ときどき日記


2022 6.27 こわいをしって へいわがわかった

 激しい雨が降りました。
 皆さん大丈夫でしたか?
 参議院の選挙は公示から早6日。「こんな雨では選挙車両は大変だろうなあ。」と案じていました。

 仕事の帰りにコンビニによることがあります。
 セブンイレブンのnanacoカードを持っているので、疲れている時はおかずもそれで買います。
 ある日のこと、つれあいが好きなスイーツを購入しようと店に寄りました。ちょうど、商品を補充している最中で、好みのものが並べられたかしら・・・・。と作業をしているアルバイトの店員さんの手の動きをじっと見つめていました。
 彼は、外国の人らしく、しばらくしてから「何をお探しですか?」と尋ねられました。結局お目当てのものはなく、別のものを求めたのですが、その時の彼の流ちょうな日本語が印象的だったので、「学生さんですか?」と尋ねました。
 明日香美容専門学校に留学しているそうです。ホテルのフロントの仕事の勉強をしているらしく「明日香にそんなコースがあることを知りませんでした。」とつい言っていました。
 仕事の手を休めて話したことから、4年前から日本に留学していることや出身がスリランカだということを知りました。私は、8年前にスリランカに行っていたので、思い出をたどりながらシギリア・ロックやタンブラ寺院の話で盛り上がりました。
 コロナ禍の中で、希望をもってアルバイトに励んでいる姿を見て何もできないけれど応援したいと思いました。
 その二日後に同じ店に行った時は、スリランカの彼はいなくて、インドネシアの男性とスリランカ出身の女性が働いていました。
 この物価高の中で生活はさぞや大変だろうと心配しています。


 6月23日は沖縄慰霊の日でした。
 沖縄戦で、旧日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日から今年で77年。
 沖縄ではそれぞれの祈りが行われていました。
 テレビをつけると、戦没者追悼式で、小学校2年生の少女が、自分で書いた平和の詩を朗読していました。そしてテレビの前に釘付けになりました。

 

 こわいをしって、へいわがわかった

びじゅつかんへお出かけ
おじいちゃんや
おばあちゃんも
いっしょに
みんなでお出かけ
うれしいな

こわくてかなしい絵だった
たくさんの人がしんでいた
小さな赤ちゃんや、おかあさん
 
風ぐるまや
チョウチョの絵もあったけど
とてもかなしい絵だった

おかあさんが、
77年前のおきなわの絵だと言った
ほんとうにあったことなのだ

たくさんの人たちがしんでいて
ガイコツもあった
わたしとおなじ年の子どもが
かなしそうに見ている

こわいよ
かなしいよ
かわいそうだよ
せんそうのはんたいはなに?
へいわ?
へいわってなに?

きゅうにこわくなって
おかあさんにくっついた
あたたかくてほっとした
これがへいわなのかな

おねえちゃんとけんかした
おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
そして仲なおり
これがへいわなのかな

せんそうがこわいから
へいわをつかみたい
ずっとポケットにいれてもっておく
ぜったいとおさないように
なくさないように
わすれないように
こわいをしって、へいわがわかった


 ロシアがウクライナに侵略して4か月になります。
 どれだけ命が失われてきたのでしょう。

 

 スリランカの人も日本人もロシアの人もウクライナの人も亡くなっていい命なんてありません。


 参議院議員選挙の投票日は、7月10日です。
 大切な1票を投じましょう!



2022 6.8 夜間中学と新しいテーブル

 急に暑くなってきました。まだ梅雨入りではありませんが。

 5月29日の日曜日に念願だった「夜間中学U」の上映会を行いました。

 「やらなければ!」「やりたい!」とずっと温め、コロナの感染状況をいつも気にしながら実施時期を探ってきましたが、「もう大丈夫だろう。」と考えました。

 チラシは、1000枚刷り、「ここには是非ともお知らせしたい」と考えつくところにはお話に伺いました。FBや県政報告でも紹介し、県民クラブの仲間と 準備を続けてきました。しかし、当日は「ごめん!どうしてもいけなくなった。」「ごめんなさい。時間の都合がつかなくなった。」とキャンセルも多く、結 局、40名足らずの参加でした。改めて、イベントを組むことと、人を集めることの大変さを思い知らされました。


 参加してくださった方の中には、「夜間中学」に通いたいとの意思を持った人は見当たりませんでしたが、DVD上映中は、ストーリーに心がひきつけられたのか涙をぬぐっている人が何人もいました。


 感想には「学びたいという気持ちに応えるのが、国や地方公共団体として当然だと思いますが、そうなっていない現状がよくわかりました。」「夜間中学の存 在を知らなかったが、その重要性を考え、県も市も夜間中学設立に取り組んでいかなければならない。」「不登校を経験した人が『全課程を修了する』という偽 りの言葉で形式卒業していくと話されていたことが衝撃的だった。」そんな声が多数記されていました。

 講師できてくださった、元東京都夜間中学教員の関本さんのお話は、説得力があり、かつ衝撃的だったようです。



 2020年の国勢調査の結果から見える大分県での義務教育を修了していない人の人数が、9280人(不登校で卒業証書だけは受け取った形式卒業の人は含まれていません。)いるという事実は大きかったと思います。

 当日は、県教育委員会の担当指導主事の方や大分市の市議会議員も参加してくれていましたので、これからニーズ調査をもっと深堀して、必要としている人た ちにこの情報を届ける努力をしていきます。幸いにも新聞記者の方が、2紙記事にしてくれましたので、記事を読まれている方は県内にも大勢いると信じていま す。

 演劇をしている人が、「夜間中学を題材にして劇を作る予定です。」と声をかけてくれました。今からとても楽しみにしています。

 九州では、福岡市に今春夜間中学が開設されました。宮崎市も名乗りを上げていますし、長崎、熊本、佐賀も動き出しています。夜間中学設立が最も遅れている大分県ですが、これからも情報発信しながら、いろいろな人と繋がり夜間中学開校に向けてみんなで歩んでまいります。

 このところ、歩く時に自分でも不安定で「ぎくしゃくしているなあ」と感じています。完全に老化現象なのだとわかるのですが、少し残念です。

 私は足のサイズが22.5です。でも、もしかしたらそれより小さくなっているかもしれません。体を支える一番土台となる足が小さく、すぐによろける始末 です。加えて、膝が痛くはないけれど若い時のようにスムーズな動きができていません。今は、うちにいる時は、膝にサポーターを着けて固定しています。


 引っ越ししてから20年、我が家では、食事をとる時も、仕事をする時も居間にある大きな机でやってきました。でも、最近では、一度座ってしまうと、次に立ち上がるのに苦労していました。二人家族ですが、立っている方に向かって「○○を取ってきて!」と頼む始末です。

 
 「もう、ダイニングテーブルを替えよう!」そう話し合って、タカハシ家具に出かけたのは、一月ほど前のことです。

 価格も考慮しながら一番びびびーと感じた品を予約注文しました。

 それが、雨が激しく降る日曜日に搬入されました。

 今まで、使っていた大きなテーブルを動かした時、がらんとした何もない床を見ながら20年前にこの家に入った時のような気がしました。



 業者さんは、雨の中、手慣れたもので、梱包を外し、どんどんセットしていきます。この道20年以上のベテランだそうです。


 大分県内だけではなく、大阪や横浜まで搬入するそうです。

 昔は、嫁入り道具で当たり前だった3点セットは、ほとんど注文は殆どないそうです。時代の移り変わりですね。


 古い家具が隣の畳の部屋に移動し、居間には新しい家具が、新しいにおいを醸し出しながら鎮座しています。

 平岩家も新しい時代に入ったのかもしれません。


2022 5.5 ゴールデンウィークどうお過ごしですか


 風薫る5月。

 そして、ゴールデンウィークです。



 暦通りにお休みできない方もいらっしゃるかもと思いつつ、我が家は、暦通りにお休みしています。
 今年は、コロナは続いていますが、2年ぶりに規制もなく、晴天に恵まれて、各地は人であふれています。
 朝の、テレビ放送では、いろんなイベント会場に長蛇の列ができている様子を報じていました。若い人や子ども連れが多く、皆さん笑顔で自由な時間と空間を満喫している様子でした。


 でも、私の心は晴れません。
 「なぜなんだろう」
と考えるのですが、世界の情勢や日本の置かれている状況が危ういことが原因だと気づきます。
 ロシアのウクライナへの侵略が2か月以上続いています。
 ウクライナでは、国を出て避難民となっている人は、550万人以上だとか。その多くは女性と子どもと老人たちです。国内避難民も700万人以上に上っています。
 65歳以下の男性たちは、国を守るために自国に留まり戦っています。
 すぐに終結すると思われていた戦闘は、まったく終わる気配が見えず、ウクライナは多くの国の支援を受けて、ゼレンスキー大統領は戦闘を鼓舞しています。

 ロシアのやっていることは、決して許されることではありません。あの蛮行が毎日報じられる度に「もう見たくない!」と思うのですが、現実です。
けれども力で力を封じ込めることは許されないし、そこからは何も生まれないと思うのです。
 傷ついていく人々への支援は絶対必要です。でもそれは武器ではないと思うのです。世界中のリーダーがもっと平和的外交に力を入れてほしい。そのリーダーシップを日本が果たしてほしいと切に願います。

 日本では、ロシアのウクライナへの侵略を例にとり、「敵基地攻撃能力を備えなければ!」と声高に政治の中枢にいる人たちが叫んでいます。それに同調する人たちも増えてきていることが私の心の不安をさらに大きくしています。

 日本でも、70年以上前にロシアと同じようにアジアの国々に侵略していきました。2000万〜3000万人以上の民衆が犠牲になった歴史があります。
 ですから、戦争が終結し、その反省のもとに平和を永久に希求する「日本国憲法」が誕生しました。
 それだというのに、「また北朝鮮がミサイルを発射した!」「台湾有事」を想定しながら、民衆に揺さぶりをかけ、憲法を変えなければという発想を私はどうしても許すことができません。
 名古屋学院大学の飯島滋明教授はこう言われています。
 「戦争をさせない。それが政治家の任務だ」と。

 コロナ禍での国会議員の任期延長で国民投票をうまく使い、憲法を変えなければ時代遅れだという政治家を私は受け入れることができません。
 だから心の中のもやもやした気持ちや不安がどんどん大きくなっていきます。

 5月3日は、我が家の結婚記念日でした。

 「私たちもう42年も一緒にいるんだね。根気強いね。」と笑いました。
 憲法は、誕生して75年です。これから何年生き続けられるかわかりませんが、私が生きている間に憲法が変えられることがないように祈ります。行動します。

 


 

 長崎鼻には、黄色いハンカチがたなびいています。
 のぞいてみると
「せかいじゅうのひとがしあわせでいられますように」と小学生が書いたものがありました。


2022 4.11 新型コロナはやはり怖いです

 ひと月ぶりの投稿です。
 3月、第1回定例県議会が終了するころ、県議会でもクラスターが発生していました。
 該当者と会議に参加していた私は「気を付けて体調を見ていてください。」と言われていました。
 早速、抗原キットを買ってきて、3月24日に簡易検査をしてみました。
 なんと、検査薬には、陽性を示す2本の線が出ました。まさかと思いましたが、現実です。
 私が、県議会で接触したのは、3月15日と18日です。15日は、僅かな時間です。18日は、長時間の会議でしたが、間に二人置いてのことでした。もちろんマスクをしていました。おそらくそのどちらかの日に感染したのだろうと考えました。
 すぐさま、PCR検査を実施してくれる病院を探し、検査をお願いしました。検査は、翌日午後2時からしか実施できませんでしたが、覚悟を決めて待ちました。

 病院の駐車場に車を止め、あらかじめ、車種とナンバーを知らせておいて、向こうが見つけてくれるのを待ちました。
 しばらくすると、テレビで見たことのある防護服を着た人がやってきて、車の中で鼻に綿棒を深く入れ、グルグル回すと検査終了です。
 一緒に生活しているつれあいも、抗原検査キットでは、陰性でしたが、おそらく感染しているだろうと一緒に検査を受けました。
 20分後、電話がかかってきて、私は陽性。つれあいは、陰性であることを告げられました。その結果は、大分市保健所に報告されます。

 この間、私が濃厚接触したと考えられるのは、4人です。その方たちにうつしていたらと随分心配しましたが、幸いなことにだれもコロナにかかってはいませ んでした。けれども、オミクロンは症状が軽く、検査しないと判明しない病気です。検査もせずにあのまま普段通りに行動していたらと考えると怖ろしくなりま した。

 家に帰って、今後のことについて保健所からの連絡を待ち、同居の家族は陰性なので、家庭内感染を避けるため私はホテル療養を指導されました。慌てて、持っていく荷物を準備して翌日の入所を待ちました。

 

 3月25日
 朝、つれあいの車でホテルに行きました。
 ここでも車種とナンバーを伝えていて、ホテル裏から、防護服を着た人に促されてエレベーターに乗り込みます。
 私が、エレベーターのボタンを押すことは許されず、促されてホテルの6階へ。

 療養生活は、
  • ホテルの1室で誰とも会えず、一人で過ごします。
  • ホテルに常駐している看護師さんから朝7時夕方4時に電話がかかり、体温と酸素飽和度を自分で計測してお伝えします。
  • 掃除も洗濯も自分でします。
  • 家族からの差し入れは一切できません。どうしてもの時は、宅配業者に頼んでホテルに届けてもらうよう指導されました。
  • 朝、7時にラジオ体操が流れます。
  • 食事は、毎食、部屋の外に置かれた椅子の上にありました。
  • 業者さんの作ってくれたお弁当です。揚げ物が多いと聞いていましたが、確かにその通りですが、1週間の入所中、ちらし寿司とサンドウィッチが1回ずつありました。
  • 24時間、テレビを見るか本を読むか一人物思いにふけるかしかできません。
  • 電話は、携帯でつながります。WiFiもつながっていて、パソコンも打てました。
  • 日に1度、ごみも食べ物の残りも一緒にして、一つのビニル袋に入れ、固く絞って廊下の椅子の下に出します。
  • 私のいた階には、20人くらい療養していたと推測するのですが、ドアを開ける時も誰とも顔を合わすことはありませんでした。
  • 自分のいる部屋や窓から見える様子をSNSなどで発信することは禁じられています。

「平岩さん、明日が退所できる日になります。」と3月30日に看護師さんから連絡をいただきました。



 3月31日退所
 今振り返って、三日目が一番きつかったように思います。
 通りを歩く人の姿や、バスや車が行きかう様子は見えますが、そこに自分が存在していないことがわかります。どこにも存在しない人間のような気がして
瞬間「死」や「絶望感」を感じました。
 出ていく時は、お迎えの人がドアの前に立ち、その人についていきます。もうコロナ患者ではないので、自分でエレベーターのボタンも押すことができます。
 外では、看護師さんが笑顔で待っていてくれました。
 通りの向こうの駐車場につれあいの乗った車が見えた時、涙が出てきました。

 発熱外来、検査、入所指導、ホテルでの療養指導、退所指導と患者が戸惑わないように一連の流れがスムーズにできていて感心するばかりですが、コロナが出 始めたころは、保健所をはじめ、大変な混乱だったと思います。2年の間にいろいろな人と努力でここまで完備されているのだとつくづく感じます。大分市保健 所長の名前で、就業制限通知書まで届けられました。

 今、コロナり患者が連日400人から500人と高止まりをしています。
乳幼児、幼稚園・保育園の子ども、小学生から20代の人までが大半を占めています。
 私は、たまたま仕事を休めましたが、年度末、年度初めのこの時期に急に休まなければならなくなった人たちの悲哀を思います。初めて社会人になった人や人 事異動で新しい部署に配置された人もいるでしょう。家庭を預かる人もいると思うとコロナにかからないように祈るばかりです。

 せっかく、家族感染をさせまいとホテル療養を選んだ我が家ですが、家に帰ってからつれあいの罹患が判明しました。
 私が、回復者なので、感染の心配がないということで、つれあいは家で療養することができました。
 結局、私は、2週間、人との接触を避けた生活をしました。後遺症として筋肉痛が残りました。

 コロナは、避けられない感染症かもしれませんが、どうぞ皆さん、罹らないに越したことはありません。どうぞお気を付けください。



2022 3.11 春だというのに・・・・・・。

 
 通勤の時に見える街路樹のハクモクレンが日ごとにつぼみを膨らませています。
 どこからか沈丁花の甘い香りが漂ってきています。
 私はこの香りを夜の闇の中でかぐと、尋常ではいられなくなってしまいます。
 ワクワクして、「赤頭巾ちゃん気をつけて」の世界に引きずり込まれてしまうのです。

 
 今日は、3月11日

 
 東日本大震災から11年になります。
 11年前のあの時の映像がフラッシュバックのように蘇ります。
 もう11年経ったということが、信じられず、もう11年、まだ11年と感じています。

 震災のひどい状況を知った後、宮城県、岩手県に出かけました。自身が被災者であるタクシードライバーの山本さんに導かれながら、「津波がここまで来たん です。」という場所をくまなく歩きました。津波の襲来はあまりに速く、すさまじいことだったことが信じられませんでした。日和山からの景色、仙台空港の近 くのなにもかもが流された後、広い場所にポツンと残されていたかつては立派だったであろうと思われる被災した家屋。信号機が点滅したままの道路。置いてい かれたひな人形。どこもかしこも瓦礫の山でした。次から次に走馬灯のように思い出します。

 少したってから訪れた福島の避難所。後から建てられた立派な鉄筋建ての被災者住宅。今ではそこにももう人が少なくなっています。


 この11年間、福島や三陸のことを忘れたことはなかったけれど、それでも日常生活の中で埋没してしまったことも多々ありました。

 山本さんともずっと連絡を取り合っていましたが、月日は流れ、山本さんのお宅の息子さんは学校の先生になり、お嬢さんは結婚して赤ちゃんが生まれました。震災後は埼玉の加須市に避難していたご両親は亡くなってしまいました。
 一人ひとりの人生にどれだけ大きな爪痕を残しているのか想像することしかできません。

 復興と叫ばれ、土地のかさ上げが行われ、住宅は高台に移転しています。高い防潮堤が築かれ、新しい道路がまっすぐに伸びています。
 福島の帰還困難地域も徐々に解除され、今は双葉町と大熊町の復興支援が言われています。バリケードが撤去され、お試し住居に帰ってくる人を受け入れてい ますが、福島へ帰っていく人は本当に少ない状況です。「忘れないで」「どうして大好きな故郷に帰れないのかを考えて」と思うのですが・・・・。
 「もう忘れたい」と感じている福島の人もいるとわかります。でも、私たちは自分のこととして捉えていかなければ、あの惨事は伝えられなければいけないと考えます。未だに津波と放射能被害で3万8千人の人が故郷を離れています。

 原発事故が引き起こした放射能問題を私たちは知っています。
 それだというのに 

ウクライナではロシアが侵略を続け、核の脅威も

 
 ロシアがウクライナに侵略して、すでに2週間以上になります。プーチンはどうしてこんなことをするのだろうと驚きました。こんな理不尽なことは、世界中からの非難ですぐに終わると考えていました。
 でも、終結が見えません。日を追うごとに被害は深刻になり、人々の命が失われています。
 テレビの映像から流れる泣きながら荷物をもってやっと歩いている男の子の姿が目に焼き付いて離れません。ウクライナは、氷点下です。震えながら立ってい る子どもの姿は正視することができません。インフラに必要な建物も攻撃の対象になり、ヨーロッパで最大と言われる原発の建物の近くにミサイルが発射されて 火災になっています。チェルノブイリ原発事故を誰よりも知っているはずの人がやるべきことではありません。

 私のところにいろいろな人が想いを寄せてくれます。
 「プーチンを呪い殺したい」
 「私たちにできることはないでしょうか」

 プーチンはウクライナがNATOに加入することを恐れているのでしょうか。
 もう一度ソビエト連邦のような国をつくりたいのでしょうか。
 国連の仲介は機能していません。
 首脳国が、どんなに抗議の決議をしても、経済政策に踏み切っても、状況は全く改善されていません。全世界対プーチンの構図だけが浮き彫りになってきます。
 世界中に何人もいる独裁主義のモンスターが生まれない状況をつくらなければ、弱い人々はどんどんつぶされてしまいます。

 破壊されて瓦礫と化したウクライナの国土を見ながら、第3次世界大戦になるのではないかと本当に心配しています。

 この理不尽な侵略を一刻も早く終わらせたいと祈ります。


2022 2.14 きっと春が来る

 今年は、「少しは花を植えなければ!」と年明けに苗を買いに行きました。
 私は、種から育てるような技量はなく、センターで好きな苗を買ってくる派です。
 簡単な方法で、春の庭づくりをやってしまうのですが、しかし、花壇と玄関周りのプランターの構想は、随分と練っていました。家にある「花のくらし」全4 巻の春編を毎晩のように眺め、素敵な春の庭づくりをしているお宅の記事を記憶にとどめ、研究しました。そうして「今年は、ピンクと白とブルーと薄紫を中心 にグリーンを入れる!」と決めていました。花壇も黄色をできるだけ使わないようにしようと心に誓いました。
 勢い勇んで出かけたものの「苗がこんなに高い!」「まだ出てきていない!」それが年末の状況です。私の願いをかなえてくれるのは、パンジー、ビオラ、アリッサム、デージー、マーガレットにシロタエギクとヘリクリサムくらいしかありません。
 根気強く、3回ホームセンターや花屋に通い、背の高い勿忘草とポピーの苗を買う時には、苗の値段は少し下がっていました。その間に、花壇には、昨年の チューリップの球根をつれあいに手伝ってもらって植えこみました。最後にセンターに行った時にこの3年間、時期を逃して出合えなかったスイトピーの苗を見 つけ、白、ブルー、紫、ピンクを5本植えこみました。

 ある日、玄関先にプランターに植えこまれたサクラソウが置かれていました。
 一軒先に2年前、新築された方は、見事に花を咲かせているので、その花談義の中から我が家にも分けていただく約束ができていました。「5,6月に花が終 わったら、またプランターだけ返してください。また、苗を植えてあげます。」との言葉。花の苗をくださる方が私には何よりも大切な人なのです。
 その後、クモマソウが加わりました。この寒さの中で、花は大きくなりません。それでも、毎日外に出て満開に咲き誇る日を夢みています。お米を研いだ時に 出る米汁を、薄めて苗に注ぎ込んでいます。花壇には、こぼれ種でノースボールとカモミールが出てくるはずです。スズランの根は拡がっているはずです。宿根 草の水仙も花芽を膨らませています。


 
 ひと月ほど前、新聞に大分県農業大学校で葉ボタンの色付けが成功した。と報じられている記事を見つけました。
 葉ボタンは、冬の時期に花壇を飾る花です。白っぽいのと紫の2種類しかありません。しかも咲いているうちに大きくなって、しまいにはアブラナ科ですので、放っておくと菜の花のような花が、咲き出します。
 農業大学校では、この葉ぼたんを特殊な食紅に漬け込み、カラフルな色付けに成功していました。何度も何度も失敗を繰り返したそうです。色付けされた葉ボタンは実に美しく愛らしいものでした。これを「プリンセス・リーフ」と名付けて宣伝拡大をしています。



 葉ボタンを育てている農家は、県下に32軒だけだそうです。葉ボタンの需要は、お正月の花材が主流で、ほぼ12月までで終わってしまいます。
 でも、カラフルな葉ボタンなら、2月のバレンタインまで使えます。結婚式のテーブルも華やかにしてくれます。いつでも必要になってきます。
 葉ボタンの苗は、農家の人が出荷する時は一つ30円ほどで、消費者の手に渡る時は200円くらいだそうですが、色付けされた葉ボタンは、一つ1000円くらいで売られるそうですから、葉ボタン農家にとっても朗報です。


 北京オリンピックも終了します。平和な祭典のはずなのにドーピングや服装規定、判定を巡るいくつかの疑惑が浮かび上がり、何だか政治利用されている気がしてなりません。

 ロシアのウクライナ侵攻が起こりそうで不安です。アメリカがロシア軍のベラルーシでの増強に危機感を募らせています。ウクライナに滞在している自国民に退避勧告も各国が出しています。
 日本は、資源の天然ガスをロシアに依存していますが、どのようなスタンスでいるのか。NATOはどうするのか。国連の関与は。・・・・・・。紛争だけは避けてほしいと願います。侵攻が始まれば、国籍、民族を問わず多くの犠牲者が出ることは明らかなことなのですから。

 誰にとっても、優しい春がやって来てくれることを祈り続けている毎日です。




2022 1.20  今年もよろしくお願いいたします!

 
 遅くなりましたが、明けましておめでとうございます!
今年のお正月は、寒かったけれど風もあり、気温も上がらなかったけれど でも穏やかな幕開けでした。
 私は家族と一緒に地元の賀来神社にお参りしました。
 参拝客も多くはなく、神殿までそんなに待たずに辿り着くことができました。
 私たちの前に並んでいた男性の方、待っている間は、ずっとスマホをあたっていましたが、いざお参りになるとすごく長い時間をかけて願っていました。(何をお願いしているのかしら・・・・。)と考えながらその姿を見つめていました。
 私は、「どうぞ今年こそみんなが幸せを実感できる年になりますように。」と願いました。

  しかし、新年まだ20日しか経っていないのに、悲しくなるような驚愕させられる事件がたくさん起きています。
 近頃、「生きて行くことが嫌になった。人を殺して、捕まり、死刑になりたい。」そんな事件があまりに多いと感じます。
 どうしてそこまで刹那的になってしまうんだろう。
 どうして他人を巻込むんだろう。
 ほんの少しでも先のことを考える余裕があったら、事件の後、自分の周りの大切な人たちがどんな状況に置かれるのかを少しでも考えることができていたら。

 自暴自棄による犯罪の増加は、生きにくい現代社会を象徴しているようでも
あり、苦しくなります。格差が広がっていることも背景にあるとも思います。
 

 今朝、夢を見ました。
 8年前に亡くなった母が出てきました。妹はよく母の夢を見るというのです
が、これまで私は、母の夢をほとんど見ていません。やはり、妹の方が情が深く、いつも母のことを心配して介護をしていたからだろう。私は、どちらかというと冷たかったのかもしれないとずっと考えていました。

 夢の中の母は、少し認知症が出ていて、せっかく頂いたプレゼントその場に忘れて移動していました。

 どうしてこんな夢を見たのだろうか。
 老いを感じているのかもしれません。
 仲の良い友人が、心臓の近くに異常が見つかり、紹介状を持って大きな病院を受診する話を聞いたのは二日ほど前です。
 昨日お会いした先輩二人は、お兄さんの店の方付けで疲労困憊していました。
 もう一人の先輩は、つれあいさんが、生活するうえで厳しい状況になり、家事を全て担っているということでした。そんな話が、深層心理の中で左右しているのかもしれません。

 どうして、新年早々こんなことを綴っているんだろう。と自分でも情けなくなります。

 

 視点を変えて、



 このスカートは、私の冬の定番のスカートです。
 英国製の巻きスカート。
 もう25年はいています。

 25年前、金池小学校に勤めていた時に、クラスの子どものお母さんにこう声をかけられました。
 「母(姑)が旅行に行って、お土産に買ってきてくれました。でも、私には入らないのです。先生良かったら着てくれませんか。」
 普通保護者から、物をもらってはいけないと思うのですが、その時は、赤いチェックに魅せられて
 「はい! でもいいんですか?」

 以来25年、この赤いタータンチェックのスカートは、冬の時期は、私の身近にいつもありました。

 25年間、擦り切れることもなく、色が抜けることもなく、破れることもなく、頂いた時と同じままで私の傍にいます。すっと着続けてきました。
 余程品質が良いのだろうか?
 さすがウールの本場イギリスのものだから?

 

 上に合わせるものは、この25年で変わりました。ブルゾンだったりセーターだったりジャケットだったりしたのですが、このスカートはずっとさりげなく存在感を示していました。大好きなスカートです。

 

 でも、だんだん心配になってきました。
 壊れないけれど、もしかしたらいつかはだめになってしまうかもしれない。
 その時のために、スペアが必要かもしれない。

 ウインドーショッピングをしたり、インターネットで調べたりいろいろ試みているのですが、これと同じものは出てきません。
 ある時、スコットランドの男性の正装で同じような巻きスカートを着ている人がテレビに映っていました。それは、ブルーを基調にしていますがデザインが同じです。
 ということは、本場に行って買わなければ手に入らないのだということでしょう。

 ですから、いつの日か、英国に行って、赤いチェックのスカートを買おうと考えています。今は無理だと思いますが、近い将来の夢にしようと決めました。

 オミクロンが猛威をふるっています。
 「ワクチン、ワクチン、ワクチン」と報じられています。そのワクチンは恐ろしい毒物だと言われる方もいます。
 世論が分断されて、意見の対立が顕著になるかもしれません。

  先の見えない、不透明な時代。
 将来の若者にいろいろな負担を担わせてしまっている時代です。

 だからこそ、夢を持ちたいと新年早々考えます。


 

 皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


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●2021年7月〜12
12.30 ふざけるな!
12.6 もう師走!
11.10 夜間中学
10.19 サウナを愛でた
9.21 仕事の合間に考えたこと
8.31 コロナと闘う人たちがいる
8.8 忘れてはいけない76年目の日
7.16 夏にしては涼しい

●2021年1月〜6
6.13 ある日のできこと 
5.28 不器用ですが
5.6 コロナ禍のゴールデンウィークに思ったこと
4.15 「ハトシ」
3.23 こもっている間に春が来た!?
1.27 男だから 女だから
1.6 一陽来復

●2020年7月〜12
12.3 力のなさを感じます
11.1 今年もあと2か月
10.8 父の故郷 安心院
9.8 台風一過と台風一家
8.17 人と人がつながって平和を築いていくしかない
7.27 豪雨災害から2週間
7.7 地元愛にあふれていた中津江村

●2020年1月〜6
6.20 子ども
6.3 大切にしたいこと
5.5 何をしなければならないのか
4.12 システム手帳が真っ白
3.28 コロナ?!
2.25 本当におそれるものは
2.2 気温差23度の旅
1.17 もの言う大人でいたい


●2019年8月〜12
12.29 暗中模索の中でも人とつながって
11.27 中津は元気だ!
11.1 ラグビーワールドカップの余韻
10.6 この道もある。あの道もあるよ。
9.13 静かな秋が訪れるはずなのに
8.31 全日本少年野球大会
8.6 風蘭とシステム手帳

●2019年1月〜5月
5.6 戦い終わって・・・
3.15 あの日から
2.8 どうしてSOSが届かない
1.22 許せないのです
1.6 ボーっと生きてんじゃねーよ!

●2018年7月〜12
12.4 いつの間にか師走!
11.6 いつの間にか
10.18 駅ピアノ

9.14 おくすり手帳が手放せない
8.18 湯平に泊まりに行こう!
7.31 北海道は20度だった!
7.13 誰にでも起こりうること

●2018年1月〜6月
1.13 ローマ法王のカード
2.6 ぼつぼついこか
3.18 思いやることと忖度すること
3.31 桜の花をゆっくり愛でることができましたか
4.18 大分セブンス
5.7 たまには精進料理
5.31 保健室の先生  
6.15 いつになったら幼子の命が救えるのでしょうか


●2017年7月〜12月
12.29 胸が痛みます
11.26 442号は、みんなで取り組んで
11.5 誇りある青春
10.13 NO MORE VIOLENCE
9.19 2年前の今日「戦争法案」が強行採決されました
8.27 今年の夏は
7.15 災害発生から11日
●2017年4月・5月・6
6.21 ひと休みして考えよう
5.27 本当に良いものを食卓に
5.6 6年目のフクシマ
●2017年1月・2月・3
3.29 なかなか訪れない春
3.4 とっても近い国「台湾」
2.12 災害の大きな爪痕
1.21 健康でいることのありがたさ
1.3 穏やかな年の初めに
●2016年10月・11月・12
12.12 この痛みはなぜ?
11.5 あらゆる暴力がなくなることを願って
10.18 どうしても許せません
●2016年7月・8月・9
9.24 厳しい現実 ―台風16号被害―
9.7 行く夏
8.21 なつやすみ
7.26 分断されていく人々のこころ
●2016年4月・5月・6
6.30 今の平和をわざわざ壊しますか?
6.7 新しい判断
5.6 地震?!
4.9 見えにくい子どもの貧困
●2016年1月・2月・3
3.13 あの日から5年
2.23 スローフードと空き家対策
1.31 選ぶことのできない世界
1.15 4本のイヤダ!
●2015年10月・11月・12
12.23 来年こそ民意を反映させることに努めましょう
11.26 暴力の根絶を
10.25 カレーライスとCLT
●2015年7月・8月・9月
9.23 許せない暴挙を前にして
9.6 北陸への視察
8.6 フロイドの深層心理
7.21 民意の拡がり
7.7 子ども最善の利益とは
●2015年4月・5月・6月
6.8 あきれている。でもあきらめない。
5.14 不条理の中で
4.1 みんなに春が来ますように

●2015年1月・2月・3月

3.5 控訴に憤りを覚えます
2.14 鬼は出て行ったかしら?
1.16 T先生を偲んで
1.6 猛吹雪の中で


●2014年10月・11月・12月
12.17 現実を受け止め、諦めない
11.19 民意と政権のねじれの中で
10.29 子どもって
10.6 教えるとは、希望を語ること
   学ぶとは、誠実を胸に刻むこと
●2014年7月・8月・9月
9.16 二人三脚でやっていくしかないかな
8.9 福島の子どもたちと過ごした1週間
7.14「えば」のようにしぶとく行きましょう!
●2014年4月・5月・6月
6.27 「ゆふわく」のご案内とご寄付のお願い
6.13 なくならない痛み
5.30 またやってしまった!
5.7 震災からもう3年、まだ3年
4.2 母がいなくなって

●2014年1月・2月・3月
3.3 スリランカに行ってきました。
2.1 想像力と思いやりのない人は・・・・
1.13 介護の行方は・・・・・

●2013年10月・11月・12月
12/28 静かな年の瀬に
12/18 お気に入りのホテル
12/7 久しぶりの別府
11/14 結婚式
11/5 秋の三連休
10/19 どんな秋が来るのかな・・・
●2013年7月・8月・9月
9/28 施設への入所
9/10 いつの間にか夏が行ってしまいます。
8/17 お父さん、ありがとうございました。
8/2 福島の子どもたちと過ごした5日間
7/15 ただ今、奮闘しています!
●2013年4月・5月・6月
6/11 福島の子どもたち保養プログラムにご協力を
5/7 「風化しないことを願う」と言われた日
4/18 佐高 信(さたか まこと)がおもしろい
4/7 来年の還暦までどうしよう!?
●2013年1月・2月・3月
3/16 ありがとうRUPO
2/16 諦めない
1/31 左に偏っている?
1/10 今年の運は・・・

●2012年10月・11月・12月
12/27 吉田ばあちゃん
12/10 教育公務員のあり方は・・・・
11/26 地方自治に必要なこととは・・・
11/15 水素水にはまっています。
11/4 思いのある人、熱く語る
10/9 いろんなことがあった1週間
●2012年7月・8月・9月
9/27 校歌が歌えた!
9/4 夏が終わっていきます。
8/19 再び東北へ
8/6 暑さの中で
7/22 もしも・・・はありえない
7/10 デンマークの報告E
●2012年5月・6月
6/22 東北に行ってきました
6/9 デンマークの報告D
5/28 デンマークの報告C

●2012年4月・5月
5/20 デンマークの報告B
5/12 デンマークの報告A
5/6 デンマークの報告@
4/25 無事に帰ってきました。
4/11 春の光の中で
●2012年1月・2月・3月
3/31 議会終了
3/8 あの日から一年
2/21 もうじき春が来る
2/2 こんなままではいけない。
1/19 圧巻だった熊谷守一展
1/10 あけましておめでとうございます。

●2011年10月・11月・12月
12/29 感謝
12/10 師走に突入
11/25 ほっとしたこと、楽しかったこと
11/16 カーネーションがおもしろい
10/27 「チェルノブイリ・ハート」を観てください
10/16 気になること
●2011年7月・8月・9月
9/19 今年の夏は
8/17 片山さんありがとうございます。
7/31 夏、真っ盛りです。
7/3 元気をもらいました
●2011年4月・5月・6月
6/14 「マルモのおきて」がおもしろい
5/22 初めての大役に・・・
4/29 闘い終わって・・・
●2011年1月・2月・3月
3/21 人と人が支え合って
2/27 あの美しかったクライストチャーチが
2/9 鳥インフルエンザ
1/24 いつもと違う世界にドギマギ、でも癒されて
1/7 今年の幕開け

●2010年10月・11月・12月
12/27 様々な出会い
12/2 美恵さんのお芋
11/14 30回目の車いすマラソン
10/30  姪の結婚
10/2 インフルエンザ!
●2010年7月・8月・9月
9/20 ここにもあった私の原点
9/2 まだまだ暑い日が続いています。
8/6 平和を願う日に出会ったメロンパンの少女
7/13 吉田忠智さんと言う人
●2010年4月・5月・6月
6/13 カツオのたたきがない!
5/27 牛を食べるということ
5/9 ゴールデンウィークに感じたこと。
4/23 セブ島
4/1 気がつけば春
●2010年1月・2月・3月
3/4 別れ
2/19 Tさんお世話になりました。
2/1 先輩に励まされて
1/16 油断大敵
1/4 若者たちに魅せられて

●2009年11月・12月
12/22 年の瀬に 人生は一期一会と 想い出し
12/2 ナショナル・ミニマムの水準を下げないで
11/13 朝、一便に乗るためには・・・
●2009年10月
10/28 欧州旅行記C
10/16 欧州旅行報告記B
10/8 欧州旅行報告記A
●2009年7月・8月・9月
9/21 欧州旅行報告記 @
8/10 暑中お見舞い申し上げます。
7/19 野菜を求めての旅
●2009年4月・5月・6月
6/27 ちょっといい話
6/16 ひとり一揆を始めた人がいます
5/26 ぺちゃんこな心がふくらんだ打田十紀夫ライブ
5/17 「九州ヘラルド」が思い出させてくれたこと
5/6 風薫る季節の中で
4/4 私が生まれた日
●2009年1月・2月・3月
3/26 どうしても賛成できませんでした
3/9 現場に宿る神様
2/12 こわしたくないもの
1/30 つかの間の休日に
1/8 
厳しい幕開けの中でもほっとする瞬間

●2008年10月・11月・12月

12/23 年の終わりに
12/1 “ご縁”があって つながって
11/3 小さな運動会
10/21 
感動をありがとう
●2008年7月・8月・9月

9/9 上海、北京、ロンドン、 でも私の体は帯状疱疹
8/2
 ばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」はものすごい!
7/11
 お伝えします「大分県教員採用試験贈収賄事件」
●2008年4月・5月・6月

6/22 初めての経験に四苦八苦
5/28 雨の体育祭と中学生の涙
5/15 ただいま病気と付き合っていく方法、模索中
4/10 さくらの蜂蜜と救われたいのち
●2008年1月・2月・3月

3/16 いつまでも見守りたい子どもたち
2/10 魔法の一言
1/14 子どもたちを見つめながら春を待ちます

●2007年10月・11月・12月

12/21 静かな時間(とき)もいいものです
12/1 秋は来たのかしら
11/3 20回目のお誕生日おめでとう
10/22 「いぶりがっこ」と「きりたんぽ」の秋田へ
●2007年7月・8月・9月

9/23 大事なものを忘れないで
8/22 不器用に、でも誠実に
8/6 「いのちが一番」いつまでも
7/5 「見事な蘭」を見て、「いのち」を考えます
●2007年4月・5月・6月

6/20 もっと怒ってもいいですよね!
5/22 とても大切な「頭の片隅」
5/5  「母というものは」
4/24 庭の花に癒されて
●2007年1月・2月・3月

3/20 出会いと別れ、新しい旅立ち
2/13 夕餉(ゆうげ)に豆乳を飲みながら
1/31 家族葬にして良かったですか
1/6 静かな年の始まりです

●2006年10月・11月・12月

12/19 甘いおこわと教育基本法
11/26 子どもたちが私のエネルギー
10/30 やりました!団地の「竹宵まつり」
10/8  団地サイズの竹宵をします!

●2006年7月・8月・9月

9/18 無くしてからは遅いのです
9/7 やっと「吉永小百合朗読会」に行ったよ!
8/11 「言葉で勝負!」できたか不安?
7/18 「富山型デイサービス」と「犬山プラン」
●2006年4月・5月・6月

6/26 自分の目で見て、自分の頭で考えて
5/8 結婚記念日の憲法記念日にこだわっています
4/9 元気もらった、拓郎コンサート!
●2006年1月・2月・3月

3/31 まだ見ぬあしながおじさん
3/7 ときめき「15才の春」
2/23 あきらめきれない数珠の紛失
2/2 悩み続ける「私の子どもたち」
1/5 四苦八苦純子、今年も頑張ります!

●2005年10月・11月・12月

12/27 新しい年こそ「愛の年に」
11/27 「木の香りの家」に癒されて
11/4 失敗、失敗、ドジな私
10/2 そっと、教師や議員から離れてみた夜
●2005年7月・8月・9月

9/12 私たちに問われているものは?
8/10 永六輔さんが読む“反戦の詩”
7/23 人工林と流木と鉄砲水
●2005年4月・5月・6月

6/12 住みよい街は自分たちでつくりたい!
5/14 夜道で出会ったものは…
5/6 反日渦中の上海を訪ねる
4/15 政治が民衆を分断している
●2005年1月・2月・3月

3/31 県議会・県警・子どものまわりは花曇り
3/18 レッテル、はる人、はがす人。
2/22 それでもクロッカスは咲いてくれました
    〜大分市議選を終えて
1/17 「高校再編」の民意はどこに?
1/1 2005年「命」を考える

●2004年10月・11月・12月

12/2 何故もめる?議員定数問題1
11/29 初めての海外視察 ニュージーランド・オーストラリア
10/25 子ども達は輝いています
●2004年7月・8月・9月
9/24 ゆらいでいる、気候も人の心も
8/24 それぞれの夏〜イラク・アテネ・そして私
8/2 「子どもの未来・障害者の生きがい」を訪ねて
7/20 帯状疱疹快方へ、でもつれあいは熱中症!
●2004年4月・5月・6月
6/30 退院しました!〜県立病院の勤務実態観察記
6/17 帯状疱疹と闘っています
5/31 どげぇなっちょんの?
5/6 つかの間のひとりごと
4/12 私の甥っ子たちの春は…
●2004年1月・2月・3月
3/26 子どもたちは守られていますか?
3/3 幸せな2日目の休みの日に
2/12 心やさしきチャンピオンたち
1/18 雪の下の小さな花たち
1/6 子ども達が大切にされる世の中に

●2003年12月・11月・10月
12/1 視察報告「少しずつ、見えなかったものが見えてくる」
11/17 議会を家庭で傍聴できたらいいな!
10/26 「教育」はだれのもの?
10/4 びっくり視察報告記「ごみもいのちもリサイクル」
●2003年9月・8月・7月
9/28 励まされています
8/10 風化させてはならない記憶
7/23 やっと夏が来た
●2003年6月・5月・4月
6/22 お葬式と福祉と青リンゴ
6/08 初めての視察
5/19 辺見庸さん
5/07 健ちゃんのこと
4/18 ありがとう、ありがとう、ありがとうございます
●2003年3月・2月・1月
3/28 愚かな戦争に反対します
3/22 “食育”に取り組んでみたい
2/07 ただただ感謝の日々
1/27 二人のおひな様
1/13 ゴミの出し方とカラスの生き方
1/15 新しい年、新しい生命の重みを受けとめて

●2002年12月・11月
12/13 ロウバイが咲いた!
12/04 穴子丼(あなごどん)
12/02 ALS患者郵便投票訴訟
11/24 世界に目を向ける子どもに
11/22 Tさん
11/15 アッタマにきたぞ!
11/13 働く女性の実態
11/4 桜