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2024年4月1日 クラシックとロック

今回は、1970年代後半から80年代にかけての思い出話です。

1970年代後半、当時人気のあったアイドル・ロック・バンド、ベイ・シティ・ローラーズからロックを聴き始めたという方は多いのではないでしょうか。

レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジのサウンドを再現していることで有名なジミー桜井さんのライブ初体験がベイ・シティ・ローラーズだという驚きの事実もあるくらいですから。

ということで、当時、多くの人がそうであったように、ベイ・シティ・ローラーズを聴いてロックに目覚めた私は、そこから、さらに幅を広げていくことになります。

ベイ・シティ・ローラーズに始まって、50年代や60年代のロックやポップスなどをラジオからテープに録音して聴いたりしていましたが、最終的にリッチー・ブラックモアが率いるレインボーに落ち着くこととなりました。

もっとも、リッチー・ブラックモアズ・レインボーも、当時、ハード・ロックの入門編的な捉え方をされていましたが、私にとっては、探究の果てにたどり着いたのがレインボーでした。

そもそも、そのレインボーを聴くようになったきっかけは、ベイ・シティ・ローラーズでした。

70年代当時、人気絶頂だったベイ・シティ・ローラーズには、彼らの名を冠したラジオ番組がありました。それは、確か「輝けベイ・シティ・ローラーズ」というタイトルのラジオ番組だったと思います。

その番組の中で、クラシック音楽に関するインタビューがありました。ベイ・シティ・ローラーズのギタリスト、エリック・フォークナーは、バイオリンも弾けたためなのか、クラシック音楽からの影響についてのインタビューがあったのです。

それを聞いて、「そうか、クラシックに影響を受けたロックというものがあるのか。」と考えるようになり、そのような音楽はないのかと雑誌やラジオなどで探すようになりました。

また、ベイ・シティ・ローラーズには、ハード・ロックとまではいかなくても、結構、ロックしている曲もあり(ロックン・ローラーなど)、ポップなだけでなく、よりハードな音楽も探すようになったのです。

そうして見つけたのが、クラシカルなアルペジオなどを取り入れつつ、しかも、ハードなレインボーだったのです。

これぞ、私の求めている理想系だ、そう思い、それからは、レインボーやそのルーツとなるディープ・パープルをメインに聴くようになりました。

それから約40年、いまだにレインボーを聴き続けています。もちろん、ベイ・シティ・ローラーズも時々聴いています。

最近は、Myukさんや、竹内アンナさん、藤原さくらさん、Predawnさんなどの日本のミュージシャンも聴くようにはなりましたが、今でも一番よく聴くのはレインボーだったりします。

新しいミュージシャンを聴くことは、これからどのようになるのだろうという期待というものがありますけど、レインボーのように昔のミュージシャンを聴くことは、長年の謎を解き続ける楽しみがあります。何せ、当時は情報が少なく、謎が多く残されていますから。

2024年3月1日 Myuk concert tour 2024 「Arcana」 2月6日

熊川みゆさんの音楽プロジェクトであるMyukの福岡でのライブに参加しました。その時の個人的な備忘録です。

○移動

大分から福岡へ、いつもの様に10時40分頃のソニックに揺られながら2時間かけて移動しました。ただ、今回のライブは、18時半開場ということもあり、かなり時間的な余裕がありました。

ホテルにチェック・イン後、地下鉄空港線を利用して、開場1時間前にライブハウスへ到着しました。さすがにまだ人は来ていなかったので、しばらくライブハウス近辺で時間を潰し、再度、開場30分前にライブハウスへと行きました。

開場時間の少し前にスタッフに促されてチケットの番号順に並び、会場内へと移動しました。列に並んだ時には、結構、来ていない人がいた様ですが、実際には、満席とのことでした。

○Gate’s7

ちなみに、今回会場となるGates’7は、中洲にあるライブハウス(ドン・キホーテの入っているビルの7階、最寄駅は、中洲川端駅、地下鉄からビルへ直接いけます)で、キャパは100名ほどの様です。

会場内には小さめのテーブルが綺麗に並べてあり、椅子がテーブルごとに4つずつ置かれていました。私は、2列目のテーブル席に座りました。テーブルのあるライブハウスは初めてでしたが、ドリンクを手に持っている必要がなく、これは便利が良いと感じました。その分、スペースは取りますけど。

会場内に入って気づいたのは、会場内にトイレがないということです。事前に会場の座席の配置図を見て、変な位置にトイレがあるなと思っていたのですが、なんのことはない、それはスタッフ用のトイレだったのです。トイレの場所をスタッフに尋ねている人が見られたので、会場内に入ってトイレがないことに気がついた人が、他にもいたようです。(一応、会場入り口にトイレの場所を知らせる看板が立っていました。)

今回、Myukのライブへの参加は初めてなのですが、初めてのライブでちょっと気になるのが、参加している人たちの年齢層です。若い人の中におじさん一人というのも気まずいかなと思ったり思わなかったりしますから。けれども、会場を見渡すと、意外と年齢層が高かったのが意外でした。(20代から60代くらいまででしょうか?)さて、ライブ開始時間19時となり、いよいよライブのスタートです。

○ライブ

ライブは「ひとりじゃないよ」からスタート。前半は、バラード系のゆったりした曲を中心に進みました。Myukの声は、しっとりと会場に響き渡ります。

その一方で、ライブ中盤以降は、アップテンポな曲が中心となり、会場も大いに盛り上がりました。

スローなナンバーでのハスキーなMyukの声も魅力的ですが、アップテンポなナンバーでのMyukのハリのある声も実に心地よく感じました。

ライブ自体は、Myukのデビュー曲である「魔法」で一旦終了しました。

しばらくしてアンコールがスタート、一曲目は、熊川みゆ名義でのデビュー曲「あの日夢を」をアコースティック・ギター一本で演奏。最後は、再度バンドが参加して、今回のツアータイトルでもある「Arcana」が演奏されました。

○サポート・メンバー

ライブ全編を通して印象的だったのが、サポートメンバー同士がアイコンタクトをしながら、楽しそうに演奏していたことです。

サポートメンバーは、ギターの大久保友裕さん(バンドマスター、ぱいせん)、ベースの前田恭介さん(androp、ギターの大久保さんの中高時代の後輩とのこと)、キーボードの西野恵未さん、ドラムスの大貫みくさん(the peggies)の4名でした。

コンピューターに合わせた演奏だとは思いますが、レコーディングされたバージョンを上手くMyukを含めた5名の演奏に収めていたと思いました。エレキ・ギターの演奏をベースで補っていたり、シンセの音をギターで補っていたりと、なかなか興味深かったです。

これは、演奏とは関係ないのですが、キーボードの方が、夜ドラに出演されている女優さんとよく似ているなと思って、自宅に帰ってから調べたところ、その女優さんご本人だと分かり、ちょっと、びっくりしました。

○トーク

曲間のトークでは、会場のお客さんの福岡の美味しいものランキング(豚骨ラーメン・水炊き・もつ鍋・明太子入り卵焼き)、メンバーの博多ラーメン以外で好きなラーメンの紹介等、食べ物の話で盛り上がりました。

あと、Pancakeの作曲者であるギターの大久保友裕さんによる曲の解説がありました。その話から、コロナ禍での悪い面ばかりでなく、日常のなんでもない場面に目を向けることの大切さに気づかされました。Myuk自身によるニュー・アルバム「Arcana」の解説等もありました。そんな中、デビュー時やバンドメンバー、そして、今回のライブの観客など、人との出会いに恵まれていると語るMyukの言葉は、印象的でした。

あと、ライブに参加した回数を訪ねる場面では、意外とリピーターが多いように感じました。福岡でのライブは2回目のようですが、2回目、そして、3回目の方が多くいて、コロナの影響を考えると、実に羨ましい限りです。しかも、結構年齢の高い方が3度目以上参加しているというのは驚きでした。

○最後に

2時間弱のライブでしたが、3年目を迎える彼女の集大成という感じのライブでした。

○セットリスト

M1 ひとりじゃないよ

M2 星に願いを

M3 シオン

M4 Snow

M5 あふれる

M6 Pancake

M7 フェイクファーワルツ

M8 夜の舞踏会

M9 ラブソングの衝動

M10 Gift

M11 encore bremen

M12 愛の唄

M13 アイセタ

M14 魔法

ec 1あの日夢を

ec2 Arcana

2024年1月1日 謹賀新年

いつもの様に、紅白を見ながらこの文章を書いています。

今回は、旧ジャニーズ関連のグループの出演のない異例の紅白となっています。個人的には、そろそろその様な紅白があってもいいんじゃないのかと思っていました。なぜなら、あたかもジャニーズがいないと芸能界が成り立たないという意見や、ジャニーズなしでは、芸能界は実につまらないものになるという意見に疑問を感じていたためです。もちろん、ジャニーズの日本の芸能界への貢献度は、計り知れないものだとは思いますが、では、ジャニーズがいなければ芸能界が暗黒の如くなっていたのかと言えばそうではなく、恐らく、全く違った形の芸能界が誕生していたのだろう、そう思います。

さて、昨年1月の「今月の一言」で、現在、私は、二つのテーマに興味があることを書きました。一つは、昭和への回帰であり、もう一つは、これからの社会についてでした。

昭和への回帰と言っても、レトロ・ブームに乗っかろうと言う訳ではありません。昨年も書いたように、昭和の学校の在り方、人間関係のあり方等、当時を知っている身としては、昭和を単なるノスタルジーの対象にする気にはなれないからです。当時がいかに酷い時代だったのかは忘れることはできません。でも、その一方で、私が現在興味のある音楽等、すべてが昭和という時代に生まれたものであるのは事実であり、結局、平成になってからの新しい音楽(もしくは1989年以降の音楽)には、全く興味が持てないからです。いまだに、私のとってのベスト・アルバムは、Rainbowの1979年のアルバム、Down To Earthなのであり、そのアルバムに関する探究は今も続いています。

もう一つのこれからの社会に関しては、コロナ以降、または、失われた30年と言われる今の時代のこれからです。これからの社会が、光輝くものになるとは思えないにせよ、それがどの様に変化していくのかには、大いに興味を惹かれます。きっと、今まで見た社会とは全く異なるものとなることでしょう。そう思うと、ワクワクしてきます。

そして、これらの二つとは別に、昔から興味を持っていることがもう一つあります。それは、異なるもの同士の影響関係についてです。特に、絵画と写真の関係には、昔から興味を持っていました。

写真が誕生した当初、写真とは何なのかというのがあまり認識されていなかったのだということが、当時の迷走ぶりに現れています。例えば、写真誕生当初、合成写真の技術を使って、絵画のように表現する試みが行われたり、印象派の絵のように、輪郭線のはっきりとしない写真が作られたりしていました。それまでの絵画の表現技法を模倣することで、芸術として認められるんじゃないのか、当時の写真技術者たちは、その様に考えていたのだと思います。

けれども、写真が普及するにつれて、リアリズムを追求した記録写真やニュース写真が登場したり、一瞬を切り取るスナップショットが登場したりと、それまでの絵画とは異なる手法が誕生し、新たな芸術表現として認められる様になりました。

その一方で、絵画は写実的な表現を写真に譲り、抽象画などのように、絵画独自の表現が誕生していったのです。興味深いのは、絵画は絵画で独立したものとして発展していったばかりでなく、写真的なスナップショットのような構図を取り入れたり、スーパーリアリズムの様な写真的な表現を取り入れるような動きもありました。

この様に、本来異なるもの同士が、お互いに影響をしあうことにより、より新しい表現を生み出すとともに、その本質を問う様子に、とても興味を感じます。

ということで、今年も、興味あるものを探求していければと思います。