の入学試験もあります。あらゆることが、頭の中を駆け巡りました。 国の要請を受けて、県教委は3月2日から県立学校の一斉休校を決めました。小・中学校はそして公立幼稚園は市町村教育委員会の管轄ですから、そちらにゆ だねられましたが、国や県の方向性に準じて、やはり休校となりました。大分市と豊後大野市だけは、子どもに納得いく説明をするということで、1日登校さ せ、3月3日からの休校としました。 自宅で過ごす子、育成クラブに通う子、おじいちゃん、おばあちゃんの家にコロナ疎開する子と様々でした。受け入れる育成クラブの対応は素早かったけれど、大変な負担を今も抱えていると思います。 約1か月がたちます。 私は、この間、いろいろな立場の人や学校関係者に話を伺うにつけ、改めて学習のまとめをする学校の3学期、3月というものがいいかに子どもたちにとって大事な時期かと教えられた気がします。 大人は、「しょうがないよね。」とどこかで自分を納得させます。でも、子どもは違います。誰にも反発できないけれど、心のどこかで不安感や焦燥感、くすぶった気持ちを持って生活をしているのではないかと心配になっています。 みんなで作り上げてきた卒業式の準備、呼びかけや歌声、友達や下級生や先生方とのお別れ、住み慣れた校舎への感謝・・・・・・。いろいろなことが突然で きなくなってしまいました。そんな時に「ごめんね。」と一緒に涙を流してくれる大人がそばにいることがどれほど尊いことかと、いろいろな話や子どもたちの 様子を聞きながら思いました。 ある中学では、卒業式に参加できなかった保護者のために、先生方が卒業式の様子をビデオに録り、それをDVDに入れて、各家庭に届けるという作業を連携しながら必死で行っているとお聞きしました。そのDVDはきっと子どもたちにとっては宝物になることでしょう。 シナリオ通りの修了や卒業はできなかったかもしれないけれど、限られた空間と時間の中でみんなの心が一つにつながったことを子どもも大人も感じることができたのではないかしらとも思っています。 先週の月曜日のことです。議会に行く前に「少し熱っぽいなあ」と感じました。体温計で計ってみると、微熱がありました。いつもなら、何も考えずに出かけていたと思うのですが、「まずいかなあ。もしかしてコロナだったら・・。」と考えて、お休みをさせていただきました。 それから6日間、私は、寝込んでしまいました。 朝は、低い熱なのに夜になると高くなります。もともと平熱が低い私には37.3度はきついものでした。咳も出ず、倦怠感もありませんでした。熱は、解熱剤 で抑えることができるのですが、「もしかして、もしかしたら」の不安は、ずっとついてきました。「もしも県議会議員がコロナウイルスに感染していたら、議 会は大変なことになる・・・・。」そう不安に感じながら、濃厚接触者は連れ合いだけにして、家から一歩も出ませんでした。 これを書いている今は、平熱になり穏やかに暮らせることができています。 幸いにも私は、多くの人に迷惑をおかけしましたが、お休みすることができました。しかし、「体調が悪かったり熱があったりしたら、自宅待機してくださ い。」と県の広報はされますが、シフトが決まっていて、急に休むことができない働き方を余儀なくされている人が大勢いるのではと分かります。 大分県の感染者は、大分医療センターがクラスターとなり、25人になっています。県は、感染経路がはっきりしているとして、必要な人たちのPCR検査を終えています。 東京では、オーバーシュートとなる前に何とか防ごうと、週末の外出自粛要請を出しました。東京オリンピックも延期が決まりました。 見えない敵との闘いは、まだまだ続くと思います。 自分でできる予防を徹底し、恐れすぎずにもうしばらくは前に進むしかないかしらと考えています。 いつも行く会館の桜の花は見事なピンク色を見せてくれています。世の中がこんな大変な時期なのに、植物は咲き始めました。 「そういえば、9年前の東日本大震災の時も、絶望の淵に立たされていた私たちに桜は咲いて見せてくれていたなあ。」と思い出しました。 きっと春はやってきます。その日を信じて頑張りましょう! 2020.2.25 本当におそれるものは 「季節の中でいつが好きですか?」 と問われたら、 「春です!」 と即座に答えます。春に生まれたからなのか、春が訪れるとわくわくします。春の夕暮れ時も闇が深まって、沈丁花の香りがどこからか漂ってきたりすると、 もう尋常な気分ではいられなくなります。青春時代が一気に帰って来るようなあの時のいろいろなことも思い出してしまいます。 日が昇る時刻もだいぶ早くなってきました。空気にも光にも春を感じます。県庁の立派な豊後梅も淡い桃色で咲き出しました。お堀の周りの桜もあとひと月もすると見事に咲き出すことでしょう。 けれども新型コロナウィルスが日増しに日本中に拡がっています。福岡県で陽性患者が出て、熊本県でも発生が確認され、大分での発生ももう時間の問題なのかもしれません。私が参加する予定だったいろいろなイベントも次々に開催できなくなったとお知らせをいただいています。 学校の養護教諭の方がこう言われたことが印象深く胸に刻まれています。 「感染症は怖いです。憎むべきものです。でも一番きついのは、罹患した本人です。この発生によって誰から罹ったかとか、発生源はどこだとか、まるで犯人探しをするようなことが学校で起こることはあってはいけないことです。」 その話を聞いた後、心配していたことが起こってしまいました。北海道で小学生が陽性だと判明した時、その地域が明らかにされました。私は、その時、ドキッとしましたが、翌日には、もう学校名が報道され、多くのマスコミが取材に殺到していました。 「何年生なんだ!」と言う声や名前を聞き出そうとする保護者の方の声が出ていました。 感染ルートを探ることは、医療や行政に携わる方には、これからの対策を立てるためには必要なことなのだと理解できるのですが、このことにより「差別」や「排斥」が横行していくことが私の不安を大きくしています。 これまで起こってきたエイズやハンセン病患者への差別は罹った人を思いやるのではなく、人の心にある非情で非常識な差別心から拡がってきたことを考える 時、今私たちは、本当にこわがるものは何なのかを考えて行かなければならないのだと思います。もちろん周りには病気を抱えた高齢者の方や、受験を控えてい る学生、妊婦の人たちがいるのですから、その人たちが安心していられる状況も考えていかなければならないと思います。 けれども、中国籍の子どもを学校や保育園に来ないようにとか、医療従事者の家庭の子どもが「ばい菌」呼ばわりされ、いじめられるなど、耳を疑うことが報じられるたびに人の心に潜む醜く弱い思いを感じてしまいます。 もう一つ、おそれなければならないことは、今年の日出生台での米海兵隊の訓練です。沖縄の国道104号越えの155ミリりゅう弾砲の訓練があまりに沖縄 の人たちの安全を損なうと判断し、防衛省からの願いで、大分県は米海兵隊の訓練を受け入れてきました。沖縄の痛みを軽減するための苦渋の選択であり将来的 な廃止を願ってきました。 そんな中で、今年で14回目になる訓練が、今年2月8日から行われました。沖縄の訓練と同質・同量だということは、当然明らかなことです。 米海兵隊は、大分以外でも他に国内4か所訓練する場所を決めていますが、大分県は、玖珠町、九重町、由布市、大分県の四者協で九州防衛局を通じて、協定 書を取り決めています。それは、確認書という形に格上げされています。しかし、今年の訓練では、その確認書が守られない状況がいくつも発生しました。 夜八時以降には終了するという約束が守られず、4日間小銃を使った訓練が続行されてきました。日出生台では畜産を営んでいる農家の方が何件もあります。 大きな爆音は、牛の生態に大きな影響を及ぼします。小野原分校に通う子どもたちは、安全のためにタクシーを使って登下校をしています。そんな不安を回避す るための夜八時までの訓練だったはずでした。 県では九州防衛局の局長を呼んで、抗議文を渡してもなおそれは続きました。 あえてそうしているような気がしてなりません。確認した内容が瓦解してしまうことは、もうすでにお互いの信頼関係が崩れてしまっているということです。 日米地位協定が締結されて60年。一度も改定されていない中で、戦争の切り込み隊として訓練をしている米海兵隊のやりたい放題が私には恐ろしいことだと思います。大分県でも、民意を反映して押し返していくことが必要なのではないかと考えています。 今年のお正月に、メダカ(楊貴妃という品種)が二匹も死んでしまいました。 つれあいは、寂しいだろうと新たに二匹のメダカを買ってきました。もしかしたら最初にいたメダカが後から入ってきたそれをいじめるのではと心配しまし た。1日だけ彼らは自分のエリアからはみ出すことはなかったようですが、一月経って、今では仲良く小さな水槽の中を自由に泳いでいます。 ぼんやりメダカを眺めながら、人としての有りようを考えています。 2020.2.2 気温差23度の旅 寒くなりましたが、皆様風邪などひかずにお元気でしょうか。 新型コロナウイルスの広がりの速さに驚いています。大分市と姉妹都市の武漢が発生元のようですが、現代は、地球規模で多くの人々が移動するので、患者の 数は、日を追うごとに増えています。亡くなった方は、すでに200名を超えているそうですが、それは発表されている数だけで、中国ではもっと多いのではな いかと感じています。どれくらいの期間で、収束に向かうのかわからないのですが、ワクチンの開発には、かなりの時間がかかるということですので、厳しいで すね。 「東京オリンピックは大丈夫なのかしら・・・・。」と思います。 私たちは、とにかく手洗い、うがいをきちんとしましょう。 議会運営委員会の調査で岡山と鳥取に出かけていました。 議会運営委員会ですので、県議会を訪れます。 岡山県議会は、55名の定数の中で8名が女性議員です。ここ数年これくらいの数で推移しているそうです。うらやましいと思いました。議会で質問する時 は、質問通告の原稿を執行部に提出するのですが、岡山は、自分が質問する前日までだそうです。もちろんそれでは、執行部からの丁寧な答弁が出ないでしょう から事前にいろいろな話し合いを持つようですが、大分県議会は、議会開会日よりずっと早くに原稿提出を要求されます。知事や執行部の丁寧な答弁をしようと の願いがあるようですが、議案を見る前に質問を書くなんておかしいとずっと思っていました。質問者にはワクワクドキドキ感はなく、形を整えているだけのよ うな気がしています。 岡山県には、議員宿舎があります。遠くから来る議員のために用意されています。しかし、利用される人はあまりいないようです。 議員の健康診断費用の給付があることは羨ましかったです。 鳥取県は、私の尊敬する片山さんが知事を2期(1999年〜2007年)なさった県です。人権感覚に優れた数々の手腕を発揮された知事で、DV被害者支 援をしている人たちの間では、当時、自分の県の対応がひどくて、「鳥取に逃がせ!」が合言葉でした。そのレガシイーは引き継がれているのかどうかはわかり ませんが、後を引き継いだ知事はかなり前知事の幻影に苦しまれたかもしれません。 鳥取県では、毎回代表質問があり、質問者も大分のように枠にはめられず、希望者が誰でも質問できます。大分は、一般質問は三日間ですが、鳥取は六日間あるそうです。 やはり質問原稿の締め切りは、質問日の二日前だそうです。 縦長の鳥取県です。県営の鳥取空港と自衛隊と共用している米子空港があります。 時間があったので 津山まなびの鉄道館に立ち寄りました。 私は、「鉄道オタク」ではありませんが、昔の列車が納められている機関庫の様子に嬉しさを隠せませんでした。Cは、動輪が3つの機関車です。Dは動輪が4つです。それだけ力があります、「キハ」とは蒸気機関車の普通車の事だそうです。 「機関庫」 鳥取で議会運営委員会の皆さんと別れて沖縄に移動しました。 どのコースが最適かを考え、まず鳥取空港から羽田空港に飛びます。そこで沖縄便に乗り換えて。この間の気温差は23度ありました。つくづく日本は縦長の国なんだと実感です。 沖縄県 日米地位協定のおかしさ 沖縄は基地がなくてもやっていけるということを、謝花副知事は言われています。むしろないほうが良い。 本土にあった米軍をどんどん沖縄に持ってきた。 日米地位協定の見直しを訴えているが、日本全国で声を出さなければ。 米軍が事故を起こしても、日本人は介入できない。以前より後退している。 よその国にもアメリカとの間に地位協定はあるが、どの国も自国の法律を優先して緩やかなのに、日本だけが米軍が主になっている。 知事選にも県民投票にも勝った沖縄なのに政府は認めようとしない。民主主義はいったいどうなっているのか。 たくさんのことをお聞きし、立憲ネットの全国から集まった議員で声明文を発表し、記者発表をしました。 「日米地位協定記者発表」 翌日の沖縄の新聞には大きく取り上げられましたが、残念なことに本土での扱いはなかったようです。 沖縄県庁で、子どもの貧困対策やモノレールについてお聞きしまし た。2年前にも貧困対策を調査していたのですが、確実に実効性が上がっています。沖縄では、三人に1人の子どもが貧困です。10代の出産も多く、離婚や母 子世帯も多いのですが、執行部のやる気と県民の皆さんの受け止め方、そして企業の支援が拡がっています。毎回調査をするたびに課題を明確にし、効果が見え ているようです。 沖縄の就業率は、第3次産業が80パーセント以上です。ホテル従事者の給料は上がりません。第2次産業は20パーセント。建設業は多いそうです。第1次 産業は15パーセント。主にサトウキビの生産です。昔から所得が低く、本土の7割でやってきていましたが、沖縄も都市化し、子どもの孤立や自己肯定感の低 さが問題ですが、県民が協力して困難を抱えている子どもの出口の問題に取り組んでいました。 その他、うるま市の廃校を利用した、今話題の私立N高校(通信制)も見学しました。 「N高校校長と」 帰る前に首里城を見に出かけました。あの美しかった首里城は無残な姿に変わっていて、声が出ませんでした。まだ焼けたにおいが漂っています。再建費用の 寄付をしてきましたが、やはり首里城は沖縄の方々の心の支えだと思います。何度も焼かれ、そのたびに再建してきた首里城が、たとえ専門の宮大工が減っても あの美しい朱色を出すことのできる漆職人がいなくてもきっといつの日か再建できると信じています。 「首里城」 2020 1.17 もの言う大人でいたい 遅くなりましたが、皆様新年明けましておめでとうございます! 今年のお正月は、雨も降らず、ありがたいことにとても穏やかな天気に恵まれました。私は、賀来神社にお参りし、昨年末に行けなかった実家のお墓参りに出 かけました。父と母と別れてから随分経ちましたが、今二人が生きていたら私たち夫婦の生活を見て、何と言われるかしらとぼんやり考えました。 皆さんはどんなお正月をお過ごしだったでしょうか? 住んでいる団地は、高齢化が進み、子どもの人数は減ってきているのですが、近所から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたり、おじいちゃんが幼い子どもの手を ひいてお散歩していたり、帰省した子どもたちが道いっぱいに広がって遊んでいる様子を見ると「みんな家族が揃って楽しいお正月を過ごしているんだな あ・・・。」お盆もクリスマスもお正月もずっと二人きりの私は、少し羨ましくなりました。 暮れにつれあいが「メダカが卵を産んでる!」と大声を出しました。二人でよく見ると水槽の中の藻に卵のようなものがついています。「卵を産んだとしたら 嬉しいね。でもメダカは卵を食べてしまうらしいよ。」と言って、二人して卵を隔離するための水槽を買いに出かけました。水槽や土と砂、藻などを買うと結構 な値段になり「メダカなのにペットを飼うって大変だなあ。」と思いました。それが我が家のお正月風景でした。 妹夫婦がやって来てこう言いました。「メダカって春に卵を産むんじゃない?」 あれから20日近くたちますが、一向に変化がないので、間違いだったんだと気落ちしています。あの卵がかえって、水槽の中を小さなヒメダカが泳ぎ回る姿を想像していたのに無念です。それだけで楽しくなる気がしたのに。 穏やかなお正月でしたが、世界情勢を見るとキナ臭いものを感じます。 トランプ大統領が命令し、イランの司令官を空爆してしまいました。イラン側も黙ってはいられないので落としどころを見つけてアメリカ軍の駐留地点にミサ イルを発射しました。ミサイル攻撃は誤って自国の飛行機にも発射され、カナダ人を含んだ多くの民間人が犠牲となってしまいました。 中東情勢がますます緊迫化している中でも安倍総理は自衛隊を日本の船舶を守るためだと、中東に派遣しました。自衛隊員の方の中には、自衛隊を辞職する人 が続出しているそうですが、武器を持っての派遣です。もしも攻撃されたら反撃することもできます。政府は、平和外交をやっているつもりのようですが、緊張 状態に拍車をかけることにならなければ良いがと不安でなりません。 数年前までは、「戦争なんて起こりはしないよ。」と言われていましたが、本当に戦争が起こるのではないかと、あの大統領は核のボタンを押してしまうのではないかと不安になります。 地方議員にやれることは、限られていますが、私は今年も「もの言う大人」でいようと決意しました。中村哲さんが「食べるものがあり、仕事があれば外国の 傭兵になることはない。」と言われ、医療活動をしながら、広大な砂漠に水をひき、水路をつくり、田畑が造られ、米や麦ができるようになり、人々が幸せを実 感できるように頑張っていらしたのに狙われて銃撃され、命を失いました。 平和運動の先頭に立って国会前活動してきた木内みどりさんが突然亡くなりました。残念でなりません。お二人の行動を思い起こしながら「一人の大人として本当に怒り、声を上げて行かなければならない。」と思っています。 ときどき心が折れてしまうけれど、「もの言う大人、もの言う女性でいたい。空気を読んで口をつぐんではいけない。」そう思います。 今年頂いた年賀状に一人だけ差出人に心当たりがないものがありました。その年賀状には赤ちゃんが一人で映っていました。誰なんだろう…。と何日も考えて やっとわかりました。昨年結婚式に出席した小学校で一緒に学んだ教え子のKさんでした。結婚して姓が変わったことに気づかなかったのです。年賀状の写真を 改めて見てみると彼女によく似た大きな目をした赤ちゃんです。「育児に頑張っています。大変です。」と書かれています。 この赤ちゃんたちがすくすくと育つことができる環境を守る責任が私たち大人にあるのだと自分に言い聞かせています。 バックナンバーはこちらに移動しました ●2019年8月〜12月 12.29 暗中模索の中でも人とつながって 11.27 中津は元気だ! 11.1 ラグビーワールドカップの余韻 10.6 この道もある。あの道もあるよ。 9.13 静かな秋が訪れるはずなのに 8.31 全日本少年野球大会 8.6 風蘭とシステム手帳 ●2019年1月〜5月 5.6 戦い終わって・・・ 3.15 あの日から 2.8 どうしてSOSが届かない 1.22 許せないのです 1.6 ボーっと生きてんじゃねーよ! ●2018年7月〜12月 12.4 いつの間にか師走! 11.6 いつの間にか 10.18 駅ピアノ 9.14 おくすり手帳が手放せない 8.18 湯平に泊まりに行こう! 7.31 北海道は20度だった! 7.13 誰にでも起こりうること ●2018年1月〜6月 1.13 ローマ法王のカード 2.6 ぼつぼついこか 3.18 思いやることと忖度すること 3.31 桜の花をゆっくり愛でることができましたか 4.18 大分セブンス 5.7 たまには精進料理 5.31 保健室の先生 6.15 いつになったら幼子の命が救えるのでしょうか ●2017年7月〜12月 12.29 胸が痛みます 11.26 442号は、みんなで取り組んで 11.5 誇りある青春 10.13 NO MORE VIOLENCE 9.19 2年前の今日「戦争法案」が強行採決されました 8.27 今年の夏は 7.15 災害発生から11日 ●2017年4月・5月・6月 6.21 ひと休みして考えよう 5.27 本当に良いものを食卓に 5.6 6年目のフクシマ ●2017年1月・2月・3月 3.29 なかなか訪れない春 3.4 とっても近い国「台湾」 2.12 災害の大きな爪痕 1.21 健康でいることのありがたさ 1.3 穏やかな年の初めに ●2016年10月・11月・12月 12.12 この痛みはなぜ? 11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って 10.18 どうしても許せません ●2016年7月・8月・9月 9.24 厳しい現実 ―台風16号被害― 9.7 行く夏 8.21 なつやすみ 7.26 分断されていく人々のこころ ●2016年4月・5月・6月 6.30 今の平和をわざわざ壊しますか? 6.7 新しい判断 5.6 地震?! 4.9 見えにくい子どもの貧困 ●2016年1月・2月・3月 3.13 あの日から5年 2.23 スローフードと空き家対策 1.31 選ぶことのできない世界 1.15 4本のイヤダ! ●2015年10月・11月・12月 12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう 11.26 暴力の根絶を 10.25 カレーライスとCLT ●2015年7月・8月・9月 9.23 許せない暴挙を前にして 9.6 北陸への視察 8.6 フロイドの深層心理 7.21 民意の拡がり 7.7 子ども最善の利益とは ●2015年4月・5月・6月 6.8 あきれている。でもあきらめない。 5.14 不条理の中で 4.1 みんなに春が来ますように ●2015年1月・2月・3月 3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で ●2014年10月・11月・12月 12.17 現実を受け止め、諦めない 11.19 民意と政権のねじれの中で 10.29 子どもって 10.6 教えるとは、希望を語ること 学ぶとは、誠実を胸に刻むこと ●2014年7月・8月・9月 9.16 二人三脚でやっていくしかないかな 8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間 7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう! ●2014年4月・5月・6月 6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い 6.13 なくならない痛み 5.30 またやってしまった! 5.7 震災からもう3年、まだ3年 4.2 母がいなくなって ●2014年1月・2月・3月 3.3 スリランカに行ってきました。2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・1.13 介護の行方は・・・・・ ●2013年10月・11月・12月 12/28 静かな年の瀬に12/18 お気に入りのホテル12/7 久しぶりの別府11/14 結婚式11/5 秋の三連休10/19 どんな秋が来るのかな・・・ ●2013年7月・8月・9月 9/28 施設への入所9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。8/17 お父さん、ありがとうございました。8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間7/15 ただ今、奮闘しています! ●2013年4月・5月・6月 6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を5/7 「風化しないことを願う」と言われた日4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい4/7 来年の還暦までどうしよう!? ●2013年1月・2月・3月 3/16 ありがとうRUPO2/16 諦めない1/31 左に偏っている?1/10 今年の運は・・・ ●2012年10月・11月・12月 12/27 吉田ばあちゃん12/10 教育公務員のあり方は・・・・11/26 地方自治に必要なこととは・・・11/15 水素水にはまっています。11/4 思いのある人、熱く語る10/9 いろんなことがあった1週間 ●2012年7月・8月・9月 9/27 校歌が歌えた!9/4 夏が終わっていきます。8/19 再び東北へ8/6 暑さの中で7/22 もしも・・・はありえない7/10 デンマークの報告E ●2012年5月・6月 6/22 東北に行ってきました6/9 デンマークの報告D5/28 デンマークの報告C ●2012年4月・5月 5/20 デンマークの報告B5/12 デンマークの報告A5/6 デンマークの報告@4/25 無事に帰ってきました。4/11 春の光の中で ●2012年1月・2月・3月 3/31 議会終了3/8 あの日から一年2/21 もうじき春が来る2/2 こんなままではいけない。1/19 圧巻だった熊谷守一展1/10 あけましておめでとうございます。 ●2011年10月・11月・12月 12/29 感謝12/10 師走に突入11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと11/16 カーネーションがおもしろい10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください10/16 気になること ●2011年7月・8月・9月 9/19 今年の夏は8/17 片山さんありがとうございます。7/31 夏、真っ盛りです。7/3 元気をもらいました ●2011年4月・5月・6月 6/14 「マルモのおきて」がおもしろい5/22 初めての大役に・・・4/29 闘い終わって・・・ ●2011年1月・2月・3月 3/21 人と人が支え合って2/27 あの美しかったクライストチャーチが2/9 鳥インフルエンザ1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて1/7 今年の幕開け ●2010年10月・11月・12月 12/27 様々な出会い12/2 美恵さんのお芋11/14 30回目の車いすマラソン10/30 姪の結婚10/2 インフルエンザ! ●2010年7月・8月・9月 9/20 ここにもあった私の原点9/2 まだまだ暑い日が続いています。8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女7/13 吉田忠智さんと言う人 ●2010年4月・5月・6月 6/13 カツオのたたきがない!5/27 牛を食べるということ5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。4/23 セブ島4/1 気がつけば春 ●2010年1月・2月・3月 3/4 別れ2/19 Tさんお世話になりました。2/1 先輩に励まされて1/16 油断大敵1/4 若者たちに魅せられて ●2009年11月・12月 12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで11/13 朝、一便に乗るためには・・・ ●2009年10月 10/28 欧州旅行記C10/16 欧州旅行報告記B10/8 欧州旅行報告記A ●2009年7月・8月・9月 9/21 欧州旅行報告記 @8/10 暑中お見舞い申し上げます。7/19 野菜を求めての旅 ●2009年4月・5月・6月 6/27 ちょっといい話6/16 ひとり一揆を始めた人がいます5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと5/6 風薫る季節の中で4/4 私が生まれた日 ●2009年1月・2月・3月 3/26 どうしても賛成できませんでした3/9 現場に宿る神様2/12 こわしたくないもの1/30 つかの間の休日に1/8 厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間 ●2008年10月・11月・12月 12/23 年の終わりに12/1 “ご縁”があって つながって11/3 小さな運動会10/21 感動をありがとう ●2008年7月・8月・9月 9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹8/2 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!7/11 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」 ●2008年4月・5月・6月 6/22 初めての経験に四苦八苦5/28 雨の体育祭と中学生の涙5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち ●2008年1月・2月・3月 3/16 いつまでも見守りたい子どもたち2/10 魔法の一言1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます ●2007年10月・11月・12月 12/21 静かな時間(とき)もいいものです 12/1 秋は来たのかしら 11/3 20回目のお誕生日おめでとう 10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ ●2007年7月・8月・9月 9/23 大事なものを忘れないで 8/22 不器用に、でも誠実に 8/6 「いのちが一番」いつまでも 7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます ●2007年4月・5月・6月 6/20 もっと怒ってもいいですよね! 5/22 とても大切な「頭の片隅」 5/5 「母というものは」 4/24 庭の花に癒されて ●2007年1月・2月・3月 3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち 2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら 1/31 家族葬にして良かったですか 1/6 静かな年の始まりです ●2006年10月・11月・12月 12/19 甘いおこわと教育基本法 11/26 子どもたちが私のエネルギー 10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」 10/8 団地サイズの竹宵をします! ●2006年7月・8月・9月 9/18 無くしてからは遅いのです 9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ! 8/11 「言葉で勝負!」できたか不安? 7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」 ●2006年4月・5月・6月 6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて 5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています 4/9 元気もらった、拓郎コンサート! ●2006年1月・2月・3月 3/31 まだ見ぬあしながおじさん 3/7 ときめき「15才の春」 2/23 あきらめきれない数珠の紛失 2/2 悩み続ける「私の子どもたち」 1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります! ●2005年10月・11月・12月 12/27 新しい年こそ「愛の年に」 11/27 「木の香りの家」に癒されて 11/4 失敗、失敗、ドジな私 10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜 ●2005年7月・8月・9月 9/12 私たちに問われているものは? 8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩” 7/23 人工林と流木と鉄砲水 ●2005年4月・5月・6月 6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい! 5/14 夜道で出会ったものは… 5/6 反日渦中の上海を訪ねる 4/15 政治が民衆を分断している ●2005年1月・2月・3月 3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り 3/18 レッテル、はる人、はがす人。 2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました 〜大分市議選を終えて 1/17 「高校再編」の民意はどこに? 1/1 2005年「命」を考える ●2004年10月・11月・12月 12/2 何故もめる?議員定数問題1 11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア 10/25 子ども達は輝いています ●2004年7月・8月・9月 9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も 8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私 8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて 7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症! ●2004年4月・5月・6月 6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記 6/17 帯状疱疹と闘っています 5/31 どげぇなっちょんの? 5/6 つかの間のひとりごと 4/12 私の甥っ子たちの春は… ●2004年1月・2月・3月 3/26 子どもたちは守られていますか? 3/3 幸せな2日目の休みの日に 2/12 心やさしきチャンピオンたち 1/18 雪の下の小さな花たち 1/6 子ども達が大切にされる世の中に ●2003年12月・11月・10月 12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」 11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな! 10/26 「教育」はだれのもの? 10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」 ●2003年9月・8月・7月 9/28 励まされています 8/10 風化させてはならない記憶 7/23 やっと夏が来た ●2003年6月・5月・4月 6/22 お葬式と福祉と青リンゴ 6/08 初めての視察 5/19 辺見庸さん 5/07 健ちゃんのこと 4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます ●2003年3月・2月・1月 3/28 愚かな戦争に反対します 3/22 “食育”に取り組んでみたい 2/07 ただただ感謝の日々 1/27 二人のおひな様 1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方 1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて ●2002年12月・11月 12/13 ロウバイが咲いた! 12/04 穴子丼(あなごどん) 12/02 ALS患者郵便投票訴訟 11/24 世界に目を向ける子どもに 11/22 Tさん 11/15 アッタマにきたぞ! 11/13 働く女性の実態 11/4 桜
3.5 控訴に憤りを覚えます 2.14 鬼は出て行ったかしら? 1.16 T先生を偲んで 1.6 猛吹雪の中で