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2010年12月1日 様々な自分

先日、ネットを見ていたら、次のような記事を見かけました。

「なぜその人が好きなのかは、その人といるときの自分が好きというのがあるのでは。相手が好きという感情のおかげで自分を愛せるという関係がうまく釣り合っていると、誰かと長い時間を過ごすことに納得ができるのではないか」(初音ミクへの思いこそ「究極の愛」か 現代の恋愛、人気作家など議論 -- ITmedia News 2010年11月28日より)

なるほどと思いました。

人は、元々、目の前にいる人によって、自分というものを使い分けている、という事を大学の時にきいた事があります。様々な自分の中から、この人といるときの自分が好き・・・これも恋愛の形なのかもしれません。

仕事もそうで。「この仕事が好き」なのではなくて、「この仕事をしている自分が好き」という人もいる事でしょう。

いずれにせよ、なかなか興味深い話です。

2010年11月1日 コンサートへ

先月、延岡まで一青窈さんのコンサートに出掛けました。今年二度目の一青窈さんのコンサートです。

一度目の大分でのコンサートは、アルバム「花蓮街」発売に伴うもので、選曲は、ニュー・アルバムの楽曲が中心でした。そして、今回の延岡でのコンサートは、アコースティック・サウンドを中心としたもので、選曲も大分でのコンサートとは全く異なるものでした。ただし、基本的には、前回同様、今回も「昭和」がテーマとなっていました。

ちなみに、「おかわりありませんか」と題された今回のコンサートは、文字通り、「おかわりありませんか」という意味ともう一度という意味の「おかわり」をかけたものだそうです。

バックのメンバーは、ピアノ、ギター、パーカッションの3人でした。ベースとドラムスがない分、音の厚みにはかけるものの、年齢層が広い一青窈さんのコンサートでは、これもありだなと感じました。アコースティック・サウンドが中心とはいえ、ギタリストがアコースティック・ギターにワウの様なエフェクトをかけたりして、多様な音を演出していたのは、見ていて楽しかったです。・・・というのは、楽器をやっている人間だけの感想でしょうが。

コンサートの構成も大いに違っていました。なんと言っても、一青窈さん本人による曲の解説が今回はたっぷりありました。まるで、「ミュージック・フェアみたい」だと一青窈さんも話していたくらいですから。もちろん、選曲も、友人と一緒に、外で、流しそうめんをしている時に出会った人とのエピソードを曲にした「小粒」と言う新曲(?)から、「喝采」のような昭和歌謡のカバーまで、実に多彩なものとなっていました。

思いつくまま、書いてみましたが、まだまだ書き足りない部分もあるので、後日、追記していく予定です。

2010年10月3日 Yes or No

昔、リッチー・ブラックモアがインタビューで「Yes or No」という表現をよく使っていました。

彼の場合は、最終的に、自分の考えというのはあったのだろうけど、個人的には、表現としてとても興味深いと感じていました。

なぜなら、「Yes or No」と言った段階で、一歩引いて考える事ができるように思うからです。

即断する事も、必要な事はありますが、一歩引く事で、より深みが増す、そのように考えているのですが、いかがなものでしょうか?。

2010年9月1日 コンサートに行って

先月、福岡で開催された、YUKIさんのコンサートへ出掛けました。

今回のツアーは、新作「うれしくって抱きあうよ」に伴うものですが、アルバムのテーマに沿った演出は素晴らしく、もちろん、彼女の歌も最高でした。ちなみに、CDで聞いている以上に、YUKIさんの声は大きく感じられました。マイクから口元が離れると、生の声が聞こえて来たくらいですから。

さて、会場に目をやると、YUKIさんと同じような髪型をした女の子やコスプレをした女の子がいて、YUKIさんは、彼女達のあこがれの存在なのだと感じました。恋愛なら、大恋愛と言った所でしょうね。

最近、自分の好きなミュージシャンに対するあこがれが随分と少なくなって来たので、このようなファンを見るのは、なかなか興味深く感じます。もちろん、自分の好きな音楽は変わらないし、尊敬している面もあるのですが、あくまで、ミュージシャンとして尊敬しているのであり、自分もそのミュージシャンのようになりたいとは思っていません。ましてや、人間としては、興味の対象外ですらあります。

それとくらべると、恐らく、YUKIさんのファンというのは、YUKIさんのすべてを受け入れているのでしょう。まさに、ハナミズキのように、100年続く恋というのは、このようなものなのかもしれません。

2010年8月1日 確認中

iPadを手にして、一週間ほどが経ちます。

今の感想を述べれば、「普通に使えている」となります。

ネットを見るのも、音楽を聴くのも、動画を見るのも、今の所、これと言った不満はありません。強いて不満を言えば、ネットでもよく言われている、「思っていたよりも重いよね・・・」と言うくらいでしょうか。

重さに関しては、微妙な感じですが、操作感に関しては、まさに絶妙だと感じています。指に対する反応、するするすると動く感じ、実に、自然です。

iPadは、革新的だというより、皆が夢見ていた商品という風にとらえています。できてしまえば、当たり前にそこに存在する、そのような商品なのです。

でも、そのような商品だからこそ、実現するのが難しかったのかもしれません。少なくとも、私の様な凡人には、この完成度は、まさに神の領域です。

とりあえず、もう少し、色々と使ってみて、改めて感想を書きたいと思います。

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ちなみに、このホームページも、iPadでちゃんと表示されるようです。YouTubeの動画が再生されたのには、びっくりしましたが。

2010年7月1日 客観的である事

物事は、客観的に考えれば、こうしかならないという事はあるもので、そのように客観的に考える力がある人が頭のいい人なんだと感じたりします。

残念ながら、私は、疑問に感じる事は多くありますが、それが、疑問のレベルにとどまっていて、客観的に物事を考えて、結論を導きだすレベルに達してはいません。

客観的に考えようとしても、様々なエゴや偏向などが邪魔をして、客観的に見るのが難しいと感じる事があるからです。

学生の頃、友人が、俯瞰した位置から世界を見て、世界の真理を追究するんだ……という意味の事を語っていました。俯瞰して見るかどうかはともかく、私なりに、物事の真理というものにトライできればと思います。

2010年6月1日 コンサートへ

普段、あまり、コンサートに行く事はないのですが、先月は、一青窈さんのコンサートに出掛けました。

フリートーク一切なしのしっかり演出されたコンサートは、なかなか見応えがありました。旅行鞄を手にステージに現れた一青窈さんによって、見る人すべてが「花蓮街」の世界へと誘われたのではないでしょうか?

コンサートの後半は、ビートの効いた曲が並んでいたので、違和感を感じた方もいるだろうなと思ったり思わなかったり。

それと、「ハナミズキ」はアンコールで歌んじゃないんだなと感じたり感じなかったり。

ちなみに、先月の一日には、aikoさんのコンサートにも行っています。ずいぶん昔から彼女の音楽を聴いていますが、コンサートは今回がはじめてです。(なかなかチケットがとれないですからね。)

aikoさんのコンサートは、一青窈さんとは対局でした。なんと言っても、フリートークが長い!恐らく、30分以上はフリートークでした。

そして、ファン層も異なれば、ファンの楽しみ方も全く違っていました。様々な年齢層がそろった一青窈さんのコンサートに対し、aikoさんのコンサートでの40歳代の少ない事(涙)。そして、ノリノリのaikoさんのコンサートに対し、曲によっては、乗っていいのか悪いのかと言った感じの一青窈さんのコンサート。そう言えば、リズムを取るのが難しい曲があって、しばらく、手拍子が揃わなかったりもしました。

今となっては、どちらのコンサートも、一夜の夢のように感じます。楽しい事は、一瞬で去り、遠い過去の思い出となってしまいます。

2010年5月1日 ホームページのリニューアル

今月末には、日本でもiPadが発売されます。iPadを革新的商品だと感じる方もいらっしゃれば、平凡な商品だと感じる方もいらっしゃると思います。個人的には、新しいパソコン体験を提供する商品だと感じるとともに、フラッシュを排除し、ネットの世界に新しい扉を開く商品だと感じています。相変わらず、アップル社は新しい技術に攻撃的に挑んでいます。(もっとも、アップル社のCEOスティーヴ・ジョブズの本当の意図は、現段階では、分かりません。)

さて、iPad発売にあわせて、ホームページを全面的にリニューアルしました。デザインは同じですが、ソースは全く異なります。それと、これまでの「今月の一言」の内容も書き直しています。特に、2004年以前の内容は、ほとんどの文章を再編集しています

「今月の一言」をご覧になれば分かるように、約10年の蓄積がこのホームページにはあります。いつまで続けるのかは決めていませんし、ましてや、このホームページのデータがいつまでネット上に残るのかは分かりません。私は、続けられる限り、これからも更新して行く予定です。

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見る側からすれば、これが私によって更新されたものだという保証はない、そんな事を、最近、思ったりします。もしかしたら、私自身は、既に、更新をやめていて、私以外の人間が、IDやパスワードを入手して更新を続けていた……こうなると、ちょっとしたホラーですね。

まあ、あり得ない話ですが。少なくとも、文体から、私である事は明らかですし。

2010年4月1日 フリーソフトウェアと芸術

最近、フリーソフトウェア運動について、調べています。ありがたいことに、フリーソフトウェア運動に関する文献は、英語の原文をネットで容易に見つけることが出来ます。今は、そういったいろいろな文献、インタビューなどに目を通しているところです。

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その運動に出会ったのは、10年以上前、パソコンを始めてしばらくたってからです。

当時、Vectorの本(Vectorは、様々なソフトをネットからダウンロード出来る総合サイトですが、当時は、それらのソフトをCD-ROMに収録して、書籍としても販売していました)に、フリーソフトウェアについての簡単な紹介文が掲載されていました。それを目にして、コンピュータの世界には、これまでの「もの」を中心とした社会とは異なる世界が展開しているのだと知り、興味を引かれました。

ところが、数年前、その運動の中心となる人物、リチャード・ストールマンのエッセイ集を購入して読んでみたところ、どうしても文章が頭に入ってきませんでした。

今思えば、それは、その本の難しさ故にではなく、自分の意見とは異なるが故に理解できなかったのだと思います。なぜなら、ストールマンの主張自体は、とてもシンプルなものでしたから。いずれにせよ、当時の私には、その主張は、どうしても納得がいかないものでした。

そういうこともあり、しばらく、その本を本棚に片付けていたのですが、最近、彼のエッセイ集を再度読み直し、それと平行して、彼のインタビューを読んでみて、ようやく、彼の主張を素直に受け入れられるようになりました。

ストールマンの意見は、様々な批判を浴びています。例えば、最近話題になった「フリー」という本の著者、クリス・アンダーソンは、ストールマンを共産主義者だと一蹴しています。私は、アンダーソンのようには思いませんが、もちろん、ストールマンの意見のすべてを受け入れているわけでもありません。

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学生時代、複製芸術に興味を持ち、今でも、その関心は失ってはいません。でも、今、私が学生だとしたら、勉強のテーマにフリーソフトウェア運動を選んでいたかもしれません。

フリーソフトウェア運動自体は、プログラマを中心とした運動であり、芸術運動とは関係はないにせよ、その考えの根本には大衆社会とコピーという言葉があるわけだし、その考え方は、今後の芸術のあり方にも大いに影響を与えるものだと思うからです。

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それはともかく、自分の価値観を打ち砕くような考え(ただし、社会にとって有意義な考え)に出会えると、まだまだ、生きるということに前向きになってもいいんだなと感じます。

もちろん、自分にとって心地のよいもの、受け入れるのが容易なものに囲まれているのが、一番の幸せだし、無理に嫌いなものに目を向ける必要はないだろうけど、「受け入れられないにせよ、これは素晴らしいものだ」と感じたものには、時間をかけて、じっくりと接していければと思います。

2010年3月1日 克服しなければならないのは

教育実習で高校へ行った時のお話です。授業が終わってからの反省会で、先生方から指摘されたのは、「成績の良い子にとってはいい授業だった。」ということでした。

それ以降、ずっと、そのことが頭の隅から離れたことはありません。

どんなに他の人にほめられることがあっても、自分として、この点が克服できていないという思いが常にあり、満足したことはありません。

その点に関して、自分でまだコントロールが出来ていない、努力が足りないと思ってしまうからです。

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これは、考えることによって出来る・・・という問題なのではないのかもしれない・・・そう感じたりしますが、どうなのでしょうか?

2010年2月1日 静かな夜

夜になると、テレビのボリュームを小さくするのは、学生時代、一人暮らしをしていたせいかもしれません。

下宿では、夜、大きな音を出すわけにはいきませんから。

昔なら、本を読んだり、楽器を操作したり(もちろん、ヘッドホンをして)いた訳ですが、今は、もっぱら、パソコンをしています。

今日も、キーボードを打つ音と、パソコンのファンの音がかすかに聞こえる部屋で、静かに過ごしています。

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あっ、でも、家族と暮らしていると、静かな夜というのは、なかなかないですけどね。

2010年1月1日 あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

今は、毎年そうしているように、紅白を見ながらパソコンに向かっています。聴きたいと思う曲は、2曲だけなので、今は、パソコンに集中。

さて、新たな年を迎えるにあたって、特に、新年の抱負もないし、言うべきこともない。

とりあえず、私は存在している、、、らしい。

Je pense, donc je suis