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2006年12月1日 金のなる木

大切なのは、何を提供するのかではなく、お金のなる木を如何に見つけるのかではないでしょうか。

この所、野球の選手が何億もの金額で移籍したり稼いでいるという話題が取り上げられる度に、その選手の凄さがクローズアップされています。実際、すばらしい選手であり、彼らから勇気付けられる人も多いのでしょうが、個人的には、他の世界にも、それと同等の人物は数多くいると感じています。でも、それは、話題にもならないのです。

私が個人的に注目するのは、個人にそれだけ支払える野球業界の凄さ、言い換えるなら、金のなる木を見出した野球業界の凄さです。

同じだけの能力があっても、あるいは、社会的に重要な働きをしても、自分が所属している業界にお金を集める能力がなければ、能力に見合った金額を手に入れることはできない事は、当然の事です。

ミュージシャンや作家だって、レコード会社や出版社などの見出した金のなる木に依存しているに過ぎません。

今でこそ、憧れの対象であり尊敬される彼らだって、もし、莫大な金額を生み出す仕組みを持つ組織に所属しなければ、社会的な信用、尊敬は未だにもてなかったかもしれません。

では、その金のなる木を見出すのは誰なのかというと、働いている人自身というよりも、それを取り巻く人たちなのかもと感じます。

私の所属する業界に関しては、画期的な金のなる木を見出した人はまだいないようで、結局、強引なセールスが唯一の金のなる木でありそれがものを言います(勿論、それだけではないですが)。社員は、入社した時点で、既成のセールスのノウハウにしたがって、動いているだけです。

強引なセールスの好き嫌いはあるにせよ、そうやって集金できた所が生き残るのです。

それはともかく、金のなる木を見出すのも、一つの才能だなと感じたりはします。でも、あまりにも巨額になったり、あるいは、その金のなる木がだめになった時の業界の無様なさまは、どうしたものかと感じます。つづきは、来月へ。

2006年11月1日 特殊な世界としての学校教育

私個人は、明らかな学校不適合者で、最近では思い出すことがないにせよ、今でも、暗い教室に閉じ込められていた自分の姿を思い出すことができます。

高校時代の私は、それなりの成績で入学したのにもかかわらず、見事に成績が落ちてしまい、色々な先生方に心配をかけてしまいました。でも、今考えると、先生方の親切は、なんと無駄なことだったのだろうと感じます。

そもそも、学校という存在が特殊な環境なのだということを、学校に通っている人たち、学校で教育を行っている人たちは、どれほど感じているのでしょうか。何十人、何百人の人たちが箱の中に閉じ込められているさまをイメージするだけでも、私は吐き気を覚えます。

もっとも、学校以外の会社組織などを見ても、似たようなものですから、学校組織は、その会社組織に入るための模擬練習のようなものであり、学校のあり方の方が自然だと考えることも出来ますし、高校の先生から、そのようなことを言われたことがあります。

でも、そのあり方が、全ての人間にとって、自然なものであるのかどうか、私は疑問に感じます。もっと、他のあり方があるのではないか、そう思うのです。

現在のことを考えても、学校以外の救済の場を設けるだけで、救われる人はいるのではないでしょうか。

実際、高校を卒業してから、私は、あらゆる苦痛から開放された訳だし、そう考えれば、システムそのものが、私には合わなかっただけと言えるでしょう。

私は、人に会うのが苦痛だし、人に会うと声が出なくなるということもあり、それも、学校のような組織を苦痛に感じてしまう原因になっていますが、そうでないのに、学校で苦痛な思いをしている人がいるなら、様々な可能性、あり方を考えるべきだと思います。

さて、最近、学校関連の事件が続いているので、そのさなか、このようなテーマの文章を書くのはどうかとも思いましたが・・・。でも、その前に考えていたテーマが、死についてだし、その前に考えていたのが、知性についてだし・・・どのテーマも、重すぎるので取りやめて、結局、これも重いテーマになってしまいました。

根がくそまじめな性格なので、どうしても、このような文章ばかりになります。でも、明るい話題を書いている人が、必ずしも明るい性格であるとは限らないわけで、人間というのは、複雑な生き物だと感じます。

2006年10月1日 持続的な社会への転換

私個人としては、発展的であることを好まず、安定した持続的なものを好む傾向があります。

読書日記に取り上げた「大丈夫な日本」を読んでいて、これが、私個人の傾向というより、日本人に根ざした傾向なのかもと感じました。

アメリカ流の消費社会、発展への憧れ、競争社会は、それはそれとして素晴らしいのかもしれないけれども、正直、勝手にやってくれと感じてしまいます。

なぜなら、発展には限界があり、競争社会は、単なる格差助長にしか過ぎないように感じるからです。よく、アメリカのお金持ちがお金の寄付をしていて、それ自体は、すばらしい行為だと思いますが、単に、お金の分配が偏ったことへの修正策にしか感じられません。

ただ、現在の日本の豊かな生活も、基本的には、消費社会、発展を基本とした思考、競争社会を原則としていることには変わりはなく、この点に大いに問題を感じます。

本質的には、豊かでなくても、安定した何百年も継続されるような持続的な社会・システムを志向していながら、現状の豊かな生活に慣れきった自分というのがいるからです。

でも、現在の豊かな社会がいつまでも続くという幻想を持ち続けられるほど、ノー天気な気分に浸っていられないという現実があり、そろそろ、生活に関する考え方を転換していかなければいけないのかもしれません。

自分の身の丈に合った生活、そういった方向へと、生活を切り替えていくことによって、今後の生活への不安は、少しは軽減するのかもしれません。

ということで、今月の内容は、読書日記と連動した内容になっています。戦後60年たち、そろそろ日本は、自分たちのあるべき姿を再確認する必要が出てきているようです。

それは、発展ではなく持続的社会への転換です。

戦後、まさに混乱期にあっては、発展はリアリティのある目標だったのでしょうが、バブル崩壊を経た現在、発展には限界があり、そればかりでなく、これからの環境破壊をさらに促進させるしかないという現実に直面しています。

今こそ、国民一人ひとりが現実を直視して、決断を下さないと、今後、とんでもないことになってしまうことでしょう。

なお、「大丈夫な日本」という本は、簡潔ながら、歴史に学ぶ意義というのを知らしめる、非常に優れた内容だと感じます。学校で学んだ歴史の、如何に無意味なものだったのかを感じさせます。

2006年9月1日 サイボーグ戦士(2006年10月1日加筆)

石ノ森章太郎さんの名作、サイボーグ009の中で、神が人間を滅ぼそうとした時、不出来な自分たちでも生きたいんだと、サイボーグ戦士たちが神と戦うことを宣言する場面があります。

もし、そのような場面に遭遇すれば、もちろん、私も生き続けたいと思うし、自分の愛する人が死んでしまうのは、耐えられないことだと感じることでしょう。生きているものが生きようとするのは、当然であり、微力ながら、私も神に向かって反抗しようと立ち上がることでしょう。

でも、人類を滅ぼすのが神ではなく、欲望の果てにもたらされた環境破壊などの自ら招いた原因によるとしたら、どのように感じるでしょうか。

私は笑いながら、「ざまを見ろ、人類」と言うことでしょう。

もちろん、これまでの歴史を振り返ってみて、あまりにも人類の無様な様子を皮肉ってというのもあります。それ以上に感じるのが、知性を持つ人類が、欲望をコントロールできずにいることへの皮肉に対してです。

大脳の発達の結果、人間に死という概念を生じさせ、その死を知った人間が、死を尊重するのではなく、欲望の果てに滅びてしまうとしたら、これ以上の皮肉はあるでしょうか。

出来損ないの神様は、出来損ない故、自分達を滅ぼす、これをざまを見ろと言わずになんというのでしょうか。

2006年8月1日 生活はシンプルに・・・現実は???

子供の頃と、今の生活を比べてみて感じるのは、やたらとお金を消費するようになったことです。

昔は、音楽だったらラジオやテレビで十分だったし、本だって、図書館で読むことが多かったのに、今では、毎月のようにCDや本を購入するようになってしまいました。

そのように変わった一つの要因は、東京から大分に戻ってきたときに感じた情報に対する飢餓感があります。東京は、その存在そのものが情報であり、貧乏暮らしな私ですら、そこに居るだけでも圧倒的な情報によるパワーを感じたものです。

それと、やはり、消費することを前提とした社会そのもののあり方に乗ってしまったというのもあるのかもしれません。上手い具合に欲求を呼び起こされ、それにはまってしまっているのです。特に、私くらいの世代はお金があることもあり(私はあまりありませんが)、その財布を狙った商品(私の場合はCDなど)が次から次へと出てきます。

さらに困ったことに、私のようにものを溜め込むタイプの人間は、ものは増えるばかりです。でも、置く場所には限界があります。お金がある人は、そのスペースを新たに確保すればいいのですが、そんな余裕は、私にはありません。

出す側にすれば、次々に出さないと新しいものが生み出せない・進歩しないと言うのはあるだろうし、利用する側としてのメリットも多いのも事実です。それなら、今までの流通を捨て去り、新たな情報の発信の仕方を見出してもらえれば、問題はありません。

音楽にせよ、書物にせよ、元々は情報にしかすぎないのだから、不可能ではないはずなんですけどね。でも、その実現は、程遠いように感じます。たしかに、音楽のダウンロードや書籍のデータ化は、数年前より進んでいますが、まだまだという感があります。それが実現された時、コンピュータ革命は、更なる一歩を踏み出したことになるはずです。

ほんと、情報は、インターネットを中心としたパソコンで管理し、そのほかは、もっとシンプルに出来ないものかと感じます。

2007年7月1日 情報公開

インターネットが登場した時、これで、自分の作品の発表の場が得られると思ったものです。つまり、ある特定の人たちだけでなく、一般の個人にも発言権が得られたのです。それは、既存のメディアでは出来ないことでした。

けれども、インターネットの普及により明らかになったのは、個人が作品を発表するということからさらに一歩進んで、インターネット上では、情報が全ての人に開かれていて、しかも、それは個人だけのものではなく、全ての人で共有し、手を加えることが出来るという事です。例えば、オープン・ソースなどのありかた、考え方もその一つでしょう。

本来、情報というのは、クローズドなものが中心でした。職人技というのがそうだし、学術的なものも、アートも、全て、個人が情報を独占し、情報を持つ人が尊敬されました。見ることが出来るのは、よくて、その結果だけです。まあ、仕事をしていても、基本的には、情報はクローズドで、それが当たり前になっていますが。

それに対し、オープン・ソースの世界では、全ての情報は公開され、誰でもその情報に手を加えられ、その過程を眺めることが出来るのです。

時々考えるのは、私の写真をベースに、誰かがそれに加工を施し、さらに、それを他の誰かが加工していく、そんなことが可能なのではという事です。普段は、私が撮影から加工、発表までしていくのですが、そうではなく、撮影だけ私がして、あとは、他の人が手を加えていくのです。

情報公開とは、ちょっとニュアンスは異なりますが、作品がどう成長していくのか、なかなか興味深いかもしれません。でも、実際にやることは・・・ないかな?

インターネットの普及は、著作権の考え方へも影響を与えています。今は、私の作品は私個人の所有物ですが、将来的には、全ての人に公開し、自由に使ってもらうようにと考えています。そのタイミングは、勿論、著作権が切れる、もしくは、著作権に意味がなくなったときだと考えています。

インターネットの世界の中で、ほとんどの写真は消え去る運命にあるとは思いますが、一つでも残るものがあれば、ラッキーかもしれません。

2006年6月1日 寝台列車

寝台列車での旅を、個人的には気に入っています。

暗い室内、通り過ぎる明かり、列車のゴトンゴトンとなる音、それでいて静かに感じる車内、寝つけない夜。

そんな、寝台列車で旅をしているとき、窓の外を眺めていると、通り過ぎる家庭の明かりが目に入ります。

そんな明かりを見ていると、ここにも、自分の知らない世界があり、生活が営まれているんだと、妙な気持ちにさせられます。そこに存在することは確かだとしても、その中に入っていって、実際にそれを感じることはできないのです。あたりまえのことですが、旅先だと、なおさら、そのことを感じてしまいます。

ちなみに、昭和天皇がなくなったのは、私が寝台列車に乗っていたときのことでした。その話は、またの機会で。

さて、旅先では、孤独を感じることが多いです。沢山の人がいる街(それが渋谷であっても)を歩いている時、そして、寝台列車に乗っている時もそうです。

個人的には、孤独であることが好きなのですが、現実の世界では、それでは暮らしてはいけない。何らかの形で社会とかかわりあわないといけない。正直、それが苦痛なのですが、遠くから眺める社会には、なんともいえない気持ちを感じます。

2006年5月1日 総体としての自分

インターネットというものは不思議なもので、他者から見た私という存在は、この文章を通してのみ判断されます。

現実の社会では、外見を含めた総体としての自分しか存在しません。意識と身体は、勿論、不可分であり、その総体がかもし出す雰囲気というものが、私の意見の判断基準として、非常に大切な役割を果たしているように思われます。

でも、文章化したものは、意識の働きを文章として取り出したものに過ぎない、つまり、私の総体ではないのです。そこには、身体の働きも、自分の持つ雰囲気というものもありません

それゆえに、自分自身ですら自分の書いた文章をよそよそしく感じてしまうのかもしれません。他の人にとっては、意見の好き嫌いはあっても、(私という存在がかもし出す雰囲気に)見ただけでぞっとするという生理的な拒絶は少ないゆえに、客観的に感じることが出来るのかもしれません。

一方、鏡やビデオカメラに収められた自分を見た時にも、なんとなく自分ではないような気持ち悪さを感じます。

意識としての自分は、意識と筋肉の動き(=総体)は感じても、それがどのように見えているのか(=総体のかもし出す雰囲気)が分からないからかもしれません。

と、考え出すときりがない訳ですが、このようなことを考えることを無駄だと言うことも出来ますし、このように考える特性のあるのが人間だとも言えます。(逆に、考えないで済まそうとするのも、人間の特性なのでしょう。)

問題は、それが、考えるに足る内容なのか、設問的に正しいのかということです。

悲しいことに、それが分かれば苦労はしない・・・のではないでしょうか。

ちなみに、このページを見てくださる方で、どれくらいの割合の方が、私を直接ご存知で、どれくらいの割合の方がご存知でないのかは、不明ですが、ご存知の方とそうでない方では、当然、同じ文章を読んでも、印象の傾向は異なるはずです。

どのように異なるのかは、興味のある点です。

2006年4月1日 タイムマシン

昔がよかったと感じることがあります。

同じ仕事をしていても、2年前の方が楽しかったように感じます。さらにさかのぼって、子供時代を過ごした昭和の日本はほのぼのとしていて、何となくよかったようにも感じたりします。

でも、本当のところを言えば、昔の方が、差別や偏見は多かっただろうし、人間関係は、決していいものではなかったのではないでしょうか。

それでも、客観的に見られるなら、タイムマシンで昔に戻り、昭和40年代から50年代を、大人の目で見られれば、面白いだろうなあと感じます。

カメラを片手にプラプラと町を歩く、当時のコンピュータを触ってみるのも面白いでしょう。

そう言えば、子供の頃の大分の中心街を写した写真を見て、「こんなだったかな~」と思ったくらいの変わり様ですから、結構、面白い発見がいっぱいあるかもしれません。

不思議なもので、その時代を生きていながら、その時代がどうであったのかを知らなかったのだなと、感じることがあります。それは、子供の目という一つの限定された視点で見ていたからで、もし、その時大人であれば、昭和を、異なるものとして感じていたでしょう。ということは、今の子供が見ている、平成という時代と、大人が見ている平成の時代というものも、異なって見えているということなのかもしれません。

単純に、過去を背負ってみているのと、全く新鮮なものとしてみているものとの違いといったことなのでしょうが、いずれにせよ、一面的な見方しか出来ない、それは仕方のないことなのかもしれません。もちろん、今、昭和に戻ることが出来るとしても、平成というフィルターを通してでしか見ることは出来ないでしょうし。

2006年3月1日 生きるためには

巨大な都市と、孤独な個人の対立、あるいは、断絶については、多くの人が語ってきたことでしょう。もちろん、私にとっても、都市と個人の問題は、興味深いものです。

都市は、確かに人間によって作られたものですが、個人にとって、都市は、よそよそしく、その中に入るためには、それなりの儀礼を経なければならないように思われます。

例えば、自分が生きるために仕事をするというのも、この儀礼の一つだろうし、仕事をするために就職活動をするということも、儀礼の一つなのかもしれません。

本来、都市が成り立つためには、そこで活動する人間が必要になります。でも、その人間は、都市からは、阻害されていて、ある儀礼を通してのみ、その一員となることができるのです。

本来は、都市が人を必要としているのに、あたかも自分の生を守るためだけに都市に参加しているようにも感じられます。

うまく表現できないのですが、都市というのも、一つの巨大な幻想で、実は、異なるあり方があるのかもしれません。そうであれば、仕事や生きることなどの、様々な事象が、異なる語り口で述べられるようになるのではと思うのです。

民主主義というのも、一つの幻想だとは思うのですが、都市という巨大な存在が、人間の考え方を限定してしまっているのではないでしょうか。

さて、今月は、アルバイトをお願いしていた方が新たな職に就くために辞め、現在、新しいアルバイトの方の指導期間に入っています。今までアルバイトをお願いしていた方が、私の職場で学んだことを活かされる事を期待するとともに、私も、新しいアルバイトの方と、がんばっていかねばと考えています。

と、前半の内容とは、全然関係のないコメントを書いてみましたが、どうなんでしょう。養老孟司さんの言う、都市と田舎、都市と自然との対立とは違うのですが、なんだか、仕事をするということを、都市化された社会から切り込んで語ると、面白くなるのではと漠然と感じたりしています。既に、誰かがやっているのでしょうが、個人的にぼんやりと考えたことなので、意味不明な点は、ご了承願いたいと思います。ちなみに、3月1日に、1度アップした内容を書き換えたのが、上記の内容です。現在の文章も、まだ、漠然としていて、書いている本人も良くわからない問題です。

2006年2月1日 背後の内容

自分の内容のなさを補うために、学生のころは、難しい本を読んでみたり、美術に詳しい振りをしたりしました。でも、その実態は、何の意見を持たない、空っぽの自分がいたわけです。

別に、カメラに頼っていたわけではないですが、いつもカメラを持っている私を見て、「(そんなので目立つのは)卑怯だよな」ということをいわれたこともあります。

自分に内容があるのかどうか、それは、仕事をやめてみると、よくわかります。気付くと、自分は、何の能力もなく、何の価値もないことに、愕然とさせられます。

仕事をしていて、偉い地位にある人は、それが実力だと勘違いしている人もいるようで、それはそれで困ったものです。単に、その役割を割り当てられているだけで、実際には、その人には何の価値もない事だってあるのですから。

逆に、今の若い人たちは、仕事をスタートしてみて、自分の能力のなさに愕然として、転職を繰り返す人もいるようですが。

ちょっと、話は違いますが、昔、ジョー・リン・ターナー(アメリカの実力派ヴォーカリスト)が、色々な所でセッションをしていると、新しいところに呼ばれるたびに、実力を証明しないといけないという趣旨のことをインタビューで語っていました。

私などから見ると、ジョーほどの人がと思うのですが、実際には、「本当にこいつは歌えるのか」という冷めた反応をされることもあるようで、それが普通の反応なのかなとも思います。

さて、今回は、頭は良いのに何の意見も持ってないんだろうなとあるキャスターを見ていて(笑)思いついた内容です。彼は、能力の使い方を間違っているのかな?まあ、化ける可能性もありますが。というのは冗談で、企業の価値を大きく見せかける手法を使ったライブドアなども、自分と似たようなものかなと、変に感心しながら、このところのニュースを見ていました。ライブドアの場合は、内容がないというより、内容以上に見せかけていただけでしょうが。

ちなみに、最近は、カメラを持ち歩くことはありません。自分を補う道具に頼るのではなく、頼るものがなく不安ではあっても、自分自身をさらけ出すよう、考えています。(でも、何かでつくろおうとは、つい、してしまいますが)

2006年1月1日 正義の味方症候群

明けましておめでとうございます。

今年も、このホームページをよろしくお願いいたします。

さて。

あなたは、自分のことを正義の味方だと考えた事はなかったでしょうか。

空想の中では、正義の味方の自分も、実社会では、失敗ばかりして、どうしようもないのです。

時々、立場的に、正義の味方の役割を割り当てられる事があっても、周りの人たちは、誰も、自分の事を正義の味方としては見ていません。むしろ、周りからは、軽蔑のまなざしを受けていたりしているのです。

結局、現実の自分は、正義の味方とは、程遠い存在でしかありません。

そんな自分でも正義の味方になれる場所があります。それは、インターネットです。こうやってホームページを作成している私も、色々な掲示板に書き込んでいるあなたも、正義の味方になることが出来るのです。

実際には、正義の味方とは程遠い存在なのに、さも、正論を述べているように、偉そうな事を書いている。本当の所は、何の主張のない、正義の味方なんですけどね。

今回の内容は、読書日記で取り上げている、「誇大自己症候群」と、連動した内容にはなっています。

なんとなく近頃感じるのは、芸能人のような手の届かない正義の味方というイメージがあまりにも強くなり、それと現実の自分とのギャップに、とらわれすぎているのかもと感じます。本当は、身近な、手の届く範囲でのヒーローの方が大切なのかなとも、思います。

それはともかく、今年も、等身大の塔矢のオヤジとして、ホームページ作成に取り組んでいきたいと思います。