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2003年1月1日 一年の反省

先日、ある雑誌を読んでいたら、プロのライターによって書かれた文章と、インターネットに流通しているアマチュアによって書かれた文章との違いについて書かれていました。簡単に言えば、プロのライターの場合は、編集者や、その他の人によって、文章が磨かれていくが、アマチュアにはそれがないから、その差は、歴然としているというものだったと思います。

少なくとも、このコラムのような内容ならそうなんだろうなと、あらためて感じた次第です。別に、誰かにうけようとして書いているわけではないですので、どうでもよいことですが・・・。

写真作品については、コンテストなどに応募しようかなと、また思ったりします。やはり、評価の尺度が必要な気がしますから。そんなことを考える、年初めでした。

2002年12月1日 愛について

よく、愛という言葉がつかわれるけど、結局、愛というのは、愛するものとそうでないものを差別をすることを意味するんだと、考えたりします。実際、誰かを愛する、自分の子供を愛する、この言葉が意味することは、他の誰かではなく、ある特定の人を愛するということだと思います。

勿論、人類愛という言葉もあります。見ず知らずの人を助けるのというのも愛という言葉で表現できるでしょう。けれども、これは、愛とはまた異なる表現であらわすべきではないかと、これまた、漠然と思ったりします。

まあ、このコラムは、私が好き勝手に書くコーナーです。けれども、こんな分かりきったことを、ぶつくさ書いてどうするんだと思ったりしますが、それはともかく、話題を変えましょう。

私は今、実家に住んでいます。同じく、実家に住んでいる人に話を聞くと、それが一番心地いいからということを言っていました。甘えているとか、そういうものとは別のものなんでしょう。誰にでも、安心できる場所というものはあるわけで、それが、たまたま実家だったということなのでしょう。一人暮らししている人だって、その人にとっての心地のよい場所がそのような所なのだろうし、結婚だって、心地よい場所を求める、大いなる勘違い(?)だったりする訳です。

正直言って、私自身は、そんなに深くは考えていません。何が何でも、実家じゃなきゃヤダなんても、思いません。以前コラムに書いているように、日本中を旅して回るのが、個人的には究極の希望ですから。まあ、かなわない希望ですけどね。

このままいくと、誰にも知られることなく死亡、なんて人生になりそうな点では、実家にいても、旅していても変わらないか、なんて、これまた漠然と思ったりして。う~ん、やっぱり、このコラムは、単にぶつくさ書いているだけですね。

2002年11月1日 個性

職場に入った新しいアルバイトの女の子に、私の年齢を「何歳に見えますか。」と聞いたところ、「31歳くらいですか?」と言われて爆笑になりました。職場の同僚からは、「よかったですね。」などと言われたりして、なんともはや。

長く生きていれば、色々な人と出会えるもので、それはまたそれで楽しみではあります。それぞれの個性に、驚きを感じることも多々あります。でも、それらの人たちと話していて、本当の個性というものがあるのだろうかと思うこともあります。

時代の中にいて、その制約下である程度似た様な考え方を持つ人が多いからです。勿論、その制約の中で考えることが個性ということになるのでしょうがどうなのでしょう。

2002年10月1日 虫歯にご用心

先月は、虫歯が原因で、歯茎が炎症をおこし、39度以上の熱が出てしまいました。悪いことは重なるもので、その他、色々なことが噴出した月でした。おかげで、更新作業もいつもより1週間遅れになってしまいました。

以前、会社の研修で、「健康に注意しましょう」と言われましたけど、注意してもどうしようもないこともあるので、大切なのは、不測の事態に如何に備え、常に危機意識を持つ事なのだと思うのですけど・・・。まあ、どんな元気な人だって、いつどうなるのかは予想不可能なわけで、健康に注意することは、一つの大前提だとしても、解決策だとは思えません。

話は変わって、以前、日本で最初のホームページを紹介したホームページを読んでいた時、そのページに、現在のホームページの仕組みを考え出した人が紹介されていました。そんなに昔のことではないのですから、歴史の急激な発展に、驚きを感じてしまいました。もし、その人が特許料などを主張したら、とんでもないことになりそうですが、それはともかく、現在のホームページの仕組み(ハイパーリンク等)そのものは、それ以前から考えている人はいたようです。

その中の一人が、アップル社に在籍していたビル・アトキンソンです。彼は、ハイパーリンクの仕組みを実現しながらも、現在の様に、ネットワークでそれを実現することに思いがいたらず、現在、悔しがっているとか。後もう一歩でインターネットの実現に近づけたのに、その一歩の隔たりが如何に大きかったことか・・・。

そのアトキンソンも、現在はアップル社を離れ、何と、写真家として活躍しています。いかにもアメリカンな彼の写真は、とても素晴らしく、もし興味のある方は、インターネットを通じて作品を見てみることをお薦めします。

2002年9月1日 一人旅

先月末から、話が急展開して、今月からしばらく忙しくなりそうです。あまりにも突然だったこともあり、何が起こっているのやらと言う感じで、頭の中が、パニック状態です。

昨日、職場の人といろいろと話をしていて、以前コラムにも書いているように(2001.12.1)、従業員の入れかわりのない職場作りが大切だという意見で、一致しました。でも、現実には、その実現が難しいのが問題です。以前、勤めていて、辞めていった人たちは、決して、会社に悪い思いは抱いていないでしょうし、会社で技術を学んで、それを踏み台にして、他の職場で活躍するというのも、一つの考え方です。それはそれで悪くはないのですが、理想的には、人の入れかわりのない方が、会社のためにも働いてる従業員のためにもいいのではないかと思うのです。(職種によって、考え方は異なってくるとは思います。いずれにせよ、地域社会で小さな会社が生き延びるためには、まずは、社員が幸せで、安定して暮らせることを第一の前提として、地域社会に根ざして仕事が出来ることが必要だと思います)

昨年、11月から開始した、会社の改革も一つの成果を見せましたけど、次は、従業員の入れかわりのない体制作りを目指して、更なる前進をしていかなければなりません。

話は変わって、先月は、姉が帰ってきていたこともあり、実に賑やかな月でした。

と書くと、普段、自宅は静かなのかというと、恐らく、他の家庭よりは静かなほうなのかもしれません。まあ、聞いている音楽が、ちょっと、うるさいかもしれませんが。

基本的に、日常は、一人で静かに過ごしたいというのが、私の個人的な希望です。独身ですので、子供が部屋の中を駆け回ることもありませんし。

で、さらなる希望は、ノート・パソコンとデジカメを鞄に詰めて、一人旅が出来ればいうことがありません。人との出会いを楽しむということではなく、ただただ、ひたすら移動し、出会った風景をデジカメで写し、ビジネスホテルで画像を加工し、インターネットを利用して、作品を発表していく。

今でも、やろうと思えば出来なくはないのかもしれません。一時期、休みの日は、カメラを片手に撮影、時間を見つけて現像、プリントを繰り返していましたので、理想像に近いといえばいえなくもありませんでしたけど、やっぱり、移動し続けることは不可能ですから、ちょっと、理想とは違います。

それに、ノート・パソコンの液晶モニタの色は、褒められたものではありませんから、自分が求める色が、ちゃんと出ているかどうかは、判断が難しそうです。

でも、いつの日か、そういう日々が過ごせるようになれればと思います。

話はさらに変わって、今日、テレビで横尾忠則さんの作品が紹介されていましたけど、素晴らしいと思いました。以前、原宿で行なわれていた展覧会を見た時には、それほどいいとは思わなかったのですが、これまでの色々な作品、そして、現在取り組んでいるテーマを見ていて感銘を受けました。

2002年8月1日 写真について

先月、昔の雑誌の切抜き(10年ほど前から最近のものまで)を整理しました。整理しながら、その当時の記事を読んでいると、時間の経つのは早いなと思ってしまいました。その当時欲しいと思っていたデジカメが、今見ると50万画素しかなかったのですから。(因みに定価は12万円以上でした。ミノルタの、100万画素台のデジカメは、夢のまた夢だと、当時思っていました。)

10年程前、プロのカメラマンの方と話をしていて、「いずれフィルムはなくなるだろう」と言われたことを今でも覚えています。デジタルで加工された写真を展示した写真展だったのですが(撮影は、フィルムで行われていたはずです)、機材をそろえるだけで、200万円かかったとか。私も、デジタルの可能性に期待していたのですが、その金額を聞いて、まだまだアマチュアが手を出せる領域ではないと思ったものです。デジカメも既に発売されていたと思いますが、それだって、とてつもない高価なものだったはずです。

それが、95年頃のカシオのQV-10の発売、ウィンドウズの爆発的な普及で、現在のようになってしまったのですから、アマチュアにとっては、夢のような話です。カシオのQV-10は、現在のデジカメの原型となっただけでなく、画質やコストを下げて発売されたことが素晴らしいと思います(事実、開発の際、価格と大きさを先に決めて作られたそうです)。一般の人が手に出来る、このことが大切なのだと思います。まさに、底辺からデジカメを広めたという功績は忘れられません。

最近の写真作品を見て、そんなに進歩があったとは思えないのですが、機材面での進歩は、とてつもないものがあったのだと、あらめて思いました。けれども、実際には、作品の方も、そういった変化に影響を受けたものもあるはずです。それこそが、21世紀の新しい芸術となることでしょう。

2002年7月1日 仕事について

あまり仕事関係の話を書きたくはないのですが、またまた、お仕事のお話。

前いた部署がいよいよなくなるという時、様々な方々から、色々なアドヴァイスを頂きました。正直、厳しいものもあり、部署がなくなることよりも、そちらの方がショックだったりしました。その中の一つに、こういうものがありました。

「申し訳ないんだけど、ここは成功していないんでしょう。成功していないのなら、成功するまで頑張るのが本当でしょう。」と言われたのです。

正確には、部署を閉めると言う話が出る一月前に言われた言葉です。でも、すでに傾きかけているのが、誰の目にも明らかになりつつある時でもありました。実際に仕事をされている、御自分で商売をされているからこそ出た言葉なんだろうと、その重みを感じてしまいました。そして、今でも、この言葉の重みに、なんとも言えない思いを抱いています。この言葉は、私個人に対して言われた言葉ではありません。でも、結局は、私自身にも当てはまる言葉になってしまいました。

いまだに、半年前のことを思い起こすことがあります。ことがあると言うより、毎日、その事を考えています。昔のことを思い悩んでみても仕方がありません。でも、以前起こった事は、必ず教訓として心に残るものです。常にそれを心に抱き、同じ過ちを犯さない様にと思っています。残念なことに、人間は、同じ過ちを起こしてしまうものですから。

最終的に、部署の閉鎖となりつつも、私はいまだに同じ仕事を続けています。なぜ続けているのか?それは、正直な所、何を選択すればいいのか分からないからです。私だって逃げ出したいと思うことはありますし、やめてしまいたい時にはそうするでしょう。実際のところ、やめてしまえばと言われることも、あります。そうすることが悪いとは思いません。私の価値観と、職場の価値観が大きくずれていけば、おのずと、私の存在意義も薄らいでいくでしょうから。ただ、私自身も、職場も、まだまだ発展途上、というより、スタートをきったばかりであることは事実です。そうである限り、私は、今のまま続けていくのかもしれません。

追記

結局、私を職場に引き止めた張本人が会社を離れてしまうという事態が生じてしまいました。(10月の話)。私自身の立場は、微妙なものであり、どうにかこの事態を冷静に受け止めなければいけません。今後、どのようになるのかは、コンピュータの世界同様、不透明であるとしか言いようがありません。

2006/9/17追記

仕事に対するスタンスは、人それぞれです。基本的に、雇われる立場ならば、会社が危なければそこから逃れるのが当然だと思います。一方で、その仕事を自分で経営しているのなら、最後まで責任を持ち、何とかしようと思うものなのかもしれません。実際には、こんな単純な話ではないと思いますが、その時の立場によって、あらゆる可能性がある、それが現実なのかもしれません。

2002年6月1日 久しぶりの再会

最近、たまたま会った女性なのですが、どうも以前会ったことがあるんですよね。で、誰であるのかは、すぐ気がついたのですが、そのことに触れずにいました。すると、彼女の方から話し掛けてきたのです。

「以前、○○にいた~」と問われた私は、

「気づいてはいたんだけど、触れない方がいいのかなと思って」と苦笑い。やっぱりばれていたんですね。何と、10年振りくらいの再会なのです。

彼女は、当時、中学生だったので、すっかり立派な大人になっている姿を見て、奇妙に感じてしまいました。最初は昔と違い、表情なども、大人っぽい感じだったのですが、話していると、当時と同じようなしぐさや表情をするので、それもまた、不思議な感じでした。

今年は、14年振りに姉と会うことにもなっていて、なんだか、昔を懐古する年なのでしょうか?

2002年5月1日 インスパイアーと伝承

今年の2月と同じような内容なのですが・・・。

自分で、自分の作品を評価してみていつも感じるのは、「たいしたことはないな」ということです。

正直なところ、私よりも上手な人は沢山いるわけで、それでも作品を作り続ける意味はあるのだろうかという疑問を感じることがあります?

私の下した結論は「イエス」です。

自分自身の作品が永遠に残る事はないでしょう。私の存在の消滅とともに、私のパソコンも、自宅にある画像データも、全てゴミ箱に行くだろう事は、想像出来ることです。

でも、インターネットが普及したおかげで、今現在、私の作品には多くの人の目に触れる機会が与えられています。例え、将来、私の作品が評価されることもなく、消えてしまう運命にあったとしても、現在、私がこうやってインターネットを通じて発表している作品を見てインスパイアーを受けた人が、その人自身の作品を作り、さらに、その作品を見た人が新たな作品を生み出していく、そういった連鎖を大切にしていきたいのです。

昔、大学教授に、

「ボードレールはエドガー・アラン・ポーの影響を受けてるんですよね。」

という話をしたところ、

「それよりも、ボードレールの独自性が大切なんだ。」

と言われたことを覚えています。

確かに、おっしゃる通りなのですが、私個人としては、ポーの精神が、ボードレールの中に生き続けていることのほうが、はるかに興味深いのです。実際、一つの影響が、全く新しい光を放っていく、そのこと自体は大切なことですが、それでも、ボードレールがポーにインスパイアーを受けたと言う事実は否定されるわけではありません。

今は、クローン技術によって、全く同じ人間を作ることが出来る時代です。でも、それは入れ物が出来たに過ぎません。本当に精神を受け継ぐことは、クローン技術ではなく、もっと異なった形で行われるべきでしょう。

2002年4月1日 ジョン・ロード

ジョン・ロード、ディープ・パープルを脱退!!、といっても、ピンとこない方のほうが多いかもしれません。

ディープ・パープルは、説明するまでもなく、イギリスを代表するハード・ロック・バンドの一つです。ジョンは1968年のバンド結成以来のオリジナル・メンバーであり、長年、そのハモンド・オルガンによって、バンドの個性を支えてきました。そのジョンの脱退は、ファンにとって、大きな意味を持つはずです。

私自身、最初に彼のサウンドを聞いた時には、その多彩な演奏に、大きなショックを受けました。もう、20年以上も前の話です。

けれども、このバンドに思い入れのない人にとって、その脱退は、大した意味はないことでしょう。

これからも、ディープ・パープルは日本に来日し、多くの人がそのコンサートを見に行くのかもしれません。けれども、その人たちの多く(それがどれくらいの割合かは分かりません)が、ディープ・パープルというその名前ゆえに見に行っているのであって、そこで誰がプレイしているのかは、大きな意味はないでしょう。ジョンの後任は、ドン・エイリーです。彼も、個性的な素晴らしいキーボード・プレイヤーです。因みに、もう一人のオリジナルメンバーのリッチー・ブラックモアがディープ・パープルを脱退したのが1993年。現在は、スティーヴ・モーズがギターを弾いています。彼も、優れたミュージシャンです。少なくとも、ディープ・パープルは、現在でも、優れたライヴ・バンドであり続けているのです。

ジョンが、バンドにとって、欠かすことの出来ない人物なのは確かです。ジョンがいないバンドをパープルと呼ぶことにどれほどの意味があるのでしょうか?でも、もう十分ではないかとも思います。彼には、パープルと過ごした、数多くのアルバムがあります。私個人として、パープルのコンサートに行くこともないでしょうから、そこに、ジョンの姿がないからといって、失望することもないでしょう。

とにかく、彼には、音楽活動を続けて欲しい、それだけがファンとしての望みです。

2002年3月1日 選択肢

先月は、残念ながら、更新作業をする事ができず、申し訳ありませんでした。なぜそのような事態になったのかというと、その理由は2つあげられます。

一つ目は、掲示板にも書いているように、パソコンが故障しているということ。もう一つは、会社内のゴタゴタで、精神的に更新作業をする気分になれなかった事です。

この3ヶ月、私の所属している部署の改革と残務処理を同時にこなすという、通常なら理解不能な作業をしていました。正確に言えば、改革作業に取り掛かったのが、去年の11月末、残務処理に入ったのが今年の1月に入ってからになります。

とりあえず、その作業を先月末で終了して、私は、同じ会社の異なる部署で、アルバイト的な立場で関わっていくことになっています。

なんとなく、静かな数ヵ月でした。

テレビで、あるデパートが閉店になる様子を描いたドキュメンタリー番組を見たことがありますが、自分も同じ立場になるとは奇妙なものです。この不景気な情勢で、同じ様な思いをする人も多い事でしょう。考えようによっては、私の立場はそれほどひどいものではないのかもしれません。

私個人としては、色々と勉強になることもあったにせよ、最終的に、様々な人に迷惑をかけることになったので、そのことが残念でなりません。

それと、色々と考えたにせよ、最終的な選択肢のヴァリエーションがあまりにも少なすぎたように思います。これでは、選択しているのではなく、単なる必然にしたがっているだけなのです。なんだか、悩むだけ損みたいな感じです。

2002年2月1日 能力の限界

私自身、それほど優れた表現者という訳ではありません。 常に新しいことにトライし続けるというタイプでもありません。 結局、自分の出来る範囲内で、優れた作品が出来ればいいのです。 何となく、前向きではない意見のようですけど、それが現実なのです。

残念ながら、人には、その人に与えられた才能がある訳で、無理をすれば、自分の殻をいつだって突き破って行けるのは事実ですが、だからといって、誰もが、ピカソなりゴッホなりのレベルにまで達することが出来る訳ではないのです。 地道に一つのことが続けられれば、私は幸せであり、さらに、私の作品を見て喜んでくれる人がいれば、さらに幸せに感じるだけです。

世の中には、その点を勘違いしている人も多い訳で、正直、疲れてしまいます。 自分の能力の範囲内で生きて行けば、幸せなのだろうに、自分の能力以上のことを空想して、やろうとする。その人の問題だけなら良いのですが、実際には、多くの人を巻き込んで迷惑をかけて行くのです。その空想が大きければ大きいほどです。

それはともかく、現在は、なかなか地道に作品を作り続けて行くことが出来ないことで、若干、不満を感じています。おしゃべりの好きな人は、人と話すことによって、自分を表現して行けばいいのですが、私の場合、おしゃべりが得意な訳ではなく、自分を表現するのは、結局、作品を通してとなります。とりあえず、四月以降、作品作りに取り組んでいきましょうか。

NEWS:

新型のiMacが発売になりました。液晶ディスプレーになるという噂はあったのですが、まさかあのようなデザインになるとは、相変わらずやってくれますね。

iMacに関しては、前ヴァージョンを参考にした、液晶ディスプレーを採用した他社のモデルもあったので、きっと、そのようなデザインになるのだろうと思っていたのですが、全然違いましたね。現在発売されているApple社の液晶ディスプレイを電気スタンドのようにした写真を目にした時には、さすがに苦笑してしまいました。

前回のiMacの時も大いに爆笑ものでしたが、今回も大いに爆笑しました。そして、その素晴しさを認めざるを得ませんでした。

なぜ、私がマックにこだわるのかといえば、大学生時代のあこがれ(当時は百万円近くしました)、グラフィック・アーティストやミュージシャンが多く使用していたことなどがあります。楽器店には、よくマックが置いてありました。勿論これは、マックを購入する前の話です。

実際に購入してみてからは、OSとしての使いやすさをやはり感じました。ウィンドウズを使うことの多い現在でも、マックの方がOSの存在をあまり感じることがなく、快適だなと思うことが多いです。ファンのひいき目かもしれませんが、マックOSの完成度はそれだけ高いということではないでしょうか。

私個人としては、Apple社にハードまで作ってほしくはないのですが、まあ、相変わらずの笑いのネタとして、良しとしましょうか。

2002年1月1日 理解するということ

新年、明けましておめでとうございます。

今年も、このHPをよろしくお願いいたします。

さて、昨年は、色々なことが短期間に起こり、私としても、激動の一年でした。今年は、どの様な年になるのだろうかと思います。それはともかく、今回は、少しばかり、昔話をしたいと思います。

かつて、大学で学んだことは、本当に実感を伴って理解することの難しさです。大体、大学で読む書物なんて、最初の1ページ目から挫折することが多いのですが、どちらかというと、読むのが簡単だと思われる本ほど理解することは難しい様に思われます。

大学の授業で、スウィフトの本を教材として使っていたことがあります。その本を読みながら、授業を進めていたのですが、しばらくして、教授が一言、「君たちにはわからないだろうな。」と言われたのです。そして、教授は、その本を教材として使うのをやめてしまいました。

スウィフトの本は、読むということに関しては、その他の本などに比べ、はるかに容易でした。でも、教授に言わせると、人生経験の浅い学生が読んでも、本当の意味はわからないというのです。

その当時は、なに言っているんだという感じでしたが、私自身も、ある程度人生経験を重ねることによって、その教授の言葉が分かるようになりました。「そうだよな、この程度の本なら、文字として書かれていることを頭で理解することはできるけれども、若者には本当に実感を伴って分かることは難しいだろう。」と思うのです。

このことは、別に、難しい学問の世界に関する話に限られたことではないでしょう。ありがたいことに、日本の教育水準の高さのおかげか、日本人は、字面を理解する点においては非常に優れた頭脳を持っていると思います。けれども、本に書かれている内容を本当に理解し、その内容を理解することによって、自分自身が本当の意味において新しい次元へと高められる経験をしている人がどれだけいるでしょうか?頭がいいだけに、字面で理解している次元でとどまっている人が多いような気がするのですがいかがなものでしょうか?