ときどき日記


2021 12.30   ふざけるな!

 今年一番の寒波がやってきて、北陸、東北地方に大雪が降っていました。

 「昨年のような車の立ち往生が起きなければよいけれど・・・。」と心配しています。

 コロナ感染症は、第5派が落ち着き、小康状態でしたが、ここにきてオミクロンの発生で第6派の心配をしています。これから帰省ラッシュが始まります。政 府は、帰省を自粛してほしいと訴えていますが、2年間帰省を我慢していた人たちの心に届くかしら…。とこれも厳しいものがあります。



 今年もあとわずかでおしまいです。

 コロナに始まり、コロナで終わる一年でしたが、皆さんにはどんな年でしたか。

 新政権が誕生し、世相では期待感が高まっていました。「聞く耳を持つ」首相なら安倍・菅と続いた政権とは違う何かを期待していたのですが、私の期待はしぼんでしまいました。

 森友学園問題です。

 国有地売却を巡る財務省の公文書改ざんを強いられていた近畿財務局の赤木俊夫さんが、苦悩の末自死をして3年になります。

 つれあいの雅子さんは、国に対して損害賠償の裁判を起こしていました。

 雅子さんは「どうして夫は死ななければならなかったのか。」「夫に誰が公文書の改ざんを命じたのか。」「夫の抵抗に近畿財務局はどう対応したのか。」「その背景は何だったのか。」を明らかにすることを求めていました。

 国を相手に裁判を起こすのですから、ものすごく悩み抜いたと思います。でも、このまま泣き寝入りしてはいけないと逡巡しての行動だったと思います。

 裁判ですからどうしてもお金に換算しての訴訟になります。ですから到底払わないと考えられる法外な金額1億7百万円という額を設定したのだと思います。


 雅子さんは、訴訟の中で赤木さんが改ざんの経緯をまとめた「赤木ファイル」を提出
するように請求してきました。それに対して国は「存材していたかどうか答える必要がない」とずっと拒んでいました。そして、ようやく6月になって「赤木ファイル」を開示しました。



 雅子さんにずっと請求の棄却を求めていた国は、大阪地裁での第1回公判の訴訟手続きで突然「認諾」をしました。認諾したということは、国側が訴えのすべ てを認め、賠償責任を負うと認めたということです。原告にとっては、寝耳に水でした。驚きました。裁判官ですら聞かされていなかったことのようです。

 「認諾」によって赤木さんの裁判は終結してしまいました。幕引きが行われてしまいました。

 こんなことがあっていいのか!「ふざけるな!」です。

 雅子さんが願っていた、なぜ夫が死ななければならなかったのかという真相解明は、今後何もできなくなりました。国は、これから裁判で語られるいろいろなことが出てくると困ることになると判断したのだと思います。

 お金を払ってでも早く終わらせようとしたのでしょうか。

 そもそも、この1億7百万円は、私たちが払った税金が原資になります。

 こんな税金の使い方も許すことができません。

 今後このような事案が出てきた時に、同じように「認諾」してしまうのでしょうか。そんな政治手法がまかり通ることになっては、民主主義が崩れてしまいます。

 だからこんな卑劣な手段で幕引きを図る国に対して「ふざけるな!」と声を大にして言いたいのです。

 雅子さんは、「夫は国によって殺されたけれど、もう一度殺された。」と言われていました。






 私たちは、今年もいろいろなところで街宣をしてきました。「政治は、生活」「私たちの生活は、政治の上になり立っている。」と考えるからです。

 街中の自由で華やいだ雰囲気の中で、私たちの存在は異質なものに映ったかもしれませんが。



 政策立案能力を持ちなさいと言われます。もちろんそうですが、周りで起きていることを冷静に見つめ、批判する力を持つことも必要だと考えています。

 今、日本中で起こっている特殊詐欺事件。こんな卑劣なことは、世界では起こらないそうです。日本特有のものだそうです。なんでも言いなりになり、流され、批判する力を失ってはいけないと考えます。



 私は、憤って今年を終えますが、来年こそどんな人の尊厳も守られる良い年になることを願っています。



 つたないときどき日記を読んでくださってありがとうございました。




2021,12,6   もう師走!

 寒くなりました。冬だから当たり前のことですが、体が年とともに固くなっている私には、この寒さは堪えます。
 若いころは、少しくらい薄着をしていても何ともなかったのに、今は「うん?ちょっと寒い?」と感じた後にはすぐに風邪を引いたような症状になるのは困ったものです。

 1週間前に賀来校区でコロナ感染症のため中止になっていたウォーキング大会が行われました。2年ぶりです。感染予防のため、各自治区の参加者を絞っての ことです。賀来校区は22の自治区があります。集まった人は100人にも満たないのですが、それでも神社では久しぶりに顔を合わせる人が多く、笑顔であふ れていました。
 体操の後、神社にお参りして出発です。
 空には一つも雲がありません。
 私たちは、賀来川に沿った土手をおしゃべりしながら歩き続けました。そして改めて日常の生活が行われることの喜びを感じていました。



 

 私は、この大会に毎年参加してきましたが、1回目の時には、F先生がいました。先生は、父の同級生です。父はもうとうの昔に亡くなっていますので、先生 は私にとっては、父のような存在でした。お会いするといつも私のことを案じてくださり、ちょっとまどろっこしいお話とあの笑顔。
 3年前には、Sさんがいました。脳梗塞を患った後のリハビリ中でしたが、杖をついてきていました。神社の境内で豚汁を一緒にいただいたその時の笑顔と少しかすれた声を思い出していました。
 もうお二人ともいません。時が経つということはこういうことなんだとしみじみ感じていました。


 突然話は変わりますが、
 岸田政権は、18歳未満の子どもを対象とする10万円給付を行うようです。
 現金で10万円にするのか、5万円だけ現金で、新学期にクーポンで5万円分にするのかはまだはっきりしていません。でも2回に分けた時の手数料が、一括 10万円よりも900億円多くなり、その手数料の総額は1200億円だそうです。世帯主の収入960万円以下が対象だそうですが、私にはばらまき予算のよ うな気がしています。
 財源は、予備費と説明されていますが、そもそもこの予備費も公債発行による借金です。国の国債は、優に1000兆円を超えています。若者に10万円を配って、でも将来の借金を背負わせているようで悲しくなるのです。
 その一方で、看護師などに来年2月から月額4千円の給料を引き上げる処遇改善策が発表されています。
 加えて県に来た補正予算でも保育士への処遇改善のための賃金の上乗せが、月額9千円となっています。これまで人手不足で厳しかった職種への賃上げに反対 するものではありません。岸田政権の「成長と分配の好循環」の具体策ですが、今後1万2千円を目標に段階的に引き上げていくそうです。今でも、看護師や保 育士が足りない状況なのに、すぐに上げられないのは、財源の問題だそうで、子ども手当の財源には、不自由しない政府が、それよりはるかに少額となる看護職 の引き上げには、財源の壁があるというのは、おかしいと感じています。
 本当に必要なところにしっかりとお金を使ってほしいと私は有権者として切実に願っています。



 我が家の楊貴妃(メダカ)は、養子を大量に入れて19匹になっていたのに、残念なことに最初からうちにいた一匹が死んでしまいました。楊貴妃の寿命は、2〜3年と言われているのでしょうがないのですが、寂しさを感じています。

 今年もあとひと月を切ってしまいました。皆様もお忙しいでしょうが、この師走をお元気で乗り切ってください。



2021 11.10 夜間中学


 すっかり寒くなりました。
 立冬ですね。

 「夜間中学」をご存じですか?
 夜間高校というのは、定時制高校のことです。大分にも定時制や通信制高校があります。

 夜間中学は、敗戦後、貧困から学校に通えない子どものため、学校教育法施行令の「二部授業」の規定を根拠に学校長などが教育委員会を動かして開設されました。現在、夜間中学は、日本中に36校あるそうです。
 1960年代までは、主に学齢期の生徒や10代後半の日本人が大勢いたそうです。
 1970年代以降は、学ぶ機会を得られなかった成人の日本人や在日韓国・朝鮮人、元不登校や引きこもりの若者が多くいました。
 1980年代以降は、インドシナ難民の人々が。
 2000年前後やそれ以降は、仕事や国際結婚で来日した外国人と家族などが急激に増え、アジア・アフリカからの難民や脱北者も入学してきています。

 戦後、家が貧しく、学校に行く時の服がない、靴がないそのために学校に通えなかった女性、給食費を払えなかったからが学校に通えなかった人が大勢いました。
 「こんばんは」という映画には、そんな歴史を背景に持ちながら、何十年も経ってから、中学に通っているおばちゃんたちが登場します。
 私はこのDVDを何度も見ているのですが、おばちゃんたちの生の声を聴くたびに涙が出そうになります。
 映像に出てくる大阪のその夜間中学で学んでいるのは、ほとんどが女性です。昔は「男は一人前にならなければならない。女は、嫁に行くのだから勉強しなくても良い。」という差別があったことに気づきます。

 字が読めなくて、字が書けない。そのことを人に知られずに生きてきた人たちが大勢いました。ある女性は、団地の役員決めの時には、自分になったらどうし ようと生きた心地がしなかったそうです。ある人は、子どもが生まれても、役所の出生届を自分で書くことができませんでした。
 どうしても字を書かなければならない場面を想定して、包帯で右手をぐるぐる巻きにして「怪我をしているので書いてもらえませんか」と人にお願いしていたということも聞きました。
 不登校になっても卒業時には、卒業証書が渡されます。「形式卒業」と言います。卒業はさせてもらったけれど、学校で学んでなかったのですから、掛け算が わからない、漢字やローマ字が読めない、〇割引が理解できない・・・・・・。そんな現実の社会に直面してきた人が大勢います。

 2016年、国会で「教育機会確保法」が成立しました。

 その中で、義務教育未修了者の意志を十分尊重しつつ、年齢・国籍・置かれている状況に関わりなく教育機会が確保されるように、国・地方公共団体が財政的 措置を講じるように義務付けられました。そして、少なくとも各都道府県に一校は「夜間中学」を設置することとしています。

 九州には、「自主夜間中学」が福岡にありますが、正式な「夜間中学」はありません。
 この法律を受けて宮崎・熊本・福岡・長崎が「夜間中学」開校に向けて少し動きはじめました。でも大分はまだまだです。



 私は、半年ほど前「夜間中学」開校に向けて熱心に取り組んでこられた東京の先生にご連絡をいただきました。

 これからできるだけ早く、仲間と一緒に大分でも「夜間中学」ができるように取り組んでいこうと考えています。
 来週、福岡の自主夜間中学を訪問してきます。
 そして、「こんばんはU」の映画の上映会をやっていくつもりです。
 その時は、お知らせしますので、ぜひ見に来てください。

 勉強だけなら、自分一人でもできることがあります。
 学校に行くということは、視野が広がることです。学校に行くと見える世界があります。学校に行くということは、人権が守られることだと思います。
 こう言われた方がいました。
 「学ぶとは、生き延びること」
 「学校に行くと子どもになれる。人生の中で、子どもでいる経験をすることが大切」
 「頭の中に入ったものは、人は盗ることができない。」


 

 11月7日に熊本で学んできたことです。



2021 10.19 サウナを愛でた


 毎日暑いです。朝、晩はひんやりしてきて、陰になっているところは風が吹いていると心地よいのですが、昼間炎天下の暑さは半端ではありません。

 先々週の土曜日に佐伯に行って選挙活動をしましたが、「ここで熱中症になったら迷惑をかけてしまう・・・。」と不安になるほどの暑さでした。

 外でお仕事をされている方に頭が下がります。

 と、ここまでは、昨日までのことで、今日は寒気団が降りてきて、急に寒くなりました。つれあいは、「明日からスーツを替えなければ。ネクタイをしていこう。」とかなり焦っています。

 

 県民クラブで、「地域課題調査イン豊後大野」を実施しました。

 もっと早くやる計画でしたが、コロナの関係でいろいろなところに出かけてはいけないとこれまで変更してきました。そう何度も変更しては、市長さんにも失礼だろうと判断して、参加ができる議員だけでの調査です。

 図書館、三重第一小学校の教科担任制とGIGAスクール、ゲストハウス、市長・教育長との懇談、農業の6次産業化、とたくさんのことを調査しましたがその一部を紹介します。


 ふれあい・まなびの杜

 豊後大野市が三重町に造った図書館です。市周辺の歴史民俗資料を保存した資料館も一緒に入っています。これまでの図書館と歴史民俗資料館を移転させ、今年の4月から運営されています。







  • 旧図書館の倍のスパースにこれまでの2.4倍になる16万8千冊の蔵書があるそうです。
  • 書架だけではなく、お話の部屋、育児室、学習室,視聴ブースなどもあ 畳コーナーや予約本コーナー……。図書館にあるといいなあと考えられる機能が揃っています。
  • 貸し出しの時に、例えば大分市の図書館では、カウンターにいる司書の人に本を差し出すのですが、その必要はありません。自分で図書カードを使って借りられます。
  • 図書館通帳があり、自分がこれまで借りた本の値段の蓄積が表示されていきます。これは面白いと思いました。学校で読書を促すときに「今、○○冊」と子どもたちは競って数えるのですが、本の金額を貯めていくと子どもたちは、興味をそそるかもしれません。
  • 古い本もあるとのことですが、みんな新書に見えます。大分で借りると、本が汚れていたりすることに出くわし、先のページに進む意欲が減退することが多々ありますが、そんな不安はないようです。
  • 貸出期間は、15日間。1回に一人10冊までです。豊後大野市以外の近郊の市の人も図書カードは作れます。

 

 まさしく、図書館は「知の拠点」だと思います。何時間でもいたい気分にな
ります。大分市のように指定管理制度を入れず、ネーミングライツも導入し
ないとのこと。
 図書館建設に精力を注いできた学芸員の人たちの情熱が伝わってきます。そして、「もっと良くしたい!」そんな熱意もひしひしと感じます。
 ただ、この周辺地域の人たちには有益ですが、広い広い豊後大野市です。支所にある図書館と連携しているとのことですが、ここまで来たいけれどなかなか寄り付けない人のことがどうしても気になりました。
 

 私たちは、バスに乗って、県道7号をひたすら高千穂方面に向かって移動し
続けました。
 道はだんだん細くなり、道幅が極端に狭いところが多く、前方から工事用のダンプカーや自家用車が来ると離合できません。ひやひやドキドキの連続でした。周辺の民家には空き家が目立ってきました。

 1時間30分かけて到着したところは、尾平です。
 ここは昔、尾平鉱山があり、錫(すず)の採掘をしていました。三菱が資本で
炭鉱関係者だけでも3000人はいたそうです。大きな町で何でも手に入る裕福な場所だったそうです。
 小学校が昭和の初めにでき、中学校も開校しました。しかし、炭鉱の閉山とともに衰退し、学校は閉校しています。そして、人々はいなくなりました。

 

「ゲストハウスLAMP」

 温泉県大分ですが、豊後大野市は、18市町村の中で、唯一温泉が出ない市です。そこを逆手にとって、サウナを作り、豊かな大野川の水を使っての町おこしが始まっています。
 ローカル番組でときどき紹介されていますので、ご覧になった方もいると思います。「ゲストハウスLAMP」は廃校になった尾平小学校を買い取り、改修してアウトドア体験と宿泊施設を運営しています。
 素敵な建物が目に飛び込んできました。

 





 

 祖母傾連山への登山客やサウナを目当てにお客さんは多いそうです。
 客室は、ベットルームの部屋と2段ベッドの部屋があります。食事も出してくれます。昔講堂だった広い部屋を改装して、素敵なランチルームができていました。
 私は、サウナ好きです。ホテルに泊まった時にサウナがあると利用しますが、これまで水風呂には入れませんでした。
 「ゲストハウスLAMP]のサウナは、フィンランドのように木を燃やし、水を打って水蒸気を発生させています。水着を着てサウナ→水風呂→チェアーでの休憩を3回繰り返します。
 初めて冷たい水の張られたプールに入りました。
 勇気がいりましたが、3回繰り返すと気分爽快になり、肌がすべすべになっていました。

 山奥で、鳥の鳴き声もセミの声をもちろん車の音も聞こえません。
 喧騒を離れて、こんなところで一晩ゆっくり過ごすことは幸せだと感じました。

 「ゲストハウスLAMP]の経営は、東京の会社が行っています。ここで働く人たちは、移住してきた人たちです。大分に縁がある人もない人もいます。

 人々が出ていったところに、移住して入ってきて、町おこしのアイデアを考えている人たちの存在がとても新鮮でした。


 県都大分市に住み、ここを中心に物事を考え行動している私ですが、過疎化や厳しい財政状況に負けずに力を合わせ、知恵を出し合い、夢を追い続けている地方の頑張りに感心させられました。
 豊後大野市には、清川や犬飼にもサウナができています。皆さんもどうぞご利用してみてください。





2021 9.21  仕事の合間に考えたこと

 
 仕事に追われ、家を出たり入ったりしている私には実感が湧かないのですが、全国的には3連休だったんですね。
 お彼岸が近づき、日中は日差しもまだ暑さを感じますが、夜の風はすっかり涼しくなりました。キンモクセイの香りはまだかなあと待ち遠しくなります。

 

 突然ですが、
 近頃の葬儀は、昔に比べると随分様変わりしてきました。特にコロナが流行し出してからは、「すでに家族だけで済ませた」ケースやお参りに行っても参列せ ずに、お焼香の後はそれぞれに会場を後にするというケースが多く、それも仕方ないのかなあと感じています。ただ、お世話になった方の葬儀が、完全シーク レットで行われ、後になってお知らせいただくととても寂しい気がしてしまいます。
 葬儀というのは、突然に訪れることも多く、遺族の方々は大変な状況に置かれます。私も、両親の葬儀を4回経験しているので、ついいろいろ考えてしまいますが、人生の最後をどう演出するのかは大きな課題だと思っています。

 
 2021年第3回定例県議会は、代表質問、一般質問が終了し、21日からは常任委員会が開かれるようになっています。その後、特別委員会などが開催され9月28日が閉会日です。
 私は、閉会日に議員提出の意見書の提案をするようになっています。
 私たちが提出したい国に向けての意見書は3本あります。そのうちの2本をお伝えします。

 

 1本目は、「沖縄戦没者の遺骨などを含む土砂を埋め立てなどに使用しないでください。」というものです。
 1945年4月以降、沖縄では上陸した米軍からの激しい攻撃が続いていました。
 首里にあった軍司令部は、南部へと追い詰められ、激しい地上戦の後、軍人だけではなく住民の多くの方々が亡くなりました。
 戦後、沖縄の人たちは、その戦没者の遺骨を収集し、慰霊の塔を次々に建立してきました。大分県の戦没者の遺骨を納めた「大分の塔」も糸満市に1965年に建てられています。
 こともあろうに政府は、今工事が進められている辺野古新基地建設の海域埋め立てをこの土砂を使ってする計画を発表しています。あまりにひどいことだと考 えます。「物言わぬ」戦没者を二度も殺すようなものです。2016年政府は、超党派の議員で「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」を制定しています。そ の法の趣旨に則りこのような非人道的行為は決して許されないことを強く求めていきます。

 もう一つは、「入管施設での死亡事案の再発防止のための情報公開を求める意見書」です。
 今年の3月スリランカ人の女性、ウィシュマ・サンダマリさんが入管施設内で亡くなり、その死をめぐって報道がなされたことは記憶に新しいと思います。
 彼女は、故国スリランカで英語の勉強をしていました。そして憧れの日本で英語教師をすることを夢見て来日し、日本語学校に通うように計画していました。 残念なこと彼女は、付き合っていたスリランカ人男性に暴力を振るわれるようになりました。お金もだまし取られてしまいます。そのDV男からの暴力に怯えた 彼女は、警察に保護を求めました。しかし、こともあろうに名古屋の警察は、彼女の被害状況に対処することなく、不当滞在者として扱い、名古屋の入管施設に 措置してしまいました。自身の体がどんどん衰弱していくことに恐怖を感じながらも医師にも診てもらえず、点滴を要求していた彼女は食事もとれなくなり、生 前の姿からは想像できないくらいやせ細り、亡くなってしまいました。
 遺族が開示を請求した行政文書には、ほとんどがマスキングされ、13日間の記録はわずか2時間に編集されたものでした。
 こんな非人道的なことは許されないことです。私たちは、入管施設内の処遇を見直すだけでなく、国会の第三者委員会で検証し、死亡事故が繰り返される出入国在留管理制度を抜本的に見直すよう求めていきます。

 

  この原稿を書きながら、議会の大きな壁を感じています。どんなに重要だと考え、国に対する意見書を大分県議会で出してほしいと願っても、数の論理で跳ね返されてしまうからです。これが政治の世界です。

 
 3連休の初日に、「糸園和三郎展」に行きました。

 中津出身の糸園和三郎さんは、今年で生誕110年だそうです。

 大分県立美術館OPAMでしばらく開かれています。私は、画伯が30歳ころに描いた「小児像」が好きです。お時間があったら皆さんもどうぞご覧になってください。

 
 OPAMからふと空を見上げると美しい青空が広がっていました。





2021 8.31  コロナと闘う人たちがいる


 連日猛暑が続いています。
 家の中にいてもエアコンを使わなければ、熱中症で倒れてしまいそうです。
 大分県では、コロナ感染者数は、200人は切ったものの高い位置で推移しています。
 病床使用率はついに60パーセントになりました。病院に入院できない人が、ホテル療養されていますが、そのホテルもいっぱいになり、県では、大分市内に7つ目のホテルを確保しました。
 6つ目のホテルでは、医者と看護師さんに常駐してもらい「抗体カクテル療法」も行えるようです。
 数か月前は、ワクチン接種が滞り、各市町村には不安と怒りが充満していました。臼杵市と佐伯市と豊後大野市でそのお話を伺った私は「ワクチンは、望めば 必ず打てます!」そのメッセージをしっかり伝えてくださいとワクチン対策室にお願いしていましたが、今は、「必ず入院できる日が来ます!」と伝えて欲しい し、その実現を少しでも早くやっていただきたいと願っています。

 8月26日にコロナ感染症対策特別委員会で参考人招致を行いました。



 大分市内にある「三愛メディカルセンター」では、昨年の7月14日以降、軽症、中等症の患者さんを約60名受け入れています。三島理事長のお話によると

  • 第5派の特徴として、ワクチン接種が進んだ50歳代以下の感染者が多い。
  • 接種を終えた人は、感染しても明らかに症状が軽い。
  • 1回だけの接種でも重症化はしない印象を受けた。
  • 抗体カクテル療法については、非常に効果が高い。「悪霊が体から抜けたようだ。」と言った患者さんがいた。
  • ただ、打つための要件として、50歳以上で、重症者ではない基礎疾患がある人と限られ、十分な量の確保も課題。とおっしゃっていました。

 三愛メディカルセンターでは、一つの病棟を感染者専用病棟とし、医師7人、看護師15人体制で治療にあたっています。しっかりとした動線を確保し、一般の患者さんとコロナの患者さん、その治療にあたる医療関係者が接触しない ようにしています。コロナ対応により入院、手術の予定が遅れることもあり、当然診療報酬面でも影響が出ていると思います。

 昨年は、医療従事者関係の子どもは、保育園に通うのをやめてほしいといった許すことができない差別発言も聞きました。そんな医療従事者の方々は、もう1 年以上、自身がいつ感染するかわからない不安を抱えながらも、重い防護服を着て、1回ずつ着替えながら汗だくになりながら県民の命を守るために最前線で文 句も言わずに、弱音を吐かずに黙々と働いてくれています。そんな人たちの赤裸々な実態をお聞きして、涙が出ました。

 

 私たちにできることは、限られています。それぞれにやるべきことがあります。コロナのピークは見えず、人によっては、この先3年くらいに長引くのではと 言われる方もいますが、私たちは、ここまで頑張ってきたのですから、デマや風評に惑わされずに、まずは、自分でできる感染症対策をしっかりとって、市中感 染を広げないように取り組んでいきましょう。

 

 県内の公立の小中学校では、2学期が始まりました。
 多くが分散登校ですが、子どもたちは、2学期に向けて期待をし、張り切っていることでしょう。

 

  生活面でも行動面でも、制約され続けてきた子どもたち。子どもにとって「いま」という時間は、「今」しかありません。

  大切にしていきたいですね。





2021 8,8   忘れてはいけない76年目の日

 
 広島に原子爆弾が落とされた日から、76年目を迎えました。
 被爆された方やご家族の方には、75年と一言で言えないほどの永い苦しい時間だったのだと思います。
 たった一つの原子爆弾で、その日のうちに14万人もの広島市民の方がお亡くなりになったのだとテレビは伝えています。

 

 毎年、「8.6」は学校で子どもたちと「平和学習」をしてきました。

 議員になってからは、それもかなわず、学校に出かけて行って、体育館で行われる集会に参加していました。でも、今年はコロナ禍なので我慢をして、テレビで平和式典の中継を見ていました。

 松井広島市長の平和宣言は、心にしみわたるほど、言葉は洗礼され、市長の感情を抑えたでも心のこもった語り方に、感動していました。
 それに反して、菅内閣総理大臣の平和宣言の言葉は、文章の読み間違いや読みとばしもあり、「こんな平和宣言は、初めてだ!」とがっかりするものでした。 とりわけ、「広島」を「ひろまし」と読み、「原爆」を「げんぱつ」と読み間違えたときには、あっけにとられてしまいました。
 日本がアメリカに配慮して、核兵器禁止条約の締約国になっていないことは、多くの人が知っています。多くの国民や被爆者団体の願いとかけ離れていること も知っています。しかし、「核兵器のない平和な世界」と口に出して言うのならば、総理の冒頭の言い間違いは、いかに自身の思いが込められていないのかを世 界中に発信してしまったような気がして、恥ずかしくてなりませんでした。
 毎年、広島市の6年生の児童二人が、「平和への誓い」を語ります。素直に伸びのある凛とした言葉の中で「本当の別れは、会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」と言った言葉が、私の胸に深く刻まれました。

 
 コロナの変異株がものすごい勢いで拡がっています。
 大分でも、ここ数日50人前後がり患し、20代、30代、40代の若い世代に拡がっています。生徒や児童も罹り、この分で行くと夏休み明けには、学校は大変なことになるのでは・・・・。と心配しています。

 

 

高等支援学校の調査

 そんなコロナ禍ですが、コロナが一時期落ち着いていた時に福岡に行ってきました。5月に予定していたのですが、コロナが収束せず、生徒がいる時期は迷惑 だろうと断念していましたが、コロナの感染が福岡も大分も落ち着き、「夏休みの今なら大丈夫なのでは・・・。」と判断しました。
 大分県では、来年の4月に県立の高等支援学校「さくらの杜」が開校します。

 

 少子化ですが、特別支援学校(知的障がい)に通う生徒は増え続けています。中学部や高等部に編入や入学する生徒は大勢いて、出口の問題もあります。
 新しくできる「さくらの杜」は、ろう学校がもう学校に移転した後、ろう学校の敷地内に建てられています。
 入学定員は、1学年32名。ビルや公共施設の清掃やパソコン入力、調理などの仕事を学び、卒業時には就労することをめざす学校です。
 自力で通学できる療育手帳を有している生徒が学力、体力、作業能力の選抜試験を受け、合格した生徒のみが入学を許されます。

 

 大分県の高等支援に学部的にも、規模的にも似ているのが、福岡市立高等特別支援学校「博多学園」です。初めての開校なので、少しでも勉強し、調査をしたいとずっと願っていました。

 

博多学園



・開校して16年になります。
・1学年は、40名。
・働き続けられる人を育てます。
・職場実習に力を入れ、これまでの先輩が頑張っているので700社受け入れ先があるそうです。
・週に2回、1年から3年までの生徒が、縦割りのなかで学習や実習もします。
・狭い土地で、街中にあるのでグランドは十分ではないのですが、その分、体育
 館は広く作られていて、地域開放もしています。
・職場実習でつくったパンやお菓子を月に何回か周辺の人たちに販売しています。(今は、コロナのせいで中止)
・ビルメンテナンスの会社と話し合い、清掃技能検定を受けられるように指導しています。
・ベッド周辺の仕事や介護の補助の補助、伝票入力作業の学習をしています。
・仕事が定着できるように、就職して1年間は、毎月学校に来てもらい、困りごとがないか、話し合います。
・仕事の定着率は、8割。
・青年学級を設け、生徒の就労実態を支えています。
・職業担当の教員を手厚く配置しています。
・入学試験では、療育手帳の有無は問いません。当然、普通中学からの入学希望者もいますが、市の教育委員会が受験資格があるかを調査します。

 


 説明してくださった教頭先生が、とてもやさしい語り方で、学校の雰囲気が良
いことがわかりました。しかし、大分県同様、臨時講師や産休代替などの先生の
確保には苦労しているようでした。
福岡市内にもう1か所高等支援学校を作る計画のようで、支援学校への入学者
の増加を痛感しました。
 高等支援学校は、就労を目的にした生徒が学ぶところですが、そのことだけに
目が向き、多感な時期の若者の心育てもしっかりとしていかなければならない
と考えながら、学校を後にしました。



2021 7.16 夏にしては涼しい朝に

 

 朝、新聞を開いて驚きました。

 大きく火災があったことが報じられています。記事には、「住んでいる方と連絡がとれない。焼け跡から一人の遺体が。」と大きく写真入りで出ていました。

 火事があった団地は、私の住んでいる隣の地区です。大慌てで自治会長さんに電話をしてみました。その後、現場に行き、火災の状況を見ました。消防の方も警察の方もいらっしゃいません。お隣の家は水をかぶったようですが、幸いにも延焼を免れていました。

 自治会長さんにお会いして、少しお話をお聞きしました。火事の通報があったのは昨日の夕方6時過ぎです。その時刻、私は家にいて、いつもなら消防車が行 く際のサイレンが聞こえるのですが、火災現場は家より下の方に位置していて、南消防署から駆け付けた消防車の音は聞こえませんでした。7台の消防車両が来 たそうです。

 私たちのような団地は高台にあるので土石流や津波の心配はありません。最も怖いのは火災です。家が密集していますので、いったん火が出てしまうと大きな災害につながります。改めて火事の恐ろしさを教えられました。

お亡くなりになった方のご冥福をお祈りしています。

 

 

 7月7日、県民クラブの玉田議員、高橋議員、成迫議員と一緒に臼杵市に調査に出かけました。目的は、「新型コロナ感染症拡大から1年以上が経過した臼杵市のコロナウイルス対策」に関してです。

 調査内容は、ワクチン接種の現状と課題、ひとり親家庭の抱える問題点、そして学校におけるコロナ禍での課題をお聞きしたいと考えていました。

 

 ワクチン接種状況について

 市では、接種室(10人)と子ども子育て課が予防接種を担当しているのでやっている。

〇予約は個別接種で行っている。かかりつけ医はどこでも受け付けている。

〇集団接種は中央公民館と野津の公民館、2か所で行っている。(1450人)

▲かかりつけ医の診療に支障も出たが、頑張ってやってきた。
 高齢者の接種を7月いっぱいで終わらせるようにと国が言っていたが、正直「とんでもない!」

 との思いが現場にはあった。しかし、振り分けて終わらせようと努力してきた。

▲予約が殺到して初日は大変だった。

▲ワクチンは、3割くらいしか入らず、予定が立たない。
 大臣や国が言う11月末まで完了見込みはおかしい。

 

 やはり、ワクチンが足りずに混乱が生じている状況がわかりました。国が県に強く指導し、県も各市町村に競わせるようにワクチン接種を要望してきました。

 市は少ない人数で、医師会とも協力してやってきましたが、突然、はしごが外された様な状況になり、怒りがにじみ出ていました。ワクチン不足には混乱が生じていて、先の見えない接種を実際に行う市町村の困惑を知りました。

 市民の方からの副反応に関する苦情はなく、対応している職員へのお礼の手紙が届いたそうです。
 医師会からの要請で、接種会場には救急車を準備して丁寧な対応をしていることも知りました。
 仕事を兼任しながら10人の職員で対応するのは大変で、残業も続いているようです。


 コロナ禍でのひとり親世帯の課題について

 コロナによって「出勤日数が減り収入減で先が困る」「就労などの選択肢が減った」「ボーナスが少なくなりローンが払えなくなった」「食べるものはフードバンクでもらっている」など、経済的に厳しい家庭の存在が浮き彫りになっています。

 子育て支援課では、児童扶養手当をもらっている人のみを対象としていますがひとり親世帯の精神的見守りや声掛けを続けています。
 いずれにしても、今後の自立に向けた地道な取り組みが必要とされています。
 精神面と経済面で支えていかなければならず、他の課との連携も必要です。
 「令和2年の時に見えなかったものが、令和3年になってはっきりしてきた」
と言われています。

 

 コロナ禍での教育現場の課題について

・教職員の接種を希望する人へは、6月18日から優先接種をはじめる。

・夏休みには、2回目が終わるようにする。

・勤務地の各学校医に分かれて、学校支援員も接種できる。

・大体の数は、把握しているが、はっきりさせてはいない。

・「中体連や高体連の全国大会がまだはっきりしていないが、あるとしたら参加しても良いのだろうか。」「子どもにワクチンを打たせて良いのだろうか。」と悩む保護者もいる。

・学校のプール指導は、18校中16校で実施。小学校1,2年生が2年続けて水泳指導を受けられないなんてありえない。

・生理の貧困は、2学期からできるようにしていく。

・就学援助が増えているわけではないが、経済的貧困は増えていると思う。

・昨年の休校の後、肥満や体力不足が多くあった。

 

 同じような調査を19日に佐伯で20日には豊後大野で行う予定です。


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●2021年1月〜6
6.13 ある日のできこと 
5.28 不器用ですが
5.6 コロナ禍のゴールデンウィークに思ったこと
4.15 「ハトシ」
3.23 こもっている間に春が来た!?
1.27 男だから 女だから
1.6 一陽来復

●2020年7月〜12
12.3 力のなさを感じます
11.1 今年もあと2か月
10.8 父の故郷 安心院
9.8 台風一過と台風一家
8.17 人と人がつながって平和を築いていくしかない
7.27 豪雨災害から2週間
7.7 地元愛にあふれていた中津江村

●2020年1月〜6
6.20 子ども
6.3 大切にしたいこと
5.5 何をしなければならないのか
4.12 システム手帳が真っ白
3.28 コロナ?!
2.25 本当におそれるものは
2.2 気温差23度の旅
1.17 もの言う大人でいたい


●2019年8月〜12
12.29 暗中模索の中でも人とつながって
11.27 中津は元気だ!
11.1 ラグビーワールドカップの余韻
10.6 この道もある。あの道もあるよ。
9.13 静かな秋が訪れるはずなのに
8.31 全日本少年野球大会
8.6 風蘭とシステム手帳

●2019年1月〜5月
5.6 戦い終わって・・・
3.15 あの日から
2.8 どうしてSOSが届かない
1.22 許せないのです
1.6 ボーっと生きてんじゃねーよ!

●2018年7月〜12
12.4 いつの間にか師走!
11.6 いつの間にか
10.18 駅ピアノ

9.14 おくすり手帳が手放せない
8.18 湯平に泊まりに行こう!
7.31 北海道は20度だった!
7.13 誰にでも起こりうること

●2018年1月〜6月
1.13 ローマ法王のカード
2.6 ぼつぼついこか
3.18 思いやることと忖度すること
3.31 桜の花をゆっくり愛でることができましたか
4.18 大分セブンス
5.7 たまには精進料理
5.31 保健室の先生  
6.15 いつになったら幼子の命が救えるのでしょうか


●2017年7月〜12月
12.29 胸が痛みます
11.26 442号は、みんなで取り組んで
11.5 誇りある青春
10.13 NO MORE VIOLENCE
9.19 2年前の今日「戦争法案」が強行採決されました
8.27 今年の夏は
7.15 災害発生から11日
●2017年4月・5月・6
6.21 ひと休みして考えよう
5.27 本当に良いものを食卓に
5.6 6年目のフクシマ
●2017年1月・2月・3
3.29 なかなか訪れない春
3.4 とっても近い国「台湾」
2.12 災害の大きな爪痕
1.21 健康でいることのありがたさ
1.3 穏やかな年の初めに
●2016年10月・11月・12
12.12 この痛みはなぜ?
11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って
10.18 どうしても許せません
●2016年7月・8月・9
9.24 厳しい現実 ―台風16号被害―
9.7 行く夏
8.21 なつやすみ
7.26 分断されていく人々のこころ
●2016年4月・5月・6
6.30 今の平和をわざわざ壊しますか?
6.7 新しい判断
5.6 地震?!
4.9 見えにくい子どもの貧困
●2016年1月・2月・3
3.13 あの日から5年
2.23 スローフードと空き家対策
1.31 選ぶことのできない世界
1.15 4本のイヤダ!
●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜