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2008年9月1日 デトロイト・メタル・シティ

下品な漫画ではありますが・・・若林公徳「デトロイト・メタル・シティ」

今話題の漫画です。

デスメタルバンドのボーカル・ギターのクラウザーⅡ世、その正体は、おしゃれでポップな音楽をやりたいと思っている根岸崇一。彼を中心に繰り広げられる滑稽な物語といったことでしょうか。

ハード・ロックを聴いていることもあり、この漫画を紹介されたのですが、見事はまってしまいました。今も、毎日のように読んでいます。

あまりに下品な表現に、よく、漫画化、アニメ化、さらには、映画化できたものだなと、感心するばかりです。もっともそれは、興味の範疇ではないのですが、自分でやりたいと思っていることと、内なるメタル魂の表出は、見ていてなかなか面白く感じます。まあ、フォーク・ギターのテクニックが、そのままエレキのテクニックに使えるとは思わないので、どうやって、そのような音楽をやるようになったのか、興味深い点です。って、そんな突っ込みは、この漫画には無用かな?

2008年6月1日 冷酷組織の真実

ファンでもがっかりするのに十分・・・コリン・ハート、ディック・アリックス「冷酷組織の真実」

ハード・ロック・バンドのディープ・パープルやレインボーでツアー・マネージャーをやっていた、コリン・ハートによる本書は、ファンとして、やっぱりなと思う部分があるとともに、側近中の側近の書いた書物であるだけに、リアルで、衝撃的でもあります。

本書の日本でのタイトルは、「冷酷組織の・・・」と言う風になっていて、確かに、そのような側面もあります。しかし、それ以上に、ディープ・パープルやレインボーのギタリストであった、リッチー・ブラックモアの奇行や、いたずらの数々の方が、印象的です。

あまりの酷いいたずらに、レコーディング中に逃げ出したメンバーの話や、息子に対する辛い仕打ちは、読んでいても痛々しい。その反面、著者のコリン・ハートの両親に対する親切な対応は、本書にあるとおりに、「謎だ」。

ありきたりな表現で言えば、人間とは、複雑なものだということになるのでしょう。

最後に、有名なリッチー・ブラックモアのディープ・パープル脱退劇の、意外なまでの冷静な状況、12年ぶりのリッチーとの穏やかな再会も、とても印象的です。

この本を読んで、ツアー・マネージャーを目指す人は、・・・どうなんでしょうね?

2008年5月1日 いーじゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た

日本人であることに誇りを持とう・・・マーティ・フリードマン「いーじゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た」

学生時代は、洋楽ばかりを聴いていました。それは、10代を過ごした時期が、アイドル全盛時代に重なっていたこともあり、あまりの日本のミュージック・シーンの酷さに、落胆していたからです。

曲そのものは、悪くないにせよ、素人が歌っているのに等しいアイドルたちの活躍(ローラースケートで転びながら歌っていたり・・・)は、うんざりさせられるのに十分でした。ヘタウマな歌手ならば、嫌いではないし、むしろ、好きなのですが、ヘタウマを通り越して、単なる下手な歌を聴かされるのはかなわない。(アイドルたちには、悪い感情は持たないけど、彼らを売り出そうとしていた人たちに反感を感じたというのが本音です。)

その考えが変わったのが、10年ほど前です。

Hey!Hey!Hey!などの音楽番組を見ていて、「J-POPも悪くないな。」と思うようになったからです。むしろ、洋楽なんかより、ずっと楽しめるように感じました。

aikoさん、奥田民生さん、スピッツ、バンプ・オブ・チキン、ザ・ブリリアント・グリーン等々、素晴らしいミュージシャンが一杯いることを知って、うれしい発見だと感じました。以降、「奥田民生さんは天才だ!」と言って、他の人に怪訝な顔をされるまでになりましたが、私は本気です。

さて、ヘヴィ・メタルを代表するバンドのひとつ、メガデスにギタリストとして在籍したマーティ・フリードマンの筆による本書は、ミュージシャンの目を通したJ-POPの素晴らしさを伝える内容になっています。

一般的に、リズム感が悪いといわれる日本人ですが、そんなことは無いんじゃないかという指摘は鋭いし、曲の構成、メロディー・ラインなど、アメリカの音楽との比較を通して、その独自性、素晴らしさを伝える内容は、まさに、目から鱗です。マーティーの文章を読んでいると、J-POPは、単なる洋楽のコピーではないということがわかります。

また、ヘヴィ・メタをやっていたマーティが、どうして現在日本にいるのかも触れられていて、その部分も興味深かったです。

アメリカ人のミュージシャンは、ひとつのジャンルにとらわれ、少なくとも仕事の上では、それしか演奏しない人が多いそうですが、ジャンルを超えてJ-POPの世界に飛び込んできたマーティには、拍手を送りたいと思います。

2008年3月1日 哲学ということ

哲学の誤解を解く・・・野矢茂樹「爆笑問題のニッポンの教養 哲学ということ」

哲学という言葉からからイメージされるのは、難解なことを考えるもの、役に立たないことをやるもの、危険思想、真理を求めつつ、真理などはないから生きている意味が見出せなくなる・・・等々、負のイメージが強いように思われます。

外国はどうなのかはともかく、日本では、哲学とは、そのようなものだと感じている方が多いような気がします。

少なくとも、そのように感じている方は、この本を手にすれば、それが誤解だということが分かると思います。

現代の哲学が難解なのは事実だとしても、言葉によっていかに理解を深めていくのか、それが哲学の根本にあるということが、爆笑問題のお二人と野矢さんの対談から見えてくるのではと思います。

一般の方が宗教などについて議論しているのを見ていると、どうどう巡りになっていることがよくあります。そこで、異なる見方を提示し、ポンと抜け出させられるのかどうか、まさにその点で、哲学の真価が問われるのではないでしょうか。

2008年1月1日 ブラック・ナイト リッチー・ブラックモア伝

伝記のあるべき姿・・・ジェリー・ブルーム「ブラック・ナイト リッチー・ブラックモア伝」

ハード・ロック・ギタリストのリッチー・ブラックモアは、元ディープ・パープルや元レインボーのメンバーで、現在は、ブラックモアズ・ナイトでアコースティックを中心としたサウンドでファンを楽しませています。

この伝記で描かれる、人間、リッチー・ブラックモアの姿は、一般の人には反面教師になることはあれ、参考になることはないでしょう。特に、メンバーチェンジの多かったレインボーでの他のメンバーへの対応は、一般人の常識をはるかに超えているように感じられます。

その一方で、仕事に対する姿勢、音楽に対する姿勢は一貫していて、一見、無謀に思えるリッチーの意見も、よくよく考えると、筋が通っているように感じられます。もちろん、財政面などの影響で、判断に迷いがなかったというとそうでもなく、その点でも、人間ブラックモアを描ききれているのではと思います。

リッチー・ブラックモア本人や関係者のインタビューを元に構成されたこの伝記は、彼のファン以外には、読むのがつらいボリュームに仕上がっています。ただ、様々なエピソードとともに、60年代から現在までの音楽シーンについて知ることも出来、その点でも、興味深く感じます。また、エリック・クラプトンに対するリッチーの評価と、エリックとの交流も面白く感じました。そしてなにより、これまで出版された本の中でも、最も人間、リッチー・ブラックモアに迫った内容になっているのではないでしょうか。

この様な伝記物は、インタビューを受けている人も、あまりに昔の話のため、記憶があいまいになっている部分に出くわすことがあります。もちろん、見る立場によって見え方が異なる事だってあります。そうしたインタビューの断片を集め、この様に、まとめ上げる作業がどれほど大変かは、想像に難くありません。その一方で、編集されないインタビューの全貌があるのなら、読んでみたいと思います。それらの資料を基に、各人が歴史の流れをまとめ上げるということも出来るでしょうから。

最後に、才能があったから成功したのではという著者の問いに、リッチーは次のように答えています。

「あの頃は才能のある人間はごまんといた。だが才能はあっても成功まではいかなかった。私は運がよかっただけだ。」

自信家で、負けず嫌い、人を見下すこともあるリッチーではありますが、この言葉は、この本の中で、最も印象に残りました。