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2006年11月1日 DEATH NOTE

死後の世界は無である・・・大場 つぐみ / 小畑 健「DEATH NOTE」

マンガ「DEATH NOTE」は、娯楽作品として、とても良く出来ていると思います。

名前を書いただけで人を殺せるノート(デスノート)を手に入れた夜神月(やがみらいと)は、犯罪者をそのノートを利用して殺害していく。月は、犯罪者を殺害していくことで、世の中を変え、自ら新世界の神になろうとしたのです。その月を追及する天才探偵L(エル)。この月とLの対決を描いたのがこのマンガの主な内容になっています。

テーマが死や正義などを扱っていることもあって、なんだか難しそうな内容のように感じますが、実際には、このマンガの著者自身は、映画「マトリックス」同様、哲学的にテーマを掘り下げようとしているとは思えません。むしろ、深さはなく、物語の展開、スピード感こそ、このマンガの魅力だといえるでしょう。それゆえ、これだけの人気になったのだと思います。

興味深いのは、主人公の夜神月と探偵のLは、ともに非常に知性の高い人物として描かれていることです。

実際に、このような事件が起きたとすれば、おそらく犯人は、知的とは思えない人物である可能性が高いでしょう。でも、主人公を知性の高い人物に設定することにより、普通の人が考えることも出来ないレベルで物語を展開することが出来ます。この物語でも、知性と知性の戦いが、大いなる見せ所となっています。

もっとも、それゆえ、展開が強引なものになっていることも、否めませんが。

2006年10月1日 大丈夫な日本

持続的な社会への転換・・・福田 和也「大丈夫な日本」

近代は、発展することを前提にした時代だということは明らかです。そして、その近代的なあり方には限界が来ていることに、多くの人が気付いているのではないでしょうか。

その近代の終焉期に、日本はどういう態度をとらなければならないのか。

作者は、それを江戸時代に見るべきだと訴えます。江戸時代とは、まさに、近代を捨てた時代だからです。そして、近代を捨てることによって、江戸時代は、長い繁栄をもたらしたのです。

過去に学ぶ根拠は、そこに、日本の特質の本質を見出せるからだと思います。

その特質とは、発展ではなく持続にこそある、ということになるのではないでしょうか。

あとは、日本人が発展から持続への転換を決心する、これが、今後の日本のために必要になるのかもしれません。

2006年5月1日 若者殺しの時代

若者であろうとしている世代と、若者たち・・・堀井 憲一郎「若者殺しの時代」

その時代を生きている人は、その時代の変化には気付きにくいのかもしれません。今現在ある状況を、あたかも、昔からそうであったかのように錯覚を起こしてしまうのです。

けれども、ほんのちょっと前を振り返るだけで、そうではないことが分かります。

私も、80年代に学生だったこともあり、その80年代的状況が常識として感じられるし、その常識から未だに逃れられないのは事実です。この書物を読むと、そのことを改めて思い知らされます。

ただ、私たちの世代にとっての常識である今までの状況が限界点に達していて、時代が変容しようとしているのは、この本が指摘しているように確かでしょう。その変容しようとする時代の頂点で、私たちやその上の世代が、若者であろうとし続け、今の若者が苦しい状況に置かれているということにもなるのでしょう。

その解決策が、どのようなものであるのか、この本が述べるように、「日本古来の文化」を見につけることなのかどうかは、私には分かりません。ただ分かるのは、時代が変化を欲しているということだけです。

2006年4月1日 僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」

日本人にとってのロック・ミュージック・・・城山 隆「僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」

この本は、1970年代から1980年代にかけて洋楽を紹介していたNHKの音楽番組、「ヤング・ミュージック・ショー」の担当者へのインタービューをもとに構成された本です。

勿論、私も子供ではありましたが、70年代後半から80年代にかけて、この番組をよく見ていました。現在に比べ、情報量が少なかった時代の、貴重な情報源であるとともに、本物に触れられる、ほとんど唯一の番組だったからです。

当時を振り返ってみると、私が子供の頃には、既に、ビートルズは伝説であり、ロック・ミュージックは、ごくごく普通に存在するものでした。

ところが、この本を読むと、1970年代、ロック・ミュージックが、決して日本の社会に根付いたものではなかったことがわかります。

ビートルズ登場から、10年ほどしかたっていなかった訳で、大人から見れば、ついこの間登場した野蛮な音楽を、NHKで放送することには、大きな抵抗があっただろうと想像できます。

大人となった今、この本を読みながら、同じ時代を、大人と子供とは、全く異なるものとして感じていたのだと、今更ながら知らされます。

確かに、民放ですら、ロックを流す番組はほとんどなく(特に田舎だったからかもしれません)、一般的にテレビで聴ける音楽は、歌謡曲だったことを考えると、この番組がいかに突出していたかがわかるでしょう。

ちなみに、最近再放送されたキッスの1977年のライヴについてや、70年代後半、日本でも大人気だったベイ・シティ・ローラーズの口パク事件などにも言及されていますが、それを読んでも、当時の担当者の熱意を強く感じます。

2006年2月1日 eBook時代はじまる!

画像データとしての電子本・・・鈴木雄介「eBook時代はじまる!」

電子ブックの取り組みにはいくつかありますが、この本で紹介されている試みの最大の特徴は、本をそのまま画像データとして保存したものを使用していることです。

勿論、OCRを使用して書物を文字データへ変換する試みも行われていますし、検索機能の使えない画像による保存というのが、パソコン的ではないということもいえます。けれども、フォントの問題、製作期間の問題、レイアウトの問題等を考えたとき、画像のほうが優れているのではという意見は、なかなか興味深いと感じました。

その他、現在の出版業界の抱える問題点なども指摘され、それを打破する手段としての電子出版への期待なども、興味深い内容だと感じました。

個人的には、書店に出かけることは大好きだし、本をめくる感覚も大好きです。でも、個人で所有できる書物には限度があり(本は、もともとは木ですから)、電子出版には、とても興味を感じています。

成功しているのかどうか、今一歩実感のわかない電子出版ですが、これからの発展に期待したいと思います。

2006年1月1日 誇大自己症候群

肥大化した幻想としての自己と現実とのギャップ・・・岡田尊司 「誇大自己症候群」

昔、連続幼女殺人事件が起こった時、友人の一人から、「自分達も同じことをしないとは限らない」という意味のことを言われました。

その当時は、何を言っているのか、実感はなかったのですが、スーパーマンのような万能感、現実感の欠如、傷つきやすいガラスのような心を持った人が増えたと言われる現在、その言葉は、非常に重いもののように感じます。

この本を手にしたのは、最近、私の中にも、同様の誇大自己症候群があるのではないかと感じたからです。

高校生の頃、学校の先生に、「君は完璧主義だ」と指摘されたことがあります。完璧であろうとするがゆえに、前に踏み出せないことを指摘したのだと思います。今の若者にも見られる、同様の指摘も、誇大自己が成せる業のようです。

問題を解決する鍵は、誇大自己となった自分と、現実の自己とのギャップをいかに埋め合わせていくのかという事ではないでしょうか。