2011年12月1日 YUKIツアーmegaphonic2011
ブログにも書いていますが、11月19日(土)と20日(日)のマリンメッセ福岡で開催されたYUKIちゃんのコンサートへ行ってきました。19日は、アリーナ席の真ん中あたり、20日は、最前列でした。
昨年の妖精の森の様なセットとは異なり、大きなスクリーンをバックにしたシンプルなセットで、その代わり、演出の方は、ダンスありバラードあり、ギター演奏ありと、実にバラエティーに富んだものとなっていました。もちろん、ダンスシーンや衣装替えの時などに、スクリーンの映像が、効果的に使われていました。
そして、時にはかっこ良く、時には笑いを交えながら、さらに、時にはかわいらしく、変幻自在なYUKIちゃんを楽しむ事ができました。特に、コンサート開始時は、鳥肌が立つほどかっこ良かったです。
ちょっとばかり残念だったのが、高い音が出ないというほどではないにせよ、少しばかり喉の調子が悪い様に感じられたことです。でも、その様な状態でも最後まで全力で歌いきったコンサートに、不満があるはずがありません。
MCで、今回のアルバム「megaphonic」についての説明がありました。コンサート会場で発売されていたグッズなどにも反映されていたテーマはそういった意味なのかと納得しながら聞いていたのですが、20日のアンコール時のMCで、驚くべき発言がありました。
自分の名前(有るに希望の希と書いて有希)について説明した後で、(私の名前を付けてくれた)「母はいないけど、きっと聴いてくれてると思います。」とYUKIちゃんが言ったのです。
「えっ」と思っているうちに曲がスタート、おそらく、その会場にいたほとんどの人が「え〜???」と思った事でしょう。
疑問は残りつつも、コンサートは何事もなかったかの様に進行し、最後は、マイクを使わずに、
YUKIツアーmegaphonic2011、
マリンメッセに集まってくれた皆さん、
本当にありがとうございました。
とYUKIちゃんが大声で叫び、コンサートは終了しました。
ちなみに、昨年もYUKIちゃんのコンサートに参加しています。コンサート終了後、博多駅の地下街をうろうろしていると、ある売店の店員さんに「YUKIちゃん、YUKIちゃん」と声をかけられました。
どうみても、YUKIちゃんのコンサートに参加する様な年齢の方ではなかったので怪訝な顔で振り返ると、そのお店の若い店員さんがコンサートに行きたかった事を話していたらしい。
それにしても、ツアーグッズのバッグを見て気がつくとは、驚きです。
今年は2Daysだったから、参加できたのかな?
2011年11月1日 最初に購入したアップル製品
最初に購入したアップル社の製品は、PowerMacintosh 4400でした。
1997年に発売、日本では、グラフィックソフトをバンドルしたグラフィックモデルも発売され、私が購入したのは、そのモデルです。
ただ、そのマックを今見ると、全くアップル製品らしくはありません。
グラフィックモデルと銘打ってはいても、その筐体デザインは、事務所に置くのがふさわしい味気のないものでした。
さらに、その中身は、Windowsパソコンと汎用な部品を使用していて、その点でも異色でした。
かろうじて、OSにはアップルらしさが残っていたものの、ハードやそのデザインとは独立して一人歩きしている様な印象を受けました。なにせ、他社にOSをライセンスしていた時代ですから。
それから、14年経ちました。
1998年には、iMacが発売され、以降、iBook、iPod、iPhone、iPadと続き明らかになって来たのは、アップル社のデザインや素材へのこだわりであり、それこそ、PowerMacintosh 4400には、欠けていたものでした。
そして、その14年の間で、なによりも、アップル社が、単に優れた技術を持つ会社ではなく、一つのスタイルを貫く会社へと生まれ変わりました。
恐らく、アップル社は、今ほど尖った会社ではなくなるかもしれませんが、現在のスタイルを受け継ぐ限り、素晴らしい製品を生み出していく事でしょう。
2011年10月1日 最近思った事
仕事を辞める時、「辞めないでください」とお客様に言われた事があります。
でも、実際には、私が辞めても何ら影響はありません。それは、お客様にとっても、その職場にとってもです。
結局、私の代わりはいくらでもいるからです。
だから、お客様の言葉が本当だとしても、私は心置きなく? 辞められます。
私が思うのは、職場なりお客様に、何か残せるものがあればと言う事です。まあ、その前に、それだけの仕事が自分にできているのかどうかが問題ですが。
たいていは、本人が一生懸命やっているだけで、自己満足に終わっている事が多いように感じます。
それだけでも素晴らしい事ですが、もっと、遠くを見据えた仕事ができるならば、それが一番の理想でしょう。
2011年9月1日 アップル社について
あるテレビ番組に、後ろ向きな三人がゲストとして出演していました。
私も、どちらかと言えば後ろ向きな方なので、三人の話は、実によくわかるとともに、大いに笑わせてもらいました。
世の中、後ろ向きではいけないと言う事になっています。求人誌を見ても、明るい人! とか、元気のいい人! とか、その様な言葉ばかりを目にします
それはそれでよいとして、では、前向きなのが本当にいいのかと言うと、私はそうは思いません。
少なくとも、前向きな故に、多くの人に迷惑をかける様な人、もっと大きく言えば国などの事を考えると、前向き=よいと単純には言えないと思います。
それはともかく、先月、ミスター前向きのスティーブ・ジョブズがアップル社のCEOを辞任しました。
「宇宙に衝撃を与える」商品を作ろうとしたジョブズは、その言葉の通り、素晴らしい商品を数多く手がけてきました。
実際には、彼がすべてを生み出したわけではないし、評価されるべきは違う人ではないのかと考える事ができると思います。ただ、それら、生み出されたもの(発明品)を、実際の形のあるものとして、しかも、素晴らしいものとして世に出す事がどれほど大変なのかと言う事は、ジョブズに関する書物を読んでいて、いつも感じる事です。
まさに、発明を形のある製品とするために、ジョブズは、99%の努力ができる人なんだと思います。
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恐らく、ジョブズがいなくても、パーソナル・コンピュータは今の様に普及していたことでしょう。
けれども、彼がいなければ、パソコンの歴史は確実に10年は遅れていた事でしょうし、現在のクオリティに達していたかは疑問です。
ジョブズは、これからも会長としてアップル社に関わっていく様なので、今後のアップル社からも目を離す事はできません。
2011年8月1日 ある会社でのお話
ある会社で最近起こったお話。
その会社は、部屋に入っただけで嫌な雰囲気を感じさせる会社でした。
それはなぜか。
それは、お金のためにだけに作られた会社だからです。
実際、
人材は足りない(規定の人数に達していないとともに、必要とされる事務員がいない)、
給与は支払われない(支払われたのは、一週間後、ある機関から指摘されて慌てて支払われました)、
問題が起こって、その事を本社に質問をしても本社からは返事もない、
そんな事の連続でした。
で、その次に何が起こったのか。
結局、ある機関からの監査が入り、厳重な注意を受ける事になりました。
本来、悪い点があり、注意を受けたのなら、それをちゃんと正せばいいのだと思います。私は、どんなにひどい会社であれ、潰れてしまえとまでは思いません。いずれにせよ、間違いは正されるべきだし、それを正すチャンスが与えられるべきだと私は思います。
もっとも、それらの会社が、注意を受け、自らを正すとは思えませんし、社長やそのそばにいる人が、問題意識を持って改善するとも思いませんが。
ちなみに、今回の件が起こってから、ネットで調べてわかったのは、中央能力開発協会が行っている支援に群がった多くの会社は、結局、お金目当ての会社が多く、トラブルが絶えないのだとか。
規定が守られていない事に関しては、新聞社が取材している様なので、近い将来、その全貌が世に示される事になるでしょう。
2011年6月1日 八日目の蝉
映画、八日目の蝉は、実に衝撃的です。
それと比べると、原作本の方は、淡々と物語が進んでいく印象がありますが、その一方で、映画の様な時間的制約がない分、登場人物の心情の変化がよく描写されているように思います。
今は、テレビドラマ版を見ている途中です。
正直な所、原作の方が面白いかなと思いますし、様々なシーンも、原作本を読んでイメージしたものとは異なります。でも、原作をもとに、新たな解釈をしている部分を楽しみに、続きを見たいと思っています。
さて、子供の頃、テレビで放映されているアニメ番組なども、一人の作者が作っているのだと思っていました。
例えば、ドラえもんなら、テレビの作画や物語もすべて藤子不二雄さんが行っていると思っていたのです。
今なら、小学生でもそのような事は知っていると思いますが、私は、アニメに詳しいわけでもなく、純粋に、作者一人による製作と言う幻想を信じていました。
でも、今は、元になる物語から、いかに新たな世界が作られるのかを楽しみに見る事ができるようになりました。
テレビドラマ版の八日目の蝉、特にクライマックスが異なるという事なので、楽しみに見たいと思います。
2011年5月1日 日曜美術館
今日放送された、NHKの「日曜美術館」で福田繁雄さんの作品が紹介されていました。
その番組の中で、ゲストの日比野克彦さんが、
今までの美術は、平面で立体を表現しようとしてきたけれども、福田さんの作品は、立体で平面を表現しようとしている
という意味の事を語っていました。
福田さんの作品は、とても好きなのですが、このような捉え方ができるのかとハッとさせられました。
ちなみに、そのとき一緒にゲストとして出演されていた梅佳代さんが、福田繁雄さんの有名な作品を、

座薬
と表現されていました。
なかなか、素直で素敵な人だと思いました。
それをフォローする日比野克彦さんの大人の対応も、素敵だと思いました。
最後に、日比野克彦さんが、
芸術は作品そのものが素晴らしいのではなくて、それを見る人、聴く人が美しい!とか、綺麗!とか感動するというのが凄いのであって、その感動する力を引き出すことに芸術作品存在の意味がある(Twitterより引用)
という事を話されていて、その言葉にも、感動しました。
2011年4月3日 共感
共感を与える事、それが、生きる上での重要事項だと感じます。
長年ファンに支えられている人たち(歌手や作家など)は、何か人に共感を与える魅力を持っているのだろう。
友人以上の存在にまでなるのですから。
もっとも、その共感を与える魅力は、同じ時代を生きていると言う前提があるようにも感じます。
バッハを友人のように感じる人は、そんなにいないでしょうから。
もしかしたら、時代を超えて共感を得るという事と、その時代で共感を得るというのは、意味合いが異なっているのかもしれません。
2011年3月1日 テレビを見ていて
作品に制作者のサインを残すようになったのは、いったい、いつからなのだろうか。
サインを残す事によって、あたかも、その人が、永遠の生命を得たかのようになります。
でも、実際には、その作品を作った「個」は、とうの昔に失われています。
本来、個は失われるものであり、その死をもって、種は永遠の命を得る事ができます。
それは、種そのものの多様性を保証するものでもあります。
ただ、サインが記された作品も、精神的な面で、種の多様性を生み出す役割をする事もあるのでしょう。
2011年2月1日 人を非難するって
人を非難するって、どういう事なのだろうと思う時があります。
非難される人が悪い場合もあるし、そうでない場合もあるし、そもそも、見る立場によっても違ってくるし。
個人的には、非難する人というのは、単に自分を正当化するための対立軸として相手を非難しているのかもしれないと感じたりもします。もしくは、単に、その人の事が嫌いで非難しているのかもしれないとも感じます。
まあ、こんな事を書いているのは、以前、ひどく非難された事があるからなのですが。
もっともな理由があるのなら、それはそれでよしとしましょう。
でも、自分が訳の分からない理由で相手を非難するのはうんざりするし、もちろん、言われるのもうんざりですが、その言い合いを聞かされるのも、あまり、いい気分はしないものです。
2011年1月1日 あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
さて、新たな年を迎えましたが、昨年同様、今年も、実現したい夢もなければ抱負もありません。
ただ、もっと、遠くを見た、現実的ではない夢という事ならば、ないわけではありません。
それは、現在のコンピュータ革命・情報革命が、50年後、100年後、さらには200年後にどのような姿になっているのか、見てみたいという夢です。産業革命の延長線上に現在があるように、さらなる未来にどのような世界が広がっているのか、とても興味があります。
けれども、この夢は、タイムマシンがない限り、叶う事がない夢です。とりあえず、未来へと通じる道を、一歩一歩、歩んでいきたいと思います。