ブラックモアズ・ナイトについて
ブラックモアズ・ナイト(Blackmore's Night)は、イギリス人のハード・ロック・ギタリスト、リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)と、彼のフィアンセでありヴォーカルを担当しているキャンディス・ナイト(Candice Night)の二人によるプロジェクトです。
リッチ-・ブラックモアは、昔から、「ルネサンス音楽をやりたい」ということを述べていて、ブラックモアズ・ナイトは、そんな彼の夢を実現させたものなのです。
私達日本人にとって、ルネサンス音楽は馴染みのないものであるのは事実です。けれども、彼らの奏でている音楽は、ルネサンス音楽のメロディ-をちりばめたポップ・ミュ-ジックであり、メロディアスな音楽が好きな人には、問題無く受け入れられるものだと思います。
ここでは、そんな彼等のアルバムの紹介をしてみたいと思います。
追記
2010年のAutumn Sky以降、アルバムの紹介が滞っています。もちろん、ブラックモアズ・ナイトは、それ以降も、作品を発表しています。ではなぜ、それ以降のアルバムを紹介していないのかと言うと、それは、ブラックモアズ・ナイトのサウンドに、ある種の違和感を感じているからです。
1997年、広島でのライブを見に行っています。その時に演奏された一曲「St. Teresa」でのキャンディス・ナイトのボーカルに、ものすごく違和感を感じました。それは、その曲だけ、発声の仕方が違っていたからです。
その時は、その一曲のみでしたので、特に問題はなかったのですが、彼女がボーカリストとして成長して行くにつれて、他の曲も「St. Teresa」での発声方法が採用されてきているように感じたのです。
簡単に言えば、私の好みのボーカルのスタイルから、だんだんと離れて行っているように感じたのです。それに伴い、ブラックモアズ・ナイトのCDを聴くことは、だんだんと少なくなってきました。
そう言う事情もあり、最近のアルバムに触れることがなくなったのです。
もちろん、ブラックモアズ・ナイトのCDは、今でも聴いていますが、違和感を感じつつではどうにも文章を書くことが難しい、そう今は感じています。
さらなる追記
最近(2021年6月1日)、ブラックモアズ・ナイトのCDをよく聴いています。それは、最新作が出たからではありません。今聴いているのは、初期の「Shadow Of The Moon」と「Under A Violet Moon」の2枚です。
純朴なキャンディス・ナイトの声、律儀でありつつ煌びやかなリッチー・ブラックモアのギターと3枚目以降の作品では失われた魅力がこの2枚のアルバムには感じられるからです。
ブラックモアズ・ナイトが始動した時、キャンディスとリッチーの2人による純朴なサウンドを想像していました。でも、実際に発売されたアルバムに収録された楽曲は、リッチー・ブラックモア・オーケストラという趣のあるものでした。まさに、当時リッチーがブラックモアズ・ナイトのサウンドがどのようになるのかの例えとして挙げていたマイク・オールドフィールドとマギー・ライリーによる「ムーンライト・シャドウ」を思わせるものでした。
それでも、3枚目以降の作品にはないキラメキや純朴さというものが初期の2枚にはあり、それが私にとっては、大いなる魅力として感じられるのです。
ちなみに、最近のリッチー・ブラックモアの演奏に関しては、落胆させられる部分が多いように感じます。2016年からハード・ロック・バンドのレインボーを再始動したわけですが、明らかに、腕が落ちています。16分音符が三連符になっていたり、全体的に、演奏がもっさりしています。
YouTubeやCDなどで、2015年頃と2016年以降の演奏を比べると、たった一年の間に何かが起こった事が想像できます。
現在の演奏を聴いていて、いかにリッチーの演奏が高いテクニックに支えられたものだったのかを思い知らされます。それは、比較的簡単なメロディーやフレーズにすらそれを感じてしまうのです。
そんなリッチーの演奏ではあるのですが、彼の生み出す音楽には、これからも注目していきたいと思います。それは、彼の情熱が、決して失われたわけではないという証明だと感じるからです。